午後六時手前。夕暮れ時だというのに、この大通りは人でごった返している。道の両端には高層ビルが雑多に建ち並び、まさしく大都会といった景観を形成していた。
ここは全国に八カ所存在する学園領域の一つ、関東領域。人口の半分が魔術師で、軍が管理し、学生魔術師達がバトルイベント、天覧武踊(てんらんぶよう)に勤しむ。そういう地域だ。
ここに退屈の二文字はない。それを証明するように、
「あの、本当に、無理ですから!」
「いやいや、そんなこと言わずにさ。ちょっとだけ遊ぼうよ、ちょっとだけ」
一人の女子が、複数の男子達に囲まれている。
集団は皆、魔術学園の制服を着用していた。その色・形からして、黒冥喚(こくめいかん)だろう。質(タチ)の悪い連中が多いことで有名な学園だ。
なのに、誰もが無視を決め込んでいる。皆、厄介事にクビを突っ込みたくないのだろう。
しょうがない。ちょっと怖いけど、ここは俺がなんとかしよう。
勇気を出して集団に近づき、声をかける。
「あ~、そこの君達。困ってる女の子にしつこく食い下がるなよ。みっともないぜ」
こちらに対し、女子は縋るような視線と顔を向けてくる。一方で、集団はというと、
「あぁ? ウザってぇな」
こちらを睨みながら、一人の強面がそれを発動した。
全身が銀色の膜、魔晄防壁に覆われる。直後、奴の眼前に紅い幾何学模様が出現。それに右腕を突っ込み――外装を、取り出す。
深緑色の棍棒。奴がそれを肩に担ぐと、他の面々も同様に、外装を顕現させた。
魔晄外装。一端の魔術師を名乗る者であれば、誰もが持つ力だ。
「ちょっ、ちょちょちょちょっと! が、外装なんか出すなよぉ! お、俺は素人だぜ!? そ、そんなもんで殴られたら死んじゃうじゃんかよぉ~!」
「ハハッ、なんだこいつ、だっせぇ。ビビリのくせにしゃしゃってんじゃねぇよ」
嘲笑する面々。それに内心ほくそ笑みながら、俺は女の子にアイコンタクトを送る。
気を引いてるうちに逃げろ。このメッセージに気付いてくれたらしく、彼女は意を決した様子で走り出した。……よし。これで目的達成だな。
「はははは! ひっかかったな愚か者~! 周りの大人達もほら、魔術師狩り(ハンター)に通報してくださってるぜ! これでお前等はお終いだバ~カ!」
「て、てめぇ……! ただじゃおかねぇ! ブッ殺す!」
「ブッ殺す? いいや、無理だね。お前等は俺に指一本触れることすらできない」
断言してからすぐ、俺は自分の発言が事実であることを証明して見せた。
対面に並ぶ集団を睨み、そして、踏み込む。
奴等のもとへ――ではなく。鋭いUターンを見せ、雑踏の方へと全速力で駆けた。
「はぁっ!? て、てめぇ、逃げてんじゃねぇ!」
「逃げてるんじゃありませええええん! 言ったことを実行してるだけですうううう!」
叫びつつ、人を避けながら逃げ続けた。帰宅ラッシュな時間帯だからか、人通りが多い。そんな環境下で全力疾走してたら……誰かにぶつかっても、仕方がない。
さっき躱した人の体で隠れていた二人組が、目前に現れた。一人は八〇歳程度の老人。もう一人は孫娘? びっくりするぐらいの美少女だが、その美貌を気にしてはいられない。
どいてくれ。俺がそう言う前に、彼女は、
「おっと危ない」
呟きながら、爺さんを片手で投げ飛ばし、身を横へ引いた。
「あっぶねぇじゃろクソガキゴラァアアアアアアアアア! 訴えて勝つぞボケッッ!」
顔面から地面に激突した爺さんが、叫ぶ。それに謝る暇もない。俺は逃走を続けた。
前方に曲がり角。あそこを――と、そこまで考えた瞬間。角から人が出てきた。
避けられない。そう確信した直後、衝撃がやってくる。
「む……すまぬ、不注意であった」
ぶつかった相手は、俺と同い歳ぐらいの男子だった。一五歳にしてはかなり大人びた雰囲気。背丈は俺よりも五センチぐらい高い。一七五前後、だろうか。顔立ちはまさに黒髪のイケメンという感じで、思わず妬ましさが……って、そんなこと考えてる場合じゃない!
「ふぅ……ふぅ……てめぇ、半殺しじゃ済まさねぇからなぁ……!」
追いつかれたか。なんて厄介な……と焦る俺に、ぶつかった男子が声をかけてきた。
「なにゆえかは知らぬが。追われているようだな。それでは……」
言った矢先、彼の全身を白銀色の膜が覆い、体の真横に紅い幾何学模様が顕現する。
彼はそこに右手を突っ込んで――漆黒の直刀を、取り出した。
「ここで会ったのも何かの縁。助太刀しよう」
瞳を鋭くさせ、冷然とした空気を纏う。そうして、彼は奴等を睨み据えた。
「なぁに、格好つけてやがんだてめぇ。五対一で勝てるとでも――」
「ご託は不要。かかって参れ」
挑発的な言葉に対し、奴等は釣り餌にかかった魚の如く突っ込んできた。
その瞬間、彼もまた踏み込む。静かで、鋭く、そして何より――疾(はや)い。
彼が一直線に進み、集団の間隙を通過する。それから数瞬後、奴等はぴたりと止まり、前後して、糸が切れた操り人形のように倒れ伏せた。
何が何やらわからない。ただ、強いということだけは理解できた。
「……貴君もまた、魔術師、であるか」
外装を消した彼が近寄ってきて、こちらをジッと見据えて来る。
「あ、あぁ。今年から龍帝学園に通うんだけど、君は上級生?」
「否。オレも貴君と同様、龍帝学園の新入生だ。名を江神春斗(こうがみはると)と申す。貴君は?」
「立華。立華柴闇(たちばなしあん)だ。学校ではライバルってことになるだろうけど、よろしくな」
江神は「うむ」とだけ返すと、背中を向け、去って行った。
なんだろう。こんな感情、男相手に抱きたくないんだけど……
何か、運命的なものをひしひしと感じる。
……我ながら気持ち悪いので、メイドカフェに寄ってから帰ろうかな、うん。
歴史家は言う。全ては二〇〇年前、上位存在(あいつら)の出現から始まった、と。
人智を超えた怪物達とその眷属が出現後、それに呼応するかのように、異能を所持する人間、魔術師が発生。同時に、上位存在と人類による戦争、邪神大戦が勃発した。
それは約六〇年前に終結したが、平和が訪れることはなかった。上位存在の一柱、ナイアー=ラトテップが残党を率いて、テロ活動を開始。社会に混沌と恐怖をもたらし続けた。
そう、数年前までは、眷属によるテロ事件なんて日常茶飯事だった。だからあの時、俺が経験したことも、とるに足らない日常の一コマでしかなかったのだろう。
七歳の頃。おつかいの帰り道、だったか。街中で異変が起こった。
大通りに身を置く、何人かの男。その体が膨張し、半人半獣の異形へと変貌する。
次の瞬間、誰かが叫んだ。
「や、奴等が出たぁ!」
悲鳴と怒号が飛び交う。多くの人々が逃げ惑う。俺はそれに恐怖を感じ、尻餅をついた。
人々が目前で殺されていく。なのに、俺は震えるのみで、逃げることができない。
今度はお前の番とばかりに、眷属がこちらを睨んだ。
右半身が異形と化したバケモノ。奴が右手に備わった針を向けてくる。
それがこちらへと飛来し、ビュンと風斬り音が響き――硬質な金属音が、耳朶を叩いた。
一拍の間を置いて、理解する。目前に居る彼が、助けてくれたのだと。
黒い軍服姿。鮮血のような赤黒い魔晄防壁(オーラ)を纏い、白髪をなびかせ、巨大な黒剣を握る。
そんな彼は前方を見据えながら、言葉を紡いだ。
「もう大丈夫。僕が、守りますから」
優しく、力強い言葉。安心感を覚える声音。それを響かせてから、彼は踏み込んだ。
それはまさに、絶対的な暴力だった。彼が動作する度に大気が悲鳴を上げ、恐ろしかった眷属達が一体、また一体と両断されていく。
そのさまは恐ろしくも美しく――俺には彼が、輝かしい存在に見えた。
俺もあんなふうになりたい。あんな、絶対的な存在になりたい。
そんな憧れを抱いていると、彼は眷属の処理を終えて、こちらを見た。
今の平和な社会を創った少年、義人との出会い。これが「おい」俺の生き方を決めた。彼の「柴闇」ように輝きたい。そんな思いを「おーい」俺は、
「ええ加減起きぃや、もう」
脇腹に衝撃を覚え、俺は小さく「ぐぇっ」と声を出した。
くすくすという笑い声。なんですかぁ? という疑問符。そんな音を聞きながら、目を開く。俺の瞳に映ったのは、学園の教室だった。広い空間に四〇名の生徒が着席している。
俺は視線を隣に移し、隣席の田中壱郎(幼馴染み)を見やった。サラサラな黒髪と中性的な顔立ち……だが、混沌を凝縮したような半開きの瞳が、全てを台無しにしている。
田中は「やれやれ」といった調子で息を吐いて、
「初日の授業やで? さすがに今日ぐらいはしゃんとした方がええと思うよ、僕は」
「いや、そうなんだけど……昨夜はゲームがもう、楽しくて楽しくて……ふぁぁぁぁ……」
「なんというか、君は大物やねぇ。魔術師として成り上がる。娯楽に興じる。両方こなせる自信が自分にはあると、そう考えとるわけや」
「ははは。そんなに褒めるなよ、この~」
「いや、皮肉ったつもりなんやけど……どんだけポジティブなん、君……」
「ふふん。俺は世界一ポジティブな男だからな。ついでに言えば、世界一自信に満ちあふれた男だ。……まぁ、ライバルになりそうな奴がゼロとは言わんけど」
頬杖をつきながら、前方の席を見やる。今年の一年は全員で五八六名。その中でもおそらく、あいつが一番のライバルとなるだろう。
最前列に座る男。名前はそう、江神春斗だ。
不良達を倒した時のあいつは、本当に凄かった。ほんの一瞬で五人を倒すなんて、今の俺には絶対に出来ないだろう。
けど、それはあくまでも現時点の話。いずれ必ず、それが出来るぐらい強くなってやる。
「は~い、それじゃあ、座学はこれでお終いにしま~す」
担任の間延びした声と、チャイムの音が重なる。
一限目の座学が終わった時。それが、魔術学園における本格的な生活の始まりだ。
魔術学園では、座学が朝と夕の二限分しかなく、それを除けば常に訓練訓練訓練だ。それも当然だろう。ここは学力や社会的スキルを習得する場所ではない。あの場所から人々を救う戦士を養成する、いわば虎の穴だ。
皆が体育館の更衣室へと向かうべく席を立つ。が、その瞬間。
「お、おい。あの、ドアの前に立ってるのって……せ、生徒会長、だよな……!?」
騒ぎが起こった。その原因は、一人の女性。青みがかった銀髪が特徴的で、男女共に魅了するような、凄まじいルックスを誇っている。
彼女の名は小鳥遊鈴里(たかなしすずり)。この学園の五年生であり、生徒会長。そして、五年生の序列一位(学園最強の女)。
そんな彼女を見て、生徒達が口々に言う。「なんで会長がここに?」と。
それに対し、いかにも物知りって感じの男子が眼鏡をクイッとやりながら、
「多分、小鳥遊会長の品定めだな。彼女は毎年、一年の教室に現れては将来有望な生徒をチェックするらしい。で、そいつを今後の活躍次第で生徒会にスカウトするって噂だ」
なるほど。品定めか。となると、当然俺のことはチェック……あっ、今目が合った! ニコッとした! さすが会長、慧眼だ。いずれは俺も生徒会に入ることにな――
「お~い。ボサッとしとったらあかんで。訓練初日に遅刻とか、マジでありえへんからな」
「いやまぁ、そうだけどさ! 妄想(ストレス解消)の邪魔すんの禁止だって前から言ってんじゃん! お前は俺がストレスで憤死してもいいの!? 幼馴染みとしていいの!? ねぇ!?」
「あ~、僕は自分が遅刻せぇへんことの方が大事かなぁ、割とマジで」
こいつは本当に幼馴染みなんだろうか。たまに本気で疑う時がある。
俺と田中は教室を出て、会長の横を通った――その時。
「せいぜい、楽しませてちょうだいね」
か細い声。それを耳に入れてからすぐ、俺は後ろを振り向いた。
会長は、こちらを見ていない。さっきのは空耳、だったんだろうか。
「なにボサーっとしとんねん。もしかしてまた妄想タイム? ええ加減にせぇよホンマに」
「あ、あぁ。ごめんごめん」
返事をしながら、移動を再開。校舎を抜けて、体育感へと向かう。
「にしても、ここは何もかもがデカいよな。この校庭とかも中学の比じゃねーし」
「せやな。思わずツッコみたくなるようなサイズやで。体育館なんかもう、ちょっとしたビルみたいなサイズやないか」
そんな巨大過ぎる体育館へと入り、更衣室へ。
体操着に着替えてから、一年の実戦訓練用スペースへと入った。
無駄に広大な造りとなっている館内。床には小さく凹んだラインが随所に走っている。
「結界(バリア)発生装置、か。テレビでは毎日のように見てるけど、生では初めて、だな」
「これがフィールドを形成して、んでもって、そん中でやり合うんやねぇ。おぉ、怖っ」
こんな会話をしながら、俺は周りを見回した。
訓練は二クラス合同で行われるらしい。だから、見たことのない顔が多く並んでいるわけだが……なんだあのモジャモジャ。男、だよな? 小柄で童顔だから、一瞬小学生かと思った。あいつも一応、魔術師、なんだろうけど……死ななきゃいいな、本当に。
それから、あの金髪美少女。明らかに外国人って顔だ。留学生かな? 人を惹きつけるような外見をしている。できることなら仲良く――
「全員、整列!」
鋭い一声が、思考を両断する。それを発したのは、出入り口の傍に立つ女性。
年齢は二〇代後半。外見はまさに大人の美女、という感じで……長い髪は赤、身を包むジャージも赤、靴も赤。赤赤赤。そんないでたちに反して、教官は酷く真面目な顏のまま、
「今年一年、貴様等の担当教官を務める。斬崎美鈴(きりさきみすず)だ」
威圧的な見た目に反して名前は可愛い。そんな教官は、厳然とした顔で言葉を紡いだ。
「訓練を始める前に、心構えを説いておく。新入生(ひよっ子)には毎年述べていることだが……まず、子供気分を捨てろ。己が一介の戦士となったことを自覚しろ。貴様等も知っての通り、七年前、最大の障害(ナイアー=ラトテップ)は去った。しかし、同時に新たな障害も生まれてしまった」
それはきっと、無明都市(ロストワールド)のことだろう。実際、教官はそれについて言及した。
「貴様等も、何か目的があってここに来たのだろう。だが、どのような思いを抱いていたとしても、忘れてはならぬことがある。それは貴様等が都市を解放し、囚われの身となった者達を救うという、重大な任務を帯びているということだ」
そう、学生魔術師はそれを使命とする。大人達は大戦の遺物、魔獣領域の対応などで手一杯。そのため、都市の開放は学生に一任されている。
大英雄・義人は様々な問題を解決したが、これだけはどうにも出来なかった。
「都市解放と人命の救助。それが学生魔術師達の本分。これを頭に叩き込んでおけ」
それから教官は一息吐いて、「では訓練に移る」と宣言した。
その後すぐ、「外装を出せ」と命令。生徒達はそれに従い、魔晄外装を発動した。
俺もまた、外装を顕現させる。まず、魔術師特有のエネルギー、魔晄(オーラ)を操作し、魔晄防壁を展開。次いで、右手の上に紅い幾何学模様が浮かぶ。それからすぐ、幾何学模様から輝く粒子が触手の如く伸びて右腕を伝い、灰色の外殻が形成される。
右手の指先から肘までを覆う装甲。それを出した途端、声が飛び交った。
「おい、あいつの外装、なんかおかしくないか?」
「腕を覆うだけの外装なんて、見たことないぞ? まさか、新種?」
「いや、アレじゃね? 天文学的な確率で生まれるっていう、あの外装型なんじゃね?」
そう、俺の外装型は、規格外と呼ばれるもの。だが、この言葉にプラスの意味はない。
それを証明するように、一人の生徒が言った。
「実在するんだな。最低のゴミタイプってやつが」
……こんな風に言われても仕方がない。俺の外装は事実、欠陥品なのだから。
「気にすることないで、柴闇。でも、いつかキッチリ見返したれや」
「そうだな。絶対に、認めさせてやる。俺が失敗作じゃないってことを」
隣に立つ田中へ言葉を返しながら、俺はこれまでの一五年間を振り返った。
常に馬鹿にされるだけの人生。他人も、家族も、皆、俺を認めない。でも、これからは違う。なぜなら……俺は、特別な存在(この世界の主人公)なのだから。
「よし、外装を消して待機。これから一軍、二軍、三軍にカテゴリ分けをするが……その前に、私の指導方針を教えておこう。基本的に、まともな指導をしてやるのは一軍と二軍のみ。天覧武踊の出場を認可するのも、一軍二軍のみだ。三軍は実戦訓練すら禁止する。二軍に引き上げられるまで、外周を回るなり別室で筋トレをするなり好きにしろ」
教官はまず、一軍を発表した。江神は当然、一軍に配属。どうやら、あの金髪美少女はクリス・ネバーエンドというらしい。……一軍の中に、俺の名はなかった。でも、これは想定通りだ。最低の外装を所持しているのだから、差別されてもしょうがない。
続いて、二軍が発表される。田中は二軍に入っていた。あいつが二軍なら、俺だって。
そう思いつつ、名が呼ばれる瞬間を待った。しかし……
「一軍・二軍は以上だ。呼ばれなかった者は三軍。先刻言った通り、好きにしろ」
思わず「えっ」と声が漏れた。それは他の面々も同じで、中には抗議する奴も居たが。
「ちょ、ちょっと待ってください! わたしには見所がないってことですか!?」
「貴様の心情など、どうでもいい。不満があるなら学園から去れ」
冷然と一蹴した後、教官は一軍・二軍の面々を見て、「中央へ移動しろ。一対一のルールで実戦訓練を行う」と命令しながら、四〇人前後の生徒達を連れていく。
一瞬、田中と目が合った。……そんな顔するなよ。別に、落ち込んでないから。
俺は特別な存在だが、なんの苦労もなくトントン拍子で成り上がれるとは考えてない。
こんな試練、すぐに乗り越えてみせるさ。具体的にはまぁ、三日ぐらいで。
そう思いながら、俺は他の連中と同様、館内の外周を回る。
……あまりにも退屈なので、館内中央の一軍・二軍連中を眺めることにした。
「さて。まずはクリス・ネバーエンド。学年序列一位である貴様の実力を、見せてもらおうか。皆(みな)もよく見ておけ。貴様等の頂点がいかなる実力者であるかをな」
龍帝学園では、学年毎に序列が設けられている。入学生の場合、異能の性能などによって最初の格付けがなされるため……遺憾ながら、俺の順位は下から数えた方が早い。
ともあれ、あの子が学年のトップ、か。そう言われると、なんだかオーラを感じるな。
「この場には序列二位、五位、六位が揃っている。この三人とやれ」
「ふぅん。それは順番に、という意味かしら? それとも……同時?」
ニヤリと笑うクリス。それに反し、教官は険しい顔となった。
「……傲慢だな、貴様は。それならばいっそ、序列上位者六名と同時に――」
「上等ッッ! それでいきましょうッ! このクリス・ネバーエンドがいかなる存在か、あんた達に見せつけてあげるわッッ!」
驚きの声が、方々から上がる。それは俺も同じだった。
六対一だなんて、ありえない。しかし、クリスは自信満々といった表情を崩さず……
異常な戦闘が、開幕した。
結界(バリア)展開装置が起動し、戦闘フィールドが形成される。その後すぐに、クリスが魔晄外装を発動した。白銀色の防壁が展開され、続いて、足下に幾何学模様が出現する。
それがゆっくりと上に昇り――外装が、顕現した。
周囲に浮かぶ、鉄の両腕。彼女の背丈ほどもあるそれが、黄金色の煌めきを放つ。
そして――六人がかりで向かって行った連中は、二〇秒すら持たなかった。
クリスは不動だった。その場から一歩も動くことなく、ある時は鉄腕の指先からミサイルを絶え間なく発射。またある時は、巨大な銃器を召喚して弾丸を雨あられと撃ちまくる。
まさに圧倒的超火力。弾幕と爆発が絶え間なく続き、六人は為す術なく倒れた。
呆然とする面々。俺も同様に、口を開けて驚くことしか出来なかった。
「ふぅ。準備運動も終わったことだし、本番といきましょうか」
好戦的な笑みを浮かべながら、クリスは誰かを探すように、周囲を睨んだ。
えっ? これはアレか? もしかして、俺という名の特別な存在に挑戦を――
「次は、あんたよ。初めて見た時から気になってたのよねぇ。いい踏み台になるって」
クリスが笑みを向けたのは、俺――ではない。江神春斗、だった。
「……よかろう。挑む者に貴賤なし。この立ち合い、受けて立つ」
「あはははははッ! い~い感じに上から目線ッ! ブッ壊し甲斐があるわねぇッッ!」
……あ~! やっぱね~! 予想通りだわ~! 全然予想通りだわ~!
江神とクリスがぶつかるって予想が的中したわ~! 自分の先見の明が怖いわ~!
そして、始まった二人の勝負は…………
江神の圧勝。ミサイルや弾丸をことごとく回避し、超高速で接近。突きの一撃を食らわせ、失神へと追い込んだ。決着までおよそ、一〇秒以下。
地面に倒れ伏せるクリス。それを悠然と見下ろす江神。まさに、圧倒的だった。
「じょ、序列一位を瞬殺するなんて……! すげぇな、お前!」
周囲の面々が、江神を盛大に持ち上げる。まさしく特別な存在そのものって感じだな。
でも、それは俺だって同じなんだ。いつか俺も、あいつみたいに認めてもらえるだろう。
その時が楽しみだな~! ははははははははは!
……本当に、楽しみだな。
さて。もうそろそろ筋トレに行こう。そう考えて、立ち止まった矢先のことだった。
「ぶへぇ~……ぶぶぶ……ぶへぇ~……」
俺と同様、三軍となったモジャモジャと、すれ違う。
おい、大丈夫かお前。泡噴いてるじゃないか。保健室行けよ。
ていうか、なんで走れるんだ、その状態で。凄いなお前。
いや、本当に、凄い奴だ。でも……せいぜい三〇周であれじゃ、上には行けないな。
――結局、この一日、俺は外周の周回と筋トレしかできなかった。
翌日の早朝。涼しい春風を浴びながら、俺は田中と共に、ランニングを行っていた。
しばらく無言で走っていたが、それを退屈に思ったか、田中が言葉を投げてくる。
「そういえば。学園七不思議の一つでさ、阿修羅姫伝説ってのがあるらしいんやけど」
「七不思議、ねぇ。魔術学園にもあるんだな。そういうの」
「うん。これがまぁ、けったいな話でな。阿修羅姫っちゅう、名前を呼んだらあかん生徒がおる、みたいな話なんやけど。聞きたい?」
「なんだか面白そうだな。聞かせてくれよ」
「ん。なんでもな、去年の入学生にごっつ強い女子がおったそうなんや。そいつはまぁ~、とんでもなく凶暴だったそうでな。入学早々、一年から五年の強豪一〇〇人近くを病院送りにしたらしいで。そん中にはあの小鳥遊会長も含まれとったとか」
「はは、なんじゃそりゃ。マジで荒唐無稽だな~」
「せやろ? そんなでたらめな奴、おるわけないもんな。まぁ、話の続きやけど。学園側はその女子の凶暴性を危険視して、序列や学生名簿から名前を抹消。それ以降、彼女の話題は最大のタブーになったとか。んで、オチがまたアレでな。彼女のことを話す時は、絶対に阿修羅姫というあだ名で呼ばねばならない。もしも本名で呼んでしまったなら……」
「呼んでしまったなら?」
「全身の骨を粉々にされて、再起不能にされる……とかなんとか」
「はは。一昔前に流行った都市伝説みたいだな。そんなのが実在するなら見てみたいわ」
下らない話をしながら笑い合う。そうしながら公園へと入り、筋トレなどを行った。
「ふぅ。にしてもアレやね、毎日毎日よう続いとるよね。このトレーニングも」
「そうだな。今年でもう、八年ぐらいか。体力はついたよな、間違いなく」
義人への憧れを抱いてから、俺はずっと努力を重ねてきた。運動をして、勉強をして、彼に近づこうと考えた。……今まで、それが報われることはなかったが、これからは違う。
そう思いながら、俺は心の拠り所である技術を、使用して見せた。
魔晄防壁を展開し、拳へ魔晄(オーラ)を集中させるイメージ。そうすると……
「いつ見ても不思議な現象やね、それ。拳だけが金色に輝くとか、どうなってんねん」
「ただ単に輝くだけじゃない。前も言っただろ。これは必殺技だって」
空手の直突きよろしく、前方へ拳を放つ。その瞬間、ボンッ! と輝光が爆ぜた。
こんな現象は見たことも聞いたこともない。きっと、俺だけのオリジナルだろう。そんな技を身につけた俺は、特別(この世界の主人公)に違いないんだ。
「まぁ、とにかく! こいつをぶつけてやれば、たいていの相手は一撃で倒せるだろ、きっと! さすがに江神とかはまだ無理だろうけど、いつか必ず、この技でブッ倒す!」
「君はあれやね、なんというか、妙に謙虚やね。ま、上手くいくことを祈っとるで~。僕はそれを眺めながら、ゆ~くりと頑張りますんでね」
「んなこと言って、実は野心抱えてんじゃね~の~? テッペン取ったる、的な」
「はは。ないない。僕にとっちゃ二軍でも分不相応やで。これ以上とかダルいわ」
「ほんっと、お前はやる気が足りてないな~。まぁ、なんにせよ。まずはお前に追いつかないとな。江神のことを考えるのはその後だ。うん」
俺達はいつも一緒だった。一緒の歩幅で、歩き続けてきた。
そんな幼馴染みに置いていかれたなら、きっと耐えられないだろう。
だから……早く、追いつかないとな。
自主練を終えた後、俺は田中と共に登校し――朝の訓練を迎えた。
「まず最初に、二軍へ引き上げる者を発表する」
……俺の名前は、なかった。だから再び、なんの意味もない周回を繰り返す。
それから昼休み。俺はいつも通り、田中と昼食を――摂る直前。
「ねぇ、ちょっと、いいかな。……田中君」
一人の女子が声をかけてきた。結構、可愛い。素朴な感じがする、そんな女子だった。
「え~っと。僕、君になんかやったかな?」
「いや、そうじゃ、なくて……一緒に学食、行きませんか? 初めて見た時から、その……田中君のこと、気になってて、いや、これは別に告白とかじゃなくて……」
怪訝な顔をする田中。俺はその肩を叩いて、笑った。
「モテそうでモテなかったお前に、やっとモテ期が来たか! お父さん嬉しいぞ、うん!」
「誰がお父さんやねん、誰が」
「まぁまぁ、そんなことより。女の子を待たせんなよ。ほら、早く行けって」
この言葉に、田中は迷うようなそぶりを見せたが、結局「わかった」と言って、女子と共に教室を出た。俺のもとには、あいつの弁当だけが残った。
「いや~リア充だね~、田中君は。俺もいつかそうなるんだろうなぁ、ははははは」
そのいつかって、いつ来るんだろうな。……下らないこと考えてないで、飯でも食おう。
あ、そういえば。生まれて初めてだな。一人で昼食なんて
なんだか寂しい。誰か、一緒に食べてくれる人、居ないかな。と、そう願った直後。
「お、おい。会長だ。会長が来たぞ」
「ま、まさか、早くもスカウトに……!?」
ざわめきが聞こえた。その原因は、開かれたドアの横に立つ、生徒会長。
スカウト、か。つまり……ようやく来たか! 俺のモテ期!
以前目が合った時、彼女はバッチリ俺の才能を見抜いてくれてたんだ!
そんな会長が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
綺麗な人だ。まるで天使のようだ。これから彼女はこちらに来て、俺のことを認めるようなことを言ってくるだろう。それから一緒に食事を、なんて、こと、を。
あれっ!? な、なんでそこで曲がるんだ!? 俺はここですよ~!? 会長~!?
……あぁ、そうか。うん、やっぱりね。予想通りだよ。会長が向かった先は――
「あなたが噂の、江神春斗君?」
「噂になるようなことは、しておりませんが」
「そうかしら? 学年序列一位を瞬殺したなら、噂になって当然だと思うのだけれど――」
言葉の途中、ドアが勢いよく開いて、
「コウガミハルトオオオオオオッ! もっかい勝負しなさいよゴラアアアアアアアッッ!」
鬼のような形相をしたクリスが、金髪を揺らしながらやってきた。
「よかろう。何度でも受けて立つ」
「あらあら。面白そうじゃないの。わたしもご一緒させてもらおうかしら」
微笑む会長。怒気満点のクリス。そんな二人を伴って、江神は教室を出た。
「……いやぁ~、また予想通りだわ~。完全に予想通りだったわ~。そうだよな、目が合っただけで才能なんか見抜けるわけないよな。これが当たり前のなりゆきだわ、うん」
別に不満なんかない。いつか会長も、俺のことを認めてくれるだろうから。
……それにしても。やっぱり江神春斗が、俺にとって最大のライバルだな。
強大な力で道を切り拓き、堂々と突き進む。そんな俺の理想像を、あいつは体現している。だから……あいつが妬ましい。あいつが羨ましい。あいつのように、なりたい。
そう心の底から思うからこそ、あいつにだけは負けたくないという、対抗心が燃え盛る。
待ってろよ、江神。いつか絶対に、お前のところまで行くからな。
まずは二軍入りだ。実戦訓練が出来る立場にならなきゃ、前には進めない。
だが……今日も、俺は三軍のままだった。
時は過ぎて、翌日の朝。訓練の前。
「二軍に引き上げる者を呼ぶ。まず、佐々木青獅(ささきあおし)。二軍に入れ」
途端、モジャモジャが「えっ」という声を上げた。
少し、希望が見えた気が、する。あのモジャモジャが呼ばれたなら、きっと、俺だって。
そう思い、自分の名が呼ばれるのを待つ。待ち続ける。そして、
「今回の昇格者は以上だ」
また、同じ結果だった。……さすがに、ちょっと。ちょっとだけ、ストレスが――
「立華柴闇。何をボサッとしている。さっさと行動しろ。やる気がないなら学園から去れ。居てもらっても迷惑だ」
よく、泣き出さずに済んだなと、思った。
その後、命令通り外周を回る。やっぱり退屈なので、田中の実戦でも眺めることにした。
まず、田中が外装を顕現させ、構える。基調は白。刃は黄金。そんな大型の両刃剣を向けた先には、盾とランスを構えた男子が居た。
その戦いは当初、相手が優勢だったが。
「田中壱郎。いい加減、本気を見せろ。さもなくば三軍に落とすぞ」
一ラウンド目終了後のインターバルでそう言われ、田中は嫌そうにため息を吐く。
そして二ラウンド目。さっきまでとは打って変わり、俊敏かつ力強い動作を見せた。
稲妻のように疾駆し、相手を蹂躙。あっという間に決着をつけてしまった。
「おいおい、あいつ、こんなにもできる奴だったのかよ」
「要注意だな。夏期龍帝祭における、厄介なライバルになりそうだ」
「やっぱり、田中君は力を隠してたん、だね……」
周りが田中を持ち上げる。教官すらも、肩をすくめながらこう言った。
「貴様を一軍に格上げする。が、手を抜くようなら三軍落ちもあると思えよ」
こんな言葉にも、あいつは困ったような顔をするのみだった。
順調に成り上がっていく幼馴染みの姿。それが我がことのように嬉しい。
でも、その反面、置いていかれたことが寂――
「~~~~~~っ!?」
突然、なんの前触れもなく、背筋に寒気が走った。
「なん、だ、これ? あいつ、か? 原因は?」
奴を見る。と、再び強烈な怖気(おぞけ)が駆け巡った。
名前は、そう、佐々木青獅。あのモジャモジャ頭のあいつも、実戦訓練をやっている。
外装は灰色の棒。弱そうな見た目に似合いの外装を持つあいつは……やっぱり、弱かった。すぐさま血だるまにされて、倒れる。そんな一方的な展開が、ずっと続いた。
なのに。俺はあいつのことが、怖くてしょうがないと、思った。
そして、五回目のダウンを喫した直後――佐々木が、にぃっと笑った。
なぜだろう。あんなにも弱いあいつが、まるで鬼のように見えた。
無駄な一日が終わる。明日はきっと、そう思いながら床に就く。でも、人生が変わることはなかった。ずっと、同じだった。気づけば一〇日経っていて、未だに俺は三軍のまま。
早朝。俺は、一人でランニングをしている。
隣に田中は居ない。ずっと横に居たあいつは、もう居ない。
あいつの周りには、急速に人が寄りつくようになった。そして気づけば、会話する時間が減って……朝、走ることもなくなった。
「いやぁ、置いていかれちゃったな~。……そろそろ追いつかないと、不味いよな」
我がことながら、酷く元気のない声だと、思った。
自主練を終えて、登校する。この時も、俺は一人。
「あ~、一人言喋りながら歩くのって、こんなに虚しかったんだな~。ははははは」
そんなことを口にしていると……校門の前で、田中の姿を見た。
あいつの両隣には、女子と男子が一人ずつ立っていた。
「一年にして生徒会入りかぁ。壱郎はやっぱすげぇよなぁ」
「しかも、まだ、本気を出してないん、ですよね?」
「いや、だから。なんべん言わせんねん。僕は常に本気やって」
困った様に笑うあいつを見ていると、複雑な感情が渦を巻いた。
幼馴染みが駆け上がっていく。それは本当に喜ばしいことだけど。でも、やっぱり。
たまらなく悲しい。たまらなく、寂しい。
「……仕方ないよな。うん。常に同じ歩幅で進むわけじゃない、よな」
だから、「置いていかないでくれ」だなんて思うのは、筋違いも甚だしい。
でも、やっぱり……この環境は、苦痛だ。
「ねぇハルト。今後の休み、暇でしょ? 暇じゃなくても、私の屋敷に来なさい。次こそは完膚なきまでにブッ壊してあげるから」
「あら? それならわたしも――」
「会長はお呼びじゃないわよッ! どうせ邪魔するでしょ、文字通りッ! とにかく! 今週の休みは付き合ってもらうから! 覚悟しときなさいッッ!」
「……まっこと、諦めの悪い奴よ」
江神と、周りの女達の声を聞いて、完全に決心した。
俺がなぜこんな思いを抱かねばならないのか。それは全て、実戦ができないからだ。
なら……無理やりにでも、実戦をやらせてもらえばいい。
朝の訓練開始時、俺は教官に向かって、言った。
「お願いが、あります」
少しだけ、場がざわめく。皆、口々に言った。「クズがしゃしゃり出た」と。
「……言ってみろ」
「実戦訓練を、させてください」
ざわめきが、大きくなった。
「ゴミタイプが何言ってんだ?」「ボコられるのがオチだろうに」「貴重なスペースを取るだけの価値ねぇだろ、あんな奴」「いや、やらせてやれよ、面白いものが見れそうだし」
そんな中。江神が前に出て、口を開いた。
「……貴君の思いは、理解できる。されど、今貴君が踏み出そうとしているのは、修羅道も同然。ゆえに……諦めた方がよかろう。貴君にこの道は、似つかわしくない」
言葉を選んでいる、という調子ではあったが。それでも、かちんと来た。
「……俺のようなゴミタイプは、ずっと指でもくわえてろと、そう言いたいのか?」
「……オレは、ただ、足掻いたところで損を被る可能性が高いと、言っているだけだ」
なんだろう。イライラする。だから、つい、投げる言葉が荒くなった。
「要するに、どうせなんともならねぇんだから諦めろと、そう言いたいんだろ? お断りだね、そんなもん。俺は絶対に諦めない。大活躍して、魔神になって……世界中の人間に、俺の名を刻んでやる」
当然のように、周囲の面々が冷笑する。しかし、江神は笑わなかった。
「……大それたことを申すな。貴君には不相応であるわ」
鋭い眼光を向けてくる江神。それに対し、俺も負けじと睨み返す。
そんな、一色触発の空気が漂う中、教官の声が響いた。
「立華柴闇。貴様と江神春斗をやらせるわけにはいかん。訓練で死者が出ても困る。よって――佐々木青獅、こいつに現実を教えてやれ」
現実を、教えてやれ? まるで、俺の敗北が確定したような言いぐさだな。
……佐々木をすぐに倒して、江神を指名してやる。見下されたまま、終わってたまるか。
そのための足がかりとして、まずは佐々木を。
そう思いながら、相手方の顔を――見た瞬間。
ゾクリ。ゾクリ。ゾクリ。背中に氷を突っ込まれたような感覚。
あいつの顔には、笑みがあった。あの、恐ろしい笑みが、あった。
……何をビビってるんだ。大丈夫。問題はない。勝てる。俺は、特別なんだから。
一人の生徒が教官の命令を受け、結界(バリア)発生装置が作動させる。館内の地面に走る無数のラインから半透明の膜が伸び、やがて八角形のバトルフィールドが、できあがった。
その後、生徒の操作により、入り口が作られる。そこを通って内部へ入り――
佐々木と、対峙した。
……なんだ、この異常な空気は。フィールドの中が、極端に狭く感じる。
あぁ、視線が痛い。誰もが俺を見ている。その視線全てに、悪意が満ちていた。
もう、逃げ場はない。逃げられない。そう思うと――体が、震え始めた。
えっ? どういうことだ? なんで、こんなに怖いんだ? 相手は佐々木だぞ?
あれ? 佐々木? あれ、佐々木か? 別人だろう? 俺より、デカいじゃないか。
「外装を出せ。開始まで残り一〇秒だ」
体がビクリと震える。途端、嘲笑が飛ぶ。
「あいつビビってるぜ、だっせぇ」「さっきの啖呵はなんだったよ」
うるさい。黙ってろ。怖くない。怖くなんか、ない。
外装を出して、佐々木を睨んだ。……この野郎。何を、何を笑ってやがる。
その笑みを『怖い』必ず『怖い怖い』消し去ってやるからな。
それにしても、この体の震えと胃の痛みは、鬱陶しい――あっ、開始ブザーが。
鳴った瞬間、佐々木が踏み込んできた。
突き一閃。それに対し、俺はなんの反応も出来なかった。衝撃と痛みが、顔面に走る。
えっ、なんだこれ。打たれたらこんなに痛――あ、また棒がやって来た。速。避け。あ。
打ち据えられる。痛み。痛み。痛み。何もできない。ダメ。このままじゃ。打ち返せ。体が思うように。胃痛。涙で前が。鼻血が気持ち悪い。
ダメだ。このまじゃダメだ。反撃しなきゃ。反撃だ。反撃するんだ。
俺は無意識のうちに、叫んでいた。
「い、ぎぃああああああああああああああああああああッッ!」
右拳に黄金色の輝きを纏わせ、顔面へと叩き込む。それと同時に煌めきが爆ぜ、あいつが倒……倒れ……倒れ、ない……? えっ? なんで? 必殺技なのに、なんで?
当惑しているところに、再び突きの一撃がやってきて、鳩尾に刺さった。
不快な痛みと共に、ピシリという音。そして……気付けば俺は、逃げ回っていた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃい……!」
無様な悲鳴。誰だよ、こんな恥ずかしい声を出してる奴は。そう思った直後、気付く。
俺だった。必死に逃げ回りながら、俺は、みっともなく悲鳴を上げていた。
あぁ、笑い声が聞こえる。周りから、笑われてる。目と口が、俺を馬鹿にしている。
なんで、こんなことになった? 佐々木は、ただの足がかりだったんじゃないのか?
なのに、なんで、こんな。
そう思っていると、再び棒で打たれた。
もう嫌だ。こんな状況、もう嫌だ。心に亀裂が入っていく。でも、佐々木は容赦しなかった。棒による打撃、異能による火炎放射。それに対し、俺は何もできなかった。
勝手に口から「ごめんなさい」と謝罪の声が漏れてくる。怖くて涙が、小便が漏れ出てくる。そうして俺は、許してくださいと懇願するように頭を抱えながら、逃げ続けた。
なんだよ、この状況。こんなの、望んでない。佐々木を瞬殺して、江神に挑んで、周りの連中のド肝を抜く。そういう展開にならなきゃ、おかしいじゃないか。
だって、俺は特別、なんだから。
……本当に、特別なのか? いや、何を考えてるんだ俺は。特別に決まってるだろ。
……じゃあ、なんで俺は今、こんな目に遭ってるんだ? なんで必殺技が通じなかった? なんで、佐々木に叩きのめされてるんだ? なんで、無様に逃げてるんだ?
追い立てられ、叩きのめされ、笑われる。そうしていると、脳内に声が溢れてきた。
それは、かつてぶつけられた罵声。必死に否定し続けてきた言葉の群れ。
『お前才能ないんだよ』『無駄な努力してんじゃねぇ』『みっともない』『ダサい』
『お前なんか、モブキャラみたいなもんだろ。夢見てんじゃねぇよ馬鹿が』
頭の中に、ベキリという音が、響いた。
……俺は、自分のことを特別だと思っていた。これまでの不幸は、今後やってくる幸福への前振りだったのだと、思い込んでいた。
だって、そうでなければ……俺の人生なんか、なんの価値もないじゃないか。
何事も上手くいかず、ただ馬鹿にされ、欲しいものを得ることなく終わる。そんな人生は嫌だ。嫌だったから、必殺技を身に付けた時は、本当に嬉しくて……
でも、それらは全て、勘違いだった。
無様に逃げながら、悲鳴を上げながら、俺は自覚した。せざるをえなかった。
俺は特別な存在なんかじゃなくて、単なる凡人。
この世界の主人公じゃなくて、ただのモブキャラ。
幻想が砕かれ、現実を直視した瞬間、一ラウンド終了のブザーが響いた。
「やめにするか?」
教官の声。冷ややかなそれが"ダメだ"今の俺にとって"諦めるな"とてもとても――
祝福の鐘みたいな響き、だった"諦めるな!"から。
「はい……そう、します……」
心が真っ白になる。何も考えられない。
「外装を消して、さっさとフィールドから出ろ」
命令に従って、外へ出た。……体の、色んなところが痛い。鼻を触ってみると、べちゃりと、真っ赤な液体が、手に付着した。
……なんだ、この、感じ。羞恥。悔恨。憎悪。怒気。後悔。悲哀――
あぁ、死にたいって、こういう気持ちなんだな。
もう、何も考えたくない。考えちゃダメだ。けれど、教官はそれを許してくれなかった。
「ハッキリと断言しておく。貴様はどう足掻いても大成しない。学生魔術師としてはもちろんのこと、軍属になった後も、最低極まりない人生を送ることになるだろう。その末に、使い捨ての駒として死ぬ。貴様の将来はそういうものだ」
言葉が胸に突き刺さる。もうやめてくれ。そんな意思を込めた目を向けても、教官は止まらなかった。むしろより一層、瞳の冷たさを強めて、言葉を放つ。
「貴様が努力をしていることは理解できる。だが、人間には限界があるということを知れ。貴様のような能無しに魔術師は務まらん。無駄な努力はやめて一般的な道を歩め」
生き方を、否定された気分だった。これまで積み重ねてきたもの全てを、否定された気分だった。周りの連中は、それに同意するかの如く、クスクスと笑う。
「マジでだせぇ」「活躍できるとか思ってたのかな?」「馬鹿すぎるだろあいつ」「典型的な脳内チャンピオンだな」「しょうもな」「格好悪い」「逃げてばっかりだったね」
そして、江神もまた、俺に言葉をぶつけてきた。
「敗北とは、打ちのめされ、倒れ伏せることを指す言葉ではない。敗北とは、襲い来る弱音と諦念を受け入れた瞬間のことを言う。……決して諦めぬと息巻いておきながら、このザマか。それしきの心胆で魔神になるなどと、よくも言えたものだ。この、根性無しが」
冷たい言葉。冷たい視線。それに対し、俺は何も言えなかった。
ひたすらに心が痛くて――気付けば、逃げていた。全力で逃げて、家に帰った。
すぐさま部屋へ駆け込んで、ベッドへと倒れ込む。
まさに、生き地獄だった。
なんて、格好が悪いんだろう。なんて、みっともないんだろう。
俺は、地球上でもっとも醜い存在だ。
……こんな劣等感を、俺は常に抱き続けてきた。そう、常に、だ。
それに耐えることができたのは。それを表に出さずに済んでいたのは。
全て、あの必殺技のおかげ。あれは俺にとって、心の支えだったんだ。
でも、それが失われた今。俺は、襲い来る劣等感に耐えきれなかった。
「何度、繰り返したっけ……報われない、努力を……何度、抱いたっけ……報われない、思いを……もう、嫌だ……こんな人生、もうたくさんだ……」
きっと今回の一件で、魔術師としての道は絶たれたのだろう。そんな確信がある。
なのに。学園から去るという選択が、できなかった。
頭の中で、ずっと、さっきまでの出来事がループしている。
周りの視線。佐々木の攻撃。教官の言葉。それらは全て、本当に痛かったけど……
一番痛かったのは、江神の言葉と、視線だった。
「終わりたく、ない……! 負け犬のクソ野郎と思われたまま、終わりたく、ない……!」
あいつを見てると、いつだって劣等感が刺激された。
だから、あいつのことを意識してたんだ。あいつのことが、大嫌いだったんだ。
でも……江神は、腹立たしい奴だけど。妬ましい、奴だけど。
それ以上に、憧れの存在なんだ。尊敬の対象なんだ。俺の、理想像なんだ。
そんな奴に、最低の評価をくだされたまま、終わりにしたくない。
でも……どうすればいんだよ。もう、終わったも同然じゃないか。もう、どうにもならないじゃないか。俺は特別じゃないって、証明されたんだから。
……気分が悪い。外に出て、気を紛らわそう。そう思い、何時間も街を彷徨った。
でも、ダメだった。次第に空が曇り始め、雨が降り注ぐようになる。そんな天気と同様に、俺の心境は暗澹とする一方だった。
雨に打たれながら、あてどもなく歩き続ける。そうしていると、
「か、勘弁してくださいっ!」
大通りで、黒冥喚(こくめいかん)学園の生徒達が他校の生徒に絡んでいる。
なんの因果か。加害者達は、以前江神にやられた連中だった。
……無視をしよう。俺なんかの出る幕じゃない。魔術師狩り(ハンター)に通報して、ここは立ち去ろう。ここで動いても、痛い目を見るだけだ。
そう、思ってるのに……体が、勝手に動いた。
気づけば、俺は外装を出し、集団へと接近。一人を不意打ちで殴り倒していた。
……あぁ、そうか。そうだったのか。もう、取り返しが付かないんだな。
英雄への憧れは、俺の心に、深く根を張ってるんだ。まるで、呪いのように。
特別じゃないとか、モブキャラだからとか、どうでもいい。
負け犬のまま人生を終えるなんて、絶対に嫌だッ!
「なん、だテメェ!?」「おい、こいつ見覚えねーか?」「あのとき逃がした野郎だ」「またこいつか! 今回はぜってぇブッ殺してやる!」
奴等は外装を出し、襲いかかってきた。
今回は逃げない。佐々木と戦った時みたいなことは、絶対にしない。
もう二度と、痛みや恐怖に負けたくなかった。
まっすぐに突進して、集団一人に殴りかかる。しかしそれは易々と回避され、背後から攻撃を食らう。それが、何度も何度も繰り返された。まさに、一方的なリンチだった。
「はぁ…………はぁ…………」
頭がぼーっとする。我ながら、立っていられることが不思議だった。
「舐め■■としやが■■。ブチ殺■■てめぇ」
ダメージのせいか、よく聞き取れない。でも、多分、殺すって言ってるんだろうな。
怖い。本当に、怖い。だが、負けてたまるか。この感情に、打ち勝ってやる。
そう、決意した瞬間。体が、熱くなってきた。
打ち所が悪かったのか、頭も、割れるように痛み出す。
「ちく、しょう……! なん、て、弱いんだ……俺は……!」
劣等感が怒りへと変わり、怒りは闘志へと変わった。脳内でアドレナリンでも分泌したからか、痛みがどうでもよくなって――代わりに、狂的な闘争心が沸き上がってくる。
このまま終わって、たまるかよ。せめてあと一人、真っ向勝負でブチのめしてやる。
強い意志を抱いた途端、心の奥底から、何かが流れ込むような感覚。
瞬間、俺の中で何かが膨れ上がり、爆発した。
右拳を金色(こんじき)に煌めかせて、踏み込む。なぜだか身動きをしない集団。その中における、リーダー格と思しき奴に狙いを定め――
ブン殴る。全力で、フルパワーで、渾身の力で。相手の顔面へ、拳を叩きこんだ。
大爆発。黄金色の輝光が破裂し、飛散した粒子が彼我の肉体を包み込む。
その直後、殴った相手が派手に吹っ飛び、水たまりへ落下。バシャリという音が響いた。
「な、なんだ、こいつ……!」「何が、どうなって……!?」
騒然となる。俺もまた、自分の拳を見つめながら驚愕していた。
今のは、なんだ? 火事場の馬鹿力、ってやつか?
……しかし。一人を倒したところで、結果が変わることはなかった。
その後、俺は士気を取り戻した連中に取り囲まれ、叩きのめされた。
そして、水たまりの中に倒れ込みながら、思う。
どれだけ奮起しても。どれだけ強い思いを抱いても。俺がモブキャラであることには、変わりがないんだな。だから、勝利という名の栄光を、掴めないんだ。
やっぱり、どう足掻いても夢は叶わないのか。死ぬまで劣等感は消えないのか。
……変化が、欲しい。運命を変えるような、激しい変化が、欲しい。
「誰、か……助け、て……くれ……」
なんて、弱々しい声なんだろう。我がことながら、そう思った。
そして、倒れ伏せる俺に対し、奴等がとどめの一撃を――
「やぁ。キミ達。とっても楽しそうだね?」
見舞う、直前。澄んだ声と鈴の音色が、雨音を切り裂いた。
そちらの方を見る。と、一人の少女が雨に打たれながら、佇んでいた。
その容姿には見覚えがある。そう……以前ぶつかりそうになった、女の子だ。
可憐な外見に不似合いな、黒い甚平姿。背丈は一六五センチ前後か。長く艶やかな黒髪に、鈴飾りを付けている。そんな彼女は、まだ幼さが残る美貌をこちらに向けていて――
にぃっ、と笑う。それはまるで、猛獣が獲物に見せるような、恐ろしいものだった。
「あたしも混ぜておくれよ。まぁ、嫌だと言っても混ざるんだけどね?」
歌うような調子で、言葉を紡ぐ。
それから、左手中指の関節をパキリと鳴らし――魔晄外装を、発動した。
顕現した外装は、華奢な体に似つかわしくない、いかめしい腕甲。それが右腕の指先から肘までを覆い尽くしている。これは、そう……俺と同じ、外装型(欠陥品)だ。
それなのに、彼女の戦力は桁が外れていた。
彼女が動作する度に、鈴の音が鳴る。俺はその音色を認識することしかできなかった。
彼女の動きは、ほとんど見えなかった。それほどに彼女は疾く、そして、力強い。
鈴の音に重なる形で、別の音が響く。それは人の肉体が奏でる、おぞましい音楽だった。
何をしているのか、よくわからない。ただ、武術であるということだけはわかる。彼女はその業を以て、奴等を破壊し続けた。
そうしながら、彼女は嗤(わら)う。楽しそうに。嬉しそうに。その様はまるで、無邪気な子供がムシケラ相手に戯れているかのようだった。
そんな彼女が恐ろしくて、おぞましくて、そして――とても、美しかった。
俺が意識を繋ぎ止めていられたのは。ここまで。
強烈なめまいがやって来て、気付けば――
白い空間だった。だだっ広くて、果てが見えない。きっと、果てはないのだろう。
そんなところに俺は居て、目前に在る門を、見つめていた。
なんだろうか? これは。黒くて、古びていて、馬鹿みたいにデカい。
なんだか、怖いな。装飾のせいだろうか。名状しがたい恐怖が、心に広がる。
それでいて、どこか懐かしさも感じるのだから、気味が悪い。
……遠方から、音楽が聞こえてくる。それは心地良さとはかけはなれた形容しがたい醜悪な音の群れであり俺の耳が腐り落ちたような感覚いや本当に腐り落ちていてそれどころか俺の体全体がドロドロに溶けて溶けて溶けて溶けて溶けて、
あっ。誰だお前。
なんか、臭い。妙な臭気に顔を歪めながら、俺は瞼を開け――た瞬間。巨大な梅干しが見えた。……いや、違う。これ人の顔だ。しわくちゃな爺さんだ。
ていうか近っ! なんでこんなドアップ!?
「ぐっもぉにぃん小僧ぉぉぉぉぉ……! ここで会ったが百年目じゃのぉぉぉぉぉ……! いいかてめぇ、これから我が孫がやってくるがのぉ。とりあえず最初は土下座じゃ。土下座して感謝せい。そっからお助け料とこの前の慰謝料三〇〇〇万円をスイス銀行に――」
「何してんのさ、クソジジイ」
クリアな美声と鈴の音が耳に入った矢先、目前にあったしわっしわな顔面がヘコみ、視界から消失した。
どういうことなの? 疑問符を覚えながら起き上がり、周りを観察。
どうやら、ここはどこぞの屋敷の居間、らしい。
そんな一室には、俺と爺さん以外に、もう一人居て。
「大丈夫かい? 痛いところとか、ある?」
なぜか片手にバケツを持った、黒髪の美少女。その言葉を受けて、俺はハッとなった。
「あれ? 怪我が、治って、る? なんで?」
「ふふ。まぁ、企業秘密ってことにしとこうか。それにしても、目が覚めてくれて良かった。あと数秒、遅れてたら――」
「遅れてたら?」
「この氷水ぶっかけて、強制的に起こすハメになってたよ」
ひでぇ!?
「いやぁ、良かった良かった。畳が濡れずに済んで」
ニコニコと笑いながら、バケツを下ろす。と同時に、壁にめり込んでいた爺さんがゴキブリのようなダッシュで近寄ってきて、胸倉をひっ掴んできた。
「おうゴラァ! 孫への感謝は!? はよ礼言わんかいボケコラァ! うちの焔さん舐めてっとケツに手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせんぞゴラァッ!」
「いや、今お礼を言おうとしてるんですけど。貴方が胸倉掴んで振り回してくるから、言おうに言えないんですけど。あー、頭が、グワングワンしてきた……」
あと顔が妙に近い。距離感がおかしい。
「はぁ。いい加減にしなよジジイ」
「うべぇあっ!?」
再びブッ飛ばされる爺さん。なんだろう、心なしか、気持ちよさげに見える。
「なんというか。身内が不愉快な思いをさせて悪いね。最近ボケが進行しててさ。もうそろそろ保健所へ連れていく予定なんだけど」
「ほっほっほ。それを言うなら病院じゃろ~? さもなきゃ治療じゃのうて殺処分になっちまうぞい。焔はジョークのセンスも一流じゃのう~。さすまごじゃわ~」
いや、爺さん。この子マジで保健所連れてくつもりだよ。殺処分したがってるよ。現実を直視しろよ。ゴミを見るような目になってんぞこの子。
「あっ、さすまごっていうのはワシが業界内で流行らせようとしとる造語で、さすが我が孫の略なんじゃけど」
どうでもよかったので、完全に無視。そうしながら、俺は彼女に礼を言った。
「助けてくれて、ありがとう。あと、俺は立華柴闇(たちばなしあん)っていうんだ。君の名前を――」
「ワシは黒鋼弥以覇(くろがねやいば)じゃ」
「あっ、そうですか。ところで、君の「ワシは黒鋼弥以覇じゃ」
「君の名「ワシゃあ黒鋼弥以覇じゃああああああああああああああああああ!」
「もう聞きましたよ、それは! なんなんですか! 邪魔しないでください!」
「うるぜぇえええええええええ! 名前聞き出そうとするとか、完全に狙ってんじゃねぇか! 許さん! ワシゃあ許さんぞ! てめぇなんぞに孫は渡さ――」
「黒鋼焔(くろがねほむら)、だよ。よろしくね」
「ええええええええええ!? なんで言っちゃったの!? ねぇなんでえええええええええ!? まさかこのクソガキに惚れたん!? そんな馬鹿な! 昔言ってたじゃん! お爺ちゃんと結婚しゅる~ってえええええ! ワシとの関係は遊びだったのおおおお!?」
騒ぎ立てる爺さん。ゴミを見るような目でそれを見る少女。
どうやら、この子は黒鋼焔、というらしい。今は普通の美少女って感じだが……
戦ってる時の黒鋼さんは、恐ろしかった。そして何より――美しかった。
まるで、義人に初めて出会った時のような、そんな感覚だった。
彼女は俺と同じ外装型。それでも桁外れに強い。その秘密を、知りたかったから。
「黒鋼さんは、規格外、だよな? 俺もそうなんだけど、全然強くなれなくて……」
「あぁぁぁぁん!? 貴様とさすまごを一緒にしてんじゃねぇよタコ! 焔はなぁ、入学早々に学園のテッペン取った超天才児なんじゃ! 学内では阿修羅姫って呼ばれとるんじゃぞ! 阿修羅姫! よっ! 阿修羅姫! ……阿修羅姫wwwwww」
「よし、とりあえず殺そう」
人差し指の関節をパキリと鳴らし、ジジイをボッコボコにし始める黒鋼さん。
……阿修羅姫? どっかで聞いたような単語だけど……ダメだ、ド忘れした。
それはさておいて。俺は黒鋼さんの顔を見つめながら、改めて決意した。
彼女は特別で、そうだからこそ、あれほど強くなれたのかもしれない。
俺は彼女のように特別じゃないから、強くなれないかもしれない。
だけど……江神と肩を並べ、欲しいものを得る(劣等感を解消する)には、もう、これしかないんだ。
「あ、あの! 話があるんですけど! いいですか!」
「よくねぇから帰れ小僧おおおおおおおおお! 現在絶賛愛の営み中――」
「ちょ~っと黙ってよう、ねっ☆(ニッコリ)」
「アッ、ハイ(震え声)」
黒鋼さんは一息吐いて、微笑を浮かべると、
「なんだい? 言いたいことがあるのなら、言いなよ」
見透かされている。そんな確信と共に、俺は正座して頭を下げ、懇願する。
「俺を……弟子にしてくださいッ!」
あの時見た、黒鋼さんがの業(わざ)。アレを習得できれば、きっと前に進むことができる。
そんな思いから出た言葉、だった。
「ははぁ。唐突だねぇ」
彼女の声音には、弟子入りの承諾も拒否もない。面白い、という感情だけがあった。
一方で、爺さんはふざけた調子を一変させ、真剣な顔となりながら俺の前に座った。
「弟子入りと申したな。それは即ち、我が黒鋼流体術を修めたいと、そういうことか?」
「……はい。その通りです」
弥以覇さんの全身から、圧力が放たれる。気の塊のようなそれに、俺は圧倒された。
「なにゆえ、弟子入りを願う? 貴様は、なんのために強くなろうとする?」
鋭い眼光に見据えられる。一瞬怯みそうになったが、それを無理矢理押さえ込んだ。
負けてたまるか。そんな感情を抱きながら、俺は弥以覇さんの目を睨み、返答する。
「自らの力で道を切り拓き、胸を張りながら、己の道を一直線に歩む。そういう存在に、俺はなりたい。だから、力が欲しい。強くなりたい。限界を超えて、その末に……過去の英雄達のような、輝かしい存在になりたい。それだけです」
弥以覇さんは大きく息を吐いて、
「ふん。貴様も、馬鹿野郎の一人というわけかよ」
ほんの僅かに、口の端を持ち上げた。
「よかろう。では小僧。まずは、これじゃ」
畳を指差す。その意図が、俺にはわからなかった。
「ふむ。理解できぬか?」
「は、はい。も、申し訳ありませんが、お教えて、いただけませんか?」
「よろしい。簡潔に述べよう。まずは…………土下座せぇっちゅうんじゃいボケエエエエエエッ! 態度が気に食わんわ! 地べたに額擦り付けて頼めやこのゆとり野郎がッ!」
ええええええええええええええええッ!? いや、何言ってんのあんた!? さっきまでメッチャカッコよかったのに! さっきまでのシリアスムードが台無しだよ!
「はよせいや! はよ! はい、どっげっざー! どっげっざー! どっげっざー!」
謎の小躍りまで始めやがった。なんだこのジジイ。
……とはいえ、拒否できる立場じゃない。だから命令通り、俺は畳に額を擦りつけて。
「お願いしますッ! 俺を! 弟子にッッ!」
「やだぷ~」
「やだぷぅぅぅぅ!? ふ、ふざけないでください! 俺は真剣に――うぐっ!?」
こ、このジジイ、頭踏みつけて来やがった!
「じゃっかぁしいわい! なぁ~にが、輝かしい存在になりたい(キリッ)、じゃ! ただ目立ちたい、チヤホヤされたいってだけじゃろ、オメーは! カッコ付けた言い方してんじゃねぇよバァァァァァァァァァァカッッ!」
「……確かに、そういう思いは、あります。でも、それだけじゃ、ありません。義人みたいに大勢の人間を救いたい。そういう思いだって、ちゃんと――」
「あー! 口答えしたー! こいつ口答えしたー! 弟子失格ー! 完全に失格だわー! そういうわけで帰れ! はよ帰れ! この超絶ゆとりクソ野郎――」
「ははっ、ゆとってるのはジジイじゃないか。年がら年中、頭がねっ!」
あふん、なんて声と同時に、頭に掛かっていた重量感が消し飛んで、それからすぐにドボーン! という音。どうやら、爺さんは障子をブチ破って庭にある池へ落ちたらしい。
ざまぁみさらせと、思わずにはいられなかった。
「はぁ、やれやれ。面白いから傍観してたけど、行きすぎるとムカつくね」
肩をすくめた後、黒鋼さんは猫のような瞳をこちらに向け、ジッと見つめてくる。
顔を通して、心を見透かされているような、そんな感覚だった。
「な、なんでもする! 弟子にしてくれるなら、使いッパシリでもなんでも――」
「だったら今から焼きそばパン買ってこいや小僧おおおおおおおおおおおおお!」
叫ぶ爺さんを無視して、黒鋼さんは顎に手を当てた。
「ねぇ、立華君。キミさ、格闘技経験とかはあるかい?」
「えっ? む、昔、空手を……二ヶ月しか、やってないけど……」
義人に出会ってからすぐ、単純な子供だった俺は、戦闘能力を求めた。それを得ることで彼に近づき、周囲に自分を認めさせようと思ったんだ。でも、魔術師なんてものが存在するこの世界で、格闘技をやっていることはなんのステータスにもならなかった。
なので当然、誰も俺を認めることはしなかった。そのため、俺はすぐに空手をやめた。
「ふむ。他流の型は覚えてない、か。なら……一応、入門テストをやってみようか」
「入門、テスト?」
一体、なんだろう? 重い門を開けろとか、絶対に抜けない剣を抜け、とか?
……どんなものであれ。弱音を吐くつもりはない。このチャンスを必ず掴――
「まず、あたしの手を握ってもらおうか。それから防壁を展開。さっ、早く」
拍子抜け、というのはこのことか。手を握る? それで何がわかるんだ?
……疑問は尽きないが、文句を言える立場じゃない。だから差し出された手を握、握り……は、恥ずかしっ! そういえば、女の子の手を握るなんて、幼稚園の時以来だ……!
こ、こんなにも柔らかいのか「女の子の手は、じゃねええええええ! てめぇやっぱ欲情しやがったな、この腐れ童貞がッ! こんなん入門させたら貞操がいくらあっても足りんぞ孫おおおおおおおおおおおおおおお!?」
「うん。どうでもいい。とりあえず、早く防壁を展開しようね、立華君」
頷き、平常心を取り戻しながら、魔晄防壁を展開する。
その途端。黒鋼さんの顔から様々な感情が抜け落ち、空洞のような虚無が残った。
寒気がする。対面に居る美少女が、突然恐ろしい化物に変貌したような気分だった。
それから数秒後。彼女は美貌に笑みを戻すと、一つ頷いて、口を開いた。
「うん、合格。キミの面倒を見てあげようじゃないか」
「「えっ」」俺と爺さんの声が、重なった。
「いやいやいや! なぁに言ってるんですかねぇ、この孫は!? こんなクソガキ――」
「あたしのセンスに何か文句でも?(ニッコリ)」
袖からムチ(馬用)をするりと取り出し、おっそろしい笑顔を見せる黒鋼さん。
そうして爺さんを黙らせてから、彼女はこちらを見て、穏やかに微笑んだ。
「今後、キミのことを柴闇と呼ばせてもらうよ。あたしのことも焔って呼んでくれると嬉し「くねええええええええええ! 焔って呼んでいいのはワシだけ――あふんっ!?」
馬用のムチでブッ叩かれ、気持ちよさげによがるジジイ。
それにしても。よ、呼び捨て、か。女子と名前を呼び合うだなんて、生まれて初めて、だな。しかも、初対面の美少女をいきなり呼び捨てなんて……!
「とりあえず。今日からよろしくね、柴闇」
微笑みながら、何かを期待するような眼差しを向けてくる。これはアレか。早速呼び捨てにしろということか。……は、恥ずかしい。でも、これはきっと、アレだ。精神を鍛える修行か何かだろう。だったら、見事にクリアして見せようじゃないか……!
「あ、あぁ。ふつつか者ですが、その、よろしくお願い、します。ほ……ほむ、ら」
満足げに頷く彼女に、俺はぎこちなく笑った。
……気のせい、だろうか。ようやく自分の物語が始まったような、そんな気が、した。