放課後。普段は使われていない空き教室。カーテンが締め切られた中、多くの机が積み上げられている。机の上に、ひっくり返された机が積まれて、さらにその上に椅子まで積み上げられて、ぎゅうぎゅうとなっている。無理やり空けられたスペースにぽつんとひとつに机が置かれていた。そしてその上にひっくり返された机ではなく、水晶玉が乗っていた。
外でざわざわざわめく運動部の生徒たちの声。その空き教室の中では水晶玉に向けてセーラー服の女子高生が銃を向けていた。その銃はホンモノの銃と呼ぶにはあまりにウソっぽいつくりであったが、オモチャの銃と笑いとばすにはあまりに真実味があった。
「“見せたまえその姿 見せたまえその蠢き 浜風に乗りて我が意思の元に”」
女子高生はそうぶつぶつと呟くと、手にした銃の引き金に細長い人差し指を掛けた。
「【ウィデオール】」
バシュンと撃鉄が鳴った。銃から発せられた青い光は水晶玉に当たる。水晶玉は赤く光って跳ねた。
水晶玉の揺れが収まると、水晶玉は映写機のように映像を映し出していた。それも、何処かスクリーンがあるわけではなく、空気しかない宙にである。暗い空き教室の中ふらっと女の子の姿が浮かんでいた。その女の子もどこかの学校の教室の放課後のざわめきの中にいた。女の子はくりくりとした目とふっくらとした柔らかい頬が印象的な女子中学生で、ブレザーをクリスマスプレゼントのラッピングのように着ていた。
彼女の後ろには、椅子に座り、ホログラム映像を真剣に見る男子高生の姿があった。銃を構えていたセーラー服の女子高生はそっとそれをおろし、振り返って言う。
「タケヒロ。もう一度だけ聞くけど、ホントにやるのね」
女子高生はうんざりと言う。もう一度と言って、これを聞くのはもう百度目を越えていた。そして今回も返事は同じだった。
「ああ」
男子高生は答えた。彼の目は映像の女の子しか見ていない。女の子はまわりの同級生に「じゃあね」とにこやかにあいさつをし、マフラーをくるっと首にまわしていた。
「もう一度言うわね」
女子高生はなんとしてもと言う。
「魔砲をつかって妹を監視するなんてマトモな行為じゃないわよ」
男子高生は面倒臭そうに返す。
「マトモって何だよ。俺はナオのためならマトモであることなんてまったく大したことだとは思わねえよ。それによ……」
男子高校生は睨む。銃を構えた女子高生をまじまじと。
「俺たち魔砲使いだろ。魔砲使いが常識を語ることほどバカバカしいことはねえと思うけどな」
女子高生は息を飲んだ。水晶玉のホログラム映像は、女子高生の持っている銃から出た魔砲力により映しだされたものである。
「モリノ、お前俺に協力するって言ったろうが。なら黙って協力しろ」
ぐうの音も出ない女子高生。だが、と彼女は最後の反抗をしようと息を吸った。
「タケヒロ。あなたがナオちゃんのことを常に目のかかるところに置いておきたいってのはわかる。常に自分のものでいてほしいって気持ちもね。私もナオちゃんみたいな可愛い妹がいたらおんなじ気持ちになるわよ。でもね、いつかは来るの。ナオちゃんがタケヒロのものじゃなくなる日がね。あんたはそれを拒みつづけて、一生ナオちゃんを手放さないつもり?」
女子高生は一気に息を吐きだした。カーテンを風がゆらした。
「その通りだ」
こう男子高生が返したので女子高生は肩の力がガクッと抜けた。
「あんたねぇ……」
女子高生は呆れかえった。
「なんでか教えてやろうか」
男子高生はつづける。
「俺がナオの兄貴だからだよ」
男子高生は自信たっぷりに言ったので、女子高生の肩はもう一段下がった。多分こいつには論理性などいっさい通用しないのだろうというあきらめが女子高生を支配した。
「ナオ……」
男子高生は顔の前で手を組んで、きゅっと目をつむった。
フライパンにとき卵が落とされた。じゅわりと音が鳴って黄色い液体がふわっと湯気を立てて固まりになっていく。その卵をさいばしでかき混ぜる力強い手があった。台所には学ランの上にエプロン着た男子高生が立っている。
麗美武洋。高校二年生。
クンクンと鼻の鳴る音がした。武洋の脇の下からひょっこり顔が出てきた。
「ふふ、私お兄ちゃんのいり卵大好き。だって砂糖たっぷりですんごい甘いんだもん」
それは大きな瞳の、トイプードルみたいな女の子だった。
麗美奈緒美。中学二年生。
「おいおいナオ、座って待ってろって」
武洋は言う。
「ごめん。私、いやしんぼさんだから」
おどけながら奈緒美は言う。
次に奈緒美は炊飯器に駆け寄る。ご飯はもうすぐ炊けるようで湯気がしゅうと出ている。それをやけどをしないようにやや距離をおいて奈緒美はクンクンと匂いをかぐ。そしてなんとも幸せそうな顔をした。
食卓に茶碗一杯のご飯が置かれる。奈緒美は両手を合わせていただきまーすと笑顔で言うと、いり卵をご飯にのっけて頬張った。
「ああ、幸せ」
奈緒美はにっこりと言う。それを見て武洋は思った。
可愛いなあ。
顔がだらしなくゆるんでいる。でもそれも仕方ない、目の前にこんなに可愛い子がいるのだから。幸せなのはこちらの方である。
「お兄ちゃん」
奈緒美はテーブルの下からひょっこりと何かを出した。
「これ、とっても美味しいんだルン」
奈緒美が抱えていたのはホタルイカのぬいぐるみだった。
「……なんだそれ?」
一転、渋い顔をしてしまう武洋。
「お友だちだよお友だち」
「……兄貴としては、もう少し友だちは選んだ方がいいと思うが」
このぬいぐるみは実に気の抜ける顔をしている。ホタルイカというモチーフの微妙さに加えてぼんやりとした真っ黒な目がやる気を根こそぎ奪っていく。ゆるいを通りこして腹が立ってくる顔である。
「【セサルン】って言うんだよ」
「名前までつけたのか」
武洋はついでにその名前の理由を聞く。
「頭にゴマみたいなつぶつぶがあるのね。ゴマを英語にするとセサミ。で、足がルンルンとして楽しそうだから【セサルン】。いい名前でしょ」
武洋は虚脱した。はっきり言って奈緒美のセンスは全体的に少しずれている。美的センスはこの赤茶色のムカつく物体を心から可愛いと思っているくらいだし、ネーミングセンスも異次元を経由している。
「ホントありがとねお兄ちゃん、こんな素敵なお友だちをプレゼントしてくれて」
奈緒美はそう言った。そう、このぬいぐるみを彼女にお土産としてあげたのは武洋だ。けれど武洋にはこんな変なモノを妹に送る気なんてなかった。
悪いのはモリノだ。
武洋はこのお土産をかわりに選んだ女子高生の顔を憎らしげに思い浮かべた。武洋はついこの間まで、射撃部の全国大会で富山県に行くとウソをついて家を何日か開けたことがあった。そのアリバイづくりに新井場杜乃という高校一年生の後輩に、全国大会優勝のウソ賞状とともに富山っぽくて奈緒美が喜びそうなお土産を頼んだ。頼んだ結果がこれである。
あの女の嫌がらせだ。
奈緒美が包み紙を開けた瞬間、武洋は激しい殺意が杜乃に向けて沸いたが、奈緒美が「可愛い」とホタルイカをぎゅっと抱きしめたので、その怒りはおさまった。奈緒美はウソをつけない。ウソがとにかく下手でウソをつくと眉毛がぴくぴくと波打つ。だから彼女はこのホタルイカを本当に可愛いと喜んでいたのだ。
まぁいいか。
武洋はほっと息をついてご飯といり卵を口の中に入れた。ささいな問題はあれど、自分の目の前にはこんなに可愛い妹がいる。そして妹はこの自分を心から愛している。「世界一の兄貴でいること」。自分の生きる目的は現在進行形で達せられているから。
ここで奈緒美がぬいぐるみをそっと膝に置いた。そしてさみしそうな顔をした。まるで彼女らしさがない表情だった。
「どうしたナオ!? やっぱりそのぬいぐるみ可愛くないか。それなら待ってろ。今すぐモリノをもう一度富山にパシらせて、代わりのお土産持ってこさせるから」
焦ってスマートフォンを手にする武洋。
「違うの!! お兄ちゃん」
奈緒美は武洋を止める。
「いやその……お兄ちゃんはホントすごいなって……」
奈緒美の言葉に、何を当たり前のことを? と武洋は不思議そうな顔をする。
「射撃部で今回も全国大会優勝でしょ。勉強はいつも学年でトップだし、見た目も王子様みたいでモテモテ。料理うまいし、加えてお土産のセンスも抜群。それに比べて妹の私は……つりあわないよね」
奈緒美の顔は、ひきつったへらへら笑顔だった。
「そんなことねえよ。ナオみたいな最高に可愛い妹がこの世界に、いやこの宇宙にいるもんか」
武洋の言葉にいっさいの誇張はなく、彼が心の底から言った言葉だった。
「料理だって俺並みに上手いじゃねえか。おとといの餃子も最高に美味かったし」
武洋は冷蔵庫に貼ってある【食事当番表】を箸でさして言う。
「それはお兄ちゃんが優しいからそう言ってくれるんであってね……。餃子だってふつうだよ。ホント私なんにもできないじゃん……」
「だからそんなことねえよ。それに例えなんにもできなくても、俺にとってナオはそこにいて笑ってくれているだけで最高の妹なんだよ」
じれったくなった武洋は、立ち上がってテーブルの向こう側に行き、奈緒美を抱きしめた。奈緒美はにっこり笑ったが、そこには先ほどのような屈託のない笑顔はなかった。
*
ゴンと音が鳴った。
「いってーーーーーーーーー!!」
武洋は頭をおさえた。セーラー服の女子高生、新井場杜乃が拳銃の持ち手で思いきり武洋の頭を叩いていた。
「なにすんだよモリノ」
「せっかく監視魔砲つかってやってるのにあんたがぼーっとして、水族館のマンボウみたいな顔してたから腹がたったのよ。ホラ、ナオちゃん学校の裏門のところで立ってるわよ」
きびきびと指をさす杜乃。映像の中の女の子、麗美奈緒美はひと気のない裏門の前で立っていた。
「これはどう見ても誰かを待ってるわね」
「誰かって、誰を?」
「……わかってるでしょ。ホントは」
杜乃はにやあと笑った。武洋は有無を言わずに懐から拳銃を取りだし、持ち手のところで杜乃の頭を殴った。先ほどと同じくらいのゴンという音が響いた。
「いたっ!! 何すんのよ」
「いや、お前が葉っぱを食うときのキリンみたいな顔をしてたから腹がたってな」
武洋はそう言った。杜乃はぷくっとほおを膨らませた。
武洋は確かにうすうす思ってはいた。明らかに奈緒美は誰かを待っている。しかもただの友だちを待つならばこんな人通りのない裏門で待つ必要はない。背中に汗のつぶが浮かんでいた。正直、今から見る景色が、自分の人生で最悪の景色になるかもしれないという嫌な予感が彼を押しつぶしそうにしていた。
ビービー!!
大きな音が鳴った。武洋と杜乃は同時に身体をすくませる。それは先ほどホログラム映像を作るきっかけをつくった杜乃の【拳銃】からだった。それだけではなくもう一箇所、武洋のポケットも鳴っている。彼は苛立ちながら胸に手を入れ、彼の【拳銃】を取り出した。
『緊急連絡、魔砲犯罪発生。魔砲犯罪発生』
さらに銃はけたたましくそう告げる。女子高生はごくんとつばを飲んだ。
男子高生がドンと銃を机に叩きつける。女子高生の銃も取り上げドンと叩きつける。銃から鳴るサイレンは止まった。
「よし」
武洋は銃をほっぽり出しホログラム映像を見つめた。
「何が『よし』なのよ。何が」
事件が起きてんでしょ事件が。と杜乃は唾を飛ばして怒る。
「……人生の一大事なんだよこれは。人生の一大事にちょっとくらい怠慢しても神様はきっと許してくれるっつうの」
「てまえ勝手に神様の度量を決めんな」
杜乃は拳銃を水晶玉に向け、引き金をひいた。ホログラム映像が消える。
「ああ」
武洋はテレビを消された親父のように情けない声を出した。さらに杜乃はポケットからバッジを取りだし、それを武洋に突きだす。そのバッジは真っ黒くぬられた四角形の中に真っ白な丸が描かれていた。
「……わかったよ」
武洋はしぶしぶ自らのポケットをまさぐり、同じく真っ白な丸が描かれたバッジを取りだした。
*
小学生の男の子がコンビニにやってきたのは、大好きなゲームのキャラのシールが入ったウエハースを買うためだった。そしてそれをサッと買いすぐに店を出ていくつもりだった。が、そうはいかなかった。
自分の前にならんでいた三人組の男たち。手に何も持たずにやけにものものしい雰囲気を出しているので男の子は少し怖かった。
そいつらは自分の番になると、一番前の男がふところから銃を取りだし、店員に突きつけた。
「金を出せ」
ただそう言った。
「冗談でしょう」
店員は鼻で笑った。なぜならその銃はとてもホンモノには見えなくて、オモチャの銃にしか見えなかったからだ。でも、男の子は直感的に思った。これはテレビのサスペンスドラマとかでみるような見た目とは違くて、すごくウソっぽいけど、【ホンモノ】だって。
銃を持った男はふと笑うとブツブツと何やらつぶやきはじめた。そして言った。
「【イグニゾン】」
引き金がひかれた。その銃の先から出たのは野球のボールくらいの火の玉だった。それが肉まんの容器にあたり、肉やピザやこしあんの具が爆ぜた。
店員は「ひぃ」とたじろいだ。男はにやりと笑う。店員も気づいた。これは【ホンモノ】だってことに。
店員は男たちが言うがままにレジの中身をすべて出した。
「おい、本当にこれしかねえのかよ」
レジの中にあったのは5万6千4百4十3円。クーポン券が300円分。そしてアイスの当たり棒が一本だった。
「はい、さっきレジ清算したばっかりなので」
店員は震える声で言う。
「ふざけんな。こっちは危ない橋渡ってんだよ。それがこれしかねえってどういうことだ」
男の一人が店員の胸ぐらをつかむ。店員は身体が縮こまって、何も言い返せずにいた。
「おいガキ、何見てんだよ」
男の一人の目線が男の子へ向いた。今まで傍観者でいられた男の子も、自分が当事者になったことがわかった。あの銃の銃口もこちらへ向いている。
「なあ、こいつヤッチャッテいい?」
男は仲間に聞いた。
「ああいいんじゃね。ガキのひとりくらい。だって俺たち偉大なる【魔砲使い】なんだから」
そういってゲラゲラと笑った。
男の子はたじろいだ。奴らの言っている言葉の意味はよくわからないが。自分のことを虫けらのように思っていて、こっちを殺すことに何の抵抗もないことがわかった。
男の子は意外でしょうがなかった。自分の人生がちょっとお菓子を買いにきたコンビニなんかであっさり終わってしまうなんて。意外である以上に、そのことが悔しくて怖かった。
「……助けて」
男の子は誰に言うでもなくそう呟いた。
それは恐ろしい勢いで飛んできた。隕石みたいに空の上から、スーパーカーもびっくりのスピードでぐんぐん近づいてくる。そしてそれはそのままコンビニの自動ドアをぶち破った。
それはスーパーカーでも隕石でもなかった。学ランを着た男子高生だった。
男の子も強盗犯たちも、きょとんとそれを見た。
後ろからもうひとり飛び降りた。今度はセーラー服を着た女子高生だった。
そして彼女は、まず男子高生の頭をひっぱたいた。
「おいタケヒロ。何自動ドアぶっ壊してんのよ」
男子高生は答える。
「俺はな、一秒でも惜しいんだよ。悠長にあのおなじみののんびりとしたいらっしゃいませ音楽とともにドアが開くのなんか待っていてたまるか。それによお……」
男子高生の顔がゆっくりと強盗犯の方へ向く。
「こいつらが壊したことにするから問題ないって」
強盗犯たちの顔がきゅっとこわばる。
「……何が問題ないのよ」
女子高生は呆れてため息をついていた。
「なんだよお前ら」
強盗犯が男子高生に聞く。
「こういうお仕事をしているものです」
男子高生は気の抜けたですます口調で胸のバッジを指し示す。
「11課か……」
「そうです。【魔砲戦騎】です」
男子高生がこう言った瞬間に強盗犯が三人そろって銃を突きつけた。
「会いたかったぜ偽善者集団」
強盗犯が口を歪めて言う。
「俺たち魔砲使いは、ふつうの人間より優れた存在なんだ。優れた存在っていうのはな、ふつうの人間より多くお金をもらったり、多く賞賛をあびるべきなんだよな。けれどどうだ。俺たち魔砲使いはふつうの人間に気を使い肩身を狭くし、その能力を隠して生きなきゃいけない。まるであべこべじゃねえか。こんなバカな話があるか」
強盗犯は両手を差し上げながら話す。
「そして、そのあべこべの片棒を担いでいるのがお前ら11課だよ。ホント胸くそ悪くてしょうがねえ」
銃口がゆらゆらと揺れている。
「この世の根本に戻ろうじゃねえか。弱肉強食。実力的に上のやつが下のやつを好きなようにできる。こっちの方がはるかに理論的な社会のあり方だとは思わねえか」
強盗犯たちはお互いアイコンタクトをして、自分たちの主張がいかに合理的であるかを確認しあった。男の子はお菓子の袋を抱えたまま不安げな顔でそれを見た。
「……で、言いたいことはそれだけ?」
「は?」
「俺さあ、さっさとお前ら捕まえてナオの見張りに戻らなきゃいけないから」
男子高生は三つの自分に向く銃口など全く気にしていなかった。強盗犯たちは明らかに怒った。ひとりの指が引き金にかかり、ぶつぶつとつぶやかれる。そして引き金がひかれた。
「【イグニゾン】」
先ほどと同じ火の玉が男子高生に向かう。男子高生はふところに手を潜らせ素早くそれを取りだした。彼もまた、あの【銃】を持っていた。彼の口からなにやらつぶやかれると、バッと銃を天井に差し上げた。
「【ディフェンシオ】」
真っ青な壁が彼を包んで、火の玉を受けとめて消滅させた。強盗犯たちはたじろぐが、もう次の瞬間には男子高生は動いていた。ひとりの間合いに踏みこむと銃を持った右手を上へ差し上げる。その強盗犯は慌てて銃口を向けようとするがもう遅い。男子高生の銃を握った拳がアゴを直撃していた。もうひとりが彼に銃口を向ける。
「【グラウリュート】」
氷の粒が銃を弾いた。見ると女子高生が銃を構えており、氷の粒は女子高生の銃口から出たものだった。そして二発目の氷の粒が強盗犯の顔を直撃し、とりもちのように壁と顔をつなぎ合わせた。
最後に残ったひとりは強張りながら銃を構える。男子高生は悠長に銃口を向けて近づく。強盗犯は震えるくちびるでぶつぶつと唱え、引き金の指に力を入れた。
「【イグニ……】」
「【イグニゾン】」
強盗犯の声を男子高生の声がかき消した。そして男子高生の銃口から火の玉が出た。先ほど強盗犯が出したものは野球のボールほどだったが、その火の玉は大玉転がしの大玉ほどの大きさはあった。その火の玉は強盗犯のほおをかすめた。棚をふたつほどなぎ倒しドリンクのクーラーに直撃した。そこにはぽっかりと大きな穴が空き、湯気となった炭酸飲料の甘いにおいがした。
「タケヒロ、何やってんの!!」
女子高生が怒った。
「正当防衛でしょ。だから大丈夫だって、こいつらがやったことにすれば」
そう言って男子高生は強盗犯に近づいた。強盗犯は腰を抜かして、もう戦意を喪失していた。ぬーっと男子高生は顔を強盗犯の顔へ近づける。
「あのさあ、さっきあんたが言っていたことさあ、全くもって正しいとは思わねえんだけどさあ、例えそうだとしてもダメだと思うぜ」
男子高生はポケットから懐中時計のようなものを取りだした。それをぱちりと開けると強盗犯の顔に突きつける。
「この数字が、さっきのあんたの魔砲力ね、【522mp/s】。ホント、ゴミみたいな数字でしょ。で、ちなみにこれが俺の数字ね」
ぱちりと一旦懐中時計もどきを閉めてからもう一度開ける。【6051】。そこには青の文字でそう書かれていた。
「で、あんたら今日いくら取ったの」
「え?」
「いくら取ったの」
男子高生は強盗犯のひたいに銃口を突きつける。強盗犯は涙目で答える。
「5万6千4百4十3円です」
「は?」
少し高圧的な口調が飛んだ。
「あ、5万6千4百4十3円です……、あとクーポン券と、これ……」
アイスの当たり棒を出す。男子高生はそれを左手で取ると、ぽきりと折った。
「偉そうなこと言ってるわりなはなあ、実にくだらないことをやってんだよお前ら。そのくだらないことが俺の最上級に重要な時間を邪魔したんだよわかるか? それくらいの金、魔砲つかって脅すんじゃなくてちゃんと汗水たらして働いて稼げ」
男子高生は強盗犯の胸ぐらをつかんで言う。
「まずさあ、魔砲っていうのはそういうことのためにあるんじゃねえんだよ。そうだなあ……つまりな……」
他人を威圧したり、自分の利益を貪る道具にしたり、そういうことではない。男子高生は強盗犯を背に、呆れながら立ち上がった。そしてずっとその様子をじっと見ていた男の子と目があった。
「……魔砲っていうのは、【奇跡】がこの世界にちゃんとあるって、みんなに教えるためにあるんだよ」
男子高生は男の子にむけて笑顔を浮かべ、銃口を天井に向けてぶつぶつとつぶやいた。そして引き金をひいた。
「【イグニゾン】」
銃口から火の玉が発せられた。今度はさっきの赤い大きなひとつの火の玉ではなく。様々な色の小さな火の玉だった。青黄色紫桃色水色橙色緑。虹色のアメ玉がコンビニ中を駆けめぐりきらきらと輝かせていた。男の子は信じられなかった。見慣れたコンビニなのに、そこはまるで光の水族館のようだったからだ。間もなく光がおさまり、ただのコンビニにそこは戻ったが、男の子の胸の中の興奮は収まらなかった。
「武洋さーん、杜乃さーん、ただいま到着しました」
割れた自動ドアの隙間から、もうひとり女の子が現れた。コーヒー牛乳のような褐色の肌をして学生服を着た、女子中学生か女子高生といった女の子だった。
「ああクラちゃん、ご苦労様」
セーラー服の女子高生が言う。
「いやあ武洋さん、また派手にやらかしましたねえ」
褐色の彼女はボロボロの店内を見て言う。
「でもさすがです。こんなにはやく魔砲強盗を捕まえるなんて、ナイススタイルです!!」
褐色の彼女がグッと親指を差し出した。男子高生もグッと親指を差し出し、ふたりは親指を重ねあった。
「あのさぁ、課長をはじめ、みんなで寄ってたかってタケヒロを甘やかすからいつまでたっても図に乗るんでしょコイツ」
女子高生がイライラしながら言う。
「おいモリノ帰るぞ」
とんとんと男子高生が女子高生の肩を叩いて急かす。
「クラちゃん。後処理任せたから。よろしく?」
こう軽く言った男子高生に腹がたったのか、女子高生はもう一回彼を殴った。
「ハイ、こっから先は私の仕事ですんで、頑張ります」
褐色の彼女はぎゅっと拳を握った。男子高生と女子高生は空を飛んで消えていった。褐色の彼女はひとり残って「お疲れ様でーーーす」と手をふって見送った。
「さてと……」
後から到着したパトカーから出てきた警官が犯人を連れて行ってくれた。店内もテープをはって進入禁止にしてくれた。しかし店の前には、男の子をはじめ、店員と何人かいた客、そして後から来た野次馬がうじゃうじゃ押しよせて、かなりのごった返しと混乱を見せていた。
「ハーーイ皆さん、注目でーーす」
褐色の彼女は右手を差し上げた。
「えーーと皆さん、たった今とんでもないものを見てとても心が乱れちゃっていると思います。平常心じゃあないと思います。ということでとりあえず気を落ち着けるために深呼吸をしましょう。はい一旦からだの中にある空気を吐ききってから、背筋を伸ばして大きく息を吸ってください。山の上で早起きして日の出を見ている情景を浮かべながら。はいすーーーーーー、と吸ったらぁ、大きく吐いてください。日ごろのストレス、ムカつくお母さん、お父さん、先生さん、クラスメイトさん、上司さん、先輩さん、同僚さん、後輩さん、だんなさん、おくさんに対しての怒りも一緒に、はーーーーーーーーー。はいどうですかー、落ち着きましたかーー。……まだ興奮冷めやらぬ方もいらっしゃるみたいですね。では少しお話を。今日は【コンビニ】についてです。皆さん、コンビニって真夜中でもピカピカ光っていますよね。心細い私たちの心を照らす灯台みたいな存在ですね。で、つい用もないのに中に入っちゃったりして、で、食べるつもりもないお菓子を買っちゃって食べちゃったりして、で、また体重が…………と、それは置いておいて、コンビニってあんなに明るくて、私たちは呼びよせられるのに、虫さんってあんまり呼びよせられていないと思いませんか。ホラ、夏の夜の自動販売機とか虫さんがいっぱいはりついていて買えないってことないですか。でもコンビニの窓にはりついている虫さんっていないんです。なぜか。それはコンビニの明かりは【紫外線】をカットしているからなんです。そうです。あのお肌の大敵の紫外線です。虫さんって実は光は紫外線しか見えていないんです。だから紫外線をカットしたコンビニって、虫さんにとってはとても真っ暗に見えるんです。怖くて近づこうと思えないんです。あんな眩しいほどに光っているのにね。こういうことって世の中結構あると思うんですよね。見えないと思っていても本当はそこにあって、見えていないのはその人だけってことが。……。さて、皆さん、そろそろ落ち着きましたでしょうか。落ち着いたところでこちらを見てください。私の左手です」
皆、褐色の彼女の左手に目が吸いつけられる。彼女が持っていたのは銃。銃口は天へ向いている。先ほど強盗や男子高生が持っていた銃と同じだった。
「【アリエノン】」
彼女がにっこりしながらそう言って引き金をひいた。銃口が青紫に光った。それを瞳に映した人々の表情が魂が抜けたようにうつろになっていく。
「はい、今皆さんが見たものは全部夢です。ウソです。幻です。なのですぐに忘れてしまって、気持ちよく気持ちを切り替えて、お仕事やお勉強頑張ってください」
ここで褐色の彼女はぱちんと両手を叩いた。再生ボタンを押されたように人々は我に帰り動き出す。まるで何事もなかったかのように。
「ご静聴、ありがとうございました」
彼女は最後に、ぺこりと頭を下げた。
それから数時間後、夕暮れの公園でブランコに座る男の子がいた。今日あったことをまるで覚えていなかった。コンビニの爆発事故に巻き込まれたらしいが、それを全く覚えていない。ただポケットにウエハースのお菓子があることから、自分はそれを買ったんだという事実があるだけだ。男の子はウエハースの袋を開けた。
「うそっ」
そこにあったのは、ずっと欲しかった金色に輝くレアシールだった。今まで何個買っても手に入らなかったのに……。
それを夕日にかざして、男の子は思った。
ああ、【奇跡】ってあるんだなって。
*
話は戻る。
武洋と杜乃は、空き教室へと戻ってきた。
「おいモリノ、さっさとつけろ」
武洋が催促するが、杜乃は息を切らせてぜえぜえと言っている。武洋が無理に彼女を飛ばしたためだった。
「多分さあ、間違えなくあんたって死んだら地獄に落ちると思うわ。っていうか是非とも落ちて欲しいわ」
疲れと恨みがましさが混じった表情で銃口を水晶玉へ向ける。そのまま引き金をひこうとするが、そこで手を止めた。
「……おい、何で止めんだよそこで」
「あれから何分たった?」
「急いだから10分もたってねえよ」
「ちょうどいい頃合いじゃない」
「何がだよ」
「ナオちゃんが待ち合わせ相手と会って、仲良くいちゃいちゃしはじめるには」
「は?」
「ホラさ、映像つけたらすぐにそういうシーンが来るかもしれないからね。タケヒロ、心の準備しといた方がいいんじゃない」
心臓麻痺で死ぬかもよ、とにひひ笑いで彼の方を向いた。
武洋は金剛力士像のような表情で杜乃を見下ろしていた。杜乃はサーっと血の気がひき、そっと銃口を水晶玉へ向けた。
「【ウィデオール】」
水晶玉の上に映像が浮かんだ。
武洋のつむじが、そして杜乃のつむじがぎょっと揺れた。
映像の中の奈緒美は、同級生らしき男子生徒と、仲良く肩を並べていた。
*
まさか本当にそうだとは。
これが杜乃が抱いた感想である。武洋への嫌がらせのために奈緒美に彼氏ができたかのように言っていたが、本当に奈緒美に彼氏がいるとは思っていなかった。なぜなら奈緒美は兄貴と違ってとても素直で気がきく子だが、それであるがゆえに自分のエゴを思いっきり出す恋愛ごとに関してはものすごくほど遠いように思えたからだ。
先こされたかあ。
そんなことを思いつつも、そのあとは彼女に対する祝福の気持ちしか湧かなかった。相手の男がいかにもさえなくて、ナオちゃんほどのスペックのある子がもったいないなあ、という感想も持ったが、相手を見た目で判断しないナオちゃんらしいなあと、かえって好ましく思った。そんな穏やかにむふふと笑う杜乃だったが、隣にいる人がとった表情は全く違っていた。
顔の色があずきバーを思わせるどす黒い色に変わっていた。目を見開き、口は池のコイのようにぱくぱくと見えないエサに食いつこうとしていた。そして身体は電流を流したように小刻みに震えていた。
コイツ本当にショック死するんじゃね。
杜乃は武洋の様子にんまり眺めていた。
それから5分ほど彼らの様子を眺めていた。
「なぁ、そうじゃないよな」
5分ぶりに武洋が声を出した。
「は?」
「ナオは友だち付き合いのいいやつだから、たまたま帰る方向が一緒なだけで……」
「おい、自分の家の場所まで忘れたか」
それは武洋や奈緒美の家の方向とはまるで逆方向、というかまるで関係のない場所だった。
「違うよな絶対。違うよな……」
武洋はそれしか言えなくなっている。でも武洋は気づいていた。男子生徒と話す奈緒美の顔が最近見ることのないきらきらした笑顔だった。
「どこ行くんだろう。カラオケとかゲームセンターでプリクラとか、まあオーソドックスに公園とかかなあ」
はしゃぐ杜乃。無言の武洋。奈緒美たちはどんどんと進んでいく。
「あれ、ここ?」
杜乃が気づいた。街外れ、愛想は悪いがコクのあるタレでおなじみのウナギ屋『うなかとう』のある番地。その場所は武洋や杜乃の馴染みのある場所である。そして武洋の背筋が凍った。やっぱりあの時の……。嫌な予感のピースがどんどんはまっていく。
そしてふたりはそこにある一軒の家の中へ入っていった。仲良くいっしょに入っていったのだ。
武洋はあんぐり口を開けた。
「相手の男、さえないように見せてやるわねえ」
奈緒美は感嘆の声を出した。
「……そんなわけねえよ」
そう武洋の震える声が響いた。
「タケヒロ、もう認めなさいよ」
「家に一緒に入ったからってそうとは限らねえだろ」
「だって男と女が一緒に家に行って他に何をするってえのよ。プレステ? ウィー? エックスボックス? そんなわけないじゃない。まぁ中学生だからキス程度じゃない。でも最近の中学生は進んでいるからもっと先の行為も……」
その瞬間パリンと音が鳴った。
いつの間にか武洋は銃を取り出していた。そしてその銃口からは魔砲の硝煙が出ていた。
映像は途切れていた。というより水晶玉がバラバラになっていた。
「タケヒロ、あんたなにやってんの!!」
杜乃は怒声をあげる。バラバラになった水晶玉を手でかいてまとめる。まりもではないから集めたところでくっついてはくれない。貴重な水晶。もったいなさが怒りに変わっていく。
「タ・ケ・ヒ・ロ?!!」
が、そこに彼の姿はなかった。空いた窓と、カーテンのひらひらが見えた。
「まさか……」
杜乃は怒りから一転して一気に血の気がひいた。ももにあるホルスターから銃を取りだす。
「“すべてを越える風になれ 翼の願い その背に受けて”」
杜乃は慌てて呪文を唱えて窓へ駆け寄る。
「【ナルダラーレ】」
引き金をひき身体を飛翔させる。そして遥か前を凄まじいスピードで飛ぶ武洋を追いかけた。
*
武洋は猛スピードで飛びながら考えた。それは彼が奈緒美のことを考えるときいつも頭をちらつく、人生で一番悲しかった日のことだ。
武洋と奈緒美の父親と母親が亡くなった。そのとき武洋は中1で奈緒美は小4だった。
武洋は泣けなかった。目の前で奈緒美がずっと泣き続けていたからだ。そんな奈緒美を一日中抱きしめてずっと頭を撫でていた。奈緒美身体はとても温かかった。ことんことんという心臓の音が小さな身体を震わせていた。
突然、ぐぅと音が鳴った。それは奈緒美のお腹の音だった。奈緒美は顔を真っ赤にした。彼女はこんなときにお腹を空かせている自分を恥ずかしいと思っていたに違いない。けれど武洋はその音を聴いてふっと肩が楽になった。そして自分もすごくお腹が空いていることに気がついた。
武洋はご飯を炊き、フライパンでいり卵をつくった。テーブルの上に食器をのっけてふたりで手をあわせて、いただきますをした。奈緒美は貪るようにそれを食べ、幸せそうな笑顔を浮かべた。そして食べおわったあとまたしくしくと泣いた。
武洋はこの日3つのことを知った。
人は必ず死ぬということ。人はどんなに悲しくてもお腹が空くということ。そして自分は奈緒美を抱きしめている限り、強くいれるということだった。
奈緒美が男子生徒といっしょにいるのを見たとき、理屈ではなくさみしく、理屈ではなく冷静でいられなかった。とにかくこれはあってはならないことだという想いが、武洋を亜光速で空を飛ばしていた。
男子生徒の家が見えた。そのままさっきのコンビニのように窓をぶち破ろうと思ったが、ここで先ほどの奈緒美の笑顔浮かんだ。
すんごい楽しそうだったよな……。
そう思ったとき武洋はしょんぼりと飛ぶスピードをゆるめていた。そして静かに近づいた。
「ほ、ホントに!!」
奈緒美の声が聴こえた。武洋は声のする2階の部屋の窓に近づく。その部屋はカーテンで締めきられていて中が見えなかった。
武洋はそっと窓に耳をつけた。
「ホントに私【まほうつかい】になれるの」
「ああ」
武洋は自分の耳を疑った。けれど間違いない。これは奈緒美の声だし、彼女は【まほうつかい】と言った。
「麗美さんは才能があるんだから、もう間もなくだよ。訓練もうまく行ってるし」
「そうかあ、よかったあ。でもまほうつかいになったらデス悪魔ワールドの悪魔たちと戦わなきゃいけないんだよね?」
「いや大丈夫。おととい僕が強力な結界を張ったから。やつらはあと254年は人間界に攻めてこないよ」
「そうなの。よかったあ」
「だから麗美さんはまほうを闘いのために使わなくていいんだ」
「よかった……。しばらくはお兄ちゃんのためだけにまほうを使ってていいんだね」
武洋は眉間にしわを寄らせた。中で行われている会話の意味がまるでわからない。
「あのお……そこののぞきの方ぁ」
突然そう言われてふり向いたら、杜乃が宙に浮かびながら実に苦い顔をしていた。
「おいモリノ、何かがおかしいんだよ!!」
武洋は杜乃に語りかける。
「どう考えてもおかしいのはあんたの方でしょうが」
魔砲で宙に浮かび、窓に耳をつける男子高生がそこにいる。
「違うんだ。ナオといっしょにいたやつ、アイツ【まほうつかい】だって」
「え?」
杜乃の顔色が変わった。
「それが言っていることがおかしいんだよ。【まほうつかい】だって言ってるけど【魔砲使い】じゃねえんだ。デス悪魔ワールドの悪魔と闘っているんだ」
「はあ?」
けげんな表情をする杜乃をヨソに、窓の中からは会話が聴こえてくる。
「そうだ。そろそろ脱ごうかな」
そのセリフに武洋と杜乃は同時に反応した。そしてふたりして窓に耳をくっつけた。
「本当に?」
なぜだか男子生徒の声も驚いている。
「だってこれ、私のとっておきだからね。早く見てもらいたかったんだ」
上着だろうか、それを脱ぐ、衣ずれの音が聴こえる。
ナオちゃんそこまで行っちゃうか!!
と驚いていたのは杜乃だった。中学生が、特にナオちゃんがそのようなことをするのは大変けしからないことではあると思うが、杜乃としても非常に興味があるので静かに耳をそばだてていた。
が、杜乃はそれを一旦中断し横を向いた。なぜかというとぼそぼそと【それ】が聴こえたからだ。
「“その心に火をつけよ 身体をも熱く熱く燃やせ 愛の元に正義の元に その命立ちあがりたまえ”」
武洋が室内へ向けて銃を構えていた。銃が真っ赤にまたたいている。武洋がつぶやいていたのは確か爆裂呪文……。しかも相当な強敵にしか使わないやつ……。杜乃がそれを思って身体の血の気をひかせる前に引き金はひかれた。
「【バクゲスト】」
銃から出た爆撃により、窓が、そして屋根と壁の一部が吹っ飛んだ。立ちこめる煙がその爆発の凄まじさを示していた。
煙をかき分け中に入る武洋。部屋の中が見えた。どうやら部屋の一角は吹っ飛んだが、中にいるふたりの人間は無傷らしかった。
武洋が中を見ると、急な事態に身体をガタガタと震わせる男子生徒。そして奈緒美の姿があった。
奈緒美は、脱ぎ捨てられたダッフルコートの横にちょこんと座っていた。
肩がふんわり膨らんで、頭にはちょこんとベレー帽。スカートは、丈は短く太ももまで露出して、ふわりと広がった奇妙なスカート。さらに胸には大きなリボン。
武洋は呆然とした。こんな格好の奈緒美を見たことがない。彼女の格好、それはまるでアレのようだった。テレビアニメでよく見るような魔法少女……。
「お、兄ちゃん……?」
奈緒美は、その侵入者を、首を傾げながら見上げた。
話は武洋が奈緒美の監視をする一週間前にさかのぼる。
愛想は悪いがコクのあるタレでおなじみのウナギ屋『うなかとう』と同じ番地にある、街外れにある釣り堀跡。小屋もボロボロで池もにごりきっている。そのにごりきった水のほとりにスーツを着た金髪の女性がいた。雪のように白い肌で端正な顔だちをして、パンストに包まれた脚がきれいだった。彼女はぼんやりと優しい目でエサをぱらぱらと落とす。それににごった水から顔を出したマスがパクリと食いつく。こんなにごった水の中にもちゃんと魚が生きていることを確認して、彼女は静かに口角をゆるませた。
静かな池と違い小屋の中はワイワイ賑やかだった。そしてカレーの匂いがぷんぷんしていた。
「めっちゃ可愛いですねえ!!」
そう叫んだのはコーヒー牛乳のような褐色の肌をした女の子だった。
「だろう」
そう言ったのは自信が溢れだしてそのまま顔になっているという男子高生、麗美武洋だった。
「美少女ですよ、これ。私、日本語辞典の【美少女】って単語の横に、【武洋さんの妹さん】って足しておきます」
「ああそうしてくれ」
武洋は言う。武洋はスマートフォンに映った奈緒美の画像を彼女に見せていた。彼女の名前はクララ?ウィズダム。出身はインドで、今は日本のインターナショナルスクールに通っている。まだまだです。と本人は言っているが、日常会話にまったく事欠かないほど日本語がペラペラである。年は武洋のふたつ下の中学3年生だ。
「クラちゃんとはじめて会った時さ、思ったんだよね。ナオにそっくりだって」
「え!? こんな美少女にですか!?」
顔というより感じがだ。明るくて素直ですごく頑張り屋なところが。
「ちょっと、武洋さん、あんまり褒めないでくださいってばあ」
クララは顔を赤茶にしながら、バシバシ武洋の背中を叩いた。奈緒美と違うのは、こういうおばちゃんっぽいところだ。武洋は少し困惑しながらも笑った。
「武洋さんの妹さん、ホント可愛いですよ。ああ、猫耳つけさせて『にゃん』とか言わせたいですよね」
「は?」
「いや、可愛いコに会うとそういうことやらせたくなるじゃないですか」
「いや……」
武洋は目を輝かせるクララを前に、少し身体をひいてしまっていた。
「杜乃さんは会ったことあるんですか」
クララはふり向いて聞いた。そこにはちゃぶ台の上にノートパソコンを乗っけて、かちかちとマウスをクリックする杜乃の姿があった。
「もちろんよ。ホントにいいコよ。そこにいるゴミクズと全く似てなくてね」
杜乃は意地の悪い笑みを見せながら言った。
「じゃあ杜乃さんならわかりますよね。『にゃん』って言わせたくなるコですよね」
「チョット何イッテルカワカンナイデス」
カタコトで生返事する杜乃に、「杜乃さんまでつれないんだから」と寂しそうに言う。勉強家なクララは熱心に日本の文化を学んでいたが、その際にイロイロ変なところまで吸収してしまったらしい。時たまそういうところに武洋は閉口させられる。けれど少し変なところがあっても武洋にとって可愛い後輩である。彼女もまた、新人ながら【魔砲戦騎】であった。
鳩のはばたきしか聞こえない釣り堀跡。武洋は後ろに倒れて寝そべった。ここ数日、11課ではそんな日が続いていた。
11課というやつの立ち位置は実に面倒くさい。まずその成り立ちはイギリス外務省が行っている世界中にはびこる魔砲犯罪を防止するために魔砲使いを派遣する事業が元である。イギリス外務省は魔砲学校で育成したプロフェッショナルの魔砲使い、【魔砲戦騎】を世界各国に送り、魔砲犯罪の対策としている。武洋と杜乃は日本生まれの日本育ちだが、クララや他の課員はそうやって派遣されてきた外国人である。おカミの事情で遠く知らない島国にやってこさせられたのだから少しかわいそうでもある。
それでイギリス政府が派遣した【魔砲戦騎】を、日本の警察が委託管理をしている。「特殊事例応対11課」というあいまいな名前をつけられ、実にあいまいな管理をされている。あてがわれた建物は釣り堀跡であるし、課員も5人しかいないというくらい力が入れられていない。それも日本が実に魔砲犯罪の少ない国であるという事情にある。仕事はほとんどない。1ヶ月に一回か二回起こる魔砲窃盗や魔砲万引きや魔砲痴漢や魔砲強盗を取りしまるだけである。【魔砲戦騎】という誰がつけたか知らないが、無駄にカッコの良い役職名は哀愁をさらに誘うだけだった。
「杜乃さんさっきから何をやってるんですか」
そう言ってクララはパソコンをいじる杜乃を後ろから覗き込む。そこには広げられた表計算ソフトにびっしりと文字が浮かんでいた。
「暇だからここ最近の魔砲犯罪のデータをまとめているのよ」
「うわっ、杜乃さんすごいです。暇だから仕事をするって発想がクララにはありません」
「大したことじゃないわよ」
「そうだぞ。多分それ立ち上げてるだけで、ずっとマインスイーパとかやってるんだから」
「私は窓際のサラリーマンか」
杜乃が突っ込む。
「でもこれだけ仕事がないと、まとめる意味もないんじゃない」
武洋はやれやれという。
「暇なのは日本だけよ。海外では魔砲犯罪はじわじわ増えてるのよ。何か魔砲犯罪を指揮するあぶな?い組織まで出てきてるって話もあるしねえ」
パソコンの画面には日付けと共に英字の都市名と人名と被害がバーっと出ている。
「実感わかないなあ」
武洋は首をひねる。
「もっとさあ、俺の力で世界をまーるくしてるって実感が欲しいよなあ」
武洋は自らのバッジを外し、その黒い丸を覗きこんで言う。
「何言っているんですか、平和が一番ですよ」
「そうクラちゃんの言うとおり」
杜乃が深く頷いたときだ。
「……呼びました?」
奥から、スーツの上にエプロン着た外国人の中年男性が顔を見せた。
「あのお、課長のこと『クラちゃん』って呼ぶわけないじゃないじゃないですか、色んな意味で」
杜乃が言う。
「どうしてです? ボクも『クラーク』だから『クラちゃん』って呼ばれる権利はあるんだけどなあ」
中年男性は残念そうな顔をする。
「じゃあ私は『クラちゃん』って呼びます」
クララが手をあげる。
「ややこしいわ」
「俺も呼びます」
「タケヒロも無駄に便乗すんな」
こう言ったところで杜乃は中年男性のエプロンに気がついた。
「あれ課長、パヤ姉じゃなかったんですか食事当番」
「いや、誰もいないから僕が煮込んどきましたよ。しかしいいですねえ。大きな鍋でグツグツものを煮ていると、自分が『まほうつかい』であるって実感できますよね。ハハハハハハ」
と中年男性は笑った。彼の頭の中では昔ながらの童話に出てくる大きな鍋をかき回す魔法使いのおばあさんが思い浮かんでいるのだろう。こののん気な中年男性こそ、11課のリーダー、クラークだった。
「………課長にご飯作らせて、平課員が平然と待ってるって、ホントひどい組織だわ」
そうつぶやく杜乃自身ものんべんだらりとしていた側なのであまり文句は言えない。
クラークは一度調理場に引っ込み、両手にミトンをつけ鍋を運んで来た。サカナの形の鍋敷きの上に鍋を置くと、そのまま大皿にカレーを注ぎはじめた。あっという間に五つのカレー皿ができた。
「あの課長」
杜乃が一言挟む。
「こういうの自分からどんどん率先してやって、我々甘やかすのもどうかと思うんですが、それは置いておいて、カレーライスで先にカレーから注ぐのって結構アブノーマルだと思います」
皿にはカレーだけ。杜乃の指摘にちょっと困った顔をするクラーク。
その時部屋のドアがガラリと開き、先ほど釣り堀で魚にエサをやっていたスーツ姿で長身の金髪女性が入ってきた。
「お、パヤ姉」
武洋が軽く声をかける。彼女の名はパヤノ?コーアイ。棒高跳びとボルシチの国ウクライナからやって来た、無口で綺麗なお姉さんである。もちろん彼女も【魔砲戦騎】である。
パヤノは無言で調理場から電子ジャーを持ってくると、ガッとふたを開け次々とカレーの上に大皿にご飯を盛りはじめた。
日本海の上に富士山を乗っけたようで、それは豪快な盛り方だった。皆その大胆さに内心拍手を送った。
クララがスプーンを並べる。杜乃はカレーの皿の脇に福神漬けとらっきょうをそえる。そのとき「俺つけない派だからなしねー」という武洋の言葉に少しイライラした。こうして食卓に五つのカレーが並んだ。
「「いただきます」」
5人で手を合わせてカレーを食べはじめた。
「武洋さん仕事ないって言ってますけど、この間富山遠征があったじゃないですか、あれどうだったんですか?」
クララが武洋に聞く。
「チューリップ泥棒ね」
杜乃が代わりに答える。
「チューリップ泥棒?」
「魔砲を使って一日に一本ずつチューリップを刈りとって盗む奴がいたのよ」
それを捕まえるために武洋と杜乃のふたりでチューリップ畑に何日も張り込んだ。風の魔砲でチューリップを刈り取る不届き者を捕まえたのは、3日目のことだった。
「また富山っぽい泥棒ですねえ。しかも魔砲使い」
クララがあきれる。
「なぜ魔砲なんていう稀有な才能を持っていて、そういうことに使うのか、理解に苦しむわよねえ。アイフォンを鍋敷きに使うようなモンよ」
杜乃が同意する。
「いやいや、特別な才能を持っているがゆえに道を外すってことがあるんですよ。特別な力で特別なことをしてありがたがられてると、急にありがたがられていることがムカムカしてきて、特別な才能をけがしたくなる。アイフォンを鍋敷きにしたくなるときがあるんですよ。私はなんとなくわかりますがね」
クラークはそう言って福神漬けを音が立たないように静かに噛んだ。
「しっかし、バカらしい仕事だったなあ……」
相手の風の魔砲を防御魔砲で防ぎ、炎の魔砲を叩き込み取り押さえたときのことを思い出す武洋。こういうのはもっと悪の大幹部とか相手にやってはじめて絵になることだろう。チューリップを抱えた汚いおっさん相手ではイマイチ気持ちも高まらないわと、肩の力が抜ける。
「チューリップ大事。いい仕事」
そうつぶやいたパヤノは、もう一杯目を食べ終えておかわりをよそいに立っていた。
「夜は寒かったわよ。しかも学校の射撃部の全国大会だってことにして遠征してるから、賞状つくったりとか、散々なお仕事をそこのバカにも強要されたし」
杜乃は憎らしげにカレーをすくったスプーンを口に入れる。
「……11課ってさあつくづく存在意義が薄いよなあ」
【世界一の魔砲使い】がいるのに、とは武洋は言わなかった。でも思っていた、この力をもっと役立てていきたい。この世界をもっとまるーく、俺とナオがもっと幸せにいれるような世界にする仕事をどんどんやっていきたいと。
ここでクララが言った。
「イギリス人の渋いおじさまがかき混ぜたカレーを、美人のウクライナ人のお姉さまがご飯を盛って、きびきびとした日本人のお姉さまが福神漬けとらっきょうをちょこんとのせて、頼もしい日本人のお兄さまの話を聞きながら、それをインド人の私が美味しくいただく。それだけで11課の意味ってあると思うんですけどね」
まわりのみんなは一瞬だけ、何のん気なこと言ってんだとクララの発言を流そうとした。そして杜乃はツッコミの言葉を入れようとしたが、よくよく考えるとクララの言葉がそんなに的はずれでない気がして、止まってしまった。間を埋めるようにみんなカレーを口に入れた。ルーが多めのドロドロとしたスープの中で、ニンジンの甘みが舌を心地よくさわっていた。
「クララさんの言うとおりだよ」
皆がひと息ついたところでクラークが言った。
「よく人生は若いころの方が楽しいといいますがそういうことはないんです。年をとってから、おじさんになってからの方が楽しいんです」
横にいたパヤノがひっそりうんうんとうなづく。
「なぜなら、年を取るとわかってくるんですよね。この世界には奇跡がいくつもあって、生きてさえいれば必ず奇跡に出会えるってことが」
武洋杜乃クララはクラークの言うことが飲み込めずにいる。
「今日のこの瞬間はね、奇跡なんですよ。だってこの歳になってこんな可愛くて若い子達に囲まれてカレーを食べれることなんてないですよ」
「やだ、可愛いだなんて課長」
クララがクラークの背中をバンバン叩く。パヤノが白い耳をほんのりピンクにする。
「そういうもんですかね」
武洋は納得のいかない顔でスプーンを咥える。
「そういうもんですよ武洋さん。あなたもおじさんになったらこの瞬間の貴重さがわかります」
クラークは目をニヤリとさせて言った。
*
夕暮れになると課員は各々の家に帰って行く。今日こうやって11課の面々が集まったのは、魔砲犯罪の対策会議のためであったはずで、これは公務なはずだった。けれど結果、カレーを仲良く食べただけで終わった。極めて楽で楽しい仕事であるが、武洋が物足りなさを感じるのも確かだ。
「また明日もこんな感じかなあ?」
杜乃とふたり、街外れの道を歩いていた武洋は退屈そうに言う。ここ毎日の日々は、悪くはない。悪くはないが、どこかで派手な魔法バトルでもできないかなあと内心思っている彼としては、どこか面白くなかった。彼の世界一の魔砲力を発揮できる機会などまるでないのだから。
「ああ、もっと違う明日が来ないかなあ」
誰に言うでもなく武洋はそうつぶやいた。
「大丈夫。なんとなく楽しい日々なんて、あっさりと消えるものだから」
武洋は突然投げかけられた声にふり向いた。しかしその声の主はどこにもいない。とにかく気味の悪い声だった。何やら悪意をそのままにしたような声だった。
「おいタケヒロ、何やってんの」
きょとんと立っていた武洋を見て杜乃が不審そうに声をかける。
「おいモリノ」
「何」
「今楽しいか」
「何それ?」
唐突な武洋の言葉に、少し考えてから彼女は答えた。
「まぁ楽しいわよ。ぐだぐだしてるけど不思議と満足感はあるわねえ、タケヒロは?」
「俺もそうだよ」
そう、幸せで充実感がある。充実感はあるが、少しだけ足りないものがあるという感じだ。
「うーん、だけど俺はナオと一緒にいるときが一番幸せだ」
武洋は自分が足早に帰ろうとしていた理由を思いだし、そう言う。「答えになってないっつうの」と杜乃は静かに突っ込んだ。
その言葉を聞いた瞬間だった。武洋の目の前を冷たい風が吹いた。
目の前の道路。冷たい風と共に前を通りぬけたそれに目を奪われた。
ナオ?
武洋の目の前を奈緒美らしき影が通過した。武洋はすぐに小走りでそれを追いかけた。が、角を曲がるとそこには誰もいなかった。
どうしたのよと杜乃が武洋に寄るが、武洋はそれに応えている余裕がない。
そんなわけはない。今彼女は学校で部活の最中のはずだ。こんな街外れにいるわけがない。でも武洋が奈緒美を見間違えるということはもっとあり得ない。
「なんとなく楽しい日々なんて、あっさり消えるものだから」
先ほどの気持ち悪い声が妙に頭の中に響いた。
*
武洋はなぜか家に帰りづらく、コンビニで一時間ほど立ち読みをしてから帰った。家に帰るとエプロンをつけた奈緒美がいた。しかも手にはミトンをつけて大きな鍋を持っている。先ほどのクラークの姿が思い出された。
「今日はお兄ちゃんご飯いいって言わなかったか」
武洋のお腹はカレーでいっぱいだ。
「私の晩ご飯兼明日のお弁当の仕込み。料理は前準備が一番大切ですから」
鍋の中にはサトイモやニンジンやレンコンがあった。
「筑前煮?」
「そう。お友だちと一緒につくってたの」
奈緒美のエプロンの胸ポケット見ると、武洋があげた富山土産のホタルイカのぬいぐるみがあった。これを見るたびに、寒かった富山の夜と、センスの悪いお土産を嫌がらせのように押しつけた杜乃のにんまり顔が浮かび、嫌な気持ちになる。
「そいつもいっしょに煮ちゃえばよかったのに」
「友だちにそんなことできるわけないじゃん」
鍋の中に右手を伸ばし、武洋はサトイモを口の中に入れた。満腹の上でも奈緒美のつくる料理の美味しさは格別だった。
「美味しい」
「よかったあ、皮むいてお手てがカユイカユイになった甲斐があったかも」
奈緒美はへへと笑った。ここで武洋は真面目な表情になり鼻を掻いた。
「……なぁ、ナオ」
「何お兄ちゃん」
少し神妙な顔をした武洋に奈緒美は面食らっていた。
「その……」
ここまで言って、武洋は言葉に詰まる。奈緒美は「ん?」とのぞき込む。
「ナオ、俺に秘密にしてることないか?」
「え!?」
「いやさ、最近俺もお前も部活で忙しいだろ……、だから近ごろじっくり話す暇がなかなか取れてないじゃん……。だからもしかしたらお前何か悩み事を抱えてんじゃないかって……」
武洋は苦笑をした。軽口と悪口のバーゲンセールで、デリカシー欠乏症の極地にいるはずの彼が、口ぼったく、少しも核心を切り出せない。「今日の夕方、街外れの釣り堀の前を通らなかったか?」それだけを言えば言いはずなのに、なぜかそれが聞けない。ちゅうちょしているうちに奈緒美がにっこり笑って答えた。
「何言ってるの、私がお兄ちゃんに隠し事なんてするわけないじゃない」
はっきりとそう言った。
「ははは、そうだよな。何言ってんだろ俺」
頭をかく武洋。
「そうだお兄ちゃん。そろそろお友だちに名前をつけたいんだけどさあ、何がいいと思う?」
奈緒美がホタルイカのぬいぐるみを目で指して言う。
「イカ太郎とかでいいんじゃない」
実にどうでも良さそうに武洋は言った。
「それじゃあ可愛くないじゃん。芸もないし」
「芸、必要かあ?」
「せっかくお兄ちゃんにもらった大切なお友だちだから、いい名前つけたいの」
「前に牛のぬいぐるみにつけた名前なんだっけ?」
「【ビョンギュー】?」
そう、髪の毛がビョンビョンしている『牛(ぎゅう)』だからビョンギュー。武洋はホタルイカに、コイツも奈緒美の超絶センスで似たような名前をつけられるのだなあと、少し哀れみの気持ちがわいた。
「まぁ気に入ってもらってるようで何よりだぜ。ナオが大丈夫ならいい。ごめんな変なこと聞いて」
「いやいやこちらこそ、心配してくれてありがとね、お兄ちゃん」
それを聞くと武洋は奈緒美とすれ違って自分の部屋に向かった。一件落着……。いや、その逆だった。
武洋には分かった。奈緒美は彼に隠し事をしている。
人生の大半を妹について考えることに費やした武洋。かつ嘘をつくのが極端に下手な奈緒美。隠せるわけがない。「何言ってるの、私がお兄ちゃんに隠し事なんてするわけないじゃない」そう言う時、彼女の眉毛は凄まじくぴくぴくと波うっていた。
*
翌日、武洋はまっすぐ家に帰ることが出来た。今日は11課の会議もなく、杜乃に小言を言われることもない。彼は悠々と自宅のドアを開いた。奈緒美は今日もソフトテニス部の部活。ひとりでのんびり休むかと靴を脱ぎ捨てようとした。
その時、玄関の脇にラケットがカバーに入れられたまま置かれていることに気づいた。
……あいつ、忘れたな。
全く、相変わらずドジだなあと、武洋はラケットをひょいと持った。
奈緒美の中学校まではバスを使って30分ほどかかる。けれど武洋にとってその距離はまるで問題にならない。
彼はぶつぶつと呪文を唱えはじめた。
「【ナルダラーレ】」
飛翔魔砲で武洋は大空へ舞い上がった。
本当は私用で魔砲を使ってはいけないのだが、そんなことはお構いなしだった。人目につかないように、成層圏まで飛び上がると、ブンと全速力で飛んだ。
雲の合間をぬい、1分とせずに中学校についた。ひと気もない場所でことりと降り、表の校門から「どうもー」っと軽いノリで下校する生徒や先生たちに挨拶をしながら入る。グラウンドを横切り、ソフトテニス部の部室を探し、見つけるとさっそく戸を叩いた。
「はい」
ポニーテールでテニスウェアを着た女生徒が顔を出した。確かこのコはソフトテニス部の部長だ。
「ああ麗美奈緒美の兄です。どうやら妹のやつラケット忘れたみたいで、届けてやろうかとね。妹はいますか?」
こう言うと彼女は不思議な表情を浮かべた。
「……ナオちゃんならもう帰りましたよ」
「え?」
武洋はぽとりとラケットを地面に落としてしまった。
「というより、最近ナオちゃん、ずっと部活を休んでますよ」
「え!?」
武洋の声が裏返る。
「なんか肘を怪我したみたいで……。病院に通うからしばらく部活を休みますって、休部届けを出していて」
彼女は顎に人差し指をあてがいながら言う。武洋は当然そんな話は聞いていない。
「それいつからだ!?」
声を荒げてしまう武洋。
「一ヶ月くらい前から……ですけど……」
おずおずと言う彼女。武洋は唖然とする。足元、コンクリートの地面にぺたりとラケットが転がっていた。
*
「ナオ、おかえり」
六時くらいに帰宅した奈緒美を武洋は玄関で出迎えた。まるでお面のような顔で。
「ごめんねお兄ちゃん。今すぐご飯の支度するから」
今日の夕食当番である奈緒美は忙しなく靴を脱ごうとする。
「おいナオ、お前今日ラケット忘れてったろ」
ラケットをそっと差し上げる武洋。奈緒美はきゅっと強張った顔をした。
「そ、そうなんだ。私ったらホントドジだね。だから今日の部活は友達にラケット貸してもらったんだ」
作り笑顔で答える奈緒美。その瞬間、武洋のまぶたはぴくっと動いた。広くもない玄関でふたりの隙間に風が吹きこんだ。
武洋は無言で、どんと踵を返すと、二階へ登っていった。奈緒美は何事かと鼻を少し前に出して見る。
すぐにコートを羽織った武洋が降りてきた。そのまま玄関で靴を履き、奈緒美の横を素通りする。奈緒美の顔がそれにつられて扇風機のように動く。
「ちょっと出掛けてくる」
武洋は言った。
「い、今から?」
マフラーをぎゅっとつかんで奈緒美は聞く。
「ああ、ちょっと野暮用でな」
右手の指を人差し指と中指と親指だけで、背中の奈緒美に挨拶をした。
「……遅くなるようだったらメールして、ラップかけとくからあ」
奈緒美はずんずん出ていく武洋の背中に手を振った。
*
杜乃の部屋。紺で無地の掛け布団がかかったベッドと本棚クローゼット、ベッド脇の小さな机とグレーのクッション。簡素で、少しも可愛げがないのが、彼女の部屋の特徴だった。
ベッド脇の小さな机の上にノートパソコンを立ち上げて、ちょこちょこキーを叩く杜乃。ソフトヘアバンドで髪の毛をたくしあげ、外では掛けないメガネをかけている。
「いったい何の用? こんな夜に」
彼女のベッドにどんと腰掛けていたのは武洋だった。
「今、雑務の途中なんだから。学校の宿題もあるし。くだらないことだったら殴るわよ」
思いっきり苦々しく言う。夜づかづかと自室に乗りこまれた不満もある。
そこで一旦静寂が訪れた。武洋は何も言わなかった。
いつもならすぐに言い返してくるのにとハッと振り向く杜乃。そこで彼女は息を飲み込んだ。
彼は恐ろしい顔をしていた。
思えばさっきから武洋の様子がおかしい。家に来た時から、妙に静かで思いつめた顔をしていた。まるで世界が今すぐにでも終わってしまうような……。どんな強力な魔砲犯罪者との闘いでも、あそこまで追いつめられた様子の武洋を、杜乃は見たことがない。
じろじろと杜乃が10秒ほどの観察をした後、ようやく武洋はぽつりと唇を動かした。
「ナオが……俺に嘘をついた……」
「……は?」
口を緩める杜乃。
「ナオが、最近、部活を休んでいるらしい。でも、俺には部活に行ってるって嘘をついてて……」
震えるような声で言う武洋。杜乃はようやく合点がいった。そして鼻で笑った。
「はは、ナオちゃんももう中2だっけ。お年ごろでしょ。そりゃあ兄貴に隠し事のひとつやふたつくらいするわよ」
笑顔の杜乃。その発言をスルーし武洋はつづける。
「……もしかしたらナオ、俺の知らないところでとんでもないことに巻き込まれてるんじゃ……」
そう彼は言う。
「ははは、部活サボって友だちと遊んだりしてるのよ。きっとプリクラ撮りに行ったり、カラオケ行ったりね」
中2ってそういうの覚える時じゃないと、陽気な杜乃。
「友だち?」
ようやく杜乃の言葉に反応する武洋。杜乃はむふふと言った。
「そう。仲のいい女のコか……それとも男のコ……」
「そんなわけねえだろ」
発言の途中で武洋が割り込んだ。静かだが、威圧のある語気で。
「はははは、そんなわけないわけないのよ。ナオちゃんだってバカな兄貴の見てないところで、こっそりデートするくらいお茶の子さいさいでしょ」
実に楽しそうな杜乃。が、こう言ったところで、武洋は杜乃の胸ぐらを掴んだ。
「そんなわけねえだろ!!!! ふざけたこと言ってんじゃねえよ!!!!」
武洋は叫んだ。「え?」と絶句する杜乃。彼の目は、人を殺す目だった。
「いや……もしかしたらそういう可能性もないこともないかなあって…………」
完全に気圧されている杜乃。
「ねえよ。あるわけがねえ。ナオが俺を騙して男と付き合ってるなんてな。ナオは紡ぎたてのシルクのように真っ白ですべすべした純真な心を持ってるんだからな…………そうだろ!?」
胸ぐらをつかむ手にさらに力が入る。
「わ、私もそうだとは思うけど……」
実は思っていない。杜乃は思いっきり大嘘を言って話を合わせる。
「だろ。ナオはてめえみたいな脳みそ真っピンクとは、頭からつま先まで違うんだよ。そこをよく考えろ」
やっと胸ぐらの手が離された。ぺたんと地面に座る。どさくさ紛れにすんごい酷いこと言ってねえかコイツ? とも杜乃は思ったが、ここで言い返すとややこしいのでやめておいた。
「で、ここからが本題だ」
武洋は再び声を落ち着けて喋り出す。
「ナオはきっと俺に言えない厄介ごとを抱えてる。俺はなんとかそれを突きとめて、あいつを助けてやらなきゃいけない」
「はあ」
「ナオは予定では明日も部活だ」
「はあ」
「そこで放課後あいつを監視しようと思う。【鷹の目】でな」
「………………は?」
杜乃は大口を開けた。【鷹の目】というのは監視魔砲。ひとつの目標物に透明な目玉を張り付かせ、その様子を逐一ホログラム映像として映し出す、追尾型監視カメラのようなものだ。魔砲犯罪者の追跡や、張り込み現場の監視によく用いる。そして監視魔砲は杜乃の専門分野だった。
「というわけで協力しろ」
武洋はあっさり言った。
「そんなことできるわけないでしょ!! 魔砲戦騎の規則を知ってる? 魔砲は私用で使っちゃいけないの。しかも【鷹の目】なんてもんを許可証もなく一般人に使用したなんてバレたら、どうなると思う? 懲戒免職じゃすまない。グリーンランドの魔砲刑務所にぶち込まれるわよ!!」
杜乃は激怒した。激しい拒絶だった。が武洋は、そんな彼女の返答は分かりきっていたという表情をする。
彼はそっとポケットから一枚のディスクを取り出した。それを杜乃の背中から手をまわし、彼女の目の前のノートパソコンに差し込んだ。
パソコンがディスクを読み込むと、間も無く動画が再生された。
『新井場杜乃。15歳高校一年生です。キャッチフレーズは【時代のヒロイン】。歌うのはTGG41の【愛のままにわがままにあなたにあげるマーマレードクッキー】です』
そこにはギンガムチェックのミニスカートを履いた杜乃の姿があった。場所は後ろの壁紙から見るに、この杜乃の部屋。間もなく背中から曲のイントロが流れ、彼女は、それに合わせて歌って踊りはじめた。
それは酷いものだった。歌も音を外しまくって、ただの悲鳴にしか聞こえない。ダンスもセンスの欠片もなく、カクカクとぎこちなく細切れに動き、「ゾンビのどじょうすくい」というタイトルがしっくりときた。
「ああ……」
映像を見ていた杜乃の顔が真っ青になった。後ろからにゅうと武洋が顔を出し、彼女の肩に顎を置く。
「いやあ知らなかったよ。モリノがアイドルに憧れていたとは」
それは確かに杜乃が、【TGG41(てぃーじーじーよんじゅういち)】、品川区戸越銀座に大きな劇場を持つ人気絶頂のアイドルグループ、のオーディションに送ったビデオ映像のはずだった。それがなぜ彼の手元に……。
「いやあ、この前、おまえんち行った時、ちょうど郵便屋がいてさあ。切手の代金が不足だから返送されてきたって俺に渡したんだ。で、親切な俺はちゃんと追加料金を払って送っておいたんだぞ」
その前に中を確認して、コピーをした後に、だが。
「結果もちゃんとネットで追ってたんだよ。残念だったな、落選して。まぁこれじゃあしょうがないけどなあ」
がははははと大笑いする武洋。呆然とする杜乃。そこでちょうど彼女の歌が終わった。
『私のハートもめしあがれ。食べごろにゃん』
そう動画の中の杜乃は言った。これは元の曲にはないフレーズで彼女自作のアドリブである。クララの「にゃん」発言を鼻で笑っていたあの杜乃が、最高に可愛いだろうなと思って、一晩苦心して考えた言葉だった。
「あああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」
杜乃は激しく頭を押さえて咆哮した。今すぐにでも走り出したかった。もしくは目の前のパソコンに頭を打ち据えて死にたかった。どちらにしろこの場から消えてなくなりたい気分にはなっていた。
「で、協力してくれるよな」
悪どい笑顔で武洋は言った。
「がああ!!」
杜乃はディスクを取り出すと、膝蹴りで真っ二つに割った。
「……これで、証拠は消えたわ」
額の汗を拭う。私がアイドルに憧れていて、毎日頭の中でにっこり客席にウインクをするギンガムチェックのミニスカートの自分を思い浮かべていたなんて事実は、決してこの世になかったことなのだ。
さっと武洋はもう一枚ディスクを取り出す。ノートパソコンに入れる。
『新井場杜乃。15歳高校一年生です。キャッチフレーズは【時代のヒロイン】』
またさきほどと同じ動画が流れた。
「は?」
「なあ【時代のヒロイン】。言っとくけどこれ、あと家に50枚くらいあるから」
「は?」
「家のハードディスクにもあるし。あと、動画サイトにエンコードし終わってて、いつでもアップロードできる状態なんだ」
「は?」
「これ【踊ってみた】でアップしたら、コメントとマイリストいっぱいつくんじゃないか。ランキング乗るかもな。【時代のヒロイン】だし」
げへへと笑う武洋。
「さあ、モリノちゃん、『ワタシノハートモメシアガレ、タベゴロニャン』」
武洋は映像の中の杜乃のように、両手で猫の手を型どって、片目をウインクしながら言った。
「……ください」
「え?」
ぼそりと言う杜乃に武洋は聞き返す。
「協力…………させてください……お願いします……お願いします!!」
杜乃は最後は、額を床になすりつけて懇願していた。東西古今、これ以上を見ることのできない、完全敗北の絵だった。
*
奈緒美が入っていった男子生徒の家の屋根と壁をふっ飛ばし、武洋が部屋に突入したのは、それから一週間後のことである。
部屋に入って早々ピンチが訪れる。すぐ目の前にはきょとんとした奈緒美の顔があった。
目があうふたり。武洋の顔は固まっていた。
「やべっ!!」
武洋は急いで舌を回した。呟いているのは眠りの呪文。
「【ヒュプドミーレ】」
武洋はサッと奈緒美に銃を向け、催眠魔砲を浴びせた。奈緒美は一秒としないうちにことりとその場に寝転んだ。
ふぅと息をつき、ようやく冷静になる武洋。そっと周りが目に入る。そして、その部屋の異様さに今さら気づいた。壁や床には魔法陣や、茶色い小瓶や、古めかしいアクセサリー類。大きな本棚には【魔法】【魔術】【呪術】という文字がずらりと並んでいる。その横には一覧の【魔法少女ファンシージョイナス】と書かれたDVDの背表紙たち。統一感がとれているようで節操のない部屋だった。
「……お前は?」
武洋は首をまわす。男子生徒が、がくがくと震えながらこちらを見ている。
「……今使ったのは、まさか……【まほう】?」
彼はそう言った。やっかいなことになったと武洋は頭を掻いた。
「ということは……お前はもしかして……」
震える指で武洋を指す男子生徒。
「……悪魔?」
「……………………はあ?」
男子生徒からのまさかの言葉に、口がだらしなく開いてしまう武洋。
「そ、そうだ……そうに違いない……。悪魔なんだ。魔法使いを語った僕を制裁しに来たんだ……」
ぶるぶる震えながら、べらべらと呟く男子生徒。「あのよぉ……」と咎めようとしたが、ここで武洋の目に、寝転がった奈緒美の姿が見えた。それで思い出した。自分がこの男に持っていた怒りを。
「きひひひひひひひひひひひひひひ、その通り、俺は【悪魔】さ」
武洋は高笑いをした。銃を電球に向け呪文を唱え始める。
「【デストール】」
パチンという音と共に、電球が破裂する。「ひい!!」と身をひく男子生徒。武洋は弱い爆発魔砲を発射していた。
「……本物だ……、なんてことだよ……」
ぼろぼろと泣きはじめる男子生徒。武洋の目論見は成功した。この魔法使いオタクの勘違いに便乗し、自らを悪魔だと思わせることに成功した。
「ちょっとタケヒロ、何やってんのよ!!」
ちょうどその時、煙を乗り越え、杜乃も飛び込んできた。
「おお悪魔二号、待ってたぞ」
「……は?」
武洋からの謎の呼びかけに、じっとりとした目を返す杜乃。
「悪魔二号。こいつはにっくき魔法使いどもだ。さぁ、さっさと爪で腹を割いちまおう。なんせ我々悪魔は魔法使いの腹わたが大好物だからなあ、きひひひひひひひ」
武洋は精一杯の演技で笑う。何やってんの? という目で見る杜乃だった。
「違います!! やめてください!! 僕は、僕は、本当は魔法使いなんかじゃないんです!!」
男子生徒は叫んだ。
「でもお前はナオ……そこの可愛い女のコに、自分が魔法使いであるかのように、偉そうにのたまってやがったじゃないか?」
意地悪く言う武洋。
「そ、それは嘘なんです。全部嘘なんです!!」
男子生徒はとうとうそれを認めた。武洋はまぶたをぴくりと動かす。コイツはナオを嘘でたぶらかしていた。となると、武洋はもう彼を許すわけにはいかなかった。
「なぜ嘘をついた!? どうしてそんな嘘を? ああん!!??」
武洋は男子生徒の胸ぐらを掴んで、立ち上げさせる。
「いや、それは……その…………」
「言え!! 隠してたら今すぐてめえの玉袋から引き裂くぞ!!」
武洋の左手が、爪を剥き、男子生徒に迫る。
「話します!! 話しますから、命だけは助けてくださぁい!!」
彼はむせび泣きながら、わけを話しはじめた。
男子生徒の名は高木周平。中学二年生。オカルト知識だけが取り柄の目立たない少年だった。
休み時間は、いつもクラスの端でひとりぼっちで机に俯してやり過ごしていた。昼休みになるとがやがやと馴れ合い始める同級生をかきわけ教室をずんずんと出て行った。誰もいない屋上へ、ガラリと扉を開け、青い空を見ながら澄んだ空気を吸う。ここは周平にとっての安息の場所。そして戦場(バトルフィールド)だった。
彼はぶつぶつと言葉を唱えはじめる。
「炎の精霊イフリートよ、我に力を与えたまえ……」
彼は斜め上を見た。一見そこは、平和な青空が広がっているように見える。けれど彼の目には、屋上から学校へ飛来する悪魔の大群が映っているのだ。
「【パニッシャーフレイム】!!」
周平は炎の魔法を手から繰り出す。直径二メートルの大粒の火の玉。そして悪の魔法使いに炸裂する。
「【パニッシャーフレイム】!!」
次々とくり出される炎に、悪魔たちは、蚊取り線香上の蚊のように撃墜されていった。
「よし、これでとどめだ」
彼はとっておきの呪文をぶつぶつと唱え始める。
「“熱き風巻き起こせ熱情こめて今 久遠まで吹きあらせ帳(とばり)よ嵐”」
悪魔には悪魔の力を。風の魔王、パズズの力を借りた魔法。
「【フェリオバラム】!!」
大空を覆うような、激しい大風が起こった。青空は竜巻吹き荒れる嵐へと変わり、悪魔たちをぐちゃぐちゃに引き裂く。空が青空へ戻ると、悪魔は一匹もそこにはいなかった。
「よし、今日の使命も終わった」
周平はゆったりと息をついた。そうなのだ、自分が昼休みに屋上へ行くのは、ひとりぼっちで教室に居場所がないからではない。こうやって学校へ襲来する悪魔を倒し、人知れず学校を守っているからなのだ。
「なぜなら魔法使いは皆に魔法使いであることをバラしてはならない。これが魔法使いの掟なのだからな」
他人が知らなくとも理解できなくとも、誰がなんと言おうとこれは事実だ。確かに悪魔はやって来て、自分は魔法を繰り出しているのだ。
「ただしこれは、魔力のない一般人には見えない……」
だから、周りから見ると自分は痛い一人芝居をしているようにしか見えないだろう。けれどそれは違うのだ。断固として。
「はあ、正義の魔法使いはつらいぜ」
周平は呟いた。こうやって使命を果たしても、誰も彼のことを褒めてくれない。認めようとはしない。それどころか眼中にない。
けれどそれはいいのだ。周平の心の中には確かに皆を守っているという充実感があるのだから……。
その時、からんと音がした。そちらをふと振り返る周平。ころころ転がる、ジュースの缶。強い風になびくスカート、髪の毛。そこに女生徒が立っていた。
「え!?」
周平は顔面が蒼白になった。ずっと秘密にしていた姿を他の誰かに見られたのだ。
しかも、そこにいる人間が問題だった。彼女は、麗美奈緒美。周平が、もっともその姿を見られたくない相手だった。
奈緒美は周平のクラスメイトで、クラスで一番……いや学校で一番可愛い女のコだった。それは学校のほとんどの人間が認めることで、男子たちが女子の話をする時、まず奈緒美の名前が真っ先にあがった。明らかにひと目をひくキラキラ輝く容姿を、彼女は持っていた。
が、周平が彼女を特別視する理由はそれだけではない。麗美奈緒美という子は、明らかに他の女子とは違った。
周平は感じていた。自分に対し女子の視線が降り注ぐとき、そこには常に侮蔑の色が混じっていると。
ブサイク。オタク。超キモーい。言葉に表さずとも、彼女たちがそう思っていることはすぐ分かって取れた。だから周平は学校の女などに魅力を感じたことなどない。オシャレや遊ぶことしか考えていない、ただただうっとおしい、猿のような存在だった。
けれど奈緒美だけは違った。彼女は朝学校へ来ると、目が合う人皆に挨拶を交わす。常ににこにこ笑っている子なのだが、さらににっこりと微笑み「おはよう」と声を掛ける。
周平は朝、クラスの隅でふて腐れ、そっぽを向いて過ごしている。そんな彼にも奈緒美は声を掛ける。
「高木くんおはよう」
彼女は周平の目をちゃんと見て挨拶をした。周平から見た彼女の眼差しはじっとまっすぐだった。だから分かった。
彼女だけは全く自分をバカにしていない。彼女だけはちゃんと自分と向きあってくている。
それがわかった時、奈緒美の笑顔は、ひっそりと周平の宝物になった。
その奈緒美が、屋上での自分の行為を見てしまっていたのだ。周平は紫の顔で必死に言葉を紡ぐ。
「……いや、その……」
そんな周平の狼狽をよそに、彼女の方も口に手をあてて、困った顔で「あわわ」と狼狽えている。そして先ほど下に落とした缶ジュースを拾って踵を返した。出入り口へパッと駆け込み、ドタドタと階段を降りていく音がした。さーっと周平の血の気はひいた。
やってしまった……。
心の中に、密かに持っていたオアシスが音をたてて崩れた。
「あの高木っていうのやっぱり超キモいよ。屋上でひとりで魔法使いごっこしてたんだよ。中学生にもなって……ヤバイよねえ」
周平を罵る奈緒美の姿が脳裏で浮かび、思わず彼は頭を抱えてしまう。
彼は打ちひしがれた。そして、そいつが現れた。
「へへへ、やっぱりおかしいだろ。いくら腐れボッチで居場所がないからって、屋上で悪魔を魔法で倒す妄想なんかして気を紛らわせるのは。だから友だちができねし、臭えし、何もうまくいかねえんだよ」
彼の頭上に浮かんだ悪魔。それは事あるごとに周平の目の前に現れ、彼を精一杯罵倒し、彼の自信を根こそぎ奪っていく。
「もしかして、あのコならわかってくれると思ってた? そんなわけねえじゃん」
妄想の中では魔法使いであるはずの周平も、この悪魔を倒す魔法だけはただの一つも持っていなかった。
「もうここから飛び降りて死んだら。お前には友だちのひとりも出来やしねえ、これからずっと寂しい人生を送るハメになるんだからよう」
周平はこうべを垂れ、吐き気をもよおした。このまま、涙を流し、胃の中のものを吐いてしまいそうになった。
「はい」
突如、目の前に白い手が差しだされた。その手の中には缶ジュース。周平が顔をあげると、あのとびきりの笑顔があった。
「これ高木くんの分」
麗美奈緒美。ふわりと彼女が髪の毛をなびかせていた。
「……え?」
周平は分からない。なぜ彼女が戻ってきたのか? そしてなぜ彼女が自分に缶ジュースを差し出しているのか?
「あっ!! これさっき落としたやつとは別だよ。安心して。ホラ、今左手に持ってるのが落としたやつ、ここのところ凹んでるし」
彼女はそう言って、ズレた弁解をする。
周平は彼女から差しだされた缶ジュースを受けとる。そうすると奈緒美は「にっ」と口を広げて、サッと彼の隣に、スカートをお尻にそわせながら座った。
「じゃあ、かんぱーい!!」
彼女の謎の音頭に合わせて缶をカチンと当てた。
奈緒美はさっそくタブを開けるとごくごくジュースを飲んだ。周平も開けてちびりと飲む。甘酸っぱい味がした。
「いやあ、今日は暖かくていい日だね」
奈緒美はそう言った。周平はわけもわからず、じっと彼女の顔を見てしまう。
「……どうして?」
周平は聞く。
「え?」
「どうして、ジュースくれたの?」
「……ああ、なんか高木くんさっき大変そうだったでしょ。私みたいに気まぐれで来た人が邪魔しちゃったみたいだし、何かお詫びが必要かなあって思って、慌てて買ってきた」
にゃははと笑う奈緒美。
「……違う味のが良かったかなあ?」
優れない顔の周平を見て、そういう受け取り方をする奈緒美。
「いや、そうじゃなくて……嬉しいよ」
周平は思った。いざ話してみると麗美奈緒美という子はなんかズレている子だった。でも、そのズレ具合が不快ではなく、むしろ心地よかった。そして彼女と肩が触れ合うよう場所で、同じ缶ジュースを飲んでいるという事実が、周平の胸を自然と高鳴らせた。
「で……さっきのアレなんだけどさあ」
周平の背筋が凍った。彼女は、明らかにあの魔法使いごっこについて何かを言おうとしている。
「……こんなこと、聞いていいのかわからないんだけどさあ……」
神妙な顔の奈緒美。周平は寒気がした。震える唇を無理やり缶を押し付けて止めた。そして奈緒美はちゅうちょしながら、こう聞いた。
「高木くんって…………本当に魔法使いなの?」
「……え?」
彼女からの質問。それは全く周平の予想外のモノだった。
*
「だからその……、高木くんって本当に魔法使いなのかなあって?」
周平は絶句してしまう。バカにされたり冗談半分で聞かれるのならば想定内の出来事だ。けれど奈緒美が妙に真剣な顔をしているので、周平は何も言えなくなってしまう。
「あ、ごめん!! 言えないなら言えないんでいいんだ。そうだよね……本当の魔法使いだとしたら逆に私になんか言えないよね……」
ずっと黙っていたら、彼女はしゅんと下を向いてしまった。周平は慌ててしまう。
「いや、その、麗美さんは僕が出した魔法や、相手の悪魔は見えなかっただろう?」
周平は言ってから気づいた。なぜ自分は逆走して、自ら、あれがくだらないごっこ遊びであることをバラそうとしているのか……。
「だってそれは高木くん自分でさっき言ってたじゃない。『魔力のない一般人に、魔法や悪魔は見えない』って」
周平の言葉を論破してみせる奈緒美。
「だったら、私なんかに高木くんの魔法が見えるはずないじゃない」
「それはそうだけど……」
奇妙な感覚だった。彼女にそう言われると、まるで自分が本当は魔法を使っていたかのように思える。
「でも高木くんが唱えていた呪文は、なんとなく分かったよ。ホラ『炎の精霊』とか言ってたよね。魔法ってやっぱり精霊とかの力を借りて使うの?」
「ああ、別に精霊だけじゃなくていいんだけどね。妖精でも神でも、別に悪魔でも構わない。僕が最後に使った風の魔術は、悪魔の力を借りた魔法だしね」
自分の中の設定をべらべら喋る周平。
「へーーー、そうなんだ。『毒をもって毒をせいする』ってやつだね。カッコイイなあ」
奈緒美は感心して言う。周平は嬉しさを感じながらも、どこかきょとんとしてしまう。
「あの……、麗美さん」
「ん? なに?」
ぱっちりと瞳を開く奈緒美。
「麗美さん、魔法に興味があるの?」
これを聴いた時、奈緒美はそっと顔を近づけてきた。ぎょっとする周平。唇が頬に近づき、彼女の息が自分の肌にかかるのを感じた。
「あのね……皆にはナイショなんだけど……」
彼女は周平の耳元でそっと言う。
「私、魔法使いオタクなんだ」
彼女はそう打ち明けた。
奈緒美は小さな頃から、魔法使いが出てくる絵本や小説が大好きだった。こういうものは大きくなっていくとともに疎遠になっていくはずのものだが、中学生になっても、奈緒美の魔法使いへの興味はなくならなかった。むしろ、かえって強くなっていた。
奈緒美の部屋のクローゼットの奥には隠し扉がある。そこを開くとぎゅうぎゅうに魔法使いや魔法少女関係の、本を隠している。
友だちの前ではそういう話はしない。というか出来ない。さすがに中学生のコに、魔法の話などをしようとすると、変な顔をされ、不審な空気になるからだ。
だから奈緒美は自分からは絶対魔法の話をしない。けれど、いつも手ぐすねをひいて、魔法の話をしてくれる友だちを探していた。
「で、そこでさっきの高木くんを見たわけ。私感動しすぎて見いっちゃったんだ。まさか魔法の話をできる友だちを通り越して、魔法バトルの光景をこの目で見れるなんて…………ああ、魔力がないから実際には見れてないのか」
舌をぺろっと出して自分の頭をこつんとやる奈緒美。
「嬉しかったよ私。やっぱり奇跡ってあるんだよ。この世界」
周平は胸が震えた。いままで魔法の世界が、自己逃避以外の何かの役にたったことなどなかった。それがまさか、あの憧れの子との間をつなぐモノになるなど思いもよらなかった。今奈緒美は奇跡と言ったけど、それは奈緒美にとってより周平にとっての方がはるかに奇跡だ。
「……あ、ごめん、なんかべらべら喋っちゃって。よくよく考えてみれば私みたいな一般人が立ち入っちゃいけない話だったよね。だって高木くんは学校を襲う危険な悪魔と戦ってるんだから……」
奈緒美ははらりと立ち上がった。
「ありがとう高木くん。おジャマしました。私行くね。ちゃんとこのことは皆には秘密にしておくから安心して」
ぱちりとウインクをして行こうとする奈緒美。周平は胸が締め付けられそうになった。もしこのまま彼女を行かせてしまったら、もう一生彼女と言葉を交わすことが出来ない気がする。それを考えると、どうしようもなく恐ろしかった。
だから彼は、歯を思いっきり食いしばった。そして、精一杯の勇気を振り絞った。
ガシリ。奈緒美の手首が掴まれた。「え?」と奈緒美が振り向く。その手は周平が握ったものだった。
「……そうだよ」
周平の口が言葉を紡ぐ。
「君だけに明かす……」
奈緒美の心臓がどきどきと高鳴る。
「……僕は……魔法使いだ」
強い風がビュッと駆け抜けた。スカートと髪の毛が飛んで行きそうな勢いではためく。からんからんと空き缶が転がってゆく。
そして奈緒美は、弾けるように微笑んだ。
*
「お邪魔しまーす」
奈緒美は周平の家の扉をくぐった。とうとう彼女は周平の家へやってくることになった。もちろん彼の家の敷居に足を踏み入れた最初の女のコである。
周平の母親は、突如息子と一緒に家に来た女のコ、しかもものすごく可愛らしい、を見て目を白黒させていた。奈緒美はそんな様子を気にもせず、「お邪魔します」と頭を下げた。
周平の部屋に入った奈緒美は感心し、声をだした。魔法陣やら魔術書や、魔術的なアクセサリーのオンパレード。
「すごーい!! これぞホンモノって感じだね!!」
奈緒美ははしゃいで言う。一方の周平は閉ざされた広くもない部屋に、彼女とふたりでいることにどきまぎしていた。
「あ、コレ!?」
奈緒美は本棚の一画を指差して言う。そこには【魔法少女ファンシージョイナス】の文字があった。しまったと周平は思った。奈緒美が来る前に萌え系魔法少女もののポスターははがし、DVDは全部棚の奥に押しこんだはずなのだが、これだけ忘れていた。周平は慌てたが、どうすることもできずに固まってしまった。
「『私がそう思えば、愛も平和も奇跡も魔法も、ここにあるっ!!』」
突然奈緒美はポーズを決めて拳をにぎった。周平は口を開けた。まぎれもなくそれは【魔法少女ファンシージョイナス】の決めセリフと決めポーズだった。
「コレ、私大好きなんだ」
「え?」
「っていうかコレ私の教典なんだ」
「そう……なの……」
「高木くんも好きなの?」
「え……あ……まあ僕のマイベストアニメではあるね」
「そっかあ。同じだよ。つくづく奇跡だねえ」
奈緒美は喜んでいた。周平は肩の力が抜けた。ひかれなくてよかったと安心して息をついた。ここで奈緒美は頭を下げた。
「師匠」
「……師匠?」
周平はのけぞる。
「先生」
「先生?」
「どうか私に魔法を教えてください」
「……は?」
「その……私としてもとても厚かましい話だとは思うんだけど、私魔法使いになりたいの」
奈緒美は思いきり頭を下げる。
「だめ……かな……」
そして上目使いで見上げる。周平はどきっとしてしまった。
「でも魔法使いになるってことはその……」
「うん、毎日ここに修行に来ます」
「ええっ!!」
周平は震えた。少しだけ彼女としゃべりたいと思って踏みだしたはずが、ものすごいことになってきている。でも……正直毎日彼女と話ができるということはとても嬉しい。嫌だとも言えないし、ましてや全部ウソだなんて言えない。こんなまっすぐで可愛い瞳を見ていると。
だから周平は言った。
「しゅ、修行はつらいよ」
「覚悟しております」
奈緒美はパッと喜んでもう一度頭を下げた。
「お、思うんだ。きっと麗美さんは魔法使いの才能があるよ。きっと」
「本当?」
奈緒美はパッと光るように喜んだ。今の周平のセリフはあながちウソではなかった。周平はこの世に魔法使いがいるとするならば、自分みたいな後ろ向きの人間ではなく、奈緒美みたいに周囲を明るく幸せな気分にできる人間であるに違いないと考えていたからだ。
「じゃあ先生、まずは何をしましょうか?」
「あの麗美さん。取りあえず先生っていうのをやめて」
「……ん?」
「いや、恥ずかしいから」
元のままにして、と恥ずかしそうに言う。
「じゃあ『周平くん』お願いします」
「え?」
「ん? 『周平くん』お願いします。これでイイよね?」
いつの間にか呼び方が下の名前になっている。それが周平は地味に嬉しかった。
*
「衣装、つくったんだ」
奈緒美がうきうきと言う。それは魔法使いの修行がはじまって一ヶ月がたった日のことだ。
「衣装?」
周平が聞く。
「そ、魔法使いの衣装」
そう言って奈緒美はスマートフォンの画像を見せてくれた。
「可愛いのつくったんだよ」
そこには部屋のハンガーにかけられた、ピンクでフリフリのドレスがあった。
「結構力作なんだよ」
えへんと胸を張る奈緒美。
「でもこれ、結構スカートとか短くない」
「ははは、ウブだなあ周平くん。魔法使いにはセクシーさもなきゃ」
ぱちりとウインクする奈緒美。
「麗美さんが、これを着るんだよね?」
おずおずと聞く周平。
「…………そうだったぁーーーーーーーー!!」
奈緒美は頭を抱えた。
「うわぁ、ばく然と『魔法使いのすっごい可愛い衣装』っていうのだけ考えてデザインしてたら、完全にそのこと忘れてた……、これ着るの私自身だったんだ。確かにこのスカートの短さは……あかんかもお……」
顔が真っ赤になり、さらになぜか関西弁になる奈緒美。
「でも、似合うと思うけど」
「え? 本当?」
「うん」
気圧されながら頷く周平。
「じゃあ今度試しに着てみせるから。感想教えて」
「え?」
「約束だよ」
そう奈緒美は言った。周平は気おされている。
周平はふと思いつき聞いた。ずっと気になっていたことだ。
「麗美さん、聞いてもいい?」
「ん?」
ぴょこんと首を伸ばす奈緒美。
「どうして魔法使いになりたいと思ったの?」
そう周平は聞いた。正直、奈緒美の魔法使いへの熱情は異常だった。自分が魔法にハマったのは、恵まれない現実から目をそらすためといううしろ向きな理由だった。でも彼女はクラスで友だちも多い優等生だ。だから周平は、彼女が魔法に憧れる理由をずっとつかめずにいた。
それを言われ、奈緒美は、ふふと静かに笑って言った。
「私にはね。すんごいお兄ちゃんがいるの」
すんごい頭が良くて、すんごい運動神経抜群で、友だちも多くて、女のコにもモテて、誰よりも優しいお兄ちゃん。絵に描いたような完璧超人で誰にも自慢できるお兄ちゃん。
「一時期までは単純にそんなお兄ちゃんがいることが幸せでしかなかった。私はなんてラッキーなんだと思っていた。でも……ある時気づいたの」
少しうつむく奈緒美。
「それに比べて自分はなんだって? 何にもないじゃないかって」
すごく寂しそうな笑顔だった。
「そんな麗美さんは、クラスの人気者だし、成績優秀だし、なにより…………すごく可愛いし」
周平は必死にフォローする。
「いや、全然。クラスのにぎやかな輪になんとなくいるだけで、面白い話なんかできないし。成績もすごい頑張ってるのにそこそこだし。…………可愛いって……ふふ、私、お兄ちゃん以外の男のコにそんなこと言われたことないし、ラブレターとか、ひとつももらったことないんだよ」
奈緒美は思いっきり笑いとばしてみせた。
周平は、いやそれはと思った。男たちが奈緒美にそういうことを言わないのは、あまりに当たり前に可愛い奈緒美に、可愛いと言うのがはばかられたり尻込みするだけだし、いざ意を決して奈緒美にラブレターを渡そうとした男子生徒が、突如としてラブレターごと姿を消したという謎の都市伝説がいくつも残っているのだ。
「とにかく、お兄ちゃんには何にも敵わないダメな妹なの。お兄ちゃんは私が笑っているだけでいいって言ったけど、私は笑っているだけじゃ嫌だった」
奈緒美の前髪が目の前にかぶる。
「だからこのままじゃいけないって必死にお兄ちゃんにないものを探したの。で、それがコレだったの」
奈緒美は【魔法少女ファンシージョイナス】のDVDのパッケージを指差す。
兄は昔からオカルト系に全く興味のない人だった。テレビでそれ系の番組がやっていると、「くだらねえ」とすぐにチャンネルを変えてしまう。奈緒美は、自分がそういうものが大好きだと周りの人間に打ち明けられない状況にいたが、もっともそれが言えないのが兄に対してだった。兄にバレて「ナオー。お前こういうのやめた方がいいぞ」そう言われるのが怖かった。だから自然と魔法使い関係のモノは秘密の棚に隠し、ひっそり楽しむようになっていた。魔法は兄に秘密の、自分だけの世界だった。
ずっと隠していた兄への秘密が、突破口になると思った。
兄が全く理解できない世界であれば、兄を越えられると意気込んだ。そしてより一層それ関係の本を秘密で集めた。
「でもある程度やって気がついたの。これでお兄ちゃんに魔法知識を披露したとしても、『何バカ言ってんだ』って言われるだけだよねって」
彼女は苦笑した。自分の努力の方向音痴に呆れるしかなかった。魔法で兄に認めてもらうなど、実際に魔法を使えるようになって、目の前で見せてやるくらい、しないといけない。そしてそんなことは現実にあり得るわけがないと。
「それに気づいた時すんごい落ち込んだ。人生で一番凹んだ。その日のお昼、なんか一人になりたくて屋上に出てみた。そして……周平くんに出会ったの」
周平はハッとした。あの時のことだ。周平が架空の魔法バトルをみせた時。ようやくあの時彼女が屋上に来たわけが分かった。
「まさかで、本当の魔法使いに会えた。嬉しかった。奇跡って起こるんだなあって神様に感謝した」
満面の笑みをみせる奈緒美。
「そして私は魔法を習い出した。本当に魔法が使えるようになれば、やっとお兄ちゃんに無いものを手に入れられる。そしたら……」
彼女は続ける。
「やっとお兄ちゃんを喜ばせてあげられる。今までずっと私はお兄ちゃんに与えられてばっかりだったから……」
奈緒美は少し首を傾けた。
「もしお兄ちゃんが与えてくれたものを、少しでもお兄ちゃんに返すことができたら、やっと妹としてお兄ちゃんと向かい合える気がするんだ」
そう彼女は締めくくった。
周平は奈緒美の言葉にしばらく反応することができなかった。彼女の言葉が頭の中をぐるんぐるん巡っていた。
なんて一生懸命に生きている子なんだろう。
周平はそう思って奈緒美を見た。やっぱりこの子は素敵な人だった。自分が最初に感じた印象は間違いじゃなかった。周平はひたすら奈緒美を愛おしく思っていた。
「周平くん?」
奈緒美が自分を不思議そうに見ていることに気づいて、周平は慌てて二の句を継いだ。
「それで、麗美さんは魔法使いになったら何がやりたいの?」
奈緒美は答える。
「そうだね。まずはお兄ちゃんのお部屋のお掃除とか、お料理つくったりとか、そういうの魔法の力でできたらなって思ってるよ。ほら、手を使わないで空中に念力でフライパンを浮かべてさ、破裂の魔法でたまごを割って、炎の魔法でそれを焼いてね」
「……素敵だと思う。けど……」
周平はおずおずと言った。
「それって別に、魔法でやる必要そんなにないんじゃないかな」
そう言われて奈緒美はあっ!! と言ったあと、恥ずかしそうに頭をかいた。
*
「……というわけなんです」
武洋に首をつかまれた周平は、涙声でそこまでを話し終えた。つかんでいる方の武洋、彼の顔には、もう怒りの色はなかった。
武洋はそっと、床に眠る奈緒美の方を向いた。それに反応し、周平は頼む。
「……嘘をついた僕はどうなっても構いません。でも、彼女だけは見逃してください。彼女は魔法使いではなく、ただそれに憧れた心の優しい女の子なんです」
周平の声を耳に通しながら、そっと武洋は呟いた。
「……ナオ、バカだよ。お前」
そんなことしなくていいのに……。俺はただお前が笑顔でいてくれるだけで、この世の全てをあわせても足りないくらいの幸せをもらっているのに。それはこの世のどの魔法よりもすごいことで、すでにお前は世界一の妹なのに……。
武洋は穏やかな寝顔をじっと見る。
けれどそう思っていた自分の方がバカだった。そう思っていたことが彼女を苦しめていたのだから……。
武洋は深妙にうつむいた。そして周平の首を握っていた腕を離した。
「おいお前!!」
武洋は怒鳴った。周平は「ひぃ」とのけ反る。
「正直に話したことに免じてお前を許してやろう。ただし!!」
周平の胸ぐらをもう一度つかむ。
「もし、今度ナオに嘘を言ったら、今度こそぶち殺してやるからな」
武洋はそう言い放ち、周平を突き放した。
*
暗い夜道。住宅街の中をポツポツとだけ白い電灯が照らしている。
「はあ、ホント、とんだ茶番だったわね。まぁこれにて一件落着かしら」
周平の家からの帰り道、武洋の横を歩く杜乃が言った。
実際これは彼女としては面白くない展開だった。奈緒美に彼氏が出来たわけでなく、ただ子ども騙しの嘘に騙されていただけだった。もっと奈緒美の甘い恋模様や、奈緒美の彼氏発覚で悶絶する武洋を見て、陰でほくそ笑んでいたかったのにそれは叶わなかった。肩にかかるくたびれ儲けだけが残り、釈然としない結末だった。
まぁ11課をクビになって、刑務所にブチ込まれなかっただけ良かったのかな? そう思って自分を納得させた。
「というわけでタケヒロ。もう二度とこんなバカなことには手を貸さないからね」
彼女は指先をピッと武洋に向けた。
「なぁモリノ……」
恐ろしく静かな顔をした武洋、彼が言った。
「もう少し付き合え」
「…………はあ?」
思いきり口をへの字にする杜乃。
「もうひとつだけ……やりたいことがある」
武洋には、いつものちゃらけた風は少しもなかった。
「何バカ言ってんの? これ以上一体全体何やるっていうのよ。ふざけんじゃないわ!! それより【鷹の目】の水晶弁償しなさい。あれ十万くらいするんだからね」
杜乃は当然のように怒った。鼻息は荒く、交渉の余地を完全に遮断するものだった。
「なぁ【時代のヒロイン】」
「え?」
真顔になる杜乃。
「オネガイダカラ、協力シテクレニャン」
武洋は真顔と棒読みのままで猫の手を作る。杜乃の後頭部に影が差した。
「…………あとひとつ。あとひとつだけだからね!!」
杜乃は腕を組み、ぷんすかと言った。
*
奈緒美はほとほと自分のドジさに呆れるしかない。なんと周平の家でいつの間にか自分は寝てしまっていたらしい。
ほんと失礼にも程があるだろう私と、自分で自分の頭にげんこつを入れた。
起きると周平が突然頭を下げて謝ってきた。
ごめん、いままで君を騙してきてごめん。僕は魔法使いなんかじゃなくてただの魔法使いオタクなんだと。
奈緒美はぽかんとしてしまった。けれどその後ふふと笑って、「そうだったんだ。ごめんね。そしてありがとう」と言った。
思い返してみれば、最初に彼を魔法使いだと勘違いしたのはこっちの方だった。勘違いして無理やり寄ってくる変な女の子相手に嫌な顔もせず、ウソをついてまで付き合ってくれた。褒めたり怒ったりもしてくれた。ふつうこんなことできない。すごい優しい男の子だ。
だから奈緒美は感謝と申し訳なささえあれ、怒る気にはまったくなれなかった。
それに周平くんとの魔法修行の日々は本当に楽しかった。今まで魔法についてなんて話す友だちはいなかった。溜まってきた鬱憤を爆発させるように魔法について話せた。これは快感だった。
魔法を度外視しても単純に、お兄ちゃん以外の男のコとこんなにたくさん喋ったことはなかった。なんかとっても新鮮だったし、とってもどきどきしたし、とっても楽しかった。本当に楽しかった。
だから、「ごめん、もう麗美さんには二度と近づかないようにする」と言う周平に、「何で? またおしゃべりしたり、遊んだりしようよ」と言った。彼と過ごした時間はきらきらしていて、またこれからもそんな時間を過ごしたいと思ったから。
でも……、あれから数時間後の今、奈緒美は少しだけ残念な表情を浮かべた。
魔法はやはりなかったのだ。
ごろんと自分の部屋のベッドに仰向けに倒れた彼女。つくづく自分の幼稚さが嫌になる。中学生にもなって兄への劣等感から【魔法】なんてありもしないものにすがる。だからいつまで経っても子どもなのだろうなあとため息をつく。
ふんわりした掛け布団に背中をつけて見る白い天井。武洋から貰ったホタルイカのぬいぐるみを掲げて呟く。【彼】はすっかり奈緒美の親友であり、奈緒美は【彼】にしか言えない言葉もいまやたくさん持っていた。
「セサルン、私は魔法使いになれなかったよ……」
そう呟いて彼女は【彼】をぎゅっと抱きしめた。
「なれるぜ」
「え!?」
奈緒美は突然聴こえた声に、びっくりして身を起こした。
「なれるぜナオ。君は魔法使いになれる」
奈緒美は【彼】を身体から離してまじまじと見る。彼女の目玉がギョッと動く。そんなわけはないと思った……。でも目の前の【彼】の口はゆるりと動く。
「……どうしたんだよナオ? そんな不思議そうな顔をして?」
間違いない。彼女に話しかけているのはホタルイカのぬいぐるみのセサルンだった。
「……ああそうか。俺が急にしゃべり出したからびっくりしたのか?」
ぬいぐるみはさらに聞く。
「うん、とっても……。っていうかあなた本当にセサルンなの? 本当にセサルンがしゃべってるの?」
まじまじと目線を向ける奈緒美。
「ああそうさ」
ホタルイカは得意げに触手を挙げてみせた。奈緒美は口をあんぐりあけたまま固まってしまった。
「ナオ、俺は実は富山県じゃなくて魔砲の国から来たんだ」
彼はそう言う。さらに一本の触手を、奈緒美にピッと差し向けた。
「ナオ……君を魔砲使いにするためにな」
「…………えーーーーーーっ!!!!」
奈緒美は思いっきり叫んでしまった。
「正しくは【魔砲使い】なんだよな」
「【砲】?」
「そうこれ」
セサルンはポンと銃を投げた。奈緒美は一旦それを受けとめるが、その重々しさにたじろいでバッと離してしまった。
「なんでこんなに危険なものを?」
「魔砲を使うためだよ」
魔法はもっと可愛いステッキとかで放つものではないのかと奈緒美は聞く。
「まぁ諸説あるんだけどなあ、魔砲は自らの魔力を具現化して『放出』するものなんだ。『放出』に一番人間のイメージがあう道具が【銃】だったんだな」
武洋はしみじみと言う。
「まぁそんなに難しく怖く考えないでいい。銃は魔砲のための手続き書だと考えてくれればいい」
「手続き?」
「海外旅行にはパスポートがいる。結婚するには婚姻届がいる。この銃はそのためのものだ」
「でも婚姻届がなくてもラブラブではいられるんじゃない」
「でも婚姻届を役所に提出しないと、盛大に結婚式をやってケーキ入刀やキャンドルサービスや親父の泣きながらの挨拶もできないし、ハワイでの甘いハネムーンも楽しめないだろう」
この銃はそういうためのものだ、とセサルンが言っても奈緒美の表情はまだ優れない。怯えの混じった表情で銃を見ていた。
セサルンは続けて自分の身体の中からバッジを取り出した。そこには黒い地に白い丸が書かれていた。
「これは?」
「俺たち、【魔砲戦騎】のマーク」
「ぶ、ぶらすたあ?」
「いわゆる正義の味方だよ。世界をまるーくするためのな」
このマークは一説のよると銃口の部分をかたどったものであるという。黒い闇を切り裂く正義の銃口というわけだ。でもセサルンは違うという。
「この丸は人間たちの集まりなの。集まって丸をつくってるの。人間ってひとりひとりはいびつでも、みんな集まって手を繋げばきれいな丸を描くことができる。たぶん【魔砲戦騎】っていうのはそういうもんだと思うんだ」
奈緒美は関心した目つきでセサルンを見ていた。
「まぁよ。それは余談だ。俺が言いたいのは、この銃はそんなに危ないものではなく世の中をまるーくするための道具っていうわけだから。怖がらなくていいぜ」
「うん、よーくわかったよ。それなら怖くない」
奈緒美はにっこりと銃を見た。
「よし、これからナオを世界二位の魔砲使いにする」
「二位?」
「ああ、一位には先客がいるんでな」
セサルンは含みを持たせて笑った。奈緒美はここでようやく喜びのようなものが心にわいてきた。【魔法】は【魔砲】だったけど、それはこの世の中にあって、セサルンは自分にそれを教えてくれるという。奇跡はまだ終わっていないんだ、と気づくと胸がわくわく動いた。
「ところでセサルン」
「なんだ?」
「セサルンって、そんなしゃべり方じゃないような気が」
「は?」
「すんごい荒々しいしゃべり方だよね。自分のこと【俺】って言ってお兄ちゃんみたい。セサルンって自分を【僕】って言うんだとばっかり……」
「え?」
奈緒美がちょっと納得いかない顔をしたのでセサルンは焦った。
「僕は最初から【僕】って言ってるよ」
「そう、そういうしゃべり方だよね!!」
奈緒美は喜びの声を出した。
「あとさあ、セサルンは語尾に『ルン』ってつけるんだよ」
「え? ホントに?」
セサルンは、ものすごい素の口調でそう聞いた。
「私はそうだと思ってたけど……」
奈緒美がまた納得のいかなそうな顔をする。
「その通りだルン」
「そう。それ」
奈緒美が嬉しそうな顔を浮かべたが、セサルンはドッと疲れた表情を浮かべた。
「その【魔砲】の修行っていつから?」
奈緒美はノリノリで聞いた。
「もしかしてその魔砲の国とかに行かなきゃいけないのかなあ? 長期留学ホームステイみたいな感じで。そしたらお兄ちゃんのご飯とか、学校とかどうしよう……」
「ああ大丈夫。毎日夜7時半から一時間くらいでゆったりやるから……ルン」
「そんなお稽古ごとみたいな感じで大丈夫なの?」
「ああもちろん……ルン」
何かをしゃべるたびに、首を傾げるセサルン。
「あの、取りあえずしゃべり方とか、想定してない諸問題が持ちあがったんでとりあえず帰ってまた明日出直す……ルン」
「え?」
「ちょっと対策させて……ルン」
そう言ってセサルンは窓から飛んだ。奈緒美が慌てて身を乗りだすが、もうそこには誰もいなかった。奈緒美は床にぺたんと脚をつけてため息をついた。
夢?
そう思うのが普通だ。けれどこれが夢ではない証拠がある。ベッドの上にはそれが転がっていた。世界をまるーくするというその銃が。
*
武洋の部屋。ごみごみと雑誌やプリント類や脱ぎ捨てた衣服が転がった部屋。セロテープでぐるぐる巻きになった水晶。その上に白黒でノイズだらけのホログラム映像が頼りなく浮かんでいる。その映像は奈緒美の部屋のようすを表している。その横で杜乃が気だるそうに頬杖をついていた。
さらに横には武洋がいる。その武洋だが様子がおかしい。壁に背をつけ黙っている。ぴくりとも動かず、息すらしていない。はたから見ると、まるでそれは死体のようだった。
うんしょうんしょと窓から何かが入ってきた。それはホタルイカのぬいぐるみだった。
「お疲れ」
杜乃は言った。
「はあ、もっとかっこ良く飛んで去りたかったんだけどよ、この身体だと全然魔砲力が効かねえんだよ。危うく落ちそうになって慌ててしがみついてきたぜ」
そのぬいぐるみは可愛らしい声の質とはそぐわない乱暴な言葉遣いで言った。ぬいぐるみはぴとりと武洋の身体に手を当てがう。青い光がぬいぐるみと武洋をつつむ。間も無く武洋は目を開き、ぬいぐるみはぽとりと寝転んだ。
「あーっ!! やっぱ生身の身体ってのはいいもんだぜ」
死体のようだった武洋の身体は、急に血色が良くなり、思いっきりノビをした。
これは芝居だった。それは奈緒美のため、彼女を本当の魔砲使いにするお芝居。
武洋はあらかじめ、移魂の魔砲を使い、ホタルイカのぬいぐるみに魂を移して、奈緒美の部屋で待っていた。
魔砲使いは魂と銃だけで魔砲を使うわけではない。血、筋肉、内臓、脳、全てを稼働させて魔砲の糧にしている。そのことがぬいぐるみに魂を移して嫌でも実感できた。
まるで魔砲力が湧き上がらない。普段ならどんな鋼鉄でも一瞬で液状化させることができる炎の魔砲が、焚き火程度の威力しかない。アベレージ魔砲力6000mp/sを誇る武洋も、ホタルイカの姿では10分の1の600mp/sもままならない。多分杜乃にも負ける。
そんな身体になっても、この芝居だけは成し遂げなければならなかった。
「なぁモリノ、魔砲って何か知ってるか?」
武洋は人差し指を差し上げ聞いた。
「言葉を介在させ、銃を使い、奇跡を引き起こす方法のことよ」
何を今さらと、辞書通りの解答を返す杜乃。
「じゃあその魔砲を使うための源、人間が持つ魔砲の糧っていうのは何だと思う?」
さらに追求する武洋。杜乃は両手を差し上げる。
「未だに判明していない。魔砲学会で学者たちがこぞって議論している題材じゃない」
それが分かれば、もっと魔砲は使いやすく皆に普及していることだろうと言い返す杜乃。
「それに関して俺はひとつ見解を持っている。言おうか、魔砲の源っていうのはつまるところ、『自分を信じる力』だ」
杜乃ははぁと口を開ける。
「魔砲っていうのはまず、『俺が今から奇跡を起こすぜ』っていうことを口で言う、これが呪文なわけだ。その言葉に触発された大自然様が力を貸して実際に奇跡を起こしてくれるわけだ」
武洋流の魔砲のメカニズムをさらりと説明する。
「つまり『俺は空を飛べる』って大勢の人間の前で言い張ってみせるとするだろう? そこで俺が実際の魔砲でなくともいいから、トリックで空を飛んでいる風を装うとする。するとどうだ? 結果としてその大勢の人間にとって、俺は空を飛ぶ奇跡を成し遂げたことになる。簡単に言うと魔砲っていうのはそういうことだ」
杜乃の目が半目になる。
「……それって単なる詐欺じゃない」
魔砲をそんな風に言わないでと嘲りの目を向ける。
「ああもしかしたらそれに近いのかもな。騙すっていうより、その気にさせるってことなんだけどな……。あ、暴論だったか? じゃあこういう例えはどうだ? とある作家が自分の本を絶対に10万冊売って見せると公言してみせる。その力強い言葉に触発されて、周りはその本を買ったり、宣伝をしてあげたりしてその作家に協力をする。結果その作家は言葉通り10万冊の本を売ることに成功した。言葉通りを成し遂げたんだ。言ってみた時には、事実無根の言葉だったはずなのにな……」
杜乃の怪訝な顔は解けていない。武洋の論に一理ないことはないが、やはり暴論なことに違いはないだろう。
「だとしたら、一番大事なことは何か? その言葉を言った本人が自信満々なことだろうぜ。下を向いて震えた声で『僕は空を飛びます』って言っても、誰もそれを信用できないからな。じゃあもうひとつ話を進める。どうやったら自信たっぷりに言葉を発することができるか?」
武洋は力強く机を叩く。
「自分で自分のこと信じることだろうぜ。俺は絶対これが出来るんだと自分で思い込んでいれば、必然的に言葉に自信が生まれる。さらにそれを聞いた人間もその言葉を信じてしまう。結果、言葉にした奇跡が成就してしまう。これが魔砲のメカニズムだよ」
全てを言い終えた武洋は、ふぅと息をついた。
「……だとしたらアンタが世界一の魔砲使いであることも説明がつくわね。アンタほど根拠のない自信でいっぱいの人間なんて他にいるわけがないもの」
杜乃は皮肉たっぷりの賞賛を浴びせてみせた。
「だからよ、ナオに伝えたいんだよ。自分に自信を持つことを……」
武洋は俯いた。自分は気づくことが出来なかった。奈緒美の持っている一番の弱点を。そしてそれに最初にたどり着いたのは自分ではなく、あの魔法使いオタクだった。
「ナオ、あいつは優しすぎるんだよ。人をたてることばっかりで、全然自分が前に出ねえ。そして、なぜか自分を大したことない人間だと誤解している……」
「その理由ははっきりしてるわ」
杜乃が口を挟む。
「タケヒロに全部獲られたのよ。本来人間が持つべきごうまんさとか自己主張とかそういうのを」
苦々しく言う杜乃。生まれつきか後天的か知らないが、あの遠慮しすぎる奈緒美を作り出した原因は、目の前の唯我独尊クソ野郎で間違いがないというのが、彼女の見解である。
「……ああ、そうかもな……」
珍しく否定しない武洋。確かに彼自身も責任を感じていた。そしてそれに気づき、それを改善するきっかけを与えてくれたのは彼ではなく、周平とかいう男。それが腹立たしくある。
ならば仕上げは譲れねえ。奈緒美に足りない自分を信じる心、それを与えてやる義務が俺には存在する。それが今回の芝居を思いついた、武洋の理由だった。
「まぁ、いいんじゃない。タケヒロにしてはマシな方の思いつきじゃないかしら」
杜乃はふっと笑って声を掛けた。武洋はそれに応えるように笑顔を浮かべた。
「ところで宝探しは楽しかったか?」
「は?」
杜乃は表情を崩す。
「お前のディスク、全部見つかった?」
「……」
杜乃のスカートのポケットは異常な膨らみをみせていた。ちらりとつめこんだディスクが顔を出した。武洋がぬいぐるみになって奈緒美とやり取りしている間、監視そっちのけで部屋を漁っていた。10枚まではディスクを見つけたが、それが限界だった。途中、ベッドの下で見つけたダンボール。大量の女性の裸と卑猥な文字列目白押しを見せられ、そっと、元の場所に押し込んだりもした。
「無駄なことはやめろ。絶対見つけ出せない場所にも隠してあるから」
武洋は賞状の入った額縁を外すと裏からディスクを取り出した。憮然とする杜乃。さらに武洋はベッドの下のダンボール、女性が乱れたパッケージたちが大量に込められたモノ、を取り出す。
その中の、ひとつを取り出しパカッと開ける。中のディスクは白地に【モ・モ・モリノの大爆笑】とマジックで殴り書いてある。
「こんな低難易度の奴も見つけられなかったか、ダメだなあ」
そこにもあったんかい!! と杜乃はさらにぶすっとほっぺを膨らませた。
「さあて、明日からナオに魔砲を教えるわけかあ」
何やら変な気持ちだった。武洋はこんな時が来るとは思ってなかった。まさか同じ道を行くことになるとは。
両親が亡くなったあと、奈緒美を笑顔で暮らさせていくため、自分が必死に覚えたのがこの【魔砲】であったからだ。
「そうだタケヒロ」
杜乃が言う。
「なんだよ」
「言葉使いの練習しましょうか」
「は?」
「だってさっきタケヒロ、言葉使いもとのまんまで、ナオちゃんにめちゃくちゃ不信感与えてたじゃない」
「え?」
「さ、言ってみなさい。『僕は言葉使いの練習するんだルン』って」
「……」
「ホラ、ナオちゃんが魔砲使えなくてもいいの?」
杜乃はじっとりと武洋を見る。
「ぼ、僕は練習するんだルン」
武洋がそう言った瞬間、杜乃はガハハと笑い転げて、白い脚をばたばたさせた。
*
目の前にぽつんとろうそくが並んでいる。そのまん前に愛くるしい瞳がぱちくりと瞬きをした。
「これは?」
ろうそくを目の前に奈緒美が聞く。
「イメージのための修行だ……ルン」
ホタルイカのセサルンこと武洋が言う。これは魔砲の修行の第一段階である。魔砲使いはまずこの修練によってきっかけをつかむ。魔砲に限らず、すべてのはじまりは頭の中から起こるからだ。
「ところでなんでその格好?……ルン?」
奈緒美はいつか周平の家で見た、魔法少女姿をしている。
「モノは形から。少しでも魔砲が使えそうな格好がいいと思って」
奈緒美は大真面目である。
「そう……。まぁそれはいいルン」
奈緒美にじっとろうそくを見つめさせる。これを脳裏に焼きつけてイメージを膨らます。人はなかなか見えているものの本質をつかんでそれを頭の中に描くことは難しい。たぶんこれだけでも軽く一週間はかかる。そう思って武洋は軽く息をついた。
「できたよ」
間もなく奈緒美はそう言った。武洋は今しがたはいた息を、んぐっと飲み込んで言った。
「ホントにルン!?」
「ホントに」
奈緒美の脳の中には赤い炎がぼうぼうと燃えているようすが確かに見えているという。彼女はウソを言っていないのは、兄である武洋が一番よくわかっている。
武洋は驚いた。かなり難しい技術であるのに、奈緒美はあっさりこなしてしまった。それも凄まじい速さで。
「いやあ、セサルンがろうそくを用意したときにすっごい驚いたよ」
奈緒美はしみじみと言う。
「だってこれ周平くんに教わった修行法とまったく同じなんだもん」
「………………え?」
ホタルイカの口はだらしなく開いた。
*
周平の部屋。ぽつんと置かれたろうそく。奈緒美はため息をついた。
「どうしたの?」
周平は不安げに聞いた。やっぱり魔法使いの修行というイメージから考えた、この適当な修行法が納得行かなかったのかなあ、と。
「やっぱダメだ。全然イメージできない」
奈緒美は肩を下げた。
「そう……」
周平は安心しつつも、思いつきの修行を真面目にやって思い悩んでいる奈緒美を見てとてもすまない気分になっていた。
「どうしてだろう……?」
奈緒美は天井を見る。こればかりは周平もわからない。彼女は精一杯努力している。手を抜いている様子は少しもない。けれど彼女の頭の中に赤々と燃える炎は出現しない。
「やっぱ、才能ないのかな……」
奈緒美は困ったように笑った。
「いや、だって難しいよコレ。こんな変なこといきなりやれって言われても普通はできないよ。戸惑うのが普通だよ。ホント思いつきみたいな修行法なんだから」
焦って言う周平。奈緒美は「ふふありがとう」と周平のフォローにお礼を言ったあと、こう言った。
「今回だけじゃないよ。いつでも私って全然自分ができるって思ってこれなかった……ちっちゃい頃からそうだったから……」
奈緒美は指で机をなぞる。その指はごにょごにょと一貫性なく迷っていた。
「ちっちゃい頃、色んな習いごとしてたんだ。ピアノとかバレエとか。で、発表会とかあるんだけど、必ず失敗するイメージだけが浮かぶの。で、実際失敗しちゃう。学校のテストも同じ。よくできたと思う時は別に大したことなくて、悪いと思った時は本当に悪い。ほんと何から何までダメダメなんだあ私。お兄ちゃんとはまるで逆」
てへへと苦笑いを浮かべる奈緒美。「お兄ちゃん」。奈緒美と話しているとよく出てくる言葉だった。
「ホラ、【ジョイナス】のセリフでもあるでしょ。『自分を信じれない者は絶対に魔法を使えない』って、私、自分を信じれたことないんだよね」
奈緒美はアニメのDVDのパッケージを見て言う。
「だから魔法もダメかもしれない。こんなにいい先生がついててくれてるのに……情けないね、私」
そうやって自分を咎める奈緒美。周平の心がキュッとなった。
「ごめんね周平くん。私に魔法の才能があるなんて言ってくれて……。でも本当は違うんだよね」
私ができないのは周平のせいではなく自分のせい。そうやって周平を気遣う笑顔。その時周平は彼女の嫌なところをひとつ見つけた。見つけてしまった。
「私はやっぱり、ダメなんだよね……」
彼女はとても謙虚で優しい。けれどそれが行き過ぎている。相手を気遣うために、彼女自身を檻の中に閉じ込めるようにしている。なんで……なんでなんだよ……、僕なんかのために自分よりずっと綺麗な心を持ったいい子がなんで?
そう思った時周平は叫んでいた。
「出来るよ!!」
「え?」
「絶対出来る!!」
いつの間にか、周平は奈緒美の肩を握っていた。
「なんで悪く言えるんだよ。何でダメだと思うんだよ。麗美さんは、こんなに素敵な人なのに」
「え?」
顔が真っ赤になる奈緒美。
「例え麗美さんが信じなくても僕は信じる。きっと君は魔法を使える。それまでずっとそばにいて教えてあげる。だから、やろう」
「周平くん……」
ここまで思いの丈を叫んで、周平はハッとした。彼女の肩をむにゅりと思いっきり抱いていてしまったことに気づき、ハッと手を離した。
「ありがとう。そしてごめん」
奈緒美は頭を下げていた。それを「え?」と見る周平。
「私、やる」
彼女の顔は一秒前とは別人のようになっていた。優しいだけの笑顔じゃなく、前よりもっとキラキラ輝いていた。
奈緒美はろうそくの前で目をつむった。手のひらを前に出し、むんと力を込める。周平はごくりと息を飲む。ごうごうとろうそくは燃える。
しばらくすると奈緒美はパッと目を開けて、笑った。
「できた」
「え?」
「できたよ……できたよ周平くん」
感激の眼差しの彼女。
「本当かい?」
「ホントだよ。できた!! 私の頭の中で炎が見えたよ」
感激のあまり奈緒美は周平に抱きついた。
「ちょっ!!」
周平は焦った。奈緒美の身体は想像以上に温かくて柔らかい。それでいて力を込めると折れてしまいそうなしなやかさがあった。
「ありがとね、周平くん」
奈緒美の身体へ過剰な遠慮している周平に対し、奈緒美は、思いっきり腕に力を込めて周平を抱きしめていた。そのとき奈緒美は気づいた。自分ひとりでは自分のことを信じられなくても、誰かが必死に信じていてくれれば、自分を信じることができるんだってことに。
*
「……そうだったのか?」
奈緒美の話を聞いた武洋は肩を落としていた。本当に落ちこみ。ルンを忘れる。
「さぁセサルン、次は?」
奈緒美は得意げに言っていた。
「あの、ちょっと休憩だ…………ルン」
そう言って武洋は一旦廊下に出た。壁に触手をつけてだるそうにうつむく。
「『自分を信じれない者は絶対に魔法を使えない』……か」
それは真実だ。だから武洋は奈緒美にその心を与えようとしていた。が、奈緒美はすでにそれを持っていた。
魔砲使いでもないあの魔法使いオタクがなぜか魔砲の本質に奈緒美を導いた。信じられないがそういうことが起きていた。
武洋は兄貴としてこれ以上ない敗北感に打ちのめされていた。ぐったるとスルメのように身体に力が入らない。ホンモノに至る道というのはニセモノからでもいいのかもしれない。武洋の頭にふとそんな考えがふと頭をよぎった。
*
「よし、実際に魔砲を使ってみるルン!!」
30分後、気をとりなおした武洋は言った。冷静に考えてみれば世界一の魔砲使いである自分がただの魔法オタクなどに敗北感をおぼえることは間違っている。そしてこれからが本領だ。何せここからはあの魔法使いオタクでは絶対に踏み出せない、ホンモノの魔砲の出番なのだから。
「よーし、がんばるぞお」
奈緒美は昨日まではあれほど恐る恐る見ていた銃を力強く握った。
「ちょっと待つルン」
そういって武洋はそっと奈緒美に近づいた。ぴょこんと奈緒美の肩に乗り呪文を唱えはじめた。武洋の触手が青く光る。
「……何、セサルン?」
奈緒美は少し怯えたように見上げる。
「はいOKルン」
武洋は手を離し、彼女の足元に降りた。
「え、何が?」
「いや、うまくいくおまじないルン」
「……」
目を点にする奈緒美。釈然としていないようではあったが「そうかあ、ありがとう」と気を取り直してお礼を言った。
武洋はほくそ笑んだ。実はこれはおまじないどころではなく、今回の計画のキモであった。なぜならばこれをやらなければ絶対に奈緒美は魔砲を使えないからである。
魔砲を発動させるために最も難しいのが、そのきっかけをつかむことである。そのきっかけをつかむには数万人にひとりの天賦の才能がいる。そして残念ながら奈緒美には恐らくその才能がない。だから少しズルをして才能を与える必要があった。それが今武洋がやった【テザリング】である。
【テザリング】とは魔砲使いが持っている魔砲のきっかけを他人に貸し出す魔術である。今こっそりと武洋の魔砲力回路が奈緒美に繋がれた。これから奈緒美の手から出る魔砲はすべて武洋経由で出るものである。武洋は今、魔砲の中継基地となっているのだった。
奈緒美は力強く銃を握った。目の前にはあいかわらずろうそくがある。
「今度は実体化。前にイメージした炎を実際に現せさせルン」
そういって武洋は自らの銃を出し触手で握った。そしてかちりと引き金をひいた。
拳大の火の玉が現れ、それがボウと音を立てた。
「おおおおおおおおお、すごーい!!」
奈緒美は拍手をした。
「まぁ、こんなもんだルン。大きな魔砲を使うにはもっと複雑な手順、ちゃんとした言葉、つまり呪文がいルンが、この程度なら呪文はいらないルン」
武洋は片目をつむり、サッと銃口を吹いた。
「さ、ナオの番だルン」
「う、うん」
奈緒美は頷いた。しかし【テザリング】できっかけを渡されたとしてもすぐに魔砲が使えるわけではない。他人からもらったきっかけを人はなかなか生かすことができないのだ。頭に浮かべるだけでも大変なのに、それを現実に現させるにはさらに強い自信がいる。武洋は今度こそ手こずるだろうと、少し意地悪そうな顔をした。
目をつむる奈緒美。彼女のちっちゃな指が引き金をひく。目を開く。そして銃から火の玉が現れた。
それはシャボン玉のような大きさの火の玉で、シャボン玉のようにあっさりと消えた。
奈緒美はふぅと息をついて、隣の武洋を見た。武洋は大口を開けていた。
「え、何でできるんだ!?……ルン」
「え、出来てるの!? セサルンのと比べてすんごい小さいやつだったけど」
「いや、一発目から炎を現せられる人間なんてまずいないルン……」
武洋は自分の過去を思いだす。どれくらいで出来たかは覚えてないが間違えなく一発目ではなかった。自分に自信を持つことでは他の追随をゆるさない武洋でもそれは無理だった。
「うん、なんか出来そうな気がしたんだよね」
謙虚な奈緒美が笑顔でこう言ってのけた。
「なんでだルン?」
すごく嫌な予感をさせながら聞いた。
「周平くんが、私ならできるって言ってくれたおかげ」
奈緒美は満面の笑顔で答えた。
「……、あのおひとつ言ってもよろしいかルン」
「なに?」
「……その、周平とやらに褒められて自信を持てたのは嬉しいルンが、そのおナオはお兄さんにもよく褒められてたじゃないかルン」
「うんそう。優しいお兄ちゃんなんでめちゃくちゃ褒めていただいてます」
おどけた丁寧語で言う奈緒美。
「それなのにそのときは自信を持てなかったのに、あの男に褒められたら自信を持って……、それはあの男の言葉の方がより心に響いたということなのかルン?」
「そういうわけじゃないんだ。お兄ちゃんに褒められるのも周平くんに褒められるのも、比べられないくらいどっちも嬉しいんだけどね」
奈緒美は少し考えてから言った。
「セサルン、マッサージってさあ自分でやっても気持ちよくないじゃない。あれってさあ自分じゃない別の体温で揉んでもらうから気持ちいいんだって。多分さあお兄ちゃんと私って体温がほとんど同じなんだよね。だから嬉しいんだけど、どこか確信が持てなくて。でも周平くんは体温が違うんだ。だから褒められたらすごく嬉しかった」
奈緒美はそう説明した。そして奈緒美の言っていることはよく分かった。でも、武洋の悔しさはおさまらなかった。
*
対抗意識がメラメラとわいた武洋。自分の手で奈緒美をどんどん育てていくことに決めた。というよりそうしなければ、武洋の気持ちの整理がつかなくなっていた。
奈緒美の目の前にはばらばらになった積み木があった。
奈緒美が銃を向けると、積み木が宙を浮きあがった。そしてふわふわと移動をした。右を見ると積み木でできたお城がある。これは武洋がつくった見本だった。このように魔砲で作りなさい、という意味だ。
奈緒美の持ち上げた積み木がぷるぷると震えだす。そしてことりと落ちて跳ねて完成図のお城にあたり、それを崩壊させた。
「ああ」
奈緒美はだらしなく言った。
「……うーん、ダメだあ」
頭を抱える。魔砲による念動力の訓練。ここで奈緒美ははじめての挫折見せていた。
「ナオ、どうだ、魔砲は難しいルンよ」
ぽんぽんと奈緒美の肩を叩く武洋。
「セサルン、なんか嬉しそうだね」
「……いや、そんなことはないルン」
武洋は誤魔化すが、一本の触手がぴょこぴょこ跳ねているのが全く隠せていない。
「……うーん、念願の魔砲でお片づけまでもう少しなんだけどなあ」
奈緒美はじっと銃を見る。
「魔砲で……私の得意なことを……」
銃をくちびるにつけて、んーっと考えた。
「そうだ!!」
奈緒美ははじけるように言った。武洋はぱちくりとまばたきをした。
10分後、奈緒美は居間のテーブルの前にいた。魔法少女服の上にエプロンをつけて。
テーブルの上には餃子の皮、そして金属製のボウルの中にはニラとキャベツと玉ねぎとひき肉が混ざりあった具があった。
奈緒美は銃を片手に念動力で餃子の皮を宙に浮かばせる。ボウルの中の具をちょこんと浮かばせ皮の上に置く。ばさりとそれを包む。横の小さい皿に取った水を皮のふちにつけ、餃子をたたむ。ふちにはきれいにひだひだがつけられていく。小さく可愛い生餃子がひとつ出来上がった。
「ナオ?」
先ほどとはまったくちがう精密さに、舌をまく武洋。
「思ったとおりだ。やっぱりだ!!」
奈緒美は叫んだ。
「ふだん得意なことって、魔砲でやっても得意なんだ!!」
奈緒美は再び銃を手にとり、餃子の皮に銃口を向ける。次々と餃子出来上がっていった。
武洋はぽかんとそれを見ていた。ウソのような光景だった。奈緒美は自分が思っていたよりはるかに早くハードルを越えた。しかも自分が全く思いつかなかった方法で。
武洋は思った。今までなんとなく、奈緒美が持っているものはすべて自分が知っているものだけだと思っていた。でも違った。奈緒美はいつの間にか、自分が知らないものをいくつも持っていた。
それがわかったとき武洋は、またどうしようもないさびしさに襲われた。
「ほらセサルン、私餃子つくるの上手でしょー」
「ああ」
武洋は生返事をする。
「餃子つくること。お兄ちゃんもよく褒めてくれるしね」
「え?」
武洋は顔をあげた。
「ナオ、でもさっき言ってたよな。お兄ちゃんに褒められても自信になんないって……」
「セサルン、ちょっと受け取りかた違うって。自信にならないわけないじゃないよ。お兄ちゃんに褒められるのはマッサージじゃなくて湯船につかってる感じかな。じとーってからだがあったかくなって、気づくと身になっているというか」
奈緒美は人差し指をぴんと立てて言った。武洋の顔は少し明るさをとり戻した。
「そうか、よかった……」
静かにそう呟いた。
「さ、フライパンで焼こうかなあ。そうだ、明日はサトイモの皮をむこう。これでやれば手がカユイカユイにならずにすむ」
奈緒美はにっこり言う。武洋は奈緒美の姿を見た。今の奈緒美はどんどん新しいことを吸収し、ぐんぐんと成長しているのだ。
教える喜びってこういうことなのかなと武洋は思った。正直、自分が教えていることはほぼなく勝手に奈緒美が見つけていっているだけのように感じているが、実はものを教える人の役割はその程度ではないかという気もした。
何よりいきいきと物事に取り組んでいる奈緒美の姿はとても可愛かった。
「そうだナオ」
「何?」
「『私のハートもめしあがれ食べごろにゃん』って言ってみるんだルン」
武洋は突如無茶ぶりをしてみた。
「え?」
「こう言うと餃子が美味しくなる。そういう魔砲だルン。最後には猫の手も頼むルン」
「うんわかったあ。『私のハートも……」
奈緒美は武洋のリクエストになんのためらいもなく応じようとした。
「ちょっと待つんだルン」
「え?」
「なんでそんなにあっさり言えるんだルン」
「いや、セサルンが言えって言ったから」
そうだ、奈緒美はこういうことに全く羞恥心を感じないタイプだった。というかノリノリでやるタイプだった。
「いや、これは恥ずかしいセリフなんだルン。ハートっていうのはつまり心臓なんだルン」
「うん、そうだね」
「心臓って内臓のことだルン。つまり裸以上に内側の部分だルン。しかもそれを食べてなどと言っているのだから、『私の裸を見て』の1億倍は恥ずかしいセリフだルン」
「え、そんなに?」
困惑する奈緒美。
「そうだルン」
「うわぁ、そう言われると恥ずかしいかも……」
奈緒美の顔が真っ赤になった。
「じゃあやって」
「い、今あ!!」
驚きながら奈緒美は息を飲む。
「……私のハートもめしあがれ食べごろにゃん」
恥ずかしそうに上目遣いに、そしてはにかみながら猫の手をつくって言った。
クラちゃん、バカにしてごめん。本当にいいわこれ。そしてモリノ、やっぱお前がやるより数倍いいわ。
武洋はしみじみと思った。
*
「武洋、そろそろ気が済んだわよねえ」
釣り堀の小屋。こたつに入った杜乃が言った。実は彼女は毎日武洋と奈緒美の修練を監視しながら、さらに武洋の身体の番をさせられているのだ。
「いやあ、まだやりたいな」
武洋の指はみかんの皮を剥いていた。
「……タケヒロ、もはや私利私欲に走りはじめてるわよね」
苦々しい表情の杜乃。
「は?」
「私の考えたセリフ……」
「あああれ。あれってすんごい可愛いセリフだぞ。セリフはホントに」
そう武洋が言った瞬間、杜乃の手がむいていたみかんをぐしゃりと潰した。
「もう十分ナオちゃんも自信をつけたでしょ。そろそろ現実に戻してあげなさいよ。まさかあんたナオちゃんを魔砲戦騎にしたいとか言いだすんじゃないわよね?」
「魔砲戦騎ねえ」
それは武洋もダメだと思う。魔砲犯罪者と奈緒美を戦わせてしまうような恐ろしい真似は、想像しただけで身震いがする。とはいえここまでがんばった奈緒美を、ごほうびとして、一瞬だけ魔砲戦騎にしてやりたい気もする。
「武洋さん、正式な魔砲戦騎になるにはイギリス外務省魔砲部の認可が必要ですよ」
武洋の頭のうしろからクラークがにゅっと顔を出した。
「あ、課長、いらっしゃったんですか……」
私たちふたりだけしかいないと思っていましたと、杜乃は気まずそうな顔をして言った。武洋はお疲れ様ですと実にのほほんと挨拶をした。別にこのことがバレても気にしない武洋と、バレたらすんごい怒られて、最悪免職もあるのではと思っている杜乃には態度の違いがあった。
「そして私はイギリス外務省魔砲部の端くれです」
「はい」
武洋は頷く。
「だからやりましょう、認可試験」
武洋と杜乃の目が点になる。ふたりともみかんのひとふさを口の中に入れる。そして表情が変わった。
「……ええええええええええええええ!!」
大声をあげたのは杜乃だった。その横にいる武洋はというと、嬉しそうに笑っていた。
「セサルン、ここは?」
奈緒美はきょとんと言った。日曜日の昼、ホタルイカのぬいぐるみの言うがままに連れて来られた場所は、街外れの釣り堀跡であった。濁った水が張られた釣り堀の上には【ばとるふぃーるど】と書かれた横断幕が横切り、釣り堀にはふたつの発泡スチロールでできた浮島が浮かんでいた。
「試験場ですよ。【魔砲戦騎】になるためのね」
突然ななめ後ろから聴こえた声に奈緒美は身構えた。そこにはスーツを着た外国人の中年男性の姿があった。
「はじめまして。11課を率いております、課長のクラークです」
「どうも、ないすとぅみーとぅーです」
奈緒美は手を握り返す。
「これ、私のためになんですよね」
奈緒美は釣り堀の横断幕を指さして言う。
「そうです。私が書いたんですよ。墨もすってね。結構うまいでしょ?」
「はい。私のためだけにこんなに。ありがとうございます」
奈緒美はもう一度丁寧に頭を下げた。
「セサルンさんにはいつもお世話になってます。そして君の話もよく聞きます。いやあ本当に聞いた通りのいいコです」
「いや、そんなそんな」
奈緒美は恐縮する。
「いえ、想像以上です。こんなに感謝がうまい子だとは思わなかった」
「……当たり前のことだと思うんですけど、お礼言うの」
「いえ、なかなかお礼は言えませんよ、しかもお礼の9割はただ言っているだけのお礼です。あなたのように自分へ人がしてくれたことの重さに気づけて、お礼を言える人はなかなかいません」
ニコニコとするクラーク。褒められて気分はいいものの、いまいち自分がそこまで褒められる理由がわからない奈緒美。
「挨拶はこのくらいにして試験の内容です。ルールは単純です。あの浮島に立って、落ちないように先に相手を落とせば勝ちです。勝てばあなたはめでたく魔砲戦騎です」
奈緒美の目は浮島に行く。浮島はマンホールほどの大きさでゆらゆらと濁った水の上を漂っている。
「相手って?」
奈緒美は聞く。
「ああ、自慢の魔砲戦騎たちが相手です」
クラークが指ししめす場所にはパヤノ、クララ、そして杜乃がいた。
そのうちひとり、そこにいた杜乃の姿に、奈緒美は目をまんまるにした。
「あーーーーっ杜乃さん!!」
思いっきり指を指してしまう奈緒美。
「知り合いですか?」
わざとらしくクラークが聞く。
「そうです。お兄ちゃんの彼女で」
「違う!!」
奈緒美の足元にひっそりといたセサルンが断固としてそう否定した。その理由を、奈緒美はよくわからなかったが、あまりに強い口調で言われたので一応訂正した。
「お兄ちゃんの仲のいいお友だちで、すごくオトナでしなやかで優しい人です。私ああいうオトナな女の人になりたいってずっと憧れてたんですよ。そうかあ魔砲戦騎だったんだあ」
奈緒美はうっとりと杜乃を見つめた。憧れの人が憧れのものであるということは嬉しいことだった。
「はいコレ」
クラークに紙を渡される。紙には五つのスタートがあるあみだくじが書かれていて、はしが見えないように折られていた。
「これ……」
「相手決め。あ、ボクも混じってるから当たったらよろしくね」
にっこりと言うクラーク。不安げに奈緒美は一番端のスタートを指差した。
クラークが「?トゥントゥントゥルルル」とアミダ用BGMの鼻唄を歌う中、奈緒美は対戦相手を決めるアミダをなぞる。
相手は誰になるのだろうと武洋は考える。自分なら思いきり奈緒美をいい気分にさせて勝たせる。課長は適当に手を抜いてくれそう。パヤ姉も大丈夫……でも以外と容赦がない気もする。クラちゃんとだと……壮絶な泥仕合になりそうだな。お互い発泡スチロールの浮島の上であわわしながら魔砲も出さずに勝手に落ちそうだ。
釣り堀のあちら側にいたパヤノ、クララも奈緒美の様子をハラハラと見ている。
「ああ、私になったらどうしよう。なんとか盛り上げないと。もっと前から言っててくれれば何かネタを仕込んでおいたんですけどね」
クララは頭を抱える。
「とりあえずストレッチ」
パヤノがそう言ったので、ふたりで身体を伸ばしあいはじめた。杜乃はひとり、どうでも良さそうに頬杖をついていた。
クラークの鼻唄が止まった。そして彼は手招きをした。
「誰ですか? 誰?」
クララが言う。パヤノもクラークをじっと見る。間もなくふたりの目線は杜乃に行った。それに気づき杜乃はギョッとした。
「……私っ!?」
自分を指差す杜乃。釣り堀の向こうのクラークは確かに自分に向けて手招きをしていた。
*
なんだかなあ。
杜乃はそんな感想を持っていた。浮島の上であわわと必死にバランスをとる奈緒美が目に入る。
こんなバカらしい催しに奈緒美は一生懸命だ。半ば騙されてのことだが、普通はこんな見るからにウソっぽい認可試験は手を抜く。
なんで自分はこんなことをやっているのだろうと考えた。
元はといえば、そのバカらしい催しが開催されるに至った原因は武洋にある。武洋のちっぽけな思いつきが、とうとう11課全体を巻きこんだ。杜乃自身も脅し半分とは早々に巻き込まれたひとりである。
武洋が前に言っていた通り、人や大自然を騙しててでも巻き込む力こそが魔砲力であるならば、やっぱり武洋は世界一の魔砲使いであると言わざるを得ない。
「えーと、“素早き力強き先陣 闘いの中で赤く燃やせ 戦士の心よ”」
奈緒美は、斜め上を見上げながら暗記したその言葉をそらんじて、カチリと引き金をひいた。
「【イグニゾン】」
ピンポン玉ほどのちっちゃな火の玉が奈緒美の銃から出る。そして杜乃の方に向かっていった。
ああタケヒロ、ナオちゃんに【イグニゾン】教えたんだ。そう思いながら杜乃はさっと火の玉を避ける。バランス感覚の良さに浮島は揺らがない。一方、撃った奈緒美の方がバランスを崩し、浮島から落ちかけている。とっさに両手をついて浮島を静めて、息をついた。
「杜乃さん、めっちゃバランスいい。モデル体型でしなやかに動いて、まるでバレリーナみたいでカッコイイなあ」
奈緒美はそう呟いた。ナチュラルで出た褒めの言葉は杜乃にも聴こえていて、杜乃はそこまで褒めんでもと気恥ずかしかった。
「ナオ、その調子だルン。どんどん撃ってその性悪女を落とすんだルン」
「……性悪?」
杜乃はギロリとホタルイカのぬいぐるみをにらんだ。
そこから奈緒美は頑張って火の玉を連射をするが杜乃に当たらない。大概はあさっての方向に飛び、たまに杜乃に飛んだやつもなんなく避けられる。杜乃は息をつきながら奈緒美を見た。
ナオちゃんってやっぱ、見てて応援したくなるなあ。
ふと杜乃はそう思った。うまくいかなくても、よくわからないことでも必死に頭と手を動かす。やっぱああいう子には何かしてあげたいと誰でも思うよなあと、杜乃は自分が相手であることも忘れて思った。
ここで焦れた武洋が叫んだ。
「おいモリノーーーー!!」
「あん?」
武洋の呼びかけに杜乃は横を向いた。
「いいから落ちろ」
「……は?」
杜乃の眉間にしわが寄った。
武洋が皆や杜乃を巻き込んだバカな催しはすべて奈緒美のためだ。武洋の目は奈緒美にしか向いていない。奈緒美が大事なのはわかる……。杜乃自身も奈緒美を応援してやりたい。けれど……
「私はどうでもいいんかい」
そう思ったとき、杜乃は自分でも意外な行動に出ていた。気がつくと彼女の手は、もものホルスターから銃を取りだしていた。
「“駆け抜けろダイヤモンド 両手を高くあげ 轟きわたるざわめきに その胸を凍らせ”」
そしてギリギリと呪文を唱えていた。
「【グラウリュート】」
氷の粒が奈緒美に向けて発せられた。
え?
奈緒美も、見ていた皆も、表情がゆがんだ。武洋も何やってんだアイツとひどく慌てた。が、一番ゆがんだ表情を浮かべていたのは杜乃自身だった。
私は何てことを……
「ナオちゃん、避けてーーー!!」
杜乃は叫んでいた。奈緒美の身体が強張る。けれど奈緒美は迫りくる氷の粒に対して、そっと銃をあげた。
そうなんだ。これは闘いなんだからあちらから攻撃が飛んでくることもあるよね。そしてそこにどう立ち向かうかが重要なんだよね。
不思議と杜乃の魔砲が飛んできたとき、腹がすわり、奈緒美はそう思えた。
「“素早き力強き先陣 闘いの中で赤く燃やせ 戦士の心よ”」
奈緒美は呪文を唱える。そして彼女の銃から金のオーラが一瞬出る。それを見てクラークの眉がぴくりと動いた。
「【イグニゾン】」
奈緒美の銃から大きな火の球が出た。その火の球は以前武洋がコンビニ強盗に放ったものと同等のものだった。
その火の球は氷を飲み込んだ。そのまま杜乃に向かう。
「え?」
せまる火の球。杜乃は目が点になった。
「杜乃さん、避けてーーー!!」
奈緒美の叫び声。完全に逆転した立場。杜乃は焦って横に飛ぶ。そして頭から釣り堀にドボンと落ちた。
「勝者、ナオーーーーー!!」
弾けるように武洋が言った。
「杜乃さん、大丈夫ですか!?」
勝者となった奈緒美は喜ぶこともせず杜乃を心配する。浅い釣り堀のため、水からはみ出た2本の白い脚が天を向いてぴくぴくしている。多分本人がこの光景を見ていたら恥ずかしくて二度と外を歩けないだろう。
武洋は大喜びしていた。クララもパヤノも関心してぱちぱち拍手していた。
「いやあ、これはホントの【奇跡】ですねえ」
先ほどの奈緒美のオーラを思い浮かべ、クラークは深く息を吸った。
*
「おめでとう。これであなたも【魔砲戦騎】です」
クラークはバッジを渡す。そのバッジは段ボールに黒い折り紙を貼り、その上に白いマジックで円を書いたものだった。
「ありがとうございます」
奈緒美はそれを満面の笑みで受けとった。
「よかった。本当に喜んでくれてるんですね」
クラークはニコニコと言った。
「はい」
当然のように奈緒美は言う。
「このバッジをホンモノだと思いますか?」
「はい」
一片の曇りもなく奈緒美は答えた。
「でもこれは段ボールで、僕がマジックでかいたやつです。普通はニセモノだと思いますよね」
そう、それは出来の悪い子ども騙しにしか見えない。でも奈緒美は言う。
「でもマークと込められた想いはいっしょじゃないんですか?」
白い円。前にセサルンが言っていた世界をまるーくする正義の味方。その一員のしるし。
クラークは奈緒美の言葉に笑った。
「大正解です。大切なのは何でできているかではなく、何がかかれているかなんです。すぐにそれに気づけるっていうのはさすがです」
クラークは満足そうに笑った。
「やっぱりあなたはものすごい才能の持ち主です」
奈緒美は恐縮しながらも嬉しくて笑った。
「ナオおめでとうルン」
武洋が駆けよって彼女を祝福した。
「ありがとう。これも周平くんとセサルンのおかげだよ」
「……なんでアイツの方が先?」
むっとした顔をする武洋。
「うん、このバッジ帰ったらお兄ちゃんに見せてあげよう」
夕日にバッジを照らして言う奈緒美。
「え?」
「魔砲戦騎になったとかっていうのは言えないけど、このバッジを見せて私はすごいことを出来たって報告したい」
「ナオ……」
武洋は思わず奈緒美に飛びついた。奈緒美はちょっとびっくりしたが、ふふと笑ってホタルイカの身体を抱き返した。クラークが、パヤノがクララが、微笑ましげそれを見ている。
奈緒美は楽しかった。自分ひとりだった世界が色々な人に認められてじわじわ広がっていくのが、楽しくてしょうがなかった。そうか世界はこうやってどんどん楽しくなっていくんだ。奈緒美はその仕組みを理解し、そしてじっくりとその味を噛みしめた。
釣り堀の脇で毛布に包まったびしょ濡れのセーラー服。そのけげんな眉毛。「くちゅん」とくしゃみが一つ、寂しそうに響いた。
*
「びっくりねえ」
金髪の影が笑った。その笑い声はいつか武洋が聞いた邪悪な響きをそのまま残していた。
金髪の影がいるのは釣り堀の裏の林の中。暗い木々に閉ざされた場所。
自分がここに来たのは11課という小さな小石を蹴りとばすためだけだった。実につまらない仕事だった。けれどここにまさかここで【それ】をみつけると思わなかった。
影は魔砲力計を見やる。数字が金色に光っている。それを見てますます赤い口を広げる。
でもこれは奇跡などではない。私の力が呼びよせた必然なのだ。なぜならこの世界に奇跡なんて起こるわけがないのだから。
「さあ、11課の皆さん、お望みどおりの展開がやってくるわ」
なんとなくそこにある日常はもう終わる。そしていつか武洋が望んでしまった殺伐とした戦いの日々が訪れようとしているのだった。
「麗美センパイってやっぱめちゃカッコイイ」
グラウンドの脇の芝生の丘。体育着を着た女の子が歓声を上げた。目線の先には華麗にバスケットボールで放物線を描き、ネットを揺らす武洋の姿があった。
「くちゅん」
横で不機嫌そうなくしゃみの音がした。その音を鳴らしたのは黒髪を風に流し、白い脚を緑の芝生に無造作に投げ出した女の子、杜乃だった。
「ねぇ杜乃、今の超カッコ良かったって、王子シュートだよ王子シュート」
「……ねぇ実瀬、不愉快だからアイツを褒めないでくれる」
杜乃はやれやれと言った。鼻の頭が若干赤い。
「なんで、カッコイイじゃん」
杜乃のクラスメイトである小林実瀬はキラキラとした目で武洋を見つめつづける。なんてラッキーだと彼女は感激していた。偶然一学年上の武洋のクラスと自分たちのクラスの体育が重なるなんてと。杜乃と実瀬は長距離走の待ち時間中に武洋の体育の様子を見ているのだった。
「麗美センパイカッコよすぎだわ。成績もクラスでトップでしょ。で、射撃部では全国大会毎回優勝だし。最高。ああ私のハートも撃ち抜かれたい」
悶える実瀬。
「実瀬、自分で言ってて恥ずかしくない?」
杜乃はすっかりあきれている。
「ねぇ杜乃、実のところどうなのよ? 杜乃、麗美センパイと付き合ってるって噂あるんだよ」
単なる射撃部の部員同士にしては、いつもいっしょにいるし、と実瀬は興味津々に聞く。
「ない。絶対ない」
即答する。
「でも、いつも【タケヒロ】って呼びすてじゃない」
「あの男に、【さん】とか【先輩】とかそういう言葉を使うのが死ぬほど嫌なだけよ」
杜乃ははっきり言ってのけた。
「でも杜乃うらやましいなあ、いつもあんな綺麗な人と一緒にいれるんだもん」
実瀬の目はじっと武洋を見続けている。
「……ねぇ実瀬、知ってる? 富士山って遠くから見てるとすごい綺麗だけど、いざ登ってみるとゴミがいっぱい落ちててめっちゃ汚ないらしいわよ」
「……なぜ今その話を?」
実瀬は首を傾げた。
「実瀬、次実瀬のグループだよ」
「あ、はーーーい。じゃあ杜乃、走ってくるねーー」
そう言ってクラスメイトに呼ばれて実瀬は行ってしまう。杜乃はひとりになり、さみしく「くちゅん」とくしゃみをした。昨日釣り堀に落ちてからというものの、風邪気味で調子が悪い。
走る武洋が見える。きらきらと汗で髪の毛が光っている。それがウザい。
「なあにカッコつけてんだか、私がいなきゃ何もできない癖に」
杜乃は吐き捨てた。昨日の奈緒美の認可試験を武洋も奈緒美も、他の課員たちも「楽しかった」と口をそろえて言う。が、杜乃は全然楽しくなかった。その楽しくなさが、今も恨みがましく尾をひいていた。
コツコツという足音が杜乃に近づいたのはその時だった。柔らかい芝生の上を歩いているのにやけに硬いその靴音が。
それは明らかに異様だった。小学生くらいの背丈。腰まで伸びた鮮やかな金髪。肌の真っ白な女の子。まわりの風景からあまりに浮いていた。
「新井場……杜乃さんですよね」
にっこりと彼女は言った。綺麗な声であったが、それを凌駕するほど冷たい声でもあった。
「誰?」
最初杜乃は、どこかの小学校から迷い込んできた外国人の女の子だと思った。しかし自分の名前を知っているところをみるとそうではないらしい。そして杜乃は全く彼女に見覚えはない。
「ちょっとお話があるんです」
「……今授業中だからあとにしてもらえる」
杜乃は気味の悪い彼女を邪険に突き放す。すると彼女の口元が笑った。
「昨日の寒中水泳、見事でしたよ」
「え?」
杜乃の顔はひきつった。
「氷魔砲のエキスパートが、最後は冷たい水に突き刺さるなんて、とても愉快な筋書きの戯曲でした」
杜乃の背筋が凍った。距離を取り、構えをとっていた。
「あんた何者?」
「そうでした。まずはお名前を名乗らないと」
金髪の女の子は手を前に出して名乗った。
「三ツ俣オグマと申します」
杜乃は激しい悪寒を感じ、もう一歩後ずさってしまった。
*
オグマと名乗る金髪の少女はそのあとも三日月型の口をべらべらと動かしつづけた。
「私たちは【ハマルティア】という魔砲の非営利団体を営んでおります」
「……ボランティア団体か何かかしら?」
「はいそうです。世界を平和にするためのです」
杜乃は口をつぐむ。
「世界中では魔砲犯罪が増えています。平和ボケなのはこの日本くらい。魔砲使いは皆不満を持っています。ふつうの人間よりも高い力を持つ自分たちがふつうの人間よりも肩身が狭いことが。だから彼らは魔砲の力を暴走させ犯罪を起こしています」
「そのためにイギリス外務省は世界中に魔砲戦騎を派遣している。この日本にも11課がある。違う?」
杜乃は反論してみせる。
「生ぬるいですよ。アレ」
「は?」
「あんな生ぬるいことで世界の平和は保たれません。もっと根本的で革新的な枠組みが必要です。何より力が必要なんです」
風がオグマの髪の毛をまくりあげる。
「自己紹介はこのくらいにして本題です。実は私はここ何日か日本で探しものをしていたんです」
「探しもの?」
「はい、『お姫様』を」
「は?」
けげんな顔をする杜乃の目の前に魔砲力計が差しだされる。
「【6100mp/s】? かなりの数字ね」
杜乃はその数字を読みあげる。
「はい、かなりの数字ですが、大切なのはそこじゃあありません」
彼女はもう一度魔砲力計を指さす。その数字は、青でも赤でもなく金色だった。
「え?」
杜乃は驚いた。こんな色の数字ははじめて見た。
「この金色の数字がしるしです。探し求めていた『お姫様』の」
オグマは少しおどけながら言った。
「この数字、昨日11課の本部で取ったんですよ」
「え?」
「新井場杜乃さん、あなたともうひとりいた、謎の魔法少女の闘いのときにとったものです」
杜乃の唇がぶるっと震える。
「ただこれがどちらのモノかまではわかりません。杜乃さん、この数字があなたのものならば私たちに協力していただきたいのです。あなたは世界を平和にする力を持っていて、私たちはそれを必要としているのですから。そしてあなたでないのならば、あの女の子を紹介してもらいたいんです。是非」
杜乃は身震いをした。彼女の声はさっきからずっと綺麗だが本当に気味が悪い。
自分がこの数字の持ち主でないのはわかっている。自分がこんな強力な魔砲指数を残せるわけもないし、金色の数字など見たことがない。この数字がオグマという少女のでっちあげのいたずらでなければ、この数字を残したのは奈緒美ということになる。そして彼女は奈緒美に何かをさせようとしている……。
杜乃の目線の先には武洋がいる。今彼女が大声をあげれば武洋は気づく。武洋の力も使いこの怪しい少女をとっちめることが出来る。けれど、杜乃は武洋から目線を外した。
「それは私のモノよ」
杜乃は言った。
「お姫様は、私よ」
毅然と言う杜乃。オグマは赤い口をにんまりとさしあげた。
*
体育館裏にやって来たオグマと杜乃。杜乃は体育着ではなく制服に着替えている。教師に気分が悪いのでとウソをつき抜けだしてきたのだ。
「仮病使って授業サボってちっちゃなコを体育館裏に連れだす。健康優良不良少女の仲間入りだわこれ」
気だるそうに首をまわす杜乃。そのあとくちゅんとくしゃみをして、自分が今そんなに健康でないことを思い出した。
「で、どうすればいいの?」
杜乃の質問を聞き、オグマはポケットから魔砲力計を取りだす。
「もう一度チェックさせてください」
「はあ」
「最終確認ですよ。あなたが本当にお姫様かどうか」
青い瞳が杜乃を映す。
「簡単な魔砲を使ってください。それで色を見ます」
「はいはい、わかったわ」
杜乃は静かにオグマに近づく。そして右脚を思いきり振りあげた。右ハイキック。間一髪でよけたオグマ。脚は樹木に突き刺さる。その右脚のももにつけられたホルスターから銃をぬき、オグマの頭に銃が突きつけられる。
「ごめんなさいね足癖が悪くて。でもいいでしょ。ガキのお姫様ごっこにお姉さんがここまでかまってやったんだから」
【ハマルティア】。先ほどオグマがその名前をいった時に杜乃の不信感は確かなものとなっていた。それは杜乃が仕事の合間に調べていた海外の魔砲犯罪リストで非常に多く目にする単語だった。何のことはない。【ハマルティア】とは魔砲を使った国際的なテロ組織であり、この女の子はその仲間だ。
オグマは憮然としているのか、笑みが消え、静かな顔になった。
「さぁお嬢さん、お姉さんといっしょに来てもらえる?」
引き金を人差し指でなでる杜乃。このまま11課本部にこの少女を連行しようとしていた。
オグマは無表情だった。そしてごそごそと首から下げていたポシェットを漁りはじめた。
「何やってるの? 撃つわよ」
「撃てばいいじゃないですか」
「は?」
「平和ボケの11課っていうのはホントなんですね。この状況で撃たないっていうのはあり得ないと思うんですよ」
オグマはポシェットから何かを取りだそうとしている。杜乃は焦って引き金をひいた。
「【グラウリュート】」
氷の粒はオグマの頭を直撃する、はずだった。しかしその場所にいたはずのオグマはこつぜんと消えていた。
「やっぱハズレじゃないですか。数字真っ青ですね」
その声に振り返ってみるとオグマが左手の魔砲力計を見て笑っていた。右手に銃を構えながら。
「知ってましたよ、あなたがお姫様じゃないの。99%違うんですけど、そうやって確かめないいい加減さって私ダメなんですよ。人生のほころびってそういうところからはじまるものだし」
杜乃のうなじに汗が滲んだ。突きつけられた銃口。完全に立場は逆転していた。
*
杜乃の頭にこのとき浮かんだのは武洋の顔だった。それみたことだというあの顔だ。
あの男は常に無条件にこちらの協力をせびり当たり前のように受け入れ感謝もせずのうのうとしていやがる。それがいつも腹立たしかった。
それ以上に腹立たしいのが彼の目の先だ。彼が杜乃を見てくれていることはまずない。武洋の目線はいつだって奈緒美にあるのだ。
武洋も今、報われない一方通行の矢印を奈緒美に出しているが、それ以上に報われない矢印を杜乃は出しつづけてきた。それに腹を立て武洋の真似をして独断したらこのザマだ。
やっぱあんな奴の真似はするもんじゃないな。
そんなことを思い、情けなさが身体中をおおった。
そしてオグマはぶつぶつとつぶやき引き金に指を掛けた。
「【パニッシャル】!!」
彼女は平和ボケの杜乃と違いためらわずにあっさり引き金を魔砲を唱えた。破裂音が耳をつんざく。すべては終わったように思えた。
杜乃はぱちぱちと目をしばたかせた。温かい感触だった。
天国、ではない。そういう温かさではなくて力強くそして柔らかく自分をつつんでくれるような温かさだ。
「いやあ、ずっと俺のことをジロジロ見ている目線が急に消えたからなあ」
その声はそう言った。
「こっそり体育抜け出して、わざわざ着替えて追いかけてみたら大変なことになってたわ。モリノ、独断専行は危ないって知らなかったか?」
そう、杜乃を胸に抱いてかばった武洋が笑いながら言っていた。
杜乃はとっさに武洋の身体を離し、スカートのホコリを払った。杜乃は悔しかった。助けてもらったことはありがたいが、もっとも弱いところを見せてはいけない人間にそれを見せてしまったから。
「もうこんなのやめろよ」
武洋の言葉が苛立たしくて、杜乃は何も言わずにそっぽを向いた。
「ひとりで抱えこむのは」
杜乃は思わず顔をあげた。
「お前が頑張り屋で目立ちたがり屋なのは知ってるけどな、ひとりでやれることっていうのは限界があるからな」
武洋の口がのうのうとしゃべる。
「まったく、世話のかかる【相棒】だこと」
そう言って武洋はぽんと杜乃の頭を叩いた。杜乃はお前には一番言われたくないわ、と思ったが、なぜか心から怒れずにいた。そうか、見てくれていなくもないのか。そう心の中でつぶやいた。
*
「麗美、武洋さんですね」
オグマはうやうやしく聞く。
「そうだが、何か用か嬢ちゃん」
「お噂はうかがっております。世界一の魔砲使いだそうで」
そういうオグマの口調はどこか小馬鹿にしたものだった。
「嬢ちゃんが俺のファンなのはよくわかった。あとでサインあげるからもうオイタはやめなさい」
武洋は懐から抜いた銃をつきつけてゆっくり近づく。
「そう堅いことは言わずに、質問を一つよろしいですか」
オグマはにやりと聞く。
「麗美武洋さん、あなたほどの実力を持った人が、なんでこんな11課にいるのですか?」
武洋はぴくりとして、オグマを見た。
「11課は最悪です。ここ数日あなたたちを見ていてよくわかりました。毎日毎日仕事もせずにおしゃべりや、ご飯を食べたりといってまるで仕事らしい仕事をしていません。そんな無駄がよく許せますね」
オグマははっきりと「無駄」と言った。
「魔砲犯罪は日本では多く起きませんので仕方ないかもしれませんが、それにしてもひどいです。私は憤慨しました」
オグマは地面を這うアリたちを見やっている。
「なぜそんなことになるのかと私は考えました。それはやはり合理的な精神が足りないからなのです」
「合理的……」
「ええ、あなたたちは毎日毎日無駄を積み重ねています。もしもあなたたちに合理的な精神があればその無駄さがわかるはずです。蛇口からぽたぽたと落ちる水を見て、別にいいやと蛇口を閉めないのは愚かな人間のすることです。まともな人間ならばその水がやがて、風呂おけいっぱいにたまって溢れそうのなる様子が想像できるはずです。かけがいのない時間と労力を無駄に使うのは最高の悪です」
オグマは地面を這うアリのうち、列を外れ、そこら中をうろうろしているアリを指で弾いた。
「世界に平和が訪れないのも、そうやってなまけている人間があまりにもこの世界に多いからです。そう思う人間たちが集まり、我々【ハマルティア】はできました」
オグマはここでその組織の名を出す。
「ハマルティアは世界のすべてを合理的にしようと思っています。そうすれば世界は平和になります。とても平坦で暮らしやすい世界に」
そう言ってのけたオグマはものすごく自信ありげだった。
「麗美武洋さん。素晴らしいと思いませんか? 我々の考えは。そしてこれは計画外の、急な私の思いつきなのですが、仲間になりませんか? 有能な人材ならばいくらでも仲間にしたいというのが我々の合理性です」
オグマは右手を差しだした。杜乃ははらはらと武洋を見てしまった。
「悪いな、俺は世界を丸くしたいんだ」
「は?」
想像外の言葉だったのか、オグマは聞き返してしまう。
「聴こえなかったか、お嬢ちゃん。俺は世界を丸くしたいんだ」
武洋は魔砲戦騎のバッジを突きつけてみせた。
「さっきお嬢ちゃんは俺たちが仕事をしてないって言った。そうなのかな? ああやって仕事場で仲間たちと話しているのってそんなに無駄なことなのかな」
「無駄です」
オグマは冷たくトーンの低い声で即答した。
「俺はそうは思わないんだよ。ああやって仲間と話しているうちに、いっしょに何かやってるうちに、みんなのことがよくわかってくる。『ああこのコ、こんなこと考えてるんだ』『ああこのヒト、こんなときこんな可愛い仕草をするんだ』『ああこのヒト、こんな辛い経験したのに全然そんな素振りも見せずに振るまってんだ』ってな。よーくわかってくる」
武洋は誇らしげに胸を張る。
「そして最後に自分が何者だかわかってくる。そうか、自分ひとりじゃ自分が何者かわからない。ああいう一見くだらないように見えることたちをやっていく中で、やっと自分がわかるんじゃないかって。それで、次に、ようやく世界のことがわかるんだよ」
武洋自身思っていた。こんなグダグダした毎日なんて、全く意味なんてないんじゃないかって。そしてもっと何かと闘う派手な任務を行い、自分の力を知らしめたいって。でも11課をはっきりと否定するオグマを目の前にしてわかった。あれはものすごく大切な日々だったんだ。必要な日々だったんだ。ああいう日々があるからこそ人は生きていけるんだ。
武洋は、奈緒美と武洋がそれを失った日を覚えている。あれから武洋が必死にしたことは、両親が死ぬ前の『いつも』を取り返すことだった。『いつも』があれば人はどんなに苦しくても生きていける。そして『いつも』があれば人は人に優しくできる。それが、『丸い世界』の意味。
武洋は自分の拳を見る。丸い形をしている。そしてそれをそのままオグマに突きだす。
「俺はもうすでに世界を平和にする【魔砲戦騎】なんだよ」
武洋は勝ち誇ったように言った。その日々を続け、なくなりそうなときにはそれを取り戻す。武洋の力はそのためにある。武洋はようやく自分の使命を思い出した。
「……もう用はありません」
暖かい空気を押し戻すように冷たい空気が流れた。オグマははっきりと口を開いていた。
「もう麗美武洋さんに用はありません」
オグマの目は空っぽだった。武洋を見る目は子どもが興味のないおもちゃを見ているかのようだった。が、間もなく彼女の目に怪しい光が戻った。
「私が用があるのは、お姫様……麗美奈緒美だからです」
オグマは言った。そして引き金がひかれた。
「【ナルダラーレ】」
銃口は天へ、そして唱えられたのは飛翔の呪文。オグマは飛んだ。凄まじいスピードでオグマの身体は小さくなって行った。
「……くっ」
武洋は飛んだ。背筋が凍った。慌てて飛翔の魔砲で追いかける。金髪の少女はあの気味の悪い声で、確かに奈緒美の名を口にしていたからだ。
「周平くんっ」
朝教室で周平が机に座っていると、奈緒美が話しかけてきた。
「ああ、あの……」
周平はあれ以来、奈緒美と話すたびに悪魔の顔が思い浮かぶ。以前のような自分の妄想が作りだした悪魔ではなく、自分の部屋の屋根を現実にふっ飛ばし、それからの数日自分を満天の星空の下で寝かしてくれるようにしてくれたあの悪魔だ。
『もし、今度ナオに嘘を言ったら、今度こそぶち殺してやるからな』
あのドスのきいた声が今でも鮮明に思い出せる。怖くてたまらない。そして奈緒美にずっと嘘をついていたという後ろめたさもある。
だから自分からは絶対奈緒美に話しかけないのだが、奈緒美はそんなことを知ってか知らずか、以前と変わらず周平に話しかけてくる。
話している内容は他愛のない普段のことでだいたい奈緒美が一方的に話して周平が相づちを打つだけなのだが、それは楽しかった。
もうウソはついてないからセーフだよな……。
しゃべるだけなら悪魔も許してくれるよな。そう思って周平はこの幸せを満喫していた。
「周平くん見て」
この朝の奈緒美は、何かを周平に差しだした。それはダンボールでできたバッジだった。
「これは?」
「【一人前】の証です」
「え?」
「周平くんのおかげでもらえたんだよ」
「……え、……え!?」
周平はわけがわからない。
「それと周平くん」
奈緒美はもうひとつ言った。
「【まほう】って最高だよ」
このとき始業のチャイムが鳴ったので、奈緒美は自分の席にいってしまった。なんだかよくわからないけれど、周平は自分が何らかの奈緒美のためになったのかもと思って、嬉しかった。
*
奈緒美はふふんと鼻を鳴らした。
正直、授業の生物の内容は全然頭に入っていない。そして斜め前に座る周平の背中を見ていた。
魔法使いになる夢が叶い、【魔砲戦騎】という役職も得た。正直ふわふわと身体が浮かぶような感覚がある。
一人前。その単語が浮かんだ。自分がその一人前になったと考えるのはおこがましいと思いつつも、そうなれたんだという実感があった。昨日家に戻って兄に魔砲戦騎のバッジを見せた。
「なんだこれ?」ときく兄に。「【一人前】のしるしだよ」と答えた。兄は「そうかあ、よくやった!!」といいこいいこしてくれた。すごく嬉しかった。
そして今、彼女はうずうずしている。周平くんには全部話してしまいたい。ずっとそれを思っている。
規則で【魔砲戦騎】は正体を誰にも言うことができない。兄に言ったのと同じく、一人前のしるしであるということはさっき伝えたのだが、周平には全部洗いざらい言ってしまいたい気持ちがある。魔法がこの世の中にあるって知れば周平くんもすごい喜んでくれるだろうし、自分がその魔法使いになったといえばすごい褒めてくれるような気がする。
けれどやっぱり規則なんだから言ってはいけないのだろう。そこがつらい。
ああ罪つくり。私、秘密のあるオンナになってしまった。
そう思いながらほっぺたを抱えた奈緒美は、それがまんざらでもない感じでもあった。
「な、なんだあれ……」
窓の外の校庭を指さしそう言ったのは、クラスメイトのひとりだった。奈緒美も他のクラスメイトと供に校庭を見つめた。
真っ赤に燃えた火の球が天から降り注いでいた。ドンと音が鳴り、校庭に突き刺さった。そのときにはクラス中の生徒が窓際によっていた。
「隕石か?」
誰かが言った。がそうではなかった。
奈緒美は見た。火の球が落ちた場所から出てきたのは女の子だった。金髪をした小学生ぐらいの小さな子。そして暗い影が身体をまとっていた。
火の球から女の子が出てくるなんて、これもまた魔法少女の世界みたいな感じだなあと奈緒美はのんきなことを少し思った。
次の瞬間、その子の目が奈緒美の目と合った気がした。そしてその口がにやりと笑った気がした。奈緒美は一転して、急に怖くなった。
もう一度ドンと音がした。その女の子に向けて火の球がもうひとつ降り注いだのだ。女の子はそれを避ける。奈緒美は火の球がやってきた先の空を見た。そこには学ランを着た男子高生がいた。
「……お兄ちゃん?」
奈緒美は目を疑った。けれど奈緒美が間違うことはない。そこにいたのは武洋だ。
「あのときの悪魔……」
そう呟いたのは、奈緒美と同じところを見ていた周平だった。
武洋らしき男子高生は校庭にしゅたりと降りたち、もう一度呪文を唱えて、金髪の少女に銃を向ける。
「【イグニゾン】」
男子高生は火の球を女の子に直撃させた。吹っ飛んでいく女の子。男子高生はそれを追いかけ飛んでいく。そしてふたりの姿は消えた。
今数秒起きたことがウソのように校庭は静かになった。きっとこれは夢なのだと皆が思った。
「えーと、肺胞というのは酸素を……」
教師は気まずさを振り払おうと強引に授業を再開する。皆もさっきのことを見なかったことにしたいようで、教科書やノートに目を移し、教室は静かになった。
「先生!!」
静寂をさくように奈緒美が手を挙げた。
「あの、ちょっとトイレ行ってきます……、あの大きい方なのでちょっと時間かかるかもです」
そう言って奈緒美は廊下に走って行った。教師と生徒はみなぽかんとしていた。
「麗美……さん……」
周平をひとり、ひどく心配そうな視線を送った。
*
大きな駐車場の真ん中。オグマは大の字で横たわっていた。武洋が静かに近づく。
武洋の炎の魔砲をまともに受けたオグマだが服が汚れていない。顔もきれいなままだ。きっと防御魔砲で肌に触れる直前に全部ガードしていたのだろう。それを武洋もわかっているから慎重に近づく。
「何の真似だ?」
さっきからオグマは一発たりとも自分から攻撃魔砲を出していない。
「すみません、さっきもう用がないっていったのは嘘です。麗美武洋さんは有名人なんですよ、私たちの間でも。やっぱり世界一って言われる魔砲力を肌で感じたいじゃないですか」
オグマは上半身だけを起こし、魔砲力計を見た。
「でもどうしてです? 【3011】……、調子でも悪いんですか?」
そうオグマは言う。
「手加減って言葉を知ってるかい。嬢ちゃん」
武洋は答える。
「そろいもそろって平和ボケですか。本気で殺しにいくべきなのに」
オグマは他人事のように言う。
「さて、そろそろ私の番にしてもよろしいですか」
髪の毛をさっとかきあげると、オグマは銃を小さな手で握った。
「麗美武洋さん。今までずっと狭い世界でのお山の大将ご苦労様でした」
立ち上がったオグマが両手を広げる。そのとき追いかけてきた杜乃がしゅたりと降りたった。
「武洋、大丈夫?」
そう声を掛ける杜乃に「今のところはな」と右手をあげて応える武洋。ちょうど観客も増えて好都合だと笑ったのはオグマだった。
「見せてあげますよ。現実の厳しさを」
オグマのさらさらとした金髪が逆立つ。黒い風が彼女の身体をまとう。そして彼女の身体が一度裸になり、黒い風が布となり彼女の身体を包んでいく。
気がつくとオグマの身体は黒くまがまがしい雰囲気の服に着飾られ、銃も大砲のように大きくなっていた。
「なんだそれ?」
武洋は聞いた。
「【魔砲衣】ですよ」
「魔砲衣?」
「最高位の魔砲使いが力を発揮するときにまとう衣です。麗美武洋さんは、めしたことはないのですか?」
そう尋ねられた武洋は目線を上にあげる。
「あるの?」
杜乃気になって聞く。
「……いや、見たことないだろう。あんな服着た俺」
「うん。そんなキモい光景見たくない」
武洋は軽く杜乃の頭を小突いた。
武洋は嫌な予感がした。世界一だと思っていた自分にもできない芸当をこの女はやったのだから。
駐車場のアスファルトが震える。オグマを中心クレーターをつくっていく。そして彼女は銃をあげる。
「“高まる覇気よ今 眠る野心を醒ませ いざ解き放ち刻みこめ その新たな歴史を”」
オグマの指が引き金をひく。
「【ディアボルスター】」
銃から出たのは黒く大きな塊だった。それが武洋を襲おうとする。
「【ディフェンシオ】」
武洋は防御障壁を出すが、それはティッシュペーパーのようにあっという間に割かれて、飲み込まれる。そして彼の身体は弾き飛ばされた。
「武洋っ!!」
杜乃が駆けよる。
「どうですか? 私の魔砲」
オグマの言葉に反応し、杜乃は魔砲力計をのぞき込む。【7053mp/s】。
「そんな……?」
杜乃は驚く。その数字は武洋のベストをも越えていた。
「おいおいシャレになってねえな」
武洋は、想像を越えたオグマの魔砲力に苦笑いをみせる。
「これでいいわけはできなくなりましたね。わかったでしょう。麗美武洋さんが万全の状態だったとしても、私に敵わないということが」
オグマの言葉に杜乃は「え?」と疑問を浮かべた。
「新井場杜乃さん、気づいてなかったんですか? 麗美武洋さん、すごい調子が悪そうなんですよ」
「……まさかタケヒロあんた」
ここ数日武洋は奈緒美のために馴れない移魂魔砲とテザリングを使いつづけていた。杜乃は気づいていなかった。それが元で武洋の魔砲力が著しく落ちていることに。
「そんなときに……」
私のために、助けに来てくれて……。杜乃の顔が沈んでいく。
「おいおいモリノ、そんな顔をするなよ。調子が狂う」
武洋は静かに立ち上がる。
「まぁ分が悪いが絶望的ではねえだろ。どうにかこうにか工夫をすれば、あのマセガキを倒せんだろ」
得意だろそういうの、俺たちは、そう声を掛ける。
「……ええ」
杜乃は表情をとりなして、立ち上がった。
こちらはふたり。あちらは恐ろしい魔砲力もっているとはいえひとり。これ以上の最悪が来ない限りは大丈夫だ。ふたりはそう信じていた。
「全く。状況のわからない愚かな方たちですね」
オグマは冷たく言った。
「お兄ちゃん!!」
その声が聴こえたのはそんな時だった。
武洋は目を見開いてそっちを見た。駐車場の入り口には、はぁはぁと息をして、膝頭をおさえる奈緒美の姿があった。
「ナオ、来るな!!」
武洋は血相を変えてそう叫んだ。その言葉を聞いてか聞かずか、オグマはにんまりと銃口を奈緒美に向けていた。
*
奈緒美は上履きのまま走っていた。大好きな兄が【銃】を片手に空を飛んでいたからだ。兄が何やら大変なことに巻き込まれているという事実に加えて、その銃を片手にした兄がいるという事実が奈緒美に、まさか、という不安を与えていた。
飛翔する兄を追いかけてその場所にたどり着くと、金髪の女の子がこちらに向けて銃をつきつけていた。奈緒美は息を飲むしかなかった。
「【ディアボルスター】」
黒い塊が奈緒美を襲う。飛翔の魔砲の超スピードで武洋が飛び込み奈緒美を抱えて避ける。止まっていたトラックに黒い塊は直撃し、派手な音をたてて横転していた。
「お兄ちゃん……これ?」
自分のすぐ目の前にある兄の顔に聞く。
「ナオ、じっとしてろ。いいな」
そう言って武洋は銃口を差し上げた。杜乃も銃口をオグマに向けている。
「【イグニゾン】」
「【グラウリュート】」
炎と氷が同時にオグマに向かうが、オグマはあっさりそれをはらう。
「【ディアボルスター】」
そしてまたあの巨大な黒い塊を、今度はふたつも同時に出した。武洋と杜乃は防御魔砲で抑えきれず吹っ飛ばされてしまう。武洋の銃がころころと転がる。そしてそれは奈緒美の足元に落ちた。
オグマの銃口が武洋へ向いている。それを見た奈緒美は慌てて銃を拾った。そしてゆっくりと構えた。
「ナオ、やめろ!!」
その姿を見たとき武洋は必死に押しとどめた。ダメなのだ。無理なのだ。
「“素早き力強き先陣 闘いの中で赤く燃やせ 戦士の心”」
奈緒美は呪文を唱えていた。が、それは意味がない。もう奈緒美は魔砲を使えないのだから。
武洋が奈緒美のために開けた芝居の幕は降りていた。
奈緒美は魔砲戦騎になり十分な自信を得ていた。武洋は目的は達せたと思った。だから武洋は奈緒美を褒めて頭を撫でたとき、【テザリング】をそっと切った。これで楽しい物語は終わりになったのだ。
「やめろーーーっ!!」
武洋はもう一度叫んだ。
「【イグニゾン】」
奈緒美が引き金をひいた、そして銃からは炎の球が出た。
「……え?」
武洋は驚いた。そんなわけがなかった。今の奈緒美が魔砲を使えるわけがないのだから。
しかし、その火の球が放たれた相手であるオグマ。彼女だけはただひとりそれが当然であるかのように笑った。ポケットからちらりと魔砲力計を見る。そこに輝く金色の文字。
「ごきげんよう、【お姫様】」
オグマはそうつぶやいていた。
*
奈緒美の出した火の球はオグマの横を素通りし、見当違いの場所に当たった。オグマはそれを見てすっと鼻息をはくと、銃をポシェットにしまった。
「どこへ行く?」
きびすを返したオグマに向けて、武洋は叫んだ。
「ノルマは達成いたしましたので帰ります」
淡々とそう答えた。
「ノルマ以上の成果の深追いは地獄への第一歩、これ人生の原則です」
オグマは人差し指をたててそう言う。
「逃がすと思っているの?」
銃を向ける杜乃。さっきまで追いつめられていたのが彼らだったということは脇に置いて言った。
「焦らないでください。また会えますよ。近いうちに」
ふり返り、瞳をキラリと怪しく輝かせた。そして彼女は飛翔の魔砲でどこかに飛んでいった。
武洋は彼女を見やりつつ、すぐに奈緒美の方を向いた。彼女はさみしいような切ないような表情で、きゅっと唇を噛んで地面を見ていた。
「ナオ、その……」
武洋はこわごわと奈緒美に声をかけようとした。けれども、
「お兄ちゃん、ごめん……」
奈緒美は手に持った銃を武洋に差しだす。そして走っていった。
「ナオ!!」
武洋は追いかけようとする。が、それを杜乃が押しとめた。
「おいモリノ、どけよ」
武洋は杜乃の手を払おうとする。
「ナオちゃん、私が魔砲使いって知ったときは無邪気に喜んでたけど、タケヒロがそうだって知ったら相当ショックだったんだね」
「……やっぱ、俺がずっと黙ってたこと、怒ってる……だろうな」
「それだけじゃあないわよ」
杜乃はトンと武洋の胸をつく。
「ちょっとナオちゃんと話してくるわね」
「おい、俺も」
奈緒美の後を行こうとする杜乃を武洋は追いかけようとする。
「あんたは待ってなさいって。ここは女同士腹をわって話してくるから」
「何言ってんだ。ナオを一番大事に思ってるのは俺だぞ」
「一番大事な人だから話せないってこともたくさんあるでしょ」
杜乃がこう言うと、武洋はハッとした。
「今日は、生まれてはじめてあんたに借りをつくったから早く返済しときたいのよ。相棒を信じなさいってえの」
杜乃はそう言って追いかけた。ひとり残された武洋はそっと縁石の上に腰を下ろした。
*
奈緒美は座っていた。この街は坂が多く。一番上まであがると街中が見渡せる丘がある。奈緒美が座っていたのはそんな場所だった。杜乃は奈緒美を見つけて駆けよった。
「杜乃さん……あそこ見てください」
奈緒美はそっと指を指し示した。そこにはわずかに青い色が見えた。
「ここからでも、わずかに海が見えるんですよ」
そう微笑みかける奈緒美の目はさみしげだった。
「お兄ちゃん、魔砲戦騎なんですか?」
奈緒美は杜乃に聞いた。
「ええ、世界一のね」
杜乃はそう答えた。
「はは、やっぱり。さすがお兄ちゃんだ」
奈緒美はかわいた笑い声をあげてそう言った。そしてもう一度海を見た。
「昔家族で海に出かけました。私はまだ小3だったかなあ。お兄ちゃんを出しぬいてやれって、少し離れた岩場まで泳ぎました。なんとかそこに行きついて元いた浜辺を見たんです。遠く見える浜辺が私の泳いだすごい距離を表していて、とても誇らしい気持ちになったんです。でも、そこで肩を叩かれました。ふりむくとお兄ちゃんがいました。私は『よく来たな』って嬉しそうなお兄ちゃんを見て『うん』って笑って答えたけど、実は内心がっかりしていました。だって私だけが見たと思っていた景色は、すでにお兄ちゃんが見ていた景色だったから」
奈緒美は胸に手をやった。杜乃は彼女の肩にそっと手のひらを置いた。
「ナオちゃん、必死だったんだね自分の『オリジナル』見つけるために」
杜乃はそう言った。奈緒美は杜乃の『オリジナル』という言葉に違和感を覚えて、顔をあげた。
「『オリジナル』ですか……?」
「そう」
「そんな特別なことをしようってつもりはないんですけど」
「でもタケヒロにない何かが欲しかったわけでしょ」
こう言われて奈緒美は納得した。
「はい、欲しがってましたね私、確かに『オリジナル』を」
納得したあと、ちょっと気まずそうに笑った。
「私意外に欲張りなんだなあ」
「何言ってるの、みんなそうじゃない。特別な何かになりたいのは」
「でも見つかりませんねえ、私だけにしかできないこと……」
こう言ったあとにしばらく静寂が訪れた。海からやってきた風がふたりの髪の毛とスカートをなでた。
「でもタケヒロはすごく喜んでたんでしょ」
「えっ!?」
「ナオちゃんが泳いで行ってあげたとき」
「あ、はい」
奈緒美は慌てて話を戻した杜乃に答える。
「そりゃそうよ。ナオちゃんが追いついて、おんなじ景色を見てくれたから」
杜乃は人差し指を一本差しあげる。
「もしナオちゃんが岩場まで泳がなかったらあのバカ、どうなってたと思う。日が落ちるまでずっと岩場に取り残されてぽつんとしてたに違いないわ」
奈緒美の頭の中に、岩場のフジツボをそっと人差し指でなぞり、波の数を数える武洋の背中が思い浮かんだ。
「タケヒロはナオちゃんと同じ景色を見られて、喜んでいたはずよ。それはナオちゃんが頑張らなきゃ絶対に得れなかった喜びなのよ。幸せもんよ、タケヒロ……」
杜乃は微笑んだ。
「そうやってナオちゃんはずっとタケヒロのために『オリジナル』を考えてるんだねえ」
全然見つからないそれに焦りつつ、必死に考えて、必死に手足を動かして、みんなにそのことを笑われて、恥ずかしくなって動けなくなって……。
それでも手足を動かし続ける。それでも考え続ける人に、『オリジナル』は降りてくる。気がついたとき、まるでハンカチ落としのハンカチみたいにうしろにひっそりとあるのだ。
どうしても何かをしたい、どうしても何かを言いたいという切実さ、それこそが『オリジナル』だと杜乃は思うのだ。そして奈緒美はそれを持っている。
最後に杜乃は言った。
「焦らないでも必ず見ることになるわよ。ナオちゃんだけにしか見えない景色をね」
奈緒美は胸に置いていた手をそっとそこから離し、ぎゅっとこぶしを握った。そして「はい」と海まで響くような声で言った。
そのとき杜乃の銃が鳴った。銃はこう叫んだ。
『緊急事態。11課本部壊滅。11課本部壊滅』
その音は冷たく叫び続けた。
『焦らないでください。また会えますよ。近いうちに』
杜乃はオグマが確かそう言っていたことを思い出した。
クラークとパヤノ。ふたりはこたつに入って向かいあっていた。ふたりともスーツの上にドテラを羽織ってこたつの上にはふたつの湯のみ。そして手元にはカードがあった。
パヤノがさっと四色にぬられた一枚のカードを出す。彼女はいつも通りのクール表情を保ちつつ少しだけ右眉を得意げに上げた。
クラークも手元から四色のカードを出す。
「パヤノさん、勝ったつもりでいたら大間違いですよ。オトナの男はちゃんとキリフダを隠しもっているんですから」
クラークはそう言ってみせた。
そこでパヤノは表情一つ変えず四色のカードをもう一枚重ねた。
「え!? もう一枚持ってたの?」
「うの、きいろ」
間髪入れずにパヤノは言う。
「容赦ないね。パヤノさん」
クラークはカードを何枚も取りながら恨めしげに言う。パヤノは今度は左眉もいっしょに上げた。
「それでは、黄色だったね。スキップ、スキップ、リバース、リバース、スキップ……」
クラークは次々手札を出していく。ここでパヤノの目が丸くなった。
「……で、スキップでウノ。で、上がり」
赤の七が出され。パヤノはぽろっと自分の手札を落とした。
「ね、怖いでしょ。オトナの男って」
得意げに言うクラークに、パヤノはうんと大きくうなづいた。
「どうも、おはようございまーす」
元気な声が釣り堀の小屋に響いた。
「あ、クララさん、今日は平日だよ。ずいぶん早いじゃない」
「インフルエンザで学級閉鎖ですよ。いやあインフルエンザになってしまったみんなには悪いんですがラッキーです」
ぺろっと舌を出すクララ。実にるんるんとした気分でいる。
「クララさんは大丈夫なの?」
「はい、全然。………あっ! 私がバカだから風邪ひかないとか思ってますね」
クラークはいや別にという顔をする。
「まぁでもいいですよ。こうやって健康体でのんびり休めるんなら、クララはバカでも全然構わないです。むしろバカでいてくれてありがとうって感じですね」
そう言ってクララは伸びをした。
「クララさんもやります?」
こたつの上のカードを指すクラーク。
「あ、いいですね。でも私弱いんですよ。ウノ忘れの常連なんです。三割ほどの確率で言い忘れるんです。記憶力ないんです。頭悪いんです。もっと頭が良ければいいんですけどね。あ、そうなると風邪ひきますね。どうしよう。ウノの強さと学級閉鎖の楽しみは両立しないんですねえ」
そう言ってクララはコタツにぬっと脚を入れた。
「そうだ。これ」
そう言ってクララがカバンから何か取りだした。それは透明ビニール袋に詰めこまれたあげパンだった。その甘いきなこの匂いにパヤノの目がきらんと光った。
「クララさん、これは?」
「はい、うちの学校の給食なんですけど、急遽学級閉鎖になって余っちゃってですね。だから給食のおばさまからもらってきました。あるんですねえ世の中には、みんな幸せになれる取り引きってやつが」
クララはうっとりと言う。
「いいですねえあげパン。武洋さんと杜乃さんが来たら食べましょうか」
クラークがそう言ったとき、ドシンと音がした。外を見ると釣り堀の水面が揺れていた。
三人ともその瞬間は気にしなかった。それが自分たちの楽しさの終わりを告げる音だとは気がついていなかった。
壁に穴が空いた。次々と音とともに壁に穴が空いていく。
穴を開けていたのは赤い鳥たちだった。それも生きている鳥ではなく、エネルギー体でできた赤い鳥たち。
「なんですか、これえ!!」
クララは小屋の中を荒らす鳥たちに慌てる。
「この鳥、嫌い」
パヤノは赤い鳥を払いながら身を避ける。そして三人は慌てて小屋の外に飛び出した。
釣り堀のほとりに若い男がかがんでいた。銀髪をした顔に刺青のある男。
「……何をしていらっしゃるんですか? 釣り堀ならとっくに営業をやめていますよ」
クラークは話しかけた。
「知っているよ。あんたらが11課だろう」
「はあ」
「この作戦のリーダーから言われたんだよ。11課をひとりで破滅させてくれってね」
男は世間話のように当たり前にそう言った。
「まぁ俺ならできるでしょうって安請け合いした。ちょっと後悔もしたが受けてよかった気がする。あんたら本当に甘っちょろそうだしなあ」
男は釣り堀の中に手を入れるとバッと魚を握りしめた。
「俺はギャラード。この世界を平坦にするための組織【ハマルティア】の一員だ」
ギャラードという男はそう言った。
「……手、離して」
パヤノが一歩前に出た。彼女の目はギャラードの右手の魚を見ている。
「あん?」
「手を離して、嫌がってる」
魚はぴくぴくと身をよじらせて苦しんでいた。
「ああ」
次の瞬間、ギャラードは魚を握りつぶした。
ぷちんと切れた音。同時にパヤノは銃をもものホルスターから抜いて、呪文を唱えていた。
「【トニグロム】」
パヤノの銃から出た雷撃がギャラードを直撃した。
「【トニグロム】」
そしてその雷撃は一発では終わらなかった。パヤノは何発も雷撃を男に叩きこんだ。
「パヤノさん。水辺で雷撃魔砲は危ないですって」
頭を抱えたクララが焦って言う。ここでパヤノはようやく冷静に言った。
「そうだ、他のコが危ない」
パヤノが釣り堀を覗きこむと元気に泳ぐ魚が見えた。パヤノはほっと息をつく。
「私たちは二の次なんですねえ……」
そうため息をつくクララ。しかしクラークはひとり表情を崩していなかった。
「はあ、【3322】かあ。まあ頑張ってる方じゃないか、こんなお気楽組織にしては」
雷撃の煙の中からギャラードが出てきた。彼は無傷。パヤノは意外そうにギャラードを見る。
「まぁでもわかったわ。この勝負、俺の勝ちだ」
ギャラードはそう切り出して続ける。
「そこの女、かなり怒って俺に魔砲を放ったろう。それで【3322】ならそれが全力ということだ。で、多分この中で戦闘員はあんただけだろう。横の男は背広組だろうし、横のお嬢ちゃんは見るからに弱々しい。麗美武洋がいたなら少し対策を考えなければならなかったが、運が良かったなあ俺」
ギャラードは自らの銃を差し上げる。
「ちなみに俺のアベレージは【5000】だ。思う存分楽しめるなあ」
そう言って笑った。
*
「“悪夢を乗せて羽ばたけ するどく空気を切り裂きたまえ 誰しもが止められえぬ君らよ”」
ギャラードは引き金をひく。
「【ヴレードバーズ】」
ギャラードの銃から出たのは何匹かに赤い鳥たち、先ほど小屋をボロボロにした残酷な鳥たちだった。それがいっせいに三人を襲う。
パヤノは三人の前に立ち、迫りくる赤い鳥たちを雷撃ではたき落とそうとする。
「ダメなんだよなあ。その程度じゃ」
雷撃を食らっても赤い鳥たちはたじろぎもしない。そのままパヤノたちを襲おうとする。
赤い鳥の羽根やくちばしが、彼女たちを傷つけて行く。ギャラードは笑顔になった。彼はこの瞬間が大好きだった。圧倒的に自分が優位な状態で、鳥たちがじわじわと相手を痛ぶっているのを観察する。そのとき自分の優秀さを一番感じられ、最も快感を覚える瞬間だった。
ギャラードの赤い鳥を撃ち落とそうと雷撃を繰り出す。
「【3000】程度の魔砲じゃ、こいつらは消せないんだよ。せめて【4000】はないとなあ……」
にひひと笑うギャラード。パヤノの雷撃を乗り越えた赤い鳥がクララの脚をついばんだ。
「痛っ」
クララの膝小僧が真っ赤に染まった。パヤノは心配そうな目を向ける。
「大丈夫です。私も魔砲戦騎ですから」
クララはグッと親指を出してみせる。だが段々パヤノの防御では皆を守りきれなくなっていた。
「ギャラードさん、提案です。もうやめませんか」
ほおに汗を浮かべたクラークが言う。
「何でやめなきゃならん?」
ギャラードは鼻で笑う。
「やめた方がいいと思いますよ」
「だから勝てる闘いをなんでやめる必要がある?」
「……そうですか」
クラークは下を向いた。
「……あなた、自分が勝てると思ってるんですか?」
クラークは銃を懐から抜いた。そして呪文を唱えた。
「【ベロシティ】」
クラークの身体が凄まじい速さで動く。まるでいくつもの鏡を反射して移動していく光のような速度だった。赤い鳥たちをすり抜ける。まさかとギャラードが思ったときにはもう遅かった。クラークの身体が目の前にあった。そこに銃を向けようとするが、クラークの膝小僧がギャラードのみぞおちに突き刺さった。
ヘドを吐きながら前かがみになるギャラード。赤い鳥は姿を消した。
「ギャラードさん、あなたは理屈に頼りすぎです」
クラークはネクタイの位置を直しながら言った。
「あのねえ、あなたは若いからわからないんでしょう。世の中ってびっくりするほど理屈通りにいかないんですよ。だから僕はすぐに無能というやつがわかります。それは世の中全てが理屈というブロックでぎゅうぎゅう詰めで出来ていると思いこんでいる人間です。長く生きていると世の中はいかにのんびりと適当に出来ているということがわかります。第一魔砲使いならわかるでしょう。いかに魔砲が適当な力かということが。そんなものを数字で判断しようとすること自体が実にナンセンスです」
パヤノが、クララが、ギャラードに銃口を向けていた。
「世の中面白いんです。おじさんが光速で動いて膝蹴りをかますことだってあるのですから」
ギャラードをもっとも強くにらんでいたのはパヤノだった。
「あのコの仇……」
細長い指により、引き金がひかれようとしていた。
黒い塊が落ちた。三つ落ちた。それは的確に彼らを捉えた。
ギャラードが顔を上げると、釣り堀には三つの身体が横たわっていた。
「まったく。私の予定ではすでに11課を全員倒してあって、それを見ながらゆうゆうと紅茶の一杯でも飲もうかと思ってたんだけどね」
美しく、うっくつの溜まった声が聞こえた。
「はじめて会ったとき思ったの、本部はこともあろうにこんな下品な男をよこしたのかと。正直こころよくなかった。でもそれはすぐに心の中にしまったわ」
天から銃を持った金髪の少女が天使のように降りてくる。
「私は本部にこう頼んだ。仕事ができる人間なら誰でもいいって。あなたがどんなに下品な男であろうと私は気にしないわ。けれど与えられた仕事ができないというのでは話がちがう。きっちりとやっていただけないかしら、仕事を」
彼女、オグマはギャラードにそう言い放った。
「申し訳……ありません……」
ギャラードは舌打ちをしたあと、目をそらしながら言った。
「……まぁいいわ。こうやって目的は達せられたんだから。それと敬語はやめて。【ハマルティア】に上下関係はないんだから」
オグマは言った。【ハマルティア】に上下関係はない。すべて平等がこの組織の掟だ。上司も部下もいない。ただ成果に合わせて報酬が配られるだけだ。だから構成員同士に敬語など必要なかった。
しかしハマルティアに本当の意味で上下関係がないわけではなかった。暗黙のうちに魔砲使いの能力を表す【魔砲力】を中心に順列が出来ていた。【魔砲力】という数字を元にお互いを比べあって上下関係をつけていた。実質凄まじい魔砲力を持つオグマはハマルティアの中で多くの構成員を動かす力を持っている。オグマ自身自らの圧倒的な魔砲力を盾に皆を見下していた。
【魔砲力】がすべてだと思っていること。それは目の前のギャラードも同じだ。ギャラードはオグマに自分が見下されているのを知っているから、見返してやろうと虎視眈々と狙っている。方法は簡単だ。この女より優秀な魔砲力を得ればいい。数字さえあればこの組織では何をやっても許されるのだから。
オグマは息をついた。ハマルティアの考え方はまっとうだ。優秀な成績を残せばより多くを得られる。それは当たり前のことだ。でも世界はそう動いていない。だから魔砲犯罪が絶えない。
魔砲使いはふつうの人間より優秀な力を持っているのにその力を潜めて、ふつうの人間より肩身の狭い思いをしなければならない。だから不満が出て犯罪を犯す。
世界に必要なのは効率的なしくみなのだ。すべてを合理的に判断し合理的に幸せを分けるしくみをだ。能力が高い者ほど多く幸せを受けれるようにしなければならないのだ。
オグマはそのハマルティアの考えこそが正義だと思った。だからこそ彼女はこうしてハマルティアにいる。どんなにここが居心地が悪い場所であろうともだ。
「それで、【魔砲神姫】は見つかったのか?」
押し黙ったオグマを見て、バツが悪くなったのかギャラードは話題を変えた。
「ええ、間もなくここに来ると思うわ」
いも虫のように転がる三人の魔砲戦騎を見やりながらオグマは言う。
「どうするんだ?」
「仲間にする」
簡単にオグマは言う。
「承知しなかったら」
「えぐりとるわ。力だけ」
そう言ったオグマの眼光は紫に光っていた。