「え、すぐに強くなる方法を教えてくれ?」
季節は春。桜の花びらで訓練場が彩られる頃。
黒峰勇也の質問に、その女性はこてんと首をかしげた。
少年よりも年上の、美人のお姉さんだった。
夕焼け色の長髪を撫でるように指で弄り、うーむと顎に手を添える。もう片方の手は逆側の腰に当てられ、服を押し上げる大きな二つの膨らみが強調される。
「あ、それ、藍葉も知りたいかもです」
手を挙げたのは、後輩の少女である蒼宮藍葉だった。勇也と一緒に先程まで訓練に励んでいたせいか、藍色の長髪が運動着に張りついている。
勇也と藍葉は外敵から国を守る王城直属の〈近衛兵〉になったばかりの学生であり、それゆえに力を身に付けようと必死になっていた。けれども、一向に伸びないその実力に悩んで、教師役である女性に訊ねていたわけだった。
女性──神代夕日は困ったように笑う。
「そんな魔法みたいな方法はないかな。やっぱり日々の積み重ねが大事だし。でも、秘訣っぽいのはあるかな」
「秘訣、ですか?」
藍葉が首をかしげると、夕日は勇也をちらっと一瞥して。
「──恋をするの。その人のことを絶対に守りたいって思えるぐらい」
「……はぁ」
訝しむ声とともに、勇也は眉をひそめた。
隣では、藍葉が何故か夕日を意味ありげな視線で見ていた。だが、その心中は勇也と似たようなものだろう。
その反応は予期していたのか、夕日は柔らかな表情で微笑む。
「いつかわかるよ。絶対に守りたい──二人にそんなに恋人ができたときには。それぐらい恋の力は凄いんだから」
そう語る憧れの女性はとても美しくて。
今はまだわからなかったが、いつかは理解できるのだろう、と。
あのときはまだそう思っていた。
それから、数年後──
◇
「ごめん、夕日……やっぱ全然理解できないわ」
泣き出しそうな声を漏らして、勇也は眼前の光景に困惑していた。
まるで遊園地そのものとなった都市。その隙間を縫うようにラブホテルが乱立し、大気中に散布された霧には『恋愛とは平和なり。恋愛とは自由なり。恋愛とは力なり』というスローガンが刻印されている。
そして何よりも驚くべきことは、この都市が恋の力で成り立っているということ。
勇也が半笑いで乾いた声をこぼしていると、藍葉が隣で服の袖を引っ張る。
「先輩、戸惑うのは後にしてこっちに集中してください。今がどんな状況かもう忘れたんですか?」
藍葉の声で、勇也は前へと向き直った。
視界三百六十度。ビルの屋上を埋め尽くすように、銃を持ったテロリストが取り囲んでいた。銃口はこちらに向けられ、逃げられる隙は一切ない。それどころか、ヘリコプターが騒音を奏でながら宙に留まり機関銃の照準すら合わせてきている。
絶体絶命の状況。一秒先には蜂の巣になっていそうな状況で、藍葉は至極真面目な顔つきで腕を組んで柔っこい肢体を押し付けてくる。
「さあ、先輩。──藍葉といちゃいちゃして世界を救いますよ」
ここは恋愛至上都市。
恋愛強者が闊歩し、恋愛弱者が淘汰される都市であり。
いちゃいちゃすることが正義の世界だ。
「くそっ、どうしてこんなことになったんだ!」
雲ひとつない、晴れやかな蒼穹のもと。
オートバイで寂れた倉庫街を駆け抜けながら、黒峰勇也はただひたすらに逃げていた。
世界で最も栄華を誇る“水の都”──水神島(みずがみじま)。
島の輪郭部分には多数の港が設置されており、毎日、各国から船が往来している。当然それに合わせて、港の周辺には倉庫街が立ち並ぶことが多い。ここもその内の一つだ。
しかし、数年前に、国の政策によって近隣の市場が移転してしまってからはすっかり荒廃してしまっていた。以来、人の目が入りにくいことから、この放棄された倉庫街はある種の人々にこっそりと利用されている。
例えば、犯罪組織の一員などに。
「っ!」
オートバイをほとんど地面に擦れるように傾け、勇也は急激に曲がった。
甲高い擦過音。無理な体勢でほぼ直角に走行するが、それでも背後の追っ手を振り切ることはできない。
背後から迫ってくるのは、数十匹の鋼鉄の〈猟犬〉だった。
大気中に含まれる魔力をエネルギーとし、術式によって制御される機械兵器──〈魔導機装〉である。
魔導機装の形は様々で、生物をモデルにしたものはもちろん、剣から戦艦などありとあらゆるものがある。それだけには及ばず、その内部機構は日常的に使う製品にも利用されているほど。この世界は魔導機装で成り立っているといっても過言ではない。そして付け加えるならば、武器として使用された場合の脅威は通常のそれとは一線を画す。
「ひぃっ!」
猟犬たちが一斉に口から吐き出した炎の弾丸に、勇也は情けない悲鳴をあげた。
視界を埋め尽くすような焔の雨。目標から外れた弾丸がコンクリートを抉り爆発を次々と起こす。それに加えて、遠くから発砲音から響いたかと思うと車体を掠めていった。人間の手による遠距離狙撃だ。
爆発と弾丸の暴雨の中を、勇也はオートバイを必死に操作して切り抜ける。
どうして、こんなことになっているのか?
思わず口にしてしまったが、そんなことわかりきっている。──自分が依頼を安請け合いしてしまったせいだ。
今回の依頼は、この都市に違法薬物を密輸入している犯罪組織を取り締まって欲しいというもの。規模はそれほど大きいことはなく、それ故に簡単にカタがつくはずだった。
だというのに。
「いったい何なんだよ、この状況は!」
勇也はアクセルを踏み込みながら喚いた。
追っ手の集団は明らかに小規模とはいえない。それどころか、今までお目にかかったことがないぐらい大規模の組織だ。でなければ、自分にこれほどの数の追跡者を向かわせることができるはずもない。
この嫌気しかしない状況に、口の中で舌打ちをしたそのとき。
見計らったように、耳に嵌めた小型の通信機から陽気な声が響いてきた。
《はろはろー、先輩まだ生きてますか?》
「蒼宮? その声は、蒼宮か!?」
思わぬ援軍の知らせに、勇也は歓喜の声を発した。
通信機の向こうから聞こえてきたのは旧知の少女の声だった。気に食わない奴だが、この窮地には願ってもない助っ人である。
「いいところに来た、蒼宮! 頼む、後ろの連中を何とかしてくれ!」
《えー、どうしようかなぁ》
「へっ?」
早速応援を要請するが、予想外の返答に、勇也は間の抜けた声を漏らした。
「おい、蒼宮……? 何言ってんだ、お前? 僕の状況わかってるんだよな?」
《もち、わかってますよ。先輩が怖い人たちに絶賛追われているところなんですよね? というか、藍葉がいるところからバッチリ見えてますし》
「な、なら、何を出し惜しみしてるんだよ! さっさと助けてくれ!」
《でもでも、それと藍葉が先輩を助けるのは別じゃないですかー?》
「はっ?」
意味がわからず、惚けた顔をつくる。
その表情を遠くから見ているのか、藍葉はくすりと声を漏らして。
《だって、藍葉が先輩を助ける理由はありませんし。なんなら、先輩ごとまとめてやっちゃった方が楽そうじゃないですか?》
「なっ!」
《まあ? 先輩が助けてくださいって泣いて懇願するなら話は別ですけど》
「ふ、ふざけんな! なんで、僕がそんなことをしなきゃいけないんだ!」
《あ、今の先輩の態度のせいで、藍葉やる気なくなっちゃいました》
「嘘です! 助けてください蒼宮様!」
《涙出てませんよ?》
「鬼畜か、お前は!」
役者でもないのに、咄嗟に涙が出るわけないだろう!
その間にも、オートバイが爆発の衝撃波で傷つけられていく。
このままでは、あと持って数分程度だろう。その前に、何か手を打たなければ本当に洒落にならない事態に陥ってしまう。
「おい、蒼宮! 僕はお願いしただろうが! 早くしてくれ!」
《うーん、どうしようかなぁ。先輩がもう一つ願いを叶えてくれるなら、藍葉のやる気が出そうなんだけど》
「この後に及んで、お前は僕に何か注文するつもりなのか!」
《あ、なんか声が遠くなってる。通信切れちゃうかも、先輩》
「何でもご注文を、蒼宮様!」
《じゃあ、今度の日曜日、藍葉と一緒に水神ランドに行きませんか? あ、もちろん、先輩の全額奢りで》
「は、はぁ!?」
これまた予想外の返答に、勇也は素っ頓狂な声を発した。
水神ランドとはカップルや家族連れで賑わっている遊園地である。キャストたちは超一流の者ばかりで──そのため、入るだけで高額の料金を取られてしまうところなのだ。
そんな場所で、全額出費なんて。
別に払えない額ではないのだが、痛い出費には違いない。
《あ、別に、先輩はお金だけ払っていただければ帰ってもらっても構いませんよ? 用があるのは、先輩の財布だけなんで》
「それ、僕が行く意味ねぇだろ!」
《嫌なら断ってもいいですけど。その場合は──》
「わかったわかったわかった! 払う、払えばいいんだろ! だから、さっさと助けてくれ、蒼宮!」
《らじゃーです、先輩! ──じゃあ、頭をさげてもらっていいですか?》
最後の台詞は、通信機からだけではなく頭上からも響いてきたものだった。
つられるように、勇也は視線をあげる。
上空。そこにいたのは、大鷲の魔導機装にぶら下がっている一人の少女だった。
背中まである藍色の長髪。つり上がった目に、気の強そうな相貌。黙っていれば儚げな印象さえ与える容貌だったが、歪められた口元はそれを打ち消すぐらい小悪魔的だった。
「行きますよ、先輩!」
大鷲にぶら下がる少女──蒼宮藍葉は手を離して落下した。
くるりと空中で舞いながら、藍葉は両足に装備したホルスターから二丁の拳銃を抜き放つ。照準は勇也の背後にいる追っ手たち。次の瞬間、空中だというのに銃口を一切ぶらすことなく、藍葉は何度も引き金をひいた。
放たれた八発の弾丸が猟犬に直撃し、周囲を巻き込んで爆発を起こした。もちろん、ただの拳銃ではなく魔導機装だからこそ行える技である。
爆風に煽られて、車体が不安定に大きく揺れる。
それにも関わらず、藍葉は器用にオートバイの前部分に着地した。
勇也の視界を遮る形で。
「待て待て待て! なんで、ここに着地するんだよ! っていうか、前が全然見えないだろうが!」
「しょ、しょうがないじゃないですか! ここ以外、足場がないんですから!」
「さっきの大鷲は!? あいつはどこに行ったんだよ!」
「ああ、ハクちゃんですか? あの子は傷つくのが嫌なんでお家に帰しましたけど」
「魔導機装なんて傷ついて当たり前だろうが! お前馬鹿じゃねぇの!?」
勇也が非難の声を浴びせると、藍葉はあからさまにムスッとした表情をつくった。
しかし、何かを思いついたのか妖しげな笑みを浮かべると。
「でも、いいじゃないですか。先輩にもいいことあるんですから」
「いいこと?」
「ほらほら、藍葉、スカートなんですよ? その位置からだと、下着見えるんじゃないんですか?」
「それのどこがいいことなんだよ」
メリッ。
藍葉の足が、勇也の顔にめりこんだ。
「ぎゃああああああ、顔が! 顔が!」
「その位置からだと、下着見えますよね? 見えたら嬉しいですよね?」
「いや、そもそもお前の足で見えてねぇよ! それに別に嬉しくも──」
「う・れ・し・い・で・す・よ・ね?」
「嬉しい、超嬉しいっす! 蒼宮様マジ最高!」
二次災害を予見して、勇也はほとんど反射的に答えた。
当然の如く踏まれていたせいで、まったく見えていなかったけれども。
「……で、これからどうするんだよ? まだ、全員を撒いたわけじゃないぞ」
背後には、襲撃から復帰した猟犬たちがいた。
藍葉のおかげでかなり数は減っているが、決して少ないとは言えない。
「それは安心してください。藍葉が調べた情報によれば、ここから数百メートル走ったところに隠れるのに最適な倉庫があります。そこに一時的に隠れて反撃に出ましょう」
「オッケー、お前にしては良い案を出すじゃないか」
その案に賛同すると、勇也は更にアクセルを踏み込んで指定の倉庫に滑り込んだ。
藍葉の言う通り、そこは隠れるのに最適な倉庫だった。
外から見ても目立たないし、中は予想以上に広い。小窓も幾つかついているので、倉庫の中から外の様子を伺うこともできそうだ。
しいて、問題をあげるとするならば──
『ふふ、まさか、ネズミが自ら檻にやってきてくれるとはな』
敵もここを拠点としていたことぐらいだろうか。
「蒼宮、お前ふざけんなよ! どこの世界に、敵のど真ん中に行く馬鹿がいるんだよ!」
「だ、だって知らなかったですもん! こんなのわかるわけないじゃないですか! というか、そもそも先輩が悪いんですよ! 潜入捜査なのに、バレるようなヘマするから!」
喧嘩していると、二人を包囲するように魔導機装の影が次々と浮かび上がってくる。
それだけではない。倉庫の扉が開かれると、海には巨大な武装船が隊列を組んで並んでいた。その数、十隻。ぎゅおんという低音とともに全ての砲門がこちらに向けられる。
「……は、ははっ、最悪だ。こんなの何回目だよ。またあいつに騙された。こいつらどう考えても、薬の売人程度の犯罪組織じゃないだろ。明らかにテロリストじゃねーか」
半笑いとともに、勇也は暗い瞳で空を見上げた。
「あいつ、今回は危険は少ないって言ってたくせに! もうやってられるか! これで僕がこんな仕事するの最後だからな!」
「それはこっちの台詞です! 藍葉だってもうやりませんからね! 異国の王子様でもつかまえて、悠々自適な贅沢生活を送ってやるんです!」
自棄を起こしたように叫ぶ二人に、親玉らしき人物が武装船の甲板に出てきて問う。
『ふふ、流石の世界を救った双騎士様も生を諦めたか?』
「はっ? 諦めた?」
「まさか、冗談を」
けれども、その問いに対し、二人は疲れた顔で笑っただけだった。
「「──この程度で諦めてたら、魔王なんか倒せるか」」
魔王から世界を救った騎士二人は、首にかけたアクセサリーを引き千切り。
「星霊機装【黒剣士(グラディエーター)】──起動」
「星霊機装【蒼銃士(ガンナー)】──起動」
そのボイスコマンドとともに、己の武器を顕現する。選ばれたものしか使用することができない〈魔導機装〉──いや〈星霊機装〉と呼ばれる剣と銃を。
それは、絶対強者である〈双騎士〉の証。
百以上の銃口と砲門を向けられても尚、勇也と藍葉は唇の端を持ち上げる。
「さあ、来いよ」
「豚箱に入りたい方から相手してあげますよ」
五百年前。
急激な気候の変化によって海面が上昇したことで、大陸が徐々に海洋に飲まれることになった。以来、海面は上昇し続け、ついには世界の95%が海の中に消えたのだ。
しかし、変化はそれだけではなかった。
大陸を飲み込んだ海から、魑魅魍魎の化け物──〈魔族〉が現れるようになったのだ。
魔族については、発生原因も、存在理由も、何もかも不明。
わかっているのは人間を敵と認識していることと、魔王と呼ばれる最上位個体は〈結晶の巨城〉とともに海面を割って出てくることぐらいだった。サイズは、小さいなものは小鬼(ゴブリン)級から、大きなものは竜種級などと完全にバラバラ。現れた当初は、人類はその化け物どもに一方的に狩られるしか術がなかった。
それに対して、人間が取った手段は、かつて地上に存在したと言われる超常の技術──魔法の粋を集めた〈魔導機装〉と言われる特殊な機械で、魔族と対抗することだった。
それから、数百年後。
人類は、二人の少年少女──〈双騎士(パラディン)〉と称されるようになった二人の騎士に救われていた。
◇
水神島。
都市国家であるそれは世界のほとんどが海に埋め尽くされた中で、今も尚残っている数少ない国の一つだ。かつて地上にあった知識は世界中でつぎはぎのように受け継がれ、特に“東洋の国”の真上にあったこの都市ではその周辺の文化や慣習が強く広まっている。
その全貌は、首都がある大きな島を中心として東西南北に四つの島が浮かんでいる、というもの。中央の島には白亜の城が鎮座し、外周には多くの船が停められるように港が整備されていた。都市の中には水路が張り巡らされ、小型の船が行き来している。
水と共生する都市国家。その光景を見下ろせる位置にある白亜の城──王城で、
「金輪際、僕はこんな危険な仕事をやらないからな!」
豪華絢爛な装飾が施された部屋で、黒峰勇也は叫んだ。
ちょうど高等部に所属しているぐらいの若さの少年である。顔は決して悪い方ではない。だが、焦げ穴や切り刻まれた衣服を着ているせいで、幸薄そうな印象を与えた。しかも、着ている服が上等であるのが尚更それを助長させる。
それも、もちろん、あの犯罪組織のせいだ。
あの後、勇也たちはあの犯罪組織を潰して捕らえることに成功していた。けれども、その代償としてかなり苦戦させられたのだ。
ぶつぶつと文句を言いながら、王城から支給された上等な服に手を伸ばす。
一応、勇也はこの王城では最高の待遇を受けられる身だ。
その理由は、三年前に海面から現れた〈魔王〉を討伐したおかげだ。
当時、魔王に対抗できる人物はこの世界にいなかった。
というのも〈魔導機装〉の頂点であり、何万という超高位魔法を絶妙なバランスでまとめた武器──〈星霊機装〉である剣と銃を扱える者がいなかったからである。
星霊機装とは、世界に溢れる魔力を一点に凝縮させて威力を発揮する武器。
だが、その代わりに反動が凄まじく、限られた者──製作者の文献によれば星霊機装に好まれた者しか扱うことができないのだ。
三年前、偶然、勇也は星霊機装の一つである剣に選ばれた。それが王都の学生だというのに〈騎士〉などと不釣り合いな称号を与えられることとなった所以の一つだ。
そういった経緯もあって、以来、勇也は王城では王様にも劣らないおもてなしを受けているわけだった。
まあ、それは自分だけではないのだが。
「先輩、着替え終わりましたか? そろそろ時間ですよ」
ちょうど着替え終わったと同時に、部屋の中に入ってきたのは、もう一つの星霊機装に選ばれた少女・蒼宮藍葉だった。
藍葉は王都学園の後輩であり、勇也とともに魔王を討伐した者だ。それに加え、勇也と同じく〈騎士〉の称号を与えられ──二人で〈双騎士〉などとも言われている。
だけれど、藍葉は魔王討伐戦において、ほとんど……あまり活躍していなかった。役に立ったのは、精々全体のほんの二割程度といったところだろうか。
「……まったく、先輩はいいですよね。藍葉と一緒にいただけなのに、こんな待遇を受けられて。実際、あの魔王討伐戦で先輩が役に立ったのなんてたった二割ぐらいですし」
「はぁ?」
肩を竦めて言う藍葉に、勇也は眉をひそめた。
「何言ってんだ? 二割はお前だろ。蒼宮は覚えてないのか? 魔王にトドメを刺したのが誰だったか」
「はっ、先輩こそ覚えてないみたいですね。トドメを刺すためのお膳立てをしたのが、いったい誰だったのか」
やれやれといった調子で、ため息をつく藍葉。
その馬鹿な勘違いに、勇也は額に手を当てて嘆く。
「……おいおい、勘弁してくれよ。そのお膳立てのために、魔王相手に時間稼ぎしたのは僕だろうが」
「いやいや、先輩こそ勘弁してくださいよ。その時間稼ぎの案を出したのは、そもそも藍葉なんですけど」
「あぁっ? さっきから黙って聞いてれば、なんだよ? もしかして、魔王に勝てたのは自分のおかげとでも言うつもりか?」
「はぁっ? 先輩こそ何か勘違いしてるんじゃないんですか?」
「言っとくけど、僕は前の決闘の決着をここでつけてやってもいいんだぞ?」
「藍葉こそ、先輩の人生に決着をつけてもあげてもいいんですよ?」
顔を突き合わせると、勇也と藍葉は殴りかからん勢いで視線で火花を散らして。
「黒峰様、蒼宮様。お時間でございます」
外から響いてきた声で、二人は鼻を鳴らして顔を逸らした。
目を合わせることなく、勇也と藍葉は部屋の外に出る。
扉の前で待っていたのは、王城の紋章が刻まれた制服を着ている男性近衛兵だった。
〈近衛兵〉──この水神島を外敵から守るために王城に仕える者たちの一人である。魔族と戦うのはもちろん、この都市国家の治安を維持するのも彼らの仕事だ。勇也と藍葉は〈騎士〉であるが、元々は近衛兵の一人でもあった。
男性近衛兵に導かれながら、二人は城内を歩いていく。
しかし、
……王城、か。
人間が十人横に並んでも広々とした廊下を歩きながら、勇也は内心で呟いた。
王城に呼び出されるなんて嫌な予感しかしない。これまでの経験上、だいたいが危険な任務に無理矢理向かわされるなど、碌でもないものばかりだ。
「先輩?」
勇也の表情を見てか、藍葉が悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「どうしたんですか、浮かない顔をして? 緊張してトイレにでも行きたくなったんですか? 藍葉がついて行ってあげましょうか?」
「そんなわけないだろ。っていうか、お前も半分ぐらい勘付いているんじゃないか?」
「何をです?」
「あいつが自ら僕たちを呼ぶとき、良いことがあった試しなんてないだろうが」
「……まあ、そうですね」
記憶を探るように、藍葉が眉間に皺を寄せた。
「前回呼び出されたときは、数百人のテロリスト集団の中に突っ込まされましたし」
「その前は、確か魔族の残党狩りだろ」
「それはその更に前ですよ。前々回は、今日みたいに潜入捜査です。ま、どっちにしろ碌なものじゃありませんけど」
はぁーと、藍葉は苦労が上乗せされた声を漏らした。
大方、今まで受けてきた仕打ちでも思い出したのだろう。表情も一気に暗くなって、纏う空気もどんよりとしたものへと変わった。
やがて水の都が彫られた扉の前に辿り着くと、男性近衛兵が中に入るように促す。
だが、二人の足は遅々として前に進まない。それもそうだろう。この中に入れば、面倒事が降りかかってくるのは間違いないのだから。
「……先輩、藍葉なんか帰りたくなったんですけど」
「……そんなの、僕も同じだよ」
けれど、危険な依頼を断るためにも、この奥との人物とのコンタクトを避けるわけにはいかないのだ。
男性近衛兵がこほんと咳払いをする。二人は揃って溜息をついて。
「……行くか、蒼宮」
「……そうですね、先輩」
互いに声をかけて、あるいは裏切らないように確認を取ると、二人は扉の向こうへと足を踏み出した。
「よく来てくれたな、二人とも!」
暗雲を吹き飛ばすような快活な声。
駆け寄ってきたのは、一人の男だった。
年齢は、勇也よりも三つ上の二十歳。髪は黄金色で短い。精悍な顔つきをしており、力強い足取りからは、服の下に引き締まった身体があることを容易に想像させた。
名前は、金剛若竹。
この水神島の若き王であり、無茶な依頼を命令してくる張本人である。
この王様とは、三年前──つまり、魔王が襲来し、星霊機装に選ばれた以来の付き合いだった。それからというもの、勇也たちはこの王様から度々出動要請を受けているのだ。
「勇也、藍葉、今回の任務もご苦労だった。だが、今回も危険な目にあったと聞いたぞ。二人とも怪我は大丈夫なのか?」
言いながら、若竹が不安そうな表情をつくる。その姿は、まるで旧友を案じているかのようだ。いつもは悪態や罵倒で始まり、そのまま無理難題を押し付けるというのに。
「若竹、僕たちは大丈夫だが……」
「だが?」
「何か変だぞ。いったい、どうしたんだ? 変なものでも食ったのか?」
「変? 何を言っているんだ、勇也? 私はいつも通りだが?」
大仰に両腕を広げて、にこりと笑う若竹。
この男を知らないものであれば、爽やかな笑顔に見えるのだろう。
しかし、勇也には悪魔が笑っているようにしか見えなかった。
「先輩、先輩っ。若竹様、機嫌良さそうですよ。案外、何もないんじゃないんですか?」
「騙されるな、蒼宮。僕にはわかる。あれは、仮の姿だ。裏で何か仕組んでいるに違いない。じゃないと、こんな対応するわけないからな」
「先輩、どんだけ捻くれてるんですか……」
「いいか、蒼宮。気だけは抜くなよ」
「はいはい、わかりましたよ」
ぶつぶつと呟きながら、藍葉は頷いた。
「しかし、二人には毎度助けられてばかりだな」
そんなことを言われるとは露知らず、若竹は微笑を浮かべて二人を見つめた。
「お前たちのおかげで何度この国が救われたことか。お前たちがいなければ、この国はもうなかったかもしれない。私は王などやっていられなかったかもしれない。今一度、全国民を代表してお前たちに礼を言おう」
若竹が深々と頭をさげる姿に、勇也は目を丸くした。
そんな光景など見たことがなかったからだ。いつもなら感謝の代わりに、依頼を投げてくるはずなのに。それだけではなく、お礼まで言うなんて。
これは本当に機嫌が良いのかもしれない。
若竹の行動に、側に控えていた老人が眉に皺を寄せて声をあげる。
「若竹様! 前から言っておりますが、一国の王がそう簡単に頭を下げてはいけませぬ!」
「いいのだ、爺。この者たちは特別なのだ。私は二人のことは友だとも思っている。友ならば、お礼を言うのは当然ではないか」
「若竹、お前……」
「若竹様……」
若竹の言葉に感動して、勇也たちは目を潤ませた。
なんて素晴らしい奴なのだろうか。無理難題の危険な任務ばかり吹っ掛けてくる若竹のことを、正直あまりよく思っていなかったどころか、王様やってるからって調子に乗ってんじゃねぇよ糞野郎──とすら思っていたのに、それは誤解だったのだ。
王という立場にあるはずなのに、勇也のことを友と思っているなんて。
これだけの器量を持った人間が他にいるだろうか。
「二人には後日たくさんの褒美を送らせるつもりだ。いつもより金額は多い。それで身体を十分休めて欲しいと思っている」
「いやちょっと待ってくれ、若竹。褒美はいいんだ」
勇也は隣をちらりと見た。藍葉がこくりと頷く。
金剛若竹は実は良い奴だった。それがわかったというのは非常に大きなことだが──それでも、勇也たちがこの仕事を辞めたいという気持ちは変わらない。引退したいというのは冗談などではないのだ。とても残念だが、若竹にはそれを告げなければいけない。
若竹が耳を疑うように眉をひそめる。
「本当に褒美はいいのか?」
「ああ、褒美はいい。だけど、一つお願いしたいことがあるんだ」
「お願い、か。褒美を受け取らずに、そう言うとはよほど重要なことなのだろうな。いいだろう、言ってみろ。友である勇也と藍葉が願うことなら、私が何でも叶えてやろう」
ふわりと、若竹が微笑む。つられるように、勇也と藍葉も口角をあげた。
いつもなら、引退するなどと言った次の日には国外追放をされていてもおかしくない。
だが、今の若竹なら笑って許してくれそうだ。
それに立場は違えど、勇也と若竹は友達なのだ。快く賛同してくれるに決まっている。
笑顔で、勇也はそれを口にする。
「僕たち引退したいんだ」
「それは無理だ」
友達じゃなかった。
「おい、こいつらを捕らえろ。逃げられたら面倒だからな」
若竹が今までの温厚な雰囲気を捨てて命じた。途端どこからか黒服の大男たちが現れ、二人の両手首に手錠を嵌める。慌てて外そうとするが、勇也の力ではビクともしない。
「おい! 若竹、お前さっきと言ってること違うじゃねーか!」
「違うとは?」
「友達のお願いなら何でも聞いてくれるんだろ! 僕たち、友達なんだろ!」
「引退したいなどと言う者は、友とは呼べないな」
「じゃあ、お前の言う『友』ってなんだよ?」
「私の思い通り動く駒だ」
それを、友とは絶対に呼ばない。
「さて、何故そんな戯言を口にするようになったかはだいたい想像がつく。大方、危険だらけの生活に嫌気がさしたとか、そんなところだろう。だが、そんなことはどうもでもいい。重要なのは、今回の依頼を受けるか否かそれだけだ」
そう言って凶悪な笑顔をつくる若竹は、いつもの悪巧みをする糞野郎だった。
やはり最初のは演技だったらしい。ということは、今回の依頼は相当厄介ということなのだろう。こいつが対応を丁寧にするなんて、やはり碌なことがない。
「さあ、勇也、藍葉。受けるのか受けないのか?」
「え、藍葉たちに選択権があるんですか?」
「あると思うか?」
「ですよねー」
若竹が犬歯を剥き出しにすると、藍葉が諦めたように嘆息した。
「だが、今回の任務はお前たちの意思でついて欲しいのだ。まあ、無理だと言われれば脅してでもやってもらうしかないが」
「それ、藍葉たちの意思で任務についたって言うんですか……」
「言うわけないだろ。っていうか、そもそもお前は僕たちが本当に脅しに屈すると思っているのか? こんな手錠で、僕たちの動きを封じたつもりでも?」
挑戦的に見やって、勇也は隠し持っていたナイフで手錠を切断した。
普通のナイフではなく、魔力で刃を生成する魔導機装だ。鎖が断ち切られ、床に音をたてながら落ちる。隣を見ると、藍葉も同様に手錠から脱していた。
勇也と藍葉は学生である。
だが、伊達に数年間も騎士をやっていたわけではない。これぐらいは朝飯前だ。
「お前の言う通り、僕たちはもう危険だらけの生活は嫌なんだ。僕たちはもう任務には絶対につきたくない」
「どんな条件を出されても、考えを改めるつもりはないのか?」
「ああ」
「どうしても駄目か?」
「ああ、どうしてもだ」
「藍葉はどうだ?」
「藍葉もです、若竹様」
真剣な光を宿した瞳で、藍葉は若竹を見つめて頷く。その光が決して揺るがないことを察したのだろう。少しの間の後、若竹は息を吐いて微笑を浮かべた。
「……そうか。どうやら、私が思った以上に決意は固いようだな。わかった、諦めよう」
「わ、わかってくれたのか?」
「ああ、ここまではっきりと言われれば無理強いをすることはできないだろう。……今までご苦労だったな。お前たちが辞めるとなれば問題が山積みだが、そこは何とかしよう。これからの人生を大いに楽しんでくれ」
その宣言に、二人は顔を輝かせた。目を丸くして慌てて訊ねる。
「ほ、本当にいいのか? 自分で言っておいて何だか、僕たち本当に辞めていいのか?」
「う、嘘じゃないですよね? 冗談じゃないですよね? あとで取り消すって言っても、藍葉絶対にやりませんよ?」
「嘘でも冗談でもない、勇也と藍葉には散々助けられたからな。今まですまなかったな、色々と押し付けてしまって。勘違いさせてしまったかもしれないが、その感謝の気持ちだけは決して嘘ではない」
「若竹、お前……」
「若竹様……」
思わず瞳の端に浮かんだ涙を、勇也は指で拭った。
人は話し合えばわかり合うことができる。それがここに証明された。こんなに素晴らしいことがあるだろうか。
「しかし、困ったな」
と、そこで。
どこか演技くさい様子で、若竹が呟いた。
何かあるのだろうか。勇也をちらりと見ると、若き王様は言う。
「隣の国の王女から騎士様にと縁談が来ていたのだが、断るしかないな」
「任務の話、聞かせてもらおうか」
勇也は若竹の前に跪いた。
「先輩、何言ってるんですか! さっきまでの話はどこに行ったんですか! どんな条件でも揺るがないんじゃなかったんですか!」
「いやだって、隣の国の王女っていえばあのおっぱいだぜ? あのおっぱいはしょうがねぇよ。あのおっぱい貰えるなら、僕任務やるわ」
「どれだけおっぱい欲しいんですか!」
手のひらを一瞬で返した勇也に、藍葉が声を荒げた。
「ああ、勇也はきっとわかってくれると思ったぞ。流石、騎士の中の騎士だ」
「よせよ、若竹。僕はこの国の平和のためなら何でもするって、前にそう言っただろ」
「さ、最低! 最低です、この先輩! 己の欲望のためにあっさり鞍替えしましたし!」
「で、藍葉はどうする?」
若竹がにこやかな笑みとともに視線を向けると、藍葉はたじろいだ。
勇也は偉そうに両腕を組む。
「おい、何を躊躇ってるんだよ蒼宮。自分のこと優先してる場合じゃないだろ。僕たちは平和を守る騎士なんだぜ」
「真っ先に、己の欲望を優先させた人だけには言われたくありませんし!」
「まあ落ち着け、藍葉。今回の任務は、お前にとって悪い話ではない」
そう言って、若竹が藍葉にごにょごにょと呟く。
「……というわけで……ずっと……いられるんだぞ?」
「……それは……かもしれませんけど……」
「しかも……上手くいけば……一緒に……」
「うぅっ……そういうこと……わかりました」
一頻り喋ると、若竹が藍葉から離れた。
何か良い条件でも提示されたのだろうか。藍葉の顔はほんのり赤く染まって、口元を隠すように覆った手の隙間からは小さな笑みが覗いていた。
「なあ、蒼宮。お前は何を言われたんだ?」
「な、なんでもありません! 先輩には全然関係ないことですから!」
とにもかくにも。
二人は己の欲望に従う形で、新たな依頼につくことになったのだった。
「で、実際に何をさせようって言うんだよ?」
数分後。王城の執務室で、勇也と藍葉は椅子に座っていた。
目の前の机には、湯気を立ちのぼらせる紅茶とお菓子が置いてあった。それを口に運びながら訊ねると、若竹は一枚の紙を広げた。
「任務について説明する前に、まずはこれを見てくれ」
「なんだ、これ……未来に関する一考察?」
「まあ、題名は堅苦しいものだが──簡単に言うと、予言者による予言だ」
「そういえば前の魔王襲撃のときに迅速に対応できたのも、それのおかげでしたっけ?」
紅茶の香りを堪能しながら、藍葉がどうでも良さそうに言った。
「ああ、その通りだ。その予言者がまた予言をよこした。過去のデータを見る限りでは、的中率は九十%近い。ほとんど将来に起こると思ってもいいだろう」
「いったい何が起こるんだ?」
「魔王の復活」
若竹の返答は簡潔だった。流石に聞き逃すことができず硬直する。
たっぷり数秒間絶句した後、恐る恐る口を開いた。
「……嘘だろ? 魔王ってあの魔王じゃないよな?」
「残念ながら、あの魔王だ」
「冗談だろ。あんなの、もう一回起こればこの国は滅茶苦茶だぞ……」
いくら出現時期がわかっていても、その被害はタダでは済まない。
なにせ、前回の魔王出現では世界中の人口の三割が死んだと言われているほどなのだから。人が対抗できるものでもなければ、それを消し去ろうとするなんて不可能に近い。星霊機装の使い手以外は、文字通り魔王に傷一つすらつけることができないのだ。
「で、出現時期はいつなんだ?」
「二十五年後」
「えっ?」
「二十五年後だ」
若竹が再度繰り返すと、勇也はほっと息を吐き出した。
二十五年後。それだけ時間があれば色々と対策できるだろう。魔王相手にも安全で有効的な策が見つかるかもしれない。そう。例えば──
「つまり、藍葉たちに後継者を育てて欲しいということですか?」
まさに脳内で考えていたことを、藍葉が口に出した。
これから二十五年後というと、勇也と藍葉はとっくに現役とは言えない年齢だ。肉体的な意味ではない。星霊機装が若い男女しか使い手として選ばないからだ。
となると、これから二十五年もの歳月を使って後継者を探して育てるのが妥当だろう。
……と、思ったのだが。
「違う。それも一つの手だが、お前たちにやってもらいたいのはそれじゃない」
藍葉の推測に、若竹は首を振った。
どうやら、若竹には違う策があるらしい。
勇也の頭では、あとは未来に直接行くぐらいしか思いつかない。
──なんて、な。
脳内に湧き上がってきた馬鹿げた考えを、勇也は一笑した。
まさか、そんなことを本気で言うわけがない。冗談にもほどがある。もし、本気で言う奴がいたとしたら、そいつは掛け値なしの大馬鹿ものだ。
「お前たちには未来に行ってもらう」
掛け値なしの大馬鹿者だった。
「ちょ、ちょっと待て! 未来に行ってもらうって流石に冗談きついぞ!」
「そ、そうですよ! そんな魔法聞いたこともありませんし、そんな魔導機装だってありませんよ!」
「そんなことは百も承知だ。だが、ないならつくればいいだけの話だろう?」
「なっ、まさか──」
「そのまさかだ」
にやりと笑って、若竹はパチンと指を鳴らした。
その音に合わせるように、またもや黒服の男たちが現れると、二人のそばに椅子型の不思議なアイテムを置く。
「未来に行く魔導機装をつくらせた。これで問題はないだろう?」
「もういっそ、魔王を倒すアイテムを作ればいいだろうが!」
まさかのとんでもアイテムの出現に、勇也は全力で突っ込んだ。
「それができれば苦労しない。星霊機装の使い手であるお前たち以外では、魔王に傷すらつけられないのだからな。お前たちを未来に送り込んだ方が遥かに簡単なのだ。二十五年間で、次の後継者が無事に見つかるとも限らないしな」
「そんなわけないだろ! どう考えても、未来に行く方が難度高いだろ!」
「……というか、これ本当に未来に行けるんですか? どっちかといえば、藍葉には拷問器具としか見えないんですけど」
若竹が持ってこさせた不思議アイテムは、間違っても未来に行けるハイテクな道具には思えなかった。カラフルなコードが這い出ていたり、何故か棘や枷がとりつけてある以外はただの椅子のようだ。確かに拷問器具にしか見えない。
「……これ、当然実験したんですよね? 未来に行ってきたんですよね?」
「さあ、それはわからないな。なにせ、これは未来に行くだけのアイテムだからな。本当に未来に行けるかどうかは、実際に体験してみるより他にない」
「ん? 未来に行くだけのアイテムって、もしかして……」
「おい、やれ」
若竹の号令で、勇也と藍葉は瞬く間に椅子の上に乗せられた。
カシャン。間髪を容れずに、枷が両腕と両足につけられた。じたばたするが枷はびくともしない。ついでにナイフも取り上げられ、完全に脱出する術を失う。
「ああ、ちなみに」
それらすべてを見届けて、若竹が嗤った。
「そのアイテムに過去に帰る機能はついてない」
「ふざけんな! そんなことだろうとは思ったよ!」
くそっ、やはり若竹の思惑に乗るんじゃなかった!
なにが、王女様だ! なにが、おっぱいだ!
わかっていたじゃないか、碌でもない任務であることは。
わかっていたじゃないか、若竹が優しく接してきた時点で任務が過去の最高の危険度を持つことぐらい。
正直、魔王討伐ほどの危険な任務はないだろうと舐めていた。
だが、これはなんだ? 未来に行って復活する魔王を討伐しろ? ふざけるな。魔王を倒すだけではなく、そもそも辿り着けるかもわからない「未来」に行けなんて。三年前の魔王討伐よりも遥かに危険だ。
「では、二人とも出発の時間だ。検討を祈る」
若竹のその言葉で、椅子が駆動すると震え始める。けれど、悲鳴のようなその音はどう考えても誤作動を起こしているようにしか聞こえない。
「ふざけるな! 今すぐこれを外せ! さもないと、お前をぶっ殺してやる!」
「はっはっは、出来もしないことを言うな。それに、そんなに暴れると失敗する確率が増えるぞ?」
「嫌だ! 嫌だ、まだ死にたくないです! 藍葉は幸せな老後を送りたいんです!」
しかし、そんなことを叫んでいる間に、光が満ちて視界がホワイトアウトしていく。
同時に、意識が光に押し潰されるように薄れていく。
意識を失う寸前、勇也は若竹のこんな声が聞こえたような気がした。
「では、二十五年後でお前たちを待っていよう。もちろん、過去に帰れるアイテムと一緒にな」
そうして、意識が闇に飲み込まれた。
「…………っ」
頭に響く鈍痛で、黒峰勇也は意識を覚醒させた。
頭を振って周囲を眺める。家だろうか? どこか心の中でそう思いつつ、ぼぅーとしていると、記憶がいっぺんにフラッシュバックしてきた。
最早日常となっていた危険な任務。藍葉との口喧嘩。犯罪組織の壊滅。そして王城に呼び出されてある任務を請け負ったこと。
それらを脳内で何とか処理し終えると、未だ微睡みの中にある頭でぽつりと呟く。
「……ここは、未来なのか?」
しかし、それに返答する者はいない。ゆっくりと頭を動かして周囲を見渡すも、隣には誰もいなかった。壊れた椅子と暗闇があるだけだ。
「……蒼宮、蒼宮はいないのか?」
もう一度囁くように、この地獄巡りに付き合わされたパートナーの名前を口にするが、先程と同じように藍葉からの返答はない。
もしかして失敗したのだろうか? それとも一時的にここにはいないだけ?
そんなことを考えつつも、勇也は暗闇から這い出すように四つん這いで歩いて。
──潮風が頬を撫でる。
暗闇の先。勇也の瞳に映ったのは、ネオンの光に撒き散らす都市の姿だった。
やや記憶にあるものとは違う様相をしているが、間違いなく水神島だ。
「成功したのか……?」
思わずそう言うが、ここが王城ではないのは一目瞭然だった。首を回す限りでは、どうやらここは巨大な船の上らしい。豪華客船、とでもいうのだろうか。派手な装飾があちこちに施してあるこの巨大な船は、水神島の近辺の海域を静かに進んでいた。
と、そこで気づく。
廊下はおろか、デッキにも、視界に映るところすべてに人影が見えないことに。
どこかの部屋に集まっているのだろうか。これだけ大きい客船だというのに、人が誰もいないというのは流石におかしい。
「……とにかく、探してみるか」
独り言を口にして、勇也は当てもなく足を適当に踏み出した。
藍葉がいないことも気になるが、それよりもまず現状を把握しておくべきだろう。
勇也は分厚い絨毯が敷かれた階段をのぼっていく。
それから、人声が聞こえる部屋を見つけたのは数分後のことだった。
人声が微かに響く扉を僅かにあけて、おっかなびっくり中を覗く。
部屋の中は、外の闇を吹き飛ばすほど燦然と煌めいていた。
白い炎と化したシャンデリア。精緻な紋様が描かれた赤い絨毯。小さなテーブルが部屋のあちこちに置かれており、立食形式なのか、大勢の人が談笑しながらテーブルの上の食べ物に手を伸ばしていた。
どうやら、パーティーの真っ最中だったらしい。
その事実に安堵の息を吐くと、勇也は改めてパーティーの様子を観察した。
一見する限りでは至って普通のパーティーの光景だ。二十五年前とさして変わらない。
だが、ここは勇也がいた時代とは違って、二十五年後──近未来なのだ。
この時代にしかない、新しいパーティーの慣習があるかもしれない。
どこか期待しつつも見ていると、幹事らしき少女が台座の上に乗って盃を掲げる。
何故か、壁に貼られた二次元美少女の抱き枕に向かって。
「二次元嫁に乾杯!」
「「「「乾杯!」」」」
「いやいくら何でも新しすぎるだろ!」
予想外の音頭に、勇也は大声を発した。
「おい、今の声なんだ?」
思った以上に、音が響いてしまったらしい。勇也の声に反応して、この会場にいる人間の瞳が一斉にこちらに向けられた。怪訝な視線がいっぺんに体躯に突き刺さる。
「なぁ、誰だ? オレの船にこんな奴を招待した奴は?」
ずかずかと、一人の少年が屈強な男たちを引き連れて歩み寄ってきた。
一瞬、性別を迷ってしまうほど中性的な風貌の少年だった。
月光を束ねた編んだかのような銀色の長髪。服装は漆黒を基調としたもので、白銀の十字架が胸の上で踊っている。オッドアイなのか瞳の色が左右で異なっていたが、そのどちらにも明瞭に疑念の光が浮かんでいた。
不味い。もしかしすると、入ってはいけないパーティーに乱入してしまったのかもしれない。勇也は引きつった笑みを浮かべた。
「僕は怪しいものじゃない。ほら、至って無害そうな顔してるだろ?」
「くく、それはどうかな。なぁ、誰かこいつの身体を調べてくれないか?」
先程音頭を取っていたリーダー格の銀髪少年が指を鳴らすと、別の男が勇也の服へと手を伸ばした。やがてシャツに刻印された王城の紋様を見つけると、口笛を吹く。
「おい、こいつ王城関係者だ。近衛兵の可能性があるぞ」
「俺たちを調べてたのか? その勇気は賞賛ものだが、一人で大した武器もなしに突っ込んでくるなんて馬鹿なんじゃないか?」
「あるとすれば、ほら? 燻んだ剣のアクセサリーだ」
男が首からかけた剣のアクセサリーを突くと、あちこちから笑い声があがった。
しかし、この物言い──ここに集まる人々は明らかに普通ではない。何かの犯罪に手を染めた者たち。そういった印象を受ける。
……まったく、ついてないな。
自身を嘲笑うように、勇也は内心で呟いた。
今日だけで犯罪組織に追われ、未来に飛ばされ、そしてまた犯罪組織に遭遇してしまった可能性がある。運が悪い、では済まされない驚異的なツキの悪さだ。
「まあまあ、落ち着けよ。僕はお前たちに危害を加える気はない。お前たちが何者なのかも興味はない。ただ、あの島まで帰してくれればそれでいいんだ。この船にはちょっとした手違いで入っただけなんだ」
「ちょっと手違い? そんな言い訳で、オレたちが帰すと本気で思っているのか? だとしたら、あんた、よっぽどの大馬鹿者だな」
「よく言われる。学校じゃ成績は常に下から数えた方が早かったからな」
「あんた、オレたちが何者か知らないのか? 知ってたらそんな舐めた口がきけるはずもないもんな」
そう言うと、銀髪少年が胸を張って自慢げに宣言する。
「特別だ、あんたには大サービスで教えてやるよ」
「いや興味ないって言ってんだろ。いいって、どうでもいいから、僕をあの島まで帰してください」
「いいか、一度しか言わないからよく聞けよ」
「いいって言ってんだろ! 人の話聞けよ!」
「オレたちはあの〈二次元嫁の騎士団〉だ!」
「どっちにしたって知らねーよ!」
「なに!?」
銀髪少年が目を飛び出さんばかりに驚愕した。
「嘘だろ、〈騎士団〉だぞ。本当に知らないのか?」
「ああ、知らない」
「つい先日、世間を騒がせたあの〈騎士団〉だぞ?」
「ああ、知らない知らない」
「二次元嫁の素晴らしさを伝えるために、王城を爆破したあの〈騎士団〉だぞ!」
「お前ら何してんだよ!」
勇也は思わず突っ込んだ。
「そんなよくわからないもののために王城爆破!? 馬鹿だろ、お前ら!?」
「うるさい! あいつらはオレたちの大事なものを踏み躙ったんだ! この恨みは絶対に忘れない! そのためにオレたちは立ち上がったんだ! なあ、そうだよなお前ら!」
「「「「おお!」」」
銀髪少年の声に、周囲の男どもが同意の声をあげた。
認識が甘かった。これはパーティーなんかじゃない。
これは、テロリストどもの決起集会だ。
二次元嫁の素晴らしさを伝えるため。そんな馬鹿みたいな理由で動いていたとしても、こいつらが王城が爆破し、これから何かしようと企んでいるのは恐らく間違いないのだ。
それにしても〈騎士団〉とは。自分も〈騎士〉の称号を持っているが、未来人にこいつらと同類と思われそうで非常に嫌である。改名してくれないだろうか。
「で、このお兄さんはどうしようか? オレたちの正体を知ったわけだし、タダで帰すわけにいかないよな?」
「いや正体はお前が勝手に喋ったんだろ!」
「やっぱり口を封じるしかないか。幸い、ここは海の上。死体の処理は楽チンだ」
ニヤリと笑う銀髪少年に、勇也は頬を引きつらせた。
やはり、こうなってしまうのか。つくづく星の巡りの悪さを呪いたくなってしまう。
取り巻きの男たちが武器を持って、勇也を取り囲む。
「恨むなら、一人で潜入してきた愚かさを恨むんだな。まあ、寂しくないようにすぐにお仲間も一緒にあの世に送ってやるからよ」
「それはどうもご親切に。……ところで、一つ聞きたいことがあるんだが」
「ん、なんだ? 冥土の土産に答えてやるよ。何が聞きたい?」
「いや、まあ、大したことじゃないんだ。ただ、ちょっと気になったことがあって」
勇也は指をさす。
男たちが構えた、でっかいハートがあしらわれた銃を。
「その武器、なに?」
「愛の力で海をも真っ二つに割く正義の兵器、〈恋愛銃(ラブ・ガン)〉だ。知らないのか?」
「知るわけねーだろッッ!」
叫んで、勇也は頭をかかえた。
「なんで、テロリストがそんなファンシーな武器で戦おうとしてんだよ! お前ら真剣にテロ活動する気あるのかよ!」
「おいおい、愚問だな。この格好のどこがふざけていると?」
「ふざけているようにしか見えねぇから言ってんだよ!」
「まあ御託はいい。あんたが死ぬ運命は変わらないんだからな」
ザッと、男たちがハートがデザインされた銃──〈恋愛銃〉を構える。
屈強な男たちにハートつきの銃。何とも言えないシュールさである。
「さあ、神にでも祈りな、お兄さん」
言いながら、銀髪少年が額に銃口をおしつける。引き金に指をかけ。
そのとき。
ドゴッッッ! 天井が砕け、一人の少女がパーティーのど真ん中に乱入した。
背中ほどまである藍色の髪。小悪魔的な雰囲気。服装は何故か未来に行く前とは違ったものだが、その相貌は嫌というほど見慣れたもの。
すなわち、蒼宮藍葉がそこにいた。
「動かないでください」
武器を構えながら、藍葉は言う。
「──恋愛銃の餌食になりたくなければ、ですけど」
「いやなんでお前も持ってるんだよ」
◇
天井から降ってくると、藍葉は武器を構えた。
その武器が例の恋愛銃であるのは気になるところだが、しかし。
「……蒼宮、本当に蒼宮なのか?」
そっと囁くように問いかけると、藍葉がこちらに気づいて目を丸くした。
「せ、先輩!? 黒峰先輩ですか!? 今までどこをほっつき歩いていたんですか!?」
「いや、どっちかというと、それはこっちの台詞──」
「おい、こいつを殺せッッ!」
「くっ! 取り敢えず、先輩ここから逃げますよ!」
言うや否や、藍葉が何かを床に叩きつけた。
閃光弾。それを予期していた勇也は咄嗟に目を覆っていた。数コンマ遅れて周囲から呻く声が聞こえ、勇也は藍葉に手を引かれて部屋の外に出ていた。
十分な距離を取ると、勇也は藍葉の隣を走りながら問う。
「おい、蒼宮。今までどこにいたんだよ? それにその銃は? ここは本当に未来なのか?」
「先輩がどこにいたのかは、藍葉の方が聞きたいんですけど。ったく、この一ヶ月間どこ彷徨ってたんですか?」
「一ヶ月? 僕が目を覚ましたのは、ついさっきだぞ?」
「え? それって──」
藍葉が何かを紡ごうとするが、その声を塗りつぶすように背後で爆発が起こった。どうやら近くで着弾したらしい。爆煙を切り裂いて、銀髪少年たちが走ってくる。
「おい、あいつらを逃すな! このまま島に帰られたらオレたちの計画は水の泡だ!」
「「はっ!」」
そんな了承の声とともに、追撃が更に激しくなった。今日の朝──正確には二十五年前の日の朝に味わった逃走劇に感覚的には等しい。いや、敵の銃火器の威力だけ見ればそれ以上かもしれない。
藍葉が恋愛銃で応戦する。取り巻く状況に、勇也は嘆いた。
「ちくしょう! なんで、お前と一緒だと毎回こんな目に遭うんだよ!」
「どっちかと言えば、それ藍葉の台詞ですし! 先輩と一緒じゃなければこんな酷い目に合わないのに……というか、先輩は何か武器持ってないんですか?」
「武器? 武器なんて……いや、武器ならとびっきりのを持ってるぜ」
にやっと笑って、勇也は首からかけた剣のアクセサリーを指で弾いた。
「いや、先輩実はそれ──」
「まあ、見てろ。あいつらぐらい簡単に倒して見せるさ」
急制動をかけると、勇也は足をとめた。アクセサリーを首から取って固く握りしめる。
その確かな重みを手のひらで感じると、カッと目を見開いて。
「星霊機装【黒剣士(グラディエーター)】──起動」
そのボイスコマンドによって、手の中でアクセサリーが脈打った。
眩い光を放つ。その光は手から飛び出ていくと、剣を象るように伸びて結晶化した。さらに一拍遅れて結晶が破砕し、内部から透き通るような刀身が現れる。
その輝きは悪を滅する聖なる光。
一振りで星さえ砕くと言われる、絶対強者の力。
それらを兼ね添えた世界最強クラスの武器が、今、顕現──
顕現することはなかった。
「ちくしょうおおおおおお! なんで出てこないんだよっっ!」
再び追っ手から逃げながら、勇也は絶叫した。
「先輩、先輩。言っておきますけど、星霊機装は使えませんよ?」
「知ってたならもっと早く言えよ! なんか格好つけちゃったじゃん! すげー恥ずかしいじゃん!」
「はぁ? 先輩が忠告聞く前に勝手にやっただけじゃないですか。人の話は最後まで聞けって習わなかったんですか?」
藍葉が半目で軽蔑しきった眼差しを向けてくると、勇也は顔をそむけた。
しょうがない。誰にでもそういうときはある。
「で、お前は何か武器を持ってないのか?」
「もちろん持ってますよ。恋愛銃ですけど」
「もっとマシな武器ないのかよ!」
「じゃあ、何ならいいんですか?」
相も変わらず敵を撃ちながら、藍葉がむすっとした顔をする。
「例えば、ほら拳銃とか。蒼宮、お前未来に行くまえによく使ってただろ。あれ、今持ってないのか?」
「持ってますけど」
「よし! なら、それ貸してくれ! なんだ、普通の武器も持ってるじゃん。てっきり、僕は頭のおかしい武器しか持ってないのかと思ったぞ」
藍葉からそれを受け取ると、勇也はずさっっと足を止めて振り返った。
銃口を追っ手に向ける。
藍葉に比べれば、銃の扱いは遥かに下手だ。しかし、この豪華客船の廊下という狭い場所では、目を瞑ってでも的に当てることができる。勇也は勝利を確信して宣言する。
「さあ、お前らも神にでも祈りな」
そして引き金をひき、必殺の弾丸が放たれる──
ことはなかった。
「まあ、それ弾入ってませんけど」
「ならなんでこれを渡したんだよ!」
ただの重りとしてしか使えない拳銃を、勇也は敵に向かって投げた。
そうこうしている間に、背後からの追撃の数が膨らんでいく。それどころかこっちの場所が筒抜けなのか四方八方から銃火器の閃光がとんでくる。
廊下を抜け、扉を蹴破ると、そこは船の甲板だった。ほとんど迷うことなく、二人は甲板の奥にあった遮蔽物となりそうなコンテナの裏側へと潜り込む。
もうここが最後の逃げ場所だった。これ以上先は真っ暗な海しか広がっていない。
「くそっ、どうすればいい!? このままじゃマジでやられるぞ!」
コンテナの陰から伺いながら、勇也は甲板に次々と現れる敵に呻いた。
確認するまでもなく、絶望的な状況だった。
星霊機装は使えない。普通の銃には弾丸がない。手持ちにはあるのは恋愛銃などというふざけた武器だけ。加えて、その恋愛銃の弾丸にも限界があるに決まってる。あと数分でこちらの抵抗手段がなくなるのは明白だった。
「いえ、打開する手はまだあります」
それに対して、藍葉はゆっくりと首を振った。
「何だ、そんなもんがあるのか?」
「はい。でも、ちょっと難しいといいますか……先輩の協力が必要といいますか」
藍葉の歯切れが急に悪くなる。
しかし、勇也にそんなことを気にしている余裕は既になかった。
「何を迷っているんだよ、蒼宮? もう手段なんか選んでる場合じゃないだろ! 僕の力が必要なら喜んで貸す! 何でもするから教えてくれ、僕は何をすればいい?」
「……本当ですか? 本当に何でもしてくれるんですか?」
「ああ、もちろんだ!」
この状況を打破できるなら、協力を惜しむはずがない。
「……なら、先輩に打開する手を教えます。ただ、その……引かないでくださいね? 別に藍葉は冗談とかで言っているわけじゃありませんから」
「わかった、約束する。で、僕は何をすればいいんだ?」
「先輩にやってもらうことは一つだけです」
はっきりと宣言すると、藍葉が何故か勇也を熱っぽい視線で見つめてきた。
頬も紅潮させると、何かを覚悟をしたような面持ちで口を開いて。
この状況を打開するたった一つの方法を告げる。
「──その、あ、藍葉といちゃいちゃしてください!」
「何言ってんだ? 頭腐ってんのか馬鹿が」
ダンッ! ダンッ! ダンッ!
微塵の躊躇いもなく、藍葉が勇也に向かって恋愛銃で発砲した。
「ちょ、危なッ!? 死ぬ、マジで死ぬッ!」
「死ねば良かったのに。なんで避けてるんですか?」
可愛らしい顔に青筋をピキピキとたてて、藍葉は唾棄した。
「藍葉言いましたよね? 引かないでくれって! 冗談で言っているわけじゃないって!」
「だって、いくら何でも信じられるわけないだろ! いちゃいちゃしてくれなんて!」
「そ、それはそうですけど……でも、本当にそうなんだから仕方ないじゃないですか!」
藍葉がヤケクソ気味に叫んだ。
だけれども、その表情は冗談を言っているようには思えない。
つまり、本気なのだ。さっぱり理解できないが、藍葉は本気で「いちゃいちゃ」すればこの状況を打開できると信じているのだ。
「……わかったよ」
その馬鹿げた提案に乗る覚悟をすると、勇也は藍葉に向き直った。
もうコンテナの裏に隠れているのも限界だった。打開できそうな手段がそれしかないのならば、どっちにしろそれに賭けてみるしかない。
「いまいち理解できないけど、蒼宮お前のことを信じてみることにする」
「……え、本当ですか?」
「ああ、どうもそれしかないみたいだしな。で、いちゃいちゃするって具体的に何をすればいいんだ?」
「そ、それは……」
藍葉は逡巡するように唇をもにょもにょと動かした。やがて恐る恐る口を開く。
「……ハ、ハグ、とかですかね。ぎゅっ、って優しく抱きしめてください」
途端借りてきた猫のように大人しくなり、藍葉が小さく腕を広げた。
抱きしめてくれ。そういう意味だろうと解釈すると、手を伸ばしてゆっくりと身体を触れ合わせる。
近くでは、コンテナに隠れている二人を狙おうと発砲音が常に響いていた。すぐにそばに弾丸が着弾して火花を散らす。正直、藍葉との会話も顔を近づけないと聞き取ることすらできない。だというのに、勇也の心音は発砲音に負けないぐらい煩かった。
藍葉と触れ合った部分だけ火傷したかのように熱が伝わってくる。藍葉の身体は抱きしめてみると折れそうなほど細かった。視線を上げると、藍葉も全く同じことをしていたのかばっちりと視線が合う。二人はこそばゆい雰囲気に頬の温度を上げつつも顔を背け。
ピピッ。どこからか電子音が響く。
【恋愛磁場装填率:13%】
「──よし!」
勇也の腕の中で、藍葉は小さく拳を握った。
何が起こったかわからず呆然としていると、藍葉は敵に銃口を向け。
ゴウッッ! 銃口から放たれた一条の光芒が数十人の敵をまとめて吹っ飛ばした。
「なっ……」
その凄まじい威力に、勇也はあんぐりと口をあけた。
魔力の弾丸と同等の──いや、それ以上の攻撃である。何故いちゃいちゃしなければならないのかはわからないが、これなら確かに現状を打破できそうだ。
読み通りだったのか、藍葉がにやりと笑う。
だが、次の瞬間、藍葉の手から恋愛銃が叩き落とされた。
──遠距離からの狙撃。
恐らく、狙撃手にコンテナの裏を狙える位置に構えられたのだろう。だけれど、不味いのはそれだけではない。唯一の攻撃手段がこちらの手を離れてしまったのだ。
「っ」
小さく声を漏らすと、勇也は地を蹴って恋愛銃を拾う。再び発砲音。そのときには、勇也は更に転がって別のコンテナの裏へと隠れていた。
「先輩、大丈夫ですか!?」
「ああ! だけど、これどうやって撃てばいいんだ?」
恋愛銃に妙に詳しい藍葉に投げ返している時間はもうなかった。視界の端ではコンテナの裏から出てこない二人に痺れを切らして、銀髪少年たちが特攻してきていた。
もうこうなっては、勇也が撃つしかない。
藍葉もそう判断したのだろう。別のコンテナに身を隠しながら指示を送ってくる。
「先輩! まずは銃を握ってユーザー登録をしてください!」
「わ、わかった!」
藍葉の指示に従って、勇也は銃を固く握った。直後、網膜に文字列が流れていく光景が刻まれ、視線を動かすと各種設定が選択されていく。
【ユーザー:黒峰勇也】【承認完了】【威力設定:最大】
【LG4545式恋愛銃の使用を許可します】
「あとは安全装置を外して引き金をひくだけです! それで弾丸が発射されます!」
「了解! あとは僕に任せとけ!」
「あ、でも、ちょっと待ってください! 実は──」
藍葉が更に説明を続けようとする。
だが、それを待っていられずに安全装置を外した。敵に好きにさせていい時間はもうない。一刻も早く反撃しなければ、魔王を倒す前にこっちがやられてしまう。
「──実は注意点があって、例えば威力設定を最大にしちゃうと」
話半分で聞きながら、勇也は引き金をひく。
「地形を変えるほどの一撃が発射されます」
ゴウッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!
恋愛銃の銃口から極太のレーザーが放たれた。
それは豪華客船の上層部をまるごと撃ち抜くと、跡形もなく消し飛ばした。
特攻してきていた銀髪少年たちも、全て一掃され、海に叩き落とされる。
一方で、極太のレーザー光線は豪華客船を突き抜けると──上空で拡散して、辺りに雨のように降り注いだ。
そのうちの一つが、水神島の頂点に聳え立つ王城を見事に撃ち抜いた。
爆発。王城のてっぺんが燃え盛る。
「…………」
「…………」
「……あの」
「……なんですか?」
「…………これ、僕のせいじゃないよな?」
「どう考えても、先輩以外有り得ませんし!」
ポツリと呟いた勇也に、藍葉が全力で叫んだ。
「なんでテロリストを倒そうとして結局テロに加担してるんですか! 藍葉言いましたよね!? 設定を最大にしちゃ駄目って! 人の話を聞けって! 先輩は馬鹿なんですか!?」
「しょ、しょうがないだろ! 普通、こんなに威力出ると思わないだろ! だいたい、それを言うなら──」
言いかけて。背後から津波が迫っていることに、勇也は気づいた。
どうやら、上空で拡散した光線が海面に着弾したらしい。津波が凄まじい速度で迫ってくる。しかも、この豪華客船を簡単に攫うことができるほど波は高い。
「ど、どうすれば……はっ、これでもう一度撃てば! ってなんかこれ煙出てるぞ!?」
「ちょ、ちょっと、なに壊してるんですか先輩! それ特注品なんですよ! 三年近くかかってるんですよ、これ作るのに!」
「知るか、そんなこと! どう考えてもこれは僕のせいじゃ──って、えっ?」
空を見上げると、波はすぐそばまで迫っていた。
逃げる時間も手段も、最早残されていなかった。
「……ははっ、なんでお前と一緒だと毎回こうなるんだよ」
「……だから、それ藍葉の台詞なんですけど」
二人は乾いた笑い声をあげ。
津波に飲み込まれた。
◇
今からずっと前、黒峰勇也は地獄にいた。
いつからだろう、その孤児院で生活していたのは。物心がついたときには孤児院にしたような気がするし、誰かに連れてこられたような気もする。はっきりしているのは、十歳までの記憶のほとんどはこの孤児院での生活が占めているということだ。
病的にまで『白』しかない部屋で、少年は一つも染みがない天井を見つめていた。
部屋にはほとんど物がなかった。持ち込みが許されていなかったのだ。それを破ろうものなら、翌日の『勉強』の時間が二倍になってしまう。孤児院の子供たちにとってはそれは最も避けたいことだった。
そう、勉強。
この孤児院は子供たちに『勉強』を強いる。外では、この孤児院のことを〈塾〉と呼んでいるらしい。全く馬鹿げたこと話だ。何故なら、この孤児院で『勉強』させているのは算数などではない。魔族の殺し方──〈力〉の使い方だ。
当時、世界中で魔族の増加が問題視されていた。
後から考えれば、それは魔王が現れる予兆だったのだが、当時は魔族の被害でさえ非常に深刻なものだった。
魔族に対抗するために、人類は二つの手段を取った。
一つは、武器たる魔導機装の技術を向上させること。多くの人類はこちらの手段を推奨して、各国は星霊機装にも劣らない強力な武器を作り上げることにも成功していた。
もう一つは、人間自体を強靭な存在にしようとする試みだった。具体的には、魔族の細胞を身体に埋め込んで作り変えるというもの。こちらは社会的な批判にあってすぐに頓挫したが、それを密かに引き継いだ組織もあった。それが少年がいる孤児院だった。
孤児院に集められたのは、いなくなっても構わず、細胞に適応して成長する存在──つまり、身寄りのない〈魔族適性〉が高い少年少女だった。
「っ」
無意識に寝返りを打つ。その際に腕を下敷きにしてしまい、少年は苦悶の声を零した。その腕を目の前に掲げると、ドス黒い色に腫れていた。
これも『勉強』のせいだった。
白衣を身に纏う『先生』たちは容赦がない。わけのわからない注射を何本も打たれた後に、身体がおかしくなることは何度もあった。だが、それがバレれば最悪『廃棄』されてしまうこともある。故に、多くの子供たちは必死に先生たちから傷を隠していた。
ズキズキと傷が痛む。
身体中を掻きむしりたい感覚に襲われるが、少年は唇を噛んで我慢した。こういうときの夜はだいたい眠れない。長い夜になることを覚悟して、少年は目を瞑り。
こんこん。
その扉を叩く音で少年は強く身構えた。だが、部屋の入ってきた夕焼け色の髪のポニーテールの少女の姿にほっと緊張を吐き出して、その後に顔をしかめた。
「神代、夕日……」
その少女は『勉強』ではいつもトップの成績を出す優等生でありながら、勝手に部屋を抜け出したりする問題児だった。
大方、これもその問題行動の一環なのだろう。
こっちまで巻き込まれてはたまったものではない。少年は少女を無視するように背中を向けた。しかし、そんなことはお構いなしに、少女は無理矢理自分の方に向かせると怪我をしている腕を取る。
「……あー。やっぱり、君、今日の実験で怪我したでしょう。駄目だよ、このまま放置しておくと痕が残っちゃうよ」
「……別にあんたには関係ないだろ。放っておいてくれ」
「関係なくないよ。だって、この傷はわたしのせいでもあるもん。今日、わたしが調子悪くて倒れちゃったとき、代わりに実験に出てくれたんでしょう? 後で他の子に聞いたよ」
だから関係なくない。そう繰り返して、少女は少年の手をぎゅっと握った。
「ありがとね。正直あのまま出てたら、わたし廃棄処分になってたかも」
「……それはないだろ。あんたは一番の成績だ。大人が手放すわけがない」
「それもわかんないよ。ここじゃ、突然いなくなる子はたくさんいるもん。だから、みんな必要以上に干渉しない。間違っても代わりを務めようとする子なんていない。もし、そんな子がいるとしたらとっても優しい子なんだろうね」
「…………」
「だから、とっても嬉しかったんだ。ありがとね」
少女の手が頭を優しく撫でる。
それはとてもくすぐたくって。だけれど振り払おうとは思わなかった。心の内から温かいものが溶け出していく感覚。ぬるま湯のような安心感に、少年は自然と身を預けた。
「じゃあ、腕を出してくれる? お礼にお姉さんが手当てしてあげる」
「えっ? いや、そんなのいいって──」
「いいから。お姉さんに任せて」
ベッドに座る少年の足元に跪くと、少女は軟膏を取り出して腕に塗り始めた。
そこで初めて、少女をちゃんと見たような気がした。感嘆を吐くほど綺麗な顔。そんな子に甲斐甲斐しく治療されているという事実に、少年は頬を紅潮させた。
少女が言う通り、この孤児院には他人に干渉しようとする子供は少ない。
他人の代わりに実験を買って出る子供もいなければ、
他人のために軟膏を持ってきて治療する子供もいない。
つまり、この少女もよっぽどのお人好しというわけで──
「はい、終わり」
軟骨を塗り終わったのか腕を軽く叩いて、少女は立ち上がった。
「たぶん、これで明日の朝には痛みは引いてると思うよ。わたしが前に使ったときもちゃんと治ったし」
そう言葉を紡ぐ、彼女の顔は太陽のようにキラキラと輝いていて。
少年が少女のことを気にし始めるのに、そう長い時間はかからなかった。
◇
ガバッと、勇也は慌てて起き上がった。
久しぶりに見たあの夢。シャツはびっしょりと濡れており汗を大量に吸い込んでいる。匂いを嗅いでみると、どうやら海水も混じっているようだった。
そこでようやく、勇也はベッドの上に寝かされていたことに気づいた。
一目で高級とわかる調度品が置いてある部屋だった。それに差異は多少あるが見覚えがある。ここは王城の一室だ。
次いで津波に巻き込まれたことも思い出す。慌てて同じ災難にあった少女を探すが、その姿は難なく見つかった。藍葉はベッドに寄りかかるようにして寝息をたてていた。
きっと、こいつが自分をここまで運んでくれたのだろう。
心の中で感謝を述べると、勇也はベッドから降りた。
窓に近づく。未来の水神島の光景を一望しようと、カーテンを捲って。
「先輩?」
いつの間にか、藍葉は背後に立っていた。
寝ぼけ眼でまだ眠そうだ。それでも服の袖で顔を拭うと、藍葉は視線を送ってきた。
「先輩、身体は大丈夫ですか?」
「まあな。お前はどうだ?」
「藍葉も問題ありません。お互いしぶといですね」
藍葉が唇の端を持ち上げるのに合わせて、勇也も小さく笑った。
本当にその通りだ。今日だけでいったい何度死にかけたことか。それにも関わらず、しっかり生き残っているのだから自分が誇らしい。
「……そういえば、お前一ヶ月がどうこう言ってたよな。あれ、どういうことだ?」
それに恋愛銃という摩訶不思議な武器にも精通していた。
命の危険が遠のいたことで疑問が湧いてくる。しかし、それには答えることなく、藍葉はボイスレコーダーを取り出してベッドの上に置いた。
「藍葉が答える前に、これを聞いた方がいいと思います。まずは、この世界がどうなっているか。それを把握しておくべきですから」
「はっ? いったい、どういうことだ?」
怪訝な目で見る。
藍葉はそれにも反応することなく、ボイスレコーダーのスイッチを押して。
《勇也、藍葉、久しぶりだな》
その機械から聞こえてきたのは、若竹の声だった。
藍葉の瞳を見つめると、藍葉は口元に人差し指を添えたのみだった。これを黙って聞いてろ、ということだろうか。若竹なんて部屋を移動すれば会えるはずだろうに。
そんなことを思っていると機械の向こうで、若竹は言った。
《これを聞いているということは、お前たちは無事に未来に行けたのだろう。そして、おそらくは──その未来に、私はいない》
《まずは、お前たちに謝っておこう。未来に行くアイテムだが、あれの安全性はちゃんと確認していた。最後のは冗談だ》
《まあ、それはともかくとして、お前たちに言っておかなければならないことがある。この世界のことだ。もう気づいているかもしれないが、この世界はお前たちが知っているそれとは完全に変わっている》
《事の始まりは、お前たちが未来に行って五年経ったときだった。空気中に存在する魔力が極端に減少し始めたのだ》
《知っての通り、私たちが使っていたあらゆる機械は魔力で動いている。お前たちが未来に行ったアイテムもだ。魔力がなくなればどうなるか、それは簡単に想像がつくだろう》
《この非常事態に、世界中が動いた。だが結局原因はわからず、私たちはそれを見ていることしかできなかった。それに対して、私を含む各国の王が決断したのは、新たなエネルギーをつくることだった》
《結論からいうと、私たちは新しいエネルギーをつくることに成功した》
《しかし、それは極めて異質なものだ。なにせ、そのエネルギーの根本は恋愛感情なのだからな。お前たちの立場になって見ると、私でも笑ってしまう。だが、これは冗談ではない。紛れもない真実だ》
《二十年前、複数の人間が恋愛感情を双方向に向けることによって磁場のようなものが発生することを、ある研究グループが発見した。それを利用して新しいエネルギーをつくりだしたのだ。私も専門ではないから詳しくはわからないが、どうやら簡潔にいうと、いちゃいちゃすることによってエネルギーが生まれるらしい》
《わかっている。何を馬鹿げたことを言っているのかと、お前たちが思っていることぐらい。だが、もう一度言う。これは真実だ》
《生まれたエネルギーは〈恋愛磁場(ラブパワー)〉と呼ばれた。これによって、世界は大きく変わった。繰り返す、世界は大きく変わった。お前たちがいるそこは、もう二人が知っている世界ではない》
カーテンが風ではためき、瞳に水神島の全貌が映る。
だが、それは記憶にあるものとは全く違った。
宵闇に浮かび上がるライトアップされた城。キラキラと雫を輝かせる噴水。豪華なパレードに、笑顔を振りまく一流のキャスト。この都市のあらゆる場所に大小様々な遊園地があり、まるで都市そのものが巨大な遊園地となったかのようにも錯覚してしまう。
そして、その更に向こうには、大人だけに許された休憩所の集合群──ラブホテル街が大量に広がっていた。
大人の遊園地や愛の遊園地。
あるいは、十八禁の街とも言うべき風景がそこにはあった。
「先輩」
藍葉は言う。
冗談を一切交えることなく、至って真剣な表情で。
「ようこそ、二十五年後の未来──いや、〈恋愛至上都市〉水神島へ」
王城内部の様相は過去とは少し異なっていた。まず構造が以前と所々違っている。改修工事でもしたのだろうか。それに働いている人々も随分と減っているような気がした。
「それにしても、私、お二人に会えて感激です」
ほんわかとした雰囲気の女性近衛兵(確か花百合ゆりと名乗っていた)が勇也と藍葉よりも一歩前を歩きながら、不意に言った。
現在、二人は女性近衛兵の一人に案内されて、今代の王に会うために執務室へと向かっている最中だった。勇也がこの王城に訪れた際にはそう命じられていたらしい。
「伝説とさえ言われるお二人が揃っているところを見れるなんて……特級クラスの極秘情報でなければ、今すぐにでも家族や友人に自慢したいぐらいです」
「そっか、僕たち未来では伝説扱いになってるのか。まあ、そりゃそうだよな。だって世界を救った英雄だもの。ちなみに、どんな伝説になってるんだ? 男の方は超イケメンで最強クラスの武力を持っていたとか?」
「いえ、伝説級の双騎士(バカップル)だったと」
「そんな伝説つくった覚えねーよ!」
思わず突っ込むが、花百合は聞いてはいなかった。うっとりとした恍惚の表情で、伝説の双騎士について妄想して自分の世界にトリップしてしまっている。
「……なんか騒がしいですね」
廊下を慌ただしく駆けていく人々を見て、藍葉が呟いた。
確かに何か様子が変だ。王城内に漂う緊迫した雰囲気に、勇也は首をかしげる。
「そうなんです、蒼宮様」
その声でこちらの世界に戻ってきたのか、花百合は首だけこちらに向けた。
「十時間前ぐらいにテロリストの襲撃があったんです。それも王女様の部屋に」
「なっ。それは大丈夫なのか? 王女様の容態は?」
「……すみません、それは知りません。さっきまで二次元嫁の騎士団を追っていたので」
「犯人は捕まえたのか?」
「いえ、それもまだのようです。どうやら、テロリストたちは上空から最大出力の恋愛銃で王女様の部屋を狙撃してきたみたいで。最も怪しい二次元嫁の騎士団の方々も否定をするばかりなので……犯人は検討もついていません」
「そうか。にしても、王女様の部屋を直接狙うなんてとんだ糞野郎だな」
内に秘める正義の炎を存分に燃やして声を吐き捨てると、勇也はふと動きを止めた。
恋愛銃。最大出力。何故だろうか。自分とは関係ないはずなのに、とてもとても聞き覚えのある単語のような気がした。
勇也は藍葉にこそこそと耳打ちする。
(……なあ、藍葉)
(なんですか、先輩?)
(僕が豪華客船を撃った銃って、なんて名前だったっけ?)
(恋愛銃ですけど)
(…………)
(……どうしたんですか、先輩? なんかうっかりテロリストの一味になったような顔をしてますけど。あれ、そういえば、先輩が撃ったレーザー光線って王城に向かっていったような……)
(そ、そんなわけねぇだろ! そんな偶然あるわけねぇだろうが! 僕が王女様を狙撃するわけないだろう! そう! 絶対有り得ねぇよ、あは、あははははは!)
「どうされました、黒峰様?」
「ひっ」
首を傾げて声をかけてきた花百合に、勇也は身体を震わせた。
「大丈夫ですか? 顔色が優れないですけど……先に医務室に寄りましょうか?」
「い、いや、それは大丈夫だ。そ、それよりも何の話だったっけ?」
「テロリストが許せない、という話です。──まったく本当に許せません! こんな外道なことをしてくるなんて! 捕まえたら八つ裂きにしてやりたいぐらいです!」
「ほ、本当だよな! 僕も会ったらボコボコにしてやんよ! マジ許せねぇ、テロリストども! まあ、僕は全然知らないから会ってもわかんないだろうけど!」
だらだらと冷や汗を流しながら、勇也は引きつった顔で喚いた。
だが、これは本当に洒落にならない。あの一撃が、王城の、それも王女様の部屋を狙撃するなんて。こんなの何かの冗談だ。同じタイミングで撃った奴がいたに決まっている。
そんなことを考えているうちに、件の王女様の部屋の前についた。
しかし、思った以上に被害はなさそうだった。
あのレーザー光線は部屋から少し離れたところに着弾したようだ。これなら大丈夫だろう。部屋の修繕ぐらいなら十分取り返しがつくはずだ。
どこか安堵しながらも、勇也は藍葉たちと部屋の中に入っていって。
「ちくしょうおおおお! いったい誰が! いったい誰がこんなことをしたんだよ!」
部屋の真ん中には、少女の遺体と思わしきものが置いてあった。
すなわち、王女様の遺体が。
──取り返しつかねええええええええええ!
勇也は内心で絶叫した。
王女様の遺体の周りには、多くの近衛兵が集まって各々泣き腫らしていた。中にはテロリストをぶっ殺してやるなど物騒な言葉を口にしている者さえいる。
不味い。これはいくら何でも不味い。
未来を救いにきた騎士が王女様を殺したなんて、そんなことがあっていいはずがない。
──先輩、やっぱりこれあのとき奴じゃないですか? 先輩が犯人ですよね?
──やっぱり、これって僕のせいなのか!? 僕が犯人なのか!?
──だって、それ以外考えられませんし。
──ど、どうしよう!? いったい、僕はどうすればいいんだ!?
──取り敢えず、謝ればいいんじゃないですか?
──いやこれは謝って済む問題じゃないだろ!
──まあまあ、それでも何もしないよりもマシですよ。
藍葉にそう説得されて、勇也は渋々遺体に近寄った。
遺体の顔の上には白い布がかかっていた。その側に屈むと、勇也は周囲に聞こえないように小声で囁く。
(……なんていうか悪かったな。お前を撃ったのは、僕なんだ)
「…………」
(だ、だけど、勘違いするなよ! あれは誰のせいでもない、不慮の事故だったんだ)
「…………不慮の事故」
(そう、不慮の事故だ。決して僕のせいじゃない。いいか、もう一度言うけどこれは僕のせいじゃない)
「……あなたのせいじゃない」
(そうだ。しいていうなら、蒼宮のせいだ。だから、化けて出るときは、僕じゃなくて蒼宮のところに行ってくれると嬉しなぁって──あれ、僕はいったい誰と喋ってるんだ?)
「わたくしですわ」
むくりと、王女様の遺体が起き上がった。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
悲鳴をあげながら、勇也は慌てて後ろに逃げた。
さっきまでピクリとも動かなかった遺体が、今は二足歩行していた。それどころか、こっちに歩いてくる。まるで生きているみたいだ。
「ち、違うんだ! 僕のせいじゃない! まさか王城の方に飛んでいくとは思わなかったんだ! だから許してくれ! 呪わないでくれ!」
「呪いませんわ。だって、わたくし死んでいませんもの」
「これからは清く正しく生きます! だからもう勘弁……って、え? 死んでない?」
「はい、死んでません。ドッキリですわ」
にこりと笑う王女様の遺体──ではなく、生者の王女様。
よく見れば、酷く見えていた傷も肌の表面に描かれているだけだ。
ガシッ。
勇也は王女様の顔を片手で掴んだ。
「おい、糞餓鬼。お前なにしてくれんだ。寿命が縮んだと思ったじゃねぇか」
「ふゅうやさんやめてくだふぁい。ふぁおが、顔がちぎれふぁすわ」
「そうか。なら、実際に千切れる瞬間まで見届けてやるよ。本当に遺体にしてやるよ」
「いふぁいいふぁいいふぁい!」
ふごふごさせながら、王女様が喚いた。
隣では、藍葉が盛大に笑いながら目元の涙を指で拭っていた。
どうやら、この茶番劇には藍葉たちも絡んでいたらしい。そういえば、藍葉は意識を失った勇也を王城に連れてきているのだ。いくらでも打ち合わせをする時間はある。
「先輩、先輩。もうその辺でやめてあげてください。だいたい元はと言えば、先輩が王城を爆破したのがいけないんですし」
「そ、そうですわ! 修繕費を請求しないだけありがたく思ってください」
勇也の手の中から自力で抜け出すと、王女様は赤くなった頬を撫でた。
「わたくしの権限で、勇也さんを牢屋に入れることもできるのですよ?」
「へぇー、餓鬼の分際で随分と偉いんだな」
「ええ、わたくしはこの国の王ですから」
そう言って、王女様(推定十歳)は胸を張った。
「面白いこと言うんだな。お前みたいなチビっ子が王様なわけがないだろ」
「ですが、事実としてそうなのです。実際、勇也さんと藍葉さんをここに呼ぶように命じたのもわたくしですし」
王女様が不敵に笑う。
その姿は不思議と嘘をついているようには思えない。だが、それ以上にこの少女が王であるということが信じられなかった。
訝しげに見ていると、藍葉が嘆息する。
「はぁー、先輩もう忘れちゃったんですか? 藍葉たちは今代の王に会いにここまで歩いてきたんですよ」
「……ああ。それがどうかしたのか?」
「王女様の部屋に訪れたのは、偶然でも通り道だからでもありません。その方こそが、今代の王・金剛天音様なんです。紛れもない若竹様の娘で、この水神島の若き女王ですよ」
藍葉の声に、王女様──女王・金剛天音はにこりと微笑した。
「まあ、正確には継いだわけではないので、わたくしは女王ではありませんが」
王城の執務室。
他とは違ってかつての匂いを残すその場所で、天音は深々と椅子に座った。
この部屋にいるのは、勇也、藍葉、天音の三人だった。他の近衛兵たちは天音が下がらせたのだ。近衛兵が従うあたり、天音が権限を持っているのは純然たる事実らしい。
この執務室は、若竹が以前使っていたところだった。
しかし、現在は若竹はおらず代わりにその娘が主として座っている。
──そして、おそらくはその未来に私はいない。
藍葉が聞かせた若竹のあの言葉。実際に若竹の姿はなく、その娘が王として振舞っている。自分の知らないところで、若竹に何かあったのは間違いない。
「では、改めて初めてまして。わたくしは金剛天音、金剛若竹の娘です。伝説級の双騎士(バカップル)と呼ばれているお二人に会えて光栄ですわ」
「本当に光栄と思ってるならその呼び方やめろ。っていうか、それ普及してんのかよ」
「なんか、藍葉たちの武勇伝が学生の教科書に載っているらしいですよ。曰く、藍葉たちの恋の力があったおかげで世界の災厄である魔王を倒すことができたとか」
「誰だよ、そんな嘘っぱち書いた奴。馬鹿じゃねぇのか、恋の力なんかで魔王が倒せるわけがないだろ」
「by金剛若竹」
「犯人あいつかよ!」
藍葉が告げた予想外の犯人に、勇也は咆えた。
「ほとんど嫌がらせじゃねーか! なあ、天音。仮とはいえこの国の女王なら、バカップル表記どうにかならないのかよ」
「そうは言われましても、今の王城にそんなくだらな……教科書を書き換えるためのお金はありませんし」
「おい、今何て言った? 今、くだらないって言おうとしていなかったか?」
「まさか。では、バの部分に墨を塗るということでどうでしょう? バッカプルではなくカップルに変えるのですわ。それなら作り直すよりは労力はかかりませんし」
「まあ、それなら……」
天音の妥協案に、勇也は渋々と頷く。カップルと呼ばれることは変わらないが、バカップルよりはマシだろう。
「……で、それはそれとしてまずは教えてくれ。若竹にいったい何があったんだ?」
バカップル問題は頭の端に追いやって、勇也は真剣な表情で天音を見つめた。
若竹と同じ黄金色の髪。丁寧に手入れされているのか、光が反射して見えるほどだ。丸っこい瞳に、小さな口。ドールのような相貌は彼女が浮世離れしているように思わせる。
しかし、年齢は明らかに初等部を卒業するか否かのラインだ。
一国の王を担うには、あまりにも若すぎる。
「わかりました。まずは、そこから話しますわ」
こくりと頷くと、天音は語り始める。
「この世界が、どのようにして今のような世界になったのか。それは父様からのメッセージで知っていると思います。父様の失踪はそれとは関係ありません。事の始まりは、三年前。魔王を復活させようとする組織が現れたという噂が、流れ始めてからですわ」
「魔王を復活させようとする組織だと?」
「ええ。小さな噂ですが、父様はその組織のことが気になっていたようでした。そして同時期から、父様はこの部屋に引きこもることが多くなりました。何をしていたのかわたくしにはわかりませんでしたが、今思えばその組織のことを調べていたんだと思います。そしてそれから一年後、父様は突然この部屋から姿を消しました」
「……それ以外は何もわからないのか?」
「ええ、何も。この国の近衛兵をどれだけ動かしても父様の情報はほとんど掴めていません。……いえ、一つだけ。手記がありましたわ。これです」
ごそごそと机を漁ると、天音は一冊のノートを取り出した。
いや、それはノートというよりは本に近いか。装丁はしっかりとしており、中を開くと若竹が書いたと思われる小さな文字がびっしりと埋まっていた。
「わたくしたちは、この手記から父様が追っていたと思われる組織を特定することに成功しました。その組織の名前は〈二次元嫁の騎士団〉」
「なっ! それじゃ、あいつらが?」
「ええ。だからこそ、わたくしたちは一ヶ月前に未来にやってきていた藍葉さんに〈二次元嫁の騎士団〉を追ってもらっていたのです」
天音の言葉に同意するように、藍葉も頷いた。
それと同時に一つの疑問が解消される。やはり、藍葉は自分よりも一ヶ月前に未来にきていたのだ。だからこそ、恋愛銃などにも詳しかったのだろう。
「……取り敢えず、状況を整理させてくれ」
予想以上に複雑な状況に、勇也はこめかみを押さえた。
「僕たちは復活する魔王を倒すために未来にきた。だが、魔王はまだ復活してなくて、それを企んでいると思われる組織があるだけ。そして、それを調査していた当の依頼人は失踪。これで間違いないか?」
「はい、間違いありませんわ」
魔王が復活していない、などは唯の推測だったが、天音は首肯した。
「よし、なら過去に戻ろう」
「へっ?」
「過去に戻るんだよ、当然だろ。戻る時間は、若竹が失踪するちょっと前。その頃に戻れば、その組織とやらも簡単に潰せるし、情報も若竹から手に入る。僕たちは直接魔王と戦わなくていいし、万々歳じゃねえか」
「た、確かに理論上はそうかもしれませんが……」
「なら何も問題ないな。なら、過去に戻ろう。あるんだろ、過去に戻るアイテムが」
「……あの、先輩そんなものありませんよ」
「えっ?」
恐る恐る口を挟む藍葉の言葉に、驚いたのは今度は勇也の方だった。
「……ないって何が?」
「だから、過去に戻るアイテムです」
「……嘘だろ?」
「残念ながら本当のことです」
真剣そのものの表情で、藍葉が言った。
「……じゃあ、僕たちはどうやって過去に帰ればいいんだ?」
「それは何とも言えませんわ。それも、父様が用意していたはずなのですが……父様は失踪中なので」
「……は、ははっ。じゃあ、僕たちは若竹を見つけないと帰ることもできないのか?」
「ええ。ですから、お二人に最初にお願いしたいのは父様の捜索ですわ。魔王の復活を阻止するのも、お二人が過去に戻るのも、この国が存続を保つためにも、父様の存在は必要不可欠なのですから」
「……まあ、それはこっちも望むところだ」
「若竹様を見つけないまま、未来に帰るわけにもいきませんしね」
勇也と藍葉が口々にそう言う。
それを確認すると、天音はもう一本の指を伸ばして。
「それともう一つ。お二人には今すぐにでも解決していただきたい課題がありますわ。この障害を取り除くことなく、復活するかもしれない魔王を倒すのは不可能です」
「課題?」
「ええ、そうですわ。この時代に魔力がないのは、もう存じていますわよね? だというのに、お二人の星霊機装は大気中に存在する魔力に頼ったもの。これでは、魔王に辿り着く前に組織の下っ端に瞬殺されるかもしれませんわ。魔王はお二人にしか倒せないのにこれは非常に困ります」
「まあ、そうかもしれないな」
「そして、この時代の武器のエネルギー源は知っての通り恋愛磁場ですわ。しかし、戦場というのは常に予想外が起こるもの。戦場のど真ん中でストックも含めて恋愛磁場が切れるという状況も十分に起こりえますわ。つまり、その対策として戦闘中に恋愛磁場を発生させる訓練は不可欠。ここまで言えばもうわかりますよね? 恋愛磁場の発生方法は一つしかありませんもの」
「ちょっと待て、それってつまり──」
「ええ、そうですわ」
満面の笑みで肯定して、天音は告げる。
今まで受けたどんな任務よりも遥かに困難な任務を。
「勇也さん、藍葉さん。お二人にはいちゃいちゃしてもらいます。父様を見つけるため、そして魔王を倒すために。もちろん、できますわよね?」
◇
「は、はい! あ、あーんッ!」
城下町。エリア一つをまるごと潰してつくられた開放的なカフェ街。かつて地上にあったと言われる西の列強諸国の“都市空間に溶けこむ憩いの場”を模倣した場所。
その一角にあるオープンテラスとなっているカフェで。
ずいっと、勇也の顔の前にフォークが突きつけられた。
フォークを持っているのは、表情筋を引きつらせている藍葉だった。
通常であれば「あーん」はカップルがする嫉ましくも微笑ましい行動である。だが、藍葉の微塵も笑っていない目のせいで、勇也は銃口をつきつけられた気分になった。
そこには、カップル特有のわっきゃうふふしている雰囲気はない。
殺すか殺されるかの命を賭けた戦場の雰囲気である。
「さあ、先輩早く口をあけてください! そう、出来る限り大きく! 狙いがそれると、どうなるかわかりませんよ?」
「お前はいったい何をするつもりだ!」
藍葉が放つ不穏な空気に、勇也は思わず叫んだ。
きょとんとして、藍葉が首をかしげる。
「……何って、あーんに決まってるじゃないですか」
「いや、そうだよな。そうだったよな。なら、聞くけど……なんで、お前はフォークを持った腕を思いっきりテイクバックしてんの?」
「それはもちろん、先輩の口にケーキを投げ込むためです」
「それを、あーんとは言わねぇよ! どっちかといえばそれは罰ゲームの類だろうが!」
「だ、だって、こんな公衆の面前であーんとか出来るわけないじゃないですか! でも、絶対にしなきゃいけないから、藍葉なりに考えてるです! ほら、こうすれば口にフォークを突っ込む瞬間はほとんど見られませんよね?」
「いやその発想はおかしいだろ! っていうか、やっぱりそれ、あーんじゃない──」
「あー、うるさいです先輩。まだまだいちゃいちゃしなきゃいけないんですから、さっさと行きますよ! はいッ、あーーーーんッッッッッ!」
裂帛の気合いとともに、藍葉がフォークを突き出す。
間違っても、いちゃいちゃしているとは言えない光景。
弾丸の如く真っ直ぐやってくるケーキの破片を見ながら、勇也は思い返した。
何故、こうなってしまったのかを。
「注目!」
勇也が未来に訪れた翌日。王城内の広々とした部屋で、女性近衛兵が鋭い声を発した。
見た目の年齢は二十代後半程度の女性だった。
毎日手入れされているであろう明るい茶髪は背中の半分ぐらいまで伸びており、薄っすらと化粧された顔は文句なしに整っている。プロポーションも抜群。特に、おっぱいが素晴らしい。魅力的な大人のお姉さんといった感じの女性である。
「私の名前は柊華恋。近衛兵隊長で、あなたたち新人近衛兵の上司にあたるわ。今日は私があなたたちの訓練を直々に見ることになってるの。よろしくね」
そう言うと、華恋は新人近衛兵を品定めするように視線で舐め回す。
新人研修。天音の命令によって、勇也と藍葉はそれに参加していた。
この場に集められたのは、今年から近衛兵となった新人ばかりだった。年齢も二人よりも少し上ぐらいの青年が多い。
「今日の訓練は〈水神島式戦闘訓練六九番〉──つまり、あなたたちにはいちゃいちゃ訓練を受けてもらうわ」
華恋が告げる訓練に、新人たちが気合い十分という様子で頷く。
だが、そんな中で、勇也と藍葉は渋面をつくった。
そう。いちゃいちゃ訓練。天音の一存によって、二人が取り組まなければならないのはそんな馬鹿げた訓練だった。
勇也は天音に言われたことを思い出して顔をしかめる。
──お二人にはこれから「いちゃいちゃ訓練」を受けてもらいます。理由は先程も挙げたものに加え、お二人の生み出す恋愛磁場出力値が異常に高いからですわ。
──思い出してください。勇也さんは恋愛銃で王城を撃ちましたが、本来であればあそこまで威力は出ませんわ。銃が特殊だったというのもありますが、あれはお二人の〈恋愛磁場密度〉……つまり、エネルギーの質が非常に高かったのが主な原因です。
──こちらが勝手に調べてみたところ、お二人の個々の〈恋愛磁場密度〉は平均のおよそ十倍。それに加えて、お二人の相性は世界中を探してみても類を見ないぐらいベストマッチングなのですわ。
──そんなお二人の恋愛磁場出力値の理論最大値は一般人のおよそ百倍。それを利用しない手はありません。ですから、お二人でいちゃいちゃ訓練を受けて欲しいのです。
天音にそう説得されて、二人はこの新人研修に参加している。のだが、やはりこんな馬鹿げた訓練など積極的に受けたいものではない。いちゃいちゃする相手が理想の綺麗なお姉さんならまだしも、生意気な後輩である藍葉なら尚更だ。
「……納得したわけじゃないのに」
藍葉が隣で不満げに呟くが、それはお互い様だ。
二人が現状に文句を言っている間も、華恋による説明は前で続いていく。
「あなたたちにはこれから街に出ていちゃいちゃしてもらうわ。いちゃいちゃの内容は“二次元のキャラクターに恋してしまうから”という理由で禁書指定になった、〈お兄ちゃん、わたしのこと滅茶苦茶にしていいんだからね!〉から選出します」
そんなものがあるのか。訝しげに見ると、華恋の手にあったのはどうみてもただの漫画だった。どうやら、この時代では一部の漫画が禁書指定になっているらしい。
「それと、あなたたちにはこの〈腕輪〉をつけてもらうわ。これは周囲に数メートルに発生した恋愛磁場を察知して、恋愛銃の装填率を教えてくれるもの。まあ、実戦でどれぐらいのエネルギーが貯められるのかの指標と考えてちょうだい」
二人一組になっている新人近衛兵に白銀の〈腕輪〉が配られていく。
それが終わると、華恋は新人近衛兵たちを見回して言う。
「では、街に出て早速始めなさい。言っとくけど、私たちがいちゃいちゃの度合いを監視しているから手を抜かないように。一番ビリのチームにはペナルティーがあるから気合い入れなさいよ」
……そういう経緯で、勇也と藍葉は城下町でいちゃいちゃしているわけだった。
もっとも、そのほとんどが上手く行っていなかったが。
現在、二人はカフェから退店して街を散策していた。これまで、三つの「いちゃいちゃシチュエーション」をやってきたせいか、かなり疲労困憊だ。
どんよりとしたオーラを纏いながら、二人は水路沿いに道を歩いていく。
視線を落とすと、白銀の腕輪には「F」という文字が小さく表示されていた。藍葉のものにも同様の記号が刻印されている。
〈恋愛階級(ラブランク)〉──あるカップルがどれだけ恋愛磁場の発生に貢献しているかを表す等級である。世界恋愛統制機構の持つマスターシステムに登録された全てのカップルが対象となり、恋愛磁場を多く発生すればするほど、あるいは長い期間に渡って恋愛磁場を発生するほど、階級が上がっていくのだ。
そして、階級が高いほど、社会的貢献が大きい「模範的な市民」と見なされる。
実益はというと、社会的信頼度が高いのはもちろん、店舗によっては商品の割引がなされる。更に高くなると、禁書扱いになっている漫画などの電子コンテンツへのアクセス権すら得られるほど。
だけれど、近衛兵ともなるとそれだけではない。
恋愛階級の高さによって扱える〈攻撃(アサルト)プログラム〉──つまり、恋愛銃の弾丸や技の質が異なるのだ。安定的に、大きな恋愛磁場が発生できないと扱えない攻撃プログラムもあるらしい。だから、現れるかもしれない魔族への対抗手段を手にいれる意味でも、二人はいちゃいちゃ訓練をこなして恋愛階級を上げる必要があるそうだった。
これらは、少し前に藍葉に質問したときに叩き込まれた知識である。
ちなみに一般的な近衛兵の恋愛階級はCランク。
勇也と藍葉のFランクはどん底である。
「……先輩、次はなんですか?」
藍葉が疲れた声で訊ねてくる。勇也は華恋に渡された携帯端末で、指定されたいちゃいちゃシチュエーションを確認する。
【いちゃいちゃシチュエーション・その四十八:手を繋ぐ】
「……手を繋ぐ、ですか?」
携帯端末に映し出された文字列に、藍葉はどこか拍子抜けした様子で息をこぼした。
「なんか、今までの比べれば難度低くないですか?」
「そうだな。でも、もういいんじゃないか」
疲れたように溜息をついて、勇也は近くのベンチに座り込んだ。
「もう十分にいちゃいちゃしただろ。こんな馬鹿げた訓練いつまでもやってられるか」
言うや否や、ベンチに背を預けて立ち上がりたくない意思を示す。
だが、気だるげに空を仰いでいる勇也に、藍葉は挑発的な言葉をぶつける。
「逃げるんですか?」
「……はっ?」
ゆるりと、勇也は上空から藍葉へと視線を戻した。
「何言ってんだ、蒼宮? 誰が逃げるって?」
「そんなの先輩に決まってるじゃないですか。まあ? 童貞の先輩には刺激が強すぎて逃げたくなるのはわかりますけど?」
「おいおい、馬鹿なこと言うなよ」
勇也は額に手をあてて、わかりやすく呆れたポーズをとった。
「言っとくけど、僕、過去の世界では超モテモテだったから。毎日、女の子取っ替え引っ替えだったから」
「へぇー、なら手を繋ぐぐらいわけないですよね」
「当たり前だろ。僕レベルになるといつも両手が塞がっているぐらいだからな」
「じゃあ、別に藍葉の手も握れますよね」
藍葉が手を指し出してくる。うっと、勇也は息を詰まらせた。
どうしたんですか? とでも言いたげに、藍葉が首を傾げて視線を送ってくる。その態度にはかなりの余裕が見られた。異性と手を繋ぐという行為自体、何とも思っていないような様子だ。
──えー、先輩。もしかして女の子と手も繋いだことないんですか?
──その年齢で手も繋いだことないってかなりヤバくないですか。それって一生童貞コースですよ。まあ、そっちの方が被害者がいなくていいかもしれませんけど。
それらの声は実際に聞こえたわけではないが、心の中ではクスクスという笑い声とともにそう言われているような気がしてならなかった。
とにかく見栄がバレるわけにはいかない。勇也は平常心を保って手を伸ばす。
「あ、ああ、もちろん握れるに決まってんだろ」
言って、藍葉の手を握る。
残念ながら、勇也は同世代の女の子と手を繋ぐのは初めてだった。そのせいか、ほんの数秒しか触れていないにも関わらず自分の手からは汗がびっしょりと出ていた。
自分よりも小さくてひんやりした手。
意識すればするほど、何故か体温が上昇していく。
ピピッ。〈腕輪〉が反応して恋愛磁場を数値化する。
【恋愛磁場装填率:10%】
「……なっ、これ今日最高じゃないか?」
手を繋ぐことに緊張していたことすら忘れて、勇也は驚愕した。
今まで三つほどいちゃいちゃシチュエーションをこなしてきたが、どれも成果は振るわなかった。だというのに、最も初歩に近い「手を繋ぐ」という行為で恋愛磁場が一番発生するとはある意味面白い。
驚愕を共有しようと、勇也は藍葉の方に顔を向け。
怪訝そうに眉を寄せる。
至って明快な論理。──藍葉が耳の先まで真っ赤にさせて硬直していたからだ。先程までの余裕はどこへやら。頑なにこっちを見ようとせず、手と足を同時に前に出している。
「……おい、蒼宮?」
「は、はいっ!? な、なんですか、先輩!?」
「いや、なんというか……なんで、お前そんなに緊張してるの? もしかして今まで一回も異性と手を繋いだことないとか──」
「な、何言ってるんですか、先輩? そ、そんなわけないじゃないですか。藍葉、過去の世界では超モテモテでしたから。毎日、男の子取っ替え引っ替えでしたから」
どこか慌てたように、しかし、精一杯の平静さを装って肩を竦める。
滅多に見れない冷静さを失った姿に、勇也は嗜虐的な笑みをつくって。
「へぇー、そうなのか。そりゃ凄いな……じゃ、具体的には何をしてたんだ?」
「へっ? ぐ、具体的には?」
「ああ、毎日男の子を取っ替え引っ替えしてたんだろ? 具体的には何をしてたんだ?」
「そ、それは……その……色んなこと、ですけど?」
「色んなこと?」
藍葉が顔をそむけて明後日の方向を見る。
だが、追求から逃れさせることなく、勇也は手を壁に触れ合わせて藍葉の動きを制限した。所謂、壁ドンというやつである。長い睫毛が数えられるほど、藍葉の顔が近くなる。
「毎日ってことは日常的にやってたんだろ? そんなに色々って何をやってたんだ?」
「だ、だから、それは……その、て、手を繋いだり、とか……」
「他には?」
「ほ、他には……き、きき、キスしたり、とか……」
「へぇー、お前いつもキスしてるのか?」
「い、いつもじゃありません……けどっ……ってか、先輩顔近っ……や、ダメっ。あ、藍葉まだ心の準備が──」
互いの吐息を感じられるほど更に顔を寄せる。
それに何かを覚悟したように、藍葉はぎゅっと目を瞑って。
ピピッ。〈腕輪〉が反応して数値が更新される。
【恋愛磁場装填率:13%】
「おー、こういうのでも恋愛磁場が生まれたりするのか。しかも、これも今日最高じゃねーか。やったな、蒼宮。これでまた一つクリアだぞ」
「…………………………………………へっ?」
「いや、へっ? じゃねぇよ。ほら、【いちゃいちゃシチュエーション・その四十九:壁ドン】。今、やっただろ?」
勇也は携帯端末の画面を見せる。
藍葉は呆然とそれを数秒間眺めた後、かぁぁぁっと爆発したかのように頬を赤く染め。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっッッッッ! バカッ! 死ねッ、さっさと死んでくださいッ! このド変態の先輩がッッッ!」
絶叫しながら放たれた乱れ蹴りが、勇也をぶちのめした。
◇
「……ったく、蒼宮のやつマジでやりやがって」
壁ドンの件でボコボコにされた後。
ソファにぐだーともたれかかりながら、勇也はぶつぶつと文句を口にしていた。
ここはカラオケの個室だった。指定されたいちゃいちゃシチュエーションの中に、カラオケでデュエットするというものがあったからだ。
藍葉は外に空気を吸いに行くといって席を外していた。一人で歌う気にもならずに、勇也は煌びやかに輝くライトを見上げる。
と。
「随分と余裕そうね」
そんな言葉とともに部屋に入ってきたのは、明るい茶髪の女性だった。
誰だ? と言おうとして気づく。近衛兵隊長・柊華恋。この「いちゃいちゃ訓練」を取り仕切る上司の女性だ。
さり気なく、華恋は隣に座る。
「あなたたちの成績、随分と低いわよ。特にあなたが。この訓練でパートナーを怒らせるとか、ほとんど最悪に近いってこと自覚してる?」
「……それはすみませんでした。それで何しに来たんですか?」
「それはもちろん交渉しにきたのよ」
気のせいだろうか。そう言った途端、華恋の瞳に怪しげな光が宿ったように見えた。
「……交渉? なんのですか?」
「それは当然あなたが落第しないための、よ。あなたの成績は新人近衛兵たちの間で最も下。このままじゃ近衛兵の出世ルートから滑り落ちることになるわ。それでもいいの?」
「……いいもなにも」
僕、そもそも新人近衛兵じゃないんだけど。
そう言おうとして口を開くが、それを紡ぐことはできなかった。勇也の唇に、華恋が指を添えたからだ。すべてわかっているというように、華恋は大仰に頷いて。
「大丈夫、あなたの言いたいことはわかるわ。たくさん苦労してやっと近衛兵になったのに。しかも藍葉ちゃんのパートナーという名誉あるポジションにまで選ばれたのに、辞めるわけにはいかないって言いたいのよね」
「いや、だから……」
「でも、大丈夫。成績は私の一存でどうにでもなるの。つまり、私さえ納得しちゃえばあなたは落第しない。……言いたいことわかるわよね?」
華恋の細い指が勇也の手の上を這い回った。
ぞくっ、という寒気にも似た感覚が神経に送り込まれる。
そこで遅れながらも察する。華恋は勇也が何者か知らせれていないのだ。
「今から三十分、私の言いなりになってくれるなら落第の危機から救ってあげる。どう? 私の要求を呑んでみる気はない?」
「……ぼ、僕に何をするつもりだ?」
「何をするつもり、って……わかってるくせに。もちろん食べるのよ、あっちの意味で」
華恋の手が太腿を撫で回しながら擦り寄ってくる。
身体を這い回る生理的な嫌悪に、勇也は反射的にその手を払いのけた。
「お、お前、近衛兵のトップだろ! トップがこんなことしてもいいのかよ!」
「していいわけないじゃない。でも、しょうがないでしょう。私も限界なの」
言って、華恋はどこか遠くを見つめる。
「想像してみて、こんな人生を。迫りくる平均結婚年齢。しかし、彼氏なし。身近に男もなし。家に帰れば母親からのお小言、誰々さん家の娘さんは結婚したらしいわよという謎の報告。職場に出れば、嫌でも聞こえてくる彼氏とのノロケ話。友達からは『えー、恋愛至上都市なんだからすぐに彼氏できるでしょー』という嫌味。だからなんなんのよ! 恋愛至上都市だからなんなのよ! そもそも、私の周りにはイイ男がいないのよ!」
バンッッッ!
血走った目で息を荒くして、華恋が机を叩いた。勇也はびくっと身体を震わせる。
「しかも、お見合いで会う男性には『顔は可愛いけど恋愛係数が低いしなぁー』とか『こんなに可愛いのに、恋愛係数が低いのは地雷ってことでしょ』とか、よくわかんない数値で私の恋愛に対する適性を勝手に決められるし! 何が悪いのよ! 男性の携帯から女のアドレス勝手に消して何が悪いのよ!」
「いやそれはあんたが悪いだろ!」
「こっちは人生賭けてんのよ! 男に彼女がいるなら、まず女の方を何とかするしかないでしょう!」
「考えが物騒すぎる!」
「私の、私の何がいけないのよ! たっぷり愛情注いであげるのに! 一分に一回、メール送ってあげるのに! 女のメールは全部『糞ビッチ』って送り返してあげるのに!」
「糞ビッチはあんただろうが!」
「なのに、みんな逃げてく……どうして? どうしてなの? 私の愛のどこが重いの?」
ぐすっ、えぐっ、と泣きながら、華恋は目元の涙をシャツで拭った。
そうして顔をあげて。
「こんな人生なら、新人に手を出しても仕方ないでしょう?」
「まったく仕方なくねぇよ!」
勇也は叫んだ。
「ほとんど、あんたの自業自得だろうが! 恋愛係数が何かは知らねーけど、そりゃ低いよ! 適性がないに決まってるだろ!」
「ふふふ、適性なんて知ったことじゃないわ! 私はもう限界なの! さあ、私に襲われて身も心も服従されなさい! 大丈夫、この薬を嗅げば嫌なことは忘れられるわ!」
「そんなヤバい薬嗅げるか! い、嫌だ、こっちに来るな! 僕はそういうのは好みじゃないんだ! いや、いやだあああああああああ!」
服を剥ぎ取られながらも、勇也は何とか逃げ出そうとする。だが、恐怖のせいで身体が思うように動かない。
華恋はその間に勇也に跨るとシャツを引き裂いて。
「──、──、──!!」
カラオケの個室から、音なき悲鳴が発せられた。
◇
「いい加減しっかりしなきゃ……」
パチン。お手洗いの鏡の前で、藍葉は気合を注入するように両手で頬を挟んだ。
やや強めに叩いたせいか頬が赤くなっている。だが、そうでもしないと元の調子を取り戻せそうになかった。
これもそれも全部勇也のせい──先程のいちゃいちゃ訓練のせいだった。壁ドン事件以降、藍葉はどうにも意識が宙ぶらりんになっていた。
……もうちょっとで触れそうだったな。
ぼぅーっと熱に浮かされたような表情で、藍葉は無意識のうちに唇を指でなぞった。
勇也の顔が迫ってきて。違うとわかっていてもドキドキしてしまって。体温が急上昇して頭が真っ白になってしまって。気がついたら、自分は目を瞑って受け入れてしまって。
そんな乙女のような自分の反応がどうしようもなく許せなくて。
「……………………………………先輩の、ばか…………」
心中に渦巻くあらゆる感情を一言に凝縮して、藍葉は顔をあげる。
鏡の映った己の表情はとても勇也に見せられるものではなかった。もう一度、今度は更に強めに頬を叩くと、藍葉はカラオケの個室に向かった。
個室の前に辿り着くと、念には念をいれて深呼吸をする。
心機一転。完全に気分を入れ替えたことを確信すると、藍葉は扉を開け。
目撃する。
ズボンを半分降ろされた勇也と。
その上に乗っかっている美人のお姉さんの姿を。
「すみません、お取り込み中だったようですね。失礼しました」
「ま、待って! 待ってくれ、蒼宮!」
藍葉が真顔で扉を閉めようとすると、勇也が藍葉の足に縋りついてきた。
「なんですか、先輩? 足、掴まないでくれませんか」
「この状況を見ればわかるだろ! 僕に言うことはもっと他にあるだろ!」
「おっぱいの大きいお姉さんとエッチなことできて良かったですね」
「違う、お前の目は節穴か! どっからどう見ても、僕が襲われてるだろうが!」
「そうですか。藍葉の目は節穴なんで、そんなもの見えませんけど。じゃあもう行きますね、先輩」
「嘘です、蒼宮様! 節穴とか言ってすみませんでした!」
力を込めて扉の取っ手を引っ張ると、勇也が負けないように扉の縁を全力で掴んだ。
藍葉は虫けらを見るような視線で。
「なんですか、先輩。何かまだあるんですか?」
「た、助けていただけると嬉しいなぁって。っていうか、蒼宮さん怒ってます? なんかご立腹じゃないですか?」
「怒ってる? 藍葉が? あは、そんなわけないじゃないですか」
藍葉は女神のように慈愛に満ちた表情をつくった。
「先輩がおっぱいの大きな綺麗なお姉さんとエッチなことしているだけで、なんで藍葉が怒んなきゃいけないんですか? 別に全然イライラとかしてませんし、する理由もありませんし。まったく、微塵も、絶対に、怒ってませんし」
「本当? 本当に? なら助けてくれても」
「でも助けるのは絶対に嫌です」
「えっ──」
藍葉は笑顔で死刑宣告をする。
直後。手から力が抜けたのか、勇也は背後の華恋に一気に手繰り寄せられて。
「い、いや! いやだあああああああああ! 僕はこんな痴女じゃなくて、清楚な癒し系お姉さんがいいんだあああああああああ!」
その断末魔を最後に、勇也が華恋に襲われた。
その後、勇也は間一髪のところで部屋に入ってきた他の近衛兵に助けられたのだった。
一ヶ月前、藍葉は何かの手違いか勇也よりも先に未来にきた。
以来、藍葉は王城の一室を借りて暮らしていた。以前の家は既に他人が入っていたのだ。それもそうだろう。二十五年間も空けている部屋をそのまま置いておくはずがない。
勇也が未来に来てから一週間後の朝。
水神島が一望できる自室で着替えを済ませると、藍葉は鍵を閉めて外に出た。
城下町で朝食を食べるためだ。自分で作れない……まあ頑張れば作れないことはないのだが、大抵は手間が嫌で出来合いのものを買っていた。
王城を出ると、藍葉は朝の水神島を適当に散策する。
澄んだ空気を肺腑に取り入れながら思い出すのは、昨日のカラオケでのことだった。
美人のお姉さん、もとい柊華恋のことを、藍葉はもちろん知っていた。一ヶ月前に未来に来たときに顔合わせは済ませているからだ。華恋のどうしようもない性格も知っていたし、あれが勇也のせいではないこともわかっていた。
だが、わかっていたとしても納得できるものではない。
心の中に湧き上がるムカムカは抑えようがなかった。
「ふんっ」
昨日の光景を思い出して、藍葉は不機嫌そうにぷいっと首を振る。
しかし、視界に映った光景に、途端に頬をほんのり赤くして視線を落とした。
単純な理由。街には大勢のカップルが出歩いていたからだ。
それもただのカップルではなく、ラブラブなカップルである。彼らは自重という言葉を知らないかのように。自分たちの仲を周囲に見せつけるように、聞いているこっちが恥ずかしなるような愛の言葉を囁くのだ。
けれど、それすらもマシとすら言えるかもしれない。
盛り上がると、彼らはキスやスキンシップまで白昼で堂々とやり始める。
もっと行き過ぎると、ホテルや建物の影で舌同士を絡め始める。その後は、手を服の中に潜り込ませて艶かしく動かし──もうこれ以上はいいだろう。恋愛至上都市。ここはその名に恥じない場所であるということだ。存在自体が恥かもしれないが。
実際、周囲にはラブホテルが乱立している。
何故、このようなつくりになっているのか。
一言でいえば、恋愛磁場を効率的に収集するためである。分散していちゃいちゃされるよりも、一箇所にまとめていちゃいちゃさせた方がエネルギーの収集率が高いからだ。その究極が都市という一つの枠組みに収めること──〈恋愛至上都市〉である。
恋愛至上都市では、一夫多妻、一妻多夫など、愛に関するルールはかなり寛容だ。ぞんざいと言ってもいいかもしれない。かなりいい加減で、そのすべてがより多くの人間をいちゃいちゃさせるように仕組まれている。
〈恋愛係数〉もその内の一つだ。
それは、一個人の情報を限りなく収集してシステムに計算させた、恋愛への適性を測る数値である。恋愛係数は互いの相性すら出し、お見合いにすら頻繁に利用されるほどだ。
あくまで参考値としてというのが国家の意見だが、若者の間ではそれの数値で競うことも多いらしい。それどころか、学歴に並ぶ重大な数値と言う人々もいるぐらいである。
しかし、決して良いことだけではない。
恋愛磁場は想いが双方向から向けられないと発生することはない。つまり、二次元のキャラクターにどれだけ恋をしようとも意味がないのだ。それ故に恋愛至上都市ではその類の販売を禁じているのだが、最近はそれに対する反発が絶えなかった。例えば、あの〈二次元嫁の騎士団〉もその部類の一つだ。
──これらはすべて、藍葉がこの一ヶ月間で学んだことだった。
最初はかなり戸惑ったが、今ではもう慣れたものである。
……ちょっぴり嘘をついた。今でも戸惑うことは少しある。
「取り敢えず、今日はここにしようかな」
王城の城門から歩いて十数分。
隠れ家のようなカフェを見つけると、藍葉はそこに入っていった。
そこで一番上に載っていたメニューを頼む。待つこと数分。朝食がのったプレートを
届けられ、手を合わせたところで、藍葉の対面の席に一人の少女が座った。
「おはようございますわ。藍葉さんもここでお食事ですか?」
目の前に席についたのは、天音だった。
慣れた様子で店員に注文する天音に、藍葉は慌てて小声で囁く。
「ちょ、ちょっと! 天音様、こんなところで何をしてるんですか!」
「何って朝食ですわ。ちゃんと食べないと力が出ないしょう?」
「そういうことじゃなくて……天音様、一人で王城から出ちゃ駄目じゃないですか。天音様は王族なんですよ? その自覚あるんですか?」
「もちろん、ありますわ。でも、大丈夫。王城の者たちにはあなたと一緒に出かけると言いましたもの」
「いや、それのどこが大丈夫なんですか。なに嘘ついてるんですか」
天音が息をするように口にした嘘に、藍葉は呆れた表情をつくった。
こういう、さらっと嘘をつくところは本当に若竹に似ている。
「で、藍葉さん。いちゃいちゃ訓練は順調ですか? ……って、その顔を見れば結果は聞くまでもないですわね」
藍葉の苦々しげな表情を見て、天音は自己完結した。
「勇也さんといちゃいちゃする。それがそんなに嫌なのですか?」
「当たり前です。思い出すだけで……うわっ」
鳥肌が立ったとアピールするように、藍葉は腕をさすった。
「いったい、勇也さんのどこが問題なのですか? わたくしは勇也さんの顔は悪いとは思いませんが。それどころか、格好良い部類に入ると思うのですけど」
「別に、藍葉は顔で決めるわけじゃありませんし」
「なら、地位ですか名誉ですか? それとも財力ですか? 英雄である勇也さんならどれもクリアしていると思うのですが」
「だから、別にそういうのじゃ……」
「なら、いちゃいちゃするぐらい問題ではないでしょう。処女でもあるまいし、それぐらい遊び感覚ですればいいのですわ」
「ごほごほごほごほ!」
十歳程度の少女からあるまじき言葉が出て、藍葉は激しく咳き込んだ。
ピタリと、天音が動きを止める。
「……藍葉さん、まさかその歳で処女なのですか?」
「ち、ちち違うし! そんなわけないでしょ! そんなの、もう天音様ぐらいの歳に済ませてますし!」
「そうですわよね。処女や童貞のまま、三十歳を迎えると魔法を習得できるようになるとも言いますし。そんな方がいらっしゃるはずがありませんよね」
え? そうなの? 十歳で卒業しているのが普通なの?
「もう少しで勘違いしてしまいそうになりましたわ。藍葉さんのような方が、未経験であるはずがありませんのに」
「そ、そうですね……は、ははっ……」
乾いた声を零すと、藍葉は誤魔化すように紅茶に口をつけた。
「なら、ますます不思議ですわ。何故、そこまで勇也さんを拒むのですか?」
「そりゃ先輩普通に気持ち悪いですし──」
「だって、藍葉さんは勇也さんのことが好きなのでしょう? 距離を縮める絶好の機会だと思うのですが」
「ぶっ!」
藍葉は思いっきり紅茶を噴いた。
あうあうと、口をぱくぱくする。
「な、な、なんで、それ……ッ!? っていうか! ぜ、全然違いますし!」
「あら、本当ですか? 藍葉さんってばこんなに可愛らしい顔してますのに」
天音が携帯端末を見せてくる。
そこには、誰がどう見ても恋をしている女の子の顔がばっちりと映っていた。
「け、消して! 一刻も早く消してください、天音様!」
「嫌ですわ。それと、あんまり前に身を乗り出すと紅茶が溢れますわよ?」
天音に窘められて、藍葉は歯噛みしながら自席に戻る。
「このことは父様からよく聞いていたのですわ。父様には面白い友人が二人いて、女性の方は男性の方に恋をしていたと。父様はよくからかって楽しんでいたと」
「あのドS王は! 今度会ったら絶対に八つ裂きにしてやる!」
「そんな日が来ることが祈りますわ。そのためにも、藍葉さんにはもっと勇也さんといちゃいちゃしてもらわなくては」
朝食に手をつけながら、天音が微笑した。
「それで何故、藍葉さんは頑なに拒絶するのですか? いっそ告白して付き合っても良いと思うのですが」
「……しつこいですね、天音様は」
「女の子は恋バナが好きなのですわ。で、何故なのですか?」
「そんなこと言うと思いますか?」
「あら、別にいいのですよ。この写真が出回ってもいいのでしたら」
「くっ……」
ひらひらと携帯端末を見せびらかす天音に、藍葉は悔しげに唇を噛んだ。
渋々、口を開く。
「……癪だからです」
「癪?」
「はい。だって癪じゃないですか。いつも一緒にいるのに……その、藍葉だけ意識してるのって。だから、藍葉は絶対に告白とかしません。必ず先輩に頭を下げさせて、『付き合ってください』って懇願してくるまでこの気持ちは封印する予定なんです」
「はぁー」
藍葉の告白に、天音は呆れたように息を吐いた。
「藍葉さんって意外と面倒な性格をしているのですね」
「天音様ほどじゃありませんよ」
鼻を鳴らして、藍葉は唇を尖らせた。
「それに」
──それに、勇也は藍葉のことなんて絶対に好きにならない。
喉から零れ落ちそうになったそんな言葉を、ぐっと胸の中に押し留めた。
何故なら、勇也の心の中にはあの女性がいるから。
あの太陽のような女性が。清楚で綺麗で何もかも完璧で、自分にないもの全てを持っているあの女性が。初めて自分に完膚なきまでの敗北感を与えた女性──神代夕日が。
藍葉が星霊機装に選ばれたとき、半年先に選ばれていた勇也は既に活動しており、その隣には常に夕日がいた。
夕日は当時の近衛兵隊長であり、勇也の警護も勤めていたのだ。
だが、それだけではなく、二人は幼少期からの付き合いであり、まるで恋人のように仲が良いことを知るのにそう時間はかからなかった。
誰が見ても両想いで。藍葉の前だろうと構わず、二人はいつもいちゃいちゃしていた。
でも、ある戦いで夕日は魔族に殺されてしまった。
それから二年。正確には二十七年。
それほどの時が経とうとも、勇也は夕日のことを忘れていない。口には絶対に出さないけれど、勇也の心の中には夕日がいる。
誰かを好きになることで、勇也は必死に夕日のことを忘れようとしていた。
そうやって、引きずっていないように周囲に見せているのだ。でも、勇也が好きになろうとする女性はどことなく夕日に似ていて。だから、そういう意味でも非常に癪だった。
隣にいるのは藍葉であるはずなのに、あの女性には一度も勝つことができなかった。
心の中をずっと独占されたままで。いなくなっても尚、藍葉には譲ってくれない。
それが余計に、勇也につれない態度を取ってしまう原因でもあった。
「それに……なんですの?」
天音が首をかしげる。
だが、それには答えることなく、藍葉はフォークをお皿へと伸ばした。
「何でもないです。それよりも朝食を食べましょう、天音様」
◇
水神島・東島エリア。その中心からオートバイで十五分ほど道なりに進んだ小さな街。
そこの外れにある墓地に、勇也はやってきた。
墓地群が崖の上にあり、その向こうには大海原が見えた。オートバイを止めると潮風で髪をなびかせながらも、勇也はその中を歩いていって。
「……一週間ぶり。いや二十五年ぶりだな、夕日」
勇也が足を止めた先。
そこの墓石には、『神代夕日』という文字が刻まれていた。勇也にとっては忘れたくても忘れられない名前だ。
その傍に花束を置こうとする。が、勇也は墓石が二十五年という月日が経っているはずなのに綺麗なことに気づいた。
「あら珍しい、お客さん。あなた、この子のお知り合い?」
背後のからの声に振り向くと、そこにいたのは老婦人だった。
思わず頷きかけて止める。勇也が未来にきているのは極秘任務扱いになっているのだ。だから、外ではなるべく素性を明かさないでくれ。天音からそう言われていたのを思い出して、勇也は首を横に振った。
たったこれだけで自分に辿り着くことはないだろうが、一応注意しておく必要がある。
「……直接の面識はないんですが、兄がお世話になっていて。代わりにやってきたんです」
「そうかい、久しぶりにあの子に来客があったかと思ったら。しかし、そのお兄さんも律儀だね。随分前にはそんな子が一人いたんだけどね……今じゃ、私だけだよ」
「失礼ですが、あなたは?」
勇也が恐る恐る訊ねると、その老婦人は皺だらけの笑みをつくった。
「私はこの子とは何にも関係ないよ。でも、娘の墓がその隣でね……汚れていく様を見てたら思わず綺麗にしてやりたくなったのさ。娘と年も近いようだし、どうにも他人事には思えなくてね。それで、私が代わりに時々やってきては掃除しているのさ」
「そうですか……道理で」
墓石を一瞥して、勇也は呟いた。
つい先程供えた花束を見て、老婦人が顔を綻ばせる。
「久しぶりに来客があってもその子も嬉しがってるだろうね。どんな子かは知らないけど……そんな綺麗な花を贈られて喜ばない子はいないよ」
「そうでしょうか……」
こんな花束で、夕日は喜んでくれるのだろうか。
裏切り者の──決して許されるはずのない自分が贈ったというのに。
「そうだよ、喜ぶに決まっている」
繰り返し、老婦人は確信に満ちた声を発した。
「お兄さんにも伝えときな、その子が嬉しがっていたって」
「はい、必ず」
首肯して、勇也は柔らかな微笑をつくった。
◇
「で、次は何をやらせようって言うんだよ?」
太陽がてっぺんに登った頃。王城の一室。
薄型の液晶モニターが二台置かれた前に座って、勇也は柊華恋に訊ねた。
華恋は椅子に縄でぐるぐるに縛られていた。当然、以前に勇也を襲ったからである。
勇也が〈双騎士〉の一人であることを知らされてからは、華恋は何度も地べたに頭を擦りつけて謝っていたが──クビだけは免れたようだった。他の近衛兵によると素行や性格に問題はあるが能力だけは確からしい。だから、今回の説明役にも選ばれたのだという。
申し訳ありません。うちの隊長が本当に申し訳ありません。そう言いながら出て行った花百合の苦労が察することができる分、これ以上何か言うのは忍びなかった。
椅子に縛られたまま、華恋が猫なで声で言ってくる。
「あの、黒峰様? そろそろ、この縄取ってくれると凄く嬉しいのですが……」
「申し訳ないけど敬語はやめてくれないか? なんか気持ち悪いし悪寒が止まらないんだ」
「そうですか……いや、そう? これでいい、勇也くん?」
「名前呼びはなしだ」
「なんかそれ地味に傷つくんだけど……わかったわよ、黒峰くん。あ、でも、私のことは気安く華恋って呼んでくれてもいいわよ?」
「で、柊。僕たちに次は何をやらせるつもりなんだ?」
「……それは普通に無視するのね。っていうか、縄取って欲しかったんだけど……ま、いっか。あなたたちに次にやってもらうのは、これ。天音様からそう言われてるわ」
ぎったんばったんと騒音をたてながら椅子に括り付けられたまま移動して、華恋はモニターを肩でさす。
「えーっと、これ……もしかして出会い系サイトですか?」
「その通りよ、藍葉ちゃん。これは、〈二次元嫁の騎士団〉が資金を集めるために運営していると思われるサイトよ。まあ見ての通り何の変哲もないサイトね、表向きは」
「表向きは?」
「ええ、あくまで表向きは。裏ではこのサイトを通じてオフ会した者たちが姿を消したという報告も上がってるもの。すべて都市伝説レベルの眉唾ものだけどね。でも、私たちはここに魔王に関する何かが間違いなくあると思っているわ」
「間違いなく? 何か理由でもあるんですか?」
「ええ、これを見て」
隣のモニターの別の画面に、華恋は視線を移した。
「これはこのサイトでオフ会が行われた場所よ。そして、こっちがこの島で魔力と思われる波動が観測された場所」
「ちょっと待ってください。魔力って完全に消滅したって聞いたんですけど?」
「そのはずよ。でも、実際観測されているのよ。つまり、魔力が発生する何かがここにあるということ。もっと、具体的に言うなら──」
「魔族に、いや魔王に関係する何かがここにはあるってことか」
華恋の言葉を引き取って、勇也は呟いた。
魔力が消滅してしまった以上、魔力の発生源は勇也の知る限り一つしか有り得ない。
魔力を自らの身体から放出する魔族だ。魔力の痕跡は魔族の存在証明。つまり、この場所には魔族に関係する何かがあるということになる。
「そういうこと。そして、こっちで二つの場所を重ね合わせると見事に一致するの。オフ会が行われた場所と魔力の発生源が。要するに、この〈二次元嫁の騎士団〉という組織が魔王復活を企んでいてもおかしくないってこと。ここを調べない手はないわ」
「じゃあ、もしかして僕たちに頼みたいってことって」
「そう、潜入捜査。この出会い系サイトに登録してオフ会に参加して欲しいの」
潜入捜査。その言葉に、二人は苦い顔をした。
その語句の響きには良い思い出がない。ことごとく失敗してばかりだからだ。
でも、これに魔王復活が関係しているとしたら見逃すわけにはいかない。
「……で、本当は、二人にカップルとして潜入して欲しいんだけど」
「ないな」
「嫌です」
華恋がこちらを伺ってくるが、二人は同一のタイミングで首を横に振った。
「……あなたたちいちゃいちゃ訓練してたわよね? なのに、なんでこれは嫌なのよ」
「あれだって別に納得してたわけじゃない。しょうがなくやっていただけだ」
「ですね。偽装とはいえ、カップルとして行動するなんて死んでもごめんです」
「……藍葉ちゃんに至っては挑発して助長してた気がするんだけど」
「そんな過去忘れました」
藍葉がぷいっと顔をそむける。
どうしたのだろうか。もしかして、第三者に勇也との仲を勘違いされてからかわれたりでもしたのだろうか。まあ、そんな事態に陥っても、藍葉なら死ぬほど嫌悪して罵倒とともに否定するだろうが。
「なら、お姉さんが黒峰くんのパートナーとして立候補しようかなぁなんて……って、嘘よ嘘よ! 藍葉ちゃんこっちに銃を向けないで! 黒峰くんも逃げないで! それ本当に傷つくんだからね!」
「まあ、それはともかく」
「ともかくじゃないわよ! わりとマジで傷つくのよ!」
「どうして、僕たちなんだ? こんな任務、僕たちよりも適している奴がいそうだけど」
特に偽装カップルなんて、華恋が喜んでやりそうな任務ではないか。
相手役の男はともかくとして。
「しょうがないのよ。以前から〈二次元嫁の騎士団〉を追っていたせいで、こちらの面子はほとんどバレているの。二人も前回の事件でバレてるけど……まあ、そのときの人員は捕まえたから恐らく大丈夫よ」
「なるほどな」
腑に落ちたように、勇也は首を縦に振った。
「質問はそれだけかしら? じゃあ、早速取りかかってくれる? まずはこの出会い系サイトに登録してみて。まあ、カップルとして潜入捜査したくないっていう気持ちは尊重するけど──どうせ無駄だと思うから、別に適当に入力してもいいわよ」
最後に意味深な事を言う華恋に小首を捻りながらも、二人はモニターへと向かった。
……までは良かったのだが。
「うーん、どうするべきか」
最後のページで、勇也は引っかかっていた。
悩んでいるのは、どんな相手を要望しているかという項目だ。
基本的には、己の個人情報をもとにシステムで自動的に判断するのだという。
だが、それでも優劣がつけられない場合のために要望を一応聞いてくれるらしい。
年齢、容姿など、指定したい項目はいくらでもある。
けれども、あまりにも厳しい項目をつけると返って望まない結果になる可能性もあるのだ。果たして、いったいどこを選別するべきなのだろうか。
すると隣で、藍葉がキーボードを高速で叩き始めた。
その手さばきに一切の躊躇いはない。まるで普段からこんなことを考え、その人物像がしっかりと定まっているかのようだ。
しかし、ここまで余念がないと気になってしまう。ここは藍葉の条件を参考にするのも悪くないだろう。それを見て考え直したっていいはずだ。
こっそりと、勇也は藍葉の肩の上からモニタを覗く。
《職業:騎士》
《容姿:普通より上ぐらい》
《家族・兄弟構成:一人っ子》
《備考:身長は一七二センチ。黒の短髪。誕生日は十二月二十四日。水神島在住。年齢は十七歳。知的そうで普段はぶっきらぼうだが、いざというときには頼りになる格好良い人》
「……なんか、これ特定の誰かを指してないか?」
勇也は得も知れない悪寒に襲われながら呟いた。
「せ、先輩!? なんで見てるんですか!?」
「いやちょっと気になってさ……っていうか、これ誰だよ。絶対に特定の誰かだろ」
ちなみに、勇也は英雄で、一人っ子で、身長は一七二センチで、黒の短髪で、誕生日は十二月二十四日で、水神島在住で、年齢は十七歳で、知的そうで、いざという時には当然の如く頼りになるが、容姿は明らかに標準より上を遥かに超えているし、普段からぶっきらぼうではなく紳士的なのでこれには当て嵌まらない。
だけれど、この人物は容姿と性格以外は自分にそっくりだ。
一瞬、自分かと思ったぐらいほどである。
「べ、別に誰だっていいじゃないですか! と、というか、先輩はどうなんですか?」
「僕か? 僕は──」
「ふん、それじゃあ全然駄目ね」
そう言って会話に入ってきたのは、華恋だった。
いつの間にか縄を抜けている。最早指摘する気すら失っていると、華恋は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「これじゃあ、婚活戦争を勝ち抜けないわよ。こんなわけのわからない条件、相手が逃げていくに決まってるわ」
「……ふーん。じゃあ、華恋さんならどういう条件を挙げるんですか?」
「私? 私はもちろん細部まで決まっているわよ。ちゃんと全部理由はあるし」
藍葉が冷たい視線を向けると、華恋はドヤ顔で胸を張った。
そうして見せてきた条件はこういうものだった。
《年収:一千万以上》
《会社:一部上場、もしくは公務員》
《年齢:十代後半〜二十代前半》
《容姿:イケメンに限る》
《家族・兄弟姉妹:長男以外》
《備考:一軒家、車を持っていること。両親とは別宅であること。高学歴、高身長。また金遣いが荒くなく、常に優しく、お小遣いを強請ることなく、妻をどんなときも立てる心算があり、虫に強く、文句を言わず、家のことをすべてやってくれる男性》
「こんな奴、存在するかあああああああッッ!!」
あまりにも夢を見た条件に、勇也は声を荒げた。
「いくら何でも条件が厳しすぎるだろ! こんな奴いるわけねぇだろうが!」
「い、いるわよ! この世界のどこかには絶対!」
「絶対いねーよ! 最早伝説上の産物だよ! ドラゴン並みに存在しねーよ!」
「私、ドラゴンもペガサスも信じてるもん! 絶対に白馬に乗って、私を迎えに来てくれるんだもん!」
「いや、華恋さんこれはないです。いくら何でもこれはないです」
「え、これぐらい普通でしょ? こんな男性に出会うこと、女の子は普通夢見るでしょう?」
それには、藍葉は答えなかった。
「で、先輩は結局なんて書いたんですか?」
「え、なんで私を無視するの?」
「僕か? 僕はこれだな」
キーボードをカタカタと叩いて、勇也は枠を埋めた。
「こういうのは基本的に条件緩めがいいんだよ。そもそも誰にも出会えなかったら意味ないだろ? 蒼宮も柊もそういう点では全然駄目だな」
「へぇー、そこまで言うなら見せてもらいましょうか。模範解答ってやつを」
「ああ、いいぜ。ほら、存分に見ろよ」
勇也はモニターを藍葉たちに向ける。
そこには、簡潔にこう書いてあった。
《備考:清楚でお淑やかでエッチが大好きなお姉さん》
「いや、いくら何でも緩すぎでしょう!」
藍葉が叫んだ。
「だから言っただろ。基本的に緩い方がいいんだよ、条件も股も」
「緩いのは先輩の頭でしょう! 最ッ低! もっと他にまともな条件はないんですか!?」
「もっと他に?」
「ってか、これ私のことじゃない? もうっ、条件で告白なんて、勇也くんってば意外と大胆なことするじゃない」
何を勘違いしているのか、華恋が嬉しそうに肩をばしばしと叩く。
それに対して、勇也は条件を加えるとモニターを再び藍葉たちに向ける。
《備考:清楚でお淑やかでエッチが大好きなお姉さん(ただし、柊華恋は除く)》
「なんで私を除くのよ!」
バンと机を叩いて、華恋が立ち上がった。
「重要な条件だろ。間違って痴女が入ったときの大事なフィルターだ」
「痴女の代名詞なの!? 私の名前は痴女の代名詞なの!?」
「というか、この条件と痴女との差異がまったくわかんないですけど」
「馬鹿、お淑やかでエッチが大好きなお姉さんと痴女を一緒にするなよ。全然違うだろ」
「すみません、考えても全然わかんないです」
宇宙の真理を覗いたかのように、藍葉は混乱した表情をつくった。
だが、これは仕方のないことだ。この真理は選ばれし者にしか理解できないのだから。
「じゃあ、これで登録するか。別にいいよな」
「いいわけないでしょう! 訂正、訂正しなさいよ!」
「別にいいんじゃないですか。どうせ、大した問題じゃありませんし」
「私にとっては大問題よ! ねぇ、楽しい? あなたたち、私を虐めて楽しいの!?」
「じゃあ、登録っと」
華恋の声を無視して、勇也はボタンを押した。
すると、待機画面になる。モニターに現れた文字を読む限りでは、どうやらデータベース上にあるデータから最も相性の良い人間を検索しているらしい。
それから数秒後。モニターに映ったデータを見て、勇也は顔を引きつらせた。
「だから言ったでしょ」
その結果に、華恋はさも当然のように語る。
「あなたたちが備考欄的なところにいくら書き込んでも、無駄に決まってるわよ。そもそも、あなたたちはベストカップリングなんだから」
画面に映った文字列。
《ヒット対象:蒼宮藍葉》
紛れもなく、その名前は隣の少女のものだった。
◇
「それにしても、黒峰くんのあの条件……もしかして、特定の誰かだったりするの?」
出会い系サイトに登録して細々とした業務を終えた後、王城の廊下を歩きながら、藍葉の隣を歩く華恋がそんな疑問を口にした。
外では太陽が地平線の向こうへと沈み始めていた。オレンジ色の陽光が窓から廊下へと差し込んで濃い影をつくる。
藍葉と華恋より一歩前を進みながら顔だけこちらに向けて、勇也が眉をひそめた。
「……はっ? なんでそんなこと思うんだよ?」
「んー。なんでって言われたら確証はないし、女の勘としか言いようはないけど……何となくそんな感じがしたのよね。まあ、エッチかどうかは置いておいて」
「アホくさ。んな奴いるわけねぇだろ」
馬鹿馬鹿しいとばかりに、勇也は前に向き直った。
何か知ってる? と言いたげに華恋が視線を放ってくると、藍葉は肩を竦め。
「……まあ、心当たりはありますけど」
「え、そうなの?」
「はい。神代夕日っていう、藍葉たちが過去の世界で──」
「蒼宮」
一言。有無を言わせない雰囲気で、勇也が藍葉の名を口にした。
強烈な語気で話したわけでもないのに、たったそれだけで何も言えなくなった。
勇也の表情は橙色の陽光のせいで読めない。それが余計に言外に「喋るな」という意味を孕んでいるような気がした。
「……ま、大した人じゃありませんよ。ただの藍葉たちの教師役って感じの人です」
最後にボソッと呟くように口にして、藍葉は口を噤んだ。
藍葉と勇也は互いを見ることなく廊下を歩いていく。
華恋もその異様な雰囲気を感じ取ったのか、それ以上何も言おうとしなかった。
「ふぅ……」
部屋に戻ると息を吐いて、藍葉はずるずると崩れ落ちた。
宙に視線を漂わせながら、ぽつんと。
「先輩、やっぱりまだ夕日さんのこと……」
今まで直接聞けたことなどなかったが、勇也の反応を見るに一目瞭然だった。
たぶん、勇也は今も夕日のことが好きなままなのだろう。何年経とうとも色褪せることなく。勇也は夕日に好意を寄せ続けている。そこに藍葉が入り込む隙はない。
でも、 ──あなたたちはベストカップリングなんだから。
そう。今、勇也の隣にいるのは夕日ではない。藍葉なのだ。
訓練のときにも、天音にベストカップリングだと言われたが……心のどこかではそんなはずないと思っていた。喧嘩ばかりで、相性なんて思い返す限り最悪に近かったからだ。
それでも、再び藍葉と勇也の相性は最高と判定された。ならば、そろそろ意地を張るのをやめて認めたっていいだろう。隙はないかもしれないが、邪魔者もいないのだから。
「……少しだけ……ほんの少しだけなら、素直になってもいいかな」
明日、藍葉は勇也と偽装カップルとして潜入捜査をする。
それは見かけ上だけでも、あの勇也とカップルのふりをするということである。
それならば、恋人のように振舞っても不自然ではない。
藍葉がそうしたいわけではなく、仕事上そうするしかないだけなのだから。
「うん、頑張ってみよ……」
決意を新たにすると、部屋の端にあるクローゼットを見つめる。
それから立ち上がると、藍葉は服を片っ端から引っ張り出し始めた。