ノーパンだった。
「キャアアアア――ッッ!」
上から落ちてきた女の子はノーパンだった。そして俺はスカートの中、乙女の花園を覗いてしまう。正直、唐突過ぎて理解が追いつかなかったので、たとえノーパンの女の子が落ちてきても興奮はしていない。
ちなみにこの女の子は階段の上から落ちてきたらしい。階段って高校の階段のことな?
「ど、どいてっっ!」
女の子の第一印象は『優しそうで可愛い』といったところか。
さて、本題のスカートの中だが、結論は肌色だった。女子特有の白さを持ったやわらかそうで、けれど決して肉が付きすぎているわけではない太もも。抱いてみたら病み付きになりそうなくびれ。最後にぷにっと膨らんだ、しかし小ぶりなおしり。
繰り返す。肌色なのだよ、スカートの中が。純白でも、水玉でも、縞々でも、ピンクでも、ましてや少し背伸びした黒でもない。つまり彼女は……、
「ノーパンの変態だ――ッ!?」
俺が叫んだと同時に、女の子は俺を下敷きにするように着地した。俺の頭を両足の太ももで挟み込むように、彼女はへたり込む。はたから見たら俺はパンツを穿いていない女子のスカートの中に頭を突っ込ませて、顔面騎乗位をさせている変態だろう。
「もふ――ッッ!? もふウウウウウウウ――ッッ!」
「ん――っ、あ、あっ、――く、くすぐったいから喋らないでぇ……っ」
俺の顔面に乗っている女子の声が聞こえる。切なげな吐息交じりの、喋るなという必死の懇願。彼女の声は感じているようにも聞こえなくはないではないか。
吐息を漏らすたびに、この誰かさんは太ももに挟まれた俺の頭ごと、悩ましげに脚をすり合わせる。ゆえに、俺の頭は女の子特有の柔らかさを持ったその太ももにギュ~~っとされた。
だが、そんな幸せもすぐに去ってしまう。女の子は立ち上がり、俺の頭から退く。視界が自由になることで、俺は彼女の顔を少しだが確認できた――が、そして彼女の顔を見て驚く。なぜならば、このノーパン娘はクラスメイトだったから。
「委員長? どこに行ったんですかー?」
階段の下のほうから彼女を呼ぶ声が聞こえた。踊場でいつまでもこうしているわけにはいかず、俺も立ち上がる。その際にノーパン娘と視線が交わったが、彼女は自分を呼ぶ声に返事をしながら、踊場を立ち去っていく。
「今のノーパン女子って、委員長の星宮奈々だよな……」
ん? え、待って! 落ちつけ俺! あまりに衝撃的な事件で反応が遅れたが、ノーパンだと!? 年頃の女の子が、風紀を守るべき委員長が、誰もが起きている昼間から、生徒が闊歩する学校で、パンツを穿かずに過ごしているだと!?
両手で頭を抱え込む俺。そして一つの結論に達した。
「あいつ変態ジャン!」
「誰が変態なの?」
「こんなところでサボらないでよねっ?」
「ウオッッ!? 誰だ!?」
絶賛混乱中の俺に後ろから声をかけてきたのは、幼稚園からの幼馴染の二人。
遠野理央と朝原茜だった。
「ね~え~、弥代? 誰が変態なの?」
理央は男の子のわりには小柄で、かなりの童顔だ。瞳は大きく、いつも眠たそうにしている。肩幅も女の子と間違うぐらい小さく、線も細い。ブラウンのショートカットも女の子のようで、一見すると女の子が男子の制服を着ているんじゃないかと錯覚する。
そんな理央は俺の叫びを不思議に思ったのか、小さく首をキョトン――と傾げている。
「誰が変態かなんてどうでもいいわよ。それよりも弥代? ガムテープとダンボールはどうしたの?」
茜は平均の高校生よりも魅力的な体をしている。豊満でやわらかそうな乙女の双丘。細いくびれ。ふれたら病み付きになりそうな太もも。瞳は宝石をはめ込んだように綺麗で、花唇はつややかな薄桃色をしていた。
さて、俺の叫びと理央の疑問を一蹴して、茜は俺に用事を済ませたかを聞く。
「ああ……ゴメン。実は空から女の子が落ちてきて、少し動揺してたんだ。だからまだ持ってきてない。すまんな」
二人が口にした弥代、というのは俺の名前である。及川弥代――それが俺の名前だ。
俺が本当のことを言うと、二人はいぶかしむ。そして俺に向かって――
「弥代は病院に行くべきだね。アニメの見過ぎだよ」
「そうね。空から人が落ちてくるわけないじゃん」
「クソ! 事実なのに誰も信じてくれない!」
通院を勧めてくる理央に、常識を述べる茜。なんで誰も信じてくれないんだ!? と、思うが、正直俺も他人からこんなことを言われても信じられる自信がない。
「仕方がないな~。じゃあ早く行こ? ボクもダンボール運ぶの手伝うし」
「サンクス。で、茜はどうする?」
「あたしも付いていくよ。こっちの準備は終わったし」
「了解~」
いつまでも踊り場にいるわけにもいかないので、三人で階段を上り三階に辿り着いた。
そして視界に飛び込んできたのはペンキが塗りたての看板とか、ダンボールでできた屋台の小物とか。あとは出し物のポスター。
通りすがる生徒は活気付いていて、明るい雰囲気が流れていた。にぎやかで楽しげな声がどの教室からも聞こえる。
「なあ、文化祭まであと何日だっけ?」
「今日が一〇月二〇日で文化祭は二六日の日曜日だから、あと六日だねっ」
俺の疑問に理央が答えてくれる。答えてくれた瞬間、見上げる感じで穏やかに表情をほころばせてくれた。ほにゃ~~っとしたやわらかい笑顔に俺は癒される。男の子なのにすごく愛くるしく、思わず抱きしめたくなる可愛さだ。
だが俺が理央にデレデレしていると、茜が俺たちのスウィートタイムを邪魔してくる。
「あんた、なに理央を相手にデレデレしてるの? 弥代も理央も男でしょ?」
「ハ――ッ! これだから女子は……。俺は女子と結婚するぐらいならば、イギリスに渡って理央と同性婚する!」
「あたしは未だにその感覚がわからない……。やっぱり考え直そう? そもそも、どうして弥代はそこまで女子が嫌いなわけ?」
俺たち三人は茜の友達が多い二年四組を目指して歩きながら会話をする。ちなみに俺たち三人は一緒のクラスで二年一組だ。
目的地に到着するまで、俺はいかに自分が女子のことを嫌っているかを話した。
「だって女子って俺から見たら頭のネジ三五本ぐらいは外れてるしな。九人の男子が真面目に掃除していても、たった一人の男子が遊んでいるだけで『ちょっと男子! 真面目に掃除してよ!』と騒ぐし。逆に自分たちがサボっていると『私たちは忙しいの』って自分を正当化。なにがどう忙しいかを聞くと『男子には関係ない!』って煙に巻く。ハッ――馬鹿じゃねぇの? 一緒に掃除してんだから関係ないわけないだろ」
若干引いたような、こいつ性格悪いな~って思ってそうな顔をする茜。
一方理央は女の子らしくても中身は男子のため、俺の悪口に少し共感しているふうで。
「まあ、その怒りはボクにも共感できるところがあるな~。女子って感情的で自分のことを絶対的な正義としか考えてなさそうだし」
俺は無言で理央に抱きついた! ああ理央。さすがだよ。お前は俺の気持ちを理解してくれるのか。理央ってばマジで天使!
理央はくすぐったそうに身をよじらせて、幸せそうに目を細めた。少しにやけていて、実に嬉しそう。「えへへ~」とはにかむ。頬は朱色に染まっていて、ちょっぴり照れている様子。
が、隣を歩いていた茜が睨んできたので、理央を解放すると、俺は話を再開した。
「ゴホン! で、まだまだあるぞ。まず自分の言っていることが絶対に正しいと勘違いしているところが気に喰わない。男子に文句を垂れ流した挙句、俺が我慢できず論破して間違いを指摘すると笑ってごまかす。男子が間違っていると思うと罵声を浴びせ、自分が間違っていると気付くと笑って自分を棚に上げる。そんなヤツらだ。マジくたばれ」
「あ、それはあるよね。ボクも弥代が論破したところ見てたから覚えているよっ」
「覚えていてくれたのか!? 理央、ありがとう! 大好きだアアア!」
「恥ずかしいよぉ」
頭を撫でてあげると理央は恥ずかしそうに身を縮めた。その姿はまるで小さなウサギのようである。理央タンってばマジ男の娘! 我が理想! 我が希望!
「……じゃあ、さ? あたしは弥代から見てどんな女の子?」
俺は理央の頭から手を離して、茜の質問に対する答えを考える。余談だが俺の手が離れた瞬間に、理央が「あ……っ」と悲しそうな顔をした。その表情は男であっても庇護欲をくすぐられる。
「そうだな……裏表がなくて、めんどくさくなくて、一緒にいて疲れない――」
「っ! それでそれでっ!?」
「――そんな男友達に近い女子」
「死ね! このハードゲイ!」
背後からチョークスリーパーを仕掛けられる。く、苦しい! 息ができない。空気を、酸素を、自由をくれ! それと背中に茜の胸が当たっている! 密着しているせいで茜の豊満な胸が背中に強く押し付けられている!
「ところであたしは今、わざと胸を押し付けているんだけど、興奮しない?」
「するよ! 俺だって男子だから!」
正直に白状するとようやく茜は技を解いてくれた。なにやらご機嫌なようで、ニコニコしている。対して俺は首に手を当てて、痛みを和らげていた。そんな心配をしてくれるのは理央だった。この子は優しさの結晶だ。そうに違いない!
「でもさ、それって矛盾してない? ボクと……そ、その……けっ、結婚したいのに、茜ちゃんの胸には興奮するって。明らかにスジが破綻してるよね?」
やばい、超可愛い。結婚って単語を躊躇いながら、頬を赤らめて口にするなんて!
「俺だって男子だから女子に興奮するときもあるさ。ただ結婚は女子としたくない。肉体的な満足を得るために女子と結婚するか。または精神的満足を得るために理央と結婚するか。そういう選択だな」
「「ふ~ん」」
理央と茜の感動詞が重なる。
「というかお前ら、俺のことをゲイ呼ばわりしているが全然違うからな?」
「え? でも弥代って理央と結婚したいんじゃないの?」
「女子ごときと結婚するぐらいなら理央を選ぶってだけだ。あくまでも『結婚するならどっちがいい?』という仮定の話だよ。よく馬鹿にされるが、俺は一生独身で構わない」
ここで目的地である二年四組に到着して、茜が友達らしき女子からガムテープとダンボールを五枚もらってきた。それを俺がダンボール二枚、茜もダンボール二枚、理央がダンボール一枚とガムテープという具合に分担して校舎二階の二年一組に運ぶ。
教室まで戻る廊下を歩いている最中、俺は一つの質問を二人にぶつけた。
「ところでさ? 話はずいぶんと変わるが星宮ってどんなやつなんだ?」
「委員長? あたしはすごい人だと思うよ。成績も学年一位だし、部活には入ってないけれど運動神経抜群だし、クラスの委員長としてみんなのことをまとめているし。一言で表すならば完璧ね」
「あとはよく告白されるらしいよ? 噂だと一年生の時だけで三〇人超えてるって」
「なるほど」
そんな完璧超人がノーパンで校舎を徘徊ねぇ。正直信じられない。星宮のことはよく知らないが超有名人らしい。そんなやつが本当にノーパンで歩き回ったりするのか? そんなことをして誰かにばれたら、誇張抜きで社会的に死んでしまうぞ。
「なに? さすがの弥代でも委員長にはなびいちゃうの?」
「違う。ちょっと気になることがあってな……」
「やっぱり気になってんじゃん!」
断じて違う。今の発言でわかった。やはり茜も女子なんだな。何でもかんでも恋愛方向に話を持っていって、本人が否定しても『照れなくてもいいのに~』と知った風な口を利く。で、最終的には『応援するね』とかほざいて、人の話に聞く耳を持たない。なんて超次元な自己完結なんだ。
「……弥代はボクよりも、委員長のほうが気になるの……?」
まずい! 理央が泣きそうだ! 瞳を濡らして、不安げな表情を浮かべている。目じりには大粒の涙を溜めて、不安げに両手を小さな胸の前で、祈るように絡ませていた。
「そんなことはない。委員長なんて人種は女子の筆頭格じゃないか。真面目でお堅い委員長なんて絶滅した。今時の委員長はその場のノリで選ばれて、自分中心でクラスが動いていると勘違いして、面倒事は他人に押し付けて、先生から好かれるためにヘラヘラと胡散臭い愛嬌を振りまく。そんな人種だ。マジ死に晒せ」
「そんなんじゃ誰からもモテないんじゃない? 性格直したら?」
「茜は間違っている。俺は女子なんかにモテたくない。ゆえに性格も直す必要がない。そもそも性格なんて変えられるモノじゃないだろ。上辺だけを取り繕って女子が群がってきても、そいつらは男子の中身を知ろうとすら思わない」
「それはボクも同感だなぁ」
「だろ? で、もし中身を知ると『そんな人だとは思わなかった』と勝手に幻滅する。ちなみに男女逆パターンだと『なんで私のことを理解してくれないの!?』とほざく。だったら俺は心から信じあえる親友を作って、一生女子を恨み続けるな」
嘆息する茜。気のせいか俺のほうをジト目で睨んできている。
茜に注意が向いていると、ふいに理央が俺の制服の裾を掴んで引っ張ってきた。
「あのさ、弥代? ボ、ボク達はもう親友だよね?」
なにこの子、メチャクチャ可愛い! 上目遣いも、不安げな表情も、俺の制服の裾を引っ張ってくる控えめなしぐさも! 全部可愛い!
「ああ、もちろんだ!」
俺が肯定すると、理央は「よかったぁ」と柔らかく安堵してくれた。
と、ここで教室、二年一組に戻ってきた。俺と茜はダンボールで両手がふさがっているので、理央が扉を開けてくれる。理央が最初に教室に入って、次に茜、最後に俺が。
「ただいま帰還しました~」
教室はやはり文化祭の準備期間ということもあって散らかっていた。適当なサイズにするため切断途中の暗幕に、机には誰かが持ってきたタロットカード。床には水晶が転がっていて、教室の隅では女子が運気上昇のシルバーアクセサリを作製していた。
この光景を見たら俺たち、二年一組の出し物が『占いの館』ということは一目瞭然であろう。
「あっ、ちょうど良かった! 及川君に用があるの!」
教室の中央で打ち合わせらしきことをしていた集団の中から、一人の女子が出てきた。そして俺に用があると言うではありませんか。
「な、なんだ星宮っ?」
多少動揺する俺。話しかけてきたのはノーパンの疑いがある星宮奈々だった。
星宮が俺に話しかけると周囲が静かになる。正確には会話のボリュームが小さくなって内緒話をしている感じ。
改めて見ると星宮は中々の美少女だった。星空のように澄んだ瞳につややかな花唇。白い肌に端整な顔立ち。形の整った美乳、細いくびれ。すらっとした脚線美。
「えっ……と、あのね? 大事な話があるんだけど……」
この時点ですでに嫌な予感しかしなかった。さっきのノーパン娘衝突事件。この直後というのが、俺の危険センサーにバリバリ引っかかっているではないか。
「及川の野郎、ホモのくせに委員長から話しかけてもらえるなんてっ」
「嗚呼、委員長に話しかけてもらえる及川がうらやましい――ッ」
「委員長は優しいな~。誰にでも平等で」
ギャラリーがうるさいので黙らせたい衝動に駆られるが、何とか我慢する。
「ここでは言えない話か?」
「うん、ここではちょっとね……」
すると星宮は深呼吸し、自らを落ち着かせた。形の整った胸が上下に動く。そして星宮は、クラスメイトの前で、誰もが見ている教室で、まるで愛の告白のように俺に告げた。
「今日の放課後、体育館裏で待っているからっ!」
それだけ残すと、星宮は教室から去ってしまった。俺は別段驚いてはいないけれど、理央が目を丸くして、茜が口を両手でふさいで一驚していた。俺が二人に何か言おうと思考を巡らせていると、クラスメイト、主に男子が俺に突っかかってくる!
「テメェ、及川アアアアアア――ッッ! 何みんなのアイドル委員長から呼び出されてるんだアアア! その所業、万死に値するウウウ――ッッ!」
「委員長が及川に告白なんて、そんなの許せない!」
「まだ告白って決まったわけじゃないだろ! でも及川は死ねエエエエエ!」
嗚呼……星宮よ……。お前って本当に男子からも女子からも人気あったんだな。成績優秀で、運動神経抜群で、憧れの委員長ねぇ。俺とは接点がないはずなのに……。
ところでお前ら、人のことを傷つけちゃいけないと小学校で習わなかったのか?
こんな都市伝説を聞いたことはあるだろうか? 『屈折のデザイア』――これは自分の中に秘めているデザイア――つまりは欲求や欲望や願望を、屈折した方法や形状で叶えてくれるという都市伝説のことで。
無意識に注目を浴びたいと思う人は『注目を浴びることはできるが、それを浴びた瞬間社会的に死ぬ』という風に悪い意味での注目を浴びる。
無自覚に妄想を現実にしたいと思う人は『妄想を現実にはできるが、それが自分の現実とは限らない』という風に違う意味で妄想を現実にする。
この都市伝説にはこの様な例が存在する。
ところで、この『屈折のデザイア』は確かに世界に存在するが、それが存在する意味をそれ以上、人間如きが探ることは不可能なのである。
例えば――重力は世界に存在するしある程度は解明できている。が、なぜあるのかは分からない――訂正――なぜあるのかは分かるが、しかし『なぜあるように世界が作られたか』は分からない。また例えば――時間は確かに世界に存在するが、重力同様に『なぜあるように世界が作られたか』は分からない。
世界の真理なんてそんなもの。つまるところ『屈折のデザイア』というのは重力や時間や、生や死や、あるいは世界そのものと同じで『それが存在しているのだから、存在しているのだ』というところまでしか探求できない。
さて、ここにも『屈折のデザイア』を患った女の子が一人。
名前を――星宮奈々という。
時は放課後。場所は教室から移って体育館裏……ではなく学校の近くの公園。別に星宮のことを無視したわけではない。下駄箱に手紙が入れられていてここに来いと指定されたのだ。
「ゴメンね? わざわざ呼び出しちゃって……よくよく考えてみたんだけど、あんなふうに呼び出しちゃったら野次馬もできちゃうかなぁ……って。だからちょっと場所を変えさせてもらったけど、来てくれてありがと」
公園の木々は紅葉していて和風で風雅な景色だった。葉は紅から朱色から黄色まで、数え切れない秋の色をしていた。西の空には夕日が沈んでいて、一日が終わりに向かう寂しさを感じさせる。こうして立っていると涼しい秋風が吹き抜けて、そろそろ制服の上から羽織る上着が必要なんだな、と実感させられる。そんな秋のセンチメンタルな風が吹くと、モミジが宙で踊ってひらひらと地面に落下する。
そんな秋という季節を実感させる風景の中に、星宮奈々はいた。
「別にいいさ。今頃クラスのやつらは体育館裏の茂みで待ち構えているだろうし。話があるならこっちのほうが話しやすい。で、話って?」
急かす俺。すると星宮は手をもじもじさせて、頬を紅潮させた。顔をうつむかせて、非常にもどかしそうにしている。恥ずかしくて切り出せない。それがじれったい。そんな雰囲気だ。
「きょ、今日の六時間目の準備時間に、私とぶつかったよね?」
「ああ、階段でな」
「その時、私のスカートの中……見ちゃった、よね?」
「不本意ながら」
すると星宮はよりいっそう顔を赤く染めた。それこそ今の季節で例えるならばモミジのように。よく観察すると体は震えていて、瞳には薄っすらと涙をためている。
「一応確認するけれど…………何が見えた?」
「――っ、それは……」
いくらなんでも言えるわけがねぇよ! 女子嫌いでも女子に対する恥ずかしさはあるんだよ! と内心突っ込んでしまう。それでも星宮にとっては重要なことだ。これを知っているか否かで、話がだいぶ変わってくる。
しかし俺にも羞恥心というものがあって、それのせいでやはり口ごもってしまう。
が――、次の瞬間、またもや涼しげな秋風が吹いた。その結果――
「キャ――――ッッ!」
俺は再び目視してしまった。そして今度こそ目に焼き付けた。
星宮のスカートの中。星宮の真正面にいた俺には丸見えだった。細くくびれた女の子らしい腰。ふにふに――っとしたおなか。やわらかそうな、膝枕したら優しい眠りに包まれること間違いなしの太もも。薄く膨らんで桃のように形がよく、そして白に近い薄い肌色をしている小ぶりなおしり。そして女の子の花の楽園。
俺がそれを見た次の瞬間には、星宮は両手でスカートの裾を全力で引っ張った。
「………………これで確認する必要はなくなったな。階段で見ていても見てなくても、間違いなく今見ちゃったし」
「うう~……」
当たり前だが星宮は恥ずかしがっている。そのせいで星宮は両手で顔を覆った。
さて……この状況で俺はどう対処したものか。
「ま、まあ、安心しろっ。このことは誰にも言わない!」
「ホントに……?」
ぐいっ――と一気に近づいて俺を真正面から見据える星宮。下から覗き込むようにジト目で睨む。顔が、くちびるがもう少しで触れ合いそうな距離。そんな近さで睨まれたら女子嫌いの俺でもドキドキしてしまう。
「本当だ! そもそもこんなこと実際に見ないと信じられないだろ! いくらバラしても俺が変態扱いされるだけだ!」
「まあ……それもそっか」
とりあえず俺たちは落ち着いて話すために近くのベンチに座った。が、座った俺と星宮の間にはなんとも言えない微妙なスペースがあるではないか。
「――言っておくがノーパンが今日だけの偶然ではなく、いつもやってるんだったら直したほうがいいぞ。今回ぶつかったのが俺じゃなかったら、絶対社会的に死んでたし」
「そうしたいのは山々なんだけど……ちょっとワケがあって……」
「女の子がノーパンになるワケなんて、俺には思春期のいかがわしいエネルギーの発散ぐらいしか思いつかんがな」
「及川君って勇気あるよね……今の相手によってはセクハラで訴えられてたよ?」
「だったらノーパンの星宮は公然わいせつで捕まってるぜ?」
沈黙が流れる。俺の星宮に対する印象が完璧な委員長から、淫乱のノーパン娘にレベルアップした。いや、むしろレベルダウンだな。
「ちなみにいつから癖になったんだ?」
「癖……ではないんだよね。でも『いつから』というなら三日前からかな」
呟く星宮。それはまるで嘆くように。
哀愁が漂う今の彼女の姿は……どこか寂しそうで。誰にも言えない。誰にも理解されない。いや――そもそもその前に、秘密を明かすことが恥ずかしくてできない。俺は星宮の内心をそう察した。
「ハァ……まず真っ先に浮かぶ疑問として、なんでノーパンなんだ?」
疑問を星宮にぶつける俺。すると星宮は拒絶する。
「そ、その、言うの恥ずかしいんだけど……」
「言っておくが俺は巻き込まれた側の人間で、星宮のほうが巻き込んだ側の人間なんだ。 事情くらい説明してくれてもいいんじゃないか?」
「う~~~~っ」
いじけるように唸る星宮。だが自分が『巻き込んだ側の人間』ということを思い出したのか、すると星宮は覚悟を決めて、スッ――とベンチから立ち上がる。今の彼女の表情には羞恥心を乗り越えた決心が表れていて、そして星宮は俺に言う。
「わ、わかった、じゃあ見せてあげる――私がノーパンの理由を」
それはまるで一世一代の告白のように、だがしかし全然ロマンチックでもなく、けれども鼓動がバクバクするぐらいの最上級な緊張を含ませて、星宮は俺のことを真正面から見つめてきた。
「ちょっと待っててね? 必要なものを取りに行ってくるから」
「え……? あ、ちょっ……」
半分以上一方的に星宮は話を終わらせると、俺が何かを口にする前に小走りでどこかへ行ってしまった。
と……ここで俺が不思議に思う。星宮は言った「見せてあげる」と。普通は「聞かせてあげる」とかではないのか? それに必要なものもあるらしいし……。
胸の内でざわつく疑問について考えていると、あっという間に時間が過ぎる。
星宮が戻ってきたのは約一〇分後のことだった。右手にはコンビニのレジ袋を携えて。左手を小さく前後に動かし、小走りで俺が待っていたベンチまで戻ってくる。
「今ここにはコンビニで買ったパンツがあります!」
コンビニのレジ袋から、白く無地のパンツが詰められている袋を星宮は取り出す。袋を破き、レジ袋ともども近くに設置されていたゴミ箱に捨てて。彼女の手に残ったのはパンツだけ。
「今から穿くから、あの……ね? 後ろ向いていてくれると……嬉しいかな?」
「――俺に女子の着替え姿に興奮する性癖はない。穿くなら勝手に穿け」
「そうじゃなくて……う~、ただ単純に私が恥ずかしいからなのに……」
口ではそう言いつつも、星宮は諦めて俺の視界の真ん中でパンツを穿こうとする。
まず星宮はパンツを両手で広げて足元に持ってくる。次いで片足を浮かせてパンツの穴に入れると、もう片方の足もパンツの穴に入れる。
星宮は小さく震える両手でパンツを上昇させる。星宮は更にパンツを上昇させる際、穿きやすいようにスカートを若干めくって。その瞬間、俺は星宮の太ももからおしりにかけてのラインを目撃してしまう。太ももは細かったが、だがしかし柔らかそうで、なおかつ触り心地が至福そうな。おしりは緩やかな曲線を描いていて、小ぶりにプニ――っと膨らんでいる。
そしてようやく星宮はパンツを穿き終えた。
「お、及川君? 穿き終えた、よ?」
「見ればわかる」
弱々しく星宮は穿き終えたことを報告する。頬を朱色に染めて、潤んだ瞳で上目使いを披露する。例えるなら寂しくて弱々しい子犬か。か弱くて守ってあげたい――普通の男子ならそんな衝動に駆られること間違いなしのいじらしさだった。
「で、何が起こるんだ? つーか普通にパンツ穿けてんじゃん」
「これから起こるんだよ。悪いんだけどちょっとだけ待っててもらえるかな?」
「……わかった」
事情の説明を求めたのは他ならぬ俺だ。そして星宮は意図が不明だが要求にきちんと答えてくれようとしている。なら少しぐらい突拍子がなくても待っててやるか……。
まずは一分が経った。
「星宮のノーパンって他に誰か知ってる人いんの?」
「ううん、及川君が私の初めてだよ?」
「意味は通じたけど誤解を招きそうな言葉のチョイスはやめてくれ!」
「ほえ?」
どうやら星宮は素で今の発言をしたらしい。
次に三分が経つ。
「私も及川君に聞きたいんだけど、普通の男子は目の前にノーパンの女の子がいたら……その……い、いやらしいこと、したいって……思わないの、かな?」
「普通の男子ならな。でも俺は女子嫌いだし」
「そっかぁ……」
「ちなみに俺は今この時でも、星宮が新手の美人局じゃないかって疑っている」
「さ、最低だよ!?」
ようやく四分が経ちそうで、ここまでくると星宮に若干の変化が表れる。
「で、いつまで待てばいいんだ?」
「はぁ、ん……あっ、ん…………あと、い、一分ぐらい、かな……っん」
明らかに星宮の様子がおかしかった。切なげに太ももをすり合わせて、体が敏感になったかのように身をよじらせる。顔は羞恥心とはまた別の――言ってしまえば淫らな悦楽に溺れるよう、熱い吐息を漏らし、火照った頬を赤らめ、瞳は艶めかしくトロン……と潤んでいて――非常に扇情的な表情をしていた。
「お、おい? 大丈夫か?」
「う、うん、平気……ただ、あっ……ぅんっ……もう少しで、イキそうなの」
困惑――女子の性的に魅力のある甘美な姿に、俺は心配になって何かを言おうとするも、結局は何も言うことができず、ただ混乱が胸中に渦巻くだけだった。
なにか言わなくては――と思ったその刹那、
パパン――ッッ!
「きゃ――っ!?」
軽快で乾いた破裂音が公園に木霊す。誕生日パーティーとかで打ち上げるクラッカーのように軽快で連続的な破裂音が。次いで星宮のスカートは内側に突風が発生してめくれ上がる。星宮は立っていたせいで、内側に発生した突風により、めくれるスカートの中身があらわになってしまった。
だが、それと同時に俺も不可解な現象に襲われる。視界がモノクロに変化して、あげく上下が反転。次いで徐々に景色の輪郭がぼやけてきて。更には飛行機に乗ったときのように、気圧の変化か何かで鼓膜が圧迫されキィン――ッッと耳鳴りがする。
そして再び破裂音。
「なん……だと……っ!?」
刹那、俺の不可思議な感覚はなくなり、視界と耳が正常に戻る。
同時、星宮が穿いていたパンツが弾け飛ぶ。白い無地のパンツがズタズタに、まるでカマイタチにでも切り裂かれたかのように刻まれて。スカートの内側に発生した突風に乗って、切り刻まれたパンツは、秋風に踊るモミジの如く公園にヒラヒラと、舞う。
即ち――またもや星宮のノーパン姿が俺の視界の真正面に映っているではないか。
白くてふにふにのおなか。きゅ――っとくびれている腰のライン。そのラインに続きS字を描く小ぶりに、しかしぷに――っと膨らんだおしり。何よりも女子嫌いの俺でも、思わず注目してしまう乙女の花園が目の前に。
「~~~~~~っ!」
赤面する星宮。突風が収まるとスカートの裾を両手で内部を隠すために引っ張って、最終的には地面にへたり込む。うるうると目じりに大粒の涙を浮かべて、表情には『ここまで恥ずかしい思いをさせたんだから責任とって!』と書いてあるような……。
「……星宮」
「…………うん?」
「これが……理由なのか?」
すると星宮は悲しそうな顔をして、我慢して、我慢して、だが最終的には我慢できなくなって、そして――
「やっぱり恥ずかしかったよ~~~~っ!」
そして――子どものように泣いてしまった。
「――制限時間、たったの五分」
星宮のパンツはズタズタに切り刻まれて、風に乗ってどこかに行ってしまったため片付けるのは不可能だった。片付けを諦めた俺たちは、再びベンチに座りお喋りを続ける。
「それはパンツを穿いていられる時間か?」
チラリと横を確認すると、星宮は頷く。彼女の表情にウソを吐いているような胡散臭さはない。むしろ彼女自身、自分の言ったことがウソであることを望んでいるようにすら受け止められる表情だった。
「正直、バカらしいと思ったよね?」
「ぶっちゃけ、実際に見なかったら絶対に信じてなかったし、それ以上に星宮の頭を心配することになっていたと断言できる」
ふいに、俺たち二人は同時にため息を吐く。いや、だってなぁ……パンツが弾け飛ぶなんて突拍子がないことを見せられても。なに? パンツに爆薬でも仕込んでんの?
「……で、さっきの現象に心当たりとかはあるのか?」
俺が問う。この質問に星宮が答えられるか否かで、だいぶ状況が変わってくるだろう。
少しして本当に小さな声で、油断したら聞き逃してしまいそうな声で、星宮は呟く。
彼女は夕闇に染まる空を仰ぎながら、何かに想いを馳せていたのだろうか。
「及川君はさ――『屈折のデザイア』って知ってる?」
「……俺には姉さんがいるんだが、姉さんが大学で民俗学――具体的には民族伝承を専攻していてな。名前と、ほんの少しの知識なら姉さんから聞いたことがある。確か、都市伝説だろ?」
「……『屈折のデザイア』は自分の中のデザイア――つまり欲求や欲望や願望を屈折した方法、あるいは形状で叶えてくれる都市伝説のこと……私はね、その都市伝説の被害者かもしれない」
「口ぶりからして、確定ではないんだな?」
姉さんから聞いた話だと、『屈折のデザイア』の被害に証拠はない。自分が『屈折のデザイア』の被害に遭っただなんて、物理的証拠や科学的見解は役に立たないゆえに、状況で判断するしかないとのこと。
まあ、星宮の言い分はこの仮説においては正しいのかもしれない。パンツが弾け飛ぶなんてアホらしい超常現象は、同じく突拍子もない超常現象でしか説明できないし。
「うん……確定ではない、かな。証拠があるわけでもないし。どこの病院でも取り扱ってないし。でも、とんでもなく現実離れした言い方になるけど、超常現象は超常現象でしか説明できないと思う」
ふいに星宮が座ったまま、上半身をひねって俺のほうを向いてきた。
「お願いっ、これを私と及川君、二人だけの秘密にして?」
瞳は潤んでいて、肩は震えている。そして顔はばらされるかもという怖さと、羞恥心で真っ赤。それでも真摯に俺のことを正面から見つめてきた。
頷いても断っても、俺には利益も不利益もない。だったら頷いて星宮を安心させるか。
「わ、わかったよ……約束する。これは二人だけの秘密だ」
「うんっ、ありがと! 及川君!」
俺が頷くと星宮は、ぱぁ――っと嬉しそうな明るい笑顔を咲かせる。その純真無垢な安堵の笑顔に俺は不覚にも可愛い、と思ってしまった。
もう空の半分は夜に変わっていて、月も夜空の彼方に浮かんでいた。公園の街灯が光を灯し、秋の夜風が身にしみた。そんな世界の中心で微笑んでいる星宮。この日の約束は、秘密は、きっと大人になっても忘れないだろう。
「そういえばさ?」
「まだ何かあるのか?」
「ノーパンのことじゃないけど聞きたいことがあって。及川君がホモって噂、本当?」
「誰から聞いた、そんなくだらない戯言をオオオオオ――ッ!?」
思わず叫んでしまう。ついさっき学校で理央と茜にも説明したばっかりだが、俺はホモじゃない! 断じて違う! 絶対に違う!
「で、どうなの?」
「ホモじゃない! 俺は女子と男子、どっちと一緒にいたいかと聞かれたら男子と答えるだけで、男子と付き合いたいなんて思わない! あ、理央は別な?」
「遠野君は別なんだ……。じゃあ何で女子とは一緒にいたくないの?」
「……トラウマなんだよ、女子が。昔ひどいことをされて、それで」
「それって、聞いてもいいこと?」
俺は迷った。二年生になってから数回しか話したことがない、実質今日初めて関わり合いを持った相手に話してもいいことなのか? そう迷うも、俺もこいつの秘密を知ってしまったんだし俺も秘密を告白したらおあいこだな、と勝手に納得する。
「――小学校の頃、女子の友達に好きな人を聞かれてな、素直にMちゃんと答えたんだ。んで次の日、なんとMちゃんに告白されたんだ。ガキの俺は喜んで付き合ったよ。ここまで言えば大体予想が付くだろ?」
「う、うん……イタズラ、だったんだよね?」
恐る恐る星宮は答える。まるで遠慮するように。俺としてはもう過去の出来事だから、Mちゃんのことをねちっこく引きずる気はない。だから星宮も気にしなくていいのに。
「正解。ある程度なら俺も許せたが、ネタ明かしが最悪だったんだ。次の日の昼休みに給食時の全校放送で告白時に録音された音声を流されたんだ。締めくくりでMちゃんの友達が『Mが及川と付き合うわけがないよ! だってキモイもん!』って言ってその次に『ドッキリ大成功だね』って爆笑。次の日からどうなったと思う?」
「えっ? Mちゃんとその友達が怒られたんじゃないの?」
「まあ、一応先生には怒られたさ。でもそれで終わらなかった。俺が被害者のはずなのに、女子共は『及川なんかに告白されてMちゃんかわいそう』って俺をバッシングして、男子は俺をからかうか、泣いてるフリをしたMちゃんの味方をして俺に暴力を振るう。ちなみに当のMちゃんとは、それ以降一切俺と関わらなかった」
黙ってしまう星宮。確かにこんな昔話、本人以外からしたら笑い話にしかならないもんな。こんな昔のこと、笑うか黙るかのどっちかに決まっている。
「全校放送だったから生徒全員が知ることになった。で、そこからは泥沼。被害妄想だがすれ違う全員が俺を笑っているような錯覚に陥って、小学校の頃は不登校だった」
ちなみに幼馴染である理央と茜は幼稚園が一緒で、別の小学校に通っていても土日や長期休暇に遊んでいた。さらに時が流れて三人で同じ中学に進学、高校も三人一緒。
俺の昔話はここで終了だ。俺は努めて明るく話す。
「別に気にすることじゃない。俺はお前の知られたくないことを知ってしまったから、罪滅ぼしのつもりで話したんだ」
「……どういうこと?」
「俺が星宮の秘密をばらすかも知れないだろ? そん時は俺の過去をばらせばいい。お互いがお互いの抑止力になるってこと」
うつむく星宮。いま星宮がなにを思っているかなんて俺の知るところではない。ただ星宮の横顔が悲しそうにも、悔しそうにも、寂しそうにも受け止められた。
俺は立ち上がって背伸びをする。
「心配しなくても約束は守るさ。……じゃあ、またあし――」
背後から、立ち上がる際に出る服の擦れた音がした。そして、俺は次の瞬間に背後から抱きしめられる。この状況でこんなことできるのは星宮しかいない。他に誰もいないんだから。でもなぜ抱きしめたのかはわからない。
「えっと……これで、どう?」
久しぶりに女の子のぬくもりに触れた。暖かくて、優しくて、心地いい。背後から俺の首に回されている腕から甘い匂いがする。背中に押し付けられた二つのぬくもりは、俺の鼓動を速くする。そして抱きしめられる行為そのものに、星宮の慈愛を覚えた。
「な、なにが?」
「え!? 悲しいときはこれで落ち着かない!?」
逆だよ、逆! むしろドキドキして全然落ち着けないよ! でもまあ……星宮は星宮なりに俺のことを慰めてくれたのか? だとしたら、俺の返しは決まっている。
「全然落ち着かない。でも……慰めてくれてありがと」
精一杯の勇気を振り絞って感謝の言葉を紡いだ。家族以外の女性にお礼を言うなんて、ひょっとしたら小学校以来かもしれない。こそばゆい感覚が広がって、自分でも赤面してくるのがよくわかる。
にしても星宮よ。何か反応してくれ……。
「ん、何か言った? ダメだよ、話す時は相手に聞こえるように話さないと」
この難聴がアアアアア! 俺の勇気と感謝の気持ちを返せ!
俺が心の中で絶叫していると、ようやく星宮は俺から離れた。そして俺の正面に回りこむ。彼女は、朗らかで見ているこっちが照れてしまうような笑みを浮かべていた。
「えっと……及川君は私の秘密を、私は及川君の過去を、絶対に誰にもばらさない。これで約束完了だねっ」
声を弾ませて、気分よく口角を吊り上げる星宮。その表情は澄み切っていて、心がそのまま顔に表れているように感じた。
なんなんだよ、この女……? 女子なんてエゴの塊で、今回みたいな場合でも全ての責任を俺に押し付けて逆切れするような存在のはずだろ? それなのに何で自分のことをおいて、俺のことを慰めるんだよ……。
「星宮さ?」
「なにかな?」
口にしようとした言葉――お前は俺を責めないのか? こんなことは聞いても無駄だ。現に星宮は俺のことを責めるどころか慰めてくれたのだから。
質問を自己完結させて、俺は怪しまれないように取り繕う。
「……いや、なんでもない。気のせいだった」
「うん? そう?」
と、ここで突如制服のポケットに入れておいたスマホが振動した。星宮に断って取り出して、画面を確認。そこには朝原茜と表示されていた。非常にめんどくさかったがメール画面を開く。
『弥代! 今どこにいるの!? 一〇月の外の風は寒いんだよ?
三〇分も待ち続けているあたし達を哀れだと思ったら今すぐメールよこせーっ!』
あいつ何やってんだ? あたし達、という文面から察するにクラスメイト全員で待ち続けていたり、校内を探し回ったりしているんだろうな。別に茜は頑丈だから寒くても風邪はひかない。問題は理央だ。あいつが寒くて身を震えさせていたら、抱きしめて暖めなくてはいけない!
「星宮、もう遅いし帰ろうぜ?」
「うんっ、そうだね。あ――っ、そうだ、及川君にもう一つお願いがあるんだけど」
秋の夜に浮かぶ月は綺麗だった。幻想的で、淡くて、儚くて。そんな月夜の下、モミジが涼しげな秋風に揺らされる。誰もいない公園では何一つ音はしない。静寂が心地いい、そんな世界で星宮は鈴が鳴るように可憐な声で――
「君のことを弥代君って呼んでもいいかな?」
「なあ、姉さん。少しいいか?」
時と場所は移って、現在午後八時半近く、俺の家のリビング。
晩御飯を食べ終えて、風呂の順番を待っている時間にて。カーペットの上に寝転がっている俺の姉――及川弥生へ、ソファーに座っている俺は話しかけた。
「なに~、お姉ちゃんは今すごく退屈しているから、特別に付き合ってあげよう」
「――『屈折のデザイア』について聞きたいんだが……」
すると姉さんは身を起こして女の子座りをして、近くにあった足の低いテーブルに頬杖を立てる。好奇心旺盛なネコのような目で、少々驚いたらしく面白そうに口元を緩めた。
「いいよ~、具体的には何について聞きたいの?」
「大まかな概要はネットで調べた。けど一つだけ分からないことがあって……」
「と、言いますと?」
「――『屈折のデザイア』から解放される方法って、あるのか?」
「――ある」
一言だけを、姉さんは口から言葉を紡ぐ。姉さんの答えを聞いて、俺は何となくホッとしたが、それは断じて星宮のためではない。絶対にない。俺は自分にそう言い聞かせて姉さんの説明を待った。
「前に教えたことあるよね? 『屈折のデザイア』は当事者の欲求や欲望や願望を屈折した方法や形状で叶えてくれるって。なら、そのまま当事者のデザイアを叶えてあげればいい。そうすれば『屈折のデザイア』の効果は消滅するか弱くなる」
つまり星宮のノーパン現象を食い止めるには、あいつのデザイアを叶えてあげる必要があるのか……。だがしかし、『屈折のデザイア』は被害者の無意識を反映させるモノ。無意識が反映されるとしたら、星宮自身も自分のデザイアを知らないんじゃ……。
「なになに? 弥代の友達の誰かが『屈折のデザイア』に囚われちゃったの?」
軽い雰囲気で聞いてくる姉さん。
別に友達ではない。今日初めて話したクラスメイトだ。
「…………さて……」
どうしたものか。俺だけの知識だけでは星宮を『屈折のデザイア』から救うことは難しい。頼りにできるのは、民族伝承の中でもマニアックな、都市伝説を専攻している姉さんだけ。だが星宮との約束で秘密をばらすわけにもいかない。例え星宮と姉さんに接点がなくても世間は狭いのだ。どこで誰が繋がっているなんて把握できない。けどしかし……。
数秒考えた末に、俺は星宮の実名を出さず姉さんに話すことにした。
「俺のクラスメイトに女子でノーパンのヤツがいてな」
「その子が『屈折のデザイア』の被害者?」
頷く俺。姉さんが「ふぅん……」と納得してから俺は続ける。
「さっき公園で見せてもらったんだが、無理にパンツを穿こうとするとパンツが弾け飛ぶんだ。爆発したみたいに。で、そのクラスメイト曰く『超常現象は超常現象でしか説明できない』――だって」
「超常現象が起きたから『屈折のデザイア』の被害者って断定したの?」
「そうだな。その子も俺もそう結論付けた」
少しうつむいて考える素振りを見せる姉さん。
伝えたいことをまとめ終えてから、姉さんは口を開く。
「都市伝説から解放されるには問題があってね――当事者のデザイアは誰にも分からないんだよ。無論、当事者の無意識な願望を反映させているから本人にも分からない。自分の無意識を知ることなんて不可能だからね」
「他には?」
「二つ目に――『屈折のデザイア』で叶えられた願望は、その名の通り屈折しているの」
すると姉さんは一つの例え話をしてくれた。
俺は姉さんの話を黙って聞く。
「例えば誰かが『東大に合格したい』ってデザイアを持っていたとする。この人が『屈折のデザイア』をわずらい願望が屈折した形で叶えられるとなると――『他の合格者が死んで自分が繰り上がり合格できた』とか『カンニングを成功させて合格できた』とか……これは適当に言っただけだけど、ニュアンスは伝わったでしょ?」
「……ああ」
肩をすくめる俺。ネットで調べてみて分かったことだが、どうも『屈折のデザイア』は願いを叶えるやり方が極端で強引なのだ。被害者のデザイアだけを唯一の目的とし、それ以外の全て――例えば社会的な地位だったり、当事者の意思だったり、願いを叶えた後の被害だったり――を一切考慮してくれない。
しかし逆を言ってしまえば、極端で強引なやり方だが一応は願いを叶えてくれているのだ。だからこそややこしい。
つまりこういうことなのだろう。
被害者に与えられた選択肢は二つだけ。
一つ――『屈折のデザイア』を我慢したまま生きていくのか。
二つ――願いを果たしたとしても望んでいない結末を迎えて生きていくのか。
姉さんが言った東大の例に当てはめるならば、一生東大に受かることができずに生きていくのか。それとも合格はできるが、しかし罪悪感を抱いて生きていくのか。
という二者択一だ。
「被害者に与えられた二者択一、ねぇ……」
思わず俺は愚痴ってしまう。どっちを選んでも残酷な選択肢に。
だが、姉さんはかぶりを振った。そして俺に告ぐ。
「別に選択肢は二つだけじゃないよ?」
「マジで? じゃあ他には何が……?」
「――確かに何も行動を起こさず『屈折のデザイア』に抗わなければ、選択肢は二つだけ。でも、抗うんだったら選択肢はもう一つだけ増える」
生唾を呑む俺。ひょっとしたら、星宮を救えるかもしれない。
その事実に俺は身を震わせた。かすかな希望に対して、震えた。
「もう一つの選択肢は――願望とは別の方法で願望を果たした時と同じ結果を与える。これなら願いも叶うし『屈折のデザイア』の影響は受けない。どうよ?」
自信満々でドヤ顔を披露する姉さん。確かにスジは通っている。
ふいに、俺の口角は意図せずつり上がった。それを自覚して抑えようにも興奮して中々抑えきれない。だから口角はそのままで、俺は姉さんに言う。
「東大の例に当てはめるなら、東大に合格する以外の方法で、東大に合格した時と同じ達成感を与えるって感じか」
「そうなるね~」
「……ちなみに、姉さんは俺のクラスメイトの願望って、推測できるか?」
ちょっぴり他力本願で、加えて楽観的かもしれないが姉さんに尋ねてみることにする。
けど、当たり前だが姉さんは呆れた様子で首を横に振った。
「わかるわけないよ。私はそのクラスメイトのことを何も知らないんだし。むしろ弥代のほうが推測に使える情報を持ってるんじゃない?」
と、ここで一度、姉さんはあくびをかみ殺す。睡魔が襲ってきたのだろうか?
「暇だからもう少し話に付き合うけど、そのノーパンクラスメイトのこと、弥代はどう思っているの? 好き? 嫌い?」
「なぜそんなことを聞く?」
「弥代が女子のことを話すなんて珍しいから。ひょっとしたら明日は隕石でも空から降ってくるんじゃないかなぁ……なんて」
「そこは素直に雨にしておこうぜ!」
姉さんに突っ込みを入れると、俺は思案する。俺は星宮のことをどう思っているんだろう……。完璧な委員長。全校生徒の憧れである美少女。そしてノーパン娘。もしくは淫乱娘。だがそれはあくまでも表面のこと。中身に、性格に関して言えば――
「顔見知りとして普通に接することができる女子。女子の中ではまともな部類。そんな感じだな~」
「えっ、そうなの? 意外」
「そうか?」
「うん。弥代の場合、女子嫌いもあるけれど、それを引いてもそんな性犯罪の香りが漂う人を高評価するのは予想外だった」
確かに美少女高校生がノーパンというのは性犯罪の香りが漂っている気がしないでもないが……。しかし星宮が聞いていたら悲しむだろう。
雑感は置いておいて姉さんとの会話に戻ろう。
「危険には変わりないけれども、女子の中ではまともに話せるな~、とは評価してる。それに実際喋ってみても純粋でおどろきの白さだし」
「その子のことを純真無垢と評価しているのはわかったけど、その表現はやめようよ。その女の子が洗濯機で洗われたみたいだから」
姉さんから突っ込みをくらう。
「……ねぇ、弥代? 一つ聞いていい?」
「なんだよ、改まって……」
姉さんは視線を落とす。まさに哀愁が漂っているようなアンニュイな雰囲気をかもしながら――いや、訂正しよう。一見、物憂げなオーラをかもし出しているが、姉さんはわずかに、俺に対して希望を持っているような瞳をしていた。それを隠すために視線を落としたのか……。
「なんでそのクラスメイトのことを『屈折のデザイア』から救おうと思ったの?」
嗚呼、やっぱり姉さんは俺に希望を持っている。そして誤解をしている。
俺の女子嫌いはおそらく一生直らない。だから希望なんて持たなくていいのに。
星宮のことを救おうと思ったのは、姉さんが思い描いているような理由じゃない。
トラウマを植えつけられた俺が、女子を許すなんてありえない。嫌いで、憎くて、ムカついて、面倒で、何よりも――信じることができない存在が女子なのだから。
「……俺とその女子は、実質今日初めて接点を持ったんだ。俺が偶然にもそいつのノーパンを目撃してしまうという形で」
「…………それで?」
「そいつにはノーパンのことを誰にも言わないって約束している。だから姉さんにも名前を教えられないんだが――とにかく、俺とそのクラスメイトを結ぶ繋がりはその約束だけなんだ」
「――つまり、その約束を後から取り消すには――」
「そう、『屈折のデザイア』から解放してやってパンツを穿けるようにしてやればいい」
簡単なことだ。俺と星宮を繋ぐものは例の約束だけ。当の約束の内容は、星宮のノーパンを誰にもばらさないというもの。ならば星宮がノーパンで過ごしているという前提を覆せば、約束は無効になる。すると連鎖的に俺と星宮の接点はなくなる。
だってそうだろ? 前提が破綻すれば、ばらしようにも、ばらすべき事実がないのだから。だから俺は星宮を救おうと思ったんだ。唯一の繋がりを絶つために。
「……そ、っか」
姉さんはそう言葉をこぼしながら落胆する。
対して俺は傷跡を庇うために、左腕で右腕を抱いた。
「傷跡、気にしてるの?」
「見りゃわかるだろ?」
家族と理央と茜以外には言わない。星宮ではなく俺の秘密。小学校の頃のイジメで、俺が不登校になった決定的な事件があった。つまりは――俺が校舎の二階から女子に突き落とされた事件。
不幸中の幸いで、右手を骨折したが命に別状はなく――しかしあれ以降俺は不登校になり、以前から嫌いだった女子を『決定的に』嫌うようになった。当たり前だが俺は男だ。女子のように体の傷を過剰に気にしたりはしない。ただ、あの突き落とされる際の恐怖感と浮遊感だけは未だに拭いきれないのだ。
「あいつには悪いが――俺はあいつの友達になる気はない」
だって、女子という生き物はいつか俺のことを裏切るのだから。
「死ねエエエエエエ! このハードゲイッッ!」
「及川は死滅ウウウ! 及川は絶滅ウウウ! 裏切り者には死の鉄槌をオオオオオ!」
「もげろ! 折れろ! そしてのた打ち回れ――ッッ!」
クラスメイト男子の大半を占める怒号と、俺の悲鳴が校舎に響く。現在、朝のHR前の時間、教室にて。いつも通り登校して教室に入ると、男子がいっせいに俺の周りに集まってきてリンチを開始した。
一通り不条理な裁きを受け終えると、俺は教室の床に突っ伏していた。そして勢い良く起き上がる!
「テメェら! 一体なにが理由で俺にこんなことすんだよ!?」
瞬間、また男子の怒りが増幅したことに気付く。殺意、敵意、そんな怨念が男子から爆発的に溢れ出した。そして再び叫びだす。
「理由だと? 貴様、委員長と付き合っている幸せ者のくせにそんなことを聞くか!?」
「委員長が彼女になってくれるなんて! なんて羨ましいんだ!」
「お前が委員長の恋人だから殺す! それ以外に理由はない!」
なに……? 俺が星宮と付き合っている? どういうことだよ……それがウソなのは俺と星宮が知っているとして、なんでそのウソがここまで広がっているんだ。つーか、その噂を流したのは誰だ!?
「おい、理央、茜! どういうことだよ!」
俺より早く登校していた二人に説明を求める。二人は窓際で俺の公開処刑を眺めていたが、俺が呼ぶと素直に来てくれた。それにともない、男子共は二人のために道を作る。
「なんかね、ボクも朝来て初めて知ったけど、学校中に弥代と委員長が付き合っているって噂が広がっているらしいよ。みんなもそれを信じてるんでしょ?」
理央の問いかけに男子共が揃って頷く。なんてこった……恋人関係が噂になっているだけではなく、それが学校中に広がっているだと? そんなの、もう否定してもしきれないじゃないか!
「お前ら、どこでその噂を知ったんだ?」
「「「「「昨日、メールで」」」」」
あくまで俺の推測だが、昨日こいつらを解散させるとき、星宮が俺のことを名前で呼んだことを誰かが発信したんだな。で、星宮と俺が特別な仲と勘違いしたやつらが、更にそれを発信。結果、ねずみ算式に増えていったわけだ。
「そのメールにはなんて書いてあった?」
「委員長が及川のことを名前で呼んだ」
「違くね? 俺は委員長が及川を呼び出して告白したって」
「俺は委員長と及川が公園の近くを二人きりで歩いていたって」
ああ、そうか。名前のこともそうだが、星宮は白昼堂々教室で俺のことを、いかにも告白の呼び出しのように呼び出したんだったな。つーか、俺たちが二人で歩いているところを誰かに目撃されていたのか。
「弥代――っ! あんた昨日、委員長には告白されてないし、してもいないって言ったよね? あたしを騙したの!?」
ここで登場したのは、ご立腹状態の茜だ。悔しそうに、悲しそうに、不満げな表情をしている。そして目じりに浮かぶのは小さな涙。どうしてそんな悲しそうな顔をするんだ?
「それは本当だ! 信じてくれ!」
怪訝そうなジト目で茜は俺のことをジ~っと睨んでくる。周囲はこれを修羅場だの、浮気男だの、ゲイの女遊びだのと囁いている。……最後の矛盾してね?
「理央は信じてくれるよなっ?」
「……これは叙述トリックじゃないかな? 昨日は確かに告白しなかったけれど、告白の返事をしたっていうなら辻褄が合うよね?」
「理央オオオオオオ――ッ! なぜ俺を裏切るんだよオオオ!」
「ふんっ、弥代のバカ……いつもボクと結婚したいって言ってるくせに……」
まずい! 理央を悲しませてしまった! 今すぐにでも抱きしめて慰めてやりたいけれども、ここは教室だ。そんなこと出来るわけもなく……。でも、拗ねている理央も可愛いな。薄桃色のくちびるを尖らせて。頬を小さく膨らませて。
「ってことは、弥代は委員長に告白の返事をしたの!? あたしは弥代がホモだから諦めていたのに、それってあんまりだ!」
「何度も言うようでかなりしつこいが、俺はホモじゃない!」
「黙れホモ! 否定するのはそこじゃないはずだろ!」
「返事をしたってことを否定しないってことは! やはり貴様!」
こいつらマジで人の話を聞かないな。あと仮に俺が告白の返事を否定しても、ホモを否定しなかったな、とこいつらは俺をホモ扱いするんだろうな。で、ホモを否定すると今のようになる。どっちを否定しても不正解とか、これまさに理不尽!
「おはようございますっ」
ここで教室に入ってきたのは、噂のど真ん中、騒ぎの渦中にいる人物、星宮奈々委員長である! とてものんびりとした穏やかな挨拶をしながらの登場。
星宮が教室に入ると同時に、男子共は勢い良く彼女に群がった。
「委員長! 昨日及川と何を喋っていたんですか!?」
「え!? それは……秘密ですっ」
男子Aが撃沈する。確かに、星宮はウソをついていない。話したことが秘密なのではなく、秘密について話したのだ。けど内容が内容だから、話したことも秘密にしたいが。
「委員長! 噂によると二人はメアドを交換しているとありますが!?」
「あっ、それは本当です」
男子Bが墜落する。星宮よ……。空気を読んでウソをつくのは、日本人必須のスキルだぞ? あまり褒められたものではないが、それでも今はウソをつくべきだった。
「委員長! 及川のことをどう思っていますか!? 気持ち悪いホモですよね!? 胡散臭いゲイですよね!?」
「なあ、俺、そろそろ泣いていいよな?」
男子Cの質問に、星宮は人差し指をくちびるに当てて少し悩む素振りを見せた。答えるまでのわずかな時間。男子共は目を血走らせて、瞬きすらせずに、全神経を耳に集中させる――気がした。その姿はかなり異様である。
「その、弥代君はいい人だよ? 私に対してよそよそしくないし。約束もちゃんと守ってくれるし。それに――」
ふいに星宮が俺のほうを向いた。そして声を出さずに、口の動きだけでメッセージを送る。私のことを軽蔑しないし――と、星宮のつぼみの様なくちびるは動く。そして最後にはにかんでくれた。
「クソが――ッ! 二人だけの世界を作ってんじゃねぇよ!」
「何ゆえ、ワケありげに微笑むんですか!? 相手は及川ですよ!?」
「及川ごときに委員長を奪われるなんて!」
次々に男子が倒れていく。ある者は吐血しながら、ある者は血涙しながら。戦に負けた武士の如く、恨み辛みを呪詛のように吐き続けて倒れていく。
しかし、そんな中、倒れない猛者が二人いた。まあ、理央と茜のことだけど。
まずは茜が星宮に問う。
「委員長と弥代は付き合っているの!? 正直に答えて!?」
「ほえっ!? わ、私と弥代君が、つ、つつ、付き合っている!?」
一秒とかからずに星宮は赤面した。そして両手を頬に当てて恥ずかしがる。そして一瞬俺のほうを見て、視線が合うと慌ててうつむく。初々しい、初めて恋をした乙女のような反応だ。
「ち、違うから! 私と弥代君は、そ、その、恋人同士じゃないから!」
「じゃあ、どういう関係なのっ?」
次は理央のターンである。理央は珍しく攻撃的な態度をとっている。
星宮は少し考えてから、理央の問いに返した。
「ひ、秘密の関係ですっ!」
刹那、倒れこんでいたゾンビたちがよみがえって、俺に攻撃してきた。ある者は殴り、ある者は蹴り、ある者はどこかに電話する。「暗殺の依頼をしたい」とか聞こえてきた。
「及川ッ! 秘密の関係って言葉を濁しているだけで、本当は付き合ってるんだろ!?」
「委員長は恋人同士と恥ずかしくて言えないから、秘密の関係って言ったんだ!」
「もう貴様を生かしておくわけにはいかない――ッ!」
男子Dが俺の胸倉をつかむ。血涙を流していて、吐血もしている発狂寸前の同級生に胸倉をつかまれて、至近距離でガン飛ばされるとか恐怖以外の何者でもないな。男子Dに続き、一〇人近い男子が俺を囲みチンピラの如くガンを飛ばす。何これ、怖い。
「委員長に宣戦布告するわ!」
「は、はい!?」
急に茜がよくわからないことを口走った。変な宣戦布告をされて星宮はビク――っと全身をこわばらせる。それはまるでライオンに睨まれたウサギであった。当然、ライオンが茜で、ウサギが星宮な?
「委員長には、絶っ対に弥代を渡さないから!」
「落ち着け、茜! 俺は星宮のモノでも、お前のモノでもない! 俺はマイ・ラブリーハニー、理央タンだけのモノだ!」
「黙ってろ! このハードゲイ!」
「理不尽だ!」
茜は星宮に向かって威嚇するようにうなっていた。その対象である星宮はビクつきながらオロオロしている。当事者じゃなかったら面白かっただろうな……。
「えっと……朝原さんは弥代君のことが好きなのかな?」
教室に爆弾が落とされた。その一言で騒ぎが更に大きくなる。爆弾の直撃を受けた茜は顔を真っ赤にして、口を動かしても声が出ない状況に陥る。が、それでも何とか声を絞り出した。
「な、なな、なんてこと聞くのよ!? あ、あたしは別に弥代のことなんか好きじゃないし! ただ幼馴染を遠くに感じるのが嫌なだけ!」
「ならよかった~。もし朝原さんが弥代君と恋人同士だったら、弥代君と同じ班になるのに許可が必要だったからね」
ん……はい? 星宮はなんと仰った? 同じ班になる?
混乱しているのは俺だけではなく、男子も理央も茜も同様だ。
「実は先生に頼んで文化祭の班、弥代君と同じにしてもらったんだっ」
未だに俺の胸倉をつかんでいた男子Dが、更に強く胸倉をつかむ。かなり首が痛くて、少し呼吸が苦しくなってきた。だが俺は何とか拘束を解いて、星宮に近づき、耳元で喋った。
(おい! どういうことだ? 俺と星宮が一緒の班になるって……)
(えっとね……こっちのほうがお互いに安心できるでしょ? 秘密を誰かに漏らさないかチェックできるし。それに――)
(それに?)
(私の秘密がばれそうになっても弥代君に助けてもらえるかな~って)
星宮は情けなさそうに「えへへ~」と、表情をほころばせる。む、結構可愛いな。純真無垢で陽だまりのような笑顔。人懐っこさを感じさせて、同時に親しみやすさを感じさせる。幼さを残した、無邪気な笑顔だった。
「なに二人で内緒話してんのよ!? あたしを無視するな!」
「弥代はボクよりも委員長のほうがいいの……?」
茜が怒り、理央が落ち込む。まだ一時間目すら始まっていないのに、何だろう、この疲労感は……。そんな弱音は吐けないよな。
そんな疲労感より問題は星宮だ。先生に許可をもらったってことはもう覆せない……。
「理央、本当にすまないと感じている。星宮は俺たちの班に入ることとなった……」
「ちょっとあたしのことはどうでもいいの!?」
外野が騒がしいな。いや本当に。茜を一人だったら聞き流せるけれど、男子が揃いもそろって俺にブーイングする。心が折れそうだった。全ては星宮のノーパンが悪いのに。
そうだ! ノーパンと言えば奇跡的に星宮のノーパン、つまり『屈折のデザイア』が直っていたりはしないのか!? 寝たら直ってました~みたいな?
俺が星宮をチラ見すると、彼女はスマホを眺めていて、
「あ、もうそろそろチャイム鳴るよ」
と、星宮が言った三秒後には、チャイムが鳴った。この出来事を眺めていた女子も含めて、クラスの生徒全員が文化祭の準備に取り掛かった。準備に取り掛かる男子の中には、未だ納得していないやつもいるが、まあ、準備の開始時間には逆らえないわけで四散していく。
そんな中、俺は星宮に今日のスカートの中身を聞いた。……表現が中々きわどい。
(星宮、今日もやっぱりノーパンなのか?)
「ほえ――っ!?」
後ろから声をかけたからか、いきなりだったからか、質問の内容に驚いたのか。とにかく星宮は驚いて転んでしまう。しかも俺を巻き込んだ形で。盛大に音を立てて、星宮は俺の腹部に騎乗する感じで転んだ。
「ごめんなさい! 弥代君、大丈夫かな!?」
「ああ、だいじょう……ぶ?」
なんとなく、感触でわかった。感じるのは布ではなく、肌の暖かさ。熱くて、やわらかくて、不思議と心臓が早鐘を打つ。そして俺は心の中で絶叫する!
やっぱり女子に関わるとロクなことがない!
「ではこれより、二年一組文化祭準備三班の活動を開始したいと思いまーす。いえーい。ぱちぱち。どんどんパフパフー」
面倒くさかったので投げやりに活動開始を宣言する。三班のリーダーは俺、及川弥代。班員は遠野理央、朝原茜。期待の新人はノーパン娘こと星宮奈々。全員で四名だ。
俺たちはチャイムが鳴って、先生がやってきてHRが終了すると、窓際に集まり、ダンボールの上に座りながら活動することにした。
「確か三班は当日に占いをする班だったよね?」
「さすが星宮。委員長だけあって、クラスのことは把握してんだな」
「ふっ、当然だよっ」
このクラスの出し物は『占いの館』で、俺たち三班は当日に占いをする役割だ。つまりこの準備期間において、俺たちがやることは占いスペースの確保とスペースの飾り付けぐらいしかない。あとは占いの練習か?
「班長、一ついいですか!?」
「はい、何でしょう茜さん!」
「死ね」
沈黙が俺たちの間に流れた。茜は破顔一笑で、たった今暴言を吐いたとは思えないほど清々しい顔つき。星宮は俺と茜を見てオロオロしている。理央はさっきからずっと星宮を監視しているし、今もしている。
「えっと……なんで?」
「だって弥代が委員長と仲良くしたりするから! あたしの純情を返せ!」
「茜の純情? 犬にでも食わせとけ」
「弥代……それはあんまりだよ?」
え~……そう言われても、茜の純情って何? 仮に茜が俺に恋している状態で、俺が星宮と仲良くしていたらそう言うのも理解できるけど、さっき自分で否定したじゃん。
「真面目な話をしよう。――まずは今日何をするかだ」
「えっ、準備じゃないの?」
「それの具体的内容を決めるわけ。ちなみに昨日はダンボールと黒い布で仕切りを作ったんだが、中々占いの館らしい雰囲気が出ているだろ?」
俺が指を指すと、委員長はそっちを注目する。そこに立っていたのは円錐状で黒い布に包まれたオブジェみたいなもの。中に入れる仕様で、この中で占いをする予定だ。
「脱線したな。では、今日行う具体的な内容について意見ある人~?」
ビシッ――と真っ直ぐに手を上げたのは理央と茜だった。正直指名したくない。だって絶対俺と星宮の関係を問い詰めるつもりだろ。まあ、そうじゃない可能性も否定できないから、一応指名しておく。
「まず理央から」
「……弥代って女子が嫌いなんだよね?」
「ああそうだ。中学の運動会の準備で、男子が倉庫から障害物競走に使う跳び箱とハードルとかを運んでいて、女子は運び出されたそれを雑巾で綺麗にする役割分担だったんだ」
「それで?」
「しかし! 女子は役割を放棄した! 理由を聞いてみると『雑巾を使って物を拭くなんて昔の女性の仕事だ』ってほざくんだ! 『じゃあ、代わってやるから倉庫から道具を運んでくれ』って言ったら『女子に力仕事を押し付けるなんてありえない』ってほざいた。どないせいゆうねん! 結局お前らが楽したかっただけだろ!」
「……ねえ遠野君? 弥代君っていつもこんな感じなの?」
「委員長が弥代のこれを見るのは初めてか。……うん、いつもこんな感じだよ」
一通り女子の黒い部分を力説すると、俺は深呼吸した。何気にこれは酸素を使うのである。そして舌も乾く。でもかなりすっきりする。
「ところで弥代? ボクとだったら、そ、その、け、結婚してもいいんだったよね?」
緊張しながら、理央は花のつぼみのような小さなくちびるを動かし、言の葉を紡いだ。手を緊張のあまりかギュッ――と握り締めて、不安で瞳は揺らいでいる。その一つ一つのしぐさが愛おしくて、抱きしめたい衝動に駆られる。
天使のような理央の両肩に、俺は手を置いた。そして――
「もちろんだ! 理央、将来はイギリスに行こう!」
「でもさ、ボクと結婚するのに委員長と仲良くしていちゃダメだよね? それに弥代は女子が嫌いなんでしょ? それなら何で委員長と仲良くしてるの?」
「昨日も説明しただろ! 俺と星宮は誰にも言えない関係で! 秘密の内容は絶対にばらせないんだって!」
半眼で俺をジーと睨んでくる理央。そして嘆息する。どうやら諦めてくれたようだ。
そしてこのやり取りの間、ずっと手を上げていた茜。仕方がなく指名する。
「次は茜。今日行う具体的な内容について、どうぞ」
「あたしの純情を返せ!」
「そんなもの小学校の工作で習っただろ? 作り直せば?」
「習わないわよ!?」
突っかかってくる茜。何がそんなに気に食わないのだろうか? 謎である。
「最後に、星宮は何か意見あるか?」
「そうだな~……えっと……」
俺に促されて悩む星宮。理央と茜と違ってまともに考えてくれるのが、俺にとって救いだった。にしても俺、星宮となら意外と話せるもんだな。
と、その時、事件は起きた! 現在俺たちは教室の床にダンボールを敷いて、その上で話し合っているのだが、突如星宮が体勢、座り方を変えた! 正座で足が痺れたのか体育座りに移行しやがったのだ! おいバカ! スカートで体育座りなんてしたら中身丸見えだろ!
考えるより先に、俺は体を動かす。
「星宮、すまん!」
「ほえっ? きゃ――っ!」
どうしたらいいか? そんなものは考えていない。ただスカートの中身、星宮のノーパンを誰かに見られるわけにはいかなかった。その一点だけを回避するために、俺は――
星宮を押し倒す!
「ど、どうしたの!? 弥代君!?」
いきなりな俺の蛮行に星宮は驚きを隠せない。当たり前か。
俺が押し倒した結果、星宮は足を伸ばした状態でダンボールの上に寝転がった。ふう、これで星宮のノーパンは守られた。
(星宮はバカかっ? ノーパンで体育座りしたら中身が見えるだろっ!)
それだけで現状を理解したのか、星宮は羞恥で赤面する。
それにしてもだ、不本意だとはいえ、みんなの憧れの女子を押し倒して、その女子の紅潮した顔が触れ合えそうな距離にあると中々ドキドキする。あと一〇センチくちびるを動かしたら、星宮の花唇と触れ合える。そんな距離。当然その距離では、お互いの息遣いが感じられる。温かい星宮の吐息が俺の頬を掠めた。
「弥代!? 委員長を押し倒して何すんの!?」
茜の一言によって、俺と星宮は現実に引き戻された。お互いにきちんと座りなおし、俺はあぐら、星宮は正座を崩したような、いわゆる女の子座りをする。
「さて星宮、意見は何かあるか?」
「ごまかせないでね、弥代?」
敵は茜だけではなかった。理央もだ。いや二人だけではない。理央の背後で獣のうなり声を上げる野郎共が腕をまくったり、指を鳴らしたりしながら、俺に殺意を向けていた。
どうする俺!? ノーパンを守るために押し倒しましたなんて言えるわけがない! だったらもう、これしかない!
「ムラムラして押し倒しました。反省してま――」
「死ね! この性犯罪者がアアアアア! 地獄に落ちろ!」
「懺悔の時間? 必要ないね! 殺人に必要なのは心臓を止める一瞬だ――ッッ!」
「せめて墓場には花を手向けてやろう! 安らかに眠れ!」
顔面を殴られて、腹部を踏まれて、股間を蹴られる。え? ちょっと待って! 股間を蹴るのはまずいって! 誇張抜きにショックで死んじゃうよ! あ、そんなに強く蹴ったらラメェ!
見苦しいので閑話休題。
「さ、さて、星宮よ。まともな意見を出してくれ……」
顔面を腫らして痛々しい顔をした男が教室の窓際にいた。俺なわけだが。
俺を心配してくれるのは星宮だけだった。理央はさっきから「ボクを押し倒したらいいのに……」と呟いている。茜は不機嫌そうにダンボールの端を千切って遊んでいる。茜、ゴミが散らかるからやめれ。
「えっと……私はこの占い、どんな衣装でやるのか気になったんだけど?」
さすが星宮。俺はこういう意見を求めていたんだよ。理央、茜、少しは見習え!
「例えば魔女がかぶっているようなとんがり帽子とか、あとは黒いマントが必要かな~って思ったり」
「そっちか……。俺はてっきり理央が当日着る衣装のことだと勘違いしてたよ。ちなみに理央は当日、セーラー服を着るべきだ。そしてその上に魔女の帽子と黒マントな?」
「弥代って結構マニアックだよね。ボクに魔女っ娘女子高校生の女装をさせるなんて。でもね? 弥代が望むなら……イイよ?」
理央の吐息は熱っぽかった。顔は朱色に染まっていて、俺に上目使いをする。座り方は乙女らしく正座を崩した女の子座り。その理央の全てが俺を誘惑しているようだった。
「…………ハードゲイ」
「おい、茜! いくら小声でばれないようにしても、この距離じゃ聞こえんだよ!」
「そろそろ真面目に話し合ったほうがいいんじゃないかなぁ?」
一理どころか完璧に道理を通している星宮の仲裁によって、再び話し合いは始まる。
怒られるのって絶対に茜のせいだよな。俺は生涯独身でもいいのに。理央と結婚するっていうのは、あくまでも女子と結婚するぐらいならって意味だし。
「星宮の意見を参考にして今日は衣装を作ろうと思う。まず、星宮と茜はセーラー服を持っているからいいとして、問題は理央だな」
「ボクがいつも着てるカーディガンじゃダメなの?」
「セーラー服のほうがドキドキするからな」
「あの、弥代君?」
星宮が挙手する。何か意見があるようだ。たぶんその意見は茜より役に立つであろう。理央はいるだけで天使だから何もしなくて問題ない。
「私の私服でよければ遠野君に貸すけれど……どうかな?」
「……なあ、パンツはどうすんだ?」
その時、俺は顔を側面から殴られた。その衝撃で吹っ飛ぶ。痛みをこらえて上半身を起こすと、またもや野獣のように双眸を光らせている男子が俺を囲っていた。
「なあ、及川? 今のはセクハラじゃないか?」
「正直なところ……俺も今そう思った」
「それが貴様の遺言だ」
三分後、教室にはボロ雑巾のようになった俺が倒れていた。
ひどい。俺は至極真っ当な疑問を口に出しただけなのに。
「仕方がない。理央、今度俺と一緒に女性用下着を買いに行こう」
「えっ? それは……ちょっと、恥ずかしいかな」
なん……だと……ッ!? 理央が俺と一緒にデートするのを拒んだ? どこかで選択を間違えたのか!? クソ! 理央とデートできない世界なんて壊れればいいんだ!
「当たり前でしょ。……理央、スカートの中に競泳水着を着ればいいと思うよ?」
「茜ちゃんまで……。ボクがセーラー服を着るのは確定なんだね」
ぶっちゃけると文化祭なんだし理央以外にも女装するやつはいると思うよ? 似合っているか否かは置いておいて。
「じゃあ、女子三人はセーラー服、もしくは可愛い服に魔女の帽子とマントを身に着けるからいいとして……俺はどうしたものか。意見ある人いる?」
「弥代!? ボクは女子じゃないよ!?」
だってさ? 『女子二人と女子より可愛い男子一人』って表現したら、星宮はともかく茜は絶対にキレるだろ? そんなことしたくないよ、殴られるから。
さて、三人は決まったからいったん置いておいて、俺の衣装はどうしたものか。
「あたし的に、弥代は神父の服装をしたらいいんじゃないかな~って」
「新婦だと!? 俺に花嫁の女装をさせる気か!? そんなの気持ち悪いだけだろ!」
「ボク的に、弥代は新郎のほうが似合っていると思うなぁ」
理央が、俺の新郎姿、タキシードを着ている姿を求めている!? ってことは理央がウエディングドレスを着るのか!? ヒャッハ――ァァッ! 生まれてきてよかった! 母さん、父さん! 生んでくれてありがとう!
「あたしだって弥代の花嫁姿なんて想像すらしたくないわよ! 神父って言うのは、キリスト教の教会のほう!」
「ああ~」
「でも朝原さん? 魔女と神父が一緒にいていいのかなぁ?」
小さく首をかしげる星宮。まあ確かに魔女って日本ではオタク文化のおかげで良いイメージがあるけれど、外国だったら悪いイメージが強い気がする。神父は言わずもがなどこでも良いイメージ。
「弥代君の衣装は黒魔術師でどうかな?」
「俺もそっちの方がいいと思う」
星宮の意見に賛成する俺。神父とか俺の柄じゃないからな。俺って理央に対しては欲望にまみれているし。それに女性の客を占うことになったら、神父の格好なのに悪魔のようなことを占っちゃいそうだし。
「ねえ、弥代。女性のお客が来て占ってくださいって頼まれたらどうするつもり?」
「お引取り願ってもらう」
「いや、それはダメでしょ!?」
茜は一体に何が不満なのだろう? 仕方がないので真面目に考える。
「そうだな……まずは暗記した占いの本に頼って真面目に占う」
「で、次は?」
「何かアドバイスを求めてきたら……男性の場合、恋愛においても仕事においても女性は信用するなとアドバイスする。女性の場合は無慈悲な現実を叩きつけてやる」
「そ、それはあんまりじゃないかな?」
「星宮、それは間違いだ。アドバイスを求めている人はみな少なからず迷っているわけだが、女性の場合自分が悪いのにアドバイスを求める。それはもはや慰めだ。それに俺がまともなアドバイスをしても、やつらは実践しようとしないんだからタチが悪い」
「ハア~ァ、この男はまったく……」
深いため息をつく茜。おおかた俺の女性嫌いを嘆いているに違いない。何でこいつはそこまで嘆くんだろうな。聞いてみるか。
「なぜ茜はそこまで俺の女子嫌いを嘆くんだ?」
「弥代には関係ない」
「仮に茜が俺のことが好きで、俺の目に女性が入っておらず、それで嘆いているなら理屈はわかるが……さっき自分でそんなことはないって言ったもんな~」
ふいに、地雷を踏んだような感触を覚えた。今の発言で明らかに茜の地雷を踏んだと断言できる。ちなみに踏んだことはわかるが、なぜ踏んだかは理解できない。
「茜ちゃん?」
「なに、理央」
「道のりは険しいけど頑張ってね?」
憤りを隠せない茜の肩に、理央はポンポン――と手を置く。まるで慰めるように。
また、星宮は同情しているような目で茜を見つめる。
あれ? 現状把握できないのって俺だけ?
放課後、俺と星宮は一緒に帰っていた。俺は班長ということで先生に今日の準備進行具合を報告して、星宮は委員長として文化祭に向ける会議に参加していた。こんな感じの理由で俺たちは居残り、偶然下駄箱で会ったので一緒に帰宅することにしたのだった。
「星宮って委員長だけど寄り道とかするのか?」
「するよ~? 別に私は委員長だけどそこまで固くないし」
夕焼けが沈みかけていて一日の終わりを知らせるような、そんな風景。秋風が吹き抜けて、空に浮かんだ夕焼けによって朱色に染まっている雲が流れていく。空には夕焼けと雲の他にも赤トンボが飛んでいた。そんな空の下、大通りに沿った道を俺と星宮は歩く。
「で、寄り道するなら付き合うよ? 帰っても暇だし」
俺の顔を下から覗き込んでくる星宮。こうした何気ないしぐさで、俺と星宮は違うんだな、と、思ってしまう。下から覗き込むなんて背の低い女子にしかできないからな。こうしたしぐさで少し照れてしまう俺は男子で、一方の星宮は女子だと思い知らされる。
「じゃあ、一緒に本屋行こうぜ?」
「うん、いいよっ」
俺は変わってきているのだろうか? 今までの俺だったら間違いなくこの状況で一緒に寄り道なんて選択はしない。それなのに誘うってことは、星宮となら仲良くできると勘違いしているのかもしれないな。
「それにしても意外だな~」
「何が意外なんだ?」
「弥代君が私の隣を歩いていることがだよっ。弥代君は私が、っていうか女子が嫌いだったでしょ? トラウマのせいで。だから私の隣にいるのが意外なの」
口ごもる俺。一瞬、何かを言おうとしたが、何を言っていいか迷い、そして口をつぐんだ。確かに俺は女子が嫌いだ。大嫌いだ。でも、ここでそんなことを言ってしまっては、星宮が傷つく。
俺は取り繕うように、間を置いてから返事した。
「俺だって意外だよ、自分が女子の隣を歩くなんて。でも、なんとなくだけど星宮ならいいかな~って思える」
「ほえっ?」
間の抜けた声を上げる星宮。何をそんなに驚いているんだ? 両手で頬を押さえているし、頬に朱色を差しているし、明らかになぜか照れていた。
「や、弥代君っ? それって受け取り方によっては、こ、ここ、告白にも聞こえるよ?」
なっ!? 落ち着け俺! 確かに今の発言は告白に聞こえなくもない! だが当然、告白であるわけがない! そのことは星宮だって理解しているだろう。ここは冷静に……
「いやっ? あの……その……すまん! 別にそういう意図はなかった!」
「あ、あはは、だよね。私たちまともに話すようになって一日しか経ってないんだし。でも……だったらなんで告白みたいなことを言ったのかな?」
迷う。改めて聞かれると迷ってしまう。なんというか……照れくさいから。星宮を傷つけたくなくて出た、とっさの言葉。それでも本心であることには変わりない。
「…………星宮は、俺が抱いている女子のイメージから外れてんだよ。理不尽に怒ることもないし、俺と対等に接してくれるし。秘密のことだって、普通の女子なら逆ギレしてるところなのに……」
歩きながら、俺は空を見上げた。東が夜の蒼に染まって、西が夕焼けの橙色に染まる。それの二つの色に境界線はない。俺と女子の間には境界線が存在する。だが、俺と星宮には、楽観的だが境界線はないと思う。
「弥代君は、たぶん間違っているよ」
星宮は小さく零した。間違い。俺にだってある程度はわかる。それを、星宮はわざわざ言葉にして指摘した。俺はそれを黙って聞くことにする。
「弥代君は例を出して女子を悪みたいに言うけれど、男子にだって当てはまるところがある。それに女子にだって良いところはある。弥代君はトラウマに依存して、女子の悪いところしか見ていないんだよ。少しでも仲良くしようと思えば、女子の良いところなんて一杯見つかるよ?」
「……返す言葉もないな」
「逆に、きっと私だって弥代君から見て嫌な部分があると思う。美点だけでできている人なんていないし、弥代君が思う女子のように悪い点だけでできている人なんて、絶対にいないよ?」
完膚なきまでに論破された。俺の抱いている女子のイメージは集合体であって、個人ではない。クラスメイト一人をとっても、小さなところで、だけどたくさんの違いがある。
星宮だって人間だ。悪い所だっていくつかあるはず。それでも、俺は星宮だけが特別だって言い張りたかった。理由は不明だ。それでも、俺にとって星宮は特別な存在だと、心のどこかで叫んでいる。
「この本屋さんでいいの?」
俺が思いを巡らせていると、星宮が優しくはにかみながら俺の前に立った。その笑顔で俺の鼓動はなぜか速くなるけれども、何とか冷静さを保つ。
星宮は指をとある建物に指していた。学校から一番近い全国チェーン店の本屋である。
「あ、ああ、ここでいいぜ」
俺と星宮は並んで店の中に入った。軽快な音楽が天井のスピーカーから流れてきて楽しい気分になる。店内はかなり清潔さが保たれていて、床は綺麗に磨かれていた。この店ではマンガも参考書もエンタメ本も色々な本が売られている。他にもCDやDVDのレンタルもできて、学生に人気の店だった。俺も休日によく訪れる。女子と一緒に来たのは初めてだが。
「それで、弥代君は何を買うのかな?」
「マンガだな」
店内を迷わずに進む俺、そしてそんな俺の隣を歩く星宮。こんなところを知り合いに目撃されたら、また学校で話題になるんだろうな。今考え直せば、星宮と一緒に寄り道するのは軽率だったかもしれないが、今更それをどうこう言うことはできない。
「弥代君はどんなマンガを読むの?」
「恋愛マンガ」
俺の返しが意外だったのか、俺の隣を歩く星宮がビックリして転びそうになった。まあ確かに女子嫌いの俺が恋愛マンガなんてモノを愛読していたら、普通は驚く。
「恋愛マンガかぁ……やっぱりフィクションでは女の子と仲良くしたいから?」
「違う。たいていハーレムを作っている主人公は最終巻で誰か一人を選ぶだろ? 他の女子は特殊な例を除いて振られるわけだ。その振られた女子をあざ笑うのが好きなんだよ」
「捻くれてるよ、その思考!?」
「あとは最終巻後の主人公とヒロインの将来を思い浮かべたり」
「ああ、それは私もわかるなぁ」
「だろ? 付き合っても束縛やら、浮気やら、すれ違いやらで最終的に別れる想像がたまらなく面白いんだ。過去に振ったサブヒロインが主人公のことを諦めきれなかったり、主人公がやっぱり別の女子がいいって言ったり」
「ごめん、やっぱり全然共感できない……」
不毛な会話を終わらせて、俺と星宮はマンガコーナーに到着。右側の本棚には少年マンガが、左側の本棚には少女マンガが、突き当りの本棚にはライトノベルが並んでいた。当然のことながら俺は少年マンガの本棚を見て回ることにする。
「星宮は少女マンガコーナー回ってていいぞ?」
一応、気を利かせて星宮に言う。
しかし星宮は俺の隣から離れず、それどころか首を横に振った。
「別々に行動したら一緒に寄り道してる意味なくない? それに私、少女マンガってあんまり好きじゃないんだ。というか、ついこの間好きじゃなくなった」
「それはまたなんでだ?」
意外だな。星宮は俺から見たらすごく女の子だ。だから偏見だけどロマンチックな少女マンガが好きだと思ったのに。まあ、それはさすがに偏見過ぎるか。
星宮はビッ――と少女マンガの本棚を指差した。
「だってノーパンの主人公が誰もいないから感情移入できないし」
「そんなのいるわけないだろ!?」
「だけど少年向けは好きだよ? 少女マンガと違って変にリアリティがないし」
俺の女子嫌いのせいで恋愛マンガを歪みつつ読むのと、星宮のノーパンせいで少女マンガを読まないの。一体どっちがマシか。……どっちもマシじゃないな。
と、二人で盛り上がっていたら、離れたところで店員が冷めた眼差しを送ってきた。あと他のお客さんも迷惑そうにしているではないか。
「ゴホン! とりあえず適当な本を見て回るか?」
「そ、そうだね。あまり騒いでも他のお客さんに迷惑だし」
ひとまず、こちらに冷めた視線を送る店員から逃げるように違うマンガコーナーへ移動した。訪れたのは青年向けマンガコーナー。そこでは何人かの客が試し読みできるマンガを立ち読みしていた。
「何か試し読みしてみる?」
「俺と星宮の二人でか? 一つのマンガを男女二人で読むとかリア充じゃないか」
「わりと弥代君はリア充だと思うよ? 大好きな遠野君と両思いで、朝原さんとは仲の良い友達で。女子嫌いとリア充は矛盾の存在じゃないんだし」
「え!? マジで!? 俺と理央は両思いなの!? シャアアアアア――ッッ!」
そりゃそうだ! 理央と俺が両思いなら例え女子嫌いでもリア充さ! 世界に存在するどんなリア充よりもリア充だ!
「あの~、静かにしてくれませんか?」
「あ、すいませ……ん?」
「……ん?」
自覚があるが結構うるさくしてしまい、他の客から注意を受けた。その女性の客をよく見ると、というかよく見なくても気付く。知り合いだ。それどころか家族だ。その女性の名を及川弥生だった。ようは俺の姉。
「弥代……あんた病気にかかったの……?」
「どうした急に?」
「だってあんたが女子と一緒に寄り道とか、天変地異の前触れよ!?」
さっきの俺に負けないぐらいの声量で叫び、姉さんは星宮に対して指差した。初対面の人から変なことを言われて、星宮はうろたえる。チラチラと俺のほうを見て助けてほしいアピールを送る星宮。
ふいに、姉さんは星宮に近づく。
「初めまして。弥代の姉の及川弥生です。あなたは?」
「は、はいっ、弥代君と同じクラスの星宮奈々ですっ」
「うむ、よろしくねっ」
星宮よ、ビビりすぎだ。姉さんは猛獣でも怪獣でもないぞ? いきなり大声で指差されて、星宮は姉さんに苦手意識を持っているようである。
「星宮ちゃん?」
「な、何ですか……?」
「こいつ気持ち悪いでしょ」
「おい待て、この野郎。脈絡もなく人のことディスってんじゃねぇよッ」
俺の抗議の声も虚しく、姉さんは星宮に対して、いかに俺が気持ち悪いかを懇切丁寧に説明し始める。星宮は苦笑いでそれを受け止めていた。
「だってこいつは若干ホモだよ? 夜道に襲わないっていう点では評価できるけれど、どうあがいたって恋人にはなれないよ?」
「あの……及川さん? 私は別に弥代君のこと好きじゃないですよ?」
「え……? そうなの?」
意外な顔をする姉さん。さらにその姉さんを見て、首をかしげる星宮。なんつーか、あれだ。なぜ姉さんは星宮が俺のことを好いていると勘違いしたのか? 一緒に帰ったから好意を寄せているとか小学生レベルだぞ?
「いや~、ゴメンね? 弥代なんかと一緒にいるから好きなのかな~って勘違いしちゃったよ。でもさ、だったらなんで仲良くしてんの?」
仲良くしている理由を問われてさっきとは逆方向に首をかしげる星宮。普通の男女だったらこの質問に意味はないが、今回は俺がいるから例外である。
「ん~、秘密を握られているからですね」
「弥代……あんた、こんな可愛い子の秘密握って何する気? それは変態の発想だよ」
「星宮、テメェ、もう少し考えてから喋ってくれ!」
姉さんはドン引きして、俺から逃げるように後ずさる。やめてよ姉さん。それ演技だよね? 冗談だよね? 星宮もなんか言ってよ。誤解が解けないだろ。
「まあ、弥代が変態なのは今に始まったことじゃないから気にしないでおくよ」
「気にしないでおくのは嬉しいが、まずは誤解を解かせてくれ」
「じゃあ何が誤解なの?」
い、言えない! 今回、星宮の言い方が悪かっただけで、別に星宮は何もウソをついてないから。だとしたら誤解を解くために必要なのは真実、星宮がノーパンという事実。でも昨日は本名を隠していたのに、ここでばらしたら怒るよなぁ。
ちらりと星宮を一瞥すると、約束守ってくれるよね? と、言いたげな寂しい表情をしていた。仕方ない……。
「ゴメン姉さん、別に誤解じゃなかった」
「うわ、マジで変態だった!」
違う! 変態じゃないし悪いのは星宮の方だ。クソ、何で俺が星宮のために泥をかぶらなくてはいけないのだ!? 星宮に関わってから何一ついいことがない。
「で、二人は何か本を買いにきたの? それともDVDをレンタル?」
「本だよ。星宮は成り行きでついてきた。姉さんは?」
「お姉ちゃんは暇つぶし。ところでさ?」
姉さんは吟味するような目つきで星宮を見た。視線はスカートに向いている。ひょっとして姉さん、昨日俺が言ったこと気にしているのか?
「星宮ちゃん、もしかして今ノーパン?」
星宮は体を硬直させた。視線はどこか変な方向を向いていて、動揺しているのがバレバレである。仕方がない、助けてやるか。
「何言ってんだよ姉さん? ノーパンで下校する痴女がこんなところにいるわけがないだろ。そんな変態いるわけがない」
「グハ――ッ」
俺の背後の星宮がダメージを負う。助けてやるんだから少しは我慢しろ。それに、正直これは俺の本心でもある。これを機に、ノーパン女子高校生がどのように思われているのかを知るべきだ。
「でも昨日、弥代が自分で言ったじゃん。クラスメイトにノーパンの女子がいるって」
「それは違う女子だ。星宮は容姿端麗で頭脳明晰で学級委員長、それなのに痴女っ娘ノーパンなんてエロゲのヒロインになるために生まれたようなもんだろ?」
「私って……エロゲのヒロインなんだ……」
女子にエロゲのヒロインみたいだね、って評価したら普通は傷つくよな。でも、これが昼休みにも言ったけど偽りのない事実なわけで……。
後ろでぶつぶつ嘆いている星宮をスルーして、俺は姉さんをごまかす。
「考えてみようぜ? 星宮のようにスカートでノーパンなら露出狂じゃないか!」
「やっぱそうだよねっ。ゴメンね、星宮ちゃん。変なこと聞いちゃって」
「ふふ……別にいいですよ。私……気にしてませんから……」
ああ、星宮が灰のようになっている! 痴女、変態、エロゲのヒロイン、そして露出狂と四つも星宮が気にしていそうなことを口にしてしまった。しかしながら、これは何度も言うように事実なわけで……。
「そうだ! 星宮ちゃん、私とメアドと電話番号、交換しない?」
スマホを取り出した姉さんは、画面を見せ付けるように提案した。それに対して星宮は俺をチラ見して(どうしたらいい?)とアイコンタクトしてくる。冷たい言い方になってしまうが、好きにしたらいいんじゃないか?
何も言わない俺の内心を察して星宮は決意したようだ。星宮はスカートのポケットからスマホを取り出す。
「じゃあ、まずはメアドからお願いします」
スマホでは赤外線が使えないので、メアドも電話番号も手打ちだ。まずは星宮が姉さんのメアドと番号を打ち込んで、次に姉さんが星宮のメアドと番号を打ち込む。
「でも姉さん、なぜ急に連絡先を?」
「ん? いやひょっとしたらこれから仲良くなるかもしれないし。それに私のほうがお姉ちゃんだし、何か『相談相手』になれるかなーって」
「さいですか」
「そういえば弥代、あんたのとこの文化祭っていつだっけ?」
「今月の二六日だな。……来るつもりか?」
「暇ならね。でもたぶん大学の課題があるから無理だとは思うけど」
だったらぜひとも課題を優先してください。大学の単位を落として留年なんてしたら母さんに怒られるぞ。ちなみに父さんには「給料が学費に~」って泣かれる。
姉さんが残念そうに肩をすくめると、星宮が初めて自分から姉さんに話しかけた。
「私は来てほしいです。弥代君も班長で占い頑張ってくれますから」
星宮は淡くはにかむ。まだ若干姉さんに対して、どの様な態度をとっていいか迷っている感じがした。別に姉さんなんか相手に敬語を使わなくてもいいのに。
「弥代、あんた占いできるの? 女子相手に」
「茜にも言われたけれどマニュアル通りにはやるつもりさ。恋愛占いをせがんできて、挙句結果に不満を漏らすようなやつなら、現実を叩き込んでやる」
「現実って何かな?」
可愛らしく、きょとん――と瞳をぱちくりする星宮。小動物を彷彿させるその仕草に、俺は不覚にも愛でたいと思ってしまった。
「現実って言うのはあれだ。占いよりも恋愛心理学のほうが信憑性ありますよって」
「それは占いの館の店員が口にしていいセリフじゃないよね!?」
「後は素人の占いなんて信じるな。占いの結果が気に入らないなら努力しろ。まあ、そんなところ」
「ねえ、星宮ちゃん? こいつを店員にして大丈夫なの?」
「えっと……たぶん。それに、もう決まったことですし……」
はなはだ心外である。俺は事実しか言っていないのに。なんで女子っていうのは事実を指摘するとキレるんだろうな。正論を言って逆ギレされたのなんて両手両足でも数えられないぞ?
「さて、お姉ちゃんはもう行くよ。二人はどうする?」
俺と星宮は目を見合わせた。どうするか。もともとこの寄り道は俺のために星宮がついてきてくれたものだ。さらに本屋で買うものはなく、姉さんと同じく暇潰してきていただけ。マンガも新刊が出ていたら買おう程度にしか考えていなかった。
だから――
「欲しいマンガもなかったし俺はもう見るものないけど……星宮は?」
「私も大丈夫だよ」
本当に意味もなく寄り道につき合わせただけなのに、星宮は嫌な顔一つせずニコリとしてくれた。……やっぱり他の女子と違うな。他の女子との買い物だったら、男子を荷物持ちにさせて、女子が好き勝手に遊び回るのに……。
「じゃあ、帰ろうか」
「そうだな」
姉さんが先導してその後ろを俺と星宮が歩く。会計するものなど何もなく、だからレジに寄らずにそのまま店から出て行った。
店内から出ると、もう夜だった。秋の空は月が綺麗で、うっすらと月明かりが夜を照らしていた。すでに西の彼方まで夜色に染まっていて、物寂しい雰囲気になってしまう。
「それじゃあ星宮、また明日な」
「バイバイ、星宮ちゃん」
「はいっ、さようなら」
本屋の出入り口を出たところで、俺たちと星宮は分かれた。星宮は俺たちから一歩一歩離れながら、手を振って家に帰っていく。
また星宮に会うのは明日か。自分でも意外なことだが、星宮と別れて寂しい気持ちになっている自分が、心のどこかに存在している。星宮が隣にいないと落ち着かない、そんな言葉で表現しようもない感情が、俺の胸中に渦巻いていた。
「行くか、姉さん」
「アイアイサー」
家までの道を俺と姉さんは歩き始めた。大通りに沿った歩道なので、すぐ隣を数多くの車が走り去る。走り抜ける雑音がBGMになってくれた。街灯が夜道を照らして、物寂しく、センチメンタルになってしまう。
「弥代ってさぁ、星宮ちゃんのことどんなふうに思ってんの?」
そんなことを姉さんはいきなり切り出してきた。
色々な思考が思い浮かんだ。可愛いとは思う。綺麗だと思う。一緒にいて落ち着く。一緒にいて楽しい。見ていると鼓動が高鳴る。見ていると顔が熱くなる。ずっと話したい。ずっとそばにいたい。
でも、絶対に、好きなわけがない。俺が女子嫌いだから。俺のトラウマが消えない限り女子を好きになるなんてありえない。
「クラスメイト、じゃないか?」
「疑問系なのは自分でもわからないから?」
「揚げ足を取るな。――クラスメイト、そうだよ……きっと」
つまらなそうな表情をする姉さん。こういうとき姉さんはどこか大人びている。やっぱり『お姉ちゃん』を自称するだけのことはあって、こういうときの俺自身でもわからない答えも知っているんだろうな。
でも、姉さんがなんと思おうと、俺と星宮はクラスメイトのはずだ。
「弥代……トラウマに負けるなよ?」
我が弟は、あの星宮ちゃんという女の子が好きなのだろう。推測だが。推測ついでにもう一つ。お姉ちゃんが察するに弥代は女子に免疫がない。得体の知れない生物として扱ってきた女子と、弥代は茜以外の接触を絶ってきた。だから免疫がなく、優しくされればすぐ恋に落ちる。弥代はすごくチョロいのだ。以上がお姉ちゃんの推測。
「姉さん~。風呂どうする~?」
「先に入っていいよ~っ」
現在、私は自宅の二階にある自室で引きこもっていた。一階から弥代の声が聞こえ、入浴を促してくるが、お姉ちゃんは弥代に一番風呂を譲っておく。
私はベッドに寝転がりながら、スマホを弄る。画面には『星宮奈々』という名前と、電話番号、そしてメアド。
逡巡してから通話ボタンを、押す。コール音声が四回、そして通話が繋がるときの表現しようがない電子音。
『はい、もしもし星宮です』
「及川姉です。今大丈夫かな?」
『OKですよ……くちっ』
通話先から星宮ちゃんの可愛らしい、小さなくしゃみが聞こえた。風邪? でもさっきまでそんな様子はなかったし。
『すみません……今、裸で少々寒いんですよ』
裸って言った今!? やっぱり星宮ちゃんってそういう願望があるんだね。弥代は上手く彼女のノーパンを隠したと勘違いしているようだけれど、まあ、バレバレだよ。星宮ちゃんの反応で。
スマホを通じて何かが擦れる音がする。服でも着たの?
『もう本当にOKですっ、布団にくるまりましたから』
「星宮ちゃんって……本当に普段ノーパンじゃないんだよね?」
『っ!? も、もちろん穿いてますよ? でもそれと今の全裸は関係ありません! ちなみに今は制服から私服に着替えている途中でしたので……それに今は自分の部屋にいますしセーフです』
「着替え終えるまで待つけど……?」
『いえいえ! 目上の人を待たせるなんて失敬ですから』
だからと言って部屋で裸はセーフなの? 少なくともブラとパンツは穿いたほうがいいんじゃ……もしも通話中に父親とかが入ってきたらどうするのだろう?
「本題に入るけどいい?」
『はいっ、OKです!』
さて、私はいまさらながら注意を払った。廊下から足音はしない。一番盗み聞きされたくない弥代にはお風呂に入ってもらっている。私は弥代がいないことを足音で判断してから本題を切り出した。
「星宮ちゃんって弥代のことどう思っているの?」
『どうと聞かれましても……友達ですよ? 本屋さんで説明したとおり、私は弥代君のことを友達としか思っていません』
口調からしてウソを吐いているようには聞こえない。けど、ウソを吐かないのは予想できた。というより友達と答えることは予想できていた。異性に対して免疫がなく、惚れっぽい弥代じゃないんだから、まず友達と答えるはず。
「じゃあなんで弥代と友達になったの? 普通、秘密を握られたら必要なときだけ話しかけて、後は不用意に近づかないんじゃない? 一緒に寄り道なんて……怖くてできなくない?」
『……秘密が何かって聞かないんですか?』
「聞かないよ~」
すでに知っているし。当然、これを口外する気はない。そんなことをしても私にメリットないし、それに弥代に迷惑がかかっちゃうし。
正直、秘密のことは私にとってどうでもいい。問題なのは私の可愛い弟が悪い女に騙されていないかどうかだ。星宮ちゃんは悪女と思えないが、万が一ということがあるから。
『……弥代君って女子に対して否定的なんですよ。よく女子とも喧嘩するし。だから少しでもクラスメイトと仲良くできたらな~って。私で女子に慣れてもらって、少しずつクラスに溶け込めていけたら、それっていいことじゃありませんか?』
「……そうだね」
星宮ちゃんって良い子だな。お姉ちゃん、素直にそう思っちゃうよ。でもこの様子じゃ、弥代の自分でも気付いていない恋は、失恋で終わっちゃそうだな~。いくら弥代のことが心配でも、恋愛にまで介入するのはいけないし。
『あの、及川さん? 及川さんって、その……ブラコンですか?』
「えっ? え……っと、なぜに?」
「なんだか言葉の端々から、弥代君を心配する過保護オーラが感じ取れるんですよ」
うっ、自覚はあるよ? ブラコンだっていう。でもさすがにそれを面と向かって……ないけれど。直接……ではないけれど。とにかく指摘されるのは中々恥ずかしい。
「は、はい、ブラコンです……。でも勘違いしないで? 私は別に弥代と恋人になりたいとかは思ってない。そういうのはフィクションの話。ただ……」
『ただ?』
「やっぱり心配だから。弥代は昔、女の子に裏切られたことがあるし」
『それは……弥代君本人から聞きました』
やっぱり、弥代は星宮ちゃんのことを好きなんだな。自覚がないだけで。本当に信頼していないと、そんなこと言えるわけがない。弥代はチョロいな。
少し感傷的になっていると、スマホから小さな声が聞こえた。
『大丈夫ですよ』
うん? 何が大丈夫なのだろうか? それとも一つに限らず、全部に対して大丈夫と言ったのだろうか? 私が星宮ちゃんの言葉の意図を気付かずにいると、先に星宮ちゃんが言ってきた。
『私は弥代君のことを裏切りません。裏切れません。それに……』
「それに?」
『大事な友達ですから』
本当に良い子だ。理由があるとはいえ、嫌われ者の弥代のために、こんなくさいセリフをはけるなんて聖人君子に近い。本人はきっと、弥代のことを心のそこから友達と思っている。
だからこそ弥代の恋は叶わない。自分でもまだ気付いていない恋。もし星宮ちゃんのおかげでトラウマを克服して、自分の恋を自覚した時には、星宮ちゃんが弥代のことを友達としてしか見ていないことにも同時に気付く。
「……皮肉だよね」
『ん? 何か言いました?』
「うんん、なんでもないよ」
部屋にかけてあった時計を一瞥する。もう八時半だ。電話を開始してから結構な時間が経っているけれど、弥代はまだお風呂から出ていない。出ていたらお姉ちゃんの事を呼びにくるし。だったらもう少し通話を続けようかな。
『あの……及川さん、文化祭に来ないんですか? 弥代君の周りを見るいい機会だと思うんですけど……』
文化祭か~。確かに星宮ちゃんの言うとおりだ。私としても行ってみたい。弥代の頑張っている姿を確認したいし、弥代を抜きにしても楽しそうだし。でも……
「私も行きたいのは山々だけど大学のレポートがあるからねぇ」
『そうですか……』
ああ……この子はなんか、弥代と同じ表現を使うなら、本当に驚きの白さだ。ただ、それが弥代を恋に落とす鍵で、弥代を失恋させる鍵でもあるんだよね。
他の女子とはどこか違う……という純粋で真摯な態度により弥代は恋に落とされる。けれども友達としてしか見ていないという純粋で真摯な態度により弥代は振られる。きっと弥代が恋を自覚した時には失恋している。
「でも課題が早く終わりそうなら行ってみるよ。久々に理央と茜にも会いたいし」
『やっぱり知ってたんですか? 弥代君の幼馴染だから、もしかしたら及川さんも……なんて思ってたんですけど』
「モチのロン! あの二人が弥代の幼馴染ってことは知ってるでしょ? 昔、及川家は三人とその母さんたちの集会所みたいなもんだったから。母さんたちが話している間、私も三人に混じって遊んでいたし」
『そうなんですかっ』
いつの間にか弥代の恋の核心に迫る話から脱線していた。
ふいに一階から音がした。ドアが開く音と足音。足音は階段の下で止まった。そして、
「姉さん~、俺上がったから次お風呂に入っていいよ~」
もう時間か~。父さんはまだ帰ってきてないから先に入らせることは不可能。というか私が父さんの後に入りたくない。母さんは食器洗いや洗濯物をたたむなどの家事をしている。邪魔することはできない。私が入るしかないな~。
『今の声、弥代君ですか?』
「あ、聞こえてた?」
『はい、お風呂ですよね。どうぞ入ってきてください』
「ゴメンね星宮ちゃん。じゃあまたいつか」
『はい、失礼します』
線を切るようなブツッ――という電子音が鳴ると通話は切れた。私はスマホを充電器に差し込むと、それを机の上において、お風呂には向かわずベッドに寝転がった。
考えるのは弥代の幼馴染、茜のこと。
茜は弥代のことが好きだ。でも、弥代は星宮ちゃんのことが好きだ。以前弥代に、茜と他の女子はどこが違うんだ? なんで茜とは一緒にいられるんだ? と、尋ねたことがある。答えは『茜は俺を裏切らないと信頼してる』だった。弥代にとっては女子=裏切るものって考え。なら裏切ることのない茜は女子として見られていないということになる。そして弥代にとって星宮ちゃんは、他の女子とは少し違うけど裏切るかもしれない存在。
弥代が星宮ちゃんを好きになった理由なんて簡単だ。免疫がなかった。優しくされた。そして偶然、とても可愛い美少女だったから。
結局のところ、弥代の女子嫌いって今思うと矛盾なんだよな。本人は気付いていないけれど、恋として好きなのは女子で、信頼しているのは裏切らない相手。――『嫌いなのに恋として好きなのは、いつか自分を裏切る女子』――この矛盾を一言で片付けるなら、弥代は女子に理想を求めすぎなんだ。
「我が弟ながら、ホント単純だなぁ」
「理央、相談があるんだけど……」
現在、あたし――つまり朝原茜は幼馴染の一人である理央と電話越しに話していた。
夕飯を済ませた後にお風呂に入って、それから明日の学校の準備を終わらせて、自分の部屋に引きこもり通話している。ふかふかのベッドに寝転がりながら。
『相談って……体重でも増えたの?』
「あたしの体重は五〇キロピッタリで普通だから!」
『ボクよりも重いんだ……。ちなみにボクは四五キロね?』
「…………身長一五五センチのクセに」
ハァ……正直、理央って顔が女の子よりも可愛くて、女の子よりも小さくて軽いんだもんな~。一部の層からの人気は計り知れない。そしてその層には弥代も含まれている。こんな現実不条理だ!
「はぁ……可愛さでも体重でも負けるなんて、乙女としてのプライドが……」
『大丈夫だよ! 茜ちゃんにはレベルDの兵器があるんだから!』
「……なんであたしの……お、おっぱいのサイズ知ってんの?」
『え? 適当に言っただけだよ?』
「…………じゃあ、そろそろ本題に入りたいんだけど……」
『――弥代のこと、だよね?』
「…………うん」
いきなり理央は核心に踏み込んでくる。まるであたしが今何に悩んでいるかを見透かすように。いや、長年の付き合いゆえに、冗談抜きで本当に見透かしているのだろう。
『ボク、茜ちゃんからの電話で弥代のことを話さない通話は一度もない気がしてきた』
「奇遇だね、あたしもだよ? あたし達って毎回弥代のことを話してるよね?」
『まったく~、茜ちゃんが恋のお悩み相談をボクにするからでしょ?』
「こ、恋!? べ、別にあたしは弥代の、ことなんか……」
『え? そうなの? じゃあ格別相談は必要ないね。おやすみ~』
「いや切らないでよ! お願いだから相談に応じてよ!?」
『――弥代のこと……と言うよりも、今日に限っては委員長のことでしょ?』
そう…………やっぱりわかるよね。わかってないのは弥代本人だけ。
ここ最近、弥代と委員長の仲がすごくいい。最近と言っても昨日からだけれど……。それでも女子嫌いの弥代が女子とメアドを交換したり、自分の班に迎え入れたり、押し倒したり(?)……とにかく仲がいい。それを見てあたしはとても不機嫌だったりする。
『まず前提から確認すけれど、茜ちゃんは弥代のことが好きなんだよね?』
「ハァ!? たっ、確かにあたしはあいつのことが好きだけど、それは幼馴染としてであって、別に恋愛感情じゃ……」
正直、理央はずるいと思う。男子なのに女子よりも可愛くて、同じ幼馴染なのにあたしよりも弥代に好かれていて、弥代に結婚したいと告白され続けている。それに加えて、弥代は女子嫌いと来たものだ。……なんかムカつく!
『昨日、弥代が言ったこと覚えてる? 仮定として結婚するならボクがいいってだけで、本当は独身でいいって言ったこと』
「覚えてるよ。まったく弥代ってば、理央にデレデレしちゃって……」
『なんかゴメンね……。話を戻すけど、ボクは弥代のこと好きだけど、そこは気にしなくていいよ。ボクだって弥代は女子と付き合うべきだって思ってる。世間の目だって気になるし。だから茜ちゃんはライバルのことだけ考えて?』
「…………うぐ、あんがと」
やっぱり理央に相談して正解だった。女子の友達に相談したらバカにされるかもしれないし。男子に関して言えば、理央以外に相談する相手がいない。
『それで具体的には何に悩んでるの?』
「弥代が、委員長を好きになるんじゃないか……って」
自分でも寂しそうな、弱々しい声を発したと思う。自分でもわかるとおり、いつものような、弥代と接する時のような、そんな明るい声を出せてないと実感する。
それも当然だ。委員長に弥代を奪われたくないから。だって、なんかモヤモヤするし。
「どうしたらいいと思う? あたし、弥代を委員長に取られたくない」
『……まず、弥代が委員長に対してどんな感情を抱いているかは謎だけど、それでも二人は付き合っていないと断言できる』
「どうして?」
『仮に二人が付き合っていたとしたら、少なくともボク達二人には打ち明けるはずだよ。弥代は「公然の秘密っていうのは連鎖していく」みたいなことを言っていたけれど、それでも絶対に言うと思う』
「……根拠なくない?」
『仮に弥代と委員長が恋人だとして、弥代がそれを隠す理由がないじゃないか。男子からは嫉妬されるかもしれないけれど、弥代はそんなの気にしないし。それなのに二人の関係を秘密にする理由は――』
「――二人が付き合う以上に、事実がばれたらまずいから?」
無言が返ってくる。理央は肯定したんだ。それはあたしにとって希望でもあり、絶望でもある。弥代と委員長が付き合っていないという事実が希望。付き合う以上に事実がばれたらまずい関係というのが絶望。
一体、弥代と委員長はどんな関係なんだろう……。
『こういうとき弥生さんがいたらもっと的確にアドバイスできるんだけど……』
「しょうがないよ。弥生さんが委員長ことを知ってるわけないし……」
こういう時、もっとも頼りになる人、及川弥生姉さん。最近、会っていないけれど文化祭には来てくれるのだろうか? その時には色々喋りたいことがあるのだ。主に弥代のことだけど。
時計の針はもう一一時を指していた。そろそろ睡魔が襲ってくるがまだ大丈夫。
『あのさ、茜ちゃん。ボクそろそろお風呂に入りたいんだけど、最後に一ついいかな?』
「何でしょうか?」
先ほどまでよりも圧倒的に増した真剣みを含む口調。それに対してあたしは思わず敬語になってしまう。果たして何を聞かれるのだろう? あたしは互いに顔も見えない状況なのに、なぜか全身が強張った。
『弥代が委員長を好きになったぐらいで、茜ちゃんは弥代のことを諦めるの?』
「それって――」
理央の声は、励ますように、勇気付けるように、あるいは叱るようにあたしの心に響いた。叱られて当然だ。この程度で諦めるということは、あたしは弥代に対してその程度しか想っていなかったということ。そんなことあるわけがない!
あたしと弥代の絆は、あたしにとって世界一大切なものだから――。
『弥代が誰かを好きになっても、それで茜ちゃんが諦めきれないなら、ボクはアタックし続けるほうがいいな~って思うけれど?』
「か、勘違いしないでっ? あたしは弥代のことただの幼馴染としか……でも……」
『ん? でも……なに?』
「でも、その幼馴染が女の子と仲良くしてデレデレしてるのが気に食わないだけ!」
『あはは! そっかぁ……だったら、それを阻止するためには茜ちゃんが委員長以上に魅力的な女の子になればいいんじゃない? ね?』
スマホの向こうで理央の小さな笑い声が聞こえた。
ん……なんだろう? まるであたしが理央の手の上で踊っているようだった。
理央相手に口で勝てる気がしない。
『――でもさ?』
理央があたしの思考を止めた。仕方がなく、あたしは理央の言葉を聞くことにする。
咳払いする理央。そして――
『弥代が委員長のこと好きなのは、ボク達の想像でしかないんだけどね~』
ああ、そうだった。理央が推測して、あたしが乗っただけで確証はなかったんだ……。
それでも、可能性が一パーセントでもあるなら――あたしは――
「うん――それでも励ましてくれてありがと。話したら少し気が楽になった」
『えへへ、どういたしましてっ』
照れくさそうに返してくる理央。やっぱりいい子だよね。これでもし本当に理央が女の子だったら外見でも性格でも敵わないなぁ。弥代が理央に求婚する気持ちもよくわかる気がする。
「お風呂に入るんでしょ? もう切るね?」
『あっ、茜ちゃん!』
「ぅん?」
『弥代と茜ちゃんが文化祭デートできるように、ちょっと弥代を誘惑してみるから』
「…………はい? 誘惑?」
果たして、男子が男子を誘惑なんてできるのだろうか?
ていうか、あたしにとって一番の強敵は、やっぱり理央なんじゃ……。
「あなたが付き合うべき異性は同性の友達のように近しい人です」
「ふむ、同性の友達……やっぱり理央一択じゃないか! やっぱり俺と理央は結ばれる運命なんだアアアア――ッ! やったぜ!」
「待ってよ! 異性って部分はどこに消えたの!?」
一〇月二二日――六時間目、学校の教室にて。どの班も文化祭まで四日ということで張り切っている。装飾班のおかげで教室は占いの館らしくなってきているし、接客班が持ち込んだタロットや水晶などでそれらしい雰囲気が溢れている。祭りの準備期間という人によっては当日よりも楽しい期間。誰もが活気付いて、楽しそうな空気が広がっていた。
茜はさっきから占いの練習で、異性って部分をやけに強調してくる。練習に付き合っているこちらとしてはもう飽き飽きだ。机を挟んで椅子に座り、真剣に向かい合っていると受験の時の面接を思い出す。
そもそも占いの練習っていっても、客に対する対応を確認するだけで実際に占いをする必要は皆無だろ。占いなんて科学的根拠ないし。豆知識だがよく『血液型占いはDNAに関係しているから科学に基づいているし、信憑性高いよ!』って言う女子がいるじゃないですか? あれウソだからな?
「なあ茜、少しいいか?」
「いいけど……今あたし、次弥代にさせる占いを探してるんだからっ」
ようは喋ってもいいけど邪魔しないで、ってことか。
俺に背を向けて、占いの本から次に俺を被験者とする占いを探している茜。同じ班の理央は星宮を連れてどっかに行きやがった。正直な話、二人きりになるなら理央がよかったのにな~。
「文化祭の出し物を決める時にさ、占いの館とメイド喫茶が残って、最終的に占いの館になったじゃん? 実は俺、それに納得してないんだよ」
振り返る茜。その表情はかすかに驚いていた。本をめくる手も止まっている。
あ~、たぶん、っていうか絶対こいつ勘違いしているな。
「意外だっ。弥代が女子に『ご主人様』って呼んでもらいたいなんて!」
「ちげーよ。納得していないのは女子の態度に対してだ。出し物を決める時、あいつらは『占いの館なんてやったらいいんじゃない! 好きな人のタイプもわかるし』ってほざいたろ? それなのに男子が『俺たちはメイド喫茶がいい!』って言った瞬間、ウジムシを見下すような視線を男子に浴びせたんだぜ。覚えてるよな?」
「覚えてるけれど……それがどうしたの?」
「おかしいとは思わないか? 二つの意見は『異性に関わりたい』って意味では一緒なんだよ。それなのに男子だけ責められる! あまりに理不尽! 頭の足りてないJKどもは常に自分を棚に上げるんだ!」
「まあ、弥代の場合、私怨が入っているけれど正論には変わりないから反論できないんだよね。女子って論理よりも感情で動くことが多いから、だから嫌われるんだよ?」
「俺が女子のこと嫌いなのに、なぜ女子に好かれてもらおうと思う!? そんなのこっちから願い下げだ! そもそも占いになんか科学的根拠はないんだ。だから占いで意中の相手のタイプなんかわかるわけがないのにな~」
気のせいかクラスメイトの女子からの視線が痛い。女子から見たら俺は空気読めない嫌なやつだし仕方ないか。
それにしても、今日になってから、やけに茜が絡んでくるな。
「次の占いはまだか?」
「決まったっ、次は動物占いにする」
動物占いか……小学校の頃に流行ったのが懐かしいな。そこで女子は自分に当てはまる動物が可愛くないと泣き出すんだよな。俺は動物占いでゴリラに当てはまった女子に「ゴリラなんて絶対に嫌だ!」「及川君よりはマシじゃない?」って陰口された経験ある。この場合、俺の当てはまった動物よりマシって意味ではなく、項目に『及川』ってあったらそっちよりマシって意味である。ねぇから、動物占いに及川って項目ねぇから。
「まずはイヌ、ネコ、ウサギ、羊、牛、馬、ペンギン、ライオン、トラの中から好きな動物を選んでください……だって」
「食えるから牛で」
「結果、あなたを幸せにしてくれる異性は、幼い頃から一緒にいて気兼ねなく話せる人です。またあなたは明るくて元気な異性を引きつける魅力を持っています。幼い頃から一緒にいて、同性のように近くで接していると、あなたにとって一番の異性を見落としてしまいます。一度まわりの異性について考え直してみては? だってさ」
「ふ~ん」
「むっ、なんで興味なさ気なのさ!?」
「だって信じてないし」
そこで茜はずいっ――と顔を俺に近づけた。制服の隙間から胸の谷間がのぞける。少し近づくだけで女の子特有のいい香りがする。そして茜の花唇が小さく開いて、言葉が紡がれた。
「そこまで言うんだったら弥代がやってみてよっ」
「マジで?」
「マジでっ」
めんどくさい、が、確かにこれは茜の言うとおりだ。何かを否定するなら、自分はそれ以上でなければならない。茜は興味津々の様子で瞳を輝かせている。それに、俺も一応当日に占いをする班の班長だ。練習しておいて損はない。
「わかった、やるよ。――それじゃあ、手を握ってくれ」
「えっ!?」
俺が占いの準備のために右手を差し出すと、茜は急に赤面した。周囲を見回して、教室で祭りの準備をしている生徒が俺たちに注目していないことを確認する。そしてゆっくりと手を差し出してきた。それはまるで小動物を初めて抱っこするような、そんな遠慮しがちさがうかがえる。俺はなぜか手を握ろうとしない茜にじれったさを感じて、こっちから強引に手を握った
「きゃっ――ちょっとっ、いきなり握らないでよ! ビックリするでしょ!」
「お前がじれったいんだよ」
初めてというわけではない、茜の手を握ったのが。それでも少しずつ大人になっていくにつれて、手を触れ合わせる機会は減っていった。これは何年ぶりだろう。
「は、早く占いなさいよっ」
「わかってるよ」
視線をそらす茜。気恥ずかしそうに、いや、実際にそうなのだろう。茜は握る手に優しく力を込めて、俺の手の形、触感、体温を確かめるように握る手の力に強弱をつけた。
俺は緊張を押さえつけながら、占いを始めた。
「最初に、お前は今、人間関係で悩んでいるな?」
「えっ?」
早速茜が食いついた。見事核心を衝かれたかのごとく動揺する。俺が握る茜の手は、若干熱くなり、そして手から感じる鼓動が早くなった。
「相談できる相手って中々限られてくるから、茜は相談相手を慎重に選んでいる。また、悩みに対してどう対処するかも必死に考えているんだな。アドバイスを送らせてもらうとまずは行動することが一番だぞ?」
「え? あれっ?」
「茜は今の人間関係を変えたいと思っている。そのために行動し始めようとしている。それは素晴らしいことだ。問題はその行動が誰かに迷惑をかけないか心配、ってところじゃないか? 安心しろ。きっと上手くいくから」
「ちょ、ちょっと待って! なんであたしの悩みについて知ってんのっ?」
握った手を離して、勢いよく立ち上がる茜。表情を赤らめて、明らかに狼狽している。
俺は占いの成功を確認すると、茜を宥めるためにネタを明かす。
「いや? 俺は別に茜の悩みなんか一つも知らないぜ?」
「そんなわけないじゃん! 見事に当たってるし! 一体どういうこと!?」
さすがにそろそろ、クラスメイトの視線が集まってきた。茜は注目されて、恥ずかしそうに着席した。そうするとジト目で俺を睨み、トリックを明かすように無言で促す。
「ストックスピールって技術だ。よく詐欺師やカルト宗教の勧誘が使ってる」
「具体的には?」
「よくプロの占い師が初対面の人を占って、話してもいないことを言い当てるだろ? あれは基本的に話術の賜物だ。その中の一つがストックスピール――『誰にでも当てはまっていることを、あたかも自分だけにしか当てはまってなく、それは的中させたかのようにみせる技』だ。思い出してみろ? 人間関係に悩んでいるのは茜だけか?」
「あ――っ!」
ここでようやく茜は気付く。両手で口を押さえて古典的な驚き方をする茜。そんなこいつに、俺は追い討ちをかけるかのごとく、さらにタネを明かした。
「相談したいことがあるときに相手を選ぶのは誰でもしてる。行動を起こして誰かに迷惑がかからないか、なんてみんな思ってる。理解したか? ちなみになんで手を握ったかというと、それっぽく見えるってだけで特に意味はない」
「うう~っ」
可愛らしく小さくうなる茜。両手で朱色に染まった頬を隠して、俺のことを責めるように睨む。とはいっても、まるで怖くなく、むしろ子どものようで見ている俺としては微笑ましく映った。
「今の茜を見て思ったけど、やっぱ女子ってバカだよな」
「あ……また女子のことを見下してる!」
「占いなんて話術の結晶だ。していることが違うだけで、使っているテクニックは詐欺師やカルト宗教の勧誘となんら変わりない。結局、占いなんて人を騙す行為なんだよ」
「弥代……女子に睨まれてるけど?」
「気にするな――騙された結果に幸福感を抱き、それは詐欺師やカルト宗教の勧誘と同じ技をもってして行われる。きっと占いを信じている女子は、詐欺に遭っても簡単に騙されるし。カルト宗教に勧誘されても、占いと同じ要領でコールドリーディングされ、あっけなく闇に落ちていくんだろうな」
「むん? コールドリーディングって?」
「簡単に言うと『観察した結果に基づき人を信用させるように話す行為』だ。ストックスピールもこれに含まれる」
ちなみに俺はこれを今の茜との練習で初めて使ってみた。結構いけるものだな。
占いは人を騙して幸せにする行為と、少なくとも俺は思っている。だから俺は、好きな異性のタイプを知りたいなら、占いよりも恋愛心理学をお勧めしたい。まあ、そもそもコールドリーディングは警察官の尋問やカウンセリングにも使われているから、結局は使い手の心次第なんだけどな。
「でさぁ、一つ茜に聞きたいんだけど……」
「なに?」
「茜は何に悩んでんだ?」
「どういうこと?」
「俺は今お前を騙したけど、『なんであたしの悩みについて知ってんのっ?』って口走っただろ。ってことは何かに悩んでいるのは間違いないってことじゃん」
「言わない! 絶対に言えない!」
茜は両手を俺に対して突き出して、ブンブンと振るう。ここまで拒絶されると、逆に深入りしたくなるのが人間の性だ。しかし、直接的に聞いても教えてくれることはない。だったら、まずは……
「今日やけに俺に絡んでくるから、それに関係してるのか?」
「言わないって言ったでしょっ!?」
ビンゴか。本当に関係がないなら教えてくれても問題ないからな。でも、ここで新たな疑問が出てくる。なぜ茜は俺に絡んでくるようになったのか? という謎だ。
聞いてみたい。そう思ったが、俺には茜が本気で嫌がっているように感じた。俺にだって引き際はわかる。ここらで止めておくか。
「ところで、何で弥代は今みたいな技術を知ってたの?」
けろっと表情を一転させる茜。関心があるのか、ぐい――っと近づき、俺のことを下から覗き込む。まあ別に隠すようなことでもないし教えてもいいか。
俺は茜を手で制して距離を開けてから喋る。
「文化祭の出し物が占いの館って決まった日に『占いの種類や方法を調べよう』って話になったのを覚えてるか?」
「うん、覚えてるけど……」
「みんながタロットカード占いだの水晶占いだのを調べている間に、俺は人を騙す方法を延々と調べていたのだ!」
「捻くれてる!?」
「あれ? 弥代君も学食でお昼ご飯?」
ふいに、俺は声をかけられた。カレーうどんをすするのを一旦やめて、声のしたほうを向くと星宮がトレイに味もそこそこ、量もそこそこ、値段もそこそこのAランチ定食を乗っけて突っ立っていた。
一〇月二三日(木)――
時は昼休み。場所は学食。学食はそれなりに賑わっていて、男女、学年、あげくに生徒と教師すら関係なく、楽しげにお喋りをしながら昼食を楽しむ人が大勢いた。そんな中、俺は一番隅っこのテーブルで独り寂しくカレーうどんを味わっていたわけ。いやいや、別に寂しくなんかない。ないったらない。
ちなみに理央と茜は教室で食事している。なぜ別々かというと二人は弁当持参組で、俺は普段お弁当を持ってきていないからだ。決してはぶられているわけではない。
「星宮もか……」
「うん。あっ、お邪魔じゃなかったら一緒に座ってもいい? 席は所々に空いてるけど、一人で食べるのも寂しいから。ダメ?」
「いや、構わない。俺も星宮に話があったし」
俺が許可すると星宮は俺とテーブルを挟んで対面に座った。
星宮はトレイをテーブルに下ろして、箸を持つ。ほんで「いただいますっ」と挨拶してから白ご飯を頬張った。次いで飲み込むと彼女は俺に喋りかける。
「それで、弥代君が私に話したいことって?」
「ああ、それは……」
周囲を見回す俺。このテーブルに座っているのは一番右端に俺と星宮。一番左端に見知らぬ女子生徒が三名。距離は三メートル以上開いている。また周りに気を配っても、俺と星宮のことを見ている奴らはいない。聞き耳を立てている奴らもいないだろう。
それを踏まえてから、俺は星宮に謝罪する。
「すまない。あの約束のことでお前に謝らなければいけないことがある」
「ほえ!? や、弥代君っ? 頭を上げてってばっ」
深々と頭を下げる俺に対して、星宮は両手をあたふたさせて、慌てた様子で俺に頭を上げるようお願いしてくる。俺としてはもう少し謝罪の気持ちを込めて頭を下げていたい、が、ここは学食だ。注目される前に言うとおりにしておこう。
「それで、何か私に悪いことをしたの?」
「……順を追って説明するが――例の話で俺の姉さんが大学で民俗学を。具体的には民族伝承を専攻しているって話したよな?」
「うん、覚えてるよ?」
「星宮には悪いが、姉さんに星宮が『屈折のデザイア』を患っているって話したんだ」
「それは……どうしてかな?」
明らかに俺は星宮との約束に反した。が、星宮は一向に怒る気配を表さず、内心で不満をくすぶらせているわけでもなさそう。やはり星宮は俺の知っている女子とはどこか違うんだな。冷静に聞く姿勢を保ってくれる星宮は、俺的にすごくありがたい。
「意見を聞くためだ。で、星宮の患っている都市伝説をどうにかする方法を聞いてきた」
「――っ」
一驚する星宮。当然だろう。思春期の女の子なのにノーパンを強制される――そんな屈辱的な現状から脱出できる手がかりを得られようとしているのだから。
カレーうどんを頬張ってから、俺は続きを話す。
「まあ、一応俺も星宮のことをどうにかしたかったからな。だが独断で約束を破ったわけだから、謝罪をしようと思った。それだけだ。……すまなかったな」
再び俺が謝ると、星宮は両手を勢いよく左右に振って返事する。
「ううん、気にしなくていいよっ。むしろ私のために動いてくれたんでしょ? だったらむしろ私の方こそ謝らなくちゃ……」
「論点が微妙にずれてるぞ? 俺が独断で約束を破った。重要なのはここだけだ」
「――ううん、それでも私も謝るよ。ありがとね?」
優しく表情を緩める星宮。彼女の微笑みにはウソ偽りなく、心の底から笑っているようで。不覚にも可愛いと思ってしまった。対して俺はどこかこそばゆくて仏頂面だ。
このまま片方が謝って、もう片方がそのことに対して謝って、更にどんどん繰り返していくと収拾が付かないので、申し訳ないが俺の方から謝罪の連鎖を抜けさせてもらう。
で、本題に入る。
「一応、姉さんの前でも星宮の本名はぼかしておいたから、ある程度は安心してくれ」
「うん。それで……がっつくようでみっともないけど、私のノーパンをどうにかする方法っていうのは、どういうものなの?」
「約束した日、星宮が自分で口にしたことだけど――『屈折のデザイア』は被害者の欲求や欲望や願望を屈折した形状で反映したモノだ。だとしたら何が星宮のデザイアかは不明だが、お前がノーパンであること自体、屈折しているとはいえ星宮のデザイアを満たしていることになる」
「ふむふむぅ……」
「恐らく、正確には『ノーパンであることの次の段階』が星宮のデザイアだと考えられるが……それは置いといて、姉さん曰く『屈折のデザイア』からいい意味で解放される方法は――たった一つ」
「それって……」
「――願望とは別の方法で願望を果たした時と同じ結果を与える。これが唯一の解決策」
奇妙な感覚に襲われる。ここは学食で、俺たちの周りでは生徒や教師が賑やかに騒がしく、そして楽しげに喋りながら昼食をとっている。なのに、まるで俺と星宮だけがこの空間から隔絶されたように、周りの喧騒がどこか遠くに聞こえた。
「で、星宮に聞きたい。自分の願望――つまりデザイアに心当たりは?」
「う~ん……無意識の願望でしょ? 無意識なんだからさすがにちょっと……」
「やっぱり簡単にはいかないか……」
「でもさ? 願望が屈折した結果、私がノーパンになるんだよね?」
「ん? まあ、そうだろうな」
「だとしたら、私の願望ってノーパンの状態だとまがいなりにも満たされるの?」
「断定はできないが、その可能性は十分にある」
「だったら私って変態じゃん!?」
嗚呼、ついに星宮は気付いていけないことに気付いてしまった。あえて俺がその表現から避けて喋っていたのに……。けど、普通いつかは自覚するよな?
自分の本質に気付いた星宮は、両手を伸ばしてテーブルに突っ伏す。
「正直なことを言っていいか?」
「……なにかなぁ~?」
「学年一の美少女で、頭脳明晰で、運動神経抜群で、学級委員長」
「…………」
「しかし心の奥底ではノーパンであることを望んでいる淫乱ッ娘」
「…………」
「これってエロゲのヒロインみたいじゃね?」
「女の子に向かってエロゲのヒロインみたいとか、全然褒めてないよ!?」
激怒の力によって星宮は復活する。プンプン――と擬音が聞こえてきそうなほど不機嫌な様子で、残っていたAランチ定食を頬張る。彼女のいじけている姿はなんとなく、初めてのデートでオシャレしたのに、彼氏から褒めてもらえない彼女を彷彿させた。
「話が脱線したな……改めて、星宮自身のデザイアに心当たりは?」
「ノーパンが関係する私の願望かぁ……逆に聞くけど、弥代君から見て何かありそう?」
「セクハラ覚悟で物申すなら、ノーパンって言ったら欲求不満じゃないのか?」
「セクハラ覚悟で言ったんだから通報されても文句ないよね?」
「ノーパン娘がセクハラで通報するとか……セクハラされても文句言えねぇだろ」
「は、反論できない!」
最終的に星宮は俺のセクハラじみた発言を許してくれた。でもぶっちゃけ、ノーパンで叶えられる願望って、本当に真面目に、欲求不満の解消ぐらいだろ。
一応、星宮自身もそれを理解しているからこそ、彼女も真正面からは否定しないのだ。
「ネットで検索してみる? ノーパン・願望って」
俺の返事を聞かず、星宮は制服のポケットからスマホを取り出し、なにやら操作を開始する。ちなみに俺は昨日家で同じことをしたので……結果は言わずもがな。
「……はうっ」
検索し終えた星宮は、顔を真っ赤にして自分のスマホを俺に寄越した。一応、俺も確認すると、スマホの画面には検索結果で一八禁のサイトが一覧されていた。あれだ……食事中に見るものではないな。
にしても星宮の反応は中々に初心だった。
スマホを星宮に返すと、星宮は履歴を削除してからポケットにしまう。そして赤面しながらチビチビと食事を再開。対して俺の方は、もうカレーうどんを全部食べてしまった。
俺は独り言のように、しかし星宮に聞こえるように言う。
「やはり検証が必要だな」
「検証って……私のノーパンについて?」
「ああ――願望とは別の方法で願望を果たした時と同じ結果を与える。これを目標に頑張るとなると、どうしても星宮のデザイアがなんなのかを明確にしておく必要があるから、ゆえに検証が必要だろう」
「むぅ、検証ってそっちのほうか……。私はどこからどこまでの衣類が弾け飛ぶのかを確かめるのかと思ったよ」
「ん? どういうことだ?」
「えっとね? 例えば普通のパンツはダメ。スパッツもダメ。けれども水着はセーフ。ストッキングもセーフ……とかとか。自分の着られるものぐらいは正確に把握したほうがいいと思って」
「水着とストッキングはセーフなのか……」
「ううん。まだ試したことがないから、単なる例えだよ」
と、ここで星宮は昼食を食べ終えた。が、そのわりには空腹がまぎれて満足しているようには見受けられない。恐らくは、こんな理不尽な現状に改めて嫌気が差したのだろう。
けれども星宮は次の瞬間に、決心した顔つきでバ――ッ、と頭を上げる。
「話は変わるけど――弥代君はウジウジ悩む女の子ってどう思うかな?」
「爆死すればいいと思う。お悩み相談(失笑)でつまらないことでネチネチとグチ垂れやがった挙句、結局は現状をどうにかしたいということよりも、同情を誘いたかっただけの女なんてイヤというほど中学校で観察してきた」
「……ということは、さっぱりした女の子のほうが弥代君的に好感を持てるの?」
「絶対的には嫌いだが、相対的にウジウジ系女子よりは好感が持てるな」
女が「ちょっと悩んでてぇ……相談があるんだけどぉ~」と話しかけてきた時は注意が必要だ。あいつらはアドバイスを求めているのではなく、男から同情を惹いて『悲劇のお姫様』を演じたいだけなのだから。
対処法としては「同情を惹きたいなら、腕の一本ぐらい骨折してからにしろ」と一言告げてやると「何それ! サイテーっ! アタシの悩みに興味ないんだ!?」とかほざいて勝手に諦めてくれる。ねぇから、最初から女子の悩みに興味ねぇから。逆になんであると思った? 興味のないことを延々と聞かされる男子の身にもなってみやがれ。
女子という生き物は男と一緒にいる時、そいつに『楽しい会話』を求めるくせ、自分が話す時はまるで男子にとって『楽しい会話』をしてくれない。その最もたる例がお悩み相談だ。
「じゃあ、自分の悩みに真剣で、その悩みが深刻なもので、なおかつ同情ではなく悩みに対する対処法を求めている女子がいたら――弥代君はどうする?」
「それならこっちも真面目に付き合ってやるよ。ま、そんな女子そうそういないけどな」
HAHAHAっと笑い飛ばす俺。
すると星宮はにや……っと口角をつり上げ、何か企んでいるように目を怪しく光らせ、悪人のようにニタニタするではないか。で、星宮は次のように言う。
「男の子に二言はないよね?」
OK……ここに、目の前にいたじゃん、そんな女子。
昼休み後半――俺と星宮は体育倉庫に訪れていた。
昼休みに足浮き立つ生徒の喧騒はどこか遠くに聞こえ。ほのかに跳び箱や平均台からする木製の匂いが感覚をくすぐる。平均台の上に座る俺は体育倉庫内を一瞥した。当たり前だがここには俺と星宮の二人しかいない。
二人きりになると、星宮はコク……っと息を呑み倉庫の鍵を内側から閉めた。これでもう、これからこの倉庫内で起きる出来事を誰にも邪魔されない。
「じゃ、検証を始めようか?」
「待て、いや、待ってください。やっぱ考え直そうぜ?」
「ほえ? 何を?」
「何をって……」
星宮は平均台――俺のすぐ隣に座る。俺は『密室の体育倉庫』で『異性と二人きり』というシチュエーションに思わず顔が熱くなった。
わずかに平均台に添えていた左手をずらすと、同じように平均台に置いていた星宮の右手と触れ合う。すると星宮はバ――ッと右手を引いて、胸の前で右手を左手で包んだ。
ここまでくると、いくら俺でも星宮に深い意味の女の子を感じてしまう。
ん……やっぱ星宮って可愛いよな。肌は白くて赤ちゃんのようにすべすべで。髪もさらさらで、隣同士で座るとシャンプーの匂いが届いてくる。まつげも長いし、瞳も宝石のようだ。繊細で弱々しく可憐な、星宮のその全てが、今『この状況』において扇情的に俺のことを誘っているようで――
「いいか星宮? ここは密室の体育倉庫だ。確かに二人きりになれるが『屈折のデザイア』の検証なら別に他の場所、他の時間でもできるだろ?」
「でも自宅に弥代君を呼んだらお父さんが怒りそうだし……」
「こっちの方がよっぽど怒られるだろ!」
「ばれなきゃセーフだよっ」
犯罪はばれなきゃ裁かれない、というよくある理論に近い言い分を披露する星宮。
だが俺も負けてはいられない。俺は星宮に必ず諦めてくれるであろう文句を言う。
「言っておくが俺だって男だぞ? で、星宮は女の子。更にここは密室で、この倉庫には俺と星宮の二人きり。言っている意味、わかるよな?」
「弥代君は女子が嫌いなんだよね?」
「急にどうした? その通りだけど」
「じゃ、じゃあ……弥代君は女の子と……そ、そういうこと、したいって、思うの?」
「一時の誘惑に負けてことを致したら、舌を噛み千切って自害する」
「なら安心だねっ」
「くそ――ッッ! 女子に如きに論破されるなんて!」
すると星宮は楽しげにくすくすと声を零す。まるで友達と談笑している時にように。だが、改めて言っておくが俺と星宮は友達ではない。言うなれば運命共同体――バトルマンガ風に言えば主人公とライバルという相容れない二人が、共通の敵を前に手を組む感じ。
「で、検証って学食で言ってた『どこからどこまでの衣類を着れるか』ってヤツか?」
「加えて弥代君が言っていた、『私のデザイアが何か?』ってことも今、確かめてみようと思って……。方法も考えてあるし」
「……言ってみろ」
「まず私が以前から考えていた自分のデザイア候補を一つずつ満たしていく。次に様々なコスチュームを着てみるでしょ? 第一段階の自分のデザイア候補が、正解に近ければ第二段階のコスチュームの着ていられる制限時間は長くなる。逆に正解から遠ければ制限時間は変わらないか、もしくは短くなる――どうかな?」
なるほど……星宮の『屈折のデザイア』は、まがいなりにも彼女の願いを叶えようとして本人にノーパンを強制する。ならば『願望とは別の方法で願望を果たした時と同じ結果を与える』という方法――つまりノーパン以外の方法でデザイアを満たしたとし。
ネットで調べたが『屈折のデザイア』はデザイア――つまり願望が弱いやつよりも、願望を強く叶えたいと思っているやつに発現しやすいからな。これを踏まえると、ある程度の願望を叶えれば、星宮が満足して『屈折のデザイア』の強制力が弱まるやも知れぬ。
「……確かにそれなら二つのことを同時に検証できるが――一つ疑問が」
「なにか引っかかるの?」
「そもそもこの実験に俺、必要か?」
すると星宮は申し訳なさそうにシュン……っとうつむいて、両手の人差し指をモジモジと絡ませた。その姿はご主人様に迷惑をかけてしまい、落ち込んでいる子犬を彷彿させる。
星宮は合わせる顔がなさそうに、俺に言う。
「……あのね? 今、言ったように、自分で自分のデザイア候補を何個か考えてきたんだけど、一人じゃそれを満たせる自信がなくて……。私のヒミツを知っているのって、弥代君以外に誰もいないから…………だから、弥代君じゃないとダメなの」
不安げな面持ちで、隣に座る星宮は俺に上目使いで懇願してくる。
ここで無下に断ることは簡単だ。でも俺が協力を断ったら、この先、果たして星宮はどうなるのだろうか? そのことを想像してしまうと、俺は星宮のお願いを断れなかった。
「……わかった。じゃあ、それで? 星宮のデザイア候補の一つ目は何なんだ?」
「ええ……っとね? 一つ目は『恥ずかしがり屋さんだからそれを克服したい。だとしたら、今までの羞恥心が小さく感じるほどの羞恥心を感じれば、他の羞恥心は気にならなくなるよね?』――っていう内容のデザイア候補かな」
人差し指をくちびるに添えて、記憶を思い返す素振りで星宮は答えた。
なるほど。確かにそれなら、デザイアが屈折した結果、強制ノーパンという現象に繋がるだろう。つまりこの仮説においては『今までの羞恥心が小さく感じるほどの羞恥心=ノーパン』と考えればいいわけだ。
「でもこれに関して言えば、もうデザイア候補を満たしているんだよね」
「……というと?」
「私的にノーパンよりも、お、男の子と……体育倉庫で、ふ、二人っきりのほうが……その、緊張するから。だ、だから『願望とは別の方法で願望を果たした時と同じ結果を与える』って方法――つまりノーパン以外の方法に則って『恥ずかしがり屋さんだから、それを克服したい』ってデザイア候補は叶ったかな~って」
説明を終えると星宮は「さてっ」と呟いて平均台のふちから立ち上がる。
次いで星宮はここに訪れる途中に持ってきた紙袋からゴソゴソと何かを取り出そうとしていた。最終的に星宮は紙袋の中から上下セットのコスチュームを――
「……体操着とスパッツ? ああ、体育の授業の時に困らないよう、今の内に試すのか」
「うん! そのとおり! で、一巡目の第一段階はクリアしたから、次の第二段階は実際にコスチュームを着て制限時間を測らないとね? というわけで、……うぅ」
星宮はこれから服を着替えるため、一時的にはだかになることを想像したのか初々しい反応をする。だが星宮は思い切ったように体操着とスパッツを胸の前で抱え、背の高い跳び箱の裏に行ってしまう。
「……覗いちゃダメ、だからね?」
「誰が覗くか!」
すると跳び箱の裏から衣類の擦れる音がする。今、星宮が跳び箱の裏で生着替えしているのだろう。シュ……っとセーラー服のスカーフがほどける音が。次いで、星宮が「んっ」と声を漏らす。セーラー服を脱いだらしい。最後、パサ……っと、これはスカートを床に落とした音か?
「弥代君、スマホのストップウォッチを準備して~。目標は五分ね!」
五分――それは初めて星宮の『パンツが弾け飛ぶ現象』を目の当たりにした時、本人から説明を受けたパンツを穿いていられる制限時間。
そのことを思い返しつつ、スマホに内蔵されているストップウォッチを準備した。
セットしてから、俺は跳び箱の向こうにいる星宮へ伝える。
「準備したぞ」
「――う、うんっ! 今スパッツ穿いたからスタートしてっ」
「……りょ~かい」
なんだろう……頭痛がしてくる。はたから見たら俺たちって凄く間抜けなことをしているんじゃなかろうか? 加えて、密室の体育倉庫で美少女高校生が生着替えって………………死にてぇ。
「お、お待たせ……」
跳び箱の裏から体操着姿の星宮が出てくる。
スパッツの締め付けによって星宮の下半身のラインがはっきりわかる。おしりから太ももにかけての曲線は、女子特有の丸みを帯びたなだらかなS字で、星宮のスタイルの良さが際立つではないか。
また、星宮の小ぶりなおしりと柔らかそうな太ももが、スパッツによって締め付けられていて、くい込んでいて妙にエロかった。
俺があまりの可愛さにあっけを取られていると、星宮はくすぐったそうに身をよじらせて、体操着の裾をギュっと引っ張ってスパッツの部分を隠してしまう。
「そ、その……あまり、ジロジロ見ないでほしいな?」
「あっ……わ、悪い」
「……どうかなぁ? もしかして似合ってない?」
寂しそうな表情をする星宮。恐らくは俺の照れ隠しがゆえの簡素な態度を『あまり似合ってない』と勘違いしたのか? 別にそんなことはないのに……。
俺は頬をかきながら返事する。
「べ、別にそんなことはない。ただ女子の体操着姿なんて見慣れてないから戸惑っただけだ。普段、見る機会なんてないし……」
「そ、そうだよねっ」
以降、無言――すごく気まずい雰囲気だった。仮にこれが理央や茜や姉さんとの無言だったら大して気にしないものの、しかし今ここにいる相手は星宮である。仲良くなってからたったの三日。三日でこの状況。そして無言の時間。それは気まずくもなるだろう。
なんてお互いに無言を貫いていると『あの』破裂音が――
「ほえっ!?」
すかさず俺はストップウォッチを止めた。五分一秒一八か……。
一方、星宮のほうはやはりスパッツが弾け飛ぶ。今回はスカートを穿いていなかったから突風は発生していない。が、スパッツだけに関して言えば、パンツの時と同様、カマイタチに引き裂かれたかのごとくズダズダになってしまう。
「う~~~~っ!」
星宮は前のほうを体操着の裾を精一杯に引っ張って隠しつつ、跳び箱の裏へ逃げてしまった。その際、俺は星宮の後姿を視線で追いかけるも、このとき星宮は前だけを隠していたので、おしりは丸見えである。
今までは正面からしか星宮のノーパンを見たことはなかったが、今初めて星宮のノーパン後姿を拝めた。ぷにっと膨らんでいるおしりは可愛らしく、おしりの谷間も目に焼き付けてしまう。
「……これが残り二回も続くのか…………」
俺は星宮の口車に乗って、この検証に参加してしまったことを悔やむように呟く。
呟くと同時に星宮が跳び箱の裏から出てきた。いつものセーラー服姿で。
「……お見苦しいものを見せてすみませんでした」
改まった口調で星宮は謝罪した。
心なしか態度がシュン……落ち込んでいる。
「謝らなくていい。やると宣言した以上は最後までやり通すから。で、次は何をするんだよ? 二巡目に突入するか? それとも少し休むか?」
「ううん、休まない。もうちょっと頑張ってみる。私が無理やり付き合わせてるんだし、私のほうが先に音をあげたら申し訳ないから」
平均台のふち、俺の隣に座る星宮。今にして思うと、密室で、思春期の男女が二人きりで、女子のほうはノーパンなのに、しかし俺の隣に躊躇いもなく座る星宮って凄くガードが緩いよな。
「だったら続けるけど、二巡目の――二つ目のデザイア候補は何なんだ?」
「……っんと、二つ目は『困難を乗り越える力が欲しい。だとしたら、一生越えられない困難に突き当たれば、他の困難ぐらい乗り越えられる力は付くよね?』――こんな感じのデザイア候補かな?」
ならばこの場合は、『一生越えられない困難=ノーパン』ということか。確かにこれも、一つ目のデザイア候補と同じように、デザイアが屈折した結果、強制ノーパンという現象に繋がる。ってことはデザイア候補として成り立つな。
「じゃあ二巡目の第一段階に入ろ?」
「――『困難を乗り越える力が欲しい』ねぇ……このデザイア候補を本物と仮定したら、どうやって『願望とは別の方法で願望を果たした時と同じ結果を与える』んだ?」
「う~ん……そこまで詳細なことは思いつかなくて……だから弥代君のアイディアを借りたかったんだけど、何か思いつかない?」
無意識のうちに、俺は腕を組み天井を仰ぐ。
少し疑問に感じたのは『屈折のデザイア』の根源のことだ。この都市伝説の本質は被害者のデザイアを屈折した方法や形状で叶えてくれること。それを踏まえての対処方法は、以前姉さんとの会話でわかったとおり三つ。
「なあ。星宮って『屈折のデザイア』に対する三つの対処方法って知ってるっけ?」
「……三つの対処方法?」
キョトン、っと小さく首を傾げる星宮。この反応から察するに、間違いなくこいつは知らないな。それでは今後まずいので、俺は姉さんとの会話を思い返しつつ、なるべくわかりやすく星宮に説いた。
「まず一つは一生『屈折のデザイア』を患ったまま――星宮に当てはめるなら、一生ノーパンのまま過ごすという、身も蓋もない言い方をすれば死ぬまで我慢するという対処方法だ」
「それ対処方法って言うわりには対処できてないよね!?」
「細かいことは気にするな――二つ目の対処方法は『願いを果たしても望んでいない結末を迎えて生きていく』って方法だ。要するにデザイアを屈折したまま叶えてしまうとこうなる」
姉さんとの会話の時はそんなに深く考えなかったが、今、こうして実際に『屈折のデザイア』を解こうとすると、いかにこの都市伝説が不条理なものかよくわかる。こうして不条理を感じるのは、身近に星宮という被害者がいるからか。
「最後、三つ目は――」
「――『願望とは別の方法で願望を果たした時と同じ結果を与える』――だっけ?」
「さすがにそれは覚えていたか」
「当たり前だよ。さっき学食で弥代君が説明してくれたんだし。唯一の解決策って」
意外なことに、星宮は俺が言外に伝えたかった意図を汲んでくれた。そう、対処方法は今説明したように三つある。だが、その中で『いい意味で全てを終わらせる解決策』はこれ一つしかないのだ。
「じゃあ、なんで『屈折のデザイア』は発現すると思う?」
「ほえ? え……っと、当たり前だけど、そこにデザイアがあるから?」
星宮は『そこに山があるから山に登る』みたいな理屈で俺の質問に答えてくれた。彼女の答えは俺と同じで、俺は自分の考えが間違っていなかったと確信する。
で、根源の話に戻るが『屈折のデザイア』は人間に願望があるから発現するのだ。逆を言えば願望がない人間には『屈折のデザイア』は発現しない。ならば被害者に自分のデザイアを諦めてもらえば、連鎖的に『屈折のデザイア』は消滅するんじゃないか?
根源たる願望があるから都市伝説に囚われるなら、願望を抱かなければいい。一度抱いてしまったなら諦めればいい。
今日はあくまで実験だ。ちょっと試してみるか。
「星宮はデザイア候補の一つに『困難を乗り越える力が欲しい』って挙げたが、なんでそんなものが必要なんだ? 困難から逃げちゃダメなのか?」
「うんっとね? 私としては何事にも全力を尽くしたいんだよ。何事もやらずに後悔するならやって後悔したい――そんな考え方だと思う」
「……星宮は不可抗力って言葉を知らないのか? 何事もやらずに後悔するならやって後悔したい――こんなの綺麗ごとだ。大抵こういうセリフを言うヤツは『やるか・やらないか』の選択を持っている人間だからな」
「むぅ……卑屈なことを言ってるけど、結論は?」
「つまりな『やるか・やらないか』の選択肢を持ってないヤツは、何事もやらずに後悔するよりも、やって後悔するよりも、選択肢を持ち合わせていない自分の無力さを悔やむんだよ」
「……それって、もしかして」
「ああ、小学校の頃の俺だ。いじめという困難に対する抵抗に全力を尽くしても、もしくは全力を尽くさなくても、きっと結果は変わらなかった。いや、そもそも全力を尽くすという選択肢すらなく、いじめの主犯格の抗えない暴力で『やらずに後悔すること』を強制された。選択の余地がなかった。だから俺は困難に屈したんだよ」
押し黙ってしまう星宮。
「これを聞いても星宮は『困難を乗り越える力が欲しい』って言うのか?」
「…………ゴメン。すぐには考え方って変えられないけど、弥代君の言い分も一理あると思った。私、知らずに弥代君を不快にしてたんだね……」
星宮は気分が悪そうだった。当たり前だろう。彼女のような優しい人が人のトラウマに関することを聞いて。更に自分の発言で他人を不快にしていたとなると、俺ごときでは推し量れない罪悪感があるに違いない。
「謝るぐらいなら、一つ、俺の言うことを聞いてくれないか?」
「ぅん? なに?」
「二巡目の第一段階ってまだ完了してないけど、ひとまず置いといて第二段階を先にやってほしい? どうだ?」
「でも……そしたらコスチュームを着ても、二つ目のデザイア候補を満たしてないんだから――つまり変化がないんだから、一巡目の第二段階と結果が変わらないよ?」
「承知の上だ。ちょっと俺に考えがあるから、悪いけど指示に従ってくれ」
意図を曖昧にして伝えない俺の言動に対して、疑問を覚えたような表情をするも、星宮は結局コクンっと小さく頷き了承してくれた。で、立ち上がり、先ほどの紙袋から新たにコスチュームを取り出すと俺の方へ顔と体を向ける。
「次はスク水を着てみるね?」
「この結果によって星宮が来年の選択体育で、夏場に泳げるか、強い日差しの中マラソンするかが決まるのか……今のうちに試しておいて損はないな」
そう言い残して星宮は再び跳び箱の裏へ。
時は経って二分後、星宮から指示が下る。
「ストップウォッチの準備は?」
「いつでもいけるぜ」
「――着たよ~っ!」
俺はストップウォッチを起動させる。
同時に跳び箱の裏からひょこ――っとスク水姿の星宮が現れた。
「うぅ~……ちょっぴり、照れるね?」
何気なく思ったことだが星宮って背が低いわりにはスタイルがいいよな。何というか、身長は低いけど、現時点での身長に対して胸やくびれやおしりのバランスが黄金比というか……。
スク水姿の星宮はくすぐったそうに身をよじらせた。
ぴっちりと水着が体に張り付いているせいで、星宮の胸の形がよくわかる。見たぶんだと、大きさは手のひらに丁度良く収まるぐらいで、山頂の部分がつんっと上を向いているのがうかがえた。
おしりと太ももの感想はスパッツの時に述べたので割愛。
星宮の首筋から鎖骨にかけてのラインは艶めかしかった。白くて細い首筋からスラ――っと鎖骨にかけての曲線は非常に扇情的である。
「な、なんか、気まずいねっ」
「そ、そうだなっ」
それからは無言、無音。星宮は俺の隣に腰掛けて、ずっともどかしそうにうつむいている。一方、俺はといえば緊張で鼓動がバクバクと高鳴りぱなっしだ。星宮の体を極力視界に入れないようにして。だがそれでも星宮の髪からシャンプーの香りが、体からは爽やかな石鹸の匂いが。あと星宮が俺の隣に座ると、彼女の右手が俺の左手とわずかに触れるので、星宮の体温が伝わってくるわけで――要するに、星宮から視線を逸らしても、視覚以外の感覚のせいで星宮のことを意識してしまうのだ。
「っん……あぁ、弥代……っ君? あと、何分……ハァ、かな?」
「あと一分だ」
「ぅん……っ、わかった……ぁっ」
様子がおかしい。会話を続けていると星宮が切なそうな吐息を漏らす。更に火照った体を鎮めるように「……っ……ぅん、っん……」と下唇をかんでいた。一巡目は緊張のあまり気付けなかったが、この様子は俺が初めて星宮のパンツが弾け飛んだ瞬間を目撃した直前の星宮の反応――現象の前触れだ。
「イキそうなのか?」
「ハァ、あっ……ぅん、い、イキそう、なの」
言葉のチョイスが非常に危ない。なんて雑感を抱く。
そういえばパンツやスパッツと違って、スク水は上半身部分と下半身部分が繋がっているけど、破裂したらどうなるんだろうな? ん? いや、待て。待て待て。落ち着け。これはあくまで俺の推測だが、星宮の『屈折のデザイア』が起こす現象は破裂。これは間違いない。
問題は破裂する衣類の定義だ。この定義が『アソコに触れている衣類全般』を指すならば、当然スク水もアウト。では次に『どこからどこまで破裂するか?』について。俺と星宮が約束した日、パンツが破裂してもセーラー服やスカートは破裂しなかった。これは恐らく『パンツとセーラー服やスカートが、一つの衣類として繋がっていないから』からじゃないだろうか。ではそれを踏まえてスク水はどうなんだ? 上半身の部分も下半身の部分も、一つのコスチュームとして繋がっている。
ならば――っ!
「星宮!」
「ほえっ? な、なにかな?」
「すぐに跳び箱の裏に隠れたほうが…………っ」
が、俺の叫びをかき消すように、軽快な爆音。リズミカルな破裂音が体育倉庫に響く。
同時に星宮が身にまとっていたスク水が、下半身部分だけではなく上半身部分まで破裂する。結果、星宮は生まれたときのように、一糸纏わぬ姿になってしまった。
「~~~~~~~~っっ!」
生まれた時の姿になってしまう星宮。柔らかそうなおしりに、ふにふにのおなか。小さく凹んだおへそは、女子嫌いの俺でも可愛らしいと感じてしまう。肢体は実にしなやかであり、そして――俺は生まれて初めて女の子の胸を見てしまった。
ふにふにと丸みを帯びた女の子の象徴。星宮の胸はそこそこ大きく、なおかつ形すごくいい。ゆえに谷間や下乳は陰によって、より立体的に映った。で、何よりも特筆すべきなのは胸のてっぺんの桜色だ。桜色の突起は、つん――っと上を向いて張っていて、控えめに立っていた。
「み、見ないでよぉ~っ!」
星宮は目じりに大粒の涙を溜めて、懇願するように両手を使って胸と乙女の花園を必死に隠す。今までとは比べ物にならないほど耳や首元まで白い肌を紅潮させて、最終的には俺に背を向けて先ほどまでと同じように、背の高い跳び箱の裏へ隠れてしまう。
「あっ、そうだ……ストップウォッチ」
と、ここで俺は我に帰る。ふむ……五分二秒二八、か。予想通り少し時間が延びたな。
俺がスマホの画面に目を向けていると、星宮が全裸ではなく、学校指定のセーラー服を着なおして戻ってきた。その顔はほのかに熱を帯びているようである。
「あ、あはは、なんだか私たち、ノーパン見られるのも見るもの慣れてきちゃったね?」
「慣れたんじゃなくて飽きたんだよ。見飽きたの、OK?」
「ひ、ひどい! そんなんじゃ女の子からモテないよ?」
「女子からモテる必要性を感じないから、別にモテなくても構わない」
「むぅ……相変わらず性格悪いなぁ……」
と、ここで会話が途切れる。俺は先ほどから平均台のふちに座ったままで移動はしておらず。一方で星宮は初々しく、まるで初めてエッチなことをする直前のように顔を赤らめて、瞳を濡らし、俺の隣に座る。
「さて、三つ目のデザイア候補は何なんだ?」
俺が問うと、星宮はぷい――っとそっぽを向く。そのせいで表情をうかがえなくなったが、代わりに偶然耳が視界に入った。その耳はなぜか赤らんでいた。
疑問しか湧かない状態の俺に、ついに星宮は口を開く。
「……弥代君、一昨日の放課後、本屋さんで私のことを痴女って言ったよね?」
「Oh……今になってその話を蒸し返されるとは予想外だぜ」
「私ね? 自分ではそういう覚えはないんだ。けど、ノーパンの女の子って言ったら普通は痴女かな~って。だから私、思ったの」
勇気を振り絞った星宮は、ようやく俺と目線を合わせる。瞳は憂心によって揺らいでいて。小さな肩は沈痛によって震えていて。けれども星宮は小さな、そしてつややかな桜色のくちびるを開き、決定的一言を放つ。
「三つ目のデザイア候補は『欲求不満を解消したい。だとしたら、どんな方法で性欲を発散してもいいよね?』って感じなんだけど――これはどう、かな?」
どうと言われても反応に困る。なに? 肯定してやればいいのか? できるわけないだろ。逆に否定か? 一応これにもノーパン現象をどうにかするヒントがあるかもしれないのだから、明確に否定するのも賢明とは言えない。ならば――
「――星宮、俺はその仮説を肯定も否定もしない。肯定なんてできないし、否定するにしても『絶対に間違い』とは言い切れないから。だが肯定の場合、俺がそれに協力すると思ってんのか?」
「で、でも頼れる人が弥代君しかいないし……」
「そしてさっき、俺がこう言ったのを覚えているか?」
「うん? 覚えているかって、なにを?」
「――一時の誘惑に負けてことを致したら、舌を噛み千切って自害する、って」
「……………………あっ」
最終的に『欲求不満を解消したい』というデザイア候補は封印となった。
星宮曰く「本当に打つ手がなくなったら、私も覚悟を決めるから」――とのことです。
放課後、俺と星宮の二人は例の学校近くの公園へ訪れていた。
俺は自販機で買ってきたココアをベンチに座って待っていた星宮に渡し、してから彼女の隣に腰を下ろす。そして自分の分の飲み物――微糖コーヒーのプルタブを開けて一口。
俺は息を吐くと夕空を仰いだ。西側のマンションの群に夕日は沈んでいって、あたり一面が橙色に染まっていく。その橙色の淡い光を高い建物が所々に遮って、夕日色に染まる箇所と、建物のせいで影になっている箇所がハッキリと分かれた。
「実験の結果、スパッツもスク水も、時間が余ったから試してみたストッキングも破裂。時間は五分一秒一八から、最終的には五分二秒九二まで延長かぁ……」
「うちの学校の体育、水泳は選択授業だし、女子の体育着はなんでも――つまりスカートでもOK。これだけが不幸中の幸いだな」
ふぅ……っと星宮はココアを冷まして一口飲む。
一方で俺はコーヒーの苦味をかみ締めながら、カフェインで頭が冴える感覚に身を委ねた。缶を傾けて、息継ぎをせず一気に飲み干す。嗚呼、いい感じに目が覚めるな。
「結局『どこからどこまでの衣類を着れるか』はわかったけど『私のデザイアが何か?』ってことまではわからなかったね?」
星宮の言うとおり前者はわかったが後者は今なお不明なまま。
でも、俺には何となく星宮のデザイアに心当たりが浮かんだ。
「なぁ、星宮。一つ俺の推測を聞いてくれないか?」
「なにかな?」
「星宮の願望って『大勢の人々から注目を浴びたい』ってものだと俺は考えるんだが」
「それは……どうして?」
ベンチ――俺の隣に座る星宮は、下から覗き込むように、小さく首を傾げて俺に詳しい説明を求めてきた。この時の彼女の様子は、普段の穏やかな感じとは少し違い、どこか俺のことを急かしている感じで。
当然か。俺の説明次第ではノーパンから解放されるのかもしれないし。
「実験ではスパッツもスク水も、時間が余ったから試したストッキングも全部破裂したけど、その度に制限時間は各々一瞬にも等しい時間だが延びていっただろ?」
「うん、そうだね」
「一巡目で星宮は『恥ずかしがり屋さんだから、それを克服したい』というデザイアを満たした。結果、スパッツは破裂したが本来の制限時間よりも一秒一八だけ長生きできた」
「ってことは、『恥ずかしがり屋さんだから、それを克服したい』ってデザイア候補が、弥代君の言った『大勢の人々から注目を浴びたい』って仮説と、どこか共通点があったっていうこと?」
「違う。次に二巡目――星宮がデザイア候補を満たしていなかったけど、けれども俺は第一段階を無視して第二段階に挑戦させたよな?」
「うん、覚えてる。デザイア候補を満たしてないのに制限時間が延びてビックリした」
「あれの意図を説明するとだな……なんで『屈折のデザイア』は発現すると思う? って聞いたら、星宮は『そこにデザイアがあるから』って答えただろ?」
「それがどうかしたの?」
「デザイアがあるから『屈折のデザイア』が起こるなら、デザイアを諦めればどうなのか試しておきたかったんだよ」
「そんな意図があったんだね……」
「でも結果はイマイチ。俺の捻くれた持論で星宮を論破しても『屈折のデザイア』の現象は発現した。『困難を乗り越える力が欲しい』というデザイア候補は、俺によって論破されているのに――つまり諦めているのに、それなのに現象が発現したとなると、これもハズレだ」
「でも、それなのに制限時間はここでも延びたよね?」
俺は熱の冷めたコーヒーの缶を投げて、公園に設置されているゴミ箱へ捨てた。
すると星宮が拍手してくるではないか。別段、たいしたことないのに。
「昼休みの検証の結果には、明確な共通点が存在した」
「……具体的には?」
「――最終的に衣類が破裂している」
「それって当たり前なことだよ!?」
がっくりする星宮。両手で包むように持っているココアの缶を、熱いのが苦手なのかチビチビと飲んでいく。その姿は希望が芽生えたのに、あっという間に潰えてしまって落ち込んでいるようだった。
「じゃあ、衣類が破裂した時のシチュエーションを思い出してくれ」
「……弥代君に繰り返しノーパンを見られた」
いじけるように星宮は頬を小さく膨らませる。
「正解。俺が星宮のノーパンを見ることが、制限時間の延長に繋がったんだ」
「え!? 皮肉を言ったつもりなのに正解だったの!?」
「ああ――考えてみろ? 一巡目はデザイア候補を満たしてから第二段階に移行したから制限時間が延びても疑問には感じない。けど二巡目は俺が星宮の言い分を否定して、デザイア候補を諦めさせたのに、制限時間は延びた。ここで疑問を持つべきだ」
「……どうして?」
星宮は小さく首をキョトン――っと傾げた。
「仮に二巡目のデザイア候補――『困難を乗り越える力が欲しい』という願望が星宮の本物のデザイアだとしたら、それを諦めたんだから『屈折のデザイア』から解放されてなくはおかしい。でもスク水が弾け飛んだことから正解ではないと断言できる」
「別におかしいところないよね?」
「ここまではな……疑問なのは『困難を乗り越える力が欲しい』という願望がハズレということは、俺の反論で星宮が意見を曲げても、本物のデザイアには影響が出ないんだよ」
「そっか、それなら本来、制限時間は変わらないはずなのに、なぜか延びている……ってことが不思議なんだね?」
「そう。デザイア候補を諦めた――つまりデザイア候補を満たしていないのに制限時間が延びているからな」
「う~ん……ちょっと難しくなってきたね?」
「あと少し頑張れ……で、最後に答え合わせをするか。一巡目はともかく二巡目のデザイア候補は絶対に本物のデザイアとは関係がなかった。それなのに時間が延長されるとなると、デザイア候補とは別の要因で時間が延びたと考えるのが妥当だろう」
「だとしても、なんでそれが『弥代君が私のノーパンを見る=制限時間が延びる』ことに繋がるのかな?」
「星宮は今更になるが『屈折のデザイア』を患ったせいでノーパンを強制されてるんだよな? つまりノーパンであることが星宮のデザイアをまがいなりにも満たしているんだ。だからノーパンそのものが、星宮のデザイアに繋がっている」
「…………あっ」
「じゃあここで最後の問題だ。体育倉庫で行った一連の実験。『制限時間の延長=星宮のデザイアが満たされている』という等式を踏まえ――制限時間が実験を繰り返すたびに延びたことから、それに伴い星宮の本物のデザイアが満たされつつあったことを意味する。更に条件を加えると『ノーパンそのものが、星宮のデザイアに繋がっている』なら、一連の実験で『繰り返し行われていたノーパンに関連する出来事』とは?」
俺は星宮に問うた。ここまでくれば星宮も答えをわかっているはず。彼女は恐る恐る、真実に手を伸ばし、自分自身のデザイアは知ることとなる。
星宮は、遠慮気味に、しかし確信を持って答えた。
「説明の最初に言ったように『弥代君が私のノーパンを目撃すること』――これが私のデザイアを満たす条件の一つだとしたら……」
自分の無意識の願望に気付いて、星宮は耳と首もとまで一瞬で紅潮させ。
はっきり明言しないが、それではダメだと思ったのか、小さく息を吸って――
「……『屈折のデザイア』が弥代君だけに適用されるとは思えない。弥代君にノーパンを見られるたび、私の願望は満たされていくけど、それだけでは全て満たされない」
「まあ、その通りだろうな」
「要するに弥代君にノーパンを見られちゃうとデザイアが満たされるけど、これは条件の一部であって全貌ではない。なら『弥代君がノーパンを見る』――もっと突き詰めるなら『弥代君が私に注目する』ということをおおげさに、規模を大きく考えるとなると……」
「俺が最初に言ったように『大勢の人々から注目を浴びたい』――これが答えになる」
俺が答えを告げると星宮は俺から目を逸らして、自分の足元を見つめた。きっと星宮は理解しているのだ。『大勢の人々から注目を浴びたい』というデザイアは、現段階では屈折していない。なら、果たしてこれが屈折したならばどうなるか? 星宮は少々抜けているところがあるが、しかし頭の回転が遅いわけではない。ならば当然、自分の置かれている現状もしっかり把握しているはずだ。
星宮は物憂い表情で、答えのその先を、小さく口にした。
「……私の『屈折のデザイア』は『大勢の人々から注目を浴びたい。だとしたら、注目を浴びたその瞬間、社会的に死んでもいいよね?』――こんな感じで合っているよね?」
「……残念なことにな」
沈黙。実験の時の恥ずかしい空気とは違う。この沈黙は意気消沈している時のモノだ。
少なくとも俺は、この静寂をそう捉えていた。が、星宮は違ったようで――
くすんだ青色の夜空を遠目に望みながら、星宮は俺に、自分の思いを吐露する。
「弥代君、ゴメンね? こんなことにつき合わせちゃって……」
「……何言ってんだ? 普通の男子だったら、土下座してでも関わりたいと思うだろ」
なんて、心にも思っていない。心にも思っていないことを口にして、俺は星宮の様子をうかがう。――星宮は俺の取り繕った言い回しに、首をゆっくり横に振った。
「あのね? 確かに私からしたら今日は恥ずかしいことばっかりだったけど、男の子にとっては美味しい出来事だったかな~、って考えることもできる」
「じゃあそうしろよ」
「でもそれは外側の話で、出来事の本質的には、いくら言葉をごまかしても『弥代君を私のわがままにつき合わした』ってことに尽きるんだよね。例えどれだけコメディな時間だったとしても、それを突き詰めれば、星宮奈々は自己中って結論になるし」
反論はない。星宮が自分でわかっている通り、今日の検証がどれだけ思春期男子にとって夢のような時間だったとしても、結局それは星宮のわがままなのだ。本来なら俺が付き合ってやる義理はない。
でも――星宮がこの現状で俺以外の誰かを頼ることは難しい。彼女の秘密を知っているのは俺だけなのだから。ならば俺がどうにかするしかあるまい。
「……そうだな、星宮は自分勝手だ」
「……うん、ゴメンね?」
寂しそうな顔をする星宮。彼女は悲しみを無理やり心の中に閉じ込めて、自虐的に笑った。俺のみたいにクラスの女子から嫌われているヤツの一言でも、星宮は真に受けてしまう。今俺が言ったように『自分勝手』と誹謗すれば、彼女はその評価を真正面から認めるのだ。ならば逆に、誹謗ではなく賞賛を口にしたとしても、星宮奈々はその言葉を照れながら、あるいはちょっぴり嬉しがりながら認めるだろう。
だから俺は今度、誹謗ではなく賞賛した。
「確かに星宮は自分勝手だと思う。でも言い方を変えれば、それはきっと自分に正直なことなんだよ。……星宮は俺がクラスの女子からなんて呼ばれているか、知ってるか?」
「ホモ川、だっけ?」
「……自分で肯定するのも虚しいが当たってる。で、そう呼ばれる原因は、俺が理央と結婚したいとか毎日のように叫んでいるからだろうけど……でも同じ女子でも茜は俺のことをホモ川ではなく、理央との親友って認識している。同じ出発点でも人によって認識が違うんだ」
俺はすっかり肌寒くなった秋の夜風に身を震わせながら喋り続ける。俺は星宮の方を見ていないし、星宮も俺の方を見ていない。俺たちは、二人揃ってただただベンチに座りながら前を、同じ方向を眺めていた。
「事実なんて視点によっても、距離によっても、人によっても変わるんだよ。だから星宮の今日の行動をどう判断するかは、結局人によって千差万別なんだ。だから気にするな」
「…………そっかぁ」
いつの間にか星宮の感傷的な面持ちは霧散していた。今はただ、感慨深く俺の言ったことに対して頷いているだけで。数拍置いてから星宮は何かを閃いて、俺の学ランの裾をクイクイっと引っ張る。
「なんだ?」
「私の今日の行動をどう判断するかが人によって千差万別なら、弥代君は私の今日の行動をどう判断するのかな~、なんて。聞いちゃダメ、かな?」
……
…………
………………
「――問題解決のために努力する姿勢は認める」
「――うんっ、ありがと!」
俺がぶっきらぼうに答えると、星宮はパァ――っと笑顔を咲かせた。
一〇月二四日(金)の夜八時。俺は理央の家へ泊まりに来ていた。
「弥代……? きもちいい、かな?」
「あぁ、気持ちいいよ……理央」
肌がすれる。体が熱い。汗が滴る。今、この空間には俺と理央しかいなかった。理央の手が布越しに触れる。布を超えて俺の体に理央のぬくもりが伝わって。心地いい緊張が、じんわりと、俺と理央の間に広がった。興奮する、俺と理央。
「かゆいとこあったら、言ってねっ」
別に……Hなことをしていたわけではない。ただ俺は、理央と一緒に入浴して体を洗ってもらっていただけである。理央は、俺の背中をタオルで一生懸命に、ゴシゴシ、と洗ってくれる。こうしているとまるで妹のようだ。理央は男(の娘)だけど。
「それにしても……なんか弥代、疲れてない?」
「よくわかったな。星宮の秘密を知ってから、星宮はもちろん、茜にまで以前より絡まれるようになったし。ここは、愛しの理央タンに癒してもらおうと思って」
「……委員長の秘密、言うわけにはいかないんだよね?」
「ゴメンな?」
素直に謝罪する俺。言うわけにはいかない。理央ならば『星宮の秘密はノーパン』と信じられない星宮の秘密を信じてくれるだろう。誰にも口外しないだろう。でもダメだ。信じる信じない、言う言わないの前に、俺が約束を破るという行為をしたくないのだ。俺自身の信念的にも、星宮の信頼のためにも。
「もう気にしてないよ。少なくともボクは」
「お、おいっ」
突然、理央は俺に抱きついてきた。背中から、俺の肩越しに腕を絡めてくる。理央の肌の温もりが、背中の全面に感じるではないか。理央の胸はぺったんこだったが、しかしフニフニで、余計なものがない分理央の心の律動が、トクン……トクン……っと背中に伝わってくる。すべすべで赤ちゃんのような理央の肌と俺の身体がすれると、理性が甘くとろけてしまいそうだ。肌が白く、線の細い、繊細なお人形のような理央の姿――抱きしめられると、甘い柔らかさを否応なしに意識してしまう。
「ねえ弥代? 体も洗ったし、湯につかろ?」
「そ、そうだな」
せまい浴槽に二人揃って入る俺と理央。体勢は俺が湯船の壁に背中を預ける感じ。理央はそんな俺を背もたれにして、俺の腕の中に収まる感じ。こうしていると、まるで新婚の嫁と旦那みたいだ。嫁といえば、一度でいいから理央にウエディングドレスを着せてみたいものである。
「なあ理央……お前ホントに男の子だよな?」
「うんっ、男の娘だよっ? 確かめてみる?」
あれ? 男の『コ』の漢字が違う気がしたのは気のせいか?
俺が雑感を抱いていると、理央は俺の返事を待たずに、自分の両手で俺の右手を優しく包み込んで自分の胸に誘導し――押し付けた。…………なんですと!?
「りっ、理央!?」
「えへへ~、恥ずかしいね?」
声がひっくり返ったような、裏返ったような……とにかく俺はすっとんきょんな動揺を隠せずに理央の名前を呼ぶ。対して理央は湯船に浸かって火照った体に俺の右手を押し付け。薄っすらと上気した表情で、そしてトロン……っとした熱を帯びた瞳で俺のことを見つめる。
「あれ? もう放しちゃうの?」
「これ以上触っていると理性が壊れそうだったから……」
「そっかぁ」
理央の胸から手を放す俺。これ以上触っていたら……ゲフンゲフン! ちなみに俺が胸から手を放すと、理央は寂しそうな顔をした。しかしだからと言っていつものように誘惑に負けてはいけない。誘惑に負けたら今だけは本当にまずい。
「遠野家の風呂場ってあんまり湯気で曇らないんだな……」
「今日はお風呂場の窓を開けてるから」
「あれ? 理央んちにそんなローカルルールってあったっけ?」
「ううん、今日だけ。なんたって湯気さんは邪魔だし、ボクは男の娘だから。レーティングになんの問題もないよ? 安心してお風呂を楽しめるねっ」
よくわからないが、遠野家のお風呂場は今日に限って換気されているらしく湯気は立ち込めていなかった。ゆえに理央のほんのり火照った肌も、その可愛らしくしなやかな肢体のラインも、更には胸の薄桃色まで俺の視界には鮮明と映る。
「明後日だね、文化祭」
ポツリ、と、呟く理央。首を少し回して、理央は俺のことを視界に入れると、ほにゃ、っていう効果音がしそうな柔らかい笑顔をして見せた。対して俺も笑ってみせる。そして理央の頭を撫でた。すると理央は、毛づくろいをするネコのように瞳を細めて喜ぶ。
「明日は土曜日だけど終日準備期間で全ての出し物の総仕上げ。で、理央の言うとおり明後日に本番――か」
「やる気出てくるよねっ」
「いやまったく。文化祭なんて女子がまた何かやらかしそうなイベントに、なぜやる気を出さなきゃいかんのだ?」
「また何か嫌な例えがあるの?」
興味深そうに理央は尋ねてくる。勘違いかもしれないが、理央は俺の愚痴を聞くときに楽しそうな顔をする。普通、人の悪口を聞いていい思いをする人なんて、いないはずなのに。それでも理央が俺の愚痴に付き合ってくれるときは、楽しそうだ。
ゴホン、と咳払いする俺。そして語り始める。
「理央は俺と小学校が違ったから知らないだろうが、俺の小学校には文化祭ならぬお遊び祭りがあったんだよ。まあ、中身はレベルが下がっただけで高校の文化祭と変わらないけれど」
「ああ、そうだったよね。それでお遊び祭りに何かあったんだよね?」
「オフコースっ! お遊び祭りの出し物で女子が発狂したんだよ。原因は客の少なさ。たこ焼き屋をやったんだけど、女子がたこ焼きを作れなくてな。男子が料理して、女子がウェイトレスをやったんだ。けど男子も少ししかできなくて、形がいまいちだったんだよ」
「それで、女子はどうして怒ったの?」
「自分たちができないくせに、男子に対して『もっと上手く作れ』って命令したんだ。それで男子は嫌になって、女子と役割を交換した。結論から言えばそれは失敗だったけど。女子の方が下手くそで、男子に対して『あたしたちに恥をかかせた!』って発狂するわけよ。最終的に全てを男子のせいにして、『男子のせいでお客さんが来なかった』って泣いたんだ」
「女子によくある責任の押し付けと、結果のすり替えだよね。ボクも弥代ほどじゃないけど、女子のそういう部分は嫌いだなぁ」
そう、男子の方がたこ焼きを作るのが上手かった。女子は下手くそだった。自分にできないことをしてもらうのに、女子は上から目線。そして、『自分にできないから』という理由で、男子に責任を押し付けたんだ。
結果のすり替えは、こういうことだ。『男子のせいでお客さんが来なかった』――これは正しくない。正確には『男子も女子も全員含むみんなのせいで、お客さんが来なかった』のだ。なのに『恥をかいた』という建前で自分を正当化、そして男子だけのせいにする。
「そういえば……弥代は文化祭って誰と回るの?」
「そうだな、やっぱり理央と茜と一緒に回ろうとしたんだが。俺と遊んでくれるヤツなんて他にいないし。もしかして迷惑だったか」
「ううん! ボクも弥代と一緒に遊びたかったから全然OKっ!」
心底嬉しそうに理央は浴槽の中で姿勢を変え、俺に抱きついてきた。で、理央は俺の体をギュ~~っとして離れてくれない。なにこれ天国? 俺は理央の体と自分の体が重なったせいで、心臓の早鐘を抑えきれなかった。
「あのさ、弥代? お願いがあるんだけど……」
「ん? お願いって?」
「明日、茜ちゃんに『学祭、一緒に回ろうぜ?』って誘ってくれない? そしたらボク、弥代のことをもっと好きになるなぁ」
「了解した! 例え明日に地球が滅んでも、絶対に茜を誘ってみせる!」
「えへへ~、弥代だいすきっ」
気のせいかもしれないけど……一瞬、理央の目が何か企んでいるように感じた。
「さあ、弥代っ、準備に取り掛かるわよ!」
茜は張り切っていた。それは見るからに。文化祭前日ということもあって、クラスどころか学校中が盛り上がっている。だが文化祭テンションを差し引いても、茜のテンションはすごく高い。
現在、俺と理央と茜は、教室にダンボールを敷いてその上で話している。
さて、俺たち三班は衣装も決まったし、占いの館に相応しい占いスペースも用意した。では、今日なにをするべきか? そうだな……
「で、弥代? 今日はなにするの? あと、委員長はどこに?」
「あいつはミスコンのリハーサルに行ったよ。何か用事ができたら体育館にいるから、だってさ。……今朝言われたんだが、二人に伝えるのを忘れてたな。ゴメンゴメン」
「もぅ、弥代ってば……」
小さく頬を膨らませて、軽く呆れる理央。
さて、一番始めの質問に戻るわけだが、今日は何をしようか。教室を見回す。装飾班は昨日のうちに全ての飾り付けを終えて、今は明日どこに行くかを楽しそうに友達同士で喋っている。当日の接客班は準備を終えて、身内で遊び半分練習半分の占いをしていた。宣伝班はポスターを貼り終えて、チラシも印刷済み。後は明日配るだけとなって、当日の接客班の占いに混じっていた。
みんな遊んでいるようだし、俺たちもならうか。
「今日は俺たちも自由にしていいんじゃないか?」
「それじゃあ、二人は明日どこ見てまわる?」
茜が俺に聞いてきた。それで俺は思い出す。
昨日、理央の家に泊まった際、風呂場で理央にお願いされたことを。
「なあ、茜? 明日さ、一緒に見てまわらないか?」
「は? ハアアアア――っっ!?」
驚く茜。視線は定まらないし。両手をあたふたジタバタと意味もなく振っている。そして頬が、というか顔全体がさくらんぼの如く真っ赤に染まった。そして、一通り混乱すると、熱が抜け切っていないがまともに喋れるようになる。
「どど、どうしたの弥代!? そんな急に……」
「いや……茜がこの頃やけに絡んでくるし……自惚れかも知れないけど、俺と一緒にいたいのかなって。だから一緒に文化祭で遊ぼうと思ったんだが、ひょっとして余計なお世話だったか?」
「べ、べべ、別にあたしはどっちでもいいけど、弥代がどうしてもあたしと一緒にいたいって言うなら…………えへへ」
少々だらしなく、茜は頬を緩ませた。幸せが咲く――というのは今の茜の表情を指すのだろう。年相応よりも幼い茜だが、普段を元気な子どもと例えるなら、今は無邪気な子どもと例えられる。俺の感想としては喜んでもらえて嬉しいし、照れている茜を可愛いと思った。
「ボクもついていっていーい?」
「理央もついてくるの?」
いきなりな理央の申し出に、茜は若干動揺した。俺としては理央も一緒のほうが断然嬉しい。理央との文化祭デートを楽しみたい、だけではない。茜との会話に困ることはないだろうが、いつもと雰囲気が違うし、なるべく第三者がいた方が安全だと思うから。
「大丈夫、アシストしてあげるからっ」
「ちょっと理央!」
アシストというのが何なのかは理解できなかったが、茜にとってはまずい言葉だったらしく、茜は両手で理央の口を押さえている。それに対して理央はモガモガ~と控えめに抵抗していた。
「じゃあ、明日どこを回るか決めようぜ?」
「ボクは一―四のクレープ屋がいいかなぁ」
思わず理央がクレープを食べている姿を想像した。はむはむ、とつぼみのような小さな花唇で、クレープを食べる。片手では不安定だから両手でクレープを持って、俺に向かって「おいしいねっ、弥代」と控えめに微笑んでくれる。そして俺が、理央の口端についたクリームをハンカチで拭いてあげるんだ!
「最高じゃないかアアアアア――ッッ!」
「え!? なに? 弥代もクレープ屋が最高だと思ったの?」
「え? いや……うん、そうだぜ?」
言えない。口が裂けても言えない。クレープ屋が最高なんじゃなくて、クレープを食べていた理央を想像して「最高!」って言ったなんて、口が裂けても……。
俺はごまかすかの如く、今度は茜に行きたい場所を聞いた。
「あ、茜はどこに行きたい?」
「う~ん……お化け屋敷に行ってみたい」
「王道だね、茜ちゃん」
お化け屋敷と答えた茜に、理央はグッ――と親指を立てて褒め称えた。お化け屋敷か。やっぱり理央と一緒に入ってみたいな。怯える理央が、怖さに耐え切れなくなって俺の腕にしがみつくイベントとか。やれる! やれるじゃないか!
「そういや、誰もミスコンを見ようと思わないのな」
俺が独り言のように呟く。
我が高校文化祭のミスコンは第四回目の文化祭から続く、伝統も人気もある出し物だ。文化祭で一番客の足が向く。その上、入場無料で楽しめるし、開催する時間帯も文化祭の最後にあたる。だからミスコンは文化祭のボルテージを最高潮にする、うってつけのイベントなのだ。
「だってミスコンに出場できるのって、クラスで一人だけでしょ? このクラスでは委員長が出場するし、他のクラス・学年でもあたしより可愛い子が出る。あたしだって女の子なんだから、そういう場にいたら劣等感を感じちゃうわけよ」
だから、茜は行きたくないらしい。
次いで理央の理由はこうらしい。
「だって、ボクはずっと弥代といたいもん。それなのにボクのわがままで、弥代をミスコン会場に引っ張っていったら迷惑でしょう?」
「クッソオオオオオ! 可愛いなァ! 可愛いなァ!」
なに、この子! マジで健気過ぎるだろ! 抱きしめたい、撫で撫でしたい、チューしたい。いやいや、それよりもペロペロしたい! さすが、マイ・ラブリーハニー理央タンだぜ! ヒィッ、ヒャッハーッッ!
なんてデレデレしていたら、隣から茜の冷たく鋭い視線が、俺のにやけ顔に刺さった。
「もしかして弥代は行きたかったの?」
「いやいや、理央。そんなわけがないじゃないか。ミスコンなんて敗者の憎悪と、優勝者の憐憫が闇鍋のように渦巻く、負の感情のゴミ捨て場だぞ?」
「あんた、今日も女子に対する表現が、厳選したかのごとく悪い意味で的確よね」
「やめろよ、茜~。照れるだろ?」
「褒めてないわよ!」
茜は今俺が言った発言を、悪口として捉えたらしい。しかし、悪口であっても事実には変わらない。そして、屁理屈であっても理屈には変わりない。うむ、今日も俺は女子に関することに捻くれている。実にいいことだ。
「でもミスコンの趣旨って『一番可愛い女子を決めること』だろ? いくらエンタメとして扱っても、人の外見に優劣をつけるんだから、醜い争いが起きても普通じゃないか?」
「……弥代……あんた、いつか女子から恨み買って刺されるわよ?」
「まあ、これでミスコンは見に行かなくていいって結果に落ち着いたな。他に行きたい場所はあるか?」
揃って首を横に振る二人。行きたいところがたったの二ヶ所では、当日時間が有り余るが、まあ……後は明日見回りながら決めればいいだろう。
と、そこで急に俺のスマホが鳴った。先生がいないかを確認して、俺はポケットからスマホを取り出す。電話の相手は――星宮。
「もしもし、星宮か? どうした?」
『あ、弥代君っ? お願い! たた、助けて!』
着信に応答すると、いきなり星宮に助けをお願いされた。嫌な予感しかしない。絶対にノーパン絡みの問題が発生したな。俺たち――俺と星宮はお互いの秘密を守り、そしてお互いにフォローする関係。助けるのは、嫌々だがやるしかない。
「落ち着け。まず現状を説明しろ」
『はは、はいっ!』
通話越しにでも慌てているのが、焦っているのが十分に伝わってくる。舌を噛みまくりだし、かつ舌も悪いし、何よりも語気から感じ取れる動揺がすさまじい。
そんな星宮に話の主導権が務まるわけもなく、俺は星宮から主導権を奪い、現状の説明を求めた。
『ノーパンが! 私の秘密がばれそうなのっ! どうしたらいいのかな!?』
嗚呼、ダメだ。全然要領を得ない。これは一度直接会って、落ち着かせるしか……めんどくせぇ。だが、そんなことも言ってられないしな。
俺は星宮に「今から会いに行く」と断って、電話を切った。
「弥代? 委員長がどうかしたの?」
「別に理央が気にすることじゃねぇよ。ミスコンのリハーサルでコスチュームが必要になってな。それを忘れたから、持ってきてほしいだと」
心が痛む。理央にウソつくなんて、秘密を貫くよりも精神に来るものがある。それでも俺は約束をした以上、星宮を助けなければならない。
だが、本当に問題なのは――
「弥代、委員長のとこに行くの?」
「茜……」
不安げな表情、だが、俺のことを正面から見つめてくる茜。今にも泣き出しそうで、怖い。こういうとき、気が利いたら安心させられることを言えるのに、あいにく俺は女子嫌いだ。そんなことを言えるか否かどころか、セリフが思いつきもしない。
そんなセリフが思いつかないからこそ、俺はその場しのぎのセリフを言う。
「茜……」
「…………なに?」
「一つだけ、今この場で一つだけお前の質問に答える。それで満足してくれないか?」
卑怯で姑息で、最悪だ。俺は茜に、幼馴染に、昔からの親友に、妥協してもらおうと思っている。いや、もっと悪い。妥協してもらえるように誘導している。俺は茜がしてくるであろう質問をわかっているつもりだ。だからそこに誘導。自分で自分が嫌になる。
そして、俺が予想する茜の質問とは――
「弥代は――委員長のことが好きなの?」
秘密のことよりも、俺と星宮の関係のことよりも、何を差し置いても俺の気持ちを聞き出したい。茜がそう思っていると理解していたから、こんな提案をしたんだ。
最近、茜が俺に絡むようになったのは間違いなく星宮が原因だ。では、なぜ茜は星宮を気にかけるのか? 原因の原因は? 答えは、俺を奪われたくなかったから。
さて、茜の質問に対する返事。この質問を予想していたんだから、返事も当然用意している。
「茜の方が好きだ」
死ねよ、俺。これで茜は満足する。で、だからなんだ? この気持ちはウソじゃない。間違いなく俺は星宮と茜を比べたら、茜を選ぶ。でもこんなの茜の好意を利用した、感情を軽んじた納得の強制じゃないか。
俺にだって言い分はある。俺は二人を比べたら茜の方が好きだが、今回、二人の事情を比べたら星宮のほうが重い。そこに俺の感情の強さは関係ないはずだ。
どうしようもなくなって、最終的に俺は――
「少し抜け出す。すぐに戻ってくるよ」
「あ……っ」
俺は立ち上がると、急ぎ足で教室から飛び出た。理央と、呆然とする茜を残して。
廊下を歩く。床に八つ当たりするかのごとく、踏みしめる力を込めて荒々しく進む。両手を握り締めて、奥歯をかみ締めて、苛立ちを紛らわせるかのように早歩き。
体育館の入り口に到着すると、星宮が不安げに立っていた。というか、俺のことを待っていた。近づくと星宮は俺の存在に気付き、安堵の表情を浮かばせる。
「どうしたんだ? ノーパンがばれるって一体?」
「ご、ごめんね……実は……」
周囲に人影がないかを確認する星宮。それに俺もつられる。周りには誰もいない。星宮は二人きりであることに安心すると、急にうつむいた。そして申し訳なさそうに、何が起きたのかを説明し始める。