この街は、魔光少女を名乗る一人の女の子によって守られている。
僕は彼女がどうやってその力を手に入れて、なぜ街を守ってくれているのか知らない。
その正体も知らない。
誰も、知らない。
知らない、はずだったんだ。
◆ ◆ ◆
「ふははは! 泣け! 喚け! 愚かな民どもよ!」
ボンテージ姿のお姉さんが、空中に浮かんだ状態でそんなことを叫んでいる。
彼女の名は、ピンク・ジェネラル。通称『ピンジェネさん』と呼ばれている、世界征服推進機構の幹部の一人である。ちなみに世界征服推進機構っていうのは……あまりにストレートな名前すぎて逆に説明しづらいんだけど、その名の通りいわゆる世界征服を目論んでいる悪の組織的なアレだ。目標が大きい割に、この荒雅市──関東の山裾に位置する、特段これといった特徴もない我が街──にしか出現しないのには何か理由があるのか。
「さぁ、絶望するがいい……!」
ご機嫌そうに、ニヤリと笑うピンジェネさん。
戦う力を持たない僕たちには、その様を遠巻きに見ていることしか出来ない。
「どうだい……どんな気分だい?」
嗜虐心たっぷりに告げられる言葉に、ただただ恐怖することしか出来ないんだ。
「ケズケズー!」
『イー!』
ピンジェネさんの遥か足元では、彼女の部下であるヤスリ型怪人ケズルンガー(両手と頭部がヤスリっぽい形状になっている怪人)とザ・子鬼(子供くらいの大きさの、全身真っ黒な鬼っぽい姿の一般戦闘員)たちが……。
「お前らの敬愛する市長の銅像が、ツルッパゲにされるってのはよぉ! ひゃっはは!」
市役所前に設置された市長の銅像の頭部を、ガリガリと削っているというのに!
嗚呼、なんたる極悪非道!
くっ……! 正直さほど市長のこと敬愛してるわけじゃないし、その髪が風に吹かれる度怪しい動きをすることは周知の事実だからむしろ真実に近い姿になるんじゃないかという気さえするけども……! それはそれとして、血税によって作られた銅像が……!
早く……! 早く、来てください……!
そんな、僕の祈りが届いたんだろうか。
──あれはなんだ?
──鳥か?
──飛行機か?
野次馬の一部が、空の彼方を見上げてそんな声を上げた。僕もそちらへ目を向ける。
最初、それは米粒くらいの大きさにしか見えなかった。けれど、見る間にグングン大きくなって……つまり、こちらに近づいてきていることがわかってくる。
──いや、あれは……!
そう、あれが……!
『魔光少女だ!』
あれこそが、僕らの待ち望んだ存在なのだ!
「みんな、お待たせ!」
僕たちに降り注ぐキュートな声。
「魔光少女まほろば☆マホマホ! ただいま参上!」
空中で停止した拍子に、ツインテールがピョコンと揺れた。濃褐色の瞳を始め、顔立ちそのものは日本人顔。にも関わらず、その鮮やかな金髪は見る者に違和感を与えない。幼さを残しつつも──といっても僕と同世代くらいに見えるけど──十二分に目鼻立ちの整った美少女であれば、どんな髪の色だって似合ってしまうものなのかもしれない。
衣服もまた然り。原色に近いカラフルな色調で彩られたコスチュームは、ともすれば下品にも見えかねないものだと思う。けれど彼女に着られることによって、たとえ舞踏会の中にあっても不思議ではないほど優美に見えるんだ。ヘッドに黄金色の宝玉を頂いた魔法のステッキも、彼女が手にすればまるで観衆を指揮するためのタクトのよう。
魔光少女まほろば☆マホマホ。
一年前、突如この街に出現した世界征服推進機構に呼応したかの如く現れた、我が街の守護者の名前だ。まぁ、いわゆる一つの魔法少女的存在というやつである。
『うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! マホマホぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!』
マホマホを見上げる人々から、地を揺らさんばかりの声援が送られる。どこかの集計によれば、我が街の住人の実に九割にも及ぶ人が彼女のファンだとか。
もちろんこの僕、平地護常とて例外ではない。
いや、むしろ僕ほどのマホマホファンは滅多にいないだろうという自負すらある。マホマホの活躍を伝えるニュースは全部録画し、少ないお小遣いから捻出してマホマホ関連グッズ(非公式)を買い集め、今やマホマホのフィギュアを自作するほどなのだ。
スイッター──『世界征服推進機構見ーっけたー!』の略で、世界征服推進機構の目撃情報を共有し合うために作られたSNS──の確認だって欠かさない。おかげで今日も近所で世界征服推進機構が出現したことを素早く察知し、マホマホを生で見ることが出来た。
「うぉぉぉぉぉぉぉ! マホマホぉぉぉぉぉぉ! 頑張ってくださぁぁぁぁぁぁい!」
僕も、周囲に負けじと大声でマホマホへと声援を送り。
その勇姿を、余すこと無くこの目に焼き付けるのだった。
◆ ◆ ◆
「いやー、至福の一時だった……」
戦いはマホマホの勝利に終わり、今日もこの街の平和は守られた。
「ピンジェネさんの苦し紛れのラリアットをマホマホがヤクザキックで迎撃したところなんて、最高に盛り上がったなぁ……」
そんな独り言を呟きながら、僕は未だ夢見心地で帰り道を歩いていた。
ゆえに、最初それは幻の一種なんだと思った。
「……マホマホ?」
なにせマホマホの姿が、前方に見えた気がしたのだから。マホマホはついさっき、「みんな、応援ありがとーっ☆」と素敵な笑顔を残して遥か彼方に飛び立ったはずなのに。
眼鏡を外し、目頭を揉む。
「……やっぱり、マホマホだ」
だけど再び目を開けてみても、マホマホの姿は未だそこにあった。まるでどこにでもいる普通の女の子みたいに、人気のない田舎道を歩いている。
一度彼方に飛び去ったと見せかけて、戻ってきた……ってことなんだろうか……?
だとすれば、なぜわざわざそんなことを……?
……けど、いずれにせよこれは。
「マホマホとお話出来るチャンスかも……!?」
僕はゴクリと喉を鳴らし、マホマホの後を追いかけた。
マホマホはいつもどこからともなく現れどこへともなく去っていくから、これまで彼女との対話に成功した人は誰もいないと言われている。
僕が、その第一号になれるかもしれない。
僕の胸は、そんな高揚感に満たされていた。
誓って言うけれど。
僕に、それ以外の他意なんてなかった。
そう。
マホマホが入っていった空き地に、続いて足を踏み入れようとして。
彼女を中心に発生した強い……けれど不思議と眩しくはない光の中に、幼くも女性らしい身体のシルエットが浮かび上がるのを呆然と見つめる僕の視界の中で。
光が消えた、その先に。
「ふぅ……今日も何事もなく終わってよかったぁ……」
ホッとした表情を浮かべる女の子が。
県立荒雅高校のブレザーに身を包んだ彼女が。
二年二組にて僕と席を同じくする、庄川真帆さんが。
そこに現れるだなんて、夢にも思わなくて。
魔光少女まほろば☆マホマホの正体を暴くつもりなんて、僕には微塵もなかったんだ。
衝撃の事実に直面した翌朝、県立荒雅高校二年二組の教室にて。
僕は、机に突っ伏すふりをして観察していた。
その対象は……僕の右隣の席にて文庫本に目を落とす、庄川真帆さんその人だ。
なるほど改めて見てみれば、その顔はマホマホと瓜二つと言えた。違いといえば、髪型とその色……マホマホの金髪に対して、庄川さんの髪は烏の濡れ羽のような漆黒であること。あとは、眼鏡の有無くらいか。確かに、伸ばしっぱなしの前髪と無造作に結んだようにしか見えないおさげ……ってヘアスタイルに、分厚い眼鏡。これらは、マホマホの華やかな雰囲気とは程遠いけれど。
……まぁ目が隠れんばかりに伸びたボサボサの髪で、庄川さんに負けないくらい分厚い瓶底眼鏡をかけている僕も全く人のことは言えないんだけど、そこは棚に上げておいて。
重度のマホマホオタクを自負しているこの僕が、一ヶ月もの間クラスメイトとして過ごしていながら、今までその類似性に全く気付かなかったっていうのはおかしな話だ。というか、類似性も何も顔そのままなんだし。となると……魔法の力的なサムシングで別人に見えるようになっていた、ってとこだろうか。一度正体がバレてしまえば効力を失ってしまうため、今の僕には同一人物として認識出来る、と。そう考えると辻褄は合いそうだ。
にしても……いやはやこれは、大変なことになってしまった。
自然、昨日あの後に見た光景が脳裏に再生される。
「真帆、何度も言ってる通り変身を解く時には周りに注意しないといけないでチュウよ」
驚き冷めやらぬ僕の耳に、そんな可愛らしい声が聞こえてきた。こっちからは庄川さんの背中しか見えないけど……いわゆるマスコットキャラ的存在でもいるんだろうか。
「わかってるよ、大丈夫だって」
うん、あの、大変申し訳ないんですが……全然、大丈夫じゃないです……僕、目撃しちゃってます……マスコットキャラ的存在さんの言うこと、全面的に正しいです……。
「本当にわかってるんでチュウかねぇ……? いいでチュウか? これも、何度も言ってるでチュウけどね。もしも、マホマホの正体がバレちゃうとでチュウね……」
バレると……? どうなってるって言うんだろう……?
確かに、魔法少女的存在といえば正体がバレることによって様々なペナルティが課されるのが『お約束』。それは例えば、魔法少女的存在としての力を失ってしまうというものであったり、記憶を失ってしまうというものであったり、中には命に関わる場合も……。
果たして、マホマホの場合は……?
「三十歳まで彼氏が出来ない呪いが掛かっちゃうんでチュウよ!」
そ、そんなペナルティが……!? なんて、重……重……いや、重いけども!
思ってた感じと違う! ちょっと深刻さが足りなくないですかねぇ!?
なんて感想を抱きながら、昨日はあの場をそっと後にしたわけだけど。
一晩経って冷静に考えてみれば、実際問題このペナルティは普通にキツい。僕みたいにどうせ将来に渡って恋人出来ないのが確定してて端から諦めてるような人種ならともかく、ね。たった一人で身体を張って僕達を守ってくれている女の子が、この先十年以上に渡って恋人が出来ないなんていう苦しみを背負っていいはずがない。
僕は、机の下で密かにグッと拳を握った。
どうして魔光少女になったのですか?
なぜ街を守ってくれているのですか?
世界征服推進機構とは何なのですか?
聞きたいことは山ほどある。だけど、聞くことは出来ない。
それは、僕が人に話しかけるのが苦手だからってわけじゃなくて……いやまぁ、それが全く微塵も関係していないのかというとそういうわけでもないんだけど、それはともかく。僕が懸念してるのは、『正体を知られたことを自覚する』ことがペナルティ発動のトリガーになるってパターンだ。現時点じゃ、ペナルティが既に発動してるのかはわからないけど……僕の不用意な行動で、彼女を苦しめる原因を作り出してしまうわけにはいかない。条件がわからない以上、慎重に慎重を期す必要があるだろう。
もちろん、他の人にペラペラ話すなんてもってのほかだ。
僕は、この秘密を守り抜かねばならない。
少なくとも、庄川さんの口からこの件について触れられるまでは。
あるいは……一生、お墓の中に入るその時まで。
◆ ◆ ◆
その後も、授業中休み時間を問わず密かに庄川さんを注視し続けていたのだけれど。
彼女に異変が生じたのは、四時間目のことだった。それまで真面目にノートを取っていた庄川さんが、突如ハッとした表情を浮かべたかと思えば急にソワソワし始めたのだ。
時刻は、授業終了十分前。昼休み直前ともなれば、ソワソワとした雰囲気はクラス全体を包んでもいる。だけど僕や庄川さんのような──そっとお弁当を取り出しモサモサ食べた後は、ひたすら机に突っ伏したり本に目を走らせたりするだけの──人種には、昼休み前のソワソワは無縁のはず。一体、どうしたっていうんだろう……? ……っ、まさか!?
とある可能性に思い至り、僕はそっと机の下にスマートフォンを取り出した。ブラウザを立ち上げ、ブックマークからスイッターを選択する。すると、案の定。僕の懸念した通り、世界征服推進機構が出現したとの報が舞い込んでいた。庄川さんは、ずっと黒板とノートの間でのみ視線を動かしていたようにしか見えなかったけど……たぶん、魔法の力的なアレで世界征服推進機構の出現を察知することが出来るんだろう。
しかし、あいにく今は授業中……! 庄川さんは、マホマホは、出動不可能だ……!
嗚呼、このまま荒雅市は世界征服推進機構に蹂躙されるしかないというのか……!?
……って、ちょっと待って? 世界征服推進機構が、授業時間外にしか現れないなんていう奇跡が起こり得るんだろうか? そんなわけはない。というか実際、僕は授業中ゆえマホマホの応援に行けず悔しい思いを何度もしてるんだし。
なら、庄川さんはどうやって授業中に出動してるっていうんだろう……?
僕は、隣の席を横目でじっと観察する。庄川さんは何やら顔を朱に染めて俯き……けれどしばらくそうした後、決意を秘めたような表情と共に顔を上げた。
「せ、先生」
そして、おもむろに手を上げ立ち上がる。
「ん? なんだ、庄川」
国語の教科担当にして我が二年二組の担任でもある邑山京香先生が、軽く首を傾けて問いかけた。今年で二十四歳になる教職二年目の若い先生だけど、その切れ長の目から放たれる威圧感はベテラン教師をもビビらせると専らの噂だ。
さて、そんな邑山先制相手に庄川さんはどうするつもりなのか……。
「あの……」
一瞬言い淀んだものの、その目に宿った決意は微塵も揺らいでいないように見える。
そして、再び開いた唇から紡がれた言葉は。
「お手洗いに行ってもいいでしょうか?」
そ、そ、そ、そ……! そうだったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
なぜ僕はこんな重要なことを忘れていたのか! いや、なぜかと問われれば今まで全然興味を抱いてなかったからと答える他ないんだけどそれはともかく! 庄川さんは普段全くといっていいほどに目立たない存在だけど、それには一つだけ例外があったのだ!
それこそが、授業中にお手洗いに行く頻度の高さ!
なるほどお手洗いっていうのはフェイクで、密かにマホマホに変身してたわけか……。
聡明な庄川さんともあろうお方が、授業中に度々お手洗いに行くことを申し入れる自分が周りからどんな風にに思われているのか想像できないはずがない。これが、周りの評判なんて気にしない唯我独尊タイプのぼっちだったならまた話は違ったんだと思う。けれど庄川さんがそうでないことは、羞恥で赤く染まった顔が何より如実に物語っている。
にも関わらず、マホマホとして出動するために恥ずかしさを振り切るとは……!
なんという意思の強さ、なんという自己犠牲の精神なんだろう……!
僕は……! 僕は今、猛烈に感動している……!
「うーん……もうちょっとで昼休みだし、我慢出来ないのか?」
って、ちょっ……邑山先生!?
空気を読んでくださいよ!? 一人の少女が、羞恥をかなぐり捨ててでも戦場に赴こうとしているのですよ!? それを、喜んで送り出してやれずして何が教育者ですか!
というかその辺りの事情を知らないのは仕方ないにしても、授業終了数分前にわざわざ手を上げて申し出ているのですよ!? その……ダムがそろそろ決壊寸前的な、そういう事情を考慮して差し上げた方がよろしいのでは!?
………………いや、しかし。だがしかし。
たとえ先生に阻まれようと、庄川さんは止まりはしないだろう。
あの目に宿った決意は、それほどまでに揺るがぬ輝きを放っていた。
庄川さんが……マホマホが! この程度の障害で挫けるものか!
さぁ、庄川さん! 言ってやってください!
我は、何があっても行かねばならぬのだと!
こんなところで引き下がりなどしないのだと!
「そ、そうですね……すみません、我慢します……」
って、座ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
引き下がったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
あっさり揺らいで挫けたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
いやいやいや庄川さん、さっきの決意の表情はなんだったんですか!?
……っと。いけないいけない。
どうも僕は、いつの間にやら庄川さんに僕の理想を押し付けてしまってたみたいだ。
庄川さんは、魔光少女である前に一人の女の子。多感な高校二年生の女子なんだ。
見よ、周りから漏れるクスクスという笑い声に身を縮こませる彼女の姿を。これを見て、恥を投げ捨てろなどと誰が言えよう。これは、仕方のないことなのだ。街の皆さんには、あと数分だけ耐えていただくことに………………って。
あれ……? 庄川さん……? 今、ポケットから何か取り出しました……? 何ですかね、それ……? あの、なんといいますか、凄く……マホマホのステッキに似ている気がするんですけども……似ているというか、ステッキの縮小版といいますか……それがシャキンと伸びると、マホマホのステッキとして、とてもしっくり来る感じなのですが……。
その……いや、ないとはわかっているんですよ?
わかってはいるんですけども、それ……まさかとは思いますけれど。
マホマホに変身するためのアイテム的なアレってわけじゃないですよね?
ないですよね?
「仕方ないよね……」
何をちっちゃく呟いているのですか!?
あの、あれですよね!? あと数分くらい仕方ないよね、の「仕方ない」なんですよね!?
ホント、わかってるんですよ。わかってはいるんですけどね?
絶対違うって、わかってはいるんですけども。
「ワンチャンいける……!」
なんかその、呟いている表情がね!? 凄く、決意を秘めた感じに見えちゃってるんですよ!? まさかのまさかだとは、思っているんですけどね!?
ひょっとして……あろうことか……。
この場で変身しようだとか……。
思っちゃったりしちゃったりなんか、してないですよね……?
「闇の神よ、死の王よ、混沌の主よ。我の捧げる供物と引き換えに、我に力を……」
なんか呪文っぽいの唱え始めたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?
え、嘘でしょ!? 魔光少女の変身呪文って、もっとこうキャルル〜ン☆って感じのやつじゃないんですか!? それ、むしろネクロマンサー的な人が使うような呪文ですよね!?
……って、動揺しすぎてツッコミどころ間違えた!
「我が名は庄川真帆……全ての生を蹂躙する者にして、全ての死を救済する者なり……」
いやマジでものっそいネクロマンシングっぽいけども!
それよりも! 庄川さん! なんか、一言唱えるごとに縮小版スティック的なやつが輝き放ち始めてるんですよ! 徐々に伸びてきちゃってるんですよ!
これもう確定ですよね!? 今ここで変身しようとしてますよね!?
どこで意思の強さ発揮しようとしてるんですか!? ここは正体をバラしてでも……みたいな場面じゃないですから! もう、素直に数分待ちましょうよ! 街の人々も、それくらい笑って許してくれますよ! ほら、スイッター見たら今回の被害『自転車のサドルを片っ端から二〜三センチ下げられる』ってだけですし!
というか、何を以てワンチャンいけると思ったのですか!? 貴女の席、教室のド中心ですよ!? むしろ、今の呟きと光が周りにバレてないのが奇跡的なレベルですからね!?
くっ……なんて、呑気に考えている場合じゃない……!
とにかく、どうにかみんなの意識を庄川さんから逸らさねば……!
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
僕は、そんな風に全力で叫びながら立ち上がった。
これは僕の名誉を投げ捨てることになる手段だけど……止む得ない。マホマホのためなら、捨てるのも惜しくは……いや、違うか。元より僕は、クラスカーストの最下位に位置する存在。護るべき名誉なんて、最初から存在しないじゃないか。
ふっ……ならば、せいぜい派手に散ってやるとしよう!
「おい平地、急に何を……」
「一番、平地護常!」
戸惑い気味の邑山先生の声を遮り、強行する。
「一発芸やります!」
クラスメイトの皆さんは、僕の突如の奇行をポカンと眺めているのみ。
そんな中で僕は眼鏡を外し、形状記憶のつるを限界近くまで広げて胸部に当てた。
「ブラジャー!」
シン……と、静寂が広がる。
滑った。
見事なまでに滑った。
でも、これは仕方ないことなんだ。最初からわかっていたことなんだ。こんな場面でドカンと笑いを取れるなら、そもそもクラスカーストの最下位に甘んじてなんていない。
とはいえ、想像以上に居た堪れない気持ちではあるけれど……狙い通りに、クラス中の視線は僕に集まった。なんだコイツ……というドン引きの目が、全て集まっている。
さぁ、庄川さん! 今のうちです!
ここで変身するなりお手洗いに駆け込むなり、お好きにどうぞ!
………………庄川さん?
どうしたのですか、庄川さん。どうして貴女までこちらを見ているのですか。
今がチャンスなんですよ、庄川さん! 僕の犠牲を無駄にしないでください!
……って、庄川さん? なんだか口元をヒクヒクさせて、どうしたのですか?
「は、はは……面白いね」
愛想笑いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!
今、そんな優しさいりませんから! 中途半端な優しさは余計に人を傷つけるのだということをご存知ないですか!? って、そうじゃなくて! その優しさは、苦しんでいる街の人々に向けてくださいよ! 苦しんでいると言っても、ちょっと自転車乗る時に違和感あるかなって程度のものですけども!
──キーンコーンカーンコーン。
そうこうしているうちに、チャイム鳴ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
僕の犠牲、完全に無駄になったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
「あー………………では、これで授業を終わる」
「きりーつ、れーい」
あぁっ、スルー! 皆さん、僕の存在をなかったかのように扱っている!
でも、気持ちは凄くよくわかるよね! 僕だって、他の人がこんなことをすれば同じように対応する自信があるもの! こんな腫れ物、どう扱ったところで火傷にしかならないもんね! というか僕としても今はそっとしておいて欲しい気持ちなのでむしろありがたい限りです! これが……! これが、優しい世界……!
……って、それより庄川さんは……?
チラリと目を向ければ、庄川さんがちょうど教室から出ていくところだった。、僕の一件で浮足立ったクラスメイトたちは、その姿に気付いてない様子。
ふっ……チャイムと同時にダッシュを決めた庄川さんに「漏れそう」だった疑惑がかかるのを防げたと思えば、僕の犠牲にも多少の意味はあったってところか……。
まぁなんにせよ、これで一安心だ。今日は少々ピンチに陥ってしまったようだけど、こんなことがそうそう起こるわけでもないだろう。なにせ庄川さんは、これまで誰にもその秘密を知られることなくマホマホの正体を隠しきってきたお方なのだから。
はは……。
………………。
……起こるわけ、ない……ですよね……? 庄川さん……?
それは例えば、とある休み時間のこと。
「真帆、真帆」
いつも通り机に突っ伏して寝た振りをする僕の耳に、そんな可愛らしい声が届いてきた。
「……?」
顔を上げ、辺りを見回してみる。だけど、声の主らしき存在は見当たらない。僕以外にその声に気付いた人もいなさそうだ。皆さん、思い思いに休み時間を過ごしている。
ただ一人、庄川さん除いては。
「(ちょっと、チュウ! 学校では話しかけないでって言ったじゃない!)」
本の世界に意識を投じていたらしき庄川さんが、突如僕にインスパイアされたかのように机に突っ伏し小声でそんな言葉を口にした。話しかけてる先は……机の横に掛かった彼女の、鞄? ……ははーん、さてはアレか。こないだ庄川さんと話してた存在が、そこに潜んでるってわけだな? 魔法少女的存在には付き物の、可愛いマスコット的なアレが。
「そんなことを言っている場合ではないでチュウ!」
果たして、鞄から顔を出したのは可愛い可愛い………………イタチだこれ!? いや、確かに可愛いけども! まんまイタチ過ぎる! こういうマスコット的な存在って、普通もっとデフォルメされた感じになるのでは!? いくらなんでも獣感が過ぎませんかねぇ!?
「このままじゃ、大変なことになるんでチュウ!」
と、ともあれ……やっぱりその声は、件のイタチさんから発せられてるみたいだ。
「(……何があったの?)」
イタチさんの深刻な様子に、庄川さんの表情も真剣味を帯び始める。
なんだろう……? また、世界征服推進機構が現れたのか……いやしかし、言ってしまえばそんなものは日常茶飯事。殊更騒ぎ立てるようなこととも思えない。となると、もっと大きな危機が迫ってるってことか。例えば、新たな敵勢力の出現とか……。
「実は……」
その可愛らしい声を、一段低くするイタチさん。
「おしっこが漏れそうなのでチュウ……」
って、危機のスケールが少々個人的過ぎるのでは!?
「そりゃ大変だ!?」
だけど庄川さんは、思わずといった感じでそう叫んだ。
……なるほど確かに、考えてみれば庄川さんにとっては大変なことではあるのかもしれない。もしここでイタチさんがお粗相などしてしまった日には、その存在がバレること不可避。ペットを持ち込んだとして、庄川さんは何らかの罰を受けてしまうことになると思う。それだけならまだしも、イタチさんの存在からマホマホの正体まで露見しかねない。
が、しかし……! だからこそ、ここは冷静に対処していただきたかった……!
まだ休み時間は十分に残ってるんだから、今すぐひっそりと鞄を持ってお手洗いに行けば簡単に惨事は免れたはず……! にも関わらず庄川さんは、大声を上げることによって自ら退路を断ってしまった……! 普段は大人しい彼女の叫び声に、既に教室一同はポカンとした表情で庄川さんに注目してしまっているのだ……!
「あー……なに、どうかした? 庄川さん」
と、そこで庄川さんに話しかけたのはクラス内……否。学校全体で見てすらカーストの最上位に位置するであろうお方、眉目秀麗にして成績優秀、更にはサッカー部のエースでキャプテンも務めているという、前世でどんな徳を積めばそんなステータスを持って産まれられるんですかランキング堂々の一位(僕内調べ)、空橋悠一くんその人だった。
「あ、その……」
庄川さんが顔を赤くして俯いてしまっているのは、自らの失態を恥じ入っているのか空橋くんのイケメンオーラに当てられたのか。
と、その時。
「そろそろ限界でチュウ……」
咄嗟に鞄へと押し込まれていたイタチさんの、くぐもった声が教室内の空気を震わせた。
「あれ……? なんか今、変な声聞こえなかった……?」
「うん、聞こえた聞こえた」
「なんか、チュウ? みたいな?」
今度は流石に皆さんの耳にも届いてしまったようで、教室内がざわつく。
なにゆえ、主従揃って自ら窮地に全力ダイブするスタイルなんですかねぇ……!?
やっぱり、ここは僕が一肌脱ぐしかないか……!
「二番、平地護常! モノマネやります!」
突如高らかに宣言すると共に立ち上がった僕に、クラスメイトの視線が集まる。
「お題! もしもマホマホにマスコット的な存在がいたら!」
って、何を超ストレートにバラしちゃってるんだ僕は!?
えーい、こうなったら勢いで誤魔化すしかない……!
「チュウ……マホマホ、おしっこに行きたいのでチュウ……!」
開き直って、イタチさんそっくりの声でそんな台詞を口にする。
教室内に訪れる、一瞬の静寂。
後……生まれたのは、爆笑だった。
「なんだよー、マホオタの声かよー」
「てかそれ、モノマネって言わなくなーい? 元ネタから妄想じゃーん」
「ほんで声可愛いすぎ! どっから出してんの!?」
笑いながら、皆さんツッコミを入れてくる。
こ……これは……ウケた……の、かな……? ノリのいいクラスメイトの皆さんで助かった……通信講座、『出来る! 声帯模写!』をやっていた甲斐もあったってもんだよ。
あ、ちなみに『マホオタ』というのはマホマホオタクの略でもちろん僕のことである。
「ふふ……凄いな平地くん、まるでチュウのこと見たことあるみたい」
ちょっと庄川さん、せっかくの僕のアシストを積極的に無駄にしようとするのやめていただけますかねぇ!? 幸い、小さい声だったんで誰にも聞こえなかったみたいですけども! あとそのイタチさん、今も鞄からちょっとお尻見えてますからね!?
「あれ、てかさ……?」
僕が密かに危機感を募らせる中、ふとクラスメイトさんの一人が鼻をヒクつかせた。
「なんか、変な臭いしねぇ?」
「そういえば……?」
「なんつーか、獣臭い? 的な?」
「あー、確かに洗ってない犬の臭いとかに似てるかもー」
口々にそんなことを言うクラスメイトの皆さんに倣って、僕も鼻に意識を集中させる。
すると……確かに。確かにするね、獣臭。
そして僕、原因に滅茶苦茶心当たりあるね!
あのイタチさん、普通に獣臭いの!? マスコット的な存在なのに!? そこはもう、なんかフワッとしたいい匂いがする感じでよくないですかねぇ……!?
くっ、匂いは流石に……いや、どうにか誤魔化しきってみせよう……!
「チュウ……呪いのせいで獣臭くなってしまったでチュウ……本来は、マスコットらしくお花の香りがしているはずでチュウのに……」
「おいおいマホオタ、今はモノマネよりこの臭いの正体を……」
「いや、待て!」
「ま、まさかマホオタお前……!」
僕の意図を察してくれたらしいクラスメイトさんたちが、ハッと息を呑む。
「この獣臭さ……これも、モノマネの一環だって言うのかよ!?」
「これは、最早4DX! こいつ、モノマネに4DXの概念を持ち込みやがった!」
「ここまで来たら、認めるよ! マホマホには可愛い声で獣臭いマスコットがいるよ!」
まさしく、僕が望んだ通りのリアクションを取ってくださる皆さん。
……うん、というか望み通り過ぎて逆になんだか怖くなってきた。皆さん、流石にノリ良すぎません? なんかこれ、ドッキリだったりしませんよね……?
などという不安を抱えつつ、庄川さんの方にチラリと目をやると。
「あの、チュウはそんなこと言わない……」
そんな抗議いらないんで、早く行っていただけませんかねぇ!? 僕もこれ以上は間が保ちませんし、何よりイタチさんの膀胱のピンチは未だ絶賛継続中でしょう!?
そんな、僕の祈りが通じたのか。ふと我に返ったような表情となった庄川さんは、鞄を抱えて席を立った。そのままひっそりと教室を出て行く。鞄から不自然に液体が漏れ出しているなんてこともなく……どうやら、間に合いそうで何よりだ。
「なかなかいいネタ持ってんじゃん、平地クン」
内心でホッとする僕の肩を叩いたのは、なんと空橋くんだった。
お、おぅ……クラスメイトの大半は僕の本名なんて覚えてないと思うんだけど、まさか空橋くんに認識されていたとは。天上人の方々は、その溢れんばかりの優しさを下々の者にまで配れるほどの余裕がおありということか。
「でもま、臭い残すのもちょっとな。これ、使いなよ」
僕の耳元で囁き、空橋くんがそっと手渡してくれたのは……携帯用のファブ○ーズだった。一瞬いじめの一種かとも思ったけれど、空橋くんの笑顔が宿しているのは爽やかさのみ。たぶん純粋な善意からの行動なんだろう。
「……ありがとうございます」
それを無碍にするのも気が引けて、素直にファ○リーズを受け取る。
その後僕も教室を出てお手洗いに向かい、無意味に自分の制服をファブった。
庄川さんが席を外した隙にでも、そっと庄川さんの鞄もファブっておこうと思う。
◆ ◆ ◆
例えばそれは、また別の日の休み時間のこと。
「そーいやさー、昨日マホマホ戦ってたじゃん?」
「あ、ウチすぐ近くにいたから生マホマホ見たよー」
僕は、机に突っ伏した体勢でクラスの女子たちの会話を聞くともなしに聞いていた。
「マジかー、いいなー」
「やっぱ生マホマホ、可愛かったよー」
マホマホは、女子にも絶大な人気を誇っている。アイドルみたいなもので、同世代の女の子が活躍している姿に対する憧れのみたいものがあるのかな?
「まー、でさ。アタシ、前々から一個不思議に思ってることがあんだよね。例えば、マホマホの髪飾りな? あの、ハート型の。あれ、昨日割られたじゃん?」
「あー、カニ型怪人エビゾーサンの脳天チョップで! 割れてたね!」
「まぁ、髪飾りに限ったことでもないんだけどさ。ちょいちょい、服も破れてんじゃんね? でも、次に来た時には直ってんじゃん? あれ、どうなってんだろうな? って」
「確かにー」
ほうほう、なかなかに鋭い視点。実はそれについては、僕も地味に気になっていた点なんだ。ちなみに僕の仮説では、変身の際に流れる魔法的なパゥワーが修復を……。
「あ、あ、それはね……マスコット妖精のチュウが夜な夜な直してくれてるんだよ……」
『へぇ〜、そうなんだ〜』
へぇ〜、そうなんだ〜。
女子二人の声と、僕の心の中の声が重なった。
そんな風になっていたとは。マスコット妖精っていうのは、あのイタチさんか。やっぱり、ただ喋るだけのケモノってわけじゃなかったんだな。
………………。
……って。
「っ!?」
僕は、思わず勢いよく顔を上げてしまった。
重度のマホマホオタクを自負する僕ですら知らない情報を知っている人となると……!
「えへへ……そ、そうなんだよ……」
もちろん庄川さん、貴女ですよねー!
「でもさ、えっと……チョーウンさん? なんでそんなこと知ってんの?」
そして、ですよね! 当然そういうツッコミ入りますよね!
「てか、マスコット妖精? ってのがいるなんてアタシ、聞いたことないんだけど?」
しかも誰かと思えば、そのギャルギャルしい見た目に似合わず僕と双璧をなすレベルのマホマホオタクであると(僕の中で)言われている里崎翔子さんか……! どうりで、さっきから視点がシャープなわけだ……!
「あっ……」
しまった、という表情になる庄川さん。
「あ、あ、それは、その……」
里崎さんに見つめられた庄川さんは、露骨に怪しさ満点で目を泳がせるのみ。
この態度……自ら掘った墓穴に全力で飛び込んどいて、這い上がる手段を用意していないことは明白……! くっ……やっぱり、ここは僕がいくしかないか……!
「あ、あー! なんと、聞かれてしまっていましたかー! 僕が考えた、マホマホにマスコット的存在がいるって設定! これは参ったなー! とっても恥ずかしいなー!」
とりあえず大声で、独り言風に叫ぶ。
「えっ、えっ……?」
「あぁ……なんだぁ、こないだのヒラチのあれか」
戸惑った様子の庄川さんと、途端につまらなさそうに顔をしかめる里崎さん。
「聞かれちゃったも何も、あんな大声で叫んだら誰にでも聞こえるってーの」
幸い、先日僕が披露したモノマネは皆さんの記憶に新しいことだろう。まさか、あれが伏線として機能するとは……世の中、何がどう繋がってくるかわからないもんだね……。
「まー、ヒラチが言ったらホントっぽく聞こえるのはしゃーないかもしんないけどさ。あんまなんでもかんでも信じるもんじゃないよ? チョーウンさん」
と、里崎さんはポンと庄川さんの肩を叩いた。
ところで里崎さん、貴女さっきから庄川さんの名前豪快に間違えていますよ……中国の武将っぽくなっているというか、最早ほぼ原型を留めてないじゃないですか……。
「え、あ、うん……」
だけどそれを訂正するでもなく、庄川さんは気弱に頷くのみ。
「あ、でもね……」
何をおっしゃるつもりですか、庄川さん……?
なんだか僕、あまりいい予感がしないのですが……。
「本当に、マスコット妖精が……」
「いやはや、妄想が過ぎてしまいましたね! 参った参った! そうですよね!」
とりあえず、更なる墓穴を掘られる前にインターセプト!
「マホマホに、イタチに似たマスコット妖精がいるなんてお話など聞いたことが……」
「あ、チュウはイタチじゃなくてフェレットで……」
せっかく引き上げたのに、自ら墓穴の中に戻っていこうとするのやめてもらえます!?
「じゃなくてぇ! フェレットに! 似た! マスコット妖精がいるなんて聞いたことがありませんものねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
とりあえず大声で誤魔化す作戦で!
おっと、庄川さん満足げな表情ですね! 訂正ありがとうございました!
「声でかいっての、ヒラチ」
片耳に指を突っ込んで、眉をひそめる里崎さん。
「あ、すみません」
声量を落として、謝罪する。勢いで誤魔化そうとしたのも確かだけど、ぶっちゃけ普段あんまり人と話さないから適切な声の大きさがわからないところもあるんだよね……。
──キーンコーンカーンコーン。
と、そこで休み時間の終了を告げるチャイムが鳴った。
「お。んじゃね、チョーウンさん」
と、手を振って里崎さんとその友人は自席へと戻っていく。
「う、うん……」
結局名前が正されることはなく、だけど小さく手を振り返す庄川さんは満足げだった。
わかりますよ、庄川さん……誰かと会話出来た時って、それだけでなんだか嬉しくなってしまいますよね……それでテンパっちゃう感じも、よくわかりますよ……。
でも、もうちょっと別の話題でテンパって貰えると僕としては助かりましたね……。
◆ ◆ ◆
それは例えば、またまた別の日の休み時間のこと。
いつも通り静かに文庫本のページを捲っていた庄川さんが、突如ピクリと顔を上げた。この反応にもそろそろ慣れたもので、僕はそっとスイッターを確認する。果たして予想通り、世界征服推進機構出現に関する情報が書き込まれていた。
慌てて立ち上がりながら、庄川さんはポケットをまさぐる。すると、例の縮小版ステッキが出てきて………………って、早くないですか!? それ、まだここで出しちゃ駄目なやつでしょう!? 人目に付かないところに行ってから取り出してくださいよ!?
「あっ……」
──ゴトン。
しかも落としたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?
それ大切なものなんですから、もっと丁重に扱ってくださいよ!?
あぁ、周りの目が集まってきて……!
………………。
……ふっふっふっ。
しかし、だがしかし! 庄川さんを観察し続けた結果いつかはこんなことも起こるのではなかろうかと、実は僕も予め対策を準備していたのだ!
「おぉっと! 手が滑りましたぁ!」
僕は素早く自分の鞄を引っ掴み、その中身をぶち撒けた。
──ザララララララララララ……!
こんな時のために用意していた、大量のダミーステッキを!
「これ……マホマホのステッキ?」
最初に食いついたのは、里崎さんだった。ダミーの一つを手に取り、首をかしげている。
「こんなグッズ、あったっけ……?」
「いえ、僕の手作りなもので……」
僕は愛想笑いと共に頭を掻いた。
「おへ、マジで?」
顔を驚きに染め、しげしげとダミーを眺める里崎さん。
「へー。こんな特技あんだね、平地クン」
次いで、そんな言葉と共に近づいてきたのは空橋くんだった。
「いえ、特技というほどでは……」
マホマホフィギュア自作の際して受けた通信講座、『今日から原型師!』の成果だ。
「いやいや、よく出来てんよ」
「な?」
里崎さんの感心の言葉に、空橋くんも同意の声を上げた。
そう手放しに褒められると、少し照れるね……。
「けどさー」
ふと、顔を上げた里崎さんが僕を見た。
「なんで、マホマホのステッキそのまんまじゃなくて縮んだ感じなわけ?」
ぐっ……! しまった、作るのに夢中でその点についての言い訳を考えてなかった……! 変身後のマホマホのステッキと形状が異なることなんて、里崎さんでなくとも一目瞭然なのに……! 何か、何か理由を捻り出さねば……!
「その……はは。僕、不器用なので。本家と同じようには作れなかったんですよね……」
「いや、これ作れて不器用ってことはないでしょ。全部、寸分違わず同じに見えるし」
空橋くんが、いくつかのダミーを見比べてそんな風に漏らす。
「あー……僕、不器用なので。何度作っても、寸分違わずその形になっちゃうんですよ」
『器用に不器用だな!?』
里崎さんと空橋くんの声が重なった。少々僕に特殊な設定が追加されてしまったような気はするけれど……でも、僕に注目が集まるこの展開は好都合。
さぁ庄川さん、今のうちにサクッと本物を拾って変身しに行ってください!
……って、庄川さん? あの、なぜ床を見てオロオロしているのですか……? なぜ、ダミーを手にとっては首をかしげているのですか……? ……ま、まさか。
まさか、とは思いますが……。
本物、見分けられないんですか……!?
嘘でしょ!? なんか魔法の力的な何やらで繋がってるとかないんですか!? というかこれ、実はダミーは本物より持ち手の飾り線を一本少なくしているんですよ!? 慣れ親しんだ道具なんですから気付いてくださいよ!? 本物は僕の足元! これですよ!
って、泣きそうな顔にならないでもらえます!?
「あ、あー……散らかしてしまってすみません……はは……」
僕はダミーを拾うふりをしながら屈んで、そっと本物を庄川さんの方へと転がし……って、危なぁ!? ちょ、庄川さん!? もうちょっとしゃがみ方に気をつけてもらえます!? 今僕、完全にパンツ見ちゃうところでしたよ!? そんなとこまで無防備なんですか!?
くっ……どうにか、足で転がして……よし、、庄川さんの爪先に当たった。庄川さんがそれを手に取って……ふぅ、一時はどうなることかと思ったけど、無事本物が庄川さんの元に………………って、庄川さん? なぜ引き続き首をかしげたままなのですか……?
よもや……よもや。
手に取って尚、本物かどうかの見分けがつかないとでもおっしゃるおつもりですか!? まじまじと見つめなくても、それが本物ですよ! いや、もっかい床に置こうとしないでください!? ……っと、どうにか思いとどまってくれましたか……あっ、表情を改めて……いや、そんな「一か八か!」みたいな決意を秘めた顔しなくてもそれが本物ですって!
しっかり握りしめて? 教室の扉の方を向き?
よし、本物を持ったまま行ったぁ!
………………はぁ。
せっかく準備してたっていうのに、思ってたより十倍は気を揉んだな……。
◆ ◆ ◆
……といった状況を目の当たりにするにつれ、僕の中に一つに疑念が浮かんできた。
もしかして……そもそも、庄川さんに正体を隠す気などないのでは……? と。
例えば、だけど。仮に僕が例のペナルティを課されたところで、本気でそれを回避しようとするかといえば答えはノーだ。なにせ、ペナルティがあろうとなかろうと僕に恋人なんて出来ないに決まってるんだから。僕と違って、庄川さんの場合はその可憐さがちゃんと知られれば引く手数多なのは間違いない。けど、価値観なんて人それぞれだ。もし庄川さんが恋愛に全く価値を見出してなかったりすれば、僕と同じ結論に至る可能性もある。
とはいえ、十代も半ばでこの先十年以上に渡っての恋愛全てを切り捨てるだなんてちょっと決断が早すぎると思うんだけど……なんて考えながら歩いていた学校からの帰路。
「真帆、ちゃんと気をつけないといけないでチュウよ?」
曲がり角の向こうから聞き覚えのある声が聞こえて、僕は咄嗟に身を隠した。
「うん、わかってるよ」
そっと顔を覗かせてみれば、鞄を胸に抱えて歩く庄川さんの後ろ姿が視界に入る。
「わかってないでチュウ! 変身ステッキを人前で落とすとか、油断しすぎでチュウ!」
「う……ごめん……」
イタチ……じゃなくて、フェレットさん。貴方のその言葉自体には心より同意する所存なのですが……だったら、今この瞬間にも油断せずにいていただけますかねぇ……! いくら人通りの少ない道といっても、今まさに僕がここにいるように誰に聞かれるとも限らないんですから……! ……あぁでも、そんなこと言っても庄川さんは……。
「三十歳まで彼氏が出来なくなっちゃってもいいんでチュウか!?」
「うーん……まぁ、困る……かなぁ……?」
やっぱり、響いてない感が凄い……!
「あと、もう二度とマホマホにも変身出来なくなっちゃうのでチュウよ!」
へー、そんなペナルティも………………って、そっちついでのように言っちゃいます!?
いや、あの、この街にとってマホマホの存在というのは非常に重要なものでしてですね……それは、もちろん僕にとってもそうで。今でも鮮明に思い出せる、世界征服推進機構が初めてこの街に現れた一年前のあの日。当時そのアレさを知らなかった人々は、本気で逃げ惑っていた。僕はそんな人波に飲まれていて、押されて道路に弾き出されてしまって。勢い良く突っ込んでくる自動車を目にしても身体が竦んで動けない僕を……空から現れたマホマホが、颯爽と助け出してくれたんだ。彼女が僕に向けてくれた微笑みは、どこか幼く可愛らしいものでありながら全てを任せて大丈夫だと思えるような力強さも宿していて。それから敵に向けた表情は、凛々しくも美しく。その可憐で、美麗で、高潔な姿に……一目で心を奪われた。それはもう僕の妄想がそのまま具現化したんじゃないかってくらいに、僕の思い描く『主人公』であり『ヒロイン』の姿だった。あの時以来この街でも有数のマホマホオタクとなった僕は……って、僕の思い出についてはどうでもいいな。
「うん……わかってる」
今度は、庄川さんの返事にも強い意思が感じられた。
……うん、というか。じゃあ貴女、やっぱりバレるのはマズいって認識した上でのあの行動の数々だったんですか……!? ちょっとうっかりが過ぎるんじゃないですかねぇ……! というか、うっかりってレベルを大きく逸脱してると思うんですけど……!
という現状を改めて認識し、僕は一つの決意を胸に秘めるに至ったのだった。
すなわち。
庄川さんの秘密は、僕が守らねば……!
さて、庄川さんの秘密を守ろうと決意したのはいいんだけども。
そのためには、出来る限り常に庄川さんの姿を視界に入れておきたい。けど、陰からこっそりと……っていうのにも限界がある。流石に、そういつもいつも庄川さんに気付かれないような死角があるとも限らな……いやまぁ、精神的死角が爬虫類並に大きい庄川さん本人に限って言えば、あるいは問題ない可能性もあるけども。やっぱり、遠くからでは如何ともし難い場面はあるだろうし。何より、庄川さんをこっそり見守っている現場を第三者に見られようものなら外聞が悪いってレベルじゃない。
となると、自然に庄川さんの隣にいられるようなポジションに収まるのがベスト。
すなわち……庄川さんと、お友達になる必要があるということに他ならない!
「あの、庄川さん」
というわけでとある休み時間、僕は本を読んでいる庄川さんに対して呼びかけた。
「えっ……?」
一瞬ビクッと肩を震わせた庄川さんは、恐る恐るといった様子でこちらに目を向ける。
「な、なに……?」
「はい、えーと……」
言葉を続けようとして、僕は今更ながらに気付いた。
話しかけたはいいものの、何の話題も用意してなかった……!
ま、まぁ、何気ない雑談くらい流れでなんとかなるでしょ……。
「その……きょ、今日はいい天気ですね!」
「そ、そう……かなぁ……?」
僕越しに窓の方と目を向け、首をかしげる庄川さん。
僕もチラリと振り返ると、今にも雨が降り出しそうな微妙な空模様が目に入った。
「はは……」
とりあえず愛想笑いで誤魔化す。
「……………………」
「……………………」
その後、僕達の間に訪れたのは沈黙だった。
お、おかしいな……ちょっとした雑談から会話が弾んでいくはずだったんだけど……。
………………。
……なんてことだろう。僕は、大切なことを忘れていた。
そう……何を隠そうこの僕は、どこに出しても恥ずかしくない……いやむしろ、どこに出そうと恥ずかしいコミュ障! なんと一人たりとも友達がいないという、いわば穢れなき純白のぼっちなのだ! 会話スキルも磨かれておらず、ゆえに人と話す時は全部敬語! そんな僕が何の備えも無しに軽快なトークをかまそうだなんて、あまりにインポッシブルなミッションなのである! むしろ、何気ない会話とか一番苦手なやつだった!
更に言えば僕は、庄川さんとは(庄川さん相手に限ったことでもないけど)ほとんど会話を交わしたことさえないという! 最近心の中では頻繁に話しかけてたから、割と気さくに会話出来てたと勘違いしちゃってた感があったな……!
「あ、あの……私、トイレっ」
内心で猛省する僕に対して、庄川さんは早口にそう言うとサッと身を翻して教室を出て行ってしまった。スイッターを確認しても世界征服推進機構の出現情報は見当たらないから、自ら話しかけておきながらだんまりを決め込む怪しげな男から逃げるためであることは明白。女性を怯えさせてしまうとは……まったく、とんだ失態だ。これは、流石に考え無しが過ぎたと言わざるをえない。次は、入念に準備してからいかねば。
となると……ふふ。ついに、僕の力を見せる時が来たようだ。
スマートフォンでブラウザを立ち上げ、検索サイトにアクセス。そして……!
「友達、作り方……っと」
そう入力して、検索ボタンをタッチ!
これが……! これこそが、僕の……ネットの力だ!
ほほぅ……? なるほど、ストレートに「友達になってください」と言う……か。まぁ定番だけど、ちょっと硬すぎないかな……? 「友達としてお付き合いしてください」? いやいや、もっと硬くなっちゃったよ。大体、これじゃあ変に誤解される可能性がありそうだよね。「友達として」の部分が聞こえなくって、愛の告白として取られちゃうとか……うわぁ、ラブコメなんかで超ありそう。まぁ現実でそんなこと起こるわけないっていうか、言うのが僕な時点でそんな勘違いはありえないだろうけど……っと、思考が逸れた。えーと……もっと気軽にというかさりげなく始められるのは、と……。
◆ ◆ ◆
密かに授業中もネットの海にダイブしていた僕は、満を持して次の休み時間を迎えた。
「あの、庄川さん……フヒッ」
何を置いても、まずは笑顔。
Go○gle先生の教えに従い、笑顔を携え庄川さんに話しかける。
「ひっ……」
ひっ?
鞄から本を取り出した体勢で、庄川さんは怯えたような表情で固まってしまった。笑顔は人の心を開いてくれる……はずなんだけど、むしろより固く閉ざされた気配すら感じる。
だけど、ここで諦めるわけにはいかない!
「庄川さんは、どんな食べ物がお好きなんですか?」
仲良くなるためには、質問から! 相手のことを知ると共に、相手に「自分に興味を持ってくれている」と思わせる上級テクニックである!
「え? あの………………えっと、明石焼き……とか……?」
戸惑い気味に視線を彷徨わせながら、庄川さんは消え入りそうなほどの小さな声でそう返してくれた。やった、会話のキャッチボール成立だ!
「そうなんですね」
「うん……」
「……………………」
「……………………」
そして、キャッチボール終了!
し、しかし! 今の僕は、先程までの僕とは違うのだ! 変わったのだ! 主に、ネットの力によって! ネットで見つけた無難な質問集よ……! 僕に力を分けてくれ!
「その、庄川さんはどんな音楽を聞かれるんですか?」
「音楽は……あんまり聞かない、かも……」
「そ、そうなんですね……」
「うん……」
まぁ僕も、ここのん(僕の好きな声優である市原九重ちゃんの愛称)が歌うアニメのキャラソンくらいしか聞かないんだけど。
「では、好きな芸能人などは?」
「テレビも、ほとんど見なくて……」
「そうですか……」
「うん……」
まぁ僕も、アニメとマホマホ関連のニュースくらいしか見ないんだけど。
「ご、ご趣味は?」
「えと、読書……かな……うん……」
はい、見ればわかることでしたね。
「……………………」
「……………………」
またも重い沈黙……! くっ、早く他の質問を………………いや、ちょっと待って?
僕がネットから得た情報は、「質問する」だけじゃなかったはず。他にも……そう!
褒める!
人間、褒められて悪い気はしない! とにかく相手を褒めるんだ! 特に女性はその日の服装などを褒められると喜ぶものだと、僕は(ネットで見て)知っているのだ!
「ところで庄川さん! 今日の服、とってもよくお似合いですね!」
「えっ……? 普通の制服、だけど……」
そうだった! 今日の服もなにも、僕らずっと制服だった!
着崩すでもなくキッチリ着こなした制服が庄川さんの真面目な雰囲気とマッチしているのは事実だけども、これじゃ庄川さんも褒められている気にはならないだろう……!
ならば……!
「その眼鏡も、お洒落で素敵です!」
「そ、そうかな……? だいぶ野暮ったいと思うんだけど……」
否定出来ない! むしろ、これは嫌味と取られてしまったか……!?
こうなれば……直球勝負だ!
「にしても庄川さんのお顔はホント可憐ですね! 僕、常に魅了されっぱなしです!」
これは、偽らざる本心である。
なにせ庄川さんは、僕の愛してやまないマホマホと全く同じお顔立ちなんだから。
「ふぇっ!?」
だけど庄川さんは顔を真っ赤にして、本で顔を隠すように俯いてしまった。
……おや。これは、アレかな? もしかして、やらかしてしまった系かな?
そういえば、女性に対して「可愛い」って言うのも場合によってはセクハラに当たると聞いたことがある。まして、空橋くん辺りならともかくこちとらほとんど会話を交わしたこともないキモオタ。顔を真っ赤にするほど怒ってしまうのも無理からぬことと言える。
というか。僕は今更ながらに、ちょっとやり方が迂遠すぎたんじゃないかと反省し始めていた。気軽にとかさりげなくとか、そういうのは友達作りのスキルツリーがある程度伸びている人じゃないと活用出来ないんじゃないかと思う。僕みたいなビギナーは、最初にハッキリと目的を告げるべきだったのかもしれない。でなきゃ、変な下心でもあるんじゃないかと誤解されてしまいかねないからね。そう、まさに今のように!
とにかく……まずは非礼を詫びて、それから改めて友達になって欲しい旨を……。
「あの、庄川さ……」
「ごめんなさい!」
謝ろうとしたところ、なぜか逆に謝られるという事態が発生。
「私、トイレ!」
勢い良く立ち上がった庄川さんは、教室の出入り口の方へと駆けていく。
あぁ庄川さん、本で顔を隠したまま走っては危ないですよ……! ……って。
「きゃっ!?」
「うおっ!?」
案の定というか、庄川さんは教室を出たところでちょうど通りがかった女子にぶつかってしまった。差し当たり、お互いに怪我はなさそうだけど……。
「あ、ごめんなさ……」
「おっ。なんだ、尿川じゃん」
額を押さえて謝りかけた庄川さんに、そんな揶揄する調子の声が降り注いだ。
庄川さんが、ビクッと身体を震わせる。
「だれ?」
ぶつかられた女子の隣で、その友人さんらしき女子が首をかしげている。
「この子、去年ウチのクラスに転校してきた庄川っていうんだけどさぁ」
なるほど、庄川さんの旧クラスメイトさんか……。
「めっちゃトイレ行くの。そんで付いたあだ名が、尿川」
旧クラスメイトさんは、庄川さんを指差して嗜虐的な笑みを浮かべる。
「なにそれ〜」
旧クラスメイトさんの友人女子さんも、プッと笑った。
「尿川、またトイレかよ?」
「う、うん……」
怯えた様子で、僅かに顎を引く程度に頷く庄川さん。
その、姿を見て。
「ブッハハ! ホントにそうだったのかよ!」
「ぷっ、はは」
その、嘲笑を聞いて。
カッと頭に血が昇ったのを自覚する。
「もういっそ、一回漏らしちゃった方が伝説に……」
「なんということをおっしゃるのですか!」
そして僕は、気付けばそんなことを叫びながら彼女たちに歩み寄っていた。
「な、なんだよ……てか、誰……?」
旧クラスメイトさんが、ギョッとした目を向けてくる。
「貴女は、庄川さんがどんな気持ちでお手洗いに行っていると思っているのですか!?」
構わず僕は叫んだ。言ってやろうと思ったんだ。
庄川さんは皆を守るため、恥を忍んでお手洗いに行っているのだと!
「どんな気持ちって……どんな気持ちなんだよ……?」
「それは……っ!?」
だけどそこで、僕の中にいる比較的冷静な僕が待ったをかけた。
あ、危ない……勢いに任せて、庄川さんの秘密を口走ってしまうところだった……。
「なんだってんだ……?」
急に黙り込んだ僕に、旧クラスメイトさんは不審げな様子となってきている。
「庄川さんは、その……」
くっ、どうにか誤魔化さねば……!
「こう、思っていらっしゃるのです……」
えーとえーと……!
「そう! おしっこに行きたいな、と!」
「まんまじゃねぇか!? 合ってたよ完璧に!」
思いついたまま口に出した僕の言葉に、旧クラスメイトさんは驚愕の表情に。
えーい……! こうなれば、勢いで誤魔化してしまおう!
「しかし、それの何が悪いというのですか!? 生物として自然な生理現象でしょう! おしっこは、体内の老廃物を排出するという大切な役割を負っているのです! 稀尿は体調不良の要因となるのですよ! おしっこのおかげで僕らの体内は綺麗に保たれているのです! おしっこ大切! おしっこは友達! 誰だっておしっこはするのです! 僕だってする! 貴女だってする! そうでしょう! それとも貴女方はおしっこをしないというのですか!? 体内で余すことなく全てを循環させることが出来る完全生命体だとでも言うのですか!? ノーライフノー尿なんですか!? 何とか言ったらどうなんです!」
「いや、ノーライフノー尿じゃ『人生無しに尿はない』って意味に……」
「黙らっしゃい!」
「そっちが何か言えって言ったのに!?」
「そもそも尿意というものは尿が溜まることで膀胱が伸び広げられ、それが大脳皮質にある感覚野に伝達されることで生じるものであり……」
「ね、ねぇ。もう行こうよ」
「お、おう……」
僕自身だいぶ何を言っているのかわからなくなってきたところで、友人女子さんに促されて旧クラスメイトさんは立ち去っていった。警戒するようにこちらをチラチラと伺ってくるけれど、もちろん追いかけたりはしない。目的は既に達せられたのだ。何が目的だったか、途中からよくわからなくなっていた感もあったけど。
僕はふぅふぅと荒くなった息を整え、教室の方へと向き直った。
「どうも、お騒がせしました」
そう言って、ペコリと頭を下げる。突如発生して収束した騒ぎにポカンとする人が大半の中、空橋くんと里崎さんがニッと笑って親指を立ててくれた。
なんだかそれだけで報われた気がして、僕は小さく笑みを返す。
「あの……」
と、僕の袖が後ろから小さく引かれた。
振り返ると、顔を俯けた庄川さんのつむじが視界に入ってくる。
「あ、ありがとう……」
消え入るような小さな声と共に、庄川さんが頭を上下させた。
「その、ね……私、誤解してたかもしれない……平地くんのこと」
続けて、そんなことを言い出す。
「なんだか、急に叫んだり変なことしたりで……怖い人なのかな、って思ってたの……」
はは、それらは全部貴女のためなんですけどね……なんて、口が裂けても言わない。
己の行動理由を人に押し付けるなんて、格好悪いにもほどがあるからね。
「あと、さっきも避けちゃって……ごめんなさい」
もう一度、さっきより少しだけ大きく、庄川さんの頭が上下した。
「いえ、そんな……」
「でもね」
変わらずの、弱々しくか細い声で僕の言葉を遮って。
「私に、あんまり関わらないで」
一瞬だけ、僕と目を合わせて。
「ごめんね」
庄川さんは廊下を駆けていく。
疑いようのないほどに明確な、拒絶の言葉。
なのに……どうしてだろう。
彼女の声が、目が。
とても寂しげな色を帯びていたように思えたのは。
十中八九……いや九分九厘、僕の気のせいだと思う。あるいは、願望混じりの妄想。
それでも……それでも、もし僕の思い違いでなかったのなら。
そんな風に考えた途端、僕の足は気が付けば庄川さんを追いかけて走り出していた。
◆ ◆ ◆
空橋悠一
いや、うん、なんというか。
正直なところ、今の平地くんにはかなりやられてしまった感があった。
同時に、胸の奥がジクリと痛む。
中学生の頃、好きな子がいた。彼女が、イジメられた。俺は、何も出来なかった。
何も出来ないまま、彼女は転校していった。
ただ、それだけ。どこにでも転がっているような、よくある話だ。それでもそれは、今の俺を形作る原体験で。それ以来俺は自分を磨き、クラスの中心にいられるよう明るく振る舞って、せめて自分のクラス内では同じことが起こらないよう気を配り続けた。それは今のところ、順調に成功していると言えるだろう。
さっきだって、俺は動こうと思った。けど……咄嗟に、躊躇してしまった。
何て言えばいい? 俺が肩入れしていい話なのか? クラスのバランスを壊したりしないか? 色んな考えが頭を駆け抜けて、身体が硬直してしまった。
そして、その頃にはもう彼が声を上げていた。
たぶん、何て言えばいいのかなんて考えずに動いたんだろう。結局何を言いたいのかわからない、擁護になっているのかもわからない展開だった。それでも彼は間違いなく、庄川さんを救った……なんていうと、少し大げさな言い方かもしれないけれど。
その姿を見た時に、俺は直感した。
今の俺が、間違っているとは思わない。俺の目指す所を実現するには、このポジションがベストだと言えるだろう。我ながら、よくやれているとも思う。
嗚呼、それでも。
かつて俺がなりたかったのは、『あれ』だったんだなと。
気付かされた。
今更俺自身がそこを目指そうとは思わないし、目指せるとも思えない。
それでも……もし、叶うならば。
昔の俺が理想とした姿を体現する彼の、力になることは出来ないだろうか。
表面上はいつも通りの笑顔で親指を立てながら、そんなことを思った。
◆ ◆ ◆
里崎翔子
まー、今のはヒラチにしてはグッジョブってやつ?
えーっと……あ、そう、チョーウンさん? が、去年どんなだったかは知んないけどさ。ありゃ胸糞悪いもんね。ヒラチにも男らしいとこあんじゃん、と認めてやらないでもない。
そんな気持ちを込めて、親指を立ててやる。ふと横を見れば、ソラハシもアタシと同じポーズを取っていた。ハッ、流石はイケメンさん。イケメンな行動には素直に賛辞を送るってか? ……なんて、鼻で笑いかけて。
ソラハシがヒラチを見つめる目に妙な光が宿っているような気がして……アタシは、それをジッと見た。アタシに見られていることになんて気付きもしない様子で、ソラハシの視線はヒラチに釘付けだ。少なくとも、クラスメイトの行動にちょっと感心したって感じじゃないように思う。もっと重い気持ちのような……これは……まさか……。
恋?
ソラハシ、ヒラチを相手に恋に落ちた?
まさかのソラ×ヒラ? クラス一のイケメンと、ダッさいモブの禁断の恋……か。
アリだな。むしろ好物だ……ぐへへへ。
………………いやいや。現実に、そんなことありえないから。てか、気をつけないと。今アタシ、表情緩んでなかった……? 妄想垂れ流して周りにアタシの趣味がバレるとか、洒落になんない……ボーイズがラブしてるのが好きなんてことがバレた日にはアタシの築き上げてきたイメージが全部台無しだ……オタ趣味を全開にしすぎたせいでオタ友にすら引かれてぼっちだった中学時代を反省して、せっかく高校デビュー果たしたんだからさ……! アタシは流行の最先端を追うイマドキ女子……アタシは硬派なイマドキ女子……!
◆ ◆ ◆
庄川真帆
結局、何が言いたかったのかはよくわからなかったけど……平地くんが、私のために憤ってくれたのだけは確かだと思う。
だけど私がよくおトイレに行くのは紛れもない事実で、それはからかわれても仕方がないことで。むしろこの立ち位置は、私にとっては都合がいいとさえ思ってる。
魔光少女になった時から、私は極力人と関わらないよう心がけてるんだから。魔法の力で、正体を知らない人には全くの別人に見えるはずだけど……念には念を入れないと。
だから、助けなんていらなくて……むしろ邪魔なだけ。
私は、一人でいなくちゃいけなくて……一人で、大丈夫なんだから。
平地くんが庇ってくれた時は、ちょっとドキドキしちゃったけど……だって、平地くんにあんなイメージなかったし。だけど、そんな平地くんですら心配しちゃうレベルだったのかな……? だとしたら、申し訳ないな……普段からもっと強気に振る舞うようにしてれば、何かあった時でも大丈夫だろうって思ってもらえるのかも。例えばさっきだって絡まれたのがもし里崎さんだったら、きっと平地くんも心配なんてしなかっただろうし。
ちょっと、意識してみようかな……里崎さんみたいになるのは無理だとしても、明るく元気な感じで……庄川真帆です! とっても元気です! よろしくお願いします! みたいな……返事も気持ちよく、いつも「はい!」って……。
「庄川さん!」
はい?
◆ ◆ ◆
平地護常
庄川さんに追いついたのは、人気のない渡り廊下。
大声で呼びかけると、庄川さんは立ち止まって振り返ってくれた。
……のは、いいんだけど。
ヤバい、追いついた後のこと何も考えてなかった! 何を言えばいいんだろ!?
僕は何度同じ過ちを繰り返せば気が済むというのか……! ……えーい、ある意味ちょうどいいや! ここで、友達になって欲しいって言ってしまおう! 拒絶されたばっかりでどんだけ空気読めてないんだって話だけど、さっきの拒絶が僕に下心あってのことだと思われていたゆえだとすれば誤解は早めに解いておきたいし! 庄川さんから感じられた孤独感みたいなものがもし本物だったならワンチャンあるはず! 僕の目的も達せられ庄川さんの孤独感も満たされてウィンウィンの関係に! その可能性に賭けよう!
「僕と!」
えーとえーと……だけど、何て言うんだっけ……!?
さっき調べた結果を思い出せ……! えっとえっと……確か、友達として……!
「お付き合いしてください!」
……あれ? 何か間違えたかな?
「……あ、はい」
いや、でも庄川さんからオーケイ貰えたし結果オーライだよね!
◆ ◆ ◆
庄川真帆
……?
???
え、あの、なに?
えっと……目の前にいるのは、平地くん……だよ、ね……?
ついさっき、私が拒絶してしまった人。
……なのに。
今……なんて?
お付き合いしてください?
それって……これって……あの……まさか……。
こ、こ、こここここここ、告白!?
いや、そんな、私なんかに、まさか、でも、今、確かに……ど、どどどどどうしよう!?
あ、えと、とりあえずは返事しないとだよね!?
でも、なんて言えばいいの!? えとえと、私たち、お互いのことをよく知らないわけだし……! こういう時は……!? お願い教えて、私の中の(少女漫画で培った)知識!
えーっと……! そう! まずはお友達から始めましょう! これだよ!
「いやぁ、受け入れていただいてありがとうございます」
……って、平地くんどうして満足げな表情なの……? 告白するだけで気が済んだパターン……? あの、でも、せめて私の返事は聞いて欲し……。
……ん? 受け入れていただいてありがとうございます?
なんか、それじゃまるで……。
「これからよろしくお願いしますね、庄川さん!」
ちょ、どうしてこのまま去って行こうとするの!? 何がよろしくなの!?
「それでは!」
……あ、行っちゃった……駄目だな私、いっつも言いたいこと言えないで……。
……でも、ホントどういうことなんだろう……?
冷静に、さっきの場面を振り返ってみよう。もしかしたら、告白されたって認識自体私の勘違いかもしれないし。そしたら私、とっても恥ずかしい子になっちゃうからね。
えーと、平地くんを拒絶しちゃって……なのに、平地くんは追いかけてきて……。
それから、平地くんが……。
──僕と! お付き合いしてください!
──あ、はい。
うん、確かに言ってた。絶対、「お付き合いしてください」って言ってた。
やっぱりこれって、どう考えても愛の告白で………………うん?
あれ……? なんか今、変な声が混じってたような……?
──僕と! お付き合いしてください!
──あ、はい。
りぴーと、わんすもわ。
──僕と! お付き合いしてください!
──あ、はい。
わんすもあ。
──あ、はい。
わんすもあ。
──あ、はい。
……うん。
これ私、イエスで答え返してるね。咄嗟に、頭の中にあった言葉出ちゃってるね。
なーるほど、それで平地くん満足げだったんだ。
愛の告白して、受け入れられたんだもんね。そりゃ、そうなるよね。
おめでとう、カップル成立だよ!
………………。
……って、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?
カップル成立しちゃってるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!?
誰と!? 誰が!?
私と! 平地くんが!
だよね!?
どうしようこれ!?
◆ ◆ ◆
魔光少女まほろば☆マホマホの中の人、庄川真帆。
正体を隠すために孤独を貫かないといけないはずの、この私に。
どうやら本日、期せずして恋人が出来たようです。
空橋悠一
例の場面を目撃してから数日。
平地くんと二人になれる機会を伺ってたんだが、これが意外と難しい。休み時間じゃちょいと時間が限られすぎるし、放課後になってしまうと俺は部活に行かなきゃならない。
ここしばらく、平地くんは何かに思い悩んでいる様子だ。だから、今こそ力になりたいところなんだけど……なんて思っていた矢先、好機が訪れた。
今日の部活はミーティングのみで終了。ロッカーに荷物を置いて帰ろうと思って教室まで戻ったところで、平地くんが一人だけ残っているのを発見したのだ。
ここしかない……! そんな思いと共に、教室へと足を踏み入れる。
◆ ◆ ◆
里崎翔子
っべー、ダチとダベってたらこんな時間になっちった。もう完全に日ぃ落ちかけだし、早く帰んないとサマサマ(『サマーソルトの王子様』っつーアニメのタイトルの略)始まっちゃうじゃん! 主人公とライバルの関係が激アツで、常に攻守が入れ替わるから毎週チェック必須なんだよな……そう、攻めと受けが……今週はどっちが攻めるんだ……!
「……っと」
鞄を取りに教室に向かってたら、ソラハシが歩いて来るのが見えて咄嗟に身を隠した。
別に、ソラハシのことを苦手にしてるってわけじゃない。
視界の端に、教室にヒラチが一人で残ってる光景が目に入ったからだ。
放課後、教室、二人きり……これは、まさか……。
……いや、もちろん実際には何も起こりゃしねーんだろうけど。
どうにも期待しちゃうのがサガってやつだよなぁ……。
◆ ◆ ◆
庄川真帆
うぅ……あれ以来、平地くんとまともに顔を合わせられない……。
平地くんは、沢山話しかけてくれるようになってるのに……あれって、仲を深めようとしてくれてるん……だよね……? その、あの、か、か、か、彼氏……として……。
でも……私……やっぱり、平地くんの想いには応えられない……よね……。
私なんかのことを、す、す、好き……になってくれたのは、とっても嬉しいし……恋っていうのに憧れてるところはあるけど……私には、まだ早いのかなって思うし。
それに、私は魔光少女だから……あ、でも、もし正体がバレちゃったら三十歳まで彼氏が出来ないんだよね……今までずっと、どうせ彼氏なんて出来ないんだからどうでもいいって思ってたけど……平地くんが彼氏になってくれるっていうなら、今のうちに恋人同士のあれこれを楽しんでみたいっていう気持ちも……ううん、駄目駄目! それで魔光少女の正体がバレちゃったら本末転倒だよ、うん!
……でもでも、この先私のことを好きになってくれる人なんて他にいないかも……って、それじゃ、相手が誰でもいいみたいじゃない! そんな態度でお付き合いするなんて、平地くんに失礼だよ! やっぱり平地くんには……うーん、でも……。
「ねぇチュウ、私どうしたら……」
いやいや、いくらマスコット妖精っていっても動物に恋愛相談っていうのは我ながら流石にどうかと……って、あれ……?
「チュウ?」
呼びかけても、返事がない。
……というか。帰り道なのに私、鞄持ってなくない……!?
あぁもう、どんだけ上の空なの!?
◆ ◆ ◆
平地護常
庄川さんに友達として受け入れていただいてから、数日。
当初こそ順調な滑り出しに喜んでいた僕だけど、早速暗礁に乗り上げていた。
なにせあの日以来、庄川さんからあからさまに避けられてる。もしかしなくともこれ、むしろ状況は後退しているのでは……? なんて思って焦りはすれど、原因がわからないからどうしようもない。もしかしてあの時、オーケイ貰ったのに満足してそのまま立ち去っちゃったのがマズかったのかな……? あそこで小粋なトークが出来なきゃ次へのフラグが立たないとか……? うーん、何しろ経験値がゼロすぎて判断が付かないな……。
これが例えば空橋くん辺りなら、経験値もカンストレベルなんだろうけど。
どうにか弟子入り出来たりしないかな……なんて、益体もないことを考えてたところ。
「うぃっす、平地クン」
「うぇっ!?」
当の本人が廊下から顔を覗かせたもんだから、驚いて妙な声を上げてしまった。
「はは、驚かせちゃったかな?」
一瞬思い悩むあまりに僕の脳が見せた幻覚かとも思ったけど、どうやら本物みたいだ。
「あ、いえ、すみません……えと、なんでしょう?」
ふと周囲に目を走らせると、現在教室内に残っているのは僕だけだった。一つのアイデアも出ないままに頭を悩ませているうちに、結構な時間が経っていたらしい。
「こんな時間まで残って、どうしたの?」
僕の前の席へと腰掛け、親しげに話し掛けてくる空橋くん。
お、おぅ……大して話したことがあるわけでもないのに、この距離感……流石すぎるな、スクールカースト最上位……なんて心の中で畏怖しつつも、平静を装って口を開く。
「いや、まぁ、少々考え事を……」。
「そっか。それってさ」
そうだ、この棚ぼた的に訪れた好機。せっかくなんで、空橋くんに相談してみてはどうだろう? ……うーん、けどなんて切り出せばいいんだろうな……? まさか、真実のままを切り出すわけにもいかないし。なにしろ、マホマホの正体が……。
「庄川さんのこと?」
そうそう、庄川さん……だ……なん…………て?
僕は、思わず固まってしまった。
すぐにそれは下策であったと後悔するも、時既に遅し。
「な、なんのことでしょう……?」
口から出た声は、自分では思ってもみなかったほどに震えていた。
「はは、別に隠すことじゃないっしょ」
一方の空橋くんは、相変わらずの爽やかな笑みを浮かべたままだ。
「ここ最近の平地くん、庄川さんのことで頭がいっぱいって感じだもんな」
ぐ、完全にバレている……!
「そ、それって、もしかして皆さんご存知だったりするのですか……?」
咄嗟に上手い言い訳が思い浮かばず、僕は肯定同然の言葉を口にしてしまう。
「いや、たぶん気付いてる人はいないと思うよ? 少なくとも、俺の見る限りでは」
実際、クラス内で僕に注目している人なんて皆無だろう。空橋くんが例外というか、たぶん彼の視野が広すぎるんだ。そんな空橋くんが言うのなら、きっと間違いないんだろう。
なんて……僕は、その言葉にホッとしてしまった。
だけど、もしかするとそれこそが空橋くんの仕掛けた罠だったのかもしれない。
「てかさ」
その口調に、格別重大そうな響きは無く。
「平地クンって、庄川さんのこと好きなんだよね?」
実に、何気ない調子で問いかけられたように感じられた。
「えぇ、もちろ……」
おかげで、即答しかけた。いや、もうほとんど言い切ってしまっていた。僕がマホマホ好きであることなんて、クラスメイト中に知れ渡っていることだから。何を今更、と。
だけど、遅れて気付く……空橋くんは今、なんて言った?
『マホマホのこと』じゃなくて、『庄川さんのこと』って。そう言わなかった?
「そん、な……」
唾を飲み込もうとする。でも、いつの間にか口の中がカラカラに乾いていて失敗。
「いつから、ご存知だったのですか……?」
結局僕は、掠れた声でそう尋ねることしか出来なかった。
僕の好きなマホマホが庄川さんと同一人物だと、いつから知っていたのか……と。
「んー? 最初に、あれ? って思ったのは一ヶ月ちょい前くらいかな?」
なるほど、僕が知ったのと同時期くらいってことか……。
「授業中に庄川さんがトイレに立とうとして、邑山先生に却下された時あったじゃん? そんでその後、平地クンがなんか奇声発して一発芸やった時」
んんっ……? というか、これ……。
「それから、ちょっと気になって見てたんだけどさ」
この、流れ……まさか……?
「確信を持ったのは、こないだ廊下で平地くんが庄川さんを庇った時かな」
やっぱり……! なんてことだ……!
「あの瞬間にさ。あぁそういうことなんだな、って思ったわけ」
この僕の行動こそが、庄川さんの秘密について怪しまれる原因となってしまっていたなんて……! この平地護常、一生の不覚……! 申し訳ありません、庄川さん……!
……いや。謝罪も後悔も後回しだ。今は、この場を乗り切ることに全力を尽くさねば!
「なるほど……わかりました」
わざわざ二人きりの時に切り出してきたってことは、空橋くんとしてもこの件について無闇矢鱈と吹聴して回る気はないということだと思う。あくまでも今のところは、という注釈は付くかもしれないけれど。つまり、これは交渉……あるいは、脅迫。
「要求は何でしょうか? 僕に出来ることなら、何がなんでもやり遂げる所存ですが」
「よーきゅー?」
真っ直ぐ空橋くんを見据えて尋ねるも、彼は不思議そうに首をかしげるのみだった。
まるで、何のことかわからないとでも言いたげな仕草……空橋くん、貴方なかなかのタヌキではないですか。イケメンは、権謀術数もお手の物というわけですか……?
「んー、そんじゃさ」
そんな言葉と共に、空橋くんは考えるように顎に指を当てた。
「庄川さんとのこと、良かったら協力させてくんない?」
そして、ニカッと笑う。それは邪気のない、気持ちの良い笑みにしか見えなかった。
「協力、ですか……?」
その言葉をどう判断したものかと、僕は眉をひそめる。
「つまり空橋くんには、そもそもこの件について言いふらす気はないと……?」
「はは、当たり前じゃん。そんな野暮なことしないって」
野暮……か。なるほど言われてみれば、魔法少女的存在の正体を言い回るなんて行為は野暮と言えるのかもしれない。僕にはその発想はなかったけれど……スクールカースト上位の皆さんは、粋かどうかで物事を決めるってことなんだろうか……? いずれにせよ、その言葉を疑いなく受け入れるのは危険。もう少し探りを入れてみないと……。
「けれど、僕に協力なんてして空橋くんにどんなメリットが生じるというのですか?」
ただ単に無粋というだけならば、黙っているだけでいい話。わざわざ接触を図ってきたということは、やっぱり何かしらの理由があると思うんだ。
「うーん、そうだな……あえて言うなら……」
空橋くんは言葉を探すように、視線を彷徨わせる。
「君のことを近くで見ていたい、ってとこかな?」
「……?」
今度は、僕が首をかしげる番だった。
「どういうことですか……? 僕など見ても、何も面白いことはないでしょう」
彼の言葉の意味を理解出来ず、質問を重ねる。
「そんなことはないさ」
軽く肩をすくめた後、空橋くんはどこか照れくさそうに笑った。
「俺は、なんていうかな。その、大げさな言い方かもしれないけどさ」
頬を掻きながら、少し笑みを深める。
「感動、してしまったんだ。あの時」
あの時……? どの時のことだろう……?
「正直なところ俺は、平地クンのことを誤解していた。人との関わりを嫌って、自分の内に閉じこもってるような人なんだと思っていた」
「何一つとして間違っているとは思えませんが?」
僕の自己分析と寸分違わず一致していたから、反射的にそう返す。
「だとしたら、尚更凄いよ」
空橋くんは微笑み、どこか眩しそうに目を細めた。
「庄川さんがバカにされて、笑われて。俺、行かなくちゃって思った。でも同時に、行ってもいいのか? って迷っちまった。すぐに、飛び出せなかった」
僕から視線を外し、空橋くんは隣の席へと目を向ける。件の、庄川さんの席へと。
「でも、君は違った。君は俺よりも、誰よりも早く動いた」
視線はそのまま。だけど、その言葉は僕へと向けられたものなんだろう。
「それは君にとって庄川さんが特別だったからなのかもしれないし、決してスマートな方法でもなかったかもしれないけど、それでも、いやだからこそ、俺は」
再び、空橋くんの視線が僕を真っ直ぐに射抜いた。
「かっけぇ、って思ったんだ」
その言葉も、僕に向けたもの……なんだろうか。
まさか、この僕が格好いいと言っている? 他ならぬ空橋くんが? はは、ご冗談を。
「俺にとって、あの時の君は……後先なんて考えず、ただ一人の女の子のためになりふり構わず飛び出した君のことが……そうだな」
今度は、何を言い出すおつもりで?
「ヒーロー、みたいに見えたんだよ」
なるほど、ヒーローときたか。まったく、空橋くんはお笑いの才能もおありのようで。
「俺は、俺のヒーローがこれからどんな風に動くのかに興味津々なんだ。それを間近で見ていたいんだ。つまりこれは俺側にもメリットがある、打算混じりの提案ってわけ」
果たして僕なんかの傍にいることが如何程のメリットになるのかは不明だけど……まぁ、価値観は人それぞれだし。空橋くんがそう言うのなら、そうなのかもしれない。
いずれにせよ、空橋くんにはもう全部バレてるんだ。協力してくれるって言うなら……。
「って、わわ!? いきなりどうした!?」
と、空橋くんは急に慌てた様子を見せ始めた。
いきなりどうした、はこっちの台詞なんですが?
「ごめん俺、なんか変なこと言っちゃった!? 謝るから、泣かないでくれよ!」
泣く? 誰が? ……といっても、ここには僕と空橋くんしかいないわけで。
空橋くんが両手を合わせて頭を下げている相手は………………僕?
はは、だからご冗談を……そう思いながら、自分の頬に手を当てて。
「………………へ?」
僕は初めて、己が目から涙が流れ出していることに気付いた。
同時に、なぜ自分が泣いてしまったかについても思い至る。
「違います……違うのです、空橋くん」
指先で涙を拭いながら、僕はゆっくりと首を横に振った。
「これは、嬉し涙なのです」
そう。僕は、嬉しかったんだ。
つい今しがたまで自覚すらしていなかったけど……不安だったんだ。孤独だったんだ。
誰にも相談出来ず、一人の女の子の人生に影響しかねない、街の平和に関わるかもしれない、重大な秘密を抱えて。本当にこのやり方で合っているのか、もっと上手いやり方はないのか、僕一人で彼女の秘密を守ることなんて出来るのか。
決意だなんて言葉で飾っていたけど、心の奥底ではそんな苦しみを感じていたんだ。
「ありがとうございます、空橋くん」
これからは、一人じゃない。
そう思った瞬間に安堵して、嬉しくて。それが、涙って形で噴き出したんだと思う。
「僕は、貴方の存在に救われました」
心のままに告げると、空橋くんはキョトンとした表情となった。
「はは、大げさだなぁ」
「ふふ、それはお互い様でしょう」
破顔する空橋くんの言葉を受けて、僕も笑った。
「はは、違いない」
「ふふふ」
夕日に照らされる教室で二人、笑い合う。
これで僕が美少女だったなら、恋の花でも咲く場面なのかもしれないね。
「先程の問いかけへの答えが、まだでしたね」
協力させてくれないか、という空橋くんの言葉。僕の返事は、もう決まっている。
ゆえに、空橋くんの方に手を差し出した。
「これからよろしくお願いします。同志、空橋くん」
「同志、か」
差し出された僕の手を見て、空橋くんはフッと笑う。
「だったら、その呼び方はいかにも他人行儀だ」
その笑みは、今までより随分親しみを感じさせるものであるように思えた。
「親しい奴は、俺のことをユウって呼ぶ。君もそう呼んでくれ」
ニックネームで人を呼ぶなんて、初めてのことでなんだか緊張するけど……でも。
「わかりました、ユウくん」
僕もニッと笑って、そう呼びかけた。
「では僕のことも、気軽に平地クンとでも呼んでください」
「あぁ、わかったよ平地ク……」
そう呼びかけながら、手を差し出して。
「いや既に無茶苦茶平地クンって呼んでるわ!? 気軽になった感ゼロだわ!?」
二つの手が重なる直前で、ユウくんの顔が驚愕に染まった。
なかなかいいリアクションしてくれますねぇ、ユウくん……。
「はは、冗談ですよ。気軽に、護常とでも呼んでください」
あいにく僕には格好いいニックネームなんて存在しないから、普通に下の名前を提案する。まぁ『マホオタ』っていう呼び名はあったりするわけだけども、僕とてここでそれを口に出すほど空気が読めないわけではないのだ。
「あぁ、わかったよ護常」
今度こそ、二つの手がガッチリと固い握手を交わした。
「これから、よろしくな。庄川さんとのこと、全力で応援するぜ」
「こちらこそ、よろしくお願いします。心強い限りです」
「って、敬語なのは変わらないのかい?」
「あ、いや、その、僕にとってはこれが標準といいますか……ちょっとすぐに直すのは難しいといいますか……あの、別に、ユウくんに対して距離を感じているわけではないのですよ? ただ、もはやこれが僕であり如何ともしがたいというか……」
「はは、わかったよ」
しどろもどろで言い訳する僕に、ユウくんは軽く笑う。
「別に、無理に変えろなんて言わないさ。ま、その方が護常らしいって気もするしな」
「あ、ありがとうございます」
もしかしたら、ユウくんにとっては深い意味はなかったのかもしれないけれど。
なんとなくその言葉は、ありのままの僕を受け入れてくれたような気がして嬉しかった。
かくして、マホマホの正体を守り隊(心の中だけで僕命名)は結成されたのだった。
嗚呼、仲間がいるというのはなんと心強いことか!
ユウくん、これからは二人で庄川さんの秘密を守っていきましょうね!
◆ ◆ ◆
空橋悠一
護常と固く握手を交わしながらも、内心では安堵の息を吐きたい気持ちだった。
受け入れてもらえて良かった。なにせ、事はデリケートな問題だからな。部外者が好奇心混じりで首を突っ込んでも碌なことにならない。そんなことは、護常だって百も承知だろう。だから、俺の真摯な思いが伝わったんだと思うと嬉しい気持ちが溢れてくる。
「ところで、早速で恐縮なんですがちょっと相談がありまして……」
と、護常がおずおずと切り出してきた。
「遠慮すんなよ、なんでも言ってくれ」
あぁ、俺に出来ることならなんだってやってやるつもりさ。
俺にとってのヒーロー、その恋路が成就するようにさ!
◆ ◆ ◆
里崎翔子
ソラ×ヒラ! きたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
今(アタシの中で)最も話題のカップリングが、まさか公式になるとは……なんて美味しい場面に遭遇出来たんだ……! イマイチ会話の内容は聞き取れなかったけど、間違いないっしょ……! 夕日に照らされる教室に二人、真剣な表情で、最後に固く握手……! これが愛の告白の場面じゃなかったら何だってのさ……! 「君のことを近くで見ていたい」とか「感……てしまった」とか「(男)同士」とか聞こえたし……ヤバい、思い返すほどにヤバい……なにこれ、ホントに現実……? 実はアタシ、既に死んで二次元の世界に転生してたりする……? どっちにしろ、神様には感謝しかない……!
状況的に、告白したのはソラハシの方……? けど、ヒラチも泣いて喜んで……そうかヒラチ、アンタも前々からソラハシのことを……ここ最近妙にらしくない行動が続くと思ってたけど、それもソラハシへのアピールだったってことか……! そして、ついにソラハシのハートを射止めるに至ったと……! 愛する人のために自分を変えようとするアンタのその姿勢、感動したよ……! 尊い……尊すぎる……あ、ダメだ心臓止まりそう……。
くっ……だが、きっと世間はアンタらの愛について冷たい態度を示すだろう。
けどその愛、絶対貫けよな……! 誰が認めまいと、アタシだけは認めるから……!
アタシは、誰よりもアンタらの愛を応援するからさ……!
◆ ◆ ◆
庄川真帆
えぇー……?
里崎さんがなんだか物凄い笑顔でガッツポーズしだしだんだけど、何があったんだろう……? かぶりつくみたいに教室の中覗いてるし……何かあるのかな……? って、今度は涙目になって胸を押さえて……? あ、それから決意の表情に……? なんか凄く鼻息も荒くなってるんだけど、大丈夫かな……? ………………というか私、鞄取りに行きたいんだけど……入れる雰囲気じゃないよね……どうしよう……。
◆ ◆ ◆
チュウ
それは納豆じゃなくてフィヨルドランドクレステッドペンギンでチュウよ!?
……? おっと、いつの間にか寝ちゃってたようでチュウねぇ……授業はもう終わったでチュウかね? ちょっと様子を見てみるでチュウ……あれ、なんかもう日が暮れてるでチュウ……? 教室の中、イケメンの子とメガネの子しか残ってないでチュウし……その二人も、もう帰るところで……ヂュッ!? し、しまったでチュウ! メガネの子と目が合っちゃったでチュウ!? このままじゃ真帆に迷惑が………………チュウ? あれ、そっと目を逸らされたでチュウ……? 気付かれなかったのでチュウかね……? 結構ガッツリ視線が絡まった気がしたのでチュウが……ま、まぁバレなかったのなら何よりでチュウ。
………………ところで、真帆はどこに行ったんでチュウかね……?