八月二十八日
夏休みも、そろそろ終わる頃。
明るい夜空を見上げて、時計の針は午後九時。
夏の湿った空気をかき分けて、ぼくこと和藤(わとう)尊(たける)は校門の鉄柵を乗り越えた。
――プールに幽霊が出る。
ぼくに調査を命じた生徒会長が曰く、夜のプールに女生徒の幽霊が出るらしい。
それも、ただの幽霊じゃない。
ぼくと同じ高校に通っていた女子高生の幽霊だ。
同学年の彼女は、先日に高校付近の交差点で起きたひき逃げ事件の被害者らしい。
そんな実在した人物を、怪談に仕立てるのは不謹慎で失礼なこと。
――だから、否定してやろうと思った。
夜の校舎に侵入して、一晩プールとにらめっこ。
死者を冒涜するくだらない噂話に、終止符を打ってやろうと決意した。
「チョロいね」
暗い校舎を背景に、夜の校庭を駆け抜ける。
脳内にスリリングなBGMが流れて、高まる鼓動がテンションを盛り上げる。
ハラハラと走り抜けた夜のグラウンドからは。昼間の夕立が残した雨の匂いがした。
ぼくは、プールに到着した。
立ちはだかるのは、プールサイドを囲む金網のフェンス。
小さな障害にすぎないと、ぼくは鼻で笑う。
――カッカッカッ
近づいてくる、だれかの足音。
フラフラ不規則に動く、懐中電灯の光輪。
あわてて茂みに潜り込み、無言で身をかがめる。
ギィッ……と、ドアが開けられる音。
どうやら、プールの更衣室を点検しているらしい。
足音が近づく。
マグライトの明かりが心臓に悪い。
コツコツ……と、足音が遠ざかっていく。
ふぅーと、安堵の吐息が漏れた。
茂みの隙間から見えた、針金みたいにごついムダ毛が生えた足には見覚えがある。
体育教師の郷田(ごうた)先生だ。
47歳独身の水泳部顧問が深夜に見回りしているのは、幽霊騒動の対応かもしれない。
安全を確認して、茂みから出る。
あたりを見渡す。人影は見当たらない。
プールのフェンスに手をかける。金網をつかむ。体を引き上げる。
スタッと、プールサイドに着地。
――ちゃぷ。
地面に両手をついた着地姿勢で、水の跳ねる音を聞いた。
心拍数が跳ね上がって、手のひらに汗が滲んでくる。
本当に幽霊が……いやいや、幽霊なんて存在するハズがない。
だけど、事故が起きたのは、
… ちゃぷちゃぷ。
……どうにでもなれ。
…
ぼくは、覚悟を決めてプールを見た。
女の子がいた。
カワウソみたいに水面からアタマだけを出した女の子がいた。
『…………』
キョトンと呆けた表情で、ぼーぜん、おどろき、お口をあんぐり、
瞳がまんまる、ハニワの表情。
ぼくも彼女も呆気にとられて、思考停止のタイムストップ。
深夜のプールで始まった、二人っきりのにらめっこ。
それは、何秒か続いて、
――ちゃぷっ。
女の子が潜った。その動きはカワウソ娘。
小顔で小柄な小動物系の彼女は、やっぱり絶滅したニホンカワウソの、
「ワケないからぁ!?」
セルフでつっこみながら、水面を眺めるけど。
女の子が浮上……しない。
まだ浮上しない。沈んで行方不明。
脳内カウントは継続中で、もう一○○秒を超えた。
なかなかのタイムだけど……もしかしてニホンカワウソな女の子。
――プールで溺れてる?
「ちょまぁっ!」
いや、アレ絶対に溺れてるから!
慌ててぼくは、服も脱がずにプールにロケットダイブ。
「キミっ! 大丈夫!」
沈んだカワウソ娘を抱きかかえて、ぼくは気づいてしまった。
月明かりに照らされる彼女が、とってもキュートな美少女であることに。
つぎに、紺色のスクール水着を着ていることに。
それと、透け透けで丸見えなことに……いや、違うんだ。
お肌が透き通ってるとか、濡れた水着が透けてるとか、比喩的な意味じゃなくて。
「顔が透けてる……体も透けてる……」
彼女の全てが、幽霊みたいなスケルトン仕様で。
「……おばけェェ!! むぎゅ!」
『シッ、見回りの先生にバレちゃいますっ!』
やばい、こいつガチの幽霊だ!
恐怖で叫んだぼくの口が、半透明な手で押さえつけられる。
唇の前で人指し指を立てて、歯の隙間から『シィー』と、息を吐かれる。
二人の顔はゼロ距離、女の子と至近距離。
吐息の熱さを肌で感じて、半透明な指から体温が伝わる。
沈黙、しばらく、つーか幽霊にも体温あるんだね。
そして、
『もっもぅ……らめぇでしゅ……』
「らめぇ?」
とつぜん、幽霊が喘ぎ始めた。
ワッツ? 喘ぐ? なぜ赤面するの?
幽霊の美少女は、体をクネクネ、一体なにが起きる?
ぼくの頭脳はショート寸前で、混乱、パニック、わけわかめー。
もじもじとスレンダーな体をクネらせる、半透明な幽霊美少女を眺めていると、
『さっきチョロッと出たのぉ……まだ我慢して……んんゅ』
どうやら彼女は、何かを我慢しているらしい。
それが何か分からないけど、たぶんアレを我慢しているんだろう。
幽霊の美少女が我慢している、口に出したくないアレとは……ハハハ。
まさかね。そんなこと、あるわけないよね?
「もしかして、おしっこ我慢してる?」
半信半疑で尋ねてみると。
幽霊の美少女は、恥ずかしそうに頬を染めながら、
――コクコク。
赤面したお顔を、上下に動かすわけで。
『もほぉ……限界れしゅ……』
あはは、やっぱりおしっこを我慢してたんだ。
生理現象なら仕方ないよねぇ~って、死んでるのに生理現象って起きるの!?
「つか、限界とかマジっ!?」
『は、はい……もう出ちゃいましゅ』
それってつまり、今ここで漏らすんだよねっ!?
ぼくに抱きかかえられた状態で……って、この状況はヤバすぎるよッ!
いま漏らされたら、こっちに被害がァァァ!?
「ちょっ、タンマ!」
『らめぇですよ……時の流れは万物平等……決して止まることのない』
「緊急事態に、ンなラノベみたいなセリフはいらないから!」
ぎゃぁぁ! 逃げないとっ!
幽霊とか関係なしで、爆発寸前の時限爆弾から逃れる的な意味で!
――だけど、遅かった。
抱きかかえた幽霊ちゃんの股間ぐらいの高さで、とても温かい水流を感じたから。
それは、冷たい水とコントラスト。
柔らかなぬくもりで、ぼくをじんわり温めてくる。
Q.コレは何ですか?
A.女の子のおしっこです。
『あぁ、んんゅっ』
スクール水着の美少女幽霊は、ぼくに抱き抱えられた状態で喘いでいる。
夢心地な表情で、今にもダブルピースしそうな顔で『あぁんっ』とか『んくぅ!』。
「……おしっこ漏らしてるよね?」
ぼくのストレートな質問に。半透明の美少女は、
――コクコク。
朱色に染まった頬を恥ずかしそうに上下させたって、この幽霊なにやってんのぉぉ!?
おかしいよね!? プールで放尿とか!?
生きてるとか、死んでるとか、もはや関係なしで!?
『んんっ』
しかも、まだ喘いでるしっ!
めちゃくちゃ気持ち良さそうに、抑えきれない快楽を漏らしてるし!
夜のプールで幽霊の美少女を抱きしめながら放尿されるとか、シチュエーションが狂いすぎて前代未聞だよっ! 自分でも何を言ってるか分からないよ!
『はぁはぁ……ぁんん』
幽霊美少女は、早くて浅い呼吸で喘ぎ続けている。
トロりと緩んだ瞳は、淫らで虚ろでいまだ焦点を取り戻していない。
恍惚に身を委ねる幽霊は、ぼくに問いかけてきた。
『あぁ……くぅ……水の中でおしっこするのって、気持ちよくないですか?』
アタマのおかしいことを。
『冷たい水の中に広がる、おしっこのぬくもりが』
「分からないよ……」
それは、素直なコメントだった。
ドン引きで、ガン引きな、マジ引きのコメントだった。
つーか、あれだよね。
さっき感じた、みょーに生温かい水流。
あれって、幽霊ちゃんがプールの中で漏らした、おしっ
「うわぁぁぁ――ッ!?」
かけられたぁ!
半透明な幽霊の美少女に、おしっこをかけられた!
その状況を、声に出して説明すると。
「あ、ありのまま起きことを説明するよ……ぼくはニホンカワウソを助けたと思ったら幽霊に放尿された……なにを言ってるのか分からないと思うけど、ぼくはキミに何をされたのか分かりまくってるよ、ちくしょうっ! キミに放尿されたんだよ!」
『わたしは最高でした……瞬間絶頂とか、超快感とか、チャチな快感じゃなくて……』
「キュートに恥じらいながら、変態トークをされても困るからっ!」
『余韻だけで感じて……きゃ、恥ずかしっ』
「かわいく恥じらってないで、すこしは幽霊らしくホラーに振る舞ってよ!」
『わたしはトムです』
「それはニューホライズン! ホラーじゃなくて英語の教科書だよっ!」
『じゃあ、サイコロみたいにぶあつい』
「それは境界線上のホライゾンビ! 鈍器の異名を持ち銃弾ですら受け止める極厚ページのヘビーノベルだから!」
『なら薄い方の話をしましょう。髪の毛が薄い人が銀行で』
「オチは聞いてないけど、全国のハゲに謝ろう!」
『オチは「毛根(もうこん)わ!」です』
「やっぱりキミはハゲに謝るべきだよ!」
『てへぺろっ☆ 毛(もう)死(し)わけありません。話は変わりますけど、テレビのニュースで流れる謝罪会見とかで、不祥事を起こした企業の社長さんが頭を下げるとき、カメラのフラッシュが一斉に光るじゃないですか?』
「うん。よく見かけるね」
『あれって、目くらましですよね?』
「確かに眩しいけど!? あと謝罪会見で謝る人のハゲ率は異常に高い気がするし、カメラのフラッシュが頭頂部で反射して画面がまばゆい光に包まれる光景は、ある種の神聖な魔法を連想させるけど、今ならまだ間に合うから全国のハゲに謝罪しようね」
『はげぺろっ☆ 毛(もう)死(し)ません。それで質問の続きですけど』
「どんな質問だっけ……会話の飛び具合がアクロバティックで忘れちゃったよ……」
『水の中でおしっこするのって、気持ち良くないですか?』
ぼくに、お姫さま抱っこされたまま。
幽霊は、透き通った瞳をキラキラさせながら問いかけてくる。
『分かります! やっぱ水中放尿に言葉は無粋ですよねっ、きゃはっ☆』
「なにそのポジティブ翻訳っ!?」
『人の発言を意図的に誤訳するのは、人生を幸せにするコツなんですよぉ♪』
「人生終わってるキミに、幸せな人生を送るコツを語られても困るから!? プールでおしっことか、時代が時代なら水源汚染で死罪だよ!?」
『批判は覚悟です。水中放尿は他言無用で門外不出、堕落と魅惑の快楽行為ですから』
「ただの迷惑行為だよ!」
『否定はしません。でも、気持ちいいから仕方ないんですよぉ!』
「それって、自分の行為を正当化する犯罪者の思考回路と同じパターンだよね?」
『水中放尿が罪になるなら、わたしは悪で構いません』
「どこのダークヒーロー!?」
『正義の反対はまた逆の正義です。つまり悪なんて存在しない。だから水中放尿も』
「悪いことだから、キミは反省しようね?」
『いまの常識ではそうでしょうね。でも地動説を唱えたガリレオ・ガリレイは』
「犯罪を正当化する過程で偉人を侮辱するのは、そこまでにしようか?」
『オチは、みんなで地球を輪姦(まわ)しているです』
「壮大なエロ展開!?」
『ちっちっちっ。この世には間違っているけど、じつは正しいこともあるんですよ?』
「あの世の住人であるキミは、どうしてドヤ顔で現世を語るかな?」
『その程度では、わたしを逝かせられませんよ。さっきほぼイキかけましたけど、水中放尿は意識がふわっとイキかけるぐらい気持ちいいんです。特にパンツを履いたまま水の中でおしっこすると、快楽度がグーンと上昇するんです。グーン。知ってました?』
「知らないしっ、ノリノリだしッ、ぼくの話を聞かないしッッ!」
『水の中で漏らした温かいおしっこが、股間を基点にじわーと広がるんです。冷えた下半身にぬくもりが広がっていく絶頂たるや、あぁ~んっ♪』
「言葉のキャッチボールを放棄して、余韻に浸らないで欲しいな……」
『そもそも水中放尿とは、太平洋戦争中に……ハッ!?』
まるで、スイッチが切り替わったみたいに。
水中放尿の魅力を力説する幽霊美少女が、ふと我に返ったようで。
――カァァァっ。
半透明なほっぺたが、恥じらいのクリムゾンに染まり、
『はわわっ、聞いちゃいました?』
「うん。幽霊のキミが水の中でおしっこ漏らして感じる、ド変態だって」
『"あ"あ"あぁ――ッ! 死にます! わたしの恥ずかしさが恥死量に達しました!』
「だれがうまいことをry それにキミはもう死んでるよね?」
『あなたこそうまいことをry そういえばわたしって死んでましたぁ!? 申し訳ありませんが、幽霊の自殺方法をググってくれませんか?』
「なんでも知ってるグーグル先生にも回答できない質問があると思うんだ……あとググるのは無理っぽい。プールに飛び込んだせいで携帯は壊れただろうから」
『プールに飛び込んだ?』
「キミを助ける為にね。てっきり溺れてると勘違いしてたから」
『…………』
「さすがに、溺れる前に死んでいたのは予想外だったけど」
『……ごめんなさい』
「別にいいよ。とにかくプールから出よう」
プールサイドに手を伸ばして。
水を吸った服の重さを感じながら、気合いでよじ登ると。
『あれ?』
ぼくの背後で、半透明の美少女が『引っ張られますぅー』へんなことを言う。
とくに気にせず、濡れた体でプールサイドをびちゃびちゃ。
半透明の美少女は、釣り上げられた魚みたいに水面から飛び出た。
夏の夜空にプカプカと浮かびながら、幽霊の美少女は頭上に『?』を浮かべている。
「どうしたの?」
『そのぉ、向こうにダッシュして下さい』
「プールサイドを走るなって先生が……こんな感じで?」
軽く走ると、彼女も後ろから追いかけて。
――いや、違う。
あれは、ぼくに引っ張られている。
ロープで引きずられるみたいに、一定の距離を保って空中を平行移動している。
『たいへん申し上げにくいのですが……』
半透明の美少女が言った。
『幽霊のわたし、あなたに取り憑いちゃいました……』
〈1〉
幽霊で、水中放尿フェチで、スクール水着の美少女。
死後も変態道を全力疾走中の彼女は、生前の名前を「白瀬(しらせ)由宇(ゆう)」というらしい。
「すこしは幽霊らしく振る舞おうよ……」
『わたしの人生オワタ!』
ぼくに憑依したのは、幽霊要素が感じられない幽霊だった。
プールでおしっこするし、触れるし、触ると温かいし、明るく元気で能天気だし。
ずぶ濡れで帰路を歩きながら、笑顔を絶やさない背後霊にポツリ。
「ほんとに幽霊なの?」
『イエス! アイム、ゴースト! です!』
「YOU、霊?」
『ノーです! マイネーム、イズ、由宇! です!』
「YOU、由宇?」
『白書っ♪』
「……由宇って、ノリがいいよね」
『てへっ』
冨樫でHAHAHAな会話を交わしながら。
ぼくは幽霊の由宇から、死後の世界の仕組みを学んだ。
『四十九日システムを知ってますか?』
由宇が曰く、死んだ人間は四十九日間、現世に留まる時間を貰えるらしい。
この時間は幽霊の課金ポイント的なもので、滞在時間を代償に色々なことができる。
「買い物もできるの?」
『はい。青い人魂のオブジェとか、ドロドロした効果音とか』
「なにそれ?」
『幽霊っぽさを演出する小物です。やっぱ雰囲気は大事ですから』
「でも、滞在時間で買い物すると」
『現世に留まれる時間が短くなりますね。ちな青い人魂のお値段は滞在時間30日分です』
「高っ!?」
『しかも、効果時間は七秒です』
「使い捨てアイテムなの!? あの人魂って!?」
『ですね。人気商品の効果音グレネードも使い捨てアイテムですよ?』
「アイテム名だけで、なんとなく使い方が分かったよ……」
『たぶん想像した通りです。安全ピンを引き抜いてヒュ~ドロロ。他の人気アイテムだとメイクがありますね。滞在時間を代償に姿を変えられます。自分が死んだ瞬間や、死体発見時をイメージして、火傷シールとか、腐乱スプレーとか、白骨クリームとか』
「ネットゲームの課金みたいだね」
『似た感じです。日額課金が払えなくなると、即アカウント剥奪ですけど』
幽霊が滞在時間を代償に購入できるアイテムは、基本的にぼったくり価格らしい。
そう簡単に心霊現象は起こさせてくれないということか。
だからこそ、死んだ人間は与えられた四十九日間の滞在時間を大事にするそうだ。
「それで、幽霊は普段なにしてるの?」
『人によって様々ですね。多いのは自分のお葬式に参加して、遺族や参列者の反応を観察することらしいです。自分の死を悲しんでくれる参列者に涙ぐんだり、面倒くさそうな親族にため息を付いたり、遺産を巡って争う息子たちをニヤニヤ眺めたり、自分が親友だと思ってた人が葬式会場で喪服姿の彼女を寝とるのを見て死にたくなったり』
「リアルな反応だね」
『まあ、ほとんどの男性は覗きにチャレンジするみたいですけどwww』
「犯罪でしょ!? それは!?」
『あはは、バレなきゃいいんですよっwww』
「良くないから!」
まさに、衝撃の事実だった。
この世にはたくさんの幽霊がいて、ぼくたちのプライバシーを覗き見していた!?
たとえば、ぼくが自室であんなことやそんなことをしているのも……
『でも、大抵は失敗するみたいですよ? 基本的に幽霊は生前に入れない場所には死後も立ち入り規制されて入れませんし、死神さんが設定したのぞき見バリアーもあるんです。他人の家とか、異性の更衣室とか、女性のスカートの中がそうですね』
「それを聞いて安心したよ」
『わたしも見たかったです……』
「由宇も覗きにチャレンジしたのっ!?」
『まさか、窓から覗くことすらできないなんて……』
「どこを見ようと!?」
『人には言えない場所です。本当になんなんでしょうね? 肝心なところが見えないように出現する、謎の光とか、湯気とか、プレイエリア外とか……』
「それはいいけど、さっき死神って?」
『はい。死後の人間を管理する、公務員的な人たちです』
死神は死後の案内係らしい。新参幽霊の元にやって来て、死後のルールをレクチャーしたり、課金アイテムの購入方法を教えてくれたり、各種セミナーや来世説明会への参加を呼びかけたり、死亡場所から離れられない地縛霊には遠隔通信サービスの説明をしたり、多くの人が同時に死亡する大規模な事故現場や戦場では集団説明会を開催したり、合格率が1%を下回る死神採用試験(霊体部門)の受験案内や、死後の幽霊をターゲットにした詐欺や悪質な勧誘への諸注意をしてくれたりと、ようするに人は死んでから三時間ぐらいは拘束されるものらしい。うわっ。面倒くさそう。
それよりも、
「もしかして、見えないだけで由宇以外の幽霊も?」
『いますよ。生きた人間さんに比べると少ないですけど。出会う頻度は街中で野良猫を目撃するのと同じぐらいですね』
「例えが秀逸で、だいたい分かったよ」
由宇に聞いた感じだと、死後の世界はそれなりに楽しいようだ。
だけど幽霊は怖い。そのイメージは正しい。
多くの滞在時間を代償にすれば、幽霊は生きた人を呪い殺すこともできるそうな。
死後の幽霊を管理する死神に申請書を提出して、それが受理されて規定の滞在時間を支払うことで生前の恨みを晴らすことができる。ちなみに呪いたい相手への恨みや関連性が強いほど必要な滞在時間は減り、その他の特例もあるとのこと。
『他にも政治や軍事目的での幽霊活動は禁止だったり、生前に信仰していた宗教によっては幽霊にならないそうです』
「へー、フリーダムに思えてしっかりしているんだね」
『死神って、マニュアル至上主義のお役所仕事ですからね』
なぜ死後にこんな制度ができたのかというと、日本には古来より亡くなってから四十九日間は現世に留まるという考えがあるからで、昔はこれで上手く回っていた。
だけど一九〇〇年に四五〇〇万人ぐらいだった日本の人口は二〇一四年の時点で一億二六八九万人と倍以上に増えて、年間死亡者数は約一二七万人。死後の人間を管理する死神たちの仕事量は増える一方で、ようするに「さっさと滞在時間を使って成仏しろ」ということだ。死神の人手不足は深刻らしくて、最近は低コストで労働力を増やせる非正規雇用の死神も増えてるとのこと。あの世もこの世も世知辛いね。
この死神の人手不足こそが、死後の課金がぼったくり価格な理由で、現世に影響を与える課金や多くの人が望む課金であるほど、価格設定はシビアになっているらしい。
ちなみに、ぼくに取り憑いた幽霊の由宇は、
『わたしは三十九日分を費やして、一日に一度だけおしっこする能力を手に入れました』
尋常ではない変態行為に、大きな代償を支払っていた。
死後の滞在時間を代償に購入できるアイテムは、常にサービス価格の一部定番商品を除けば、人気だったり、現実世界に影響を強く残すモノほど、価格が高くなる。
由宇の一日に一度だけおしっこをする能力は現実世界に与える影響は強いけど、コイツ以外は購入しないレアな願望だ。なので現実世界に影響を強く与えるというかプールの水を汚染しまくるのに、滞在時間三十九日分という格安で購入できたらしい。
余談だけど、この変態は他の無駄遣いもしていた。滞在時間三日分を代償に水密性が高くて水中放尿の快感が長続きする、学校指定のスクール水着に着替えたそうだ。
うん、由宇って清楚なツラしてガチの変態だよね。
あと、普通の人には幽霊を見ることができないらしい。
いわゆる視える人――霊感体質の人は見えるけど、ぼくみたいな凡人には見えない。
でも、ぼくにも幽霊の由宇が見えた。
なぜか? それは由宇が購入した放尿異能のおかげだ。
由宇は滞在時間の三十九日分を費やして、一日に一度だけ放尿する能力を購入した。
その異能でおしっこをする時だけは、普段は見えないハズの霊体が放尿という物理行為をすべく実体化して見えてしまう。
ぼくが目にしたのは、その放尿作業の真っ最中だったわけで……ごめん。
「アタマが痛くなってきたよ……」
『なでなで』
幽霊にアタマをなでなでされて気持ち良かったのは秘密で、さらにアタマが痛くなる余談だけど、さっき由宇が行っていたのは膀胱内の尿を分割放出することで一回分の放尿量で複数回の快楽を味わえる「水大蛇(みなおろち)」という奥義らしいけど興味ない。
「ところで、由宇はいつまで現世に滞在できるの?」
『八月三十一日が最終日ですね。今日は八月二十八日の夜なんで……えーと、あと』
「なんか、全然悲しそうじゃないよね」
『はい、運命ですから』
あはは、と、無邪気に笑う。
どうやら、彼女なりに自分の死を受け入れているらしい。
『消えゆく運命だからこそ、残りのおしっこは無駄にしたくないんです』
「それ、シリアスな表情で言うセリフじゃないから……」
変態は変態なりに、残り少ない時間を過ごすそうだ。
『おはなしは変わりますけど、わたしって地縛霊だったんです』
「地縛霊とは?」
『土地や建物などに取り憑いた幽霊です。死んだ場所に憑くことが多いそうですね』
「由宇が死んだ場所というと?」
『交通事故の現場です』
そうだった。
生前の白瀬由宇は、学校前の道路で起きたひき逃げ事故で亡くなっていた。
『あの日、交通事故の現場で――わたしは警察が現場検証する光景を眺めていました。お巡りさんの会話を盗み聞きして、自分の名前と自分が死んだらしいことを知りました』
「自分の名前を盗み聞きして?」
『はい。わたし、事故以前の記憶がないんです』
由宇は記憶喪失の幽霊らしい。
死ぬ時に強く頭を打ったのが原因かもしれないが、詳細は不明とのこと。
記憶喪失といえど、思い出せないのは自分のことだけ。好きなアイスの味や、チョコミントへの憎悪は覚えている。
話がややこしくなってきたと思ったら、
『死後のわたしに残っていたのは、水中放尿への熱い想いだけでした。だからですね、死神さんの説明を受けた後は、自然と近くのプールにフワフワと引き寄せられて、気づいたらそこに縛られて移動できなくなっちゃったんです、えへっ☆』
「そして、ぼくに取り憑いたと?」
『はいっ! 不束者ですが、残り少ない余生にお憑き合い下さい!』
「言い回しがホラーで怖いよ!?」
笑顔で楽しげな由宇を眺めていたら、シリアスな悩みはどうでも良くなった。
けど、
「由宇、これも何かの縁だから」
『もしかして、わたしに協力してくれるんですか?』
「うん。由宇に取り憑かれたのも何かの縁だし、できることなら何でもするよ」
『なら、ひとつだけお願いします』
由宇は真剣な眼差しで、ぼくを見据えてくる。
きっと彼女は望むだろう。
自分をひき逃げした犯人が、相応の報いを受けることを。
『明日の夜も学校に行って下さい! わたし、また水中放尿がしたいです!』
ぼくは、その場でずっコケた。
だって普通は許せないよねっ!? ひき逃げされて死んだら怒るよねっ!?
無関係のぼくですら、正義感から怒りを覚えてるのに。
『いいですか、水中放尿の始まりは第二次大戦に遡ります。軍艦に乗艦していた兵隊さんが、艦を撃沈されて冷たい海に投げ出されました。彼は漂流中に尿意を覚えて海の中で放尿したんです。それが暖かくて気持ち良い……その兵隊さんは一度の放尿で快感を失うのが勿体なくて、おしっこを二回に分けて放ちました。分割放尿の始まりです』
「へー、そうなんだ……」
由宇の熱弁は、ぼくが自宅に到着するまで続いた。
八月二十九日
〈2〉
窓辺で、チュンチュン小鳥が鳴いていた。
夏の日差しが部屋に差し込んで、まぶたを開けてウェイクアップ。
「ん……朝みたい」
昨晩はひどい目にあったよ。濡れた服で家に到着してお風呂に入ったら由宇に裸を見られて……ワザと覗いたと思う。トイレで用を足してたら、ドアからヌゥーと由宇の顔がすり抜けてきて、恨めしそうな表情で『貴重なおしっこがぁ……』と。
「……ひどい一日だったね」
昨日を振り返って、プチ鬱モードの朝八時。
ベットから身を起こして、乱れた布団に手をやると、
――むにゅ。
なにか、柔らかい物に触れた。
寝ぼけた頭でペタペタすると、フワッと髪の毛の感触がした。
布団の中には、
『くぅー、くぅー』
キュートな寝息を立てながら、幸せそうに眠る半透明な美少女。
由宇に憑かれたぼくは、由宇が見えるし、声が聞こえるし、肌に触れることもできる。
「幽霊も寝るんだね……」
『くかぁー、すやぁー、むにゃ?』
「永眠したのに寝ぼけるのはどうかと思うんだ。あと朝だから起きようよ」
言い終わってから「幽霊は夜が活動時間だから朝は寝かしておくべき?」か悩んだけど、脳内会議の結論は「どうでもいい」だった。
『みゅふぅ……おはむにゃごにゃ……すぅーすぅー』
「まだ、半分寝てるみたいだね」
『ふわぁぁ……不慣れな枕で寝違えちゃって、首がアイタタッ……すぅーすぅー』
「セリフの途中で落ちないで」
幽霊が首を寝違えたのは、もはやツッコミを入れる気も起きない。
それより、ぼくが置かれている状況がヤバい。
由宇は、夢の世界に半分トリップ。
まだ寝ぼけているのか、ぼくを抱き枕と勘違いしている。
その状況を、わかりやすく説明すると、
「ぼくは、ベットの上でスクール水着の美少女に抱き憑かれている……」
女の子らしい膨らみの感触があった。
剥き出しの太ももは、言葉では表現できない手触り。
スク水のマッドな質感もたまらない。
そして、健全な男子には抗うことのできない、朝の生理現象があるわけで。
平たく言えば、ぼくの息子(ジヨニー)は起立しているわけで。
(仏説摩訶般若波羅蜜多心経……)
顔はクールに冷静に、心の中では般若心経。
意思と別回路で荒ぶる呪槍を収めべく、脳内で「母親の全裸」を妄想する。
「ふぅ、ピンチを切り抜けた……」
『ふみゃっ……あ』
目覚めた由宇が、状況に気づいた。
半透明のほっぺが、スイッチを入れたみたいに赤くなる。
恥じらう幽霊は、ブツブツと言い訳っぽいことを漏らすわけで。
『昨晩は、ずーと寝顔を眺めてて……』
「で?」
『そのうち飽きて……』
「ふーん」
『ヒマでやることがなくて……だんだん、わたしも眠くなってきて』
「ぼくのベットに潜り込んだ?」
『てへっ☆』
照れくさそうに笑う由宇は、ペロッとかわいく舌を出した。
「由宇、これからの予定だけど」
『夜はプールでおしっこ。それだけを守ってくれるならオールオッケーです』
「分かったよ。キミが筋金入りの変態だってことが……」
『きゃはっ☆ もう手遅れなんですぅ♪』
「悪口をポジティブに肯定しないで欲しいな……ぼくは用事があるから学校に行くけど」
『了解しました、アイアイサ! わたしはどこまでもお憑き合いします!』
「そのホラーな言い回し、マジでやめてっ!?」
〈3〉
夏休みも終わりに近い、憂鬱な八月二十九日。
炎天下の道路を歩いていると、木陰で寝そべる黒猫に目がとまる。
暇そうにこちらを眺める黒猫は「バカじゃにゃいの?」と言わんばかりに鳴いた。
「暑いよ……」
『涼しくしてあげましょうか? ほら、わたし幽霊ですし』
「うん、お願い……」
『えーと、幽霊ってどうやって怖がらせればいいんでしょうか? が、がぉー』
「由宇は頑張ったよ」
『うぅぅぅぅぅぅぅ、うらめしやぁ……』
涙目で荒ぶるアホウドリのポーズをする幽霊に、生ぬるいため息をひとつ。
由宇は誰とでも仲良くなれるタイプみたいで、気づけば自然と会話を交わしている。
生前の彼女は、ぼくと同じ高校に通う、同じ一年生だった。
――だった。そう、過去形だ。
この明るく元気な幽霊とは、クラスは違えど同じ高校の生徒同士だった。
できれば、今とは別の形で知り合いになりたかった。
その機会を永遠に奪ったひき逃げ犯を、ぼくは絶対に許せな――
『留年! 痴漢冤罪! 古い民家の日本人形!』
「その怖さはガチだよっ!?」
現実的な恐怖に冷や汗を流しながら、学校に向かって歩いていると、
「よぅ、ワトソン」
顔見知りのイケメンに声をかけられて、暑さで溶けそうな足を止める。
『鬼畜眼鏡!? キタコレですよ!』
この変態幽霊、また変な単語だけは覚えてる。以前に同じクラスの女子が教えてくれたけど、鬼畜眼鏡とはメガネを掛けたサディストなキャラ属性のことで、受けキャラを監禁したり、調教したり、白い液体をぶっかけたりして、従順値や快楽値やアナル開発値のパラメーターを上げて純愛エンドを目指すらしいけど、アナル開発値ってなに!?
『……ゴクリっ』
生唾を飲み込む由宇の瞳には、勤勉そうなメガネ野郎が映っていた。
ぼくは、同じクラスの親友に話しかける。
「おはよう雷斗。今日も鬼畜な眼鏡をしてるね」
「ワトソンこそ、今日も女と見紛うかわいい顔をしてるな」
「うるさいよっ!」
ぼくの顔つきを茶化す鬼畜眼鏡なイケメン男子。名前は「綾小路(あやのこうじ)雷(らい)斗(と)」。校内DQNネーム四天王の一翼を担う雷斗の実家は苗字のイメージ通りお金持ちで、大名屋敷にルーツを持つ豪邸のガレージには色とりどりの高級外車が何台も並んでいる。こう言うと嫌味な金持ち野郎に思えてくるけど、雷斗はだれとでも分け隔てなく付き合う裏表のない性格をしたイケメンだから、人前で頻繁に全裸になることを除けば人望が厚い。鬼畜眼鏡のあだ名が容姿の全てを表している雷斗は、執事の格好が似合いそうな露出癖のある変態貴公子だけど、何かと理由をつけて服を脱ぎ始める異常者なだけで、ノンケでもホイホイ喰っちまうナウい体をした脱ぎグセのある男でも悪いヤツじゃなくて、わいせつ物陳列罪で何度も留置所に放り込まれた露出狂だけど、警察幹部や議員を務める親戚の権力で書類送検すらされずに釈放される「俺なら人を殺しても無罪になるだろう」と豪語する反則野郎で、ようするに変質者だ。
露出癖と権力チートの組み合わせがサイテーな雷斗と、通学路を歩きながら会話する。
「ワトソンは、夏休みに学校か?」
「うん、生徒会の活動でね。雷斗は部活?」
「水泳部の顧問が厳しくてな。毎日部活でまったく休みの気分がしない」
「でも、プールは夏しか使えないし」
「そうだな。俺も泳ぐのは嫌いでないから不満はない」
『わたしもプールが大好きですっ!』
「なんせプールは、合法的に裸体を晒せる。見てくれ」
「……それは?」
「最近購入したビキニパンツだ。ケツの割れ目にくい込むデザインをしているだろ?」
『おふっ!? めちゃんこセクシーな水着ですね!?』
「ブーメランだね……」
「ケツの割れ目にヒモが食い込むんだ。おかげで角度によっては履いてないように見える。後ろもすごいが前も素晴らしいぞ。伸縮素材で形状が丸わかりだ」
『ドキドキっ……あとで見学に行きましょう!』
「また捕まっても知らないよ……」
「覚悟のうえだ」
「キリッと無駄にかっこ良く、軽犯罪を宣言しないで!」
「構わん。どんな罪を犯しても警視庁で大幹部をしている叔父の根回しで無罪になる」
「そんなの絶対おかしいよっ!」
『この人って面白いですねっ! わたしと同じ匂いがします!』
ぼくにしか聞こえない声で、同志の気配を察した由宇が賛辞を送る。
雷斗は水泳部員で、忙しいことに生徒会の副会長も努めている。
ぼくも生徒会に所属してるけど、これは生徒会長の命令で仕方なくだ。
その理由は、何を隠そう名前にある。
――和藤(わとう)尊(たける)。
読み方によっては「ワトソン」と読めてしまうせいで、ぼくのアダ名は小学生の頃からずっとワトソンだ。そのあだ名が美少女天才JKの名を欲しいままにして、天上天下唯我独尊の覇者としてわが校に君臨する名物生徒会長にバレてしまい、上から目線で「いい名前だ。気に入った、私の助手にしてやろう」と命令されて、気づいたら生徒会メンバーにさせられて。
「貴様も苦労してるな」
「まあね」
二人で校門を抜けて、プールと校舎で行き先が分かれる。
「じゃあ、部活頑張ってね」
「生徒会活動を疎かにしてすまない。夏の間は脱ぐことを優先させて貰う」
『ライトさん! 部活、頑張ってくださいね!』
古風でストイックで脱ぐと筋肉モリモリのマッチョマンは、プールに歩いて行った。
水泳部のエースは、きっと知らないだろう。
キミが毎日浸かっているプールに、女の子のおしっこが混ざってることを。
ぼくは、生徒会長に会うべく校舎に向かう。
『理科室の水道って、どこも勢いが凄くないですか?』
「あれ、なんでだろうね?」
浮いてる少女と、ゆるふわな会話をしながら。
ぼくは、これまでに判明した由宇の基本ルールを思い返す。
幽霊の由宇は、他人には見えない、声も聞こえない、ぼくの心の声は聞けない。
だから雷斗と会話していた時も、由宇の発言はスルーしていた。
人前で由宇と会話したら、見えない人と会話する、危ない人にしか見えないしね。
あと由宇は、ぼくから一メートルぐらいしか離れられない。
壁とか障害物を通り抜けることができる。
寝れる、寝ぼける、寝違える、etc.
そんなことを考えていたら、
「おはよう。合法の異名を持ち子供料金を自在に操る高潔なるロリでお馴染み、幼女な見た目に毒舌キュートな天才生徒会長こと、四谷(よつや)愛(あい)だ」
聞き慣れたロリボイスは、ぼくの足元から聞こえてきた。
いつものように、視線を下にやると、
『……女子小学生?』
「会長は、いつ見ても高校生とは思えませんね」
由宇が小学生と勘違いするぐらい、背の低い美少女がいた。
彼女の名前は「四谷愛」。
女子児童に見える天使の容姿と、悪魔みたいに狡猾な頭脳の持ち主だ。
腰まであるツインテールを揺らす会長は、かわいい八重歯をむき出しにして笑う。
アホ毛がぴょこんと、夏のそよ風に揺れていた。
幼女でツインテールでアホ毛の生徒会長は、上から目線で下から話しかけてくる。
「ワトソン君が望むなら、お兄ちゃん☆と呼んでやってもいいぞ」
「やめて下さい。世間体が悪くなります」
顎を引かないと目線が合わせられないロリな先輩に、苦言をポツリ。
このロリはロクでもないロックな性格の幼女で、次の行動が読めないから怖い。
真夏だというのに寒気を感じたぼくに、会長は楽しげに言うのだ。
「いいかね。キミは私の幼児体型を見下すが、じつはツルペタな体は需要が高いのだよ。なにせ非合法だからな。ワトソン君もロリが好きだろ?」
「小学生は守備範囲外です」
「ならば、私と守備練習をしようじゃないか」
「会長と練習したら、おまわりさんに捕まりますよ」
「たまには火遊びも悪くないぞ? あとワトソン君、携帯の充電はこまめに頼む」
「電源が切れたというより、水没事故で殉職したんです」
昨晩プールに飛び込んだ時、ポケットの中の携帯は壊れていた。
「ふむ……水没事故は残念だったな。ところで夜のプールでドキドキ☆幽霊調査は」
「あー。何も出ませんでした。ガセですね」
『ガセじゃないですよぉ!』
ぼくにしか聞こえない声で抗議する半透明さんは、完全スルーで放置決定。
会長の前で由宇と会話したら、見えない人とお喋りしている危ない人になってしまう。
由宇について相談したくもあるけど、さすがに心霊現象を信じろは無理っぽいし。
「ふむ」
身長と胸のサイズが女子小学生の会長はロリフェイスを悩ましげに曇らせた。
これは何かを企んでいる顔だ。会長がたまに見せるシリアスな思案顔が「ニヤッ」と歪むと、この世界に新たな会長被害者が生まれる。
「ガセか。クククッ」
会長のロリ顔が、ニヤッと歪んでしまった。
感情が昂ぶると動き出すアホ毛も、頭頂部でぴょこぴょこ跳ねまくっている。
もう、嫌な予感しかしない。
ぼくが通う高校の生徒会長にして、校内一の変人で有名な会長は、いつもマイペースだから困る。昨日も突然電話がきて「やあ。見た目はJS→HなドMでお馴染み、本名でググるとAV女優が出てくる美少女アイドルこと四谷愛だ。和藤尊と書いてワトソンと読むキミは、夜のプールの怪談を知ってるかね?」と切り出され、二分後には「今晩中に真偽を確かめてこい」だった。人遣いが荒いにも程がある。
おもしろキャラの登場に、由宇が瞳キラキラ、心ウキウキに問いかけてきた。
『この小学生さん、誰ですかぁ?』
「活動内容がバーリトゥードで、常識がフリーダムな生徒会長」
『なるへそですっ』
「どうした、ワトソン君?」
「以上で報告は終わります。ぼくは帰ってよろしいでしょうか?」
『えー。面白そうなんで、もっと絡みましょうよ』
「会長に絡まれると疲れるんです。ただでさえぼくは憑かれてるのに」
『だれうまry』
「待ちたまえ。いくつか質問がある」
「どうぞ」
『わくわく』
「キミは携帯が水没したと言うが、プールに電話を落としたのかね?」
「はい。プールの水面を覗きこんだら、胸ポケットから携帯電話が滑り落ちて」
「ワトソン君。いまキミは嘘をついた」
『おぉ!』
「……なぜそう思うんですか?」
「日頃の観察の賜だよ。私はワトソン君を常日頃から観察して記憶しているが、キミが胸ポケットに携帯電話を入れるのを見たことがない。なのにワトソン君は胸ポケットに携帯電話を入れたと証言した。あやしい。実にあやしいな。だから私はこう推理したのだ。携帯電話がプールに落ちたと嘘をついている、と」
『わをぉ! この小さな生徒会長さん、凄いですね!』
「会長は身体が小さいくせに態度だけは大きいですね。ナチュラルにストーカー行為を告白できる図太さとか……」
「ふふふ、私はいつもワトソン君を見ているし、常にワトソン君の近くに潜んでいるぞ」
『こわっ!? でも見事な推理です!』
「幽霊もビビりそうな、ストーカー発言はやめて下さい……」
半透明なスク水ゴーストが、ロリな会長の推理にパチパチと拍手する。
楽しそうな由宇を横目で見ながら、
(由宇が拍手する音って、ぼく以外にも聞こえるのかな?)
どうでもいいことを考えるけど、会長の反応を見ている限りだと聞こえないらしい。
あらためて、由宇のデタラメな存在に頭痛がしてくる。
「やめてください。会長みたいな女子小学生に手を出したら、ぼくの人生が終わります」
「そして始まる、私とワトソン君の堕落した欲望の日々が」
「始まりません」
「それは残念だ。日頃のイメージトレーニングの成果が発揮できると思ったのだが」
『ドキドキ……どんなイメトレでしょう? ねえ、聞いてみてくださいよ!』
「そろそろ推理に話題を戻して下さい……」
「ならば推理を続けよう。ワトソン君は嘘をついている。携帯電話が壊れたのは事実だろう。しかし、ワトソン君はプールに携帯を落としたと嘘をついた。なぜか? なにか私に説明したくない理由で携帯を壊したからではないか? たとえばプールに携帯電話を落としたのではなく、携帯を持ったままプールに転落したとか」
『をぉ! 凄いです、この小学生さんカリスマです!』
「会長はカリスマというよりペテン師ですね。どんな言いがかりですか?」
「私が推理に至ったのには根拠があるぞ。それはキミの靴だ。今日のワトソン君はいつもと違う靴を履いている。なぜだ? キミはおしゃれに関心ゼロで、飽きもせず同じ靴を履き続ける男だ。うむ。同じ靴ばかりを履く男子は珍しくない。だが今日のキミは違う靴を履いている。そして携帯電話の水没事故だ。これは推測だが、いつもの靴は濡れて履けなかったのでは? それゆえに仕方なくいつもとは別の靴を履いて登校した。携帯の水没と靴濡れが同時に起きる状況を考察すると、ワトソン君がズボンのポケットに携帯電話を入れたままプールに落ちたと推理できるのだ」
『きゃぁぁ! この小学生の生徒会長さん、ドラマの名探偵みたいです!』
「会長は正義の為に働く名探偵じゃなくて、金の為に他人の弱みを探るタイプの探偵ですよね……プールに落ちたのが恥ずか……」
「ならば問おう。なぜ、ワトソン君はプールに落ちたのかね?」
「足元が暗くて、足を滑らせて……」
「それも嘘だ。転んでプールに落ちるなら、ワトソン君はプールサイドに立っていたことになる。しかし深夜のプールで幽霊を観察するのにプールサイドまで行く必要はない。少し離れた場所で見るのが普通だ。正直に話したまえ。昨晩プールで体験をしたことを」
『さぁ犯人さん! 名探偵に悪あがきして下さい! じっちゃんの名にかけて!』
「……ぼくは犯人じゃない」
由宇がはしゃいで、ぼくが冷や汗を流す。
四谷愛――生徒会に君臨する支配者。
学校一の天才にして、学校一の変人である彼女に、ぼくは一度も勝てた記憶がない。
ニヤっと嗤う会長は、ぼくに探りを入れる口調で囁いた。
「ところでワトソン君は、先ほどからだれと会話しているのだね?」
「それは……」
『わたしっ、わたしっ、オバケのっ、わたしですっ♪』
由宇が楽しそうに自己アピール。
頭を抱えたぼくを、幼女な先輩が「クククッ」と見据えていた。
〈4〉
「おっす。キュートでマッドなでツインテールが似合うロリ生徒会長でお馴染み、朝顔の観察日記を『そして世界は闇に包まれた』で終わらせたことが自慢の美少女天才名探偵アイドル駆逐艦なのです!四谷愛だ。これまでのあらすじをおさらいしよう。夜のプールで幽霊調査を命じられたワトソン君は、幽霊の美少女――白瀬由宇に取り憑かれた疲れからか不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまう。後輩をかばいすべての責任を負った三浦に対し、車の主で暴力団員の谷岡に言い渡された示談の条件とは?」
『み、三浦さん、どうなっちゃうんでしょうかっ!?』
「前回のあらすじに、捏造をカットインさせるのはやめて下さい……」
推理という名の尋問が続くこと、およそ二分。
ぼくは、会長に全てを見抜かれていた。
夜のプールで起きたことや、ところどころ不自然な、まるで目には見えない誰かに解説してるようなセリフについて、ネチネチと責められて……
「キミは本当に愉快なヤツだ。まさか幽霊調査で幽霊に憑かれるとはな」
『あーあ、バラしちゃっていいんですか?』
「由宇が構わないって言うから」
校舎の廊下を、ぼくと会長は歩いている。
限りなく透明に近い変態ゴーストは、ふわふわと空中に浮いていた。
ぼくと距離が離れると自然に引き寄せられるので、自分で移動しなくてもいいらしい。
『らくちんでーす』
「幽霊のクセに、怠けないで欲しいな……」
重力から開放されて、アクロバティックな姿勢で浮遊する幽霊にため息をひとつ。
由宇はスクール水着姿だからいいけど、仮にスカートだったら大変だ。
きっと見えてはいけない部分が見えまくっちゃう。
だけど、スクール水着の肌に密着したデザインも捨てがたい。
体のラインが丸わかりだし、特に小さめのおしりが描く曲線は中々で。
「ワトソン君は、今なにを考えているかね?」
「日本経済のあるべき未来と、理想の安全保障です」
「いや、キミが考えていたのは別のことだ」
『また推理が始まりましたぁ!?』
「ワトソン君、幽霊の由宇君はスクール水着を着ていると言っていたな?」
『イエス! 水の中でおしっこするなら、コレに限ります!』
「……ええ」
頬を流れる汗は、夏の熱気のせいだけじゃないだろう。
ぼくは平静を装いながら、空中でクルンっとムーンサルトする幽霊を眺める。
うん、すごくエッチぃよね。
紺の布地で覆われたスレンダーな体が、嫌でも目についちゃうよ。
つんっと上向きのヒップとか、ぼくの男心を掴んでゲッチュでたまらない。
ぼくが妄想世界(イマジンワールド)に浸っていると、見た目がJS(ロリ)のJK会長は問いかけてきた。
「ワトソン君は『パンツじゃないから恥ずかしくないもん』なる名言をご存知かね?」
「聞いたことだけなら……」
「なら話は早い。下着を見られると恥ずかしくても、水着やブルマなら見られても恥ずかしくない、思春期少女の複雑怪奇な乙女心をひとことで表現した理屈だ。類似例としては『ビキニアーマーだから恥ずかしくないもん』や『パワードスーツだから恥ずかしくないもん』があるな」
「……アタマがオカシイですね」
「素直なコメントに感謝しよう。ワトソン君の言うとおりだ。ラノベのヒロインが身につけるエロコスチュームは、布地面積から判断するに、それが魔法少女のレオタードであろうと、超科学の生み出した女性だけが着れる戦闘スーツであろうと、形状も素肌の露出度もパンツと等しいがゆえ、見られた女性は恥じらうべきである――が」
そこまで言った四谷会長は、ぼくとその背後の見えざる存在を見据えながら言った。
「このミステリーに興味が湧かないかねっ!」
『わたし、気になりますっ!』
「いいえ別にってゆーか、由宇の発言は色々とアウトだよ!」
「どうやら由宇君は気になるようだな。では、博識ロリーターの私が教えてやろう」
そう言いながら、会長はスカートをめくった。
イチゴ柄のパンツが見えた。
ロリで幼女な体の利点を知り尽くして、狙いに狙いまくったパンティーのチョイスだ。
突拍子もないことをした会長は、ニヤけた表情で問いかけてくる。
「どうだ。エロい気分になったかね?」
「いいえ。まったく」
「なぜだ?」
「女子小学生のパンツで興奮したら、手遅れですから」
うん。会長のパンツを見ても嬉しくないね。
女子小学生のパンツなんて、あっ見えた。ほほえましい。程度の価値しかない。
いや、一部の人にはたまらないんだろうけど。
冷めた反応のぼくに、会長は不敵な笑みを浮かべて言った。
「告白しよう。私こと四谷愛は週に三回ほど自慰――平たく言えばオ◯ニーをしている」
「ぶっ!?」
『わふぅー!?』
スカートをめくってパンツを見せる会長が、突然の自慰告白したロリ!
動揺するぼくに、会長は言葉を続けた。
「お兄ちゃん……あいは身体が小さくてもね、オ◯ニーだってする大人なんだよぉ?」
スカートを捲ったままの会長は、うつむいて地面を見つめている
その表情は伺えないが、ほんのり頬が桜色に染まっているのが分かった。
スカートの裾を掴む指先も、プルプルと小刻みに震えている。
会長はまぶたをぎゅっと閉じて、唇もキュっと結んで。
「もぉ! お兄ちゃんのエッチ!」
「――はッ!?」
「ふっ、どうやらガチロリ体型の私でも、ワトソン君を興奮させられるようだな」
「なぜですかっ!? なぜぼくが、女子小学生のパンツごときに!」
「簡単なことだよ。キミたち男子が、女の子のパンツで欲情していないからだ」
『キタコレ! 始まりました! 解説パートです!』
「また会長はろくでもない推理を……どういうことですか?」
「考えても見たまえ。ワトソン君は三角形の布切れを見るだけで欲情するかね?」
「いいえ」
「だろうな。一部の達人を除けばパンツそのものに興奮を覚える男は少ないはずだ。でも世の男子諸君は、女の子のパンツに欲情してしまう。なぜか?」
『わたし分かります! 女の子が履いてるからエロいんです! だって三角形の布切れで男の人が興奮するなら、こっちの業界でスタンダートな「額に付けるアレ」を見られて、怖がられずに興奮されるハズですからっ!』
「由宇の発言、すごく幽霊目線だね……」
「発言から推測するに、幽霊が額につける三角形の布の話題らしいな。あれの正式名称は『天冠』というらしいが、地域によっては「額烏帽子」や「髪隠し」とも呼ばれていて、呼び名と同じく死に装束として身に付ける理由も地域や宗派によって様々だ。閻魔大王様に失礼のないようにするための正装だの、地獄の祟りを逃れるためだの、生前の身分の高さを表す帽子の名残だの、ようするによく分かっていない。死者の額に三角形の布切れを付けるという常識だけが残っている。世の男性が女の子のパンツを見て興奮するのも同じだ。ワトソン君は性行為のパートナーに適した女性のパンツを見ると興奮するという常識に縛られているに過ぎないのだよ。そうでもなければ、布地面積的には変わらないはずのビキニの水着を目にしても、パンツを見た時と同じ興奮が得られるハズだが」
「……確かに、パンツとビキニでは雲泥の差がありますね」
「そうだ。キミたち男子は、幽霊は怖い、不良は怖い、それらと変わらぬ本能と経験則で、パンツはエロい、見たら勃起もんと認識して、それに従って興奮しているに過ぎない。仮に男子諸君がパンツの装着場所と形状に興奮しているのであれば、思春期ボーイの股間は夏のプールの美少女を眺めるだけで大変なことになるはずだ。しかし鼻の下は伸ばしても、そこまではならない。ようするに女の子のパンツを見て興奮するのは本能に基づいての反応ではなく、文化や経験則で学んだ後天的な興奮なのだよ」
『知的な推理ですっ!』
「由宇が会長を褒めてますよ」
「そうか。ならばついでにレクチャーしてやろう。さっきワトソン君はロリで幼女な私のJSパンツを見たな」
「ええ。とても反応に困りました」
「エロかったかね?」
「いいえ。まったく」
「そうか。つまりワトソン君は私のパンツを見ても欲情しないということだ。悔しいな。私は涙目だぞ。だから見た目が女子小学生の私は、身体は小さくても性交の対象となる大人のJKであることを自慰告白によってアピールした。私こと四谷愛は性行為で快楽を得られる大人の女性である――という主張だな。その結果、ワトソン君はこれまで性の対象と認識していなかった私を『ヤレる』と認識してしまったのだ。さて、スクール水着姿の由宇君にアドバイスしよう。もし男性を誘惑したいと思い立ったら、堂々と見せるのは下策だ。可能な限りチラ見せにとどめて、なおかつ見られたことを恥じらうのだ。それだけで『女の子の恥ずかしいモノを見た!』と、男の欲情スイッチを強制的に入れることができ、結果として自身を性対象と認識させられる」
『来世も女の子だったら、試してみます!』
両手で握りこぶしを作って、何かを決心する美少女幽霊。
もうヤダ、このノリのいいゴースト。
しかし、
「会長には勝てませんよ……」
「ふふふ、ワトソン君をいともたやすく翻弄する老獪ロリータの私だが、ベットの上ではキミに勝てないだろう」
『たしかに! かわいいお顔には似合わず、立派なモノをお持ちですもんねっ!』
「お風呂で見たモノは忘れてっ!」
『いやです! あの世まで持っていきますっ!』
「ヘルプっ!」
「私には聞こえないが楽しそうで羨ましい。ところで幽霊の由宇君に伺うが」
『なんですか?』
「なんですか?と、由宇は言ってます」
「君は本当に死んでいるのかね?」
『間違いないと思います』
「間違いない――と、由宇は言ってますね」
「それは興味深い。実に興味深いぞ」
由宇の声が聴こえない会長が、アホ毛を揺らしながら思案している。
ぼくみたいな凡人は、この規格外な幼女が何を考えているのか分からないよ。
死んでいるのか? そりゃあ幽霊なんだから死んでるだろうし。
数秒ほど沈黙してから、会長は口を開いた。
「……まあいい。あとこれは確認しておきたい。幽霊の由宇君は、自分をひき逃げした犯人に相応の報いを与えたいと思うかね?」
『……いいえ。わたしは残り少ない現世の時間を、復讐よりも水中放尿に費やします』
「会長、コイツ駄目です。この変態は真性で、もはや手遅れです」
「クククッ、復讐より水中放尿が優先と答えたようだな」
『およよっ!? この小学生さん、もしかしてわたしの心が読めるんですかぁ!?』
「空気は読めないけどね」
「由宇君。私は超能力者ではない。状況から人の思考を推理しているだけだ」
「会話の流れだけで由宇の発言を予測するだけでなくスラスラ疑問に答えられるなら、ぼくの通訳、もういらないですよね?」
「いや必要だ。由宇君が復讐を望まないのは分かった。だが、ここには犯人に制裁を望む人間がいる。そうだろ、ワトソン君」
「ええ」
ロリな会長に問われて、ぼくは答える。
たとえ由宇が乗り気でなくても、ぼくは許すことができない。
人の未来を奪って、のうのうと生きてる奴を。
「犯人を、ぼくは許せません」
「私も同意見だ。そこで、幽霊の由宇君にひとつ協力して貰いたい。私とワトソン君は由宇君をひき逃げした犯人を探す。もちろん由宇君の崇高な趣味を邪魔することはない。むしろ積極的に協力させよう。なぁに遠慮はいらない。ワトソン君は私の奴隷だ。弱みはいくらでも握っているから、どんなアブノーマルなプレイにも従わせる」
「会長に質問ですけど、基本的人権と脅迫罪って知ってますか!?」
『あーあー、聞こえません』
「由宇には聞いてないよ!」
「あーあー、聞こえない」
「会長もかブルータス!? というか、ぼくのアレ返して下さいよ! ねぇ!」
「クククッ、アレをネット上に公開されたくなければ、私に奴隷のごとく従うがよい」
『アレって何ですか?』
「フフフ、人には言えないモノだよ」
『気になりますねぇ……ゴクリ』
「どうする、ワトソン君? 無垢で無邪気な由宇君に――」
「会長の会話予想スキルが底しれません……この国の正義は死んだか」
『わたしは死んだ(笑)』
「由宇のネタ、ブラックすぎて笑えないからっ!」
〈5〉
『ここで、わたしは死んだんですね……』
事故現場で、由宇は悲しげな口調で言った。
ひき逃げ事件の現場は、学校の近くにある交差点だった。
事故現場の電柱には、情報提供を呼びかける警察の看板が立てかけられている。
『 平成28年8月24日、午後10時ころ。
自動車と自転車の交通事故が発生しました。
心当たりの方、目撃した方は左記までご連絡ください。
××警察署 』
数日前に起きた事件は、まだ捜査が終わっていないらしい。
由宇が犠牲になったひき逃げ事件は、ネットでも小さくニュースになっていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
××市でひき逃げ、女子高生が意識不明の重体
8月24日、午後22時00分ごろ、××高校近くの交差点で××高校に通う自転車に乗っていた女子高生 白瀬由宇さん(16)がはねられ、頭を強く打って救急搬送された。
××署は、ひき逃げ事件として捜査している。
犯人の手がかりはなく、××署は事件の目撃者に情報提供を呼びかけている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
記事を眺めていると、怒りがこみ上げてくる。
高校近くの交差点は夜になると暗いし、人通りの少ない直線だ。
スピードを出しやすい道路だし、事故を起こした運転手も故意ではないハズ。
だけど、犯人が事故を起こしてすぐ救急車を呼んでいれば、ぼくの後ろで悲しげな顔を浮かべる由宇は助かったかもしれないんだ。
なのに、由宇を轢いた犯人は逃げた。罪を恐れる気持ちは分からなくもない。
でも、身勝手な言い訳は許されない。
「あなたのハートを武力でゲッチュ! スカートの奥はノーガード戦法でお馴染み、大人のレディーを夢見て日々妄想と一人遊びに励む美少女アイドルこと、四谷愛だ」
「会長、改めて実感しました。犯人を許せないって」
「私も同感だ。由宇君をひき逃げした犯人を思うと、誰しもが持つ正義の心がメラメラ燃えてくる。だがそれは由宇君を思ってではない。犯人を制裁して自分の感情を満たしたいと望む自己満足の欲求が生み出した感情だ。心理学的に分析すれば、親しい人が死んで泣く人間は。親しい人が死んで悲しんでいる自分が可哀想で泣いているに過ぎないのだ」
「たとえおせっかいでも、ぼくはやり遂げたいと思います」
「それでこそワトソン君だ。我々の自己満足が由宇君の無念を少しでも晴らすのなら」
「はい。徹底的にやりましょう」
『えー、そんなことより、水中放尿に余力の全てを注ぎましょうよぉ~』
「変態……じゃなくて、由宇も協力すると言ってくれています」
『わたしの発言を捏造しないで下さい!』
由宇が抗議してくるけど、いまは無視するのが正解だと思う。
それより、
「由宇は、自分をひき逃げした犯人を恨んでないの?」
『はい、覚えてませんからぁ♪』
「……会長。ぼくたちの手で、絶対にひき逃げ犯を捕まえましょう」
『聞かなかったことにされたっ!?』
「そうか。なら早速だが、由宇君が事故当時のことで覚えていることを教えてくれ」
『ぶーぶー。犯人さんに迫るとかあぶないですよ……覚えているのは』
記憶喪失の幽霊、由宇が覚えていること。
期待してなかったけど、役立つ証言は得られなかった。
ニンジャが死すべきことや、コナミコマンドは覚えていても、事故が起きた当時の状況や、自分のことに関しては何も覚えていないらしい。死ぬ間際にアタマを強く打ったせいか、自分の名前さえ忘れてしまって、警官の立ち話を盗み聞きして知ったぐらいだ。
「なるほど。さすがの私もお手上げだな」
「警察に任せますか?」
「それが最善であろう。我々が幽霊の由宇君から情報を引き出せるのは犯罪捜査においてチートに等しいが」
『役立たずで、ごめんなさい……』
「由宇は悪くないよ」
「安心したまえ。日本の警察は優秀だ。犯人が捕まるのは時間の問題であろう。私も独自に調査は続けるが、由宇君はワトソン君と自身の趣味を優先してくれ」
『もちのロンロン! 今夜もプールでおしっこです!』
「会長、こいつは手遅れです……」
ぼくが呆れていると、白と黒のツートンカラーの車が走ってきた。
パトカーだ。
警察車両は近くに停車する。警官が降りてくる。
針金で電柱に括りつけられた、事故の情報提供を呼びかける看板を回収――っ!?
「それ撤去しちゃうんですか!?」
「そうだけど?」
おしゃべりな警察官は、ぼくが聞きたかったことを勝手に答えてくれる。
「事故が起きた日にね、となり町で飲酒運転の白い軽トラックがセルフのガソリンスタンドに突っ込む死亡事故が起きたんだよ。運転手は身寄りのない老人で、この人がひき逃げの犯人と判明したのさ」
「なっ!?」
「つまり事件解決。もう情報提供はいらないのさ」
「そ、そんな……」
由宇をひき逃げした犯人は、すでに死んでいた。
自業自得で亡くなった犯人に、由宇を殺した罪を償わせることはできない。
『あら。ご冥福をお祈りしますね』
由宇は他人事みたいに言ってるけど、少しは怒ったりしないの!?
ぼくは、警察官に話しかけた。
「ひどい事件ですね……きっと被害者の女子高生は怒ってるでしょう……」
『怒ってませんよ。ほら、記憶喪失で覚えてませんしw』
「まったく、やるせない事故だったね」
看板を回収した警察官は、ぼくとの会話を切り上げてパトカーに乗り込こもうと。
「待て」
押し黙って話を聞いていた、会長が声を上げた。
「そこの公僕。私だ。ぼくと契約して淫行条例に違反しようよ!でお馴染み、駅前のランジェリーショップでブラジャーを買い求めたら店員に『まだ早いかな?』と笑われて涙目の美少女アイドルこと四谷愛だ。日本の警察の捜査能力の高さは存じている。だが、事故が発生してから数日で捜査打ち切りは尚早でないか?」
「お嬢ちゃん。なぜだい?」
「どのような根拠があるかは知らぬが、百パーセント確実に老人がひき逃げ事件の犯人であるとは限らんだろう。取り調べによる自白が得られない容疑者死亡の案件ならばなおさらだ。事故の目撃者から証言を集めて、容疑の信ぴょう性を断固たるものにするハズだ。日本の警察が度重なる誤認と証拠不十分に起因する事件未解決の苦い記憶から、従来の取り調べによる供述の重視から、裁判で強さを見せる客観証拠の収集を重視するよう姿勢を転換したとはいえ、目撃者の証言は今も大事な捜査情報だ。事故が起きて数日しか経過していないのに、捜査を打ち切るのは不自然ではないか?」
「でも、確かな証拠が見つかったから、捜査を打ち切ったんだろ?」
「ガソリンスタンドの事件はニュースでも流れていた。悲惨な事故だった。犠牲者が運転手の老人だけで済んだのが幸運と感じられるほどの惨状で、火災に巻き込まれた軽トラは原型を留めていなかったと近隣住民がテレビ番組で証言していた。さて、私は疑問に思うのだ。原型をとどめぬほど焼けただれた車から、ひき逃げ事件の科学的な証拠を十分採取できるのかと。見たところでは現場の道路にブレーキの痕跡はない。となると、衝突で生じた車体の破片や剥離した塗料が事件解決の重大な証拠になるだろうが」
「そこらの事情は上だけが知ってることだから、現場のお巡りさんには分からないね」
「だろうな。引き止めて悪かった」
パトカーに乗り込んだ警察官は、そのまま走り去っていった。
それを見送りながら、会長は呟く。
「ワトソン君。この事件、なんとも言えない怪しさを感じるな」
「ええ、プンプンと匂いますね」
事故が起きた交差点で、ぼくは胸の高鳴りを覚えていた。
由宇をひき逃げした犯人は、本当に飲酒運転の末に死亡した老人なのか?
『幽霊の家政婦は見た! わたしを殺した犯人はだれでしょう!? ひき逃げから始まる事件は新たな局面に! 犠牲者の女子高生(16)も大絶賛! 驚愕の事件から目が離せません! 大好評の水中放尿も要チェックです、チェケダン☆』
「こんのぉ……っ」
シリアスと死ぬほど相性が悪いというか、すでに死んでる幽霊にイライラ。
なにこの明るい幽霊……ッ。