「小説家になろうと思うのだ」
「………………はい?」
それはあまりにも突然すぎる告白だった。
思わず真剣な顔でマジなトーンの声を返してしまう程に、衝撃の大きい告白でもあった。
紅茶をカップに注ぐ手を止め、超弩級の爆弾を投下しやがったハーフエルフの少女に視線と意識を向ける。
色白の肌に整った顔立ち。鋭い刃を彷彿とさせる切れ長の碧眼に、月の光に匹敵する程に眩い金髪ポニーテール。エルフ特有の先が尖った耳はハーフエルフでありながらも確かに受け継がれている。高身長の体躯と長く健康的な手足からは彼女のスタイルの良さが窺え、他にも豊満な胸やきゅっとしまった腰回りなど、まさに奇跡としか表現しようのない黄金比により、彼女の肉体は成り立っている。
シルフィ・ライトグラスという脆そうな名前を持っていながらも、若干十八歳にして史上五人目の『オリハルコン級冒険者』となり、更には最上級の剣士を象徴する『剣聖』の称号を与えられた凄腕の魔術剣士の美貌から静かに視線を逸らし、少し離れた場所でチェスに興じていた二人の仲間へと視点を変更する。
「……ユーリとハイネはもう今週の週刊ステップ読んだか? 抱かれたい冒険者ランキング男性部門と抱き締めたい冒険者ランキング女性部門、相変わらずお前達二人がトップに輝いてるみたいだぜ?」
「そうなんですか? うう、恥ずかしいですぅ」
「それは何とも光栄な事だね。選んでくれた方々には感謝だよ」
だぼっとしたローブに包まれた茶髪エアリーボブのネコ耳少女――ユーリ・カルディナはかぁぁぁと耳の先まで顔を真っ赤に染め、道着姿の長身イヌ耳男ことハイネ・アインツフォンは涼しい顔のまま投票者への感謝を述べる。その態度に厭味や自慢の色はなく、ただ純粋に喜んでいる様子が見て取れる。
というか、このパーティは俺以外のメンバー全員が美男子&美少女だったりする。黒魔術師のユーリは他の冒険者に大人気のマスコット枠として有名で、武闘家のハイネはクールなイケメン冒険者として多くの女性から絶大の人気を得ている。シルフィは最強の魔術剣士として数多の冒険者たちから羨望の眼差しを送られているし、この間なんか『女神の様な美しさを持つハーフエルフの剣士』として出版社に取材されていたぐらいだ。抱かれたい冒険者ランキングでは女性でありながら既に殿堂入りらしいし……地味な自分が呪わしい。
「って、何を無視しているのだミスト! 私の話を聞け! ユーリとハイネのランキング事情など今はどうでも良いのだ!」
「今すごく聞き捨てならない事を言われた気がしますっ!?」
「気のせいだよ。それより――チェックメイト」
「ふぁっ!? い、いつの間に!?」
チェス盤を驚愕の表情で凝視するネコ娘にほんわかしたところで、俺は目を背けていた現実に真正面から立ち向かうことにした。
「話を聞けっつってもなー……小説家になろうと思う、だっけ? そんな事をいきなり言われても反応に困るだけなんだよな」
「ふふん、そうだろうそうだろう? 驚いただろう? だが、冗談であるどころか本気も本気、空飛ぶグリフォンを石ころで打ち落とすぐらいに本気なのだ!」
「すげー嫌な予感がする」
シルフィが本気になった時は大概碌な目に遭わないんだよなぁ(主に俺が)。シルフィにパーティに誘われた時はメンバー集めと称して街の噴水広場で一発芸を延々とをやらされたし、クリースマス(なんか昔の英雄の誕生日を祝う日らしい)パーティをするってシルフィが言い出した時には街の外まで巨大なツリーを調達しに行かされたし。本気になるのは別に構わないんだが、その結果として俺が酷い目に遭うのだけは本気で勘弁願いたい。それこそ、空飛ぶグリフォンを石ころで撃ち落とすぐらいに本気で勘弁願いたい
シルフィは豊満な胸を押し上げるように腕組みし、
「お前には黙っていたが、実はもう『シルフィちゃん小説家になろうぜ計画』は最終段階に入っているのだ」
「なにそれ聞いてねえんだけど。俺だけハブ? いくら俺が常に金稼ぎの為に奔走してるからって、俺だけハブられるとか流石に悲しいんだけど」
「べ、別にそういう訳ではないぞ? た、ただ、お前を驚かせてやろうと思っていただけで……し、しかし、その事でお前が悲しむというのなら、私はお前に謝罪しなくてはならない。ああ、私はどうすれば良い? ご、ごめん、ごめんな、ミスト」
冗談のつもりだったのだが、どうやらシルフィは俺の自虐ネタを本気で受け取ってしまったようだ。あわあわおろおろと慌てた様子で俺に困り顔を向けてきている。無駄に顔が整っているせいか、普段との態度のギャップ萌えでなんとも可愛らしい。
涙目寸前のシルフィの頭に手を置き、俺は不器用な笑顔を浮かべる。
「大丈夫、冗談だよシルフィ。だから別に謝んなくていいぜ?」
「ほ、本当に? 本当に怒っていないか?」
「ああ、本当だ。こんな事で怒るような俺じゃねえよ」
「……よかったぁ!」
純粋に喜ぶ剣聖が可愛すぎて生きるのが楽しい。
「……わざわざ目の前でいちゃつかなくてもいいですのに」
「そこはあえて見なかった事にするのが大人のマナーだよ、ユーリ」
そして俺とシルフィを見てイヌとネコが好き勝手言っていたが、俺は大人なので華麗にスルーしてやった。だが、次はないぞ。シーフの顔は二度までなのだ。
俺の頭撫で撫でによって調子を取り戻したシルフィはニヒルな笑みを浮かべる。
「『シルフィちゃん小説家になろうぜ計画』の決行を開始したのは今からほんの一週間前のこと。ちょうどミストがダンジョン内でトラップの解除に失敗し、物理的に煮え湯を浴びせかけられた後の事だった」
「人がせっかく忘却し切ってた黒歴史を回想のついでに掘り返してんじゃねえよ」
あの時は本気で死を覚悟した。シルフィの治癒魔術ですぐに治療していなかったら、今頃俺は全身大火傷という痛々しい状態となっていた事だろう。
「私はミーナの本屋を訪れ、店頭に並ぶ小説の山を見て、ふと思ったのだ―――小説家になりたい、と」
「メチャクチャ壮大な雰囲気が凄いけど、要はいつも通りの思いつきなだけだよね? 結果的に俺が酷い目に遭う黄金パターンなだけだよね?」
因みに、ミーナというのはシルフィの親友で、俺の幼馴染みである。更にはこの街一番の売れ行きを誇る本屋の看板娘で、なんと毎日味噌汁を作って欲しい美少女ランキングで四年連続トップに輝いている冗談抜きの美少女だったりする。因みに、我らが剣聖シルフィは堂々の三位である。
俺の華麗なツッコミに、しかしシルフィは「甘いな」と余裕の態度を見せる。
「私がいつまでも万年うっかり娘だとは思わない事だ。今回においては、お前が言う黄金パターンとやらから脱する事に成功しているのだよ」
「なん、だと……っ?」
「言っただろう? この『シルフィちゃん小説家になろうぜ計画』は既に最終段階に入っていると!」
「馬鹿な……あのシルフィが凡ミスをかましていないだと? 戦闘力と外見ぐらいしか褒める所が見当たらないあのシルフィが? 俺の忠告に従わずに落とし穴に盛大に落ちまくるのが鉄板ネタである、あの超ポンコツ娘ことシルフィ・ライトグラスがうっかりしていないというのか……っ!?」
「え、私ってそんな感じなのか? お前の中の私ってそんなにうっかり娘な印象なのか!?」
「ぶっちゃけ冒険者の中でもトップクラスだと思ってますハイ」
「心外だ! 撤回を要求する!」
胸倉を掴まれて抗議されるが、大人な俺は華麗にスルー。
「まあまあ、そんな事よりも話の続きをしてくれよ」
「この野郎、憶えておけよ……」
残念ながら記憶力が良い方ではないので、すぐにでも忘れてしまうだろう。
まあ、良い――そう言いながら、シルフィは俺の胸倉から手を離す。
「まず、イラストは絵が上手いユーリが担当することで落着している」
「既に被害者が出ていたか……」
「被害者扱いはやめてくれませんかねえ!?」
「本来であればイラストなど不要なのだがな。ユーリがどうしても参加を希望してくるので、仕方なくイラストを任せることにしたのだ。…………はぁ」
「シルフィだけだと何が起きるか分かりませんからね! いやもう本当に、私の目が届かないところで何を仕出かすか分かったものじゃないですから!」
「最低最悪の気遣いをどうもありがとう……っ!」
「いいえぇ、お礼なんて要りませんよぉおおおおおお……っ!」
何故かバチバチバチと火花を散らす美少女コンビ。
シルフィが何を仕出かすのかはよく分からんが、話が脱線しそうな空気になってきたので、俺は軌道修正を試みる。
「まあ、その話は置いといて、だ。他にどんな準備をしてんだ?」
「ん? ああ、そうだったな。イラスト担当の次に、私は出版に必要なマジックアイテムを全て買い揃えた」
「出版に必要って……そういうのは出版社側が揃えるもんだろ? 何でお前がそれを揃えちゃってんだよ」
「自費出版をするからだが?」
「このブルジョワめ……」
知っての通り、シルフィは凄腕の冒険者だ。その稼ぎは通常の冒険者換算とは比べ物にならない程に高額なものとなっている。俺とユーリとハイネとパーティを組んでいるので四等分にはなるけれど、それでも有り余る程の財を彼女は有している。今、俺達が駄弁っているこの部屋だって彼女が有する屋敷の中にある一室に過ぎない。
ダンジョン内での稼ぎに加え、出版社からの取材や武具屋にアドバイザーとして雇われた際の収入。他にも様々な高額収入がある彼女にしてみれば、自費出版なんてパンを買うのと同じ感覚なのだろう。筋金入りの庶民である俺には一生理解できない感覚である。
「自費出版先は勿論、ミーナの本屋だ。既に話は着けていてな。小説が完成次第、特設コーナーを増設し、そこに陳列してもらうことになっている。店内で最も目立つ場所にしてくれと頼んでいるからな、想像するだけで涎が止まらない……っ!」
人それを取らぬアルミラージの皮算用と言う。
「つーか、話に出なかったけど、ハイネもその小説作成とやらに参加すんのか?」
「何故ハイネを誘わないといけないのだ?」
「何でサラッとそんな酷い反応ができるの!? 仲間じゃん、誘ってやれよ!」
「え、いや、確かにそうなのだが……これ以上人が増えるとアプローチの暇が(ボソッ)」
「あン? 何だって?」
「い、いや、何でもない。も、勿論、後で誘う予定だったさ」
「さっきの発言と全く違うんですがそれは」
「お前の記憶力が悪いのではないか?」
「こんなことってある!?」
絶望の叫びを上げる俺だが、シルフィは顔を逸らして口笛を吹くばかり。
そんな俺の肩に何者かが手を置いた。見ると、そこには相変わらずの裏の読めない笑顔を浮かべたハイネが。
「そもそも気にしていないし今のやり取りが面白かったから僕は満足だよ」
「そうだよな、お前はそういう奴だったよな! 心配した俺が馬鹿だったよな!」
本っっっ当にこのクソイケメンは俺の気遣いを真っ向から無駄にしやがる……。
相変わらず自分勝手なシルフィ(それと気遣い甲斐の無いハイネ)に俺は盛大に溜め息を吐く。あまりにも突然の展開が多すぎて、諦めにも似た感情さえもが浮かんできている始末だった。
「分かった、お前の本気度は十分に理解した」
「うむ。相棒に分かってもらえて私は嬉しいぞ」
「そりゃあどうも。――で、どんな小説を書くつもりなんだ?」
「そこなんだが、恋愛ものということ以外まだ何も決まっていないのだ。いろいろと案はあるのだが、これぞといったものが思いつかん。まさにお手上げ状態だな」
「あれ、確かさっき『最終段階に入っている』とか言ってたような……?」
「こ、細かいことはどうでも良いのだ、細かいことは! と、とにかく、この私の為にお前の出来の良い頭から奇抜性のある設定を絞り出すが良い!」
「奇抜な設定、ねえ……」
いきなりそんなことを言われても、奇抜な設定なんてそう簡単に思い浮かぶものじゃあないしなあ。そもそも俺はシーフであって小説家でも構成作家でもないのだ。ダンジョン内の罠を解除したり、他人から受けた依頼をこなしたりするのが主な仕事なのであってだな――って、他人からの依頼?
「あ」
「ん、どうした? なにか思いついたのか!?」
「あ、ああ、いや、アイディアとか、そういう話じゃねえんだが……そういえば、ちょうどミーナから依頼を受けてたなあ、と」
「ミーナから依頼、だと?」
「ああ。つい昨日の話だな」
「……して、どんな依頼を受けたのだ? 勿論、説明してくれるんだろうな?」
「別に隠すような事じゃねえから全然話すけど……なんでそんなに怖い顔してんの? 俺なにか不味い事でも言いましたかね?」
「べっつにぃー。良いから、ミーナから受けた依頼とやらについてさっさと説明するのだ」
「なんだよもう……」
何故か機嫌の悪そうなシルフィに思わず溜息が零れてしまう。そして離れたところで笑いを堪えているハイネと、シルフィと同じく何故か不貞腐れた表情のユーリが無性に気になったが、まあそれについてはひとまず置いておくとしよう。今はシルフィからの質問に答えるのが先決だ。
「別に大した依頼じゃねえんだけどな。魔物の生態についての調査を頼まれたんだ」
「魔物の生態を? ……どういう流れでそんなことに?」
「ミーナから聞いた話だと、なんか今取り扱っている魔物図鑑の情報が古くて役に立たない、って苦情が殺到してるらしい。苦情を入れた冒険者たちによると、魔物図鑑に記載されていない種類の魔物が増えてきたり、記載内容と実際の生態に食い違いがある、ってことなんだと」
「魔物図鑑など見たことがないからよく分からん」
「まあ、駆け出し冒険者用だしな。お前には不要だろ」
魔物についての知識がない駆け出し冒険者にとって、魔物図鑑というのはまさに必要不可欠なものと言っていい。どこの部位が弱点なのか、どういう属性に弱いのか、などの情報を戦わずして得ることができるからだ。
俺はわざとらしく咳払いし、話を続ける。
「んで、図鑑の情報がいつまでも古いままって訳にもいかないから新しく作り直そうって話になって、ミーナの幼馴染みである俺にその調査依頼が舞い込んできた――って訳だ」
「魔物図鑑の編集は学者の仕事なのでは?」
「俺もそう思ったんだが、どうやら件の魔物図鑑は元冒険者であるミーナの親父が書き上げたものらしいぜ」
「なるほどな……だからミーナが幼馴染みであるお前に依頼を持ちかけたのか……」
今までいろんな依頼を受けてきたが、まさかこんなにも変則的な依頼をされる日が来るとは思いもしなかった。まあ、割と報酬も良いし、そもそも幼馴染みからの依頼だったので、断る理由もないのだが。
俺から説明を受けたシルフィは「ふむぅ」と何故か考え込んでしまった。魔物の生態調査について思いを馳せているんだろうか。彼女が何を考えているかなんて別にどうでもいいが、物思いにふけるシルフィも素敵だと思います。
――そんな俗っぽい事を考えていると、ふいにシルフィが声を上げた。
「そうだ……そうだな……魔物図鑑だ、魔物図鑑にしよう!」
「いきなりどうした。情緒不安定か?」
「違うわ! 内容だよ、物語の! 魔物図鑑を作るために奮闘する男女二人の恋物語という素晴らしい話を思いついたのだ!」
「魔物図鑑を作るために奮闘する男女の恋物語、ねえ……確かに、奇抜っちゃー奇抜な設定だな」
「だろう!? 我ながら大した発想だと思う! フフン、流石は私だな」
少なくとも、俺はそんな設定の物語なんて読んだことがない。シルフィが求める誰とも被らない奇抜な設定という点で言うなら、まさに打って付けの設定だ。
「という訳で、お前の調査とやらに私達も同行するぞ! これは決定事項だ!」
「わ、私もついていきます! イラスト担当として実物をしっかり観察しないといけないですからね!」
「じゃあ僕もついていこうかな。面白いものが見れそうだし」
シルフィに続き、ユーリ、ハイネまでもが参加を表明。
俺は頭を掻きながら、
「また勝手な……まあ、俺としちゃあ依頼さえこなせりゃどうでもいいんで、誰がついてこようが関係ねえけどさ……」
「相変わらず素直じゃないなお前は。普通に礼を言えんのか礼を」
「うっす。あざーっす。マジ感謝してるッス」
「お前の中の普通の基準が私には理解できんのだが!?」
シルフィは俺に鋭いツッコミを入れると、
「こ、こほんっ。……それで、まずはどの魔物について調査するつもりなのだ?」
「最初の一体についてはもう決めてんだが、それ以降はまだ考え中だな」
「相変わらずテキトーだなお前は……」
「しょうがねえだろ。魔物の種類なんて気にしたこともなかったんだし」
「はぁ……本当、お前はそういう男だよな……まあ、良いだろう。そういう抜けているところも含めて、この私がお前を全力で支えてやろうではないか!」
そう言いながらシルフィは椅子から飛び上がり――そして着地した瞬間、先程まで部屋着だったはずのシルフィの身体には無駄に高級感溢れる武具の数々が。上位の冒険者のみが使用する事を許された装備だ。世界一の硬さに定評があるオリハルコン製の軽鎧に、魔力との相性が抜群なアダマンタイト製の長剣。腰のポーチには取材用の手帳とかペンとかが入っているんだろう。。
「何だよその早着替えスキル。小説における貴重な挿絵シーンを台無しにされた気分なんだけど」
「そういう色物枠は私ではなくユーリの役目だからな。私は作者、言わば色物枠が輝くための場を提供する側なのだよ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 初耳なんですけど!?」
「……と、ネコ耳娘が仰ってんですがそれは」
「空耳だ。そうでなければ野良猫の鳴き声だろう」
「ソウデスネー」
「二人とも無視しないでください! 色物枠って何!? どうしてイラスト担当であるはずの私が色物扱いなんですか!?」
あーあー今日は野良猫が騒がしいなー。
耳と尻尾を逆立てて断固抗議を続けるネコ娘をあえて意識の外に外しつつ、部屋の隅の方に無造作に置いていた装備一式を拾いながら、俺はふと気になった事をシルフィに尋ねることにした。
「そういえばさ、小説を書くのはいいんだけど、題名ってどうするんだ?」
「ふふん、知りたいか? 知りたかろう? 知っておくべきだろう! よかろう。いずれ世界一の小説家となるこの私がお前に、ついさっき思いついた題名について直接教えてやろうではないか!」
「ついさっきかよ。やっぱり見切り発車感が凄まじいな」
「やかましい!」
そう言うと。
自称世界一の小説家(予定)さんは豊満な胸を立派に張りながら、冒険者随一の端正な顔に得意気な表情を張りつけつつ、鈴のような美声で高らかにその名を口にした。
「拙作の名は『魔物図鑑を作ろう』だ! よーく憶えておくと良い!」
「安直だなぁ」
何気ない俺の罵倒が炸裂するが、自分に酔っている魔術剣士兼小説家さんの耳には届かなかった。
――――話は、一週間前に遡る。
「いらっしゃいませ―――って、シルフィ? 珍しいね、どうしたの?」
「ああ、ミーナよ、聞いてほしいのだ」
「なになに?」
「ミストに私の想いを伝えたい。どうしたら良いと思う?」
「………………告白すればいいんじゃないかな?」
「無理だ無理。そのようなこと、できる訳がないだろう!? 恥ずかしい!」
「それを言っちゃったら想いを伝えるなんて不可能だと思うんだけど」
「そんなことは言われなくても分かっている! だが、いざ告白となるとどうしても恥ずかしくなるのだ! だから頼む、告白せずに私の想いをミストに伝える方法を一緒に考えてくれ!」
「うん、凄く傍迷惑な話だね! でも協力するよ、だって親友だもの」
「ありがとうミーナ。この恩は必ず返させてもらうぞ」
「それじゃあミストを私にちょうだいな」
「あまりにも突然すぎる展開に私は驚きを隠せないぞ!? だ、駄目だ駄目だ、駄目に決まっているだろうが!?」
「ぶー! 恩を返してくれるって言ったじゃんかー」
「そ、それとこれとは話が別だ! み、ミストは私のものなのだ。他の人には渡せない!」
「ま、最終的には実力行使するだけだから、別にいいけどね」
「悪魔かお前は! って、違う違う。今日はお前と醜い争いをするために来た訳ではないのだ!」
「ああ、告白せずに想いを伝える方法だっけ? まあ、別に良い方法が無い訳じゃないけど……」
「おお、良い案があるのか? 是非とも聞かせてくれ!」
「小説家になればいいんじゃないかな?」
「………………うん!?」
「小説家だよ小説家。妄想を文字に、想像を物語に。私は本屋だし、本のことなら他にもいろいろ教えられる。小説の書き方ぐらいなら教えてあげてもいいしね」
「し、しかし、いきなり小説家だなんて……それは流石に突飛過ぎるのではないか?」
「自分で想いを伝えなくても、小説を読んだミストがキミの恋心に気付いてくれるかもしれないよ?」
「!」
「書いた小説を出版したら、より多くの人にキミの恋心について知ってもらえて、気付かない内にキミの恋愛に手を貸してくれる人が増えていくかもしれないよ?」
「書く! 書こう! 書かねばなるまい! 小説を! 私だけの恋物語を!」
「(ちょろいなぁ)」
「そうと決まれば早速準備をしなくてはな! 私だけの小説を書いて、ミストに私の想いに気付いてもらうのだ!」
「そうだよ、その調子! 目指せ、小説家、だよ!」
「そうだな! よーっし、燃えてきたぞ!」
「(本っ当にちょろいなぁ)」
「ん? 何か言ったか?」
「べっつにぃー」
「??? まぁ、良い。今日はありがとうな、ミーナ。貴重な意見だった!」
「もし小説が完成したら私にも読ませてね?」
「当然だ! それではな、ミーナ! 私は頑張るぞ!」
「うん、じゃあね―――ってもう見えなくなっちゃった」
小説家宣言をしやがったシルフィに俺やユーリ、ハイネが連れてこられたのは、街の中央にあるダンジョンの入り口だった。
「取材は主にダンジョン内で行うつもりでいる。その理由は至って簡単、魔物はダンジョンの中にしかいないからだ!」
「いや、わざわざ言われんでも知ってるしそもそも取材をするって言い出したのは俺だしなんでお前が仕切ってんのか理解不能なんですけど」
「細かい事は良いのだ細かい事は! そんなに細かいとハゲるぞ?」
「おうおうそれを男に言ったら戦争だろうがッ!?」
余計な事を言うシルフィに俺の素敵なツッコミが炸裂する。そして俺はハゲてない。
俺達が暮らしているこのステラトの街は世界でも有数な交易都市であり、また、世界各地に存在するダンジョン保有都市の一つでもある。
ダンジョンには多種多様な魔物が生息しており、俺達冒険者はその魔物を討伐したり発見した財宝を売り捌いたりして生計を立てている。それ以外にも様々なことをして生活しているのだが、それについては一旦置いておくとしよう。
俺はダンジョンの入り口を眺めながら、
「そんじゃま、ここでうだうだしててもしょうがねえし、さっさと行くかね」
「そうですね。イラスト担当の立場からしても、できるだけ早めにイメージを固めておきたいですし……」
「……今更なんだけど、お前って本当にイラストとか描けるの? すまんけど、俺の中のお前って大雑把なイメージしかないんだけど」
「魔術を最大火力で放つしか能がない黒魔術師だからってその言い方は酷いと思うんですけど!」
むきゃーっ! と怒るユーリだが、可愛らしい見た目のせいで全く持って怖くないです。
このネコ耳少女――ユーリ・カルディナだが、攻撃魔術を得意とする黒魔術師の中でも特に異端な存在だったりする。それは体内保有魔力量が常人の三十倍である事と魔力の扱いが大の苦手だということが関係していて……ぶっちゃけた話、唱える攻撃魔術の全てが最大威力になってしまうトンデモ魔術師なのだ。
初歩の攻撃魔術を唱えれば家が消し飛び、
高位の攻撃魔術を唱えれば辺り一面焼け野原。
マスコットキャラクターみたいに無駄に可愛らしいくせに馬鹿高い威力の攻撃魔術をボコスカ放つその姿はまさにギャップの塊。その破壊力はシルフィが即決でパーティメンバーとしてユーリを勧誘した程である。
疑いの視線を向ける俺にユーリはぷりぷり怒りながら、
「大丈夫ですよ! そもそも、我々魔術師は魔導書を作る際に自作のイラストを挿絵として載せるものなんです。文章だけじゃあ分かりにくいですからね」
「だから絵を描くのも得意だって? ……どうせ爆発的に下手糞な絵を量産しまくってんだろ?」
「ぶー! 悪評は実物を見てからにしてください! 私の絵は魔術師界隈の中でも綺麗で可愛らしいって評判なんですからね!」
そう言うと、ユーリは懐から一冊の本を取り出し、ずいっと俺に差し出してきた。それが何かなんて確認するまでも無い。ユーリ自作の魔導書である。
分厚い魔導書をぺらぺらと捲り、挿絵のページまで一気に飛ばす。そこには白黒のイラストが描かれていて、成程、確かにそこには彼女の言う通り綺麗で可愛らしいイラストが見て取れる。
「……実は他の人が描きました説は?」
「そんなに私の画力が信用ならないんですかねえ!? 私のですよ、紛う事なき私のイラストですよ!」
「……お前の本職って何だっけ?」
「魔術師ですけど何か! 魔力の扱いが下手糞で絵を描く方が何百倍も得意な黒魔術師ですけど何かぁーっ!?」
真っ赤な顔で唾を飛ばしてくるユーリ。彼女を信じたいのは山々なんだが、俺の中に植え付けられた『暴発娘』というイメージというものがありましてね……。
しかし、まぁ、ここまでの必死な態度を見せつけられては、彼女の事を信じない訳にもいかないだろう。仲間だしね。仲間の事を信じるのは当然だしね!
「わ、分かった分かった。疑ってゴメンな、ユーリ。お前の絵はすげー魅力的だよ。だからそんなに怒るなって」
「…………本当ですか?」
「本当本当。試しに画集とか出したら馬鹿売れするんじゃね? って思っちまうぐらいに本当だよ」
「本当ですか!? ミストがそう言うのなら、出してみようかなぁ、画集。えへへ」
ご機嫌取りを選んだ俺が言うのもなんだが、滅茶苦茶ちょろいなユーリよ。そんなにちょろいと変な男に騙されないかすげー心配になるんだが。
未来の自分――画集販売で有名になった自分の事だろう――をぽややーっと想像して幸せそうな顔を浮かべているユーリに思わず苦笑していると、誰かが俺の肩をやや乱暴に叩いてきた。反射的に振り返った先には、やや不機嫌気味なシルフィの顔が。
「二人で盛り上がっているところ悪いのだが、そろそろ取材に向かわないか?」
「別にいいけど……何で怒ってんの、お前?」
「怒ってなどいない」
それならば何故、鋭い目つきで睨みつけてくるんでしょうかねえ。
「まあ、怒ってねえならいいや。さっさとダンジョンに入ろうぜ」
「…………馬鹿ミスト」
小さな声でそう言うと、シルフィはずかずかとダンジョンの中へと入っていってしまった。その後ろを「ま、待ってくださいよーっ!」と慌てた様子のユーリが追いかけていた。
何だよあいつ。何か気に障るような事でも言っちまったんだろうか? ……思い当たる節が無さすぎる。
先行する女子コンビの後を追う様にしてダンジョンの入り口を潜ろうとした――まさにその瞬間、誰かが俺の肩に優しく手を置いた。
振り返ると、そこにはニコニコ笑顔のハイネの姿が。
なんだよ、と首を傾げながら尋ねると、ハイネは裏の読めない笑顔をキープしたまま全てを悟っているかのような調子でこう言った。
「女心に疎すぎるのも程々に」
ダンジョンの中は静かに見えて、実は意外と賑わっている。
入り口を潜り、階段を降りてすぐのところにある第一階層には多くの露店商が所狭しと店を構えている。ダンジョンに潜る全ての冒険者が通り抜けることになるこの第一階層は彼らにとっては格好の穴場であり、街の商業区画にも匹敵する売り上げを誇る露店商も少なからず存在しているらしい。
そんな第一階層――通称『露店階層』のど真ん中を、シルフィ率いる俺達御一行はずかずかと通過していた。
「それで、まずはどの魔物について調査するんですか?」
とてとてと横を歩きながら俺に聞いてくるユーリ。俺は返事をしようと口を開きかけるが、それを遮るように何故かシルフィがこう返答した。
「ちっちっち。その質問はまだ早すぎるぞユーリ。もしこれが物語であったなら、大不評間違いなしだ」
「……私はミストに聞いたのですが」
「答えを得ることができれば誰が返答しようと関係ないだろう?」
「邪魔しないでもらえますぅ?」
「それはこちらの台詞だな」
「「…………………………………………」」
くいっ(シルフィがダンジョンの出口を親指で指し示す)
こくんっ(ユーリがそれに同意する)
つかつかつか(二人がダンジョンの外に歩き始める)
「ちょいちょいちょいちょい待て待て待て待て」
むんず、と二人の衣服を掴み、俺は火種を消す作業を開始する。
「よく分からんが、同じパーティの仲間なんだから喧嘩はやめよう、な? つーか、普段は仲良いのにどうしていきなりいがみ合ってる訳? ちょっとお兄さんに言ってごらん?」
「いつも気遣いが素敵で笑顔が眩しいミストは黙っていてください! これは私の――いえ、女の威信をかけた戦いなんです!」
「そうだそうだ! 鈍感なくせに優しくて無自覚に人をときめかせるミストは黙っていてくれ!」
「お前ら俺を貶したいの褒めたいのどっちなの?」
まさかこいつら俺に惚れてるんじゃ……いや、流石にそれは無いか。ハイネならまだしも、地味でぱっとしない顔立ちの俺にこんな美少女共が惚れてくれる訳ねえしな。自意識過剰は悲しくなるだけだからやめようやめよう。
とりあえずシルフィとユーリの頭を撫でることで機嫌を直してもらった。相も変わらずウチの美少女様方はちょろすぎるようです。
小動物のように目を細めるシルフィたちから手を離し、俺は先程のユーリの質問に答え始める。
「今回の取材対象はそこまで強力な魔物じゃねえよ。誰でも倒せて、誰もが知っている超初心者向けの魔物。それが今回の取材対象だ」
「初心者向けの魔物、か……」
手帳を片手に相槌を打つシルフィ。剣術最強の剣聖サマがペンと手帳を持っているその姿は何ともシュールこの上ない。
「初心者向けの魔物という事は、ゴブリンとかオークとかですか? 確かに彼らなら初心者冒険者でも倒せるレベルではありますが……」
主に第二階層に多く生息しているゴブリンとオークは、まさに初心者向け魔物の代表格と言ってもいいだろう。動きは大して速くなく、攻撃力もそこまで高くはない。ピンチになると仲間を呼ぶ性質があるのが厄介なところだが、それさえ気を付けていれば全滅する事はまず有り得ない魔物と言える。
だが、俺は首を横に振った。
「思いつかねえか? もっと弱くて、もっと知名度の高い魔物がいるだろ?」
「もっと弱くて知名度の高い魔物……? そんなのいましたっけ……?」
「もしかせずとも、その魔物って――『スライム』だったりする?」
ハイネの解答に俺はニヤリと笑みを返す。
「そう。今回の取材対象はスライムだ。半透明でぶよぶよとしたゲル状の身体を持ち、物理攻撃が通用しにくいが、魔術攻撃には滅法弱い貧弱魔物。俺達はこれから、そのスライムの生態を調査するんだよ」
「スライム、か……うむ、最初の魔物としては打って付けだな。気に入った。スライムの生態調査について私は賛成だ」
「提示した俺が言うのもなんだが、もっと派手な魔物を調べた方が小説映えするんじゃあねーのとは思うがな。例えば、オーガとかドラゴンとかさ」
「ふっふーん。どうやらお前は何も分かっていないようだな!」
「あン?」
シルフィは豊満な胸をドドンと張ると、
「主人公たちに立ちはだかる最初の敵はスライムと相場が決まっているだろうが!」
「……………………え、いや、そうなの?」
「そうだぞ」
「いやいやいや、それって偏見過ぎませんかね? 普通に最初っからドラゴンが出てきても良いじゃん!」
「駄目だな。絶対に駄目だ。最初に登場する魔物はスライムじゃないと駄目だ。この『世界一よく分かる小説家入門書』の三ページにもそう書かれている」
「うっわくっそ胡散臭い本を根拠にされた……」
『世界一よく分かる』というフレーズがもうなんというか超胡散臭い。そしてそれを本気で信じてしまっているシルフィがどうしようもなくちょろすぎる。
鼻高々と怪しい指南書を見せつけてくるシルフィに、ずっと静かにしていたユーリがおずおずと手を挙げながら言った。
「あのー……私、スライムはかなり苦手で割と本気で嫌なんですが……」
「大丈夫だ、安心しろ。すぐに慣れる」
「そういう問題じゃないと思うんですけどねえ!?」
スライムが心の底から嫌いなのか、ユーリの顔には嫌悪感がバッチリと刻まれていた。
「私はスライムみたいな目の無い生き物が大の苦手なんです! 何故なら目が無いって不気味でしょうがないから! 特にスライムは絶対にダメです! ぶよぶよしてるしとにかく気持ち悪いですし! 個人的にも宗教的にも受け付けないっ!」
「スライムは可愛い方だと思うのだがなぁ」
「ど・こ・が!? 目も鼻もないただのゲルのどこが可愛いと!?」
「ぶよぶよとした質感」
「ふくよかなおじさんのお腹でも触ってやがれです!」
「まぁ、いくら文句を言ったところでリーダーである私の意見は絶対なのだがな」
「この鬼! 悪魔! 永久独身!」
「別にお前だけここで離脱しても私は構わないが、お前は本当にそれで良いのかな?」
「な、何ですか急に……どういうことですか……?」
「いーやぁ、別に何も深い意味はないがなあ? 私は別にかまわんが、ただ、お前がここで抜けると何が起こるか分かっているのか、と思ってなあ」
「な、何が起こるか、ですって……っ!?」
何もしねえし何も起きねえよ。
「二人きり……暗いダンジョン……シルフィがミストを組み伏せ…………っ!? だ、駄目です駄目です、絶対に駄目です! あなたが何を仕出かすか分かったものじゃありません!」
「別に何もしないがな。ただ、ちょーっと関係性が変わるだけで……」
「だ、駄目です駄目でぇーす! や、やっぱり私も同行します! スライムなんて怖くない!」
「フフン、それでこそ我が好敵手。望むところだ、正々堂々かかってくるが良い!」
「それはこちらの台詞です! ケットシーの本気を見せてやるので覚悟しておくことですね!」
バチバチバチィッ、と火花を散らす美少女コンビ。
何の勝負が始まるんだろうと首を傾げていたら、ハイネがボソリと場を締めるようにこう呟いた。
「この二人は見てて本当に楽しいなあ」
「その発言だけ聞くとめっちゃ性格悪いみたいだぞ、お前」
シルフィとユーリがよく分からん展開で燃えた後、俺達は露店階層の一つ下――第二階層へと移動していた。
この第二階層は平和上等、商売上々が売りの露店階層とは異なり、数多くの魔物が我が物顔で闊歩している。我が儘に得物を振り回し、在るが儘に冒険者に襲い掛かってくる。
しかし、ここはダンジョンにおけるチュートリアルの階層だ。冒険者に成り立ての奴らが慣れない得物を振り回し、見慣れない魔物との戦い方を学ぶ初級ステージ。
それこそが、この第二階層な訳だ。
「さっきも言ったが、魔物はダンジョンの内部にのみ生息している」
何の前触れもなく横道から現れたオークを一刀の下に斬り伏せながら、しかしシルフィは汗一つ掻かずに淡々と言葉を並べていく。俺は隣で彼女の声に耳を傾けながら、天井に張り付いてこちらの隙を窺っていたゴブリンを投げナイフで串刺しにする。
「その大前提を考えると、奴らはこのダンジョンの何処かに住処を所有しているということになる。それならば、その住処における魔物の生活を調べれば、取材すれば、必然的に魔物の生態について詳しくなれる。私の本を、そして魔物図鑑を完成させるために我々が行う取材とは、つまりはそういうことだ」
「偉そうに言ってるところ悪いんだが、生態調査について提案したのは俺だからな?」
「…………つまりはそういうことだ!」
あ、こいつ押し切りやがった。
「成程。流石はシルフィ、素晴らしい考えだね」
「いや、だから、これはシルフィじゃなくて俺がですね」
「もっと褒めろもっと褒めろ。私は凄いのだからな!」
「……もういいです」
ハイネの賞賛に鼻を高くするシルフィ。魔物が闊歩するダンジョンの中で声を張るなんて自殺行為でしかないのだが、何故か彼女は傷一つ負っちゃいない。それどころか彼女は魔物の襲撃を全て見切り、全てを斬り払っている。そして俺は華麗に無視されている。
これが、『剣聖』。
これほどまでの実力を持っていないと、『剣聖』とは見做されない。
……見れば見る程、何で俺がこいつの相棒なのかが分からなくなってくるなぁ。
「ん? どうした、ミスト? ……ああ、そうか、そうだったのか」
「何を分かった風に頷いてんだよ。めっちゃ無視してたくせに」
「皆まで言わずとも分かっている。私の凄さに言葉もないのだろう? そして、私の相棒である事に嬉しさを覚えたのだろう? 大丈夫だ、私はちゃーんと分かっているからな」
「いや、野蛮だなって思いました」
「…………………………………………………………………………私もう戦わない」
悲しい顔で剣を鞘の中に収める剣聖サマ。流石に野蛮と言われるのは嫌だったんだろう。よくよく見てみると目尻に涙が浮かんでいる。
こうなってしまうと、こっちが折れない限り、シルフィは頑として復活しないから困り者だ。
「あーもー、ごめんごめんごめんなさい。俺が悪かったって。お前は野蛮なんかじゃねえよ。えーっと、なんだ、その……すげー綺麗だと思うぜ? ばっさばっさと魔物を斬り伏せるその姿は、まさに戦乙女を彷彿とさせるしな! いやー、シルフィは綺麗だなぁ!」
これでどうだ! これだけ褒めれば流石の面倒臭可愛いお姫様でも復活するだろ!
俯かせていた顔を少しだけ上げ、涙目で俺を見つめると、シルフィはやや頬を赤らめる。
そして豊満な胸を張るように腰に手を当てながら、
「そ、そうかそうか、そうだろうそうだろう? 私は綺麗だろう? そ、そうだよ、そうなのだよ、お前はよーく分かっているなあ!」
うちのお姫様がチョロインすぎる件について。
「ソーダネーキレイダネー。だから早く住処を見つける方法を教えてほしいなー」
「お前がそこまで言うのなら仕方がないな! 良いだろう、この私が直々に教えてやろうではないか!」
シルフィは得意げな笑みを浮かべながら、
「私達は偶然にも役割分担が完璧なパーティだ。迫り来る敵を私が撃破し、数の暴力に対してはユーリが暴発魔術で殲滅する」
「いやあの、私って別に好き好んで魔術を暴発させてる訳じゃないんですよね。しかも暴発魔術って何なんですか、新たな魔術を開拓しちゃってるじゃないですか」
「気配を消せるミストは敵の隙を突いて接近する事が出来、気を操るハイネは敵の位置を把握する事が出来る。これ程までにバランスの取れたパーティはそういないだろう」
「それで? それをどうやって取材に役立てるんだ?」
「あれ? 無視? 無視ですか? これって無視されてるんですか?」
暴発系ネコ耳魔術師が何か言っている気がするが、俺達三人は華麗にスルーする。
「簡単な話だよ。まず、ハイネにスライムの気を読み取らせ、奴らの住処の正確な位置を探るのだ。それが終われば――ミスト、お前の出番だ」
「成程。ミストの気配消失魔術で皆の気配を消し、スライムの住処に潜入。そしてスライムの生態を事細かに調査する――という訳だね」
ハイネの言葉にシルフィは頷く。
シーフである俺は気配を消すことができる。しかも俺を合わせて三人までの人間ならば気配消失の魔術で世話できるし、敵陣に潜入するには打って付けだ。この魔術が使えるからこそ、俺は一人で生態取材という依頼をこなそうとしていた訳である。
「私はお前の腕を信用している。頼りにさせてもらうぞ、ミスト?」
「はいはい。ま、期待に応えられるよう頑張らせてもらうよ」
「本当は嬉しいくせに……相変わらず素直じゃないなお前は」
「……ノーコメントで」
その言い方だと俺がツンデレみてえじゃねえかよ。ちげーよ。そんな俺がどこぞの萌えキャラみてえな性質を持ってる訳ねえだろ。……ホントダヨ?
しかし何と言うか、ここまで自分というものを見抜かれているとはな。流石は俺の相棒と言うべきか、俺のことはよく分かっている訳だ。数ある冒険者の中から俺をスカウトしただけはあるというか、かれこれ何年も背中を預け合ってきた関係だからというか……全てを見透かされているようで怖いんだけど。逆に、シルフィの事をあんまり分かってねえ自分が悲しくなるんだけど。
まぁ、いいだろう。頼りになる相棒として認められているということで、ここは納得しておくとしよう。
シルフィは俺とハイネを交互に見つめ、
「それではまず、ハイネはスライムの気を探し、奴らの住処を見つけてくれ。その後、ミストの気配消失魔術でミストと私、そしてユーリの気配を消し、三人でスライムの巣に潜入しよう。その間、ハイネには邪魔者が来ないように警備の役目を買って出てほしいのだが……構わないか?」
「僕も同行したかったけど、確かに警備役は必要だからね。君の判断に従おう」
そう言うと、ハイネは両目を閉じ、静かにゆっくりと深呼吸を始めた。自分の中にある気を鎮め、周囲の気を読む為に集中力を高めているのだ。こうなった時のハイネは何を話し掛けても答えてくれないし、逆にちょっかいを出そうとすれば即座に物理的な暴力で返り討ちに遭ってしまう。流石は抱かれたい冒険者ランキング男性部門チャンピオン、モテモテなのにはちゃんとした訳がある。
さて、ハイネが仕事を終えるまで何をしていようか。そんな事を考える間もなく、ハイネは自分の仕事を終わらせたようで。
「……見つけたよ。この場所から三十メートル前方にある大岩と壁。その向こう側に多数のスライムの気が感知できるね」
「相変わらず手際が良いよな、お前。仕事もできてイケメンで高身長って……俺に喧嘩売ってるとしか思えねえんだけど」
「シルフィ直々にこのパーティに勧誘されてるんだから、これぐらいは出来ないとね」
やだ、凄くイケメン……抱かれたい……っ!
「ご苦労様だ、ハイネ。……さて、それでは早速、向かうとするか」
シルフィの提案に俺達三人は静かに頷きを返した。
ハイネが示した三十メートル前方、そこには十メートルを優に超える高さの大岩が鎮座していた。この岩を砕けば未知の鉱石が出てきたりするんだろうか。それはそれでなんとも魅力的な話だが、今回の狙いは別にある。魔物の生態を調査するという、冒険者なのか学者なのかよく分からない目的が。
大岩の表面を調べ、何もないと分かった次はその周囲を調べてみる。蟲は石の下に住処を作るらしいし、もしかしたらスライムたちも似たような習性を持っているのかもしれない。ゲル状だし、岩の下に暮らす事も不可能ではないだろう。
岩を持ち上げるのは不可能なので、じっくりねっとりとその周囲に目を凝らしていく。
と、その時。
「ん?」
俺の目の前に、小さな穴が現れた。
位置としては大岩の陰。ちょうど大岩に隠れるようにして空いた、壁の穴だ。しゃがみ込んだとしても人一人通れなさそうなほどに小さな穴が、俺の眼前に存在していた。
「どうかしたか、ミスト? 何か見つけたのか?」
俺の声が聞こえたんだろう。シルフィが傍まで近寄ってきた。
「いや、この穴なんだけど……もしかしなくても、この先にスライムの住処があったりすんじゃねえかなぁって」
「中を覗き込んでみないと断言はできないが、おそらくはそれで間違いないだろうな。でかしたぞ、ミスト。流石は私の最高の相棒だ」
「お前それが言いてえだけだろ」
そして凄く恥ずかしくて背中が痒くなるので是非ともやめていただきたいです。
シルフィに続き、ユーリが傍まで来たところで、俺はこの場にいる全員が気づいているであろう試練をあえて提示する事にした。因みにハイネは少し離れた位置で周囲の警戒に当たっている。俺の仲間の武闘家が有能すぎて惚れてしまいそうだ。
「で、ここに小さな穴がある訳だが。どうやって通るんだ? 無理にでも、無理を通してでも通れるとは限らねえぐらいに小さな穴な訳なんだけどー?」
「ユーリの魔術で穴を拡げる、というのはどうだろうか? ほんの少し、もう一回りだけ穴を拡げるのだ。そうすれば、何の苦労も無く、無理を通す必要もなく通れると思うのだが……」
「この暴発系魔術娘にそんな繊細な作業ができるとでも?」
「それもそうだな。他の案を考えよう」
「もうツッコミませんけど、私の欠点を弄るのって今このパーティ内で大流行でもしてるんですかねえ?」
ツッコんでんじゃん、というツッコミを我慢し、俺はシルフィとの会議を続ける。
「俺の短剣じゃ流石に壁は崩せねえし、ハイネの拳で砕いたとしてもすぐに気づかれて本末転倒になっちまう。やっぱりここは、お前の剣で穴を拡げるべきだと思うんだが、そこんところはどうだろう?」
「まあ、それが一番現実的ではあるな」
そう言うと、シルフィは長剣をすらりと抜き放ち――
「ほら、一丁上がりだ」
――音もなく穴を斬り拡げてみせた。
「相っ変わらず超高精度な腕前だな。コインを薄く二枚に卸す日も近いんじゃねえか?」
「それは既に達成済みだよ。次の目標は舞い落ちる木の葉を薄く二枚に卸すことだ」
「神業じゃねえかよ」
そんな偉業を成し遂げちまったが最後、彼女の称号は『剣聖』から『剣神』へのランクアップを果たすことになるだろう。剣神……何と格好良い響きだろうか。俺もそんな感じの二つ名が欲しいですわ。
とりあえずの障害を排する事が出来たところで、俺は俺の仕事をこなすとしようか。
「ユーリ、シルフィ。少しだけくすぐったいと思うが、我慢してくれな」
「了解です」
「心得た」
「それじゃまぁ、早速始めるとすっかね」
双眸を閉じ、体内に眠る魔力に意識を沈め、魔力を誘導するための言の葉を紡ぎ始める。
「願うのは路傍の石の如く、
望むのは森の木の如く。
包み隠すは大いなる気配。
偉大なる魔の術により、我らを覆い給え―――『気配消失(スニーク)』」
呪文の詠唱の直後、俺達三人に淡い光が降り注いだ。これで俺達の気配は完全に消失した。試しにハイネの顔の前で変顔をしてみるが、彼に反応は見られない。うん、魔術はちゃんと発動してるみてえだな。
「そんじゃ、行こうか」
二人が頷きを返したのを確認し、シルフィ、俺、ユーリの順で穴の中へと身体を潜らせる。
ずりずり、ずりずり、ずりずり。
衣服を引き摺り、装備を引き摺り、身体を引き摺りながら、穴を進んでいく。狭苦しい通路は意外と長く、壁の中というより新たな洞窟に迷い込んでいる気分にさせられる。
――と。
「ずびぇっ」
「ひゃんっ!」
ぼすん、と俺の顔面に何かが当たった。敵襲かと一瞬思ったが、それは間違いであると俺はすぐに気付いた。
俺の顔面に直撃したのは、シルフィの尻だった。
スカート状の装備とパンツだけに包まれた、比較的防御力の低いシルフィの美尻が俺の前に立ちはだかっていたのである。
シルフィの尻に思わず顔を埋めたくなる衝動に駆られてしまうが、一人の理性ある人間として獣の自分を抑え込みつつ、シルフィに軽口を叩く事にした。
「い、いきなり止まんなやコラ……」
「わ、私だってこのようなところで停止するつもりなど毛頭なかったのだが! なかったのだが、止まらざるを得ない状況に陥ってしまったのだから仕方がないだろう!?」
「どういう意味だよ」
「そ、それは……」
もごもごと言葉を濁らせるシルフィ。彼女の尻しか見えないのでどんな表情をしているかは分からんが、恥ずかしそうに身を捩っていることだけはよく分かった。
「いいからさっさと教えろよ。こんなところにいつまでも居たくねえんだよ」
「う、ううう……」
「どうしたんですかー? 前が見えないので状況説明が欲しいのですがー?」
「ううううううううう」
俺、そしてユーリからの説明要請についに諦めたのか、シルフィは身体を小刻みに震わせながら――
「む、胸が引っかかって前に進めなくなってしまった……」
――とても情けの無い声でそう言った。
一瞬、本当に一瞬だけ「何言ってんだこいつ」と思ってしまったが、これが割と笑えない状況であることに気付いた俺は頬を引き攣らせながら、感情のままにシルフィの尻を怒鳴りつけた。
「な、なーにアホなことやらかしてんだテメェエエエエエエエエエエ! こんな狭苦しいところで身動き取れなくなるとか死活問題だろうがあああああああああああああああ!」
「え、ちょっと待ってください。穴に胸が引っ掛かっちゃったって嘘じゃなくて本当なんですかっ? 麗しの剣聖が? 五人しかいないオリハルコン級冒険者の紅一点が? ダンジョンの序盤も序盤の第二階層で生き埋めの危機に瀕しているってことですか!?」
「おいいいいいいい! 流石の私でも泣くぞ! 大人気なく子供の様にわんわん泣き喚くぞ!? 言っておくが、泣いた私は相当面倒臭いぞ!?」
「よく分からん自虐ネタを放り込んできてんじゃねえよこの超弩級ドジ娘! オラさっさと前に進め! 自分が引き起こしたドジからさっさと脱出しやがれこのうっかり娘!」
「うわああああああああああん! 全てが事実だから何も言い返せないいいい……う、ううう、こんなはずでは……ミストに良いところを見せるはずが、何故このような事態になってしまったんだ……うううう」
えぐえぐぐすぐすと嗚咽交じりに泣きながら身体を前後に揺らすシルフィ。しかし、完全にはまってしまっているようで、彼女の身体が前進する気配はない。
…………しょうがねえ。
「よし、シルフィ。先に言っとくが、俺は今からお前にセクハラ紛いの行いをする」
「何だその嫌な予感しかない宣言は! 嫌だ、やめろ、何をする気だお前は!?」
「お前の尻を後ろから全力で揉み押す」
「―――――――――――――――――――――――――――――――、は?」