【問:母親と仲がいいか】
別に普通
【問:母親と話をするか。どれくらい話をするか】
普通
【問:最近母親に言われて嬉しかったことは何か】
特になし
【問:最近母親に言われて嫌だったことは何か】
俺をあだ名で呼ぶことが苦痛すぎる
【問:母親と一緒に買い物などに出かけることはあるか】
不可能
【問:母親の手伝いをするか】
気持ち的には
【問:母親の好きなものを知っているか】
家事とバーゲンセール
【問:母親の嫌いなものを知っているか】
台所に出るG
【問:母親のいいところは?】
どこかにある
【問:母親の悪いところは?】
それなりにある
【問:母親と一緒に冒険の旅に出たら仲良くなれますか?】
なれるんじゃねーの? 知らんけど
「全員書き終わったようだな。それじゃ後ろから集めて持ってきてくれ」
教壇に立つ男性教師の指示を受け、座席列の一番後ろの生徒が書類を回収していく。
生徒たちに配布されていたのは【親と子の意識調査】と題された調査書。コピー用紙ではなく、上質な紙が冊子にされたものだ。まるで全国一斉学力調査の問題用紙のような、いかにも重要そうな書類である。
それもそのはず。これは内閣府政策統括官(共生社会政策担当)が青少年の現状を把握するために実施している調査。つまり国が政策として行っているものなのだ。
「いやー、それにしても、まさかうちの学校が調査対象に選ばれるとは驚きだ。お前たちはこの国で暮らす青少年の代表として選ばれたんだぞ? これはとても光栄なことだ。誇りに思っていい。うんうん」
なんて、教師は感慨深げに言っているのだが。
放課後を目前にして足止めを食らって調査書記入なんてやらされた生徒たちにとってみれば、ふざけんなと、どこが光栄なことなのかと、マジ勘弁しろよと言いたい。
大好真人もその一人だ。
「(早く帰ってネトゲしたいのに……無駄な時間を使わせるなよな、ったく……)」
真人はムシャクシャした気分で頭をかきむしり、深々と溜息を吐く。
でもまあ落ち着け。記入は終わったのだ。まあよしとしよう。回収役の生徒に調査書を渡してこれでお終い。はい終了。
過ぎたことは綺麗さっぱり忘れて、ゲームのこと、レア素材を必死こいて集めて成功率百パーセントで装備品作成するかそれとも通常素材使用で成功率七十五パーセントの作成に挑んでみようかどうしようかとか、そういうことを考えようと……思ったのだが。
少し気になることがある。
「……あの問い、何だったんだろうな」
調査書に用意されていた設問の一つ、その内容が頭から離れない。
【問:母親と一緒に冒険の旅に出たら仲良くなれますか?】
真人が先程記入した調査書にはそんな設問が用意されていた。国の政策として行われている調査に、そんな馬鹿げた問いかけが堂々とあったのだ。マジで。
「調査書作った人は頭悪いのかな……頭悪いんだろうな……」
日本国は始まったのか、それとも終わったのか……呆れたり嘆いたりしたくなるところだが。
でもまあいいじゃないか。終わったことだ。さっさと家に帰って、心ゆくまでゲームをしよう。もう帰ってもよさそうだし、帰る帰る。
そんな時、調査書をまとめていた教師が。
「……っと、やっぱりいたか。調査書の最後のページにある記入欄は名前を書くところじゃないんだが、見事に名前を書き込んでいる者がいるな。まあ誰とは言わんが」
そんなことを言ったようだが。
「あれ、俺もしかして……いや、気のせいか……そんなことよりネトゲだろ!」
教師の視線がこちらに向いているような気がしなくもなかったが、足早に教室を出る真人だった。
それから数日後の週末。
半日授業を終え、昼過ぎに真人が帰宅すると、玄関に一足の靴が置かれていた。女性物のパンプスという靴だ。
母親も似たような靴を何足か持っていたように思う。だが玄関のど真ん中に揃えて置かれているところを見ると、来客か。リビングの方から楽しげな話し声も聞こえてくる。
「母さんの知り合いかな……一応挨拶とかした方がいいのか……?」
ここはよくできた息子としての評価を得ておくべき? それとも、母親の客にご挨拶なんて面倒臭い仕事はパスしてしまってもOK?
どうするべきか少し迷ったが、本心と密接にリンクしている体が速攻で自室に入ってネトゲをしたがっているので、まあいいやここは素通りしてしまおうと廊下を忍び足で……
通過できなかった。
「その足音はマー君ね! 絶対そうだわ!」
「うっ……」
不意にリビングのドアが開き、大好真々子が顔を覗かせた。
その顔が真人を盛大にうろたえさせる。その顔を見ると、実の息子である真人ですら疑問に思わざるを得ない。
「(……こ、この人は本当に母親なのか? 俺の母親なのか?)」
なぜなら真々子は若いのだ。見た目が、徹底的に圧倒的に若すぎる。
ニッコリと微笑む真々子の目尻にはシワが一本もなく、肌は常に潤いに満ちている。ゆるふわカールの長い髪はキューティクル完璧で天使の輝き。
父親の再婚相手ということではない、ガチで普通の母親、高校一年になった息子がいるアラフォー主婦でありながら、十代少女と余裕で張り合えるほどの超絶的若造りな真々子である。
「(……若々しいにも程があるだろ……ったく、うちの母親はどうなってんだよ……)」
もはや怪奇現象の類だと言ってしまってもいいほどに若い。おかげで一見して母親と認識できる部分がどこにもない……そんな真々子のことが、真人は少し苦手だ。
そう。苦手である。〝嫌い〟というはっきりした拒否感があるわけではない。接し方が難しく、距離感がとても測りづらい、だからちょっとお断りしたい。そんな感じ。
しかしながら困ったことに、そんな息子の心を母親は知らないようで。
「マー君、おかえりなさい!」
真々子は甘ったるくてゆる~い笑顔を浮かべ、絶対に真人が受け入れてくれると確信しきっている様子でぐいぐい近寄ってくる。近い近い近い。
「あーわかったから。ちょっと離れて」
「あら、ごめんなさいね。それで学校はどうだったの?」
「普通」
「ふ、普通って……何か嫌なことがあったりとか、そういうことはなかったのね?」
「別に」
「じゃ、じゃあ、いつも通り楽しかったということで、いいのよね?……あ、そうだわ! お昼はもう済ませたの? まだならお母さんが何か作って……」
「いい」
「いいって……えっと、要らないってことかしら? 外でお友達と食べてきたの? そういうことかしら?」
「そうだよ。……というかさ、俺の相手してる場合じゃないだろ。客が来てるんだろ?」
「あ! ああそうだわ! 今ね、ちょっと大事なお客様がいらしているんだけど、よかったらマー君もご挨拶してくれる? 私も自慢の息子を紹介したいから。ね?」
「いい」
「いいって、えっと……ご挨拶してくれるってことよね?」
「パスするって意味だよ。わかれよ。……ったく……」
誰がそんな面倒臭いことをしたがるものか。真人は真々子に背を向け、さっさとリビング前を通過しようとした。だが「……っ」何気なくリビングに目を向けた瞬間、偶然にもその客と目が合ってしまった。
「おや? どうやら息子さんがお帰りになられたようですね」
相手は母親を尋ねて遊びに来た友人という感じではない。長い黒髪の、スカートスーツをきっちり着ている知的でクールな女性だ。保険の外交員かとも思ったが……どことなく一般的な組織に属する人間ではないような……そんな予感は的中する。
女性は素早く立ち上がり、機敏な動きで真人の前まで歩み寄って来て、首から提げている身分証を提示してきた。
【内閣府政策統括官(共生社会政策担当)委託調査員】
重々しく長い肩書が記載されている。
「はじめまして。私は白瀬真澄と申します。本日は内閣府が実施している調査のため訪問させていただきましたとお知らせします。白瀬なだけに」
「ど、ども……というか、いきなり駄洒落って……」
「幼い頃からこの名で散々からかわれた結果として、こうなったらもう自分から推していこうと心に決めた白瀬ですとお知らせします」
コンプレックスを乗り越えようとしてやり方を間違えた人であるらしい。
と、真々子がすすすっと真人に近寄って来る。……この母親は息子に受け入れてもらえると信じ切っているので本当に距離が近い。
「あのね! あのねマー君! 白瀬さんがやっている調査っていうのは……」
「あー、もしかして、親と子の意識調査?」
「わぁ、すごい! 大当たり! どうしてわかったの?」
「この前学校でやったからな」
「えっ……そ、そうなの?……マー君、そんなこと一言も言ってなかったのに……」
「そんなのいちいち親に報告するわけないだろ。つーか近いから」
構ってほしくてたまらない愛玩動物のようにすり寄ってくる母親を押し返して。
「それで白瀬さん、その調査ってもう終わったんですか?」
「いいえ、一時中断しています。息子さんが帰宅されると同時に真々子さんが席を立たれたので。……真々子さんは本当に息子さんのことが大好きなのですね」
「こっちは全然ですけどね」
「ええっ!? マー君もお母さんのこと大好きよね!? お母さんはマー君のことが……!」
「うるさい黙れ。そしていつの間にか近寄ってくるな。……あとその恥ずかしい呼び方やめろよな。何回言えばわかるんだよ。いい加減に学習しろよ」
「だ、だって、マー君はマー君だもの。お母さんずっとマー君のことをマー君って呼んでるからマー君のことはどうしてもマー君って呼んじゃって、でもマー君がマー君じゃ嫌っていうならマー君の新しい呼び方を……」
「ああもう口を閉じろっ!」
押し返しても近寄ってきて割り込んでくる母親からまた離れて。
「えっと、それじゃ白瀬さん。こんな母親で手間がかかるかと思いますけど、調査の続きをしてください」
「ではそのように。……ああ、一つだけよろしいでしょうか。本調査は親子それぞれの主張を統計的に評価するものですので……」
「親子の言い分を互いにお知らせするのが目的じゃないから、面接の内容を盗み聞きしたりしないように、ですか?」
「その通りなのですが、『お知らせ』という部分は是非とも私に言わせていただきたかったです。何故ならお知らせしてこそ白瀬ですので」
「なんかすいません。……にしても、母さんの言い分か……」
聞くなと言われたら、むしろ聞きたくなるのが人というもの。
しかもその内容が、親が自分のことをどう思っているか、という内容だとしたら?
「(本当のところ、母さんは俺をどう思っているのか……一応気になるんだけどな……)」
だが白瀬は政府の正式な調査を行っているのだ。ここで真人が盗み聞きでもして、情報漏洩なんてことになったら、大問題に発展しかねない。ここは言う通りに。
「……わかりました。それじゃ俺は部屋に引きこもってますから」
「ご理解いただきありがとうございます。では終了し次第、この白瀬がお知らせしますから、当分の間自室でどうぞごゆっくり。白瀬のお知らせをお待ち下さい」
「了解です。それじゃ」
「ちょっと待ってマー君! お母さんはこれからマー君のことをなんて呼べば……!」
「知らん」
すがりつこうとしてくる真々子の手をサッとかわし、さっさと二階の自室へ向かう真人だった。
そうして、真人が去ったリビング。
真々子はティッシュで涙を拭い、ちーんと鼻をかみ、涙を拭いて鼻をかんで鼻をかんでティッシュ一箱使いきって、息子を持つ母親の難しい心中を吐露する。
「……私もね、ある程度はわかっているつもりなんです。マー君ももう高校生だし、お母さんと仲良くするなんて恥ずかしいと思う気持ちもあるのかなって」
「そういった部分はもちろんあるでしょう。これまでに内閣府が行った調査でも同様の結果が見受けられます。一般的な傾向ですよと白瀬がお知らせします、白瀬なだけに」
「でも、それでも私としては、親子で仲良くしたいんです。だってこの世でたった二人きりの母と息子ですもの」
「母親としては、もちろんお子さんと上手くやりたいでしょう。……私にも娘が一人いますから、そのお気持ちはよくわかります」
「そうですか……白瀬さんにもお子さんが……」
「はい。歳は五歳。まだまだ手間がかかる頃合いです」
「五歳……そうですね……一人であちこち歩き回るようになって、色々おしゃべりするようになって……『おかーしゃん!』って、足にしがみついてくるような……そんな……」
幼い頃の息子を思い出して、真々子はますます表情を曇らせる。
「できればその頃みたいに、なんて思ってしまいますけどね……でもマー君はあまり乗り気じゃないみたいで……高校入学祝いにパソコンを買ってあげたんですけど、それ以来ゲームに夢中になって、それまで以上に私と話をしてくれなくなってしまって……」
「そうですね。『普通』『別に』『ああ』『いい』そういった言葉で簡潔に会話を終了させようとしているようでした。……ですがそれは、言ってしまえば典型的な思春期のお子さんの姿。母親である真々子さんが適度な距離を維持すればいいだけだと思うのですが?」
「それが……なかなか上手くできなくて……」
「そうですか……ふむ……いわゆる典型的な、思春期の息子を持つ家庭……この程度のこじれ具合が丁度いいと言えるかも知れませんね……ふむ……」
白瀬はしばし考え込み、静かに決断して、バッグから書類を取り出す。
【MMMMMORPG(仮)参加登録書】
そう表題された書類が真々子の前に置かれた。
「これは……じゃあ、私の申請を受理してもらえるということですか!?」
「はい。大好さん親子は本計画の参加要件を満たしているものと判断しました。よって参加を認めます。……では早速ですが準備を」
「は、はい! 必要な物……まずはマー君の靴を持っていってあげないと! ああそうだわ! それよりもまずマー君に説明しないと!」
「息子さんへは私からお知らせを。何故なら私こそ白瀬。知らせるのは私の役目です」
「……と思ったのですが、たまに知らせるべきことを知らせないこともある白瀬です。ちょっとお茶目な一面もアピールしたい白瀬です」
「いきなり現れて何言ってんだこの人」
真人が自室でネトゲをしていると、不意に背後で声がした。振り返るといつの間にか白瀬がそこに立っている。「せめてノックしましょうよ……」「集中を途切れさせては悪いと思い、なるべく音がしないようにノックしました」それは全く意味がない。
白瀬は冷静な瞳で画面を見つめながら話しかけてくる。
「ふむ、MMORPGですか」
「ちょ、見ないでくださいよ……」
「3Dグラフィックの動きが滑らか……真人君のパソコンは、HDDとSSDの二刀流に加え、良いグラフィックボードを積んでいるようですね。ケースファンの熱排気音も耳に心地いい。しかも低遅延モニターまで選んでいるとは流石です」
「ど、どうも。でもこれって実は母さんが勝手に買ってきた物なんですけどね。親切な人が勧めてくれたとかなんとか。白瀬さんはこういうの詳しいんですか?」
「名前を冷やかされるのが嫌で家に引きこもっていた学生時代に少々学びました。パソコンのOSだけが私の理解者でしたから、私も彼らを理解しようと必死でしたよ」
「そういう切ない話はお知らせしてくれなくてよかったですけど」
「知りたくないこともお知らせする。それが白瀬クオリティです。……さて本題を」
「母さんの面接調査が終わったお知らせですか?」
「はい。そして……真人君にはこれから新たな生活を送っていただきます、というお知らせです」
「……はい?」
この人はまーた何か訳がわからないことを言い出したと、真人が呆れて油断したその瞬間「隙ありっ!」白瀬が速やかに腕を伸ばし、パソコンのキーボードにあるEscキーを華麗にタップ。ゲーム画面が一瞬にして閉じられた。
さらに白瀬は真人に背後から圧し掛かり「むぬっ!?」真人の後頭部を胸でむにっとしながらコントロールを強引に奪取。ブラウザを起動させてURLを入力していく。
打ち込まれるアドレスはwww8.cao.go.jp/ksn/mmmmmorpg......
「あぁっ!? ちょっ、何してんですかあんた!? どこに接続する気だよ!?」
「参考までに一つ質問を。……内閣府が実施した調査によると、オンラインゲームをするユーザーの多くが『実際にゲームの世界に入ってみたい』という願いを抱いているとの結果がでています。真人君もそう思いますか?」
「そ、それは、入れるものなら入ってみたいですけど……でもそんなの!」
「その願いが今叶うとしたらどうしますか?」
「え?……そ、そんなこと……」
あるわけがない……真人の喉元まで出かかったその言葉は、口からは出なかった。
白瀬がEnterキーを叩いた瞬間、低遅延モニターから全く遅くない光の奔流が溢れ出してきた。輝きは海辺の波のように押し寄せ、一瞬にして真人を包み込み、真人もろともにモニターの中へと戻っていく。
「こ、これって……まさか!?」
「そう! これはまさかの展開です! まさかまさかの!」
「まさかの、ゲーム世界への転送きたあああああああああああああああああああああ!」
真人は抗うことをやめた。必死に掴んでいた机から手を放し、誘う流れに身を委ねる。
本来なら通過できるはずもないモニターの中へ体が滑り込んだ、そんな時。
……マー君!……待って!……
真々子の叫び声が聞こえた気がした。騒ぎを聞きつけて駆け付けたのだろうか。
目が眩むほどの光の中。真人は姿が見えない母親へ向けてそっと呟く。
「母さん、ごめん……俺、行ってくるよ」
どうして真っ先に謝ったのか。申し訳なく思ったからだ。
父親は単身赴任で母と子の二人暮らし。そこから息子までいなくなってしまったら、母親は独りぼっち。それはよくないことだと思う。そうさせたくない気持ちもある。
真人だって、母親のことが嫌いというわけではない。
好きかと聞かれたら、もちろん口では答えないけれど。
この世でたった一人の母親なのだから大切にしたいという気持ちは確かにある。母親の幸せについて考えることだってあるし、母親が自分に向けてくる期待や願いに応えることだってやぶさかではない。
だがそんな気持ちを実際の言動で表わすのは大変に難しいわけで。心の中で何かが引っ掛かって、あまりにも若々しい母を母と見られないところもあったりして、真々子に対して上手く対応できない。それが今の真人だ。
しかし。
「俺がこれからすごい冒険をして強くなれたら……もっと素直に母さんと向き合えるようになるのかな……そうなれたらいいな……」
いつか必ず帰ってくる。その時には優しく、気恥ずかしさなんて乗り越えて……『ただいま』そう言って抱きしめるくらいのことはしてやりたいかな、なんて。
優しい想いを胸に抱きつつ、真人は超えられるはずのない世界の壁を越えた。
そして真人は降り立つ。
それまでにいた部屋とは明らかに違う空間だ。果てしなく広がる空の下に、ぽつんぽつんと浮かんでいる島々の一つ、その島の端に設えられた岩の祭壇に真人は立っている。
足下にはまだかすかに発光している魔法円が……
「ぅわっ……!?」
真人の足のすぐ脇を小さな何かが走っていく。トカゲだ。ただし足が八本。
八本足のチビトカゲは、真人を威嚇するように小さな炎を吐き出し、だが戦意充分な姿を見せつけた割には一目散に逃げていった。
あんな生き物は真人が住んでいた日本国にはいない。地球という惑星のどこを探してもいないはず。だったら「……まさか、本当に?」そのまさかとしか思えない。
ここはゲームの世界? ファンタジー系? いや本気で? 本気だよ!
とにかく真人は!
「きたあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
来た! 来てしまった! 転送完了! こんにちは非現実!
待ちに待ったストーリーが、ついについについに幕を開けたのだあああああああ……!
と。
「んもう、マー君ったら。お母さんも行くから待ってって言ったのに、全然待ってくれないんだもの。お母さんすっごく悲しかったわ」
「……へ?」
なんだかとても聞き慣れた声がしたので振り返ってみると、少女がいる。
お出かけ用の綺麗なワンピースを着て、大量の物が詰め込まれてジッパーが閉まらないボストンバッグを提げている、これから旅立つ少女のような……いや待て。
お嬢さんのようだが、実際のところ、もうお嬢さんという年齢ではない人だ。
その人は他でもない、真人の母親、真々子である。
「……え……な、なんで……これはないだろ……あり得ないだろ……」
「マー君。これからお母さんと一緒にたくさん冒険しましょうね。うふふ」
「なんっっっだこれえええええええええええええええええええええええええええええ!?」
真人のゲーム内転送は、まさかの母親同伴だ。
マヂで? 本気でお母さんと一緒? いやいやそんなわけ……
マヂだ。
「さあマー君、こっちよ。お母さんがちゃんとエスコートするからね」
「あ、ああ、はい……」
真人はとりあえず歩く。腕を引かれるまま、自動的にてくてくと。
空に浮かぶ島から島へ、重厚な細工が施された石の架け橋を渡り、一際大きな島へ。
神々を模った彫像が並ぶ通路の先には、ドーム状屋根の建物を中心とした荘厳な宮殿がどっしりと待ち構えている。真々子はそこへ案内しようとしているようだが。
「(うん。落ち着け。思考を捨てるな。考えろ。把握しろ)」
これってどういうこと? 今はどんな状況? とりあえずファンタジーなゲームの中に転送されたらしいということは、これまでの状況からなんとなく判断できるのだが……
ていうか母親いるし。そこ一番何とかしたいだろ。まずはそこだろ。うん。
「あ、あのさ母さん……なんで母さんが……」
「はい到着。まずはここでイベントだそうだから。一緒に頑張りましょうね」
「え?」
茫然自失としたまま回廊をてくてく進んでいたら、イベント発生ポイントに到着してしまったようだ。
たどり着いた宮殿内部の中央、広々とした円形ホールの中心には、玉座にどっしりと腰を落ち着けて待ち構えているおじいさんがいる。
恰幅のいい体にゴージャスな服を着て、金糸銀糸で彩られたマントを着用。頭には宝石がちりばめられた王冠。真っ白な髭を蓄えているその人は、まるで王様のよう……
「よくぞ来た! わしはこの転送宮殿の主、王様じゃ!」どーん!
自分から王様だと名乗ったこの方は、王様だ。兵士とか臣下とかそういう人たちはどこにも見当たらないが、王様だ。
「そなたたちの来訪を待ち望んでおったぞ! 本当によく来てくれた!」
「ありがとうございます。私たちもお招きいただいて大変光栄に存じます。……ほら、マー君もちゃんとご挨拶しないと」
「え、ああ……どうも……?」
真々子に倣い、真人もひとまず玉座の前に跪いて頭を下げる。言われるままに。
王様はほっくほくの笑顔で二人を見つめ、おもむろに語りかけてくる。
「ではまず二人の名を聞かせてもらうとしよう。名乗りを上げるがよい」
「私は真々子と申します。それで、こちらが息子のマー君です」
「〝真々子〟殿、それから〝息子のマー君〟殿じゃな? ではそのように登録を……」
「いやちょっと待って王様!? 俺の名前は真人だから! 真人!」
「ふむ。では母親が〝真々子〟で、息子が〝真人〟でよいのじゃな? ではそのように登録するとしよう」
王様はそっと手を翳す。すると空中に二枚のウィンドウ画面が出現。名前の入力を求めているその画面に真々子と真人の名がそれぞれ表示され、即座に登録された。
「え……今のってまさか、初回アカウント登録みたいな……?」
「左様じゃ。ちなみに一度登録すると変更はできんぞ」
「先に言えよおおおおっ!」
流れに任せて本名を名乗って登録しちゃうとか。よくある。しかも変更不可とか。あるある。やってしまった真人は悔しさで床をバシバシ叩いた。床があってよかった。
「ちくしょおおおおっ! こんちくしょおおおおおおおっ!」バシバシバシッ!
「マ、マー君! そんなに床を叩いたらダメよ! 下の階の人がいたらご迷惑でしょ!」
「ほっほっほ。下には誰も住んでおらんから好きなだけ叩くがよい。……ではアカウント登録が済んだところで、そなたたちの基本情報を進呈しよう。受け取るがよい」
王様は軽く指を動かし、出現させていた画面をこちらへスライドさせてくる。空間をスススッと横滑りしてきたそれには真人たちの基本ステータスが表示されている。
真人のアカウント名は【真人】だ。やっぱり本名そのまんま。職業は【普通の勇者】ということになっている。攻撃力や守備力の数値が記載されていて、他には【戦闘可】や【生産不可】などの言葉も記載。
隣にいる真々子のステータスを覗いてみると、こちらもアカウント名は本名【真々子】。職業は【普通の勇者の母親】。他に【戦闘可】【生産不可】といった表示があるが。
言いたいことは色々あるのだけど、何よりもまずは。
「あのさ王様……俺の職業が【普通の勇者】って、どゆことだよ……」
「普通は普通じゃよ」
王様は何かを思うように目を閉じ、優しげに微笑む。
「世界を救うなどという大それたことではない……普通に仲がよく、普通に幸せ……その姿を体現することこそ、普通の勇者である真人殿と、普通の勇者の母親である真々子殿、二人が目指すべきものじゃ」
目的とするべきことを緩やかな言葉で示し、そしてはるか遠くを指さして。
「さあ行け、勇者よ!」どどーん!
ものっすごい劇的に言ってくれたわけだが。
「よっし行くぜ!……いやちょっと待て!? 行けないだろ!」
どこへ行けと? 何をしろと? 意味がわからなすぎる。
「ふむ、ダメか?」
「ダメに決まってるだろっ! もうちょっと説明とかないのかよ! そもそもこの状況は何なのかとか、俺はこれっぽっちも理解できていないんだが!」
「ふむ、ならば説明しよう。心して聞くがよい」
コホンと咳払いを一つして、王様は告げる。
「簡潔に言うと、これはつまり〝オンラインゲームのクローズドβです上手く説明できない特殊な技術でユーザー本体をゲーム内に転送しましたそれではテストプレイしてください〟ということじゃ」
「わー、簡潔ぅ」
「なおテストプレイヤーは、基本的には、ある調査を基に厳正なる審査によって選ばれるのじゃが……匿名の調査書にわざわざ名前を書いて提出しおった残念な者を選んだ例もあるようじゃ。個人を特定しやすかったという理由で。まあ誰とは言わぬが」
「ぷぷっ。おいおい誰だよ、その恥ずかしい奴……ん?……いや、まさかな……」
そのまさかだよ、という声がどこからともなく聞こえた気がしたが気のせいだろう。気のせいであってほしい。
「さて本ゲームについてじゃが、試験運用段階ということもあり、正式タイトルは決まっておらん。今のところは〝MMMMMOPRG(仮)〟ということになっておる」
「とことんマッシブリーでマルチプレイって意味か?……パロディ臭が半端ない……」
「ジャンルはファンタジー系MMORPG。豊富な職業選択、さらに戦闘と非戦闘の選択が可能である。バトルするもよし、アイテム生産や家のデコレーションなど、まったりプレイするもよし。自らのプレイスタイルに合わせて自由に選べる仕様じゃ」
「でも俺はもう……」
「うむ。実証データ収集のため、まだ誰も選択しておらんかった職業を勝手に割り振らせてもらった。こちらも変更不可じゃ。悪く思うな」
「いきなり自由を奪われたぜ……これが世の中ってやつか……」
とても不条理で、果てしなく理不尽。それが世の中。
だが、β版のテストプレイヤーに選ばれるというのは、とても貴重なことだ。しかもフルダイブでテストプレイ。その点については正直嬉しい。真人はなんとか気持ちを上向きに、体を起こす。
「はぁ……とりあえず概要については概ね理解した。つまりネトゲってことだよな」
「うむ。理解が早くて助かる。……では真々子殿の方はいかがかな? ゲームの仕様についてご理解いただけたか?」
「え、えっと……その……」
「ふむ? 何か気になったことがあれば遠慮なく尋ねるがよい。お答えして進ぜよう」
王様が一際優しげに微笑みかけると、何やら困惑した様子だった真々子が質問した。
「それでは、あの……あかうんと、というのは何なのかしら?」
「「え、そこから?」」
王様と真人の声が見事にシンクロした。
「う、うむ……参考までに、真々子殿としては、アカウントとはどのようなものじゃと思われるか?」
「あかうんと……えっと……」
真々子はじっくり考えて、考えに考え抜いて「あ、あ、あ、あ」〝あ〟を発音して、回数を指折り数えて、こういうことかしら? と尋ねるみたいに微笑んだ。
うん。真々子が有するオンラインゲーム知識は、そういうレベルだ。
王様は優しげに微笑んだ表情のまま、真人を見てくる。
「真人殿。真々子殿のことは頼んだぞ。グッドラック」
「ちょ!? それって丸投げってやつじゃないか!? なんとかしろよ!」
「なんともできぬわ!」どどーん!
「ものすごい威厳を放ちながら断言した!?」
「何故ならワシはNPC! テキストが実装されていなければ何も言えぬ! 初期説明係であるワシに初心者教育をもさせたければ、10キロバイト以内のテキストを用意して差し出せい! さあ仕事しろ運営!」
「作られたデータの分際で運営に要求突き付けやがった……なんてNPC……」
「ちなみに、このゲームの中にはテストプレイヤーとNPCの双方がおるが、ほぼ見分けがつかん。どうしても判別したい時はエロテキストを渡してみるがよい。NPCは書かれているまま言ってしまうからのぅ」
「そんな判別方法いらねーだろ」
でも、じゃあ、あんなセリフやこんなセリフを言わせることができたり……なんて、そんなことするつもりは毛頭ありませんが。ありませんが。
さて。
「話はこれくらいにしておこう。後は実際に進めて慣れるのがよかろう」
「まあそうかな……あれこれ言われるより、実際にやってみた方が早いから……っ!?」
とりあえずはこれくらいの説明で問題ないと、納得しそうになった時、真人はハッと気付いた。
いやいや待て待て。問題あるじゃないか。というか、いるじゃないか。
真人の隣には、いつの間にかちゃっかり近寄ってきていた真々子がいる。
「ちょ、ちょっと待って! 一番大事な話がまだ終わってない!」
「そうじゃな。真人殿が何を聞きたいかワシは承知しておる。……なぜ母親同伴なのか、それについて知りたいのじゃな?」
「そう、それ! そこを詳しく!」
「じゃがそれについては、ワシは語らぬ」
「はあ!? 何でだよ! テキストがないからか!?」
「いいやそうではない。……母親が共にいるということ、それはこのゲームの目的に深く関わっておる。従って詳しい説明はやめておく。説明してしまえば、運営の意図を強制することになりかねんからのぅ……そうであってはならぬ。冒険の中で自ら気付き、自ずとそうなることこそが最も望ましい結果である」
「は?……え、えっと……何を言って……?」
「おおよそのところは母親の方に予め伝えてある。子は無邪気でよい。気が向くままに進み、共に冒険を重ねたその先で悟るがよいぞ。……さて」
王様は立ち上がり、玉座にそっと触れる。すると玉座は消失し、その下の床石が重々しい音を響かせながら沈み込んだ。下へと続く螺旋階段が姿を現した。
「次のシーンじゃ。ついて参れ」
「おいちょっと! サクサク進めるなよ! ちゃんと説明を……!」
「まあ黙ってついて参れ。現状に不満と不信感を抱きっぱなしの勇者さえ思わず息を飲まずにはいられない、そんな贈り物を用意してあるぞ?」
「そんな適当な言い方で誤魔化そうとしても無駄だぞ!」
「ほほう? では新規アカウント作成+初回ログインの特典は要らないということか?」
「え……初回特典……?」
ズキューン! と撃たれた胸が痛い。
どんなオンラインゲームでもとびきり豪華に設定してある初回特典を放棄するなんて……常人には無理なことだ。どう足掻いても無視できない。貰う。そりゃとにかく貰う。
もちろん、たとえ勇者といえど、その誘惑には勝てないわけで……
螺旋階段を下りたその先は、再び円形の空間。壁にはいくつものドアが並び、それぞれに【聖騎士】や【魔道士】、【花屋】や【農家】など、各職業の表札が掲げられている。
その内の【勇者】の部屋。王様に続いて足を踏み入れた真人は、それを目にした途端、胸の内で暴れ回っていたはずの不満と不信感を奇麗に忘れてしまった。息を飲んだ。
剣がある。とびきりの剣が。
「おぉ……マジか……」
ぼんやりと発光する石材で造られた小部屋、その中央には一抱えもある岩石が置かれ、三本の剣が突き立てられている。
マグマのような灼熱色の剣。深海よりも深い濃蒼色の剣。透き通る透明色の剣。
本物の剣というものを初めて目にした真人でさえ一目でわかるほどに、この三本はただの剣ではない。武器であるという威圧感ではなく、もっと別の何か……途方もなく強大な存在を前にした時のような畏怖の念を抱かせる代物だ。
「やはり何か感じるものがあるようじゃな。流石は勇者」
「い、いや、まあ……」
「さあ真人殿。どれでも好きなものを手にするがよい。そなたに授けよう」
「……貰っていいのか?」
「いいとも。……実を言えばこれは、最高ランクのクエスト報酬用に用意された物なのじゃが、最近のユーザーは初回特典を奮発しないとその気になってくれぬからのぅ。まあ要するに釣り餌じゃな」
「そういう話は聞きたくなかった」
「最近の人は贅沢なのねぇ。昔の勇者はみんな木の棒を握りしめて旅に出たのに」
「ファミコン世代は黙ってろ」
「では真人殿。そなたの剣を」
「は、はい……」
真人は進み出て、迷いのない足取りで透明色の剣の前に立った。
なぜそれだと思ったのか、真人自身もはっきりした根拠がわからない。だが感じる。
「(なんだろう……俺に合うのは絶対にこれだと思う……間違いない)」
太陽と月と星々。空を思わせる精緻な細工が施された柄を握り、引き上げる。
見るからに硬い岩石に深く刺さっていた透明な剣身は、真人の手に何の抵抗も感じさせずにするりと抜けた。
「なるほど。真人殿は、遥か高き天空に選ばれし勇者であったか」
「天空に選ばれた……?」
「そなたが手にしたその剣は、大いなる天空の聖剣フィルマメント。遠い昔、この世界の空が暗闇に覆われた際に、ただの一振りで全ての闇を切り裂いたとされる伝説の剣……という設定じゃ」
「一言余計だ。でもまあ、めちゃくちゃ凄い剣っぽいよな……説明を聞いただけだと何か漠然とした凄さだけど」
「ならばもう少しわかりやすく説明するとしよう」
王様は、老眼鏡をスチャッと装着し、懐から一冊の本を取り出した。表紙に【公式ガイドブック】と書かれているその本をペラペラめくって。
「えー、フィルマメント……空中のモンスターに対してダメージ二倍でクリティカル率三倍、イベントアイテムの中で最高クラスの攻撃力、売却不可、じゃな」
「とてもわかりやすいけど色々台無しだ。もっと世界観を大事に」
「心配無用じゃ。正式リリースの際にはちゃんとする」
β版だからって、何でもアリというわけではないと思うのだけど、ある程度はちゃんとしてほしいと思うのだけど……どうせ聞いてもらえないだろうから真人は黙っていた。
まあとにかく。
「どうじゃ真人殿。これでやる気が出てしまったのではないか?」
「うっ……そ、それは……」
王様の指摘は正しい。図星だ。大空の聖剣フィルマメントを手にした瞬間から、真人の中で何かが変わったように思う。
「(俺の手の中に、剣がある……)」
手にした感触が訴えかけてくる。男子の本能に刻まれている欲求──戦いという、雄にとって生きると同義のその欲望が掻き立てられる。
しかも真人が手に入れたのは伝説の剣。最高級の武器。冒険と戦いの果てに最強となることが約束されているようなもの。
その栄光を捨てる理由がどこにある? そんなもの、探しても見当たらない。
「はぁ……まんまと乗せられたようで悔しいんだけどな」
「気持ちはわかるが観念せよ。これは勇者である真人殿が宿した宿命であると理解するがよいぞ」
「そうなのか……ああいや、勇者って言われてもいまいちピンと来ないけど」
「何を言う。真人殿は伝説の剣を手にしたのだぞ? それは勇者でなければ手にできない代物。真人殿が勇者であることは明白。間違いなく真の勇者じゃ」
「ちょ、そんなこと言われたら……なんか照れる……」
真人は勇者。間違いない。真の勇者。勇者だってさ!
「照れなくてもよかろう? 真人殿は勇者。この世界の英雄。いよっ、この救世主!」
「だ、だからぁ~、そういうのやめてくださいってばぁ~。おだてすぎぃ~」
勇者。英雄。救世主。勇者で英雄で救世主。3コンボ達成、なんつって!
「本当のことを言ったまでじゃ。……実際、ゲームが正式サービス化へ漕ぎ付けられるかどうかはテストプレイの結果次第。そなたらの活躍にかかっておるのじゃ……どうかこの世界を新たな次元へと導いてくれ。それができるのはそなただけじゃ」
「えぇ~? まあ、俺しかできないっていうなら、まあやっちゃうけどぉ~」
「うふふ、そうね。マー君だったらやっちゃうわよね。だってマー君はお母さんの自慢の息子ですもの」
「ん~、まあ自慢の息子だし? そりゃもちろん……って……」
「それじゃお母さんも剣をお借りしようかしら。よいしょっと」すぽっ、すぽっ。
真々子は、台座に突き立っていた灼熱色の剣と濃蒼色の剣を引き抜いた。
選ばれし者でなければ手にできない伝説の剣を、二本一緒に軽々と。
調子に乗って王様とイチャイチャしてた真人は余裕で白目だ。あれ、ちょっと待って? 今何が起きている? 誰か説明プリーズ?
「え、えっと……王様、これは……?」
「すまぬな。これ以上何も言えん。NPCであるワシをどうか許してくれ。……おおそうじゃ。後でこのガイドブックを真々子殿にお渡ししてくれ。では、よしなに」
真々子宛てのさらなる贈り物を真人の手に押し込み、王様はどこへともなく去っていったのだった。
勇者部屋の奥に設けられていたドアを抜けると、そこは円形闘技場。観客席はなく、どこまでも続く空間に戦いの舞台がぽつんと置かれている。ここはチュートリアルバトルを行うための場所。
舞台の端に立った真人は手元のガイドブックに目を走らせる。知りたい情報はすぐに見つかった。
「〝テラディマドレ〟と〝アルトゥーラ〟……」
真々子が手にした二本の剣の名だ。
灼熱色の剣がテラディマドレ。母なる大地の聖剣。天地開闢の折りに大地から生まれた命そのもの。この世界にある全ての生命の源となった剣である、とされている。
濃蒼色の剣がアルトゥーラ。母なる大海の聖剣。世界を襲った大洪水を鎮めた奇跡の一振りらしい。大地と海が世界を分かち統括することになった契約の印でもある、ということになっている。
実際のところ二振りの剣がどれくらい凄いのか。それについては次の通り。
【テラディマドレ:陸上のモンスターに対してダメージ二倍でクリティカル率三倍。全体攻撃。イベントアイテムの中で最高クラスの攻撃力。売却不可】
【アルトゥーラ:水勢系モンスターに対してダメージ二倍でクリティカル率三倍。全体攻撃。イベントアイテムの中で最高クラスの攻撃力。売却不可】
特記事項として、双方の剣による全体攻撃は〝頭割りダメージ〟とされている。一撃のダメージ量が予め決定されており、攻撃対象の数に応じて均等に割り振られて与えられるというものだ。
そんな武器を実際に使用すると、この有様。
「見ていてね、マー君! お母さん頑張るから!……えいっ!」
真々子は右手に握ったテラディマドレを高らかに掲げ、振り下ろす。
同時に、地面から剣のように研ぎ澄まされた石が無数に突き出し、モンスターの群れをめがけて一斉に振り下ろされた。
「ウガアアアアアッ!?」「グギャアアアアアアッ!?」「ゲブゥッ!?」「ギャファッ!?」
真々子の目前にいた蟻や芋虫や蜘蛛や狼や熊やその他諸々のモンスターは真っ二つに切り裂かれて片端から滅び去った。そりゃもうあっさりと。
だがすぐさま新たなモンスターの群れが出現!
「お母さんは負けないわ! だってマー君にいいところ見せたいもの!……えいっ!」
真々子は左手のアルトゥーラを水平に構え、一気に振り抜く。
すると、濃蒼色の剣閃が描かれたそこに水が出現し、無数の水滴に分裂し、弾丸の如き速さで射出された。
「ゴアアアアアアッ!?」「ギギギギィッ!?」「ゴハァッ!?」「ウグググ……ガフッ……!」
超高速水弾の一斉掃射を浴びたモンスターたちは穴だらけになり、瞬く間にその身を崩壊させていく。敵の第二陣も全て駆逐できた。そりゃもう簡単に。
だがまだだ。戦闘は継続している。空にモンスターの影が!
「マー君! 今こそマー君の力を見せる時よ! 頑張って!」
「……ああ、はい……」
真人はガイドブックを閉じ、フィルマメントでさくっと適当に空を切った。
刹那、透明色の剣身から斬撃波が放たれ、自ら敵を追って舞い上がる。自在に舞う斬撃は一気にモンスターへ迫り直撃。
「ピヨっ!?」
上空を飛んでいた雀サイズのモンスターが一匹、ぽてっと落ちてきて灰燼と化した。
モンスターをやっつけた!
そして真人はその場にぶっ倒れてぶわっと泣きだした。
「……うぅぅ……違うだろ……これ何か違うだろ……絶対間違ってるだろ……」
「ど、どうしたのマー君!? もしかしてどこか怪我をしたの!? お母さんに見せて!?」
「違う……そうじゃない……そうじゃなくて……くっ……」
確かにフィルマメントだって凄い。自動追尾の斬撃が放てるなんて、そりゃ凄い剣であることに間違いはない。自信を持っていい。自らを誇っていいはずだ。いいよね。
だがしかし、真々子は通常攻撃が全体攻撃で、さらに剣が二本なので二回攻撃である。
数十匹のモンスターをあっさり倒してみせた母親と自分を比べると。
「(……俺……ショボイわぁ……)」
もう泣くしかない。不貞腐れて寝るしかない。他にどうしろと?
そんな真人のところへ真々子が駆け寄ってくる。
「マー君! ほら元気出して! マー君の攻撃は凄かったわよ! 透明なのがブーンって飛んで行って、お母さんビックリしちゃったわ! マー君とっても格好よかった!」
「頼むからそういう励まし方はやめてくれ……これ以上落ちることができないところまで落ち込んでいるのに、さらに落ち込ませる気かよ……」
「そ、そんなつもりじゃないのよ! そうじゃなくて!……ほ、ほら、とりあえず立ちましょう! 一緒にチュート……ちゅーと……えっと、何だったかしら……」
「……チューチュートレインな」
「そうそれ! お母さん昔やったわ。お友達と一緒に『ふぁーんふぁーん』って」
「違げーよ。全然違げーよ。俺たち一列に並んでぐるぐる回ったりしてねーよ」
「そ、そうね。昔話をしている場合じゃないわよね。……え、えっと……とにかく、ここはもうこれくらいにして、次へ行きましょうか! ね、そうしましょう! 次はもっと楽しいから!」
そう言って、真々子は腕を掴んで引き起こそうとしてくるが。
真人はその手を振り払った。
「マ、マー君……?」
「冒険したいなら、母さん一人で行けばいいじゃんか。まあフィールドに出たらモンスターとか出るかもだけどさ、母さんの火力なら余裕だろ。開幕ぶっぱで楽勝」
「火力? お母さん火なんて出せないわよ? ガスコンロじゃあるまいし」
「そーゆー火力を言ってるんじゃなくて」
火力とはすなわち攻撃力。銃火器などの火力になぞらえて用いられる用語である。お母さんにはちょっと難しいかも。そんなことはともかく。
「はぁ……ほら、行っていいから。俺のことは放っておいてくれていいから」
「そ、そんな……」
真人はもうパス。全部パス。呼吸をすることもやめたいくらいの勢いでぐったりと寝転び、死んだふり。ただの死体になって返事をしない構えだ。
「うぅぅ……マー君……こ、こんな時はどうすればいいのかしら……あ、そうだわ!」
困惑した真々子は、真人が放り捨てていたガイドブックに手を伸ばす。藁にもすがる思いで必死にページをめくって。
「どこかに攻略法が……息子勇者が一緒に冒険するのを嫌がった時の対処法は……」
「そんなピンポイントに攻略法が書いてあるのかよ。何なんだよそのガイドブック」
「【あなたの通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃できると知ったら、お子さんは大喜びです。一緒に冒険しようと抱きついてくるでしょう】なんて書いてあるけど、全然嘘っぱちじゃないの! マー君はちっとも喜んでくれていないのに!」
「……まあ、基本的には喜ぶところだと思うけどさ」
「え、そうなの!?」
「そりゃそうだろ。高火力の全体攻撃持ちだぞ? しかも二回攻撃。……そんなプレイヤーが目の前にいたら、こっちから全力で仲間に誘うわ。金を払ってでも仲間にしたい」
「じゃあ、どうして喜んでくれないの?……どうして……」
真々子は深く考え込み、ハッと気付き、恐る恐る尋ねてくる。
「まさか……まさかとは思うけど、もしかして……お母さんが、お母さんだから?」
「まさしくそこが最大の問題点なわけだ。……ちょっといいか」
真人は体を起こし、真々子と向かい合って座り直した。
なるべく怒らないように、怒鳴ったりしないように心掛けながら、大事な話だ。
「説明してくれ」
「せ、説明って……」
「全部だよ。全部。この状況について全部説明してくれって言ってるんだ。……母さんは何か知っているんだろ? おおよそのところは母さんに伝えてあるって、王様が言ってたからな。運営の方から話とかあったんだろ?」
「それは……」
「はっきり言って、ゲームの中に転送されたこと自体おかしいんだが、まあそこは俺も歓迎しているから不問とする。……でもこれは俺がイメージしていたゲーム内転送と何かが違う。何が違うかについては言うまでもなく、母さんが一緒についてきたという点だ」
「他の家のお母さんだって、たまには息子と一緒にゲーム内転送くらい……」
「ねーよ! 絶対ねーよ! ありえねーよ! むしろあってもらったら困るよ! 青少年男子のためのファンタジーに親の存在は不要なんだよ! 邪魔なんだよ!」
「むぅ。マー君の言い方は意地悪だわ。お母さんプンプン」
ほっぺをぷっくーと膨らませて拗ねる真々子だ。真々子プンプン。何この人可愛い……
いやいや待て待て! 相手は実母だ! アラフォーの母親だ! 可愛いとかそういう判断を下す範疇にない! それどころじゃない!
「ふざけるんじゃねーよ! そういうの要らないからちゃんと答えろよ!」
「は、はい! 答えるわ!」
「どうして母さんまで一緒に来たのか、何がどうなってこうなったのか、詳しく説明してくれよ。ほら」
「で、でも……最初は事情を話さない方がいいですよって……一緒に冒険をして、色々な出来事を積み重ねて、その上で自ずと気付いてもらった方がいいからって……」
「いいから話せって! あんまりイライラさせんなよっ!……なあ母さん、ホントいい加減にしないと……」
「な、何かしら……?」
「親子の縁を切るぞ!?」
カッとなって口から出た言葉だった。苛立ちが勝手に作った言葉だ。
勢いだけのそれは、しかし勢いのまま真っ直ぐに放たれて……真々子に直撃し、彼女から表情を奪う。「……あっ……違う……今のは……」真人が自身の失言に気付いた時にはもう手遅れだ。
茫然としている真々子の目の端に、大粒の雫がじわじわ生み出され、零れ落ちた。
母親が、泣きながら、真っ直ぐに見つめてくる。
「……ごめんなさいね。お母さんね、何をどう説明していいのか、よくわからないの。白瀬さんたちにも色々事情があるみたいで、どこまで話していいかわからないの」
「あ、ああ、うん。わかった。何か事情があるなら、それで……」
「でもね、一つだけちゃんと言っておくわね。お母さんは、マー君を騙すとか、マー君を傷つけるようなことをしようとしているわけじゃないの。それだけは信じて」
「ああ、わかった……」
「お母さんはね、マー君と仲良くしたいだけなの。マー君と一緒に冒険して、たくさんお話して、一緒にいろんなことを頑張って、仲良し親子になりたいなって、そう思っているだけなの。だからね……ぐすっ……だからね?」
「わかった、もうわかった! ちゃんとわかった! ばっちり理解したから!」
「だからね、お願いだからね……」
「あ、ああ……」
「親子の縁を切るなんて、そんな悲しいこと言わないで……お母さんね、生まれてから今まで聞いてきた言葉の中で、その言葉が一番つらい。一番悲しい」
真々子の目からはとめどなく涙が流れている。悲しい雫がボロボロと。
真人はやってしまった……
自分が親を悲しませて泣かせた。自分のせいで悲しみに暮れる親の姿が目の前にある。
子にこれほどまで苦さと苦しみを味わわせるものは他にない。
「(……何やってんだよ俺ぇぇぇ……)」
感情的な話ではない。親から生まれた子として、与えられた命そのものに、親にはいつも笑顔で元気でいてほしいという願いが染みついているのだ。悲しませようものなら魂が居ても立ってもいられなくなる。耐えるのも無理。目を背けるのも無理。
真人はとっさに正座し、闘技場の舞台に額をこすり付けた。
「母さんごめんっ! 今のは違うから! そんなことするつもりは全然ないから! つい言っちゃっただけで、全然本当にそんなことないから! だからっ!」
どうか許してほしい。泣かないでほしい。そう必死に訴えようとすると。
くしゃくしゃくしゃっと、頭をくしゃくしゃに撫で回された。真々子の手が、どこまでも優しい指遣いで〝こいつめ〟と髪型をめちゃくちゃにしまくってくれる。
「……か、母さん?」
「お母さんね、お母さんのことを気遣ってくれる優しいマー君が大好きよ」
「ど、どうも……変なことを言って本当にすみませんでした」
「はい、どういたしまして。……じゃあもういいから。ほら顔を上げて」
「あ、ああ……じゃあ……」
顔を上げると、まだ涙の跡が残る母親の顔がそこにある。直視するのはやはり厳しいので、真人は視線を明後日の方向へ向けておこうと「こら。話をする相手の顔をちゃんと見ないとダメでしょ」「わ、わかったよ」しょうがないのでちゃんと向き合うと。
真々子は仲間になりたそうな顔で真人を見つめてくる。
「くっ……母親からそんな顔を向けられる日が来るとは夢にも思わなかった……」
「こら。ちゃんとこっちを見て。お母さんの話をちゃんと聞いてね」
「お、おう……」
「お母さんはマー君と一緒に冒険したいわ。お母さんをマー君の仲間にしてくれる?」
母親を仲間にしますか?
迷うことはない。選択肢は一つしかないのだから。
「……まあ、いいけど。母さんの火力はすげー助かると思うし。仲間になってもらっていいっていうか……まあその……一緒に来ればいいよ」
「はい。じゃあそうします。これからよろしくね、マー君」
「うん、まあ……こちらこそ、どうぞよろしく、母さん」
真々子が仲間になった。
「でもねマー君。一つだけ言っておくわ」
「ん? 何だよ」
「お母さんね、火は出せないわよ? コンロじゃないんだから」
「だからそういう火力じゃないって、何回言えばわかってもらえますかお母さん!?」
もしかしたら、この冒険における最大の強敵は、母親の理解力なのでは……そんな予感がしてならない真人だった。
チュートリアルを終えて。いよいよ旅立ちの時だ。
真人と真々子は転送宮殿を抜け、空に浮かぶ島に架けられた最後の橋を渡り、終着点であり出発点である小島へ移動。
そして地面に描かれている魔法円の上に立った二人は、その瞬間を待つ。
「ここから転送ってことでいいんだよな?」
「ええ、そうよ。ガイドブックにもそう書いてあるわ。……あ、でも……安全確認のために少し時間がかかるそうだから、待っている間に基本事項を読んでいてくださいって。お子さんもご一緒にって書いてあるわ。ほら見て」ぐいぐいっ。
「わ、わかったよ。というか寄りすぎだから。近すぎだから」
肩をぐいぐい押し当ててくる真々子をそっと押し返して、ガイドブックに書かれている内容にざっと目を通す。
真人たちが転送されたオンラインゲーム〝MMMMMOPRG(仮)〟。
そのゲームは、内閣府が管理するメインサーバーを起点とし、四十七都道府県が管理し独自展開する地方サーバーをつなぎ合わせるという、多種多様かつ広大な世界編成となることが計画されているらしい。
ただ、現在はβ版、テストプレイを通じてデータ収集が行われている最中であり、運用されているのは東京サーバー一つのみとのこと。
「おいおい、鯖が大量というか大漁すぎだろ……半端ない規模だなこれ……」
「鯖?……さば……さば……ねえマー君、鯖なんてどこに書いてあるの? お母さん見つけられないんだけど」
「あー、鯖ってのは要するにサーバーのことだ」
「あらそうなの? サーバーって言うのが鯖なのね……やっぱり青魚はすごいわねぇ。体にもよくて、ゲームまでできるなんて」
「いやそうじゃなくて……はぁ、まあいいか……いちいち説明してたらキリがないし」
そんなことより概要チェック優先。ガイドブック確認の続き。
現在稼働中の東京サーバーは、王道ファンタジーをテーマに世界構築されている。モチーフとされたのはヨーロッパの景色。今なお中世の風情を色濃く残す地中海沿岸の風景を基に形作られているらしい。
ちなみに、現実世界とゲーム内世界の時間の流れは同一だそうだ。真人たちが転送されたのは昼過ぎのことだったので……と。
「おっ、いよいよか」
不意に足下の魔法円が猛烈な光を発し、その眩しさが消え去ると。
午後の日差しが降り注ぎ、心地よい海風が吹き抜ける、石畳と白壁の町並みが目の前に広がった。
それを目にした真々子の第一声は。
「あらまあ! 海外みたい!」
「海外って……そりゃ母さんにファンタジーとか異世界の風情とか言ってもわからんだろうから、そんな驚き方でもしょうがないけどさ……それじゃまあ、とりあえず行こうぜ」
第一の世界、スタート地点の名は〝カーサーン王国〟。
魔法円が描かれた転送ポイントから進み、堅固な門をくぐると、そこはカーサーン王国の首都。白亜の王城を中心に城下町が広々と広がっている。
白い土壁とレンガで作られた建物は目にも穏やか、味わい深い大地の趣。通りを闊歩する馬車の音はのんびり呑気。一度住み着いてしまったら冒険に出るのが面倒臭くなってしまいそう。そんなゆったりとした町並がどこまでも続いて……
「はっ!? 向こうの通りにお店がたくさんあるわ! 見に行きましょ!」ドビュンッ!
「いやいや、まずは地理を把握するために町をぐるっと一回り……って、もう突撃してるだと!? これは母さんの、いや、女性キャラ特有の素早さか!?」
真々子は商店を高速で回れるスキル【ウィンドウショッピング魂】を覚えた。
いや嘘だ。そんなスキルは存在しません。
通りを一本違えれば、そこは活気と喧噪の坩堝(るつぼ)。足を踏み入れた途端、軒を連ねる店から威勢のいい声が飛び交って客を引く。
「ちょっとそこのお嬢さん! 変わった服を着てるねぇ。異国からの旅人さんかい? だったらうちの商品見てってよ。お嬢さん綺麗だから安くしとくよ!」
「あらいやだわ、お嬢さんだなんて。こんなに大きな息子がいるのに」
「いちいちそういうこと言わなくていいだろ。ったく……あー、ども」
「へ? そちら息子さん?……子持ちの奥さん?」
「あ、でも今は親子で仲間です。私は息子の仲間になったんですよ。素敵でしょう?」
「親子で仲間?……えーっと……?」
「仲間とかそういうことも言わなくていいから! 店の人がフリーズしてるだろ! ほら前進! 歩いて!」
「はーい」
真人は、ささやかな罪滅ぼしとして荷物を肩に担ぎ、客引きにいちいち挨拶をする真々子の背を押して歩く。
二人の姿は、外国の露天マーケットを散策する旅行者親子そのものだが、ここが単なる旅行で訪れるような場所でないのは明白だ。
「ここってやっぱファンタジー系RPGの中なんだよな……」
ふと目を向ければ、剣や槍を販売する店があり、盾や鎧を売る店があり、それらを装備した戦士風の人たちがごく当たり前に目の前を通過していく。魔法使い風の少女たちが短いローブの裾をひらひらさせながら脇を駆け抜けていったりもして。
「(マジでファンタジー……ちょーすげえ……俺ってゲームの中にいるんだ……)」
今さらながらそう実感し、思わずにやけてしまう真人だった。
そしてそんな息子の様子を横目でしっかりチェックしている真々子だ。
「こらマー君。女の子たちのお尻を眺めてニヤニヤしないの。それじゃ変質者よ?」
「違くて! そういうのを喜んでいたわけじゃなくて!」
「うふふ。冗談よ。マー君が今どんなことを考えてるか、お母さんはちゃーんとわかっていますからね。親子だもの、以心伝心」
「ほーう? じゃあ当ててみろよ」
「マー君は今……お母さんと一緒にお散歩できて嬉しいと思っている!」えっへん!
真々子は満面の笑みを咲かせて自信満々に言い切ったが。
真人はもう鼻で笑うしかない。何言ってんのこの人。意味わからん。
「ないわー。母親と一緒に歩いて嬉しいなんて一番あり得ないわー。この母親は思春期男子の気持ちを全然わかってねーなー。あーもー全然ダメ。母親失格」
「お母さんね、今まで聞いてきた言葉の中で、その言葉が二番目につらい」しくしく。
「そ、そのセリフはやめてくれ! 俺の言い方が悪かったから! 謝るから!」
反射的に平身低頭。ごめんなさい姿勢でお母上様のご様子をうかがうと。
真々子は楽しげに笑っている。若々しいにも程がある顔で笑ってくれていやがる。
「うふふ、効果てき面ね。じゃあこの言葉はお母さん魔法ということにしようかしら」
「息子勇者限定の精神衰弱魔法……なんて悪質な……」
先ほどやらかしてしまった真人がショックから回復するには、もう少々時間がかかりそうである。さておき。
「んで? とりあえず歩いているけど、これからどこへ行けば……」
「うふふ。そこはお母さんに任せて。お母さんがちゃーんとリードするから」
「リードするって……母さんはこういうゲームのこと何にも知らないだろ」
「それはそうだけど、でも大丈夫。だってこれがあるもの」
真々子はガイドブックを自慢げに見せてくる。なるほど。それがあるならまあ安心か。
「お母さんとマー君は冒険する準備をしなくちゃいけないわ。だからまずは……」
「仲間集め、だな。正解だろ?」
「そう正解。ガイドブックにもね、まずは仲間を集めましょうって書いてあるから。というわけで……はい、到着。こちらでーす」
先導する真々子がジャジャーンと紹介してくれたのは、商業区の一角に堂々と構えている建物だ。
一見するとカフェテラス付きの喫茶店のようだが、出入りしている人々のごつい体格や武器防具を見れば、そこが楽しくお茶をするような場所ではないことがよくわかる。テラス部分にいる冒険者たちは品定めするような視線を容赦なくこちらへ投射してくれたりもして、攻撃的な歓迎ムードがいい味を出している。
建物に掲げられている看板には【冒険者ギルド】の文字。つまりそういうこと。
「ここは完全無糖で甘くねーぞ、って感じだな……フッ、上等だぜ」
「あらまあ。普段は『ああ』とか『いい』しか言わなかったマー君が、こんな格好つけたことを言うなんて……息子の新たな一面を発見しちゃったわ」
「うっ、うるさいな! 息子のコメントを品評するなよ!……やりにくいわー……」
「うふふ。ごめんなさいね。それじゃマー君、私の剣を貸してもらえる?」
「え? あ、ああ、いいけど……?」
何をするつもりなのかよくわからないのだが。とりあえずボストンバッグに差し込んであった大海の聖剣アルトゥーラを渡すと。
「えいっ!」
真々子はギルドの建物に向けて剣を振った。真々子の攻撃。「……え?」濃蒼色の剣閃が描かれたそこに水が溢れ出し「ちょっ……」水の粒になり「おいっ!?」一斉発射。
ズガガガガガガガガッ! と高速水弾がギルドに撃ち込まれた。激しい破壊音が連続して鳴り響き、穴だらけになった柱や壁が倒壊する。冒険者たちの悲鳴が聞こえてきたのは乱射が終わった少し後になってから。
茫然自失していた真人が我に返ったのは、さらにその後のこと。
「……あの、母さん……何してんの……?」
「舐められるといけないから最初は〝ガツン!〟といきましょうって、ガイドブックに」
「ガツンの意味が違うって……というかこれ、ヤバいだろ……」
ギルド建物の前面部は半壊。だがそれ以上に問題なのは、テラス部分にいた冒険者たちの安否だ。真々子の攻撃によって誰かが被害を受けていたとしたら……
「(PKとか、PK未遂とか……ペナルティが課せられたりするんじゃないか?)」
PK──プレイヤーキル。それはプレイヤーキャラを殺すこと。それを犯した者には相応の罰が下される。ごめんなさいでは済まされない。
真人が顔面蒼白で立ち尽くしていると、建物の方で動きがあった。破壊されたドアの残骸を乗り越えて誰かがこちらへやってくる。
相手はどうやら女性。事務員のような服を着ている、長い黒髪の、冷静な顔つきの……
額からちょろちょろ出血している、その人だ。
「旅のお方、ようこそ冒険者ギルドへ。私は受付嬢のシララセですとお知ららせします。共に旅する仲間をお探しでしたら、どうぞこちらへ」
シララセと名乗ったその人は、余裕で額から出血したまま、恭しい手つきでご案内してくれた。
半壊した受付カウンターに座っているその人は……
「あの、白瀬さ……」
「私は受付嬢のシララセですとお知ららせさせていただいたはずですが? ご納得いただけない場合は、息子さんがこれだけは母親に見られたくないと思う物を厳選してお届けすることもやぶさかではありませんが?」ちょろ?
「シララセさんとは初対面です! はじめましてっす! ちぃーっす!」
半壊した受付にいる彼女の名はシララセ。白瀬によく似ているというか本人に間違いないが、シララセだ。
「ではあたらめまして。冒険者ギルドへようこそ」ちょろ。
「どうもお世話になります。それで、あの……大丈夫なんですか? さっきからずーっと流血してますけど」
「ご心配には及びませんよ。あくまで演出ですので。……そしてこの私はオブジェクトであり、PCでもNPCでもありません。よってPKペナルティは発生しません。建物オブジェクトが破壊できてしまった点についてはバグですので、どうぞご安心ください」
「そ、そうですか。よかった~。……よかったな、母さん」
「え? え、ええ、そうね。つまりオブジェの試合でNECのPCがPK戦に勝った、みたいなことよね」
「そうだな。とりあえずそれでいいよ。すげー快挙だよ」
オブジェクトはざっくり言うとキャラではなく物体で、PCはプレイヤーキャラで、NPCはプレイヤーではないキャラで、などという用語については真々子のみ後で補習を受けてもらうことにして。
「では早速、当ギルドに登録されている冒険者をご紹介しましょう。どうぞ」
そう言って、シララセは書類を差し出してくる。羊皮紙風の分厚い紙の束だ。枚数およそ百枚以上。
「こ、こんなにいるんですか……?」
「これでもまだ十分の一程度ですよ。基本的にパーティ人数に制限はありませんから、好きなだけ仲間を選んで集めていただけるよう、運営のキャラクター班が死に物狂いで作成しました。今後も増員が予定されています」
「マジっすか……えっと、じゃあ、仲間は全員NPCということに?」
「中にはテストプレイヤーの方も含まれています。ですが、ごく少数ですので、割合的にかなりのレアリティになるかと」
「ガチャ運が試されるような展開か……」
「建物一階は修復中です。閲覧は二階の個室をご利用ください。後ほど追加の書類をお持ちしますので、どうぞごゆっくり」
銃乱射現場のようになってしまったギルド一階部分の上、何とか無事だった二階部分の奥の個室にて。真人はテーブルにドサッと書類を置き、真々子と向かい合って着席した。
心地よい緊張感を静めるべく、窓から流れ込んでくる涼しい風で深呼吸して、それでは仲間選びを開始だ。
「よし、ここは俺の出番だな。MMORPG経験者である俺が最適の仲間を選抜してみせよう。いいよな、母さん?」
「もちろんよ。マー君がどんな子を選ぶのか楽しみだわ。素敵な女の子を見つけてね」
「な、なんで女子を選ぶ前提で話をしてるんだよ……」
「だってそうでしょう? これから一緒に生活して、一緒にたくさんのことを経験して、一緒に成長しましょうって、そういう気持ちで仲間を探すのよね? それはもうお付き合いとか結婚する相手を選ぶのと同じようなことだと思うんだけど」
「うっ……あながち間違っていない気もするが……仲間選びだ。これは単純に仲間選びだぞ。うん」
顔とか体型とか、それ絶対に選んだ人の好みが反映されちゃうだろうけど。とにかく。
真人は書類と向き合う。書類には、冒険者名に職業、各ステータス、写実的に描かれた本人画も乗せられている。
「主な判断基準は、戦闘での編成だよな……こっちは物理アタッカーが二本だから……まず盾を一枚に、回復役を一本。魔法アタッカー一本に、補助系も一本ほしいか……あーでも、生産職もあるからなぁ……アイテム生産も一人くらいは仲間にしておきたいよな……ひとまず七人くらいを目途に探すか……」
職業を目安に、顔形や体つきもそれなりに参照して、自分の好みもちょっぴり踏まえつつ、真人は目ぼしい人材をピックアップしていく。
「おお、これいいじゃんか」
仲間候補その一。名前は〝ルシェラ〟。十六歳。職業は重騎兵。敵の攻撃を一手に引き受ける盾専門職だが、受けたダメージの一部を攻撃力に加算できるスキルを持っているので、いざとなったら攻撃参加も可能。
本人画も実にいい。鋼鉄の鎧をまとう細身の体、頑強な盾に添えられている細い指、強い意志を秘めた凛々しい顔つき……かなりお硬い印象だが、その硬い殻を破ったら可愛い一面が出てきちゃったりして、ギャップ萌えも期待できるいい人材だ。
「お次は……おお、エルフ発見!」
仲間候補その二。名前は〝サリーテ〟。十九歳(人間換算)。職業は神官。回復魔法のエキスパート。アンデッド系の浄化も可。
若草色のローブに身を包み、神聖大樹をモチーフにしたペンダントにそっと手を添えている……上品なお姉さんを絵に描いたような、絵なのだがそこは表現ということで、柔らかな頬笑みを浮かべる美女エルフだ。
「いいぞいいぞ、粒揃いだぞ。次は……お、ヤンチャなガールを発見!」
仲間候補その三。名前は〝トリノ〟。十四歳。職業はシーフ。先制攻撃やパーティの速度上げといった補助スキル持ち。他に解錠スキルも所有。
タンクトップに短パン着用。身軽な装備で露出の多さも抜群。でもあんまり身軽に動かれると、脇からチラッと見えちゃうぞ。目のやり場にちょっと困るかも。
「よーしよしチラ見せするがいいさ。肌色大歓迎。……とまあ、まずはこんなところか」
真人は選抜した三名の書類を並べ、あらためてチェックを入れる。パーティの防御役、回復係、そして補助。戦闘における必須メンバーが一通り押さえられているように思う。
「よし、決まりだ。……母さん、まずこの三人を仲間にするぞ。一応確認してくれ」
「あらまあ、可愛い女の子ばっかりね。どの子もマー君の好みなの?」
「そういう確認はしなくていい! たまたまごく自然にそうなっただけだ! 偶然だ!」
「うふふ。じゃあそういうことで」
何やら勝手に納得した様子の真々子は、軽くポンと手を叩いて。
「それじゃ次は、お母さん面接ね」
「……は?」
お母さん面接。真々子はそう言ったようだが。
「お母さんと面接よ。だって相手はマー君の彼女になるかも知れない子たちなんだから、お母さんとしてはちゃんとご挨拶しておきたいわ。どんな子かも知っておきたいし」
「いやあのな! 俺が選んだのは彼女候補じゃなくて! あくまで仲間であって!」
「じゃあ冒険の途中で仲良くなって恋人同士になったりはしないの?」
「ぐっ……そ、それはその……」
無きにしも非ずというか期待せざるを得ないところではあるが、言えるわけなくて。
「というかさ! そういうことじゃなくてさ! 誰かを仲間にするには母親チェックを通過しないといけないなんて、そんな話があるわけ……!」
「面白そうですので、母親チェック制度を採用しましたとお知ららせいたします」
「んなっ!?」
追加の書類と共に○×札を手にしたシララセがいきなり入室してきて。
急きょ、お母さん面接を開催することとなった。
面接のために室内を少々模様替え。面接官の真々子と見届け人の真人が二人並び、テーブルを挟んだ向こう側に面接者の椅子を用意。それでは始めましょう。
「これはお母さん面接だから、お母さんが質問するわね。お母さんに任せておいて」
「わ、わかったよ。それじゃ厳正な審査を頼むぞ。……一番の方、どうぞ」
促されて入室してきたのは、仲間候補その一、顔つきも声もはっきりキリリとした重騎兵ルシェラ。
「よろしくお願いします!」
「よろしくお願いしますね。それじゃ早速だけど、ご趣味は何かあるかしら?」
「趣味は、敵に好きなだけ攻撃させた後で受けた痛みを倍返しにしてオーバーキルすることです!」
「精神的に歪んでいそうな趣味をお持ちなのね。……それじゃ、よく行く場所はどんなところ?」
「自分より弱い雑魚モンスターが単体で出現するフィールドにはよく行きます!」
「率直にいじめっ子のなのかしら。……それじゃ最後に、人生設計についてお聞きしようかしら。将来こうしたいとか、何か考えていることはある?」
「攻撃を弾き返してダメージを与えるスキルを習得し、敵を勝手に自滅させてやりたいと考えています!」
「鬼畜としか言いようがないわね……わかりました。それじゃ、私の判定は……」
頬笑みを絶やさぬまま、真々子は……
×札を上げた。ブブー。失格。
「失礼だけど、この方は人としてどうかと思うわ」
「盾として割と普通のこと言ってたはずなんだが!?」
たとえそうだとしても、お母さん面接ではアウトだ。残念。それでは次の方。
仲間候補その二、しっとり癒される微笑みの美女エルフ神官サリーテ。
「よろしくお願いしますね。それじゃ、サリーテさんのご趣味を聞かせてもらえる? 普段はどんなことをしているのかしら」
「わたくしは常日頃より、我らが神へ祈りを捧げております。一日三百回ほど」
「一日六時間寝るとして、四分に一回お祈りしても足りないわね。……それじゃ、よく行く場所はどこかしら」
「各地の森に点在する教会へ赴き、祈りを捧げております。一日二十ヶ所ほど」
「時間的に、もはや教会に入り浸っていると考えてよさそうね。……それじゃ、将来の夢は何かしら」
「全ての人々と共に偉大なる神の御許へ赴けますよう、祈りを捧げております」
「どこまでも祈り続けているのね。ご苦労様です、とだけ申し上げておきますね」
丁寧に愛想笑いを浮かべている真々子の判定は?
×札だ。ブブー。失格。
「ちょ、母さん!? なんで失格だよ!? 相手はエルフで、しかも神官で……!」
「問題はそこね。宗教の自由を否定するわけじゃないけど……仲間になって、『近くにいいところがありますから寄っていきませんか?』なんて誘われちゃったら、ちょっとねぇ……お母さんそういうのお断りするのが苦手だから、ね」
「うっ……そ、そういう点に関しては、俺も少なからず同意するが……」
無宗教の人には少々接しにくい相手ということで、残念。お次の方。
仲間候補その三、声も体も元気に弾むヤンチャな盗賊トリノ。
「ちーっす! よろ!」
「それじゃご趣味を……」
「趣味はやっぱ〝ぶん盗り〟かな! 一発ボコってアイテム取るの! ちょー楽しい!」
「よく行く場所は……」
「盗品買取センター! 手数料が高いんだけど、何でも買い取ってくれるし!」
「将来設計は……」
「いつか王城の宝物庫からごっそり盗みたいかも! シーフの夢だよね! きゃは!」
「そうですかわかりました失格です」
素早く納得した真々子は、速やかに×札を掲げて。
「それじゃ一緒に警察へ行きましょうね」がしっ。
「うええええええっ!? なんか腕掴まれたんだけど!? ものっすごい力なんだけど!?」
トリノを捕まえて連行しようとする真々子だ。悪い子を許さない母の力は凄まじい。
「ちょ、母さん! 落ち着いて! シーフは別に大丈夫だから! 一応盗賊だけど、ゲームではごく一般的な職業だから! これゲームだから!」
「ゲームだからって、やっていいことと悪いことがあるでしょう? お母さんね、そういうところはちゃんとしないといけないって思うの」
「それはそうだけど、そうじゃなくて! まずは話を聞いてくれ!」
その後、真々子を説得するのに三十分ほど要したのだった。
という具合で。
「くっ、全員不合格とか……」
「もうちょっと安心できる職業の方がいいわよね。例えば……あ、そうだわ! 警察官とか、自衛官とか、そういう人たちを仲間にするのはどうかしら!」
「ファンタジー系RPGにそんな職業はねーよ! 頼むからゲームってことを理解してくれよ! ……あーもう! それじゃ他の面子を選ぶから、ちょっと待ってろ!」
真々子の判断基準を採用すると、もはや誰一人として仲間にできなさそうなのだが……それでも真人は懸命に書類選考に勤しむ。
シララセが追加していってくれた書類をペラペラめくって……と。
「……ん? こいつは……」
真人はふと手を止めた。手にした書類をじーっと読み込む。
記載されている冒険者の名は〝ワイズ〟。女、十五歳。職業はなんと賢者。攻撃魔法の総称である黒魔法と、回復や補助魔法の総称である白魔法、両方の魔法を自在に行使できる上級職だ。
ショートジャケットにスカート、真紅の装いで身を固めたその少女は、自信たっぷりの顔つきでこちらを見つめている。あくまで本人画だが。
「能力的にはかなりいい感じだな……魔法による攻撃、さらに回復に補助、オールマイティに活躍してくれそうだ」
「あらまあ、すごいわね。とっても優秀な子なのね。いいじゃない」
と、真々子が横から覗いてきて、一目見て気に入ったようだが。
「えっと……母さん的に、魔法使いという職業はセーフなのか?」
「もちろん大丈夫よ。お母さんね、子供の頃はずっと魔法使いになりたかったの。ちょうどその頃、魔法使いの女の子が大活躍するアニメがあってね。お母さんもう夢中になって見ていたわ」
「そーかそーか。それは助かる。じゃあ魔法使いはOKで……と、言いたいところだが……ん?」
真人の目は、ある一点を見逃さなかった。
「こいつ備考欄に何か書いてある……【あたしを選ばないと即死魔法を連続魔するわよ!】とか言ってるし。ぅわー、頭悪いなーこいつ」
「そんなこと言っちゃダメよ。すごいじゃない賢者さん。二種類も魔法を使えるなんて。顔も可愛らしくて、素敵な子だと思うわ」
「はあ?……あー、まあ確かに顔形は整ってるから、可愛いと言えなくもないけど……」
「マー君の好みとは違うの?」
「そういうことではなくてだな……こいつの目。俺はこの目が気に入らん」
本人画として描かれている彼女の目、吊り目で大きくて尖っているその目……まるで向こうからこちらを睨みつけてくるようなその目が気にかかる。
「この目はダメだ。絶対に性格きつい。上から目線で偉そうなことをぐだぐだ言ってくるタイプだ」
「んー、確かに気が強そうで、じゃじゃ馬さんかも知れないけど……付き合ってみると案外いい子だったりするんじゃないかしら」
「ないない。こいつに限ってそれはない。こいつは賢者のくせに脳みそが残念な奴に間違いない。所構わず魔法をぶっ放して、仲間も建物も地形も吹き飛ばして高笑いを上げるような、いわゆる〝ドラまた〟系だ。勇者としての俺の勘がそう言っている」
「んー……マー君がそう言うなら、そうなのかしらね……」
「そうなんだよ。というわけで、こいつは却下。はいサヨナラ。ワイズお疲れー」
ワイズの書類を手でクシャッと丸めて、ポイッと捨てる。
丸められた書類が床に落ちた、その拍子に「あたっ!?」と何かが言ったような聞こえたような、そんな気がしたが、まあ気のせいだろう。そんなわけない。ないない。
「さて気を取り直して、お次は……お、待望の生産職発見」
仲間候補その四。名前は〝ポータ〟。十二歳。職業は旅商人。アイテム生産に加え、鑑定や店での割引など、とても助かるサポート能力も持っているとのこと。
本人画は、ほわっと柔らか可愛いい女の子。円らな瞳でじっと見つめてくるその顔は幼い純粋さで溢れている。とっても素直な子なのだろう。
「ふむ。悪くない……充実のサポートスキル、そして妹的な存在感……俺が丹精込めて育ててやりたい素材だ」
「あらまあ、可愛い子ね。それじゃ次はこの子をお母さん面接ね」
「やっぱやるのかよ……」
というわけで。
真人たちの前に現れたのは、十二歳の女の子。
名前は〝ポータ〟。職業は旅商人。
旅商人とは、定住して店を構えて商売をするのではなく、世界各地を旅しながら、ダンジョンや水中や空中など現地状況を問わず、あらゆる場所に出現してのアイテム売買を生業とする者である。トレードマークは、ぷっくり膨らんだ大きなショルダーバッグ。
ポータはそのバッグをしっかりと抱えながら、極限まで緊張した顔つきで真人たちと向き合った。
「よっ……よよよよろしぇくお願いしゃすっっっ!」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「大丈夫だ、落ち着け。そんなに緊張しなくていいからな」
「はひっ!」
緊張するなと言っても、そんなの無理で、十二歳にしては低い背丈を必死に伸ばし、きちんとしようとしている姿がとっても可愛いポータだ。可愛い。
「それじゃまずは簡単な自己紹介を」
「はい! 自分はポータです! テストプレイヤーです!」
「おおっ、プレイヤーか! レアゲットだぜ!」
「まあ! ポータちゃんもテストプレイヤーなのね!……じゃあお母さんはどちらにいらっしゃるの?」
「じ、自分のお母さんですか? それは、その……えっと……」
真々子の唐突な質問を受け、ポータはちょっと困ったような顔をした。だがすぐに顔を上げる。
「自分のお母さんは、お仕事の関係で、ちょっとゲームを休んでいます! 自分は一人で旅していますけど、運営の人から許して貰ったので大丈夫です! 全然問題ないです!」
「あら、そうなのね。ポータちゃんのお母さんはお忙しい方なのかしら」
「ふむ……」
ポータは何やら必死になっているようで、少々気にかかるところだが……運営がそれを許可しているというのなら、大丈夫と判断していいのだろう。ここは不問に。
「よし。それじゃ次は俺から質問させてもらうぞ。準備はいいか?」
「はいっ!」
真人は厳しい面接官の面構えでポータを見据え、じっくりと質問する。
「ではまず、ポータはどんな風に役に立つのかを俺たちにアピールしてくれ。商人なんだから、売り込みは得意分野だろ?」
「はい!……えっと……自分の職業は商人です! なので基本スキルとして、買い物や宿屋を利用する時に割引が発生します!」
「素晴らしいわ! ポータちゃんは歩くクーポン券なのね!」
「なあ母さん。確かに事実だが、そこはもっと別の言い方をしてやってくれ」
「あと、これも商人の基本スキルとして、仲間がそれぞれ持っているアイテムをまとめて管理できるパーティストレージが使えます! 通常よりもたくさんのアイテムを所有できます!」
「所有って、もしかしてポータちゃんが持つの? どこに?」
「そのバッグだろ。魔法のアイテム的な感じで」
「はい! これは初回特典として貰った、商人専用のすごい装備です!」
ポータは抱えたバッグをポンと叩いて見せつけてくる。
「このバッグ一つで三百個のアイテムを保管できます! アイテムの大きさや重さは問いません! お荷物は全部自分にお任せです!」
「まあすごい! 便利な収納道具があるのねぇ……布団圧縮袋で喜んでいた自分が悲しくなってくるわ」
「毎年夏前になると、母さんは汗かきながら掛け布団をしまってたよな……」
「でもマー君は今まで一度も手伝ってくれなかったわよね」
「そ、そういうこと言うなよ……今度からはちゃんと手伝うよ……」
布団圧縮袋を使うと、ペッタンコになった布団を押し入れにたくさん収納できるようになるので、それはそれでちゃんと便利である。そんなことはさておき。
「商人を仲間にするとかなりお得だということがわかった。だがまだまだこんなものじゃないだろ? 書類には、他にもスキルを所持していると書いてあるけど?」
「はい! 自分は鑑定スキルを習得しました! 手に入れたアイテムの名前や効果をすぐに知ることができます! 値段もわかります! あと、あと、アイテムクリエイションのスキルもどんどん覚えていきます! 必要なアイテムは自分が作ります!」
「それこそ俺が最も求めていたものだ。ポータがいれば回復アイテムや補助アイテムに困ることはないという理解でOK?」
「はい! 自分にお任せください!」
ポータはビシッと敬礼して、澄みきった目を輝かせながら真っ直ぐに見つめてくる。いいよこの子。すごくいい。この子とは仲間以上の何かになりたい。
だが。
「ふむ。ここまでポータのアピールポイントを聞いてきたわけだが……ぶっちゃけ、いいところばかりというわけでもないよな? マイナス面は当然あるはずだ。違うか?」
真人は意地悪な面接官の顔で尋ねた。……可愛く困った顔をもう一度見たいかなー、なんてことをちょっぴり考えていなくもない。
しかしポータは、純真な瞳を逸らさないまま、はっきりと告げてくる。
「自分は非戦闘で登録しました! なので戦闘はできません!」
「そうか……じゃあ完全に戦力外。戦闘要員の本数が増えないな……」
「でも、でも、その分、荷物の管理やアイテム生産をします! できることを一生懸命します! 何でも言ってください! 自分、頑張ります!」
「ふむ……」
真人とポータ、しばしの睨み合い。それでもポータは視線を逸らさない。
この子は、いい子だ。間違いなくいい子。とびっきりのいい子で、しかも優良スキル持ち。さらにテストプレイヤーというレアリティまで。
非の打ちどころがないとは、まさにこのこと。
「ねえマー君、もう充分じゃないかしら。お母さんの気持ちはもう決まっているけど?」
真々子はすでに○札を掲げている。ピンポンピンポーン。花丸合格のようで。
「そうだな。俺も異論はない。……じゃあ……」
「ポータちゃん、うちへお嫁にいらっしゃい!」
「はいっ! 自分、お嫁さんになります!」
ポータが嫁になった。やったね。ロリ妻ハネムーン。
「ばっちこーい、だけどそうじゃなくて!……おい母さん! 俺たちは今仲間を作ろうとしているんだぞ! いい加減に俺の彼女とか嫁とかそういうのから離れろよ!」
「そ、そうね、ごめんなさい!」
「よろしい。それじゃあらためて。……ポータ、俺たちの仲間になってくれるか?」
「はい! 自分、精一杯頑張ります! よろしくお願いします!」
旅商人ポータが仲間になった。
「これからよろしくな、ポータ」
「こちらこそよろしくお願いします! えっと……勇者様! 勇者様のお母様!」
「こらこら。私たちは仲間なんだから、そんな堅苦しい呼び方はダメよ。私のことは〝お母さん〟とか〝ママ〟って呼んでくれてもいいわよ? マー君のことは〝マー君〟で」
「それはやめろ。普通に真人でいいから。ちなみに母さんの名前は真々子だ」
「では、真人さん、ママさん、とお呼びします。それでいいでしょうか……?」
「OKだ。できれば言葉遣いをもっと柔らかくしてほしいところだけど、その辺は一緒に旅をしていく間にどうとでもなるだろ。これからどんどん仲間らしくなっていこうぜ」
「はい! 自分、頑張ります!」
小さな手をきゅっと握って頑張るポーズ。何この可愛い生き物。可愛がりたい衝動に駆られた真人はポータのほっぺをこしょこしょくすぐった。「はぅ~! くしゅぐったいですぅ!」「むっふっふ。よいではないか、よいではないか」「マー君……」「はっ!? そんな悲しい目で俺を見ないでくれ!?」母親の目の前で欲望を爆発させるのは大変危険です。
さて、と。
「それじゃこの調子でどんどん仲間を増やしていこうぜ!」
「そうね。お母さんもどんどんお母さん面接するわ」
「それをやられると不合格連発だろ……うぅぅ、途端に疲れが出た……少し休憩を入れるとするか。シララセさんにお願いして何か飲み物でも貰って……」
と、真人が席から立ち上がって歩き出すと、不意にクシャッと音がした。「ん? 何か踏んだぞ?」足下を見てみると、先程丸めて捨てた書類をうっかり踏んでしまっていて。
刹那。
「いったああああああああいっ! ちょっ、何すんのよこのヴァカあああああああっ!」
「へ?……ぉわっ!?」
踏まれた書類が突然爆発し、真人は吹き飛ばされて転がって机に頭をゴスンッと。「はがっ!?」ちょー痛い。これまで生きてきた記憶が吹っ飛びそうなほど痛い、しかしそんなことより。
爆発で巻き起こった煙幕の中に人影がある。ワナワナと震えるその人影は、床を割りそうな勢いで踏みつけながら一歩一歩近づいてくる。
姿を見せたのは、幾何学模様が織り込まれた真紅のジャケットを着た少女。
大きく尖った目を吊り上げて激怒している顔、その頬の部分には足跡がくっきり。
「っざけんじゃないわよ! こっちが大人しくしていればいい気になって! いい加減にしないとマジで即死魔法を連続魔するわよ!? ダース単位でお見舞いするわよ!?」
「ダース単位ということは十二回か」
「連続魔だからその倍で二十四回っ! ていうか何を冷静に言ってんのよ! ああもう腹立つ!……このあたしを虚仮にしてくれたこと、きっちりお礼をさせてもらうから! ちょっと面貸しなさいよ!」
顔面足跡少女は、掲げた手に辞典のような分厚い本を出現させ、ページをめくって呪文を唱える。
「スパーラ・ラ・マジーア・ペル・ミラーレ……移送(トラスポルト)!」
それは一瞬の眩しさと浮遊感だった。