「俺は社会の歯車になりたい。」
俺はそれこそ必死に就職活動をした。用もないのに学校に行き、幾度の説明会を超え、ボールペンのインクで手を汚し、数多の書類と格闘。ただの一度も内定はなく、ただの一度も理解されない。
それでも誰しもイメージする『普通』に近づきて、俺は必死に努力した。
自己分析もした。
企業研究だってやった。
自分に刻みこむように面接のロールプレイだってやった。
やったんだ……。
そして一年前の四月。
希望と花粉に満ち溢れた街並みを、期待と不安で胸を一杯にしながらリクルートスーツで歩くはずの俺は無職になっていた。
学生時代はどんな事を頑張りましたか?
あなたが弊社に入ることでどんな貢献ができますか?
どうやら、社会に普通は必要とされてないらしい。
普通に勉強して、普通に学校に行って。
それだけじゃ普通にはなれないみたいだ。
自分の何を肯定されるかもわからない。神様の悪ふざけとしか思えない外見。その上ウェットな人間関係って奴とは無縁の学生生活のおかげでコミュニケーションにも難がある。
もっと言うなら、後悔と自己嫌悪で忙しい俺を、企業が採用するなんて思えない。
「なに期待してんだよ。今までの人生いい事あったか? なかったろ? だったらしょうがないじゃん。地元に戻って、実家を継いで農業に勤しもう。カイワレ大根を一生育てることに人生を捧げよう。」
「せめて『普通』になりたい。みんなできてるんだ。俺だっていつかは!」
俺の中の妥協と葛藤がぐるぐると混ざり、結果今はこうして派遣社員として毎日を過ごしている。
「あぁ内定が欲しい……」
じゃぁ就職活動しろよ。という至極まっとうな意見をいただくだろうが、就職活動にもお金と時間がかかるんだ。それに俺は仙人でもなければ魔法使いでもない。お腹もすくし、眠くだってなる。当然、食費に家賃。それに通信費とかだってかかる。そりゃ実家から定期的にカイワレ大根は送られてくるけどカイワレ大根だけど一か月生活できるわけじゃない。それに各種公共料金。もらえるかもわからない年金の積み立て。
それだけで当然、結構な出費になってしまうわけだ。
だから俺は貯金を始めた。給料が安いブラック企業の派遣だからそんな何万も貯金できるわけじゃない。ちょっとずつ。ほんのちょっとずつだけど貯金をして、いつか百万ためたら就職活動に専念する。今のモチベーションはそれしかない。
ふと周囲を見回すと、行き先を示す液晶掲示板の横。コマーシャルを流す方の液晶では「人生はマラソンじゃない。どんなコースだっていい。間違えたっていい。誰かと比べなくてもいい。自分なりの人生でいいんだ。」なんて売れっ子俳優が人生を賛えている。
言い終わるとすぐに俺も学生時代はお世話になった就職支援サイトのロゴ。
どんな人生も素晴らしい? 誰かと比べなくてもいい?
『人生は素晴らしいですし、人と比べなくてもいい! ただ今回はご縁がなかったようです。あなたの人生の更なる発展をお祈りしてます。』だろうが! クソが!
「頑張ろう……」
すでに折れそうな気持ちを何とか奮い立たせてようと、誰にいうわけでもない言葉をぼそっとつぶやいたはいいものの、いざ言ってから周りが気になった俺が辺りをキョロキョロと見回すと、俺以外にも同じ派遣先に派遣されるであろう人たちが思い思いに時間をつぶしている。
携帯で最近はやりのゲームする奴がいたかと思えば、スポーツ新聞で贔屓のスポーツチームが負けたのか足を小刻みに揺らす奴。タバコを吸いながら社員さんから配られた工程表とにらめっこする奴。
そして、こんな掃きだめに一匹の鶴。俺のアイドル。本間遥香ちゃん。
自分に自信も尊厳もない俺だから、「付き合いたい」とか、「やらしいことしたい」なんて思う事すらおこがましい。
だけど、サラサラな黒髪をまっすぐに切りそろえたぱっつんの前髪、つかんだら折れそうな細い手首と華奢な肩幅。誰にでもわけ隔てない態度。そしてニコっと笑った時に見える八重歯を魅力的に感じない男なんているだろうか。いやいない。
そもそもなんであんな子がこんなところにいるのかが気になるけど、きっと何かしらの理由があるんだろう。みんな生きてれば何かしら人に言えない何かなんてできてくるし、悩みだってできてくる。
さて、ここまではいつもの日常。いわばスタンダード。
だけど、今日は俺の隣見知らぬ奴が一人座っている。
ソイツはガムを噛んでいるのか、半開きの口から発する咀嚼音がなんとも不快に俺の聴覚を刺激してくるし、「はーい。もうすぐで現場着くんで渡した資料しっかり確認してくださいね〜。それから佐々木さんちゃんと服来てくださいね。服装の乱れは心の乱れ。今日も元気に仕事しましょう!」なんて派遣会社の社員さんがそう声を上げると、生え際が黒くなってプリンみたいになった金髪をかき上げ、ダルそうに服装を正し、不満を誰かにいいたくてしょうが無いって顔で辺りをぐるりと見回してる。街ですれ違ったら、間違いなく俺が避ける人種だ。
「ほんとめんどくさいっすよね〜」
(俺か?俺に話しかけてるのか?)
普段移動中にめったに話さない俺が、返答にまごついていると間髪入れずに佐々木くんが話かけてくる。うわぁ怖いよ。
「絶対将来はビックになってアイツみたいなすかしたサラリーマンに無茶押し付けてやりますよ!」
雰囲気から察するに年下であろう佐々木くんは、随分攻撃的で野心家みたいだ。
「そ、そうなんだ……」
もうちょっと上手い返しができれば、面接の時にもっと好印象がとれたのにっていう後悔もさせてもらえぬまま更に佐々木君はしゃべる。
「やっぱ長いんすか? この仕事? え〜っと里中さん? でしたっけ?」
「あぁそうだね……里中です。俺は……一年……ぐらいじゃないかな……」
俺の胸元についている名札を確認し、たどたどしい発音俺の名前を呼ぶ輩みたいなそいつは続けて他愛もない話を続ける。
「そうなんすか。自分新人なんすけどなんでも頼んでくれていいすっからね! これでも大魔導目指してるんで! 地元居た時は喧嘩とかでブイブイいわしてたんで体力には自信有りますよ!」
「ふ、ふ〜ん」
何トンチンカンなこと言ってんだ。
魔法使い?
人間がなれるわけねぇだろ。一瞬頭によぎった言葉を表情(かお)に出さないように興味なさげな相槌をすると。電波な佐々木くんは続けざま話し始めた。
「自分前はホストやってたんですけど、初めてなんすよね。昼職。だからすげー不安だったんすよ! マジよろしくお願いしますね」
もし仮にだけど、俺がマイナスのコミュニケーション障害だったとした、コイツはプラスのコミュニケーション障害だ。暴力にも似た押し付けがましい程のコミュニケーション能力が俺の余裕をドンドン奪っていく。誰か助けて!
「なんだ佐々木お前ホストだったのか? よしじゃぁ今日は佐々木の歓迎会だな! 勿論里中も来るよな!?」
キャリアの長い先輩派遣社員がその一言を発した瞬間、俺の視界に入る全ての人間が両手を挙げ、まるで動物園みたいに騒音の大合唱。なんでこいつらはこんなにも飲み会が好きなんだ。
酒だけならまだしも口を開けば
女
喧嘩
昔は悪かった自慢
そもそも酒なんて会話が会う人間と一緒に飲んで初めて楽しいと思えるものだろ? 喧嘩なんて学業に専念してきた自分にとっては無縁の世界。さらにもっと言えば俺は童貞だ。
じゃぁ断るか?
無理に決まってる。
もしこの誘いに断りを入れようものなら「へっ! 最近の若いやつは酒も飲まねーのか。そんなじゃ社会じゃやっていけねーぞ!」なんて煽られて、その上ノリの悪い堅物の烙印まで押されてしまう。
どうやら新しく来た俺の隣の人もそっち側の人間みたいだ。
まためんどくさそうな人が増えたことに落ち込んで、厄介ごとが増えたことに気をもんで。俺の人生こんなんばっかりだ。
俺は会話の中心が俺じゃなくなったことを確認しまた窓の外を眺めることにした。
「正社員になりたい」
誰に伝えるわけじゃない。自分への戒めと覚悟を揺らがぬようにするための儀式みたいなものだ。土日もきちんと休んで、九時から五時で働く。そりゃたまには残業だって多少はあるだろうけど、きっと楽になるはずだって信じてる。
その為にはまず貯金だ。
貯金して生活に余裕を持たせて、派遣辞めて就職活動に専念する。だから俺には金が必要なんだ。
「盛り上がっている所大変申し訳無いですけど、点呼とりますよ!」
目的地はもう近いみたいだ。社員さんの点呼が始まる。
「ささきさ〜ん。佐々木・ウォーロック・総司さ〜ん」
「へーい」
「ほんまさ〜ん。本間・シープ・遥香さん」
「は〜い!」
「さとなかさ〜ん。里中・オーク・弥太郎さ〜ん」
「はい」
俺はいつになったら派遣オークなんて辞められるんだ……。
社会の教師がモリタニア大陸って俺たちの大陸を説明する時、ドーナツの例えをよく使う。
生地の部分は人間エルフデミヒューマンで分け合って、んで穴の部分にはウィステリア火山という年がら年中噴火してる山とオーク達の居住区ってな具合だ。
当然の事ながら一つの大陸にいろんな種族が同居して生活しているわけだからしょうもない小競り合いも何回かあったんだろうけど、基本的には折り合いつけながら生活してたわけなんだけど、ある時宗教か人種かはたまた地下資源か。きっかけは忘れたけど今までたまった鬱憤を晴らすような戦争が些細なきっかけで起こってしまう。
『第二次モリタニア紛争』の勃発だ。
そりゃ戦争なので、人はいっぱい死ぬし、お金だってかかる。当然国の統治能力も低下。
そこで困った各国の統治者達が目を付けたのは、ドーナツの穴部分。オーク族だ。俺のご先祖様達の住居を保証する代わりに傭兵として受け入れ開始。
結果、戦争はさらに激化。混乱は加速度的に急上昇。
海は枯れ、地は裂け、すべての生物が死滅したかどうかは定かではないけれど、そんな苦しい状況の中で一人の人間の女王様が声を上げる。島津・ナイト・杏子さま。その人である。
「もう戦争やめよ?」
もちろん杏子様がこんな簡単な言葉で言ったかは定かじゃないし、高度な政治的なやり取りがあったかもしれないし、なかったかもしれない。だけどその言葉をきっかけにして、大陸のそれぞれの国が協力をはじめモリタニア連合国として産声を上げたのは子供でも習う常識だ。
さてそんな国ができて七百年と少し。現在のモリタニアはといえば、見事に不景気の真っただ中。不景気による人件費の削減がリストラの嵐を呼び、羽振りの良かった業界は呼吸をすることもままならい。
じゃぁ削った人件費の穴はどうやって埋めるかと言えば、派遣社員だ。
しかもたちが悪いのは、スーツを着た商社のエルフ社長とか、小さな工場を経営する狼男のおっさんだけじゃないって事。
顔に大きな傷をつけた盗賊団の親玉も、オレオレ詐欺グループで莫大な利益を上げるダークエルフもみんな平等にサービス使う。
そして俺もその資本主義という悲しきピラミッドを最下層から支える立派な一人として毎日を過ごさなきゃいけない。なぜって? そりゃ就活失敗したからな。
しほんしゅぎさいこー。
「えぇ〜本日はモリタニア王都北西部にあります倉庫を襲撃することが業務内容になっております。大丈夫ですか?」
俺たちは馬車から降り、本日の現場である昔から人間たちが多く住む王都北西部に位置する倉庫街の外壁近くに来ていた。季節は五月。寒くもなく、かと言って熱くもない。春は花粉症があるから嫌いという人でも、この時期になってくると顔から笑顔が戻ってくる。
空を見上げると、馬車内ではどんよりとした重そうな黒い雲が空を包んでいたっていうのに、現場についた途端にさわやかな青が雲の切れ間から顔を出し、新緑の匂いが鼻を刺激する。そういえば今朝、出勤前につけていたテレビでは、午後から気持ちのいい天気になるといかにも育ちのよさそうなエルフのアナウンサーが言っていた。 そんな中、俺は犯罪行為に精をだすのかと思うとまた気が重くなる。
「聞いていただいてありがとうございます。では本日の詳しい内容になりますね。ちょうどここから見えます倉庫街。あそこに入ってる小麦など農作物を奪うということが主業務になっております。続いて今日の持ち場ですが……」
社員さんが指をさした先に朱色のトタン屋根で蓋をされた倉庫が見える。今俺たちが王都外壁の外にいるってことを考えれば、相当大きい。
「おいおいあんなんやるのかよ……テンション上がってきた!」
ゲンナリするようなおっさんと輩の海にとっては、本日の仕事はそうとうの遣り甲斐を感じる仕事のようだ。
体育会系特有のノリといえばいいのか。はたまたマイルドヤンキー的な一体感ともいうのか。正確な言い方はわからないが、できれば一緒の存在として第三者に認識されたくない。そんな空気感と熱量が伝わってくる。
しかしそんな空気感の中で一人異彩を放ってる人がいる。
本間・シープ・遥香……さん。
俺自身がここで一年以上働き始めた時から居るんだから、少なくともこのくそったれな職場で一年以上は働いる計算か……。
仕事以外でまともに話したことは数えるほどだし、“さん”付けしないといけないと感じてしまう雰囲気だからプライベートな事とかは一切知らないけど、年齢は口調と雰囲気から察するにたぶん俺と同じぐらいもしくは、少し下。パッと見図書館司書とか、幼稚園とかで働くおとなしそうな人なのにも関わらず何故かうちの派遣事務所に登録してるというとところも謎。
実際、今もおっさんと輩の海の中立っているはず遥香さんの周りは自然と結界ができて人が立っていない。
肩ぐらいまであるきれいなぱっつんの黒髪、大きく巻かれた角。華奢な肩幅。真っ白な肌。どこをどう見てもここに不釣り合い極まりない。
俺がじーっと遥香さんを見つめていると、こちらに気づいたのか、笑い返してきたので俺は慌てて目を逸らした。これで職場の誰かに、里中が本間の事を好きらしいとか思われたら死んでしまう。
「……ぱい! せんぱい!」
俺が遥香さんに気を取られていると、誰かが俺の肩を揺らしていた。
「先輩! 先輩ってば!」
振り向けば、金髪頭に、旋毛の黒。馬車で隣の席だった佐々木くんが俺の肩を揺らしていた。
「せ、先輩って僕の事?」
「そりゃそうっすよ。先輩は先輩でしょ」
そういわれればそうだ。
そういえば自分の後に入ってきた派遣社員の人はいなかったな。
「あぁそっか……。そうだね。せんぱいだね。でどうしたんですか?」
「どうもこうもないでしょ! 倉庫襲撃とか聞いてないんですけど! そんなん求人情報には書いてなかったっすよね!?」
うん書いてないよ。
笑顔の絶えない職場だし、やさしい先輩が丁寧に教えるし、月五十万エン可能だし、あなたの努力(がんばり)を正当に評価する天国のような職場だからね。そりゃ業務内容に犯罪行為があったところで目をつぶらざるを得ないよ。うんしょうがないしょうがない。
「あぁ、どうだったっけなー。結構前だからどんな事書いてたかわすれちゃった……かな……」
開口一番佐々木くんが至極全うな意見をいうなんてとびっくりした俺は思わず目を点にしてしまった。社員さんが業務の説明をしている間も続く派遣社員のざわめきの中で、佐々木くんも不思議そうに俺の顔を覗きこんでいた。
そうだよな。これが普通のリアクションなんだ。ビジュアルだけで飛んでもねー人が入ってきたと思って警戒してしまったが、存外まともな神経の持ち主なのかもしれない。
「先輩は疑問に思わないんですか? 俺文句いおっかなー。」
俺だって一年前までは今の彼と同じように『全くこの派遣の仕事を取ってくる奴は何を考えているんだか……普通に犯罪者の片棒を担がせるなんてあり得ないだろ』とか考えていたはずだ。
でもしょうがない。不景気なんだ。俺は“普通”じゃないんだ。レールから外され振り落とされた側だ。だから高望みなんてしちゃいけないんだ。
「や、やめなよ。不景気なんだ。それにここがつぶれたって他の会社が同じ事やるだけだよ。」
「先輩俺バカなんでよくわかんないんすけど……」
「あぁごめん……」
時というのは残酷だ。思考を奪い、判断力を奪い、最終的に出来上がるのはタンパク質で構成された機械になり果てる。
「えぇ以上で本日の業務内容の説明となります。他に質問等はないですかね? では内容ですので……あっ一点追加の内容がありました。先ほど上司に電話したところ、今回の業務では指揮官クラスを捕縛した方に百万エンの褒章プログラムを適用する運びとなりました。当然王都での仕事となりますので、姫騎士の島津・ナイト・杏樹様が警備の陣頭指揮を執ると思われます。身代金の請求をしたいとのクライアントからの意向もありましたのでよろしくお願いします」
静けさだけが辺りを包み込む。しかしこれは只の前触れ。
「よっしゃぁぁぁぁぁやるぜぇぇええええええええええ」
「うわぁぁぁぁぁ今日は朝まで飲めるぞぉおおおおおおおおおおおおおお」
「チーム組んでやろうぜ! 当然利益は折半でやるぜ! 絆だぜ!」
社員さんの言葉が俺以外の派遣社員の脊髄を通りぬけ、脳内をひと通り駆け巡ったその時。俺の周りには奇声とも怒号ともとれるような声をあげ、モチベーションを高める変態達の集団が出来上がっていたのだ。
百万エン。普通に仕事をしていれば四ヶ月分の給料にお釣りが来るぐらいのお金だ。そして何より俺の決めていた就職活動に必要な貯金額そのもの。
だれだって欲しい。俺だって欲しい。
「はい。じゃぁ先ほどの割り振りで本日もお仕事よろしくお願いしま〜す。確認でもっかい呼び出しますよ!」
呼び出された派遣達はスキップ混じりで、一人また一人と倉庫へ走って行く。
早く呼び出さなければ最前線に行くのが遅くなる。つまりは姫様を捕まえる絶好のポイントを他の派遣に取られることになる。頼む! 早く呼び出してくれ!
そう願う俺の気持ちとは裏腹に呼び出しが終わってしまった。
「あ、あの俺は?」
「あれ? 聞いてなかったの? 今回の仕事はかなり大掛かりなものだから現場待機班も作るって? 頼むよちゃんと説明してるんだから聞いてもらわないと!」
「えっ?」
そう言えば佐々木くんが話している時になにか説明していた気もする。
「先輩ちゃんと聞いてなかったんすか? 自分と先輩、あとあそこの女の子が待機班っすよ! よろしくっす先輩!!」
いやいやいやいやいやいや
俺の百万エンは? なんで俺だけ外野なの? しかも今日配属の新人と!
「ち、ちょっと待って下さい! 俺も倉庫班回してくださいよ! 困ります! 俺もボーナス欲しいです!」
「そう言われても、里中さん倉庫で物運べる程体大きくないでしょ?」
(またか……)
社員さんの一言が俺の脳内で就活失敗の悪夢も呼び覚ます。
基本的にオークは力が強い。エルフは魔法学が得意。デミは手先が器用。人間はどこででもある程度のパフォーマンスが期待できる。もちろん例外はあるけど原則的にはそういうイメージが社会に根付いてる。
じゃぁいざ自分の事を顧みるとどうだ。オークって言っても人間とそこまで大差ない外見だ。人間にしては色黒かなレベル。鼻はオーク特有の豚みたいな鼻とはいいがたいけど人間からすると大きいレベル。それに角だって生えてるし犬歯なんて人間より数倍は大きい。オークだけどオークっぽくない。人間っぽいけど人間でもない。この見た目が就職活動の失敗に大きな影響を与えた。
「あっ君オークなんだね。ごめんねウチ今欲しいの人間なんだ」
「オークにしてはちょっと体型がね……力仕事とか任せらんないかな」
こういうわけで俺は社会からつまはじきになってしまったのだ。
一応国の法律で種族関係なく職業選択の自由っていうものが法律で保障されてるものの、種族フィルターが無くなるわけじゃない。
ましてやオークだ。七百年前の戦争のせいで戦争を混乱させた糞種族なんてイメージもついて回る。結果社会的にマイナスなイメージや偏見も多くて、オークの低所得者は多い。
「わ、わかりました……」
文句をいえる身分じゃない。
こっちは派遣。
向こうは正社員。
俺は奥歯で文句を噛み殺し、精一杯の声で了承した。
「せ、先輩! ほら逆に言えば俺たちだけで利益独占の可能性も無くはないんですから!」
「佐々木さんの言うとおりですよ。じゃぁ僕も現場行ってくるので馬車の警備の方おねがいしますね! んじゃ」
そういった社員さんも俺が一瞬天を仰いだ瞬間に倉庫へ走っていき後姿は小さくなっていくばかり。
終わった。
もし百万があれば目標の貯金額にも到達するはずだった。
まだ見ぬ魅力的な企業からの内定ももらえるはずだった。
こんなに悲しい想いをするなら、初めからボーナスがもらえるチャンスがあった事すら知りたくはなかった。
肩をすぼめ、意気消沈した俺に掛けられるのは、肩をポンポンと叩く佐々木くんの慰めと無言で佇む遥香さんだけだった。
島津杏樹
女の幸せは結婚とか言い出した奴は死刑にしてやりたい。
結婚準備用の月間誌にこれ見よがしについてくるピンク色の婚姻届けはもれなく編集者の血で染め上げて真っ赤にしてやりたいぐらいだし、学生時代にそんな仲が良かったわけでもないのに結婚報告の手紙を写真付きで送りつけ、「私今人生で一番幸せです」って空気バリバリ出してくる同級生は浮気されてボロ雑巾のように捨てられれしまえばいいんだ
「杏樹さま! 杏樹さま! どうかされましたか?」
「あぁごめんなさい。考え事してたわ。それで今年度の予算よね。とりあえず経済対策に使いたいだけれど、大丈夫かしら? 百目鬼(どうめき)さん」
執務室中央に置かれた私専用の椅子から机を挟んだ向かいにはウェーブがかった銀髪を指先でクルクルいじる鼻筋通ったプライド高そうな我が国の総務大臣。
「えぇ、それは問題ないですが。お父様が倒れられてから、この一年ずっと働き詰めでしょう。お休みを取られたほうが……。もしよければ私の別荘でハイキングなどいかがですか?」
「あぁ心配ないわ。これでも週に一回はちゃんと休んでいるもの。それに国がこんな時に休んでいる所を週刊誌に撮られでもしたらもっと大変だもの。」
「それはそうですが……。ただ私はあなたの事が心配で。あと私(わたくし)の事は親愛こめて司(つかさ)とおよびください」
「えぇ考えておくわ。そんじゃ下がってもらっていい?」
「失礼いたします。」
廊下へと続く白いドアが悲鳴をあげれば、部屋には私一人になったことを改めて確認すると私は大きなため息をついた。
白のカーテン、白のテーブル。自分好みの調度品。すべて自分の嗜好にあっていて快適なはずの執務室なのに、なぜか私の感情は時化た海のような状態。
なぜか?
仕事では二年前に国王でもある私のお父さんが倒れ、国の運営を任せられているけどそれがうまくいかない。経済だってうまい事言ってないし、国民には文句ばっかり言われる始末。ネットの掲示板じゃ、私の顔がハエの首に挿げ替えられてウンコの周りを飛び回ってるコラ画像だって作られてるって話だ。見るのが怖いから話だけだけど……。そりゃ任命責任って言われればそれまでの話だけど、私だってごくごく普通の女の子だ。人格だってあれば、凹みだってする。
しかも雇った大臣の何が一番むかつくっってちょいちょい私をデートに誘ってくるってこと。巷じゃモテてるのかもしれないけど、私は仕事とプライベートは分ける主義だし、そもそも誰のせいで私がハエ程度の存在になってるか少しは考えてほしい。
そしてプライベートじゃ同級生の結婚ラッシュ。
今年に入ってから、すでに約百万エン近くがご祝儀とかいう、他人の幸せのために私の銀行口座からお別れしてる。
一か月に二枚は結婚式の招待状という不幸の手紙が私の銀行口座を蝕む様はただただ不快だ。当然私はこの国の王女だからある程度の額を求められるわけだから半端な額も出せないし、もちろん公務だからとかいう理由で税金を使うわけにも行かない。
これがいずれは自分に返ってくる保障のあるお金ならいい。「まぁ持ち回りだよね」なんていって笑って済ませられる。
が、国の状況が状況なだけに、合コンなんて行った日には週刊誌に叩かれ、ネットでは行き遅れそうになって焦ってるなんていう余計な詮索をされ。婚活なんて生ぬるい事ができる状況には到底ない。
「あぁどっかにいい男いないかなぁ……」
私は先ほど来たいけ好かないくそ大臣の持ってきた書類でごった返した机に突っ伏し、巷で話題らしいとメイドに教えてもらったグリーンスムージーなる緑の液体にストローをさし一口すすると青臭さと苦みが口を襲ってきた。
「うわっまず! なにこれ、草じゃん。草! 口全部草!」
美容にだって気を使ってる、ウエストなんてきゅっとしまっているしだらしない所と言えば自分の部屋がまともに片づけられない事ぐらい。
白雪姫だってシンデレラだってラプンツェルだって、なんやかんやありつつも最終的には王子様が来て閉塞的な日常を破壊して幸せな生活が始まるっていうのに、いまだに私の前には王子さまが現れない。
はじめは家柄とか、姫なのに騎士というところで勝手に“圧”を感じて告白してこない根性なししかこの国にはいないんだと勝手に思っていたけど、周りの同級生が結婚しているのを見るとどうやらそうじゃないらしいと自分で気付いてしまったのだ。
今、私は十七歳。この国じゃ人間の女は二十歳で行き遅れ扱いされてしまう。
ましてや恋人として年の初めに初詣に行くことから始まり、春はお花見をして、夏は花火を見に行って、秋は紅葉目的でお泊りデート。冬はクリスマスできれいな夜景の中ロマンチックなデートなんて絵空事を考えないわけじゃない。
ということはぼちぼち恋人ができてないと、二十歳までに結婚なんて到底無理な話になってしまう。
「結婚……したいなぁ……」
うちのお母さんみたいに私産んだらすぐに死んじゃって、残されたお父さんが男手一つで必死に私を育てた事を考えれば結婚すれば絶対に幸せになれるとは限らないのはわかってる。
ようするに私は仕事も頑張らなきゃいけないし、恋人も作らなきゃいけない。だけど、そんな時間も暇もいい男も周りにいないという三十苦に陥ってるわけだ。
「あぁどっかにちゃんと仕事してて、性格いい男がぽろっとでてこないわけ?」
出てこないに決まってる。そんなのわかってる。そういう人は既に奥さんないし彼女がいるのだ。
ドンドンドンドン
私が現実と虚構の境界でまどろんでいるとどうやら次の仕事の時間が舞い込んできたらしい。けたたましいドアのノック音が執務室にこだました。
「どうぞ」
「はっ。杏樹様よろしいでしょうか?」
ドアから顔を出したのは王立騎士団警備課の課長(既婚者)だった。この人お髭が似合ったナイスガイでかっこいんだよね。
「えぇ大丈夫どうしたの? ずいぶん急いでそうだけど」
「えぇ襲撃です。王都北西部の倉庫街で大規模な盗賊団の襲撃が起きました。つきましては陣頭指揮をおねがいしたく……」
「またぁ? ほんと景気悪くなると治安って安定しないわね。でも私他にも仕事あるし……」
「えぇそれは重々承知しているんですが、人が足りなくてですね。ぜひに!」
「もうしょうがないわね。急いで着替えるから出てって」
「承知いたしまいた! それでは!」
はぁ、しょうもない盗賊の逮捕も仕事だ。だけどどうせこれ終わったらすぐに城戻ってデスクワークなわけでしょ?
こんな日常がこの先ずっと続くなんて死にたくなるわ。とっとと寿退社して、子供のために刺繍とかするいい感じのマダムになりたいんだけどな! もうっ!
カーンカーンカーン
遠くからでも分かるようなけたたましい警戒を住民に知らせる鐘の音が鳴り響く。今ごろ小麦粉班はせっせと荷物を運んでいるだろう。
そんな忙しいであろう現場とは裏腹、俺、佐々木くん、本間さんの馬車護衛組は都市部と倉庫までをつなぐ道にただただボーっと立っていた。
青い空、白い雲、時折吹くさわやかな風。俺の心情とはあまりにもかけ離れたのどかな農道は平和そのものだ。
「せんぱぁ〜い。元気出してくださいよぉ〜」
「だって百万だぞ!? 百万エン! 佐々木くんはほしくないのかよ!」
「いやそりゃ惜しくないって言ったら嘘になりますけど……」
「よし、今からでも遅くない! 最前線いこう!」
「ちょっとちょっと! ダメですって! しかも先輩はいいっすよ!? オークだから多少切られたって。でも俺人間すよ? 切られたら死んじゃいますよ!」
「そ、そっか……」
「でもそんなにお金欲しいって事は先輩お金困ってるんすか? あっわかった。先輩女の子に貢いじゃってお金ないんでしょ?」
思わす俺はあきれ返って、思わず口をぽかんと開けてしまった。
「君さ、あんま物怖じしないっていうか、普通の人ならそういうこと面と向かってオークに言わないよね。」
「だって先輩、他のオークと違って怖くないんですもん。オークにしてはそんなに大きくないし。なんていうか人間と変わらないっていうか。俺前ホストだったじゃないっすか。だからよく周りにあることない事言われたりとかもあったし。んでその時思ったんすよ。人は見かけじゃなんもわかんないのになぁって! なんかだるいじゃないすか。オークだからとか、人間だからとか」
「佐々木君」
ストレートすぎる言葉に思わず感動してしまった自分がいた。
「しかしヒマっすね。ていうか一つ聞いていいっすか?」
「なんですか?」
「あの子だれすか?」
佐々木の視線の先には、乙女座りで馬車の車輪に体重を預ける美少女、本間さんがいた。
「あぁ本間さんだよ。僕もよくわかんないけど長い事働いてる人ですね。」
「へぇかわいいっすね。自分あーいう子タイプです。」
「君そういう下種な思考を職場にもってこないほうがいいよ。」
「なんでですか! 俺前ホストやってる時の先輩に女を見たらとりあえず声かけろって教えられたっす! だからその流儀に従って生きようって思います!」
「だから職場でそういう……あっ!」
声をかけ、止めさせようとしたその瞬間には、佐々木くんは馬車の近くに駆け寄り本間さんに話しかけてした。
おいおいおい。大丈夫かな。本間さん不快に思ってないかな。なんか嫌な思いしてないかな?
そう心配していると、佐々木は会話が終わったのか、とぼとぼと肩を落としてこちらに戻ってきた。
「先輩……。俺間違ってたっす。世の中には下種な考えで汚しちゃいけない人がいるんすね。」
「なに話しかけたんだよ!」
「いやーなんすかね。挨拶して天気の話して。それだけっす。それだけなんすけど」
特に違和感もない、ごくごく普通の会話だ。
「こう俺の中の悪い部分っていうか、汚れちまってる部分が露見するような笑顔でつい……」
そう。何がそうさせるのかわからないけれど、本間さんはクラスのヒロイン的な雰囲気があって丁寧に扱わないと壊れてしまうような儚さがあるのだ。
さっきの佐々木の話を真に受けるんだったら、外見とかで判断するのもよくないとは思うけど、実際話す機会なんてそうないし、第一何を話していいのかなんてわかんないってのが実際だったりする。
「あぁクラスの委員長タイプって感じっすよね。」
「どうだろ。その辺よくわかんないな……」
確かに言われてみればそんな雰囲気がある。どこか真面目そうで冗談なんて言ったら怒られそうな、そんなイメージだ。
「でも先輩も似た雰囲気ありますよ。この職場まだ居て数時間ですけどなんかみんなと毛色が違うっていうか。本間さんとは会話とかしないんですか?」
「あぁ、僕苦手なんだよね。そもそも女の人と話すの。ほ、ほらオークじゃん?」
「先輩って……意外と臆病なんっすね。」
「お、臆病?」
「そうっす。なんて言えばいいんだろうな。えっとどら焼きってあるじゃないっすか。あれを初めて見た人って、きっと中にアンコが入ってるなんて思わないじゃないすか。うーんそれと同じ感じで、割って中身を見ないと粒あんかこしあんかもわかんないっていうか」
「ようするに、中身をしらなきゃわかんないって事だよね?」
「そうっすそうっす。んじゃ行きますか?」
「へっどこに?」
「そりゃ、本間さんのところにっす!」
「えっいやいやいや。いいよ俺は、佐々木君だけでもっかいいってきなよ!」
「そこっすよそこ! どうせ僕ちゃんオークだから女の子に嫌われてるとかそういう童貞全壊のメンタリティなんすよね。そういうのよくないっす!」
「いやでもさ、なに話すの? 話すことないよね?」
「確かに! さっき俺が無難な話題の一つでもある天気を使っちまいましたからね。そうっすね〜こういうのはつかみが肝心なんすよ。そうだなぁ。とりあえずマカロンの話っすね。マカロン!」
「マカロン!?」
「そうっす。いいですか世の中の女はマカロンが好きなんです。マカロンが好きという自分が好きなんです。だからマカロンの話は高確率で食いつきます。」
「そんな人ばっかじゃねぇだろ! 純粋にマカロンが好きな人に謝れ!」
「ということでマカロンの話しに行きますよ!」
「えっちょっとまって!」
特に根拠のない自信に溢れた佐々木くんは、強引に俺の手を引くと、馬車の方にズカズカと肩を振って歩くじゃありませんか。どこから出てくんだよその力とモチベーションは!
目的地まで到着したところで、佐々木くんが俺の腰辺りをつついてくるので仕方なく、したくもないマカロンの話をすることにした。
「あ、あの……」
俺が話しかけると、顔を上げた本間さんは漫画なんかでよく見るような頭上に疑問符を出すような戸惑った表情をしていた。
「どうしました弥太郎さん。」
驚いた。何がって俺の下の名前を知っているって事にだ。そりゃまぁ一年も一緒に働いてるんだから普通の事と言えば普通の事なんだけどさ。
「え、っとその〜マカロン好きですか?」
「マカロンですか? 好きですけど……どうしました?」
こっちは佐々木くんに言われてとりあえずマカロンが好きか聞いてるんだ。どうもこうもない。好きか嫌いか言われてそれ以上何もない。そもそもマカロンの知識なんてカラフルで丸いって事以外なにも持ち合わせていない。
「おい、ささきくんこっからどうするんだ! ってささきくん?」
俺が小声で佐々木くんに助けを求めたが、肝心の佐々木くんは俺に話しかけろと言っといて、足元でピョンピョン飛んでいるバッタを捕まえるのに夢中だ。
「あっくそっ! こいつめ! 逃げんな!」
なにやってんだこいつぅううううううううううう
くそ、こんなことになるんだったら、口車に乗るんじゃなかった!
「どうしたんですか? 弥太郎さんもマカロン好きなんですか?」
もう佐々木くんは当てにならない。信じちゃいけない。それはわかった。しかしここはどうすればいい。どう切り抜ければいいんだ。面接だ。面接試験と思え弥太郎!
俺は自分で自分を鼓舞させて大きく息を吸い込んだ。
「はい。私は子供のころからマカロンが好きです。小学校のころ……えっと……」
そうだった。そもそも俺は面接得意じゃなかったんだ。終わった……終わっちまった。
「ふふふ、なんですかそれ面接ですか? 自己紹介とかします?」
口元を抑え、上品に笑うその姿は紛れもなく女の子って感じだ。
「えっいや……まぁ……」
「なんか騎士団受けた時の事思い出しちゃいまいた。なつかしいな。まっ結局受からなかったですけどね。不景気だったし……ほんとやんなっちゃいますよね。弥太郎さんもですよね」
「えっうん……そうだけど……なんで?」
なんでというのは色んな意味あいを含んでのストレートな疑問だった。名前を知ってる事、就職活動失敗したこと。
「そりゃわかりますよ。雰囲気がみなさんと違うじゃないですか。」
「そうかなぁ……」
「そうですよ。」
「で、でも、でも、なんで僕の名前知ってるの?」
「名前? あっそんな親しくもないのに下のお名前でお呼びしてしまってすいません。ですけど社員さんがフルネームで点呼してるんですから、知らない方がおかしいですよ! 同僚なんですから! でもこんなにお話ししたことなかったですよね。」
「そ、そうですね。なんか話しかけてすいません。」
「いえ、私も暇を持て余していましたし、むしろ話したかったんですよ弥太郎さんと。」
「なんですか?」
「えっとなんていうか、弥太郎さんならわかってくれると思いますけど、私ここで浮いてるじゃないですか。賭け事もやらないし、スマホのゲームも嗜まない。あとお酒も弱いので飲み会とかも参加できないですし、そもそも誘われたりもしないので。それに都内に上京して来て友達もいないので休日とかもどうやって過ごせばいいのかもわかんないし、お友達欲しかったんです。なんかいろいろしゃべっちゃってすいません。ご迷惑ですよね?」
なんだこの女の子は? かわいいじゃねーかと思う自分がいる反面、もしかしたらツボでも売られるんじゃねーかっていう疑念が俺を襲う。
「あ、あぁべ、別に気にしない大丈夫です。むしろ僕の方こそ急に話しかけちゃってすいません」
「なんか私たち謝ってばっかりですね、ふふ」
「あはは、そうですね。」
自分がいつの間にか普通に会話できることに驚いて、しかもそれがかわいい女の子だということにまた驚く自分がいた。
しかしまだ疑念が消せない。
なぜかといえば、俺の人生という年表にこのイベントは普通なら出てこないからだ。学生時代。俺は女子から生物以下の扱いを受けてきた。いや正確には生物として認識されていなかった。
そんな過去の経験があったからこそ、俺は怖いんだ。
「でもダックワーズは不憫ですよね。
「ダックワーズ?」
「はい。マカロンと使う材料ほとんど変わらないんですよ。なのにマカロンは人気で。ダックワーズは不人気ってかわいそうじゃないですか?」
まるで自分の事を言われてるみたいで急にダックワーズに親近感がわいてきたぞ。なんてかわいそうなんだ。
「ダックワーズはかわいそうだね。」
「でも私は好きですよ。ダックワーズ。」
お菓子の世界もいろいろあるんだな。そう思って佐々木くんに目をやると、でっかいバッタをそれぞれの手で一匹ずつもって自慢げに見せてきた。
「先輩これでかくないですか?」
屈託のない笑顔。こいつ本当悩みなさそうでいいな。
「うわぁ〜でっかいバッタですね。やっぱ都内は栄養がいいからバッタも大きくなるんですかね。」
「都内関係ないと思うけどな……虫の大きさ。」
本間さんの着眼点もおかしいけどまぁいいや。
「ほら、もうその辺に逃がしてやれよそのバッタたち」
「ええぇ。こんなでっかいんですよ。もしかしたら幻のバッタかもしんないですよ? そしたら名前つけられるんですよ。どうしよっかな〜キングササキムシとかにしようかなー。そしたら超有名人ですよね俺?」
「バッタでさえなくなってんじゃねーか! もう逃がしてきなさいよ。紛れもなくそいつはバッタだよ。普通のバッタ! むこうの草むらに逃がしてあげなさい」
「ちぇっなんだよー。ほらお逃げキングササキムシ。」
佐々木くんは肩を落とし、少し離れた草むらに向けて出発していった。
「本間さん虫平気なんですか?」
「私ですか? 大丈夫ですよ。田舎育ちですからね!」
「そうなんですね……」
会話が終わってしまった。別に何かしらの話題をすればいいんだけど、その話題がみつからない。思えばさっきまでの会話も自分発信でしたのはマカロンの話ぐらいだ。なにか話題を振るべきなんだろうか。俺はそうもじもじと口を開いては閉じを繰り返していた。
その時だった。
「先輩!? 先輩!?」
「なんだよ! 人が話しているっていうのに!」
「大変です! あれあれ!」
佐々木君の指さす方。そこには、白煙と大群の何かがこちらに向かってくる音。これは……そう地鳴りだ。
「えっ弥太郎さんこれって!」
「そうっすよ。来たんですよ王立騎士団が!」
正面から舞い上がる砂埃はあっという間に俺たちを包み込み、視界を一瞬にして真っ白に染め上げていく。自分の腕でさえも見ることがやっとの状態だ。
どこかに逃げようにも視界の悪さに右往左往するしか無いこの状態が続き、視界がクリアになる頃には数えきれない程の屈強な兵士達が俺たちの周りを取り囲んでいた。
「あの〜、もしかして王立騎士団の人達ですか?」
「どうみたってそうだろ!」
どの兵士を見ても、厚い胸板を鋼の鎧をで隠し、乗っている馬までが、その辺のロバの親戚のようなに間の抜けた顔をした駄馬とは違う精悍な顔立ちをしているんだから間違いない。王立騎士団そのものだ。
俺がじっと辺りを確認すると声が聞こえる。
「王立騎士団団長島津・ナイト・杏樹である! そこのもの! 馬車が邪魔だ。道を開けよ!」
声とほぼ同時に騎兵の海は真っ二つ割れ、声の主と俺たちを結ぶ一筋の道が出来上がる。
声の主はその奥で馬に跨っていた。
白金と上等な蒼で染め上げられた生地で丁寧に作りこまれた高そうな鎧が似合う騎士なんてそうは居ない。ましてや女の子ならなおさらだ。
佐々木とは違い、くすみもない天然物の金髪が風にたなびくその姿は気品で溢れている。
「…………………佐々木くん?」
「そこのもの! 聞こえているのか? 道を開けろと言っている! 聞こえないのか!」
張りあがる声は勇ましさと凛々しさが程よく混ざった心地の良い声だった。上司がこんな声上げるんだから部下の士気だってそりゃ上がるよ。まっ政治へたくそだけどな。
「いやでも先輩? すげー騎兵居ますけど辛くないですか? 多分なんすけど、これ俺ら串刺しですよ?」
「そうですよ。ここは道を開けましょうよ。弥太郎さんだっていくらオークだって怪我しちゃいますよ!」
「いや此処は引けない。頼む! 一生のお願いだ! いや逆に聞く。百万エン欲しいか、欲しくないか。二つに一つ」
「先輩キャラ変わってますよ! お金の事になるとキャラ変わるのやめてください!」
「うるせぇ。正社員に俺はなるんだ!」
「いや困りますよ先輩! ここで死んだらキングササキムシの発見という偉業が闇に葬られちまいますよ!」
「うるせぇ!!」
俺たちは夢を希望をつかむための冒険が今始まったんだ!
※
月明かりが夜を照らし、狼男の遠吠えが聞こえる。察するに夜更け真っ只中ってかんじだろう。
ジメッとした空気に走り回るネズミの足音。ここで一週間暮らせって言われたら無言で首を横に振る劣悪な環境。檻で囲まれた出口のない部屋。あるのはボロボロの机と椅子が一揃い。そんな環境で朝まで過ごさなきゃ行けないっていうのが苦痛でしょうがなかった。
「いやーまさかこんなことになるとは思わなかったっすね」
「ほんとな……」
「弥太郎さん。一つ疑問なんですけどこれって残業代でるんですかね?」
「分かんないよ! 俺は社員でも無いんだから、何でも俺に聞かないでください……」
「しっかし最悪だな〜。まっいいか。つーか先輩。さっきから思った事あるんすけど言っていいすか?」
「なんだよ……」
「顔……にやけてますよ?」
「それはお前もだろ」
ガハハハハハハハハ
何もない牢獄に反響する笑い声は、戦隊物の悪役がヒーロー達をボコボコにして、ついでに本部も助っ人にきたヒーローまでもボコボコにしても足りないぐらいのゲスな笑い声だった。
自分でも狂気を感じるレベルの笑い声を上げるのも仕方がない。
だって 目の前には鎖で繋がれた下着姿のお姫様(騎士)がすやすやと寝息を立てているんだから。
「でも綺麗ですね。杏樹様。」
「なになに、遥香っちはそういう趣味の人なわけ?」
「そういう趣味ってなんですか?」
「そうやってまっすぐ聞かれると困るな。いやだからなぁその〜先輩パス!」
「へっ!? 何が!?」
「いやまぁなんでもないっす。もういいっす。汚れてるのは俺だけっす……。」
本間さんの言う通り実際、目の前ですやすやと気絶しているお姫様は綺麗だとは思う。年齢は確か俺の一個下、鎧姿の時とは違って柔らかな雰囲気もある。下着は王家御用達なのか、紋章まで入った黒レースの下着。女性の下着なんて、母親のしか見たことないけど若い人は派手な下着なんだなぁ。
「先輩、自分の国の姫様やらしい目でみたでしょ」
「みたんですか?」
「見てないよ!! 見るわけないでしょ! 僕にはこのお姫様も百万エンにしか見えてないよ!」
昼間、あの王立騎士団に囲まれたあの時、俺はにじり寄る手練の刃に恐怖して、肌を貫く猛烈な痛みに諦めの境地達していた。四方八方から襲ってくる槍とか斧とか剣とかで全身は切創まみれ。おまけに刺創に裂創までが体にでき始めていた。
あぁ死んじゃうかもしれない。
全身の痛みで体を強張らせ、瞼を閉じると、学生時代の走馬燈が走った。学校行った事、帰宅して事。カイワレ大根に名前つけてた事。それこそ作業みたいな学生生活。
なんて暗い学生活なんだと苦笑するレベル。
それを考えたら俺の死因って人生で上位にくるレベルのイベントなんじゃないのか。せめてそこだけでも見ておくかと恐る恐る目を開けると、そこに広がっていたのは王立騎士団の隊形が崩壊していく様だった。
さらによく見れば、先ほどまでいかにもな雰囲気を醸し出していた我が国のお姫様が。目の前で気絶しているじゃないですか。
そこからの俺たちの動作は早かった。おびえて草むらに隠れている本間さんを左に、気絶したお姫様を右に抱えで猛然と馬の嘶きと騎兵の悲鳴を駆け抜け、俺は一陣の風と化して戦場からエスケープ。
事前に教えられていた、盗賊団との待ち合わせ場所でもある郊外の廃墟にきているのだ。
「もともとなんの建物なんすかね、これ」
「さっき家の雰囲気から察するにどこかの貴族のお屋敷だとは思いますけど……。やっぱり不景気で夜逃げでもしちゃったんですかね。」
地下の牢獄に行くまでの道すがらに見かける蜘蛛の巣の張ったシャンデリアもボロボロのソファも、僕らの生活には縁遠いグレードのモノばかりだ。
「いやでもおかしくないっすか? なんで貴族の家に牢屋あるんすか!?」
「確かに……」
「これはかなり危ない匂いがしますよ。俺探検行ってきます! もしかしたら伝説級の宝物とかが眠ってるかも!」
「えっちょっと!」
今日死線を潜り抜けたっていうのに元気だな。しかしまぁ百万エンが手に入るんだ。なんでもいっか。
俺が意気揚々と探検に出かける佐々木くんの後ろを姿を眺めていると、後ろで本間さんが大きなあくびをしている。
「あぁもう寝ます?」
「そうですね〜。今日は疲れました。でもほんとね。なんかジェットコースターみたいな一日でした。」
「ジェットコースターかぁ……」
そういえばジェットコースターなんて乗ったことなかったな。そもそも遊園地という場所に行った経験もない。そりゃテレビコマーシャルで見たことはあるし、どんなものか、どんな場所かは知ってる。だけど親は農家で三百六十五日仕事だったからな。
それにあぁいう場所は友達と行って初めて成立するもんだ。俺にはあの場所は眩しすぎる。
ただこの事を言っていいのかわからない。友達がいないというのはそれだけで社会不適合者と思われかねいし、どうせ俺なんて……
「もしかしてあんまジェットコースター好きじゃなかったですか?」
「いやいやいや好きですよ。早くてでっかくて気持ちいいですよね。」
あくまで個人の想像であり、実際の乗り心地を示すものではありません。
「ですよね! せっかく都内に出てきたし、キャッツランドも行ってみたいなー。ただなぁ」
キャッツランドっていうのは王都の近くの都市チバブルクにある大型遊園地だ。なぜか正式名称はトーキライトキャッツランド。
なぜかチバブルクは王都でもないのに王都ぶる事が多い。
その中でも一番意味が分からないのは、王都ドイツ村。
お金がない人でも簡単にドイツという海外の国に行った気分が味わえるというテーマパークらしいのだが、住所はチバブルクにある。もうなにがなんだかわからない。
王都でもなければドイツでもない。えぇここはチバブルクです。
これにはおそらく地域住民も相当困惑してるに違いない。
「どうしたんですか? いけばいいのに。」
「修学旅行でキョウトンゲン行った時も一人だけ迷子になっちゃって……いつもそうなんですけど集団行動を乱すというか、全然意識せずに景色みて歩いてるといつの間にか違う景色で独りぼっちになってて。でもみんな笑うんですよ! ひどいですよね!」
「まぁ何回もっていう話なら、怒られてもしょうがないとは思いますけど修学旅行の時だけでしょ? かわいそうだなぁ」
「……………………」
「えっどうしたんですか本間さん。」
「ななななんでもないです。そんなねぇいい大人なんですから、道なんてそう何回も間違えませんよ! もう何言ってるんですか弥太郎さん!」
「ちなみに本間さん、王都どっちの方にあるかわかる?」
「王都ですか? あっちですよね。」
指さした方向は真逆。いやそりゃ室内だしね。しょうがないしょうがない。
「えっ私間違えましたか?」
「いやあってると思うよ」
何か間違ったことを行ってしまったんじゃないかっていう不安を浮かべながら、俺の顔をじっと見つめるもんだから、プレッシャーに負け反射的に嘘をついてしまった。
やさしい嘘ってやつだ。でもこういうのってこっちにも精神的にクるものがあるんだよなぁ。
「またやっちゃったんですね……」
本間さんの目が次第にウルウルと濡れているじゃありませんか。
「えぇなんのことかな。よ、よくわかんないなー。」
「いいんです。無理しなくて。自分でもわかってるんです。なんというか……ドジっていうか。ほんと自分でもこういう事いって正当化するのってよくないのわかるんですけど、いっつも大事なところでミスしちゃうっていうか。ここに来る前……騎士団試験の時もそうでした。馬車に乗って、最後に復習しようって参考書読んでたら終点まで行っちゃって。時間的に試験開始時間まで間に合わなくて……」
「そうなんだ。」
「もともと子供のころから、こんな感じで。だから昔からテレビで見る杏樹様にあこがれてたんです。凛としててかっこいいなって。少しでも近づきたいなって。だから騎士団の募集あった時は、ほんとにうれしかったし何としてもなりたかったんですけどね……。今日なんて生杏樹様がみれるかもって思ってすっごい元気になっちゃってましたけどね。ははは。って弥太郎さん!?」
話を聞いているだけ辛くなってしまった俺は思わず涙が自然とあふれていた。そうだよなぁ、ミスとはいえ理想に近づけないのは辛いよな。
「いやごめん……なんか感情移入してしまって。でもすっごいわかるよその気持ち!」
「暗い話しちゃってごめんなさい。もう私寝ますね。できれば杏樹様の寝姿も見ていたいですけど。ちょっと今日は張り切りすぎちゃったかな?」
そういって横になった本間さんは、両手を頭の下に敷き大きな瞳を閉じてしまった。
「なんかあったら起こしてください。じゃぁ弥太郎さんおやすみなさい!」
「お、おやすみなさい」
就寝の挨拶もずいぶん久しぶりだ。
俺は鎖で繋がれてるお姫様と寝ている本間さんを横目に、持参のかばんの中から水筒と本を取り出して近くに置いてある椅子に腰掛けた。
ふぅ〜。
ほっと一息とっていうのはこういう事なんだろう。そもそもたくさんの人と会うと異常に疲れる俺が派遣社員をやっていることがそもそもの間違いなんだ。
でもそれもしばらくおさらば。いや……永遠にサヨナラしてやるんだ。
俺は今回のボーナスで、本格的な就職活動に打って出られる。一次面接だろうが、役員面接だろうが。負ける要素はない。多分……。
(正社員に俺はなる!)
心の中でそうつぶやいた時だった。
「う、う〜ん」
気絶した我が国の王女様が目を覚ましたようだった!
近寄って顔を眺めると改めて自分との種族の壁みたいなもので劣等感が刺激される。
オークって言うだけで臭い・汚い・怖いって思われがちだし、髪をかき上げれば額から生えている角が逃げられない呪縛のようで嫌だった。
だけど、この眼の前にいる女の子はどうだ。自分と年がそう変わらないはずだけど、出る所は出ているし、髪も金髪でおまけにシルクみたいに柔らかそう。それに自分の鼻とは比べ物にならないぐらい高い鼻。目鼻立ちだけでも生まれも育ちも何もかも違うってあらためて思い知らされる。
少しぐらいは触っても起きないだろうと高を括った俺が、そっと頬を撫でるとプニップニのほっぺたがまるでコンニャクで出来たゼリー見たいな弾力で指を押し返してくる。
こんなに間近で女性の胸なんて見る経験なんて今までなかったけど、大きく深い谷間が出来上がった二つの脂肪の塊は胸というより“おっぱい”って感じに自己主張が激しい。
ウエストはきゅっと締まって、足なんかオークの俺が折ろうと思えば一瞬で折れそうなほどか細い。
上から下までじっくりと観察した俺が、もう一度顔をじっと覗いていると、寝ぼけ眼のお様と目が合った。状況がわからず澄んだ瞳が時間とともに感情で溢れてくる。
「くっ……殺せっ!」
「へ!?」
「嬲られるぐらいなら死んだ方がマシだ! いいから殺せ!」
「えっいや。そんな気無いです!」
「そうやって狡猾に私を貶める気だな。ハァハァハァ。この喉の乾き……貴様何をした!」
「あぁ喉乾いたんですか?」
水分も取らず、気絶しっぱなしだったもんな。のども乾くか。
俺は親切心百パーセント。純粋な親切心で机の上にある水筒を手に取り、コップに牛乳を注ぎ込んだ。
「やめろ! その白い液体はなんだ!? 貴様やめろ!」
「あぁもう……喉乾くか騒ぐかどっちかにしてください」
俺は注ぎ込んだソレを姫の口に注ぎ込む。口では受けきれなかったのか、牛乳は顎からタレ下着に白い染みを作った。
「きさまぁ! な、何を飲ませた!? まさか……クソ! 鎖が邪魔で……」
「あぁソレは我慢して下さいね。逃げられちゃうとコッチも困るんで……。でもそうだなぁ……片方だけならいいか」
あんまりうるさいと本間さんを起こしてしまう。疲れてそうだったしな。
「はっ何をするんだ!? やめろそれ以上近づくと舌を噛んで死んでやるぞ」
「いやいやいやいや。それすげー困るんで。というかですね。痛そうなんで片腕だけなんですけど鎖外してあげるだけですから。ほんとやめてくださいよ舌噛むとか」
片手の鎖を外した所でこの牢獄の鍵は俺が管理しているわけだし、武器の類だってない。
「ふっそうやって油断させる気だな。しかし私は負けん!」
この人は一体何と闘っているんだろう……。でも寝起きに俺なんかの顔みて不快になるのも仕方ないか……。俺はギャーギャー騒ぐお姫様を無視して鎖を外して上げた。
「なるほど、見くびられたものだな。私の片腕が自由になった所で勝てると踏んだか……。しかしその油断が命取りだったな……死ね」
鎖を外した途端。俺の顔面に握りこぶしが飛んでくる。
ゴツン!
「痛っ! なにすんだよ!」
骨と骨がぶつかりあって鈍い音を立てる。
幾らオークが人間より分厚い肌だって言っても痛いものは痛い。
「当然だろう私は騎士だ。オークなんかに絶対負けないんだから!」
「あっ……そうですか……」
どうも上手く意思疎通がとれないお姫様に呆れ気味の俺は、さっきまで座っていた椅子にもう一度腰掛け、カバンから最近買った本を取り出した。
内容は、仮想現実の世界を体験できるネットゲームを楽しんでいたはずの主人公が、製作者の企てにより現実世界に戻れなくなってしまい、あげく仮想現実の死と現実世界の死までが同期するという恐ろしい世界の中で仲間と解決策を見出すというなんともキャッチーな作品で、今年を代表する話題作だ。
ネットじゃ、なにかの作品パクリとか、売れてるだけで中身がないとか言われているが、これほど『おいおい、この先こいつらどうなっちまうんだよ』とドキドキとワクワクの一度を提供してくれる作品も珍しい。
もし小説を書く機会があるんだったら、こういう少年の心を忘れさせないものを書ければいいんだけど、どうせ半端者の俺だから、中途半端な設定の冗談みたいなファンタジーになっちゃうんだろうなぁ。んでお前の書くヒロインかわいくねーからもっとヒロインらしいヒロイン入れろって編集さんに言われて、微妙に造形に困るヒロイン作っちゃって扱いに困っちゃうんだ。
はぁラノベ作家つれー。
そんなありもしない非現実的な妄想に浸っていると、姫様が話しかけてくる。その声はどこあ不安げで、出会った時のようなそれとは違い儚げで虚ろなものだった。
「ね、ねぇ……」
「なんですか?」
「あ、あのやらないのか?」
「何をですか?」
「い、いやだ、だからその……」
「はぁ……」
「い、いやらしい事とか……し、しないの?」
「なんでですか?」
コイツはいきなり何を言ってるんだ。
「こ、この状況よ? 私は女騎士で貴様はオークだぞ」
「はい。だからどうしたんですか?」
「だ、だからその『グヘヘヘヘヘ、貴様は俺の性奴隷になるのだ!』みたいな事を言って……」
「いやですよ。病気とか怖いじゃないですか」
「き、貴様! わ、私がその辺の娼婦かなにかと勘違いしてるのか!」
「いや違いますけど」
「じゃぁ、ヤればいいじゃない」
「その〜なんていいますか、オークだからといって常にやらしい事とか考えてるわけじゃないんですよ。それに開き直られても困ります」
「し、しかしお父様が言っていたぞ」
エルフだったら弓がうまくて当たり前。デミだったら手先が器用で当たり前。じゃぁオークはといえば、力が強くて低能で脳みそが欲望に支配されてるって感じ。
勿論それは概ね合ってる。職場のオークの先輩はいっつも女の子のいるお店に稼ぎのほとんどを使っているし、民芸品職人にデミが多かったりする。
だけど別にそういう奴だけってわけじゃない。きっと俺みたいに、エルフ族で不器用な奴もきっといるはずだ。ソイツも就職活動で苦労していると思うと悲しくなってくる。
「まぁなんでもいいですけどやらないです。そういう事がやりたかったら別の人探してください。それにアナタなら幾らでもそういう人いるでしょ?」
そういうと、途端お姫様は黙り込んで下を向いてしまった。
よく目を凝らすと、お姫様の足元には小さな染みがポツポツと……これは涙?
「お、おい……」
「もう死ぬ! 絶対死ぬ! オークにも相手にされない……もういや」
「え、なんで?」
「だって……だってぇぇぇぇ」
「いや普通そこは安心するところであって、泣く所じゃないでしょ」
我が国のお姫様は何に機嫌を損ねたのか知らないけれど、瞳のダムが決壊して氾濫中だ。
「だってだって! 誰よ! 女の幸せは結婚とか言ったやずぅ! 誰よ! 結婚できない女はかわいぞうどがいいだじだやづはっ!」
「そ、その声のトーン落としてください! 本間さん起きちゃうから! 声大きいと起きちゃうから!」
「なによ! どうせアンタも行き遅れ寸前。腐りかけ女とか思ってんでしょ! 悪いけどね、私負けないから! そういうのに断固としてノーと言える社会にするから!」
「そういう公約は城の中でやってください! とにかく静かにしてくださいよ! 寝てる人だっているんですから!」
そう言った俺は本間さんに目をやるとよほど疲れていたのかすやすやと大きな瞳を閉じて寝息を立てている。当然お姫様もそれを確認した。確認したはずなんだ。
「けっ、どうせオークも若い子がいいんでしょ。なんも知らない天然女がいいんでしょ!? 言っとくけどね。自分の事天然っていう女。絶対嘘だから! 裏でタバコとか吸いながら男ってちょろいわーって言ってるから!」
「今そんな事関係ないでしょ!」
あまりにも大きな声出すもんだから、とっさに姫様の口を手でふさいだ。
「う、うもぅ!」
そんでもってこの最悪なタイミングで探検から戻ってくるんだ。この佐々木という男は。
しかも暗闇でよくはわからないけど、なんか抱えてきて帰ってくるし!
「せんぱーい! これ見てくださいよ! って先輩!?」
おそらく佐々木くんの視界にはこういう景色が広がっている事だろう。
鎖で片腕をつながれたお姫様、その顔には大粒の涙のオプション付き。そしてその傍らにはオークの俺。そして極め付けは大きな叫び声と下着についた白い染み。
これは佐々木くん、いや誰が見たってこう思うはずだ。
「あ、あぁーお取込み中でしたか……なんかすいません……そうですよね。オークですもんね。男の子ですもんね。」
「佐々木くん説明させてくれ。これには深い事情が!」
「いや最後まで聞かなくてもわかるっす。俺もそりゃ女の子前にしたらそらもう野獣っすよ。なんか野暮な事してすいません!」
姫様の泣き声はますますひどくなる一方だし、佐々木くんは佐々木くんでへんな納得の仕方してるしで、何から手をつけていいのか自分でもわからなくなっていた俺は叫んだ。
「うるせぇえええええええええええええええええええええええええええええ」
壁に反響した俺の声がエコーのように響き、残ったのは静寂と本間さんの寝息だけだった。
「ホントすいませんでした。」
「ごめんなさい……」
俺の前には、二人。いそいそと姫様と佐々木くんが正座して、粛々と謝罪の言葉を述べていた。
「ううん。全然いいの。むしろ大きな声だして“ごめんなさい”なのは俺の方だからね。全然いいの。気にしてないから。それで……君〜島津さんっていったっけ? こっちも仕事だからさ、そういきなり泣かれても困るのね。」
こうなったらもう一件一件かたずけていこう。
「ずみまぜん……」
「その淡々としゃべる感じ。マジ先輩大人って感じですね。」
無視だ。無視。これ以上構ってたらラチがあかない。
「それでなんでいきなりないたんですか?」
「だっで……私……もう結婚相手が見つからないの……」
「結婚相手!?」
「そうなの! その……私……十七歳なのに、もうギリギリなのに……許嫁の一人もいないのよ? 周りは結婚しろとかいうし、でも相手いないし……」
この国じゃ人間は十五歳で成人だ。お酒もタバコも十五から。とうぜん女性であれば結婚していてもおかしくない。むしろ早い人だと十三歳ぐらいで結婚する。二十歳すぎると行き遅れとか、お局なんて言われることも珍しくない。
「男はいいわよね……二十歳超えて結婚しなくても、『仕事がいそがしくてさー』とか『いい人いればねー』とか適当に濁してれば何とかなるんだから! でもね私は姫なのよ? 周りから婚期の話だってされるし、世継ぎの事だって言われる! そのくせ公務はちゃんとしろだの言われるし、国民からは政治もわかんないクソ王女って言われんのよ!! 仕事もしろ! 結婚もしろ! その上オークにまで相手にされないなんて……私……あだぢおんなどじてみりょくないんだぁああああああああああ」
「あぁぁもう泣かなくていいですから!」
「先輩がなだめてくださいよ。俺のせいじゃないんすから!」
「あぁわかってるよ。えっと、えっと……そうだ。お姫様だからお見合いとかもくるし、普通は引く手あまたなんじゃ……ねぇ佐々木くん?」
「そ、そうっすよ。腐ってもお姫様なんすから!」
「小さい事から。お父さんに『お前も大きくなったら私の代わりの国を頼むぞ』って言われて、『あたしパパみたいな立派なおうさまになるの!』ってやり取りしたわよ! 剣術武術、それに用兵も全部学んだ。しかしお父さんも学校も肝心な事何一つ教えてくれなかった! 恋愛の仕方なんて教えてくれなかった! 私だって結婚したい! 素敵な王子様と手をつないで湖畔の風に吹かれたい!」
「そこまで聞いてねーよ!」
「じゃぁもう恋に生きたくても生きれないのなら、仕事一筋で頑張ろうと思った矢先、敵に捕まる……クソっ! 殺せ」
「いやそれは佐々木くんが魔法つかったからできたことだし、素直に彼を褒めるべきなんじゃ……。」
「魔法? あんなの魔法でもなんでもないじゃないか! あんなのに我が隊は……。もう殺せ! 殺してくれよぉぉ」
「そうとう姫様お怒りだけど、君なんの魔法使ったの?」
「おっ気になっちゃいます? 仕方ない……大魔導(仮)が見せましょう。えいっ!」
佐々木くんは持っていた棍棒を姫様に向けるとまばゆい光が辺りを包み込む。
「特に異常は無いようだけど……」
そう言うと、佐々木くんは指を前に立てて横に振った。
「チッチッチッ。まっ見ててくださいよ!」
改めて周りを確認しても異常は確認できなかった。どこかに氷の柱ができているわけでも、火球がどこかに向かって勢いよく動いているわけでもない。
「えっやっぱなんも起きてないけど」
「くそっ貴様! なぜ私に掛けた! し、しかし……ハァン……こんな……クゥ……ことで……私は……まけにゃい……くぅぅぅぅぅ」
「あのさ……何したの……」
「フフフ。よくぞ聞いてくれました。これがあらゆる生物を発情させ、行動不能にする魔法『ムラムラム』です」
「!?」
なんなんだその魔法は!?
しかもその勝ち誇ったような、何か重大な仕事をやりきった満足感のようなものに満ちあふれているその表情はなんなんだ!
「くそっ……こんな魔法で……我が隊は……」
「これにやられる部隊なんか無くなったほうが国のため何じゃないのか」
おもわず俺の口からは率直な感想が溢れるように出てしまった。俺だって納税はしている。そんな魔法でやられる王立騎士団なんて見たくなかった。
「あの時、先輩すげー闘ってじゃないですか。それで俺もなんとかしなきゃと思って魔法掛けたのにソレは酷いっすよ」
「でもねでもね。普通さ、魔法使いって最初ちっちゃい火の玉出すとかさ。氷のツブテを敵にぶつけるとかそういう……」
「そういう常識とか俺よく分かんないっす。俺通信教育なんで。教科書これなんすけど……」
そういって出された魔導書には『勝ちまくりモテまくり! 大魔導講座』と書かれた表紙が。これあれだ。雑誌とかの裏に書いてある胡散臭い広告そのものだ。
「佐々木くん。これどこで知ったの?」
「雑誌の裏っす」
あぁもう頭がひどく痛む。
「そ、そんなことどうでもいいから……カラダが熱い……魔法なんかに……どうにかして……」
お腹を押さえ、頭をめり込ますように固い床につけ悶絶している我が国のお姫様。
「おい佐々木! 早くどうにかしてさしあげろよ」
「無理っす! これ時間で解除する系のあれっす!」
なんでちょっとにやけてんだよ。あぁもう佐々木“くん”とか敬称つけてたのがバカみたいじゃないか!
「そもそもこんな魔法で隊が全滅なんて話聞いたこと無いぞ」
「いやなんか馬にかかっちゃったらしくてですね。全員落馬っすよ。んで姫様はなんか気絶したって感じっすかね」
「あぁそうなんだ。凄いね君。そのなんていうの戦場でその魔法使える度胸とか俺には無いよ」
「あざっす!」
「言っとくけどほめてねーからな!」
俺も誘拐の片棒担いでる身で何か言えたもんじゃないけど、そんな魔法に全滅させられたお姫様が不憫でならない。
「じゃぁ次なんだけど……」
「おっ次の議題はなんなんすか? クラス会みたいでなんか俺楽しくなってきたっす!」
「なんで自分の事だって気づかねーんだよ!」
「えっなんのことすか!?」
「お前の座ってる横だよ横! そのキューキュー鳴いてる不思議生命体だよ! そんなもんどっから拾ってきたんだよ!」
「これっすか? なんかの子供だと思うんですけどかわいいっしょ? 聞いてくださいよ。俺探検行ったんすよ! で〜なんか洋館の全部の部屋のタンスとツボ調べたんですけどなんも出なくて〜。でこっちとしてはむかつくじゃないすか。でつまんねーから先輩いじって遊ぼうと思ってここ戻ってきたら、キューキュー鳴いてんのきこえてー。で持ってきました。」
「あぁどうもご丁寧な説明ありがとね! でなんなんだよこの生き物は! とりあえずお前生き物見かけたら捕まえてくる精神は! あと語尾伸ばすな語尾!」
佐々木が両手に抱えてきた謎の生き物。顔は確かに幼いからなんかの子供なんだろう。瞳は黒く、ギョロギョロとはいかないまでも目力のあるまなざし。皮膚は赤く、分厚い鱗はギザギザとしている。
トカゲのようには見えるけど、背中には翼が生えているからたぶん別の何か。
あいにく俺は経営学部卒だし、生物の知識にはあまり明るくないから正式名称はわからない。
「でもかわいくないっすか。」
「いや確かにかわいいけど、こんなちっちゃい生き物勝手に連れてきたら親起こるだろ!」
「違うんすよ! ぜったいコイツ迷子なんすよ。なーかわいそうに、ヘラクレスササキトカゲー」
「その変な名前つけるのやめにしない!」
「いいじゃないっすか。でもこんなところにトカゲなんているんすね。ねぇねぇ姫様—見てくださいよこれ! かわいいっしょ!」
突っ伏して悶えている姫様の頭上でひけらかすようにトカゲ、もといヘラクレスササキトカゲをプラプラ両手で支えながら見せびらかしていると、姫様はズリズリと頭をひねり、トカゲをチラ見。
「そ、そのドラゴンは?」
「ドラゴン? 違うっすよ。ヘラクレスササキトカゲっすよ!」
「ば、ばかもの。そいつは、くっ! ドラゴンだ。レッドドラゴォオんっの子供だっ。」
「ドラゴン!? ドラゴンなんて山の上の方にしかいないじゃないっすか! こんな平野にいるわけないない! 姫様はほんとにおバカだなぁー」
「お前にバカって言われるって最悪だな。」
「理由は、し、しらない。だけどおおおおおおおん。そいつは間違いなくっ!ドラゴンだ! はぁん。演習でええんっ。なんども見かけたから……」
「ドラゴン? あの大きくて火はく奴だろ?」
「そ、そうだ。親は近くにいたのか?」
「いたのか佐々木?」
「い、いないっすよ! いるわけないでしょ! いたら捕まえらんないでしょ!」
そりゃそうだ。ドラゴンなんて人の手に負える代物じゃない。よく、夕方のニュース番組で、家の近くにドラゴンの巣ができた地域住民と駆除業者の特集が放送されてるけど、聞こえてくるナレーションにはいつも死傷者が何名でてって文句が入るぐらいだ。
「ちなみに、その鳴き声はぁあん、助けを呼ぶ声だ。ドラゴンは耳がいい。じきに母ドラゴンがくるぞっ!」
「さっきから思ったんっすけど、姫様何悶えてんすか?」
「おめーのせいだろ!」
「お前のせいだ!」
思わず姫様とユニゾンしてしまった。
「とにかく佐々木は、元いた場所に返してきなさいよ。」
「いやっすよ先輩! 俺はコイツを育てて将来的にはドラゴンの背中に乗って大空駆け巡るんですよ! そもそもコイツ俺が見つけた時にはここいたんすから!」
「じゃぁ明日な! 明日かえそ? それに母親と離れ離れってかわいそうだろ? お前だって子供のころに急に母親と離れ離れになったらさみしいだろ?」
「うーん…………。」
俺が言っても、ただただ駄々をこねていた佐々木は少し考えているような顔をした、今までで一番真面目な顔。
「わかりました。そうっすよね。独りぼっちは寂しいもんな。で母ドラゴン怖いんで一緒に返すの手伝ってくださいよ。」
「えぇ俺? 仕事あるから無理だよ!」
「じゃぁ俺一人で行けっていうんすか? 相手は火を吐くドラゴンなんですよ? か弱い人間じゃ無理っすよ! オークだったら多少のやけどでも大丈夫じゃないっすか! お願いしますよ〜!」
佐々木は俺にしがみつき、ブランコの要領で俺の腕を振り回してくる。痛いんですけど
「バカ! 痛いって!オークだって痛いもんは痛いんだぞ。これ見ろよ!」
俺が見せたのは、脇腹にできた昼間の傷跡。もう治りかけだけどそれだってガーゼ越しに血が滲んでいて、見てて気分のいいもんじゃない。
「うわっすげー、昼間の傷もう治りかけだ! オークすげー!」
「あぁもういいから寝ようぜ。明日盗賊団に引き渡したら帰んなきゃいけないし。」
「たしかにそうっすね」
俺たちが寝る準備をし始めたその時だった。
ズドォーン!!!!!!!!!
大砲でも撃ち込まれたんじゃないかっていうぐらいの振動が俺たちを襲ったのだ。
「ぬおっ! じ、地震!? 敵襲っすか!?」
建物自体は堅牢なのか、天井の誇りが一斉に落ちる程度だったけど、それでも何か異変が起きているのは間違いなかった。
「なんでそんなワクワク顔してんだ佐々木!」
「いやワクワクしちまいますよ! ガキの頃、妄想しませんでした。学校がテロリストに占拠されて、好きな女の子が死にそうになるところを華麗に助ける自分! そういう胸の高まりを感じます!」
「それは妄想だから助けられるんであって、現実で起こったらなんもできねーんだよ! とにかく皆の安全確認だ。」
本間さんは? うん。こんな事態になってもすやすや寝てる。姫様は? 依然として悶えてる。んでレッドドラゴンは? なんか天井見上げてキューキュー鳴いてる。問題ない。
「大丈夫。全員無事だ。」
ギュワアアアアアアアアアアア
怒号。いや何かの鳴き声だろうか。ものすごい敵意の詰まった大音量の何かってのは認識できる。
「おいおい。これ来ちゃったんじゃねーの?」
「な、なにがっすか先輩! もしかしてレッド」
「あぁ言うな! 絶対言うな! 俺は事実を認めたくない!」
「この期に及んで何言ってんすか!」
「うるせー! お前が連れてきた子ドラゴンなんだから返しに行けよ!」
「さっき一緒に行ってくださいってお願いしたじゃないっすか! 嫌っすよ! 一人じゃ絶対行かないっすよ! どうせあれでしょ? これ牢獄の階段上ったら、火の海なんでしょ! んでバカみたいにでかいアレがこっち睨みつけてくるんでしょ!」
「大きな声だすなー! さっきお姫様がドラゴンは耳が良いって言っただろうが! はっ」
「ハイ先輩言ったー! 先輩も同罪—! 一緒に子ドラゴン渡しに行くのけっていー」
「み、認めてしまった。いやだよー正社員に成れないまま死にたくねー」
俺たちが騒いでいると、ドシンドシンと重い何かの足音が俺たちの頭上で。まっドラゴンの足音だと思うんですけど。
しかも足が恐怖で動かない。悲しいかな俺たちの足は生まれたての小鹿より貧弱になっている。
「あぁどうすんだよ! 佐々木! お前魔法使いだろ? なんかねーのか?」
ドシン
「ないっすね。まだムラムラムしかないっす!」
ドシン
「お前大魔道師なるって言ってたじゃん! なんで一つしか魔法使えないんだよ!」
ドシン
「人間の自分がそうポンポン魔法覚えられるとか思ってる先輩の方がひどくないすか?」
ドシン
「うるせー藁をもつかむ思いなんじゃこっちは!」
ドンドン
俺たちが騒いでいると、定期的に起こる激烈な振動が止まり、頭上からものすごい圧を感じる。
「あぁこれいるわ。すぐ上にいるわ。」
「先輩、最後かもとしれないんで。だから全部話しておきたいっす。俺この戦いが終わったら魔法の専門学校いくっす。」
「やめて金髪バカ! 何かを盛大に立てるのは辞めて!」
「だってしょうがないでしょこの状況!」
「とりあえず二人を起こそう! お前本間さん担当な? 俺お姫様いくわ。」
「了解っす。」
震える足を必死に前にだし、本間さんの近くまで行った佐々木は肩を揺らしい懇願した。
「遥香っち起きてくれー! たのむぅー。」
俺も佐々木を背に、鎖で繋がれた姫様を起こしに行かなくては。えっと鍵はっと……。確か机の上に……ないっ!
「なぁ佐々木鍵知らない?」
「鍵?」
「手錠の鍵。見なかった?」
「みてないっすよ! 先輩が持ってるんじゃないすか?」
「机の上に置いたはずなんだけどないんだ!」
「えぇそんなんしらないっすよ! うぉおおおお遥香っちおきてくれー。」
佐々木も鍵を探せる状況なんかじゃない。
「やばい! 鍵! 鍵がない!」
多分だけど、ドラゴンがここに着地した衝撃でどっかに吹っ飛んだんだ。
「お姫様—起きてください! 起きて!」
「ん、なによぉ、体がだるい。頭がほわほわするぅ」
「まどろんでる場合じゃないんですよ。ドラゴンが!」
「ん? ちょっと顔近いわよ! こんなのキ、キスの距離じゃない!」
「そんなんどうでもいいから一緒に鍵探してください?」
「か、鍵!?」
「だからドラゴンが! あぁもうとにかく鍵です! あなたに死なれると困るんです!」
「なっ!!? い、いきなりなに? 愛の告白! 悪いけど私年収五百万はない人とは付き合えないわよ!」
「あぁもう!」
俺は意識のはっきりした姫様を無視して、地面に顔を寄せ、鍵のありかを探した。
「ちょっと何やってんの?」
「その手錠外す鍵がないんですよ!」
「えっなに逃がしてくれるの?」
「だからー!」
グシャカアアドゥギャアアアン
俺が事情を説明しようとしたその一瞬。工事現場で聞きなれた雷みたいな騒音が俺たちの鼓膜を突き刺し、天井が吹っ飛ぶ。
続けざまに揺蕩う炎の熱気。その奥には、当然のごとく明々と燃える鱗をひけらかすドラゴンの姿。
「ど、ドラゴン」
お姫様は唾が飲み込む。つまりは鉄火場に慣れているはずの王立騎士団の騎士団長様が覚悟を決める。今この場は、そういう場所になってしまったんだ。
「や、弥太郎さん! これどういう事ですか?」
佐々木の必死の叫びが通じたのか本間さんも起きたようだった。この状況で起きなきゃ殺してるところだ。まぁその前に死ぬ可能性高いけどな。
「知らないよ! ただこの場にドラゴンがいて、俺たちに敵意を向けてる。それだけだ!」
「ちょっとアンタ何とかしなさいよ!」
辺りは吹っ飛んだ天井の残骸で、鍵程度の小さなものを探すなんて悠長な事をやっている状況じゃない
「いやだぁー先輩死にたくないっす!」
「弥太郎さん! 私も嫌です!」
俺だってそうだ。死にたくない。でも生き残ったところでどうだ。また派遣で毎日クソみたいな日常にもどるのか? 普通にもなれないで、このまま一生おわるのか? いやだ。
ドラゴンの瞳は俺たちをまっすぐととらえ動きはしない。
あぁ大きく息を吸った。胸も大きく膨らんだ。きっと俺たちは消し炭になるだろう。
「いやよ。助けてよ! 処女のまま死にたくない! 誰か助けてよ! 何よ、幸せになったっていいじゃない!」
いやだ。こんなところで終われない。終わりたくない。
これだけは曲げたくないという意地が俺の足を急かし、姫様の手錠と壁を繋ぐ鎖を引きちぎり、胸に抱えると、佐々木と本間さんを巻き込みながら覆いかぶさった。