泥の中を這いずるようにエクセリアが走行する。
限界速度で熱の上がり切ったエンジンが赤く発熱し、跳ね上げた泥が掛かるたびに蒸発していく音は機体の悲鳴だ。けれど、速度を緩めることは決して許されない。
理由は単純。
機体を止めれば、撃ち殺されるからだ。
振り返った。
後方から追ってくるのは、敵国の新型エクセリアが四機。
それも全て高出力エンジンを積んだAT3だ。
エクセリアは全長三mにも満たない小型機甲車の総称であり、戦争需要によって新型が開発され続け、今や凡百の火器を遥かに超える兵器へと昇華した。
旧型の最高速は時速五十キロ。
しかし、敵機の新型はそれより遥かに速い。
だから——元より逃げ切れるはずが無かったのだ。
たった十秒で距離を詰められた。
『弾丸魔法』で生成された炸裂弾の雨が襲ってくる。
——ちくしょう。
なんでこうなった。
学生隊は、攻撃を受けないんじゃなかったのかよ。
学生は、本隊の後ろにいるだけ。
そのはずだった。
それなのに——
「っ!」
搭乗していた自機エクセリアが爆散した。
吹き飛ばされる刹那、学生兵の『レイン』は、機体の操手だったアスリーの肉体が千切れ飛んでいくのをはっきりと視認した。彼女は悲鳴一つ上げなかった。
一瞬で肉クズにされたからだ。
仲間の死体を浴びながら、崖下に転がって全身を強く打つ。
ちくしょう——
なんで、どうして——。
見下げると、左脚は完全に折れて骨が飛び出し、死を直感する激痛が脳を貫いた。
しかし、その中で、レインはふと顔を上げて、
(あれ、は——)
気付いた。
遥か数百メートル先の山間部に、黒色のエクセリアを見つけたのだ。
黒色。
……黒色?
(まさか、)
はっとしてスコープを覗く。予感した通りだ。その漆黒の機体には、一人の敵将が搭乗していた。ベルック少佐だ。間違いない。あの脂ぎった顔は、一度見れば忘れない。
ベルックは虐殺者だ。非武装の一般民だろうが学生だろうが、構わず虐殺する事で名を馳せた西国の武人。今回の襲撃は、あいつが仕掛けてきた——。
「っ——」
ライフルを構える。
そして胸元を探って掴んだ一発は『銀色の弾丸』だった。
通常の弾丸とは異なる色合いのそれは先刻拾ったものだ。五発セットで落ちているのを見つけて、何となく持っていたものだが、これ以外に弾丸はない——使うしかなかった。
——目算で四百メートル。
弾丸魔法の補助を以てしても、一撃で仕留めるにはあまりに難しい距離だ。
それでも——殺さねば。
あいつだけは。
アスリーを殺した——あいつだけは。
敵陣の中、脚を折った自分はここで死ぬだろう。けれどそれは、あの虐殺者の脳髄をぶち抜いてからだ。学生隊の少年レインには、祈りの儀式として決めている事があった。
それは、懐中時計で時間を確認すること。
これから殺す相手の最期を、時計で正確に知る祈りの行為——。
時刻は、ぴったり午後の二時。
(——よし)
十数秒の調整の後、引鉄を引いた。
赤い花が咲いた。
成功だ。スコープ越しに、ベルックの頭部が破裂したのを確認した。
殺した——その瞬間だった。
「——っ、」
世界が切り替わった。
本当に一瞬だけ。
何と言えばいいのだろう。
ああ——そうだ。
映画のフィルムが、いきなり入れ替わったような——
「——う」
世界が切り替わった。
そして、
「……え?」
当惑するしかなかった。
目の前に広がる光景が、戦場ではなくなっていたからだ。
「おいレイン。次、お前だぜ」
「さっさとしろよ」
レインは手にトランプを持ち、のんびり座って、
(……、え?)
仲間たちと遊んでいた。
「おい、どうした、レイン。だから、お前の番だって」
「……番……?」
言われて、見渡す。
そして、どう見ても平和な光景に困惑した。間違いない。
ここは後衛基地の広場だ。この場所を敵将のベルックに襲われ、地獄が始まった。
それが三十分前のこと。
——その筈だったのに。
「わ、わ、うわわわわ!」
思わず手に持っていたカードを投げてしまった。
「うお、なにしてんだレイン!」
「負けそうだからってふざけんな!」
顰蹙の声が上がる。級友たちが怒りを顕にしてくる。しかしそんな言動など、今のレインにとっては些末な事でしか無かった。なんだ、なんなんだ。
なんで俺は——こんな所で、
「お、お前ら、敵、敵はどうした!」
ポーカーで、遊んでいるんだよ。
「敵ぃ?」
顔をゆがめる級友のオルカ。
粗暴で大柄の男だが、嘘だけは言わないのが利点の少年は、
「そんなのここにいるわけないだろ! 後衛だぞ! 強いて言うなら今のお前が敵だよ!」
「寝ぼけて夢見るのはいいが、負け分はきっちり払えよ!」
巻き上がる避難轟々。
しかし、その中でレインは、
「……夢? ふざけるな、あれは現実だった!」
はっきり覚えている。
襲撃を受けたのは午後一時半。休憩の交代がそろそろという時に、敵将ベルックからの奇襲があった。誰もそのことを予想していなかった。ここは、後衛の待機基地だからだ。
しかし、ベルックは虐殺を実行した。
そして——レインたちは逃げ回った。
散り散りになったところを、兎のように学生が殺されていった。
レインもその兎の一人だった。しかし、幸運にも逃げ込んだ先で、敵将ベルックを射程圏内に捉えた。降りかかる緊張の中、射線は逸れなかった。
レインは、ベルックを暗殺するに至った。
時間はジャスト午後二時——。
……そうだ、時間。
レインは懐中時計を取り出して時刻を確認した。
けれど、針は当たり前のように、
「どういうことだよ……」
きっちり『二時』を示していた。
つまり、ベルックを殺害してから一分すら経っていない……。
「なになにー、揉めてるみたいだけど、なんかあったし?」
混乱の中、レインがカードをばら撒いて勝負を投げたという騒ぎを聞きつけて、四人の女生徒がやって来た。彼女たちもレインと同じ、学生の予備兵だ。
そしてその四人の中に、
「アスリー……」
栗色の髪を後ろでまとめた少女。
戦場に不釣り合いな琥珀の瞳——けれど、彼女は今さっき、
「ん、どしたし、レイン?」
「お前、手足ばらばらになって死んだはずじゃ……」
「いきなりどうした!?」
死んだ筈の少女アスリーがいた。
——アスリー。
アスリー・マグメット。士官学校でのレインの同級生。
しかし、レインはその眼で、彼女が死んだのを確かに目にしている。
——その筈なのに。
「おかしい、なんで、死んでない、……」
「おかしいのはお前だよ」
「やめなよオルカ。っていうか、あんたたちがレインからお金を捲き上げたからおかしくなったんじゃないの! 私、いきなりバラバラ死体にされたんだけど!」
なにか——。
なにか無いのか。
俺が経験した、あの地獄——。
あれが『現実だった』と確信できる証拠が——。
「そうだ」
レインは横に置いていた長銃を掴み取った。
薬室を開き、残っていた薬莢を見る。
弾丸魔法——名の通り、弾丸にあらゆる効果を付与する魔法が現在の戦争で主流となっている。その広く使われている効果の一つに『受印(ゲイル)』という魔術がある。
それは撃ち殺した相手の名が、薬莢に印字されるという物だ。
誰が誰を殺したか。
その証明とするための魔法であり、偽装は非常に難しい。
そして印字された薬莢は排出されず、排莢室に残るため、
「あった……!」
証拠が見つかった。排莢室の中に敵将ベルックの死の証があった。レインが射撃した敵将ベルックの本名『Beluk O Koihen』が刻まれた薬莢があったのだ。
(……間違いない。やはり、あれは現実だった!)
本物だ。敵将ベルックを討ち取った確かな証拠が残っていた。
「ほら見ろ!」
「なにがだよ」
「レインってあれだよね、いつも静かだけど、たまにいきなり大声出すとこあるよね」
ほっとけ。
って、そうじゃなくて、
「これがあの虐殺者ベルックを討ち取った証拠だってことだ!」
レインはその場の全員に薬莢を見せた。
それで納得させるはずだった。
なぜなら、敵将ベルックは指折りの戦争人。
その名は学生と言えど、予備兵である彼らが知らないはずが無い。
しかし、
「……うーん、まあ『銀色の弾丸』はあまり見ないが、本物だな」
「確かに。でも、あんま見せない方がいいよレイン。これ、人が死んだって証だし」
言った。
「誰かは知らないけどさ。このベルックって人」
結果的に、その言葉は嘘では無かった。
「え……?」
「ベルックって、だれ? 西の人?」
その場の誰もが、——いや、国に戻ってからも、レインは必死になってありとあらゆる情報を探り、ベルックのことを調べ、その存在を追った。
けれど、最後まで彼を知る人はおろか、その痕跡すら見つけることは出来なかった。
——消えていた。
ベルックの全てが。
まるで最初から——彼という存在がなかったかのように。
東の国オルトメニア
西の国ハーバラント。
二国の軋轢は、百年前に勃発した第一次攻戦から不変なく継続している。
今回の第四次攻戦へ連なる抗争の系譜は、兵器開発の歴史でもあった。
四つの脚部と車輪を有し、優れた運動性と耐久力を誇る小型機甲車『エクセリア』は百年前の登場から現在に至るまで戦場の華として進化を遂げた。
踏破し、破壊し、打ち砕く。
機械兵器として極限まで至った機構を備えた戦場の象徴エクセリア。
しかし、その強靭で軽量なエクセリアの機体を構成するグライマル核銀の採掘場所はあまりに限定的であり、分割が至難なほどに各地に偏在する特徴を持っていた。
四次攻戦の理由がそれだ。
資源の奪い合い。
敵を殺して陣地を簒奪する。
小さな衝突から、争いの炎は一瞬で巻き上がる。
そして、四次攻戦の開始から四年——。
いまだ戦火は衰えず、その炎にくべられているのは、未だ人間の命だった。
「なーんか、目的と手段が前後してるよな」
同班のオルカは、
「核銀を得るために戦って、その核銀でエクセリアを作って戦うんだろ? でも戦争が無ければそもそも核銀なんていらないんだし、あれ、じゃあ俺ら何のために戦ってんの?」
「オルカ」
「ん?」
「あんた、見た目より賢かったのね」
「遠回しに馬鹿に見えるって言ってんなてめえ!」
狭い中。
アスリーとオルカが、ぎゃーぎゃーと騒ぐ。
……うるさいな。
こっちは、いろいろと考えごとしてるのに。
「……夢じゃ、ないよな」
手の中で、ころころと『銀色』の薬莢を転がす。
そこにある虐殺者ベルックの名だけが——レインの夢に対する唯一の物証だった。
「はあ」
溜息。
ここは移動用車両の中。
結局、あれから敵軍からの奇襲も無く、平穏無事に三日間の駐屯期間を終えたアレストラ教導院の学生たちは、前線から街に戻る道程にあった。
ただ車両は少ないので、乗せられているのは荷台。
完全に荷物扱いである。
ふと横を見る。
いるのは、取っ組み合いをしているアスリーとオルカ。
そしてその奥には、重厚な装甲を有する『エクセリア』があった。
エクセリア——小型機甲車。一機で家が三つ建つと言われるほどに高級な陸戦兵器であり、どんな悪路であろうと走破し、生い茂った密林も馬鹿げた出力で駆け抜ける。魔導士が扱う弾丸魔法と組み合わして運用する事に特化した主力兵器が眼前に鎮座していた。
眺めていると、
「レイン、なんか難しい顔してんけど、そろそろ落ち着いた?」
「最初から落ち着いているよ」
「妄想で人をばらばらにしといて、よく言えんね」
アスリーは数少ない女子の士官候補生だ。
勝気な性格にふさわしく、家の反対を押し切って士官に志願したらしい。
……裕福な家柄らしいので、親とか泣いてんだろーなと思う。
「まあでも、確かにそうだよね……」
「?なにがだ」
「レインの妄想みたいに、いつ本当にバラバラになっても、おかしくないってこと」
アスリーは、
「百年も続いた、二つの国の均衡。そんなのとっくの昔に崩れてるし、負けるよね、このままじゃ。聞いたところによると、あまりに人が死に過ぎて前線で人が足りないから、そろそろ学生でも優秀なのは拾い上げて、戦場送りになるらしいよ」
「……それは」
「大マジ。レインもオルカも呼ばれるだろうね。成績は良いし」
だらだら話している間に、東国オルトメニアの首都が見え始めていた。
その都市に、レインたち『士官候補生』が通うアレストラ教導院が存在している。
弾丸魔法。
実弾に魔力を付与し、様々な効果を発現させる魔法技術の名。
魔法という技術は古くから継承された。
理論では解明できぬ、なにかの理があった。
しかし、この戦乱が続いた百年間の間に魔法はより実用的な用途のみに辿り着き、効果を弾丸に封する技術が開発されてから、戦争に最も有効な技術として弾丸魔法が広まった。
取り繕うような小奇麗さなどない。
正真正銘、人を殺す為だけの技術。
純粋な軍用兵器。
破壊こそ存在価値とされる殺戮の手段。
この情勢に置いて、最も必要とされる技術へと百年の中で昇華した。
必然、学ぶ場を国家政策で増やした。
士官学校のアレストラ教導院でも、弾丸魔法は必須項目に定められている。
士官育成の学校である性質上、座学が基本で組まれるが、基礎訓練として弾丸魔法は身につけることになる。そして三年に進級すれば『帯銃』——銃を持つ事が許される。
そして、三年生のレイン・ランツは、
(……一体、なんだったんだ。あれは)
教室で愛銃のBB77を弄りながら、纏まらない考えに悩んでいた。
——結局。
あのベルックという人間がいた証拠は、何処にも見つけられなかったのだ。
(あの日——)
何かが起こった。
怪奇な現象。
なぜ——ベルックの痕跡が見つからない。
なぜ——誰もベルックのことを覚えていない。
こうして学校という平和な場所に戻ってきても、鮮烈に残った光景はなお深い。考えるたび、ベルックの名の刻まれた『銀色の薬莢』を見てしまう。
(唯一、証明できるものは、この弾丸だけ……)
元々、それは拾った弾丸だった。虐殺者ベルックに後衛基地を襲撃され、森の中をアスリーと共に逃げ惑う中、身を隠した先に、この弾丸を五発セットで見つけたのだ。
その後、弾切れで仕方なく、使う事になったが、違うのは「銀色」ということだけ。
なのになぜ、あんな奇妙なことが——。
「ん……?」
ふと、掃除のために敷いていた新聞に目がいった。
『またも敗戦』
『リブラ山間部 奪還失敗』
『厳しい戦況 今季被害試算 78億ゼル越えか』
「……負けすぎだろ」
いつもの記事だった。
我が国、東国オルトメニアが西に食い潰される——いつもの記事。
第四次攻戦の開始から、すでに四年。
東の国は、西に対して厳しい状況に置かれ続けていた。
現代戦争で重要な因子は主に二つ。
一つは火器として使用される『弾丸魔法』。
そしてもう一つは、グライマル核銀から生産される機甲車『エクセリア』だ。
戦争開始の当初こそ大きな差は無かったが、ここ数年、エクセリアの開発に博打を張って巨額の開発費をつぎ込んだ西の国は、優れた新型を量産し続けた。
結果として、西国の技術は、東より数年先を先行する。
そして、新型の陸戦兵器エクセリアが猛威を振るい続ける内、誰もが理解した。
東の国は——。
「おい銃オタ」
「銃オタじゃねえよ」
声を掛けて来た隣席のオルカ。
退屈なのか、分解していた銃の部品をひょいと手に取って、光に透かすように眺めるが、 レインはその行為に僅かに冷やりとした。
分解した銃部品の横には、『銀色の弾丸』も置いていたからだ。
「……手の油が付くから、素手で触るなよ」
「でもよ、銃の整備なんて必要ないだろ?」
銀の弾丸を、見えぬように隠すレイン。
それに気付かず、オルカは、銃身部分をくるくると回すと、
「戦闘自体、ずっと起こってないんだし」
そう言った。
(……戦闘が起こってない、ね)
やはり、幻だったのだろうか——あの日は。
その時、鐘が鳴った。
「おっと」
授業が始まる。
レインは拳銃をさっと組み立て、片付けた。
教員が来るのが、少し遅れていた。
「どうしたんだろうな」
「さあ。俺もよく分かんねえけど、さっき面白い話を聞いたぞ」
「面白い?」
「今日、転入生が来るらしい」
「はあ?」
——転入生?
「ここは士官学校だぞ。転入とか制度として認められてないだろ」
「いや、なんで俺が怒られんだよ……知らねえよ」
区切って、オルカは、
「でも、あれだ、女らしい」
「へえ」
「まあ期待はしない方が無難だろうな。どうせ、士官学校に来るような女なんて、アスリーみたいな我の強い奴しかいないだろうし」
「聞こえてんだけど!」
教室の前にいたアスリーが振り返って、怒鳴る。
……耳、良いな。
しかし、いがみ合う二人がそのまま取っ組み合いになることは無かった。
教室の扉が開かれて、二人の人間が入ってきたからだ。一人は無論、兵站論の担当者であるウィルソン中尉だ。アレストラ教導院の教官は、現役の尉官が中心となる。
が、そちらに注意は向かない。
問題はもう一人の方——、
「うお……」
オルカが声を上げるが、レインは口にはしない。
しかし、同じ感情を抱いていた。
(……へえ)
自分たちと同じ制服を着たその生徒は、妖しく——異様。
括り上げた白い髪。
壊れそうな肢体。
——小柄だ。
本当に小さい。
けれど「なんだ子供じゃないか」と笑い飛ばせない程に、彼女はあまりに異様だった。
なぜなら、
「……なあ、『あれ』、本物か?」
「まさか」
少女はその背に、長銃を『二つ』背負っていたからだ。
——黒と白。
あれが——彼女の銃だと言うのだろうか。
片方は磨き上げた刀身の様に白く、他方は重厚さを主張する様に黒い。確かに一部の弾丸魔法の使い手は冗談の様な大銃砲を担ぐと聞く。しかし、それにしても、それらの銃器は小柄な少女に対して、あまりに大きく、無骨が過ぎるのは明らかだった。
抱えるだけで腰を折る長銃を、二丁も平然と抱えている。
——なんだ、この子は。
明らかに尋常と違う。
プレッシャー——気迫に加え、担ぎ上げる二丁の長銃。
そんな、異様とも言える彼女が、ふと教室を見渡す。そして、再び顔を上げて、明らかとなった彼女の瞳は、髪色と同じく白く抜けた——『銀色』だった。
(銀——?)
怪しげな——『銀の少女』。
それは、不思議を起こした、銀色の弾丸と——酷く似た——。
(なんだ、この子——)
眺め見る内、果たして、その銀の少女は、
「敗戦国の豚小屋ね」
「……」
よく通る声だった。
ちょっと強気な声色。
そして教室の誰もが「え?」という顔になった。
少女の『豚小屋』発言に、部屋がしんとなる。けれど、
「嘆かわしいわね」
依然、少女は、
「これが国内最高と謳われたアレストラ教導院の成れの果て?」
はあ、と溜息。
「いくら子供と言っても、、数年後には士官となり、組織を牽引する連中がここまで腑抜けてれば、この国が敗戦に盲進する理由が分かるってものね」
(……子供?)
と、クラスの全員が思っただろう。
なにせ、彼女の容姿は明らかに自分達の一回り下。
そんな彼女が『子供』と口にすれば違和感は覚える。
しかし、なお銀髪少女は言う。
「本当に、『昔から』——変わらないわね」
その時だった。
——ばん!
彼女を連れて来たウィルソン中尉が、少女の頬を思いっきり殴った。
「っ……」
生徒全員、展開についていけてなかった。
当然だ。
いきなり大筒を担いだ少女が来た。
そう思ったら、豚呼ばわりが始まり、講師ウィルソンが激昂したのだから。
「中々面白い自己紹介だな、転入生。だが、あまりに不快だ」
それは、
「いいか。この俺の前で、この国を貶めるような発言は一切認めない」
地に響くような低音。
それは、講師ウィルソンの激怒した口調であり、
「忠告だ。この教導院に足を踏み入れた瞬間から、子供のお前など、ただ上官の命令を聞くだけの羽虫だ。また勝手な真似をしてみろ。今度はその舌を焼き潰すぞ」
レインは、思わずぞっと寒気立った。
ウィルソン中尉は見た目こそ温厚に見える。しかし、その内面は苛烈の一言だ。生徒に殴りつけることは厭わず、上申も許さない。士官学校出身らしからぬ軍人気質を備える。
必然、生徒からの評判も芳しくないが、軍内では成り上がりの筆頭格だ。
けれど、
「へえ、貶める、ね」
銀色の少女は止めない。
殴られた頬を、抑える事すらせず、
「では聞こうかしら」
「なに?」
「翻って、ここにいる腑抜けた餓鬼どもはともかく、尉官のお前が敬えと言う、この国の何処に、誹りを受けないところがあるというの?」
平然と。
何十人も前にして。
教室に入ってから、一分も経っていないのに。
まるで——ここに来ることのみが、ただ一つの目的だと言う様に。
少女は引かず。
目線を逸らさず。
「百年前からよ」
啖呵を切っていた。
「百年も前から、この国は、魔法技術も、機甲技術も、完全に後手の後手。西国が十年先を見据えている傍ら、この東国は、核銀採掘の利益算出に目を向けて、長期でしか結果の出ない開発や技術啓蒙に何一つ労力を割いてこなかった」
「貴様、なにを」
「事実を言ってるだけ」
淡々と、少女は、
「あは、まさに豚じゃない。目の前の餌を食うことにしか頭がいってない。餌を隠す犬の方がまだ利口なんじゃないの?」
「貴様……」
「なに。自分は犬だと言いたいの。それなら鳴いてみなさいよ、わん、って」
ウィルソンが腰元に手をやった。
取り出したのは軍用拳銃M7だ。そして、そのままグリップを順手で握り直すと、銃身を少女の頭部に振り下ろした。鉄塊で、暴言を吐く少女を殴りつけようとする。
しかし、
「……犬、以下ね」
果たして、少女は——避けなかった。
ウィルソンは躊躇うことなく少女を殴打した。
しかし、彼女は——動かなかった。
がん、と鈍い音と共に鉄塊が少女の頭部を割った
明らかに重傷の一撃だ。
だらだらと血が垂れる。
頭蓋が割れ、血を垂れ流し、なのに、——少女は、微動だにせず。
「な、」
少女は一歩として動かなかった。
そのことに、ウィルソンは僅かに動揺した。
しかし、その一瞬とも言える隙に、少女はようやく身体を動かした。
——いや、それは反撃だった。
彼女はするっと腕を回し、自身の頭を割った銃を、
「っ、貴様!」
「遅い」
奪った。
銃は軽やかに少女の手に収まる。
ウィルソンは思わぬ反撃に惚け、しかしすぐに我に返り、自銃を奪い返そうとする。
けれど、
「動くな。不快。埃が舞う」
「うっ……」
少女は奪い取った拳銃を、ウィルソンの眉間に当てた。
脅し、動きを止めた。
制圧した——一瞬で。
「肉体より頭を回しなさい……ああそうだ、知っているわ、ウィルソン中尉。二カ月前、撤退戦において小隊を率いたお前は、無謀な指示で、五十名を無為に殺したわね?」
「……それが、どうした」
引かず、ウィルソンは、
「兵は死ぬのが、本懐だろう」
「それでも、馬鹿な上官の、間抜けな指示で死にたい奴はいないわよ」
言いながら。
少女は——引き金に手を掛ける。
「貴様、分かっているのか。これは、明らかな、軍行違反……重罪だ……!」
そして、
「罪、ね……」
その時だった。
「まあいいか……転入生ごっこは、終わりで」
レインは、偶然気付いた。
(あれは……!)
銀の少女が取り出したそれは、一発の銃弾——『銀色の弾丸』。
少女は、手の中に隠していたその弾丸を、すり替えるように素早く弾倉に押し込む。
その動作を、注視していたレインだけが捉えていた。
あまりに一瞬のことだったが、
(あの弾丸は——!)
それは——レインに降りかかった、不思議を証明する唯一。
謎の道具。
少女が入れ替えたのは——銀色の弾丸。
そして、
「罪とは愚かさ。ただ、それだけよ」
「やめ——」
ウィルソン中尉の言葉は遮られた。
ばん!、と破裂音が鳴った。
鮮血がばら撒かれた。
少女の放った銃弾が、ウィルソンの頭部を撃ち抜いたのだ。
その瞬間——。
世界が、ごとりと変わった。
「はっ——」
一瞬の暗転。
布を被せられたように景色が切り替わり、
「なんだよ、ここ……」
レインは、
「なんで戦場に戻ってんだよ!」
機甲車——エクセリアに搭乗し、樹々に囲まれた戦場にその身を移していた。
周囲を見渡す。
この景色には見覚えがあった。
ここは、北東に位置するカルバル衛星基地だ。駐屯できる規模は千人強。予備兵として何度か派遣されることがある中規模基地である。来るのは、これで三回目だろうか。
けれど、回数など些末な事だった。
数秒前まで教導院の教室にいたレインにとって、どうでも良かった。
——教室ではなくなっていた。
いや、戦場だった光景が——『切り替わった』という方が正しいだろうか。
ああ、まただ。
また——起こった。
「ちょ、レイン、大丈夫? なんか、いきなり息が荒くなってない?」
掛けられた声。
それはエクセリアを操縦するアスリーからで、心配するような様子だった。
当然だろう。
いきなり相方が真っ青になった様に、彼女には見えているのだろうから。
「……アスリー」
「ん、どしたの、やっぱ緊張してる?」
「いや——」
——間違いない。
彼女の様子からレインは確信した。
最初から——最初から自分は、ここにいることになっている。
少なくとも——自分以外の人間から見れば。
「で、なにさ? 気持ち悪い顔して」
「いや、顔は気持ち悪くねえよ!」
気持ち悪いのは気分だ。
一呼吸。
「違う……えと、その」
少し考えて、
「……なあ。俺達、ここ数日の間、学校に戻ったりしたか?」
「はあ? んなわけないでしょ」
——帰ってないよ
——ここ二週間、ずっと
(……、、俺、本当におかしくなったのか)
懐中時計を取り出し、レインは日付と時刻を確認する。
やはりだ。日付は九月九日。時刻は午前九時をほぼ指していた。
つまり、それは、教室に突如として来た少女——謎の「銀の少女」がウィルソンを撃ち殺してから、まだ数秒も経っていないということ。
そして、だからこそ、聞かねばならなった。
「なあ、アスリー……」
「なに?」
「ウィルソン中尉って、分かるよな、ほら、俺たちの、兵站学の授業の——」
——受け入れがたい。
事象を。
「はい? 私たちの兵站学の先生は、サリー少尉でしょ?」
「もう、ほんとしっかりしてよ!」
——確認を終えて。
アスリーから状況を聞いた。
現在、このカルバル基地は臨戦待機中らしい。この地点は完全に東国の領土だが、哨戒の兵が西国の敵機を見つけたという。斥候の可能性もあるかもしれず、しかし、確証は出来ず、補助としてレインら学生も招聘されて、戦力として待機になったという。
しかし——何度、話を聞いても。
確認しても。
レインたちが学校に戻ったという事実は、残っていなかった。
無論、『銀色の少女』なんていう——馬鹿な目撃証言も。
「この基地には、学生以外の兵はいなかったのか」
「いたはずなんだけどね」
アスリーは答える。
「なぜか知らないけど、変に手薄だったんだって、この基地」
——なぜか。
レインは、その理由を知っていた。
この基地は、ウィルソン中尉が、自身の中隊を滞留させていた場所だったと。
消えたウィルソンが戦力を置いていた、と。
(やはり、ウィルソンは……)
——消えた。
その功績も全て。
(ああ、くそ、頭がめちゃくちゃだ)
二回目の切り替わった世界。
再び戦場に戻されたレインは、状況をなんとか把握しようと思索を巡らせていく。
けれど——世界は停止しない。
「っ——」
遠方で号砲が鳴った。
弾丸魔法による特徴的な炸裂音。
粉塵と火炎が膨大に巻き上がり、遠方と言えど、一気に場の緊張が高まった。固められたように静かだった機甲部隊が駆動を始め、唸りを上げて起動する。
『これより、学生兵全員にタグコードを割り振る!』
上級兵からの伝令が無線で下った。
『指示は個別にインカムで受けろ! これは実践だ、試験運用もトライアルも無い、戦力として扱うことになる、学生兵、最善を尽くせ!』
コード44。
それがレインとアスリーに与えられたタグコードだった。
歩兵連隊でなくエクセリアを所有する機甲部隊では、エクセリア一機に対して操縦する『操手(ハンドラー)』が一人と、弾丸魔法を用いる『砲手(フォレスト)』が一人——合わせて二人が最小戦術単位として数えることになっている。つまりは、一蓮托生のパートナーの二人組だ。
それが、操手と砲手の関係。
片方の死は、もう一人の死も意味する。
『コード7から25。西方、A3へ移動』
『森の中だ。射線を広く取れ!』
指示だけが次々と流れていく。
そして、
「——レイン!」
アスリーの声。
「来てる、十時の方向!」
言うが早いが、アスリーは、旋回ギアを引き込んだ。
抉る音が鳴った。エクセリアが起動、四つ脚が地表を滑って走行を開始する。
瞬間、後方に弾丸魔法『青白焔(ヴォルドラ)』が炸裂した。強大な衝撃波を生み出す汎用の弾丸魔法は、特徴的な青白い爆炎を巻き上げ、灰で覆い、周囲一帯を吹き飛ばした。
そして、その火柱を掻き分け、
「くそ!」
敵機AT3が出現する。
「っ、落ちないでよ!」
回避のため、アスリーは後輪ペダルを踏み込んだ。
——制動。
敵からの弾丸を、紙一重で回避する。そして、
「——撃ち抜いて! レイン!」
「ああ」
この戦いは、魔導士による特殊戦闘——。
反撃だ。
魔導士に通常の銃器は通じない。
魔導士を殺せるのは——魔導士だけだ。
(逃げ切るのは不可能だ、ここで討ち取るしかない)
巻き上がった火炎に紛れて、間髪開けず、敵機は素早く後方に回り込んできた。
——強い、というのはその動きだけで分かった。
エクセリア戦は、操者同士の読み合いに終始する。
魔導を有する者は、その過多に関わらず『共覚質(クオリア)』を持つ。優れた感覚に収まらず、共覚質は『未来を観測する』能力であり、特に危機的な状況で強く発揮される。
それが、魔導士が、音速の弾丸を回避できる機構の根本だ。
強力な火器を持った兵士が十数人集まろうが、魔導士の前では囮にすらならないのは、優れた未来視によって、機銃からの射撃すら回避を可能にするからである。
互いに未来を予測する。
その読み合いに優れた魔導士の弾丸が、敵を撃ち抜く。
つまり、魔導士戦は——エクセリア戦を制した者が生き残る。
(なるほど、な)
——二秒目。
敵機は、巻き上がる火炎を切る位置取りをしてきた。こちらのリロード時間に一気に焼き払おうとしてきた。新型AT3には旧型を相手に、それくらい容易い。
あっという間に不利な位置取りを強いられた。
——三秒。
恐らく、敵機の砲手は、勝ちの確信の中にあっただろう。
旧型など——。
そう思っていた筈だ。
しかし、
「悪いけど」
次の瞬間、炸裂したのは——彼らの方だった。
「——な、」
敵兵が一声あげた直後、凄まじい衝撃が伝播した。
敵機は何が起こったのか理解が及ばす、その場に棒立ちになっていた。
しかし、それは当然だ。
何故なら、弾丸が飛んできたのは、『後方』だったからだ。
「じゃあ、最後に」
レインは、
「さよなら」
軽口。
撃鉄を落とし、魔導が起動する。謎の銃撃に茫然としていた敵二人の心臓を貫通魔法『断空弾(エルミナル)』で掃射した。鋼鈑すら撃ち抜くそれは、操縦席の風防ごと、彼らを撃ち抜いた。
敵機AT3は完全に停止した。
——からん、と。
レインの足元に転がった薬莢には、彼ら二人の名前が刻まれていた。
弾丸魔法『幻硬弾(ファラル)』——。
それが少年レイン・ランツの使用した魔法であり、
「相手も訳が分からなかっただろうね」
言う。
「まさか、弾丸が『跳ね返る』なんて」
レインの魔法は、
「『弾丸が跳ねる魔法』」
「……それだけ言うと、馬鹿みたいな魔法になるな」
「実際そうでしょ」
誰も使わないんだし、とアスリーは続けた。
「幻硬弾は魔導士なら誰でも使える魔法だけど、自爆する危険が高過ぎて実践で使えるわけないからね。大抵はお遊びで数回使うくらいだし」
幻硬弾——その魔法は機構だけで言えば、あまりにチープだ。
ぼんぼんと、跳ね回るだけ。
そんな弾丸魔法。
その単純さ故に習得は非常に容易で、士官学校では銃の掃除と同時に身につける魔法の一つであるが、跳ね回る音速の弾丸など、ただ危険極まりない爆弾でしかない。弾丸の軌道の予測が複雑であることから、誰もまともに使おうとしない。
しかし——扱いが難しいということは、
「よく使いこなせるよね。私なら絶対に無理」
制御さえできれば、魔導士の戦いにおいて、それは特異点となる。
「なにか軌道を読むコツとかあるの?レインが外している所、見た事ないけど」
「あると言えばあるけど、口で言って伝わるなら、みんな使ってるだろ」
「……確かに」
エクセリア戦は共覚質——予知に終始する。
敵機の情報、場の環境、外部戦略など、多因子要素を思考し、個々の『共覚質』に組み込むことで、魔導士は行動を決定し、戦闘を行うのが大前提だ。
中でも『弾丸の軌道』は重要因子の筆頭となる。
それで以って、敵の攻撃を予知するからだ。
タネは単純。
弾丸がバウンドするだけ。
けれど、その複雑で未来視さえできない軌道の予測さえ伴えば——。
その魔法は必殺必中の切り札と成り得る。
『コード44から中央部へ。敵エクセリア一機、地点B2で撃破』
アスリーが報告する。
返答はすぐにあった。
『よくやった。学生が実践で成果を上げたか。ただ、敵機はまだ数多く存在する。命令の更新だ。コード44はそのまま地点C1へ向かい、前線へ混ざれ』
通信が切れた。
「……もう少し、ゆっくり報告すれば良かったかな?」
「同感」
しかし、今さらだ。アスリーはアクセルを押し込み、指定された場所へ向かう。
友軍の助力の為だった。
けれど、
「うっ……」
地点C1へ踏み込んだ時、散乱していたのは——死体だった。
「これ、何人……」
「……数えるな。機体の状態だけ確認する」
このC1地点を防衛していた味方のエクセリア五機。
その全てが焼き払われていた。頑強な装甲はめくり上がり、高速機動を可能とする象徴的な四つ脚は折れ曲がって原型を失い、残骸すら焦げ付いていた。防衛に回していた機銃も多数破壊されており、圧倒的な破壊の後だけが残っていた。
「くそ……」
敵の数は、十機……?
馬鹿な。
有り得ない。
その三倍はいなければ、現在の戦況に説明はつけられない。
などと——。
「え?」
考えていた時だった。
「なに、あの子……?」
アスリーの困惑した声。
当然だろう。
何故なら、死体と残骸の上を歩き回る『少女』は、
(あれ、は)
——銀。
何よりも、彼女は、——長銃を『二丁』を背負う、
(あいつ——!)
『銀の少女』だった。
忘れるはずが無い。
間違えるはずが無い。
そこにいたのは、教室でウィルソン中尉を撃ち殺した——。
(なんで、ここに!)
——銀色の弾丸。
謎の弾丸を保有していた、何もかも不明の『銀の少女』がいた。
「……アスリー、ここで待っていろ。敵が来れば、すぐに中断して戻る」
「え、ちょ、」
アスリーの制止を聞かず、レインはエクセリアから降りた。
向こうもこちらに気付いていた。
レインが向かってくるのを見て、彼女はエクセリアの残骸から、ふわりと飛び降りる。
ざん、と音がする。
とても軽い音。
それは、背負う大筒の重さなど、無視したような——。
まるで中身など詰まってないかのような。
人間と思えぬ軽さを感じさせた。
彼岸の距離は十mを切っていた。
彼女は、大筒と共に、月夜を背負う。
しかし、そこでレインは、
「動くな」
拳銃を取り出し、その少女へ銃口を向けていた。
「何者だ、お前」
「……いきなり、なに?」
「答えろ!」
「……騒がしいわね、子供」
こちらを見る事すらせず、少女は、
「せっかく、風もない、凪いだ夜に、さっきからあちこちで、どんどんぱちぱちと、騒がしいこと、この上ないったら……もう少し、落ち着いて戦うことは、出来ないの?」
「答えろ。お前は、何だ」
「なに、お前。なにを、そんな、かっかしているの?」
まともに取り合ってもらえない——仕方ないか。
「……銀の弾丸」
「——へえ」
銀——。
その言葉を出した瞬間だった。
少女の表情が変わった。
「先に言っておく。俺はアレストラ教導院の学生で、今日の朝まで確かに存在していたウィルソンを覚えている。そして、俺以外に記憶が確かな奴がいないか探したが、ここにいる誰に聞いても、そんな奴は覚えていない、知らないとしか言われなかった」
しかし——
「お前だけには、知らないとは言わせない」
——銀の少女。
青白い炎に揺らめかせながら、この瞬間にも消えそうな——。
それでも——他でもない。
この少女は、ウィルソンを殺害した張本人だ。
「そして、俺は見ていた。お前がその時に取り出した——『銀色の弾丸』を」
銃を下ろさぬまま、レインは胸元に手を入れた。
少女に翳した。それは最初、虐殺者『ベルック』を殺した証拠の薬莢だ。鈍色でありな がら、不可思議な光沢を宿した超常の物質であり、全ての不思議の始まり。
消えたベルックの名が、刻まれた弾丸。
それを手にしながら、
「答えろ、この弾丸は、なんだ」
レインは聞く。
「これで撃たれた人間は——何故、消えた」
——それから、何秒経ったか。
何かを考える様な素振りの後、
「なんだ、『こいつ』なの——?」
果たして、少女は、
「私を、拾ったのは」
そう言った。
——私を、拾った?
(っ、……!)
その言葉に、何故だがぞっと寒気だったレインは、
「ま、少々ひ弱そうだけど、いいかな。ねえ、お前、名前は——とと、」
言い切る前に、レインは撃っていた。
少女の足元に、弾丸を一発。
「何するのよ」
「質問するのは俺だ。答えろ、お前は何者だ」
「……最近の子供は、せっかち」
——だから、子供ってなんだよ。
お前の方が、俺よりもずっと幼いだろうに。
改めて見ても、本当に小柄だ。彼女自身が放つ強烈な威圧感と、抱える長銃、吸い込まれそうな銀の瞳によって上塗りされているが、やはり、その部分は誤魔化せない。
「おい。子供うんぬんはともかく、いい加減、質問に」
「——エア」
「あ?」
彼女は、
「私は亡霊(ゴースト)(のエア」。
「亡霊……?」
なんだそれは。
「そして多分、お前の抱える疑問全てに答えることが出来る存在。無論、お前が手にしたその弾丸のことも、——それ以外のことも」
「じゃあ、」
「ねえ」
遮って、
「私は名乗ったのに、お前はしないなんて、礼儀がなってないんじゃないの? いい加減、名前を教えて貰わないと、呼び名に困る」
……この状況で、礼儀をどうこう言われたくはないが。
「俺はレイン。レイン・ランツだ」
「所属は?」
「アレストラ教導院の三年生。今は学生隊のコード44として動いている」
「そう。44」
いい数字、と、少女——エアが言った時だった。
「レイン、戻って! 早」
アスリーの声と同時、凄まじい爆炎が後方で巻き上がった。
「なっ——」
赤い視界——。
レインの頬を焼いたのは、火炎の奔流だった。
(っ、熱……!)
敵からの遠距離砲撃だった。
「う……」
「アスリー!」
想起されるのは、先日の光景。
弾丸魔法によって全身を千切られていくアスリーの姿だ。
けれど、今回は幸運だった。遠距離で狙いがずれ、直撃は避けた。しかし、搭乗席にいたアスリーは身体全体を強く打ち、搭乗席で伏して行動不能となっていた。
今の攻撃で、完全に意識が飛び、昏倒していた。
「……く!」
非常に危険な状況になった。
——どうする。
レインにエクセリアは操れない。
低速で走行させる程度は出来る。しかし、本来は一部の精鋭しか搭乗を許されないこの機甲車は、卓越した修練がその操縦に必要とされる。戦うのは不可能だ。
しかし、忖度している時間は無い。
月夜の闇から覗く先、接近してくる敵機エクセリアの影を捉えたからだ。
(——くそ、)
時間がない。
レインは動かないアスリーの身体を抱え上げ、後ろの席に移すと、操縦席を空けた。
自分が操縦するしかない。
このまま殺される位なら、いっそ——。
思った——その時だった。
「よいしょっと」
空いた場所に割り込んだのは、
「……は?」
「まったく、仕方ないわね」
銀の少女——エアだった。
彼女は当然の様にエクセリアの操縦席に座し、そして、
「動く」
声を掛ける間も無かった。
刹那、強力な慣性がレインの身体を振り回した。
(な——)
エクセリアが千切れんばかりの唸りを上げ、加速を開始する。直後、左右を失認するほどの制動を駆使し、ホイールが地表を抉ると、滑るようにして移動を始めた。
「な、なななな!」
「舌、噛むから、黙れ」
言って、直後、少女は樹木を避けるため、進行方向を変える。
その度、がりん、がりんと音が鳴る。
ギアが切り替わるノック音だ。
エクセリアのステアリングは簡易化されたハンドルであり、機構自体は自動車と大差なく、動かすだけなら多少の訓練で十分となる。しかし、エクセリアの特性である『脚式四輪』を生かした運動を行うなら、個別で四つの車輪——独立して操作する必要があった。
つまり、四つの一輪車を同時に操縦する。
普通の車両と違う点がそれだ。
アクセル、ブレーキ、クラッチ、ギアがまとめて一つ——ではない。
四つの脚全て——それらを一つ一つ制御することで初めて可能となる圧倒的な運動性にこそ、小型機甲エクセリアの真価がある。無論、天性の勘と長い修練を必要とする。
天才的なアスリーですら、半年はまともに動かせなかった。
——それなのに、
「、お前、なんで、エクセリアを」
銀の少女の操作は——完璧だ。
ほぼ最高速を維持しながら、闇夜の森林を走破する。ギアを器用に切り替え、車輪を手足のようにコントロールし、風のように樹々をすり抜けていく。
——なんだ、こいつは。
亡霊——と名乗った、正体不明の少女。
これほどの操縦、陸軍の中でも行える者がいるのか。まるで、幾たびも戦場を潜り抜けた軍神の様だ。この少女は、そう錯覚させるほどの操縦能力を有していた。
「お前、一体……」
「なにって、私は亡霊」
「だから、そうじゃなくて!」
「ねえ、くっちゃべるのはいいけど、威嚇射撃だけはしてくれない?」
言われて、後方を見れば、敵機が二機、追って来ていた。
確かに、少女の操縦は完璧だ。
しかし、敵機は性能があまりにも違う。子供のかけっこに大人が加わって来るかのような理不尽さで、操縦技術の差を機体差で覆してくる。
(威嚇……無理だ、機体差が、あり過ぎる……)
銃を持つ手が震える。迫りくる死に思考力が明確に落ちて来る。
しかし、そうしてレインが一人、混乱に飲まれている最中でも——
「……ふむ」
前からの。
乱れない声。
「どうやら、逃げ切るのは難しそう。まあ、こんなボロ車じゃ当然?」
飄々とした少女の声。
そして、
「子供」
「だから、子供って」
「これから旋回する。次の弾丸魔法を準備して」
「なにを」
「逃げられないなら、戦うしかないでしょ」
大きくエクセリアが跳ねる。操縦はなおも、完璧にコントロールされている。
それでも、敵機との距離は確実に詰められる。
少女——エアは指示してきた。
「私はこれから、機体を反転させて、敵機の懐へ入る。正面から向き合うことになるから、お前はすれ違い様に、敵の頭をぶち抜いて。二機いるから敵は四人だけど、狙うのは右の機体の砲者。タイミングは、私に合わせて」
——「ああ、あと」と少女は加えると、
「使う弾丸は『悪魔の弾丸』ね」
「悪魔……?」
悪魔の弾丸——?
「お前が持っている、その、銀の弾丸のこと。正しくは、そう呼ぶ」
エアは、
「本来は私だけにしか使えない特別性だけど、不運にもお前に拾われてしまったから、仕方なく、ってところ。ともかく、最善を尽くして」
言うが早いが、宣言通り、エアはエクセリアを転身させた。
(、こいつ、——)
樹木をバネに百八十度方向を変え、後続の敵機へ突進する。
もう引き返すことも、やり直すこともできない。
レインは腹を決めた。
(ああ、なんだよ——)
銀の弾丸——『悪魔の弾丸』よ呼ばれたそれを装填する。
(——やるしか……!)
敵機の反応は迅速だった。
次々と弾丸魔法が撃ち込まれてくる。一発、二発と必殺の弾丸が紙一重で掠め、後方で炸裂した。避けられたのは偶然か、それともエアの操縦技術かは分からなかった。
直後の一瞬——。
レインは『共覚質』を収斂させる。
時間が鈍る感覚——。
距離四十メートル。
スコープ越しに把握する、敵機の全容。
——暗闇。
月明かりも微量。
しかし、巻き上がった爆炎が場を照らす。
——いる。
見えた。
風防から顔を出した——砲手の顔が。
エアが指示してきた通りだった。今は、あの男を、狙うしかない。
レインには、何もかも分からないのだから。
癖として、懐中時計を見ていた。
時刻は『午後七時十五分』。
(っ、——)
撃鉄を落とす。
わずかな火薬の臭いと同時、示指を含めて、全身をリコイルが伝った。
撃ち放った弾丸は、狙い違わなかった。
敵方の共覚質を上回った弾丸は、敵砲手の腹部を撃ち抜いた。
赤い血は、暗闇に紛れて見えなかった。
それでも分かった。
——即死だ。
エアが完璧なタイミングで機体を制動し、レインの射撃を補助した結果だった。
敵は糸を切ったように、ごろりと機体から転げ落ちた。
死体が地面に落ちて、血をばら撒く。
そして——起こった。
「よくやったわ」
『銀の少女』の声と同時に。
「う……」
ぐらりと。
——世界の切り替わりが。
暗転——。
「——、」
今回の現象は、劇的では無かった。
これまでの様な大きな移り変わりや、場所の移動など無かった。
——ごとり、と動く感覚だけがあった。
「……う、」
「あ、気付いた?」
「ここ、は……」
「戦いは、とりあえず終わったみたいね」
レインは、目を覚ました。その場所は、森の中の小さな切り株の上だった。居眠りをするように座る体勢でレインは意識を戻した。そして、その横には、
「、アスリー……!」
「大丈夫よ、寝ているだけ」
エアに言われた通り、相棒のアスリーも、切り株の上に寝かせられていた。
彼女に傷は無く、ただ本当に休息として切り株で寝ているだけだ。異常は見られない。
……落ち着け、状況整理だ。
時間を確認すると『午後七時十五分』。
二機の敵機に追撃され、運良く一機を撃墜した瞬間から、そのままだ。
間違いない。
——例の現象だった。
(やはり、あれは——)
自機エクセリアは真横に置かれていた。
そして、その機体の上に座っているのは、
「どうやらここは、前線から少し離れたところね」
大筒を背負い直した——銀の少女。
「まあ。予測通り?」
彼女は顔を周囲に振る。
ご機嫌に。
「本来なら、ここですぐに東国の本部と連絡を取るべきだろうけど、まあ、むやみやたらに動くのは私の性に合わし、指示があるまで、……っと、」
エアが反応を示した。
『東国軍、全体へ指示』
それは、無線機から伝わった全体への伝令だった。
『敵機の『撤退』を確認した。我々の勝利だ。しかしまだ確定情報ではない。コード3からコード21までは引き続き前線へ。なお、学生隊は戦闘終了とする。基地へ戻れ』
——敵機の撤退。
——勝利。
——学生への『戦闘終了』宣言。
それはこの闇夜における襲撃が収束した事——強襲が終わったことを示していた。
いや、
(終わらせた——のか)
世界を切り変えた——。
そんな、でたらめで。
「なんだ、つまらないの」
撤退指示に、少女は退屈そうに、
「『消す』相手を、それなりに選んだのは確かだけど、ここまで予測通りというのも、味気ないものねそれとも、たった一機で、戦況が根本から揺らぐほどに、西の国は腰抜け? それとも慎重? そもそも、この作戦には価値が無い?……ううん、勘が冴えないわね」
微妙に整わない言葉を呟き、思考を続ける銀の少女。
しかし、その言葉の端からレインは、この少女が現在の状況を意図的に作った——誘導したことを知った。思えば、レインに標的を指示してきたのも、彼女だ。
「ああ、なんなんだ……」
そして、
「お前、は……」
「ん?」
「なんだよ、お前、本当に……訳が分かんねえ」
「なんだよ、って、言われても」
だから、と少女。
「何回も言わせないで」
綺麗な銀髪を、夜風に揺らしながら、
「私は亡霊のエア」
——亡霊。
「そして、お前が手にした『悪魔の弾丸』の本来の持ち主」
悪魔の弾丸——。
「なんなんだ、亡霊って」
「死んだ人間ってこと」
それは分かってんだよ、と言いたくなった。別に亡霊という言葉の意味を理解できていないのではない。この少女が、自らをそう言う理由が分からないのだ。
亡霊。
つまりは——死んだ人間。
けれど、目の前の幼い少女には、確かに実態がある。
少女はエクセリアの上に起立し、レインからすれば見上げる様な形になっているが、どれだけ凝視しようと死人には思えない。半透明に透けているという訳でもない。
「お前……人間ではない、って、どういう」
「さあ。まあ人間の定義は分からないけど、、足はきちんと揃ってるわよ」
「足?」
「東国の言い伝えにあるでしょ。死人は足が無くなるって話が」
「はあ?」
「ほら」
言って。
エアは自分のスカートを捲り上げた。
「ぶっ!」
「あっはは!なによ、学生でも、一応は軍人なのに、ここまで純な反応するのね!」
けらけらと笑う少女。
どう見てもふざけている様子に、
「……お前、ふざけんな」
「真っ赤な顔で、凄まれてもねえ」
大笑いから、にやにやと小馬鹿にする笑いに替えて、少女に見下ろされる。
その大仰な態度は、確かに見た目相応の少女が身につけられるものではない——様にも思えるが、ただ単純に生まれついて底意地が悪いのもかもしれない。
けれど、
(こいつ——、)
ふわふわと、掴みどころのない雰囲気。
どこか、現実から浮いている物腰。
子供の様な無邪気さ——ではなく、なにか、経験から身につけた余裕から、落ち着いている印象すら受けた。天性ではない。明らかな蓄積の差……というより、そう思わねば、スカートを捲られただけで動揺した自分が、あまりにも情けなさ過ぎる。
だから、
「くそ、なめんな」
レインは、下に逸らしていた視線を、ぐっと少女に戻した。
「ほれ」
二回目を食らった。
スカート捲りの。
「どお!」
今度は、下着が見えた。
思いっきり。
「あははは! なに、今の、どお!って! どんな発音してんだっての、あっは!」
「……ふざけるな。俺は真面目に話している」
「ふざけてるのは、お前の初心さでしょ。私は真面目」
そこで少女は、浮いた態度から一転、ぎろっと睨まれ、
(——う、)
悪寒が立つ。レインはぞくりと鳥肌が立ち、その少女が尋常から大きく乖離した存在だと改めて直感させられた。そしてレインの反応を見てか、ふうと、少女は息を吐き、
「じゃあ、一応聞くけど、お前、百年前の東西の戦いは知っているの?」
「はあ?」
何だ、いきなり。
「百年前って……第一次攻戦のことを言っているのか」
「ああそれ」
言われるが、百年前のことなど誰も知らないだろ、と思った。
一応、現在まで続く東西戦争の発端であるので歴史学で学びはする。しかし、過去と今では兵器や情勢が違い過ぎて学ぶ意味がない時代であるし、何よりも昔過ぎる。
——百年。
「知るわけないだろ、百年前なんて」
「むう……、最近の子供は無学でいけないわね」
「だから……」
子供って。
しつこいな。お前は、俺より年下だろ、と思う。
繰り返される——『子供』と言う発言。
「まあいい。この話は一回、放置」
エアは言いながら、
「いま大事なのは、私よりも、こっちでしょ」
胸元に手を入れ、取り出したのは、
「悪魔の、弾丸……」
「そう」
銀の弾丸。
「私の弾丸魔法を封じた弾丸——これの名前は、『悪魔の弾丸』」
銀器の様なそれは、妖しい光沢を放つ。
「そして、お前は今まで何度か使ってきたから、これにはどんな魔法が込められているか、少しくらいは察しているでしょ。どれだけ鈍くとも、さすがに三回も使えば、気付くはず。失望させないでよ、これは一応、お前を試している問い」
試す——とエアの言葉。
けれど、レインはその言葉の意味を真に理解できない。なので、何も意識せず、気負わずに答える。結局のところ、今までのことから判断するしかないのだから。
まず、一回目。
虐殺者ベルックを銀の弾丸で撃ち抜くと、世界が切り替わった。
二回目。
少女エアが教室で、ウィルソンを射殺し、レインは戦場へと戻された。
そして三回目。
たった今、エクセリアの敵機を撃墜して——ここにいる。
戦況が変貌し、敵の奇襲が終了した。
今まで経験してきたことから、薄々は考えていた。それでも、有り得ないという理性がその可能性を排除していた。しかし、今になってしまえば、確信できる。
レインは、
「この弾丸は——」
その正体を口にする。
悪魔の弾丸。
世界を切り替える——その弾丸の正体は、
「人間の存在を消す弾丸だ」
——少しの間の後。
「正解」
エアは答えた。
「そう、正確に言うなら『撃った相手の“全て”を世界から消す』——それが、この悪魔の弾丸に篭められた能力」
少女から発せられる、突拍子のない話。しかし、レインは口を開けなかった。
「これは、私だけの弾丸魔法。誰にも使えない、組まれた『規律式』をまねた所で誰も発動出来ない、私だけのオリジナル——唯一無二の魔法」
悪魔の弾丸——撃たれた人間の存在を消す魔法の弾丸。
「じゃあ、だから」
——記憶からも、消えた。
「ええ。それも、ただ人の記憶や記録から消えるんじゃない。それまで生きて来たこと、やって来た事すら全て消失するの。つまり、車を発明した人間を、この弾丸で殺せば、世界は車のない世界に作り変えられるし、もしAという人間を殺したBをこれで殺せば……Aは生存する世界に切り替わる」
『悪魔の弾丸』——その弾丸で殺された者は、世界から存在が消滅する。
そして世界は、「その人間が最初からいなかった世界」へと切り替わる。
「そいつがいなかった世界への切り替え——『再編成』が起こる」
「『再編成』……」
世界を改変する現象『再編成』。
そんなことを——目の前の存在は、言ってのけた。
「まあ今夜は、これくらいにしておくわ」
エアは踵を返し、闇夜の中へ向かっていく。
「おい、どこに」
「もう今日は帰る。私の目的は達したから」
「目的?」
「お前を見つけること」
またも、よく分からないことを言われた。
——見つける、俺を?
「アレストラ教導院に転入生として入ったのも、全てはそのため。まあ無能な将官をこの手で殺すというのもあったけどね。ここの基地だって、元の世界では、ウィルソンが無駄に戦いを長引かせて数百人が犬死してたけど、今では平穏なままだし」
いい仕事をしたわ、と言って、少女は去っていく。
けれど、レインはああそうかと、ここで逃がすわけにはいかなかった。当然だ。今まで起こった不可思議をただ口先で伝えられた所で、納得など出来るはずが無い。
レインは立ち去る少女を追おうと駆け出した。幸いにも少女はゆったりと歩く速度でいる。走り寄れば十秒と無い距離だ。すぐに追いつき、手が掛かる距離になる。
しかし、立ち止まらせるため、少女の肩に手を掛けようとした——その瞬間だった。
「——っ」
レインの身体が浮く。
そして、走り寄る勢いのまま、
「がっ、あ!」
投げ飛ばされ、背中から地面に叩き付けられた。そして、
「触るな」
全身の血が凍る——そう錯覚するほどに冷たい声がかかる。
「私は亡霊と言ってもね、お前たちと同じ肉体を持っているし、走れば疲れるし、汗もかくし、食べずにいれば餓死もする。でもね、だからと言って」
——触るな。
——私は、お前のような人間とは、何もかも違う。
断言する様に、はっきりと拒絶する。
そのエアの口調は、
(なんだ——)
レインに、わずかに違和感を覚えさせた。
(いきなり、こんな)
過剰な反応、とまで言っていいのかもしれない。これまで飄々とし、他人を小馬鹿に笑うような態度しか見せていない不思議な少女が見せた——ある種人間らしい反応。
(なにか——)
なにかあるのか。
エアは他人との距離が近付くことに、激しい拒否感を示す——そんな理由が。
「まあいいわ」
しかし、深く考える間もなく、エアはその違和感を瞬時に消した。
「すぐにまた会う。それまでに魔法を修練して、もっと戦闘に慣れておきなさい」
「待て、話を」
「あと女の子にもね」
「……」
「今度は下着だけで真っ赤にならないといいわね、レイン・ランチ?」
小馬鹿にする様な言葉を言い残して、少女は森へ消えた。
呼び戻された静寂の中は、風音すら響くほどに凪いでいた。
「……誰がランチだ」
昼ご飯じゃねーか。
ランツだ、ランツ。
「……ああもう」
取り残されたレインは、少女が残していった言葉を整理していく。
——亡霊
——悪魔の弾丸
——存在を消し、世界を切り替える弾丸魔法。
「なんだってんだよ」
アスリーが目を覚まし、基地に戻ることになるのは、それから五分後の事だった。
——降り続いていた雨が、少しずつ固まる。
どれくらいの間、逃げ続けていたか。
気力が途絶えた所で『銀の少女』は捕らえられた。
(——呪われろ)
暴れた。
瞬間、背中に冷たい銃口を突き付けられながら、
(呪われろ、皆、腐り切れ——)
少女の心を蝕んだのは、ひたすらに怨恨。
黒く、悍ましく、あまりに深く淀んだ、その感情は、
「いや、——嫌、やめて、イやああアアア!」
——悲鳴。
少女の叫び声が響く中、処刑人は引金を引いた。
ぼたぼたと。
撃ち抜かれた心臓が鼓動し、鮮血を押し出す。
白雪が——少女の血で、紅く染まった。
午後二時三十六分。
東国エンタル山脈における戦闘は、防衛側である東国側の圧勝で終幕した。
降伏勧告が出されたのが、同日、午後二時。
西国は苦渋の選択の上、全面降伏するに至った。最終的な被害は東国がエクセリア五機に対し、西国はエクセリア三十機の被害。中隊一つが潰されれば、当然の事だった。
捕虜として、西側の大将が現れた。
——ええっと、あれは誰だろうか。
ああそうだ、ウォドー准将だ。
将官クラスが戦地に直接赴くことは少ないが、このウォドー准将は戦地においてあまりに苛烈で優秀な指揮官であり、大敗したことが無い歴戦の武人だった。
東の国は幾度と無く、彼に煮え湯を飲まされ続けた。
ついた異名は『鬼洩のウォドー』
けれど、その彼は今、両手足を鎖で繋がれていた。誰かに殴りつけられたのか。頬は赤く腫れ上がり、負傷した片足を引き摺る。その様は、絵に書いた無力な老人——そうとしか思わなかった。歴戦の猛者でも鎖に繋がれれば、抱く印象はこんなものか。
「おうおう、鬼のウォドーも、ああなれば、ただのじじいだな」
「一応、敬意を払えよ、オルカ」
じっと、横のオルカを見る。
「あのな。ウォドー准将は、例え敵でも立派な武人だ。軽視していい存在じゃない」
「だってよー」
東の国は、学生兵も無傷で基地に戻っていた。
オルカも無傷で、気楽な様子で、
「悪口言うなって言われても、今日の戦闘は、さすがにあいつの判断ミスだろ」
「ミス……」
「そうとしか評価できない兵力差だったからな」
「ああ、まあ……そうか」
「ま、おかげで、こっちは被害ほぼゼロだけどな。あっはっは!」
学生隊は今回、出撃は五機——総員十名で構成された。
けれど、その十人の中に疲弊した人間は、一人としていない。
今回の戦いにおける勝利というのは、それほどに圧倒的な物だったのだ。
そう——。
それほどに、今回の戦いは、東国があまりに優位に戦況が展開された。
——作られたように。
「……オルカ、悪い、席を外す」
「ん、どした。これからは指示待ちで、その間は祝賀会だぞ?」
「宴会なんかしてんじゃねえよ」
「にしても、本当に大丈夫か? 前も、具合悪いとか言ってたじゃないか」
「……大丈夫だって、少し休むだけだ」
言って、レインは集団を離れ、一人、後衛のテント場に足を踏み入れた。
ここは単純に寝泊まりするだけ場所だ。この時間は誰もいない。
(終わった……今回も、無事に……)
レインは、担いでいたライフルを下ろした。
愛用のTKライフルだ。軍では採用されていないが、昔から名銃として名高い。
チャンバースライドを上げると、がきん、と鉄の?み合いが解かれる。排莢に伴って火薬の臭いが漂った。そして、ばらばらと薬莢室から転がった十個の薬莢全てに、
「…………」
人間の名前が、受印されていた。
つまりは、十人を討ち取った。
そして、その十個の全てが——『銀の弾丸』。
「便利に使っているようね」
突然の声だった。
はっとして振り向いた。
気配など無かった。
細心の注意を払っていた筈だった。
けれど——その少女は、
「お前……」
「久しぶり」
慄然として現れた。
「元気にやっているみたいね」
「……元気ではない」
「社交辞令よ」
さて、と言って、少女はすっと寄って来る。レインは反応すら出来なかった。間合いに踏み込まれると同時、あっと言う間に、腰に下げていた『布袋』をエアに取られた。
「な、返せ!」
「嫌よ」
布袋を取り返そうとする。
けれど、間に合わなかった。
「お試し期間の採点は、必要でしょ?」
エアが袋の中身を散乱させた。
それは重さにすれば、全て合計しても数百グラムにも満たない内容の物。
しかし、数に換算した時、膨大なそれらは、——
「は、はは」
二百を優に超えていた。
「あははははははははははははははは!」
——銀の弾丸。
この世に一種のみ存在する、銀色の弾丸——悪魔の弾丸。
その多量の残骸。
それは数百もの人間が消されて来た——唯一の物証であり、
「へえ、ここまで、大盤振る舞いに使っていたんだ! あはは! 悪魔の弾丸を、こんな短期間で、ここまで気持ちよく使った馬鹿は、初めてよ!」
レインが持っていたそれを見て、エアは哄笑した。
数百もの薬莢が地面に散乱し、一面に広がっていく。
「数にすれば——へえ、204。よくやったものね、前に会ってから、ほんの十日くらいしか経っていないのに」
エアが笑い上げる。そして彼女の言葉は軽い調子だが、全て真実だ。
「いい加減、笑い終わったか?」
「ええ。十分。死んでた分も、笑わせてもらった」
十日。この弾丸を手に入れてから、それだけの時間が経過していた。最初に与えられた五発だけでは無かった。元となる薬莢があれば、この弾丸は幾らでも増やすことが出来た。
それから——殺してきた。
殺し続けてきた。
戦場で。
「なぜ、今さら来た」
「いや、なに。もう少しこの世界の情報を集めてから行こうと思って、ここ数日は大図書館に篭っていたけれど、つい今朝、新聞の中に、こんな記事を見つけたから」
エアが、新聞を投げて来た。
そこには、大々的に取り上げられている記事があった。
『東国オルトメニア 劣勢だった戦況を一変
攻勢に転じ、四つの西国領土を奪還』
「ここまで国を——いや、歴史を変え始めた馬鹿は初めてよ」
二人だけの空間で、
「馬鹿とは随分だな」
「間違いなく馬鹿よ。ここまで突き抜けたの」
変わった。
たった、この十日で。
東と西を取り巻く環境は何もかも——それこそ、全てという全てが変貌していた。
四年前の開戦以来、東の国は敗戦の連続だった。しかし、十日前から連なる、わずか四つの戦場における攻防から急速な逆転を起こし始めた。
「いろいろしていたのは、知ってたけどね」
東国は好調を続けた。
局地戦で勝利を繰り返し、これまで奪われた領土の六つを既に奪還した。鉄壁を誇った西の陣形と防衛線は幾度と無く破壊され、東国はその劣勢を完全に塗り替えていた。
何故、急に勝利を得始めたのか。
新技術や戦術が功を奏したのではない。
そのことは明らかだ。
正体不明の逆転劇の理由を、数多くの学者や将官が求めた。
幾度と無くそれらしい結論が出たこともあれば、大仰な理論による仮説も多く唱えられた。けれど、彼らは知らない。真の解を知ることは決して無い。
この状況を作り出した正体は——一人の少年だと。
不思議な魔法の篭った——一つの弾丸だと。
「ここ三日だけでも、消したのは五十人、ってとこ?」
銀の弾丸——悪魔の弾丸の薬莢を片付けた後、
「暴れたものね。正直に言って、予想以上。普通は心を壊したり、その強力過ぎる能力に溺れて乱用して、あっさり死ぬものなのに」
少女は、ちらりとレインに視線を向ける。そこにいるのは、間違いなく少し前まで、ただの学生兵だった存在。跳ね返る弾丸が少し上手く使える——それだけの少年。
だが、
「……なんだ」
「いや、面白い眼になったわね、お前」
少年レイン・ランツは、獰猛な視線に変貌していた。いや、元よりその素質があったと思わせた。力に溺れたのではなく、理性的に力を制してきた者が持つ眼光だった。
そう——理性的に殺してきた。
二百人以上の将官を。
幾百もの人間の生きてきた証を消し、膨大な戦場をコントロールし続けて来た。
それが成し遂げ、少年が世界へ繰り返してきた干渉。
そして、その事象を把握できる存在は、この世界にはあまりに少なく、限定的だ。
当然だ。
気付ける筈が無い。
——『再編成』。
撃たれれば、今まで生きた痕跡は全て消去される。
殺された瞬間、最初から存在しなかった世界へと、切り替わってしまう。
誰もそれを——咎めることなど出来ない。
「で、だ」
レインは言う。
「今さら何の用だ、亡霊」
「別に」
「……」
いらっとしたが、
「……まあいい。あれか、俺の命でも奪いに来たってことか」
「はあ、私がお前を? なんで?」
「なんでって」
不思議そうな顔をするエアに対して、レインは、
「これは……悪魔の弾丸なんだろ」
悪魔——そう悪魔だ。はっきりと覚えている。この少女は、確かにこの弾丸に対して『悪魔』と口にした。そして言葉の意味は——そのままだろう。
「エア、お前が俺にこれを与えて来たって事は、その、悪魔の契約とか、そんな感じというか、力を与える代わりの、なんか、魂を取りに来たとか、じゃないのか」
「馬鹿じゃないの」
「……」
——耐えろ。
殴ったら、話が進まなくなる。
「この私を、そんな聖書の中でしか見ないような悪魔扱いしないで。私は常に最新型。それに、そもそもお前が言っている魂とかって、本当にあるの? 見た事ないんだけど」
「……いや、俺も無いが」
「でしょ?」
眉根を寄せるエア。
「ない物は取れないわよ」
「まあ、そうだろうが……」
「そういうことよ」
……そういうことなのか?
「けど確かに、お前が言う様に、無料のお試し期間は今日で終了ね。これからも使い続けたいなら、ここから先は私との『誓約(コントラクト)』になる」
「やっぱあるんじゃねえかよ」
なにが最新型だ。
「って、誓約?」
「誓約——内容は、弾丸を使う代償に、お前の全てを差し出すこと」
しかも、とんでもなかった。
弾丸の力と代償に、少女が要求したのは——全てを差し出せ。
それを聞いて、レインは、
「悪魔……」
「そうね。悪魔だし、亡霊」
またそれか、と思った。確かに彼女自身、何度も繰り返し言った事であり、この十日の間、何度も調べたが結局、分からなかった。
——亡霊。
「ああもう。この問答も、いい加減に飽きた。そろそろ詳しく話をしてあげる。これ程にトチ狂った銃撃手(ガンスリンガー)、他にそういないでしょ」
言い終わると同時だった。
エアは背中の白銃に手を当てると、それを抜き取る挙動を取った。
(——っ、)
レインも、ばっと反射的に、自身の銃に手を回していた。
考えるよりも早く抜き、少女に銃口を翳そうとする。
けれど、
「遅い」
エアは圧倒的に速かった。レインが水平に銃口を傾けるよりも迅速に、
「なっ」
「見せるのは、蒼い夢」
言って、彼女の放った弾丸は、レインを明確に撃ち抜いていた。
弾丸を頭部に受け、脚からガクッと力が抜け、レインはその場に膝をつく——。
(う……)
それは、朦朧とした景色。
辺縁のはっきりしない曇った視界。
しかし、数十秒くらい経った時だった。
少しずつ、淀んでいた世界が澄んでいくと、視界がはっきりし始めた。
(ああ、これは——)
記憶——これは『記憶』だ。
記憶を他人に見せる弾丸魔法『射影弾丸(レルミナンス)』。誰か記憶を弾丸に篭め、撃った相手にそのイメージを送り込む亜流の弾丸魔法であり、使える人間はとても少ない上級魔法だ。
レインは入り込んだその記憶の中で——「戦場」にいた。
(これは、誰の記憶……?)
戦争を追想している様だ。
火炎が巻き上がり、断末魔が空を裂き、走行する機甲車が敷き詰められた人間の遺骸を踏み潰している。旧型のエクセリアが、敵陣を切り抜け、何十機も冒進していた。
しかし、それは突然、現れた。
その敵機を破壊しながら、愉快に笑う『銀の少女』が。
(あれは……)
綺麗な少女。
映像の中にいる彼女は、あまりに鮮烈。
背に負った大筒を振るい、弾丸魔法を放ち、機甲車を次々に破壊していく。
死を体現する戦女神(ヴァルキリー)が顕現した様だった。
その勇ましい姿が、ただでさえ美しい少女の容貌を、さらに輝かせていた。
そして、彼女が敵機を壊滅させたことで、その戦争は終結した。
戦いは——終わった。
しかし、次に映像が切り替わった時、
(え……)
レインは絶句した。
『なぜ、なぜですか……!』
戦地で輝いていた『銀の少女』は、厳重な鎖で繋がれた状態だったからだ。そして重罪人の様に法廷に突き出された彼女は、
『私は戦った、全てを賭けて……!なのに、なんで……!』
軍事法廷で決議が行われた。
判決として突き付けられたのは——極刑だった。
『いや、——嫌、やめて、イやああアアア!』
判決の瞬間、少女は暴れた。暴れ狂い、咄嗟に近場にいた警邏の男の拳銃を奪い、即席の弾丸魔法で何とかその場は脱出したが、すぐに追手に捕らわれた。
白雪の上で、少女は泣き喚いた。
それでも、心臓を撃ち抜かれた。
処刑された。
映像の最後は、そこで途切れた——
「ぐ、あ!」
はっとして、レインは映像から覚めた。
心臓が早鐘の様に脈打っていた。ほんの数十秒程度の記憶の断片だったのに、レインはその額にぐっしょりと汗をかき、酒に酔った様に意識が酩酊し、
「これ、……は」
「ああ。そうね」
映像を見終えたレインに、
「これが私の記憶」
エアは告げる。
「改めて、自己紹介するわ」
少年——レインに。
「私はかつて東国ハーバラント陸軍に所属していた第一大隊の魔導士。今から百年前、軍部によって処刑され、その存在を弾丸に封じられた——亡霊よ」
——亡霊。つまりは、
「じゃあ、お前は、本当に」
「死んでいるわ。とっくの昔に」
淡々と言い放たれた——死んでいる、と。
「さっき見せた記憶の通り。私は殺された。心臓を撃ち抜かれてね。そして幾度か、お前の様な奴に拾われて、ここまで意識を存続させてきた——亡霊よ」
まあこうして蘇るのは二十年振りだけど、とエア。
そこに重苦しい口調などない。
怨嗟や怨念すらなく、本当に、一目見た時から変わらない程に、
「少し補足」
冷静だった。
「私の本名はエア・アーランド・ノア。魔導士として、十四歳にして学生隊から異例の昇進を認められ、1881年の第一次攻戦の決着戦において、五日間の防衛線を勝利に導いた指揮官だった。英雄よ、掛け値なし、国を救った——本物のね」
冗談だ、と、笑い飛ばすことは出来なかった。
なぜなら、レインは、今まさに、彼女の記憶を見せられた。
あの戦場では、初期世代のエクセリアが行き交っていた。年代から考えれば間違いなく一世紀前の技術であり、その戦場でこの少女は、あまりに美しく輝いていた。
けれど、それに続いた光景は、
「極刑……」
「ええ。私は殺された」
あまりに無残で残酷な結末——。
「自分の国から、正式な裁判で死刑台に送られたわ」
「なんで……」
「お前が見た戦いは、ここ百年の最初にして最大の最終戦争——アンバル攻防戦。そしてそれを勝利に導いた私は魔導士と言えど、……本来は『学生』という身分」
エアは続ける。
「当時の要人達は、未曽有の戦争の決着について、あまりに無知だったの。年若き——むしろ幼いまでの英雄なんて、軍部の恥部を晒すと同義だった。本来は戦力になるべきじゃない学生を戦わせていただけじゃ無く、そんな子供が防衛線を勝利に導いたという事実は、ただ戦後の戦争責任を煩雑にするだけ——それだけ、だった」
だから——殺された。
だから私は、死ぬ直前に、
「呪ったわ」
全てを。
——呪われろ、皆、誰もかも、腐り切れ。
そう願った。そして、その墨の様に黒く歪んだ情念の果てに、
「私という存在は、この弾丸に封じられた」
エアは胸元に下げていたアクセサリーを取り出す。
それは、悪魔の弾丸の様な銀色でなく、不気味な『黒色の弾丸』だった。
「この黒い弾丸に、私——エアという人間は封じられている。誰が、こんな風に私を蘇らせたのか、私の死体をどうしたのかも、全て不明、……そうね、さっきの話から繋げるなら、それこそ『魂』という存在がこの中には入っているの。そして処刑されてから三十年後……第二次攻戦が起こった時、私は再び、目覚めた」
「今から、七十年前……」
二次攻戦——。
「ええ。そして私は目覚めると同時、一つの性質を備えていることに気付いたわ」
「性質?」
そう、と区切って、エアは、
「聖書に出て来る、神に仕える『十人の神兵』達の話は知ってるわよね?」
「それは、まあ」
お伽噺的にしか知らないが、十人の神兵たちの話くらいは常識だ。
なにせ、幾つかの国名の由来にもなっている。
「あれだろ。神が自分の身を守るために、世界中の種族から代表を選ばせて、十個の神性が選ばれるって話……たしか、遠い東の島国の昔話にも、似たのがあるとか」
「ええ。じゃあ、その十人の種族ってあるわよね」
「確か——」
神兵十人の神性——。各国名の由来となったそれは『天人族(レノソイド)』『悪魔族(ベリアル)』『甲赫族(トラキセル)』『火真族(レントグラル)』『水精族(アキラル)』『岩皇族(ウード)』『飛翔族(ファラル)』『星霊族(ピクシー・オー)』『準神族(デミファーマン)』『真神族(エマ)』——の十個。
「そう。そしてその中の『悪魔族』の烙印に、私は気付いた」
腕のこれ、と少女。
彼女はずっと晒さずにいた『左腕』をがばっと捲り、
「それは……」
刻まれている紋様があった。
左腕に、黒く淀む、刻印の様なそれは、
「『悪魔族』のシンボル……私は魔導士として、人知を超えた一つの神性を得ていた」
神性——人知を超えた魔法を指す言葉だ。
そして、悪魔族の神性で作られたのが——悪魔の弾丸。
「悪魔族の神性である『消滅』は、強力の一言だったわ。弾丸魔法は生前も沢山作ってきたけれど、悪魔の弾丸は次元が違った。これは、神代の兵器だった。そしてその代償に」
言って、エアは目線を落とす。
そして、次に顔を上げた時、
「私は亡霊になった」
瞳が——変貌していた。
「——っ、」
レインはぞくりと寒気だった。
なぜなら、彼女の透き通るような銀色の瞳——先程まで、美しく色の抜けていた眼球が、墨を塗ったような黒色に染まっていたからだ。
黒——およそ人では有り得ない色彩。
その中心部では、紅玉の様に赤い虹彩が光っていた。それは、伝記や聖書の中でしか登場しない悪魔や吸血鬼——人ならざる者が抱える異形の瞳であり、
「この瞳の色も、一つの呪い」
エアは、
「亡霊として能力を使う時、私の目は『蜂縮』——赤く、黒く染まる。どれだけ正体を隠そうとしても、魔法一つ使ったらこうなるから、案外気を遣うのよね」
言って、あはは、とエアは軽く笑う。しかし、レインはその言葉の軽さでは紛れぬ程の動揺を受けていた。それほどに、少女の『蜂縮』という呼んだ瞳はあまりに異常だった。
逸脱し切った——人外の双眸がそこにはあった。
——信じるしかなかった。
この少女は——人間ではない。
「ともかく」
赤黒の瞳。エアは、その人ならざる異形の瞳を晒したまま、
「私は七十年前、最初に会った男に、その弾丸をくれてやったの。私は天才だったから、生きていた頃の経験で、どう使われるか分かった上でね」
生きていた頃。つまりは、エアが世界を呪う前の事だが、
「私は、この弾丸を色んな奴に託すことにした」
エアは、悪魔の弾丸を渡すのは、レインが初めてでないと言う。
つまり、これまでも幾度と無くあったという事だ。
人が消え、——存在が消されるという事が。
「だけど、どいつもこいつも、碌な奴はいなかったわ。人を消すことに怯える馬鹿か、能力に溺れて自滅するかの、どっちか。強過ぎる力ってのは駄目ね。頭を使わなければ、折角の能力も意味がない——そう思っていた、百年目のこと。レイン——お前が現れた」
そこで、一度言葉を切って、
「お前は、この戦争を終わらそうとしているんでしょ?」
エアは言った。
「それも穏便にとか、友好的にじゃない。圧倒的に、破壊的に、これ以降争うなんてこと考えられない位に、西の国を潰して勝つ——それが、お前の目的」
あはは、と、エアは繰り返し笑う。
レインは答えない。けれど、亡霊は笑う。
「いいわね、レイン。私には分かるわ。お前はただの学生兵じゃない——その恍けた面の奥にはあまりにどす黒く、いくら敵と言えど、何人もの人間の存在を顔色一つ変えず消せる程に残虐な本性がある。そしてその大本は恐らく、“何か”に対しての激しい憎悪?」
激しい憎悪。
煉獄の炎の様に巻き上がる——闇の収斂された復讐の火炎。
少年レイン・ランツが奥底に眠らせる物——。
「っ、」
ぐっとレインは耐えた。
抑えねば——溢れてしまいそうになる。
「まあともかくも、ね」
エアは拳銃をしまう。
「ここからは私との『誓約(コントラクト)』。このまま悪魔の弾丸を使いたいなら」
「……具体的な内容は」
「言ったでしょ。私に全てを差し出すこと」
エアは銃をくるくると回す。
「つまり、私がお前の『全てを決定する権利』を持つという事。私が行けと言ったらそこが地獄であろうと行き、撃てと言ったら親兄弟でも撃ち、鳴けと言ったら、その場でわんと鳴いて、——死ねと言ったら、死ぬ。そんな、ただの言いなりになること」
「そんなの……」
なにが、悪魔じゃないだ。十分に——悪魔だ。
「……あはは、まあいいわ。それらを含めて、考える時間をあげる。そうね……じゃあ、先に一つ命令をしておくわ。もし、私と契約を交わすなら、その命令を果たして」
悪魔との誓約——その魂と引き換えに、願いを。力をくれてやろう。
——そんな昔話でしか見ないこと。
夢幻の様な話と共に、エアはポケットに入れていた紙束を差し出す。
それは公共新聞であり、今日発刊されたばかりの最新版だった。
『和解交渉 失敗』
『交渉は完全に決裂 戦争は継続に?』
和解交渉が決裂したという記事だ。
写真には、東国と西国の要人が写っていた。
その中の一人は、二十代半ばの年若い士官——。
「一番右に写っているその優男は、アレクという西の武人」
アレク——。
「フルネームは……アレク・タンダ大尉。甘い顔をしてるけど、こいつは西の国で一番の出世頭で、局地戦が中心と言えど、劣勢だったここ一年でも、八つもの勝利を挙げた生え抜きの武闘派よ。そして、今日の交渉が決裂したことで、こいつは今度の中央戦に参加することになったと、この記事には書いてあるわ」
西の軍人アレク。それは東国にとって厄介な人材。つまり、
「これはあくまで、仮命令だけど、形式として言っておこうかしら」
——標的が決まった。
「命令。このアレク大尉を消しなさい」
銀色の弾丸。
その弾丸で撃ち抜かれた人間は——消える。
ただ死ぬのではない。
その人間に拠って生み出された功績、成果、結果も全て消え去り、それまで生きて来た痕跡と世界への干渉が全て消去される。もし英雄を生んだ母が撃たれたならばその英雄の存在は消え、銃器を開発した者が撃たれれば、その銃器が存在しなかった世界となる。
——再編成。
世界への切り替えを、あの少女はそう呼んだ。
そして、その弾丸を手にしたことで、レインはこれまで幾度と無く使用した。
死を振り撒く将官。
甚大な殺戮を繰り広げた敵将を討ち取り、世界を変え続けた。
人間を功績ごと消去する弾丸は、非力な少年にとって災禍であると同時に福音となった。
変えられる。
終わらせられる——そう確信する程の力を手に入れた。
「……」
教導院の中庭。
休憩時間に歩きながら、その手にしていた銀色の薬莢が重く圧し掛かる。
透き通るようなこの薬莢の表面には、葬られた者の名が刻まれている。
この痕跡は——絶対に明かすわけにはいかない。
この弾丸の正体だけは。
戦場で命を預けるパートナーのアスリーにですら——決して悟られてはならない。
(絶対に、……)
——アスリー。
機械兵器エクセリアの操縦者であり、レインと学校で訓練をほぼ共にする士官候補に珍しい女学生だ。基本的に我が儘だが、戦いになると卓越した技術で戦場を駆ける。
そして戦場での関係を排除しても——入学以来、無二の親友で在り続けている。
だからこそ、今の信頼関係のまま、悪魔の弾丸を使い続けねばならない。
悪魔の弾丸を手に取る。
心臓が、どくんと鳴る。
もし、この弾丸のことを誰かに知られた時、自分は破滅に至る。その重圧は覚悟していた筈だった。しかし、こうして弾丸を手にする度、自分が手にしている力の大きさに手が震え、身体がぞくりと冷える。けれど、この力は、決して手放すことは出来ない。
——何を犠牲にしても。
思っていると、
「あ、」
弾丸を手に思い詰め、廊下を西に歩いていた、その先だった。
廊下に出来た人垣の端に、件のアスリーの姿があった。
——が、
「アスリー」
「あ、レインじゃん」
「何やってんだ、ここ、三年生の教室じゃないだろ」
三年生は東側の教室だ。西のここにいる道理はない。しかし、アスリーを含め、廊下一杯に広がっている三十人くらいの人垣の多くは、三年生以上が集まったものだった。
「いや、私もさっき野次馬で来たんだけど、なんか、教室の中になにかあるみたい」
「教室の中?」
レインは人垣を見越すように、ぐいと背伸びした。
運良く、そのまま教室を覗けた。
教室の中で、生徒に囲まれている少女がいた。
エアだった。
「ぶっ!」
「うわ、どしたの!」
噴き出してしまった。しかし、どうか見間違いであってくれと何度見直しても、あの特徴的な横顔と髪色は間違いなく、亡霊の少女——エアだった。
「は、はあああああ!?」
「ねえ、なに! どしたの、中に何が!?」
服装こそ学院の物に合わせてきているが、それでも意味が分からない。
教室の中で、生徒にきゃっきゃと囲まれているのは、亡霊少女のエアだったのだ。
しかし、すぐにその場で何か行動をとろうにも、無情にも授業の時間が来たので、レインはそのまま教室に戻るしかなかった。気もそぞろに、授業を形だけ受けながら、
(なにやってんだ、あいつ!)
幾ら考えても、合理的な理由は考え付かなかった。
なぜ、亡霊エアが——いきなりやってきたのか。
——それから。
きっちり二時間が経過したころ。
「いってきまーす!」
「待てい」
「痛ったい!」
レインは足を出して、駆けだしたアスリーを転ばせた。
「って、なにすんの! 顔から地面に突っ込んだけど!」
「どこに行く気だ」
「どこって」
転ばしたことに特に怒らず、アスリーはよいしょと立ち上がりながら、
「あの転入生のとこに決まってるじゃん」
「……止めて良かった」
「えー、噂の転入生だよ? 別にいいでしょ?」
「よくない。少なくとも、今の時間だけは大人しくしててくれ」
「はあ? どういうこと?」
「どういう、って——」
他の誰に知られても——アスリーだけには。
パートナーである彼女だけには、エアの存在は絶対に不可侵であるべきだから。
(くそ、想定外だ、対策は——)
しかし、どうすればいい。
レインは激しい混乱の中にいた。
——昼の休憩時間。
朝にエアが二年生に転入してきてからこれまで、二回の休憩時間があった。
そして、その度にエアの所に行ったレインだったが、しかし、朝の時と同様、彼女を取り巻いていたのは、多くの生徒たちだった。特に、アレストラ教導院には一割もいない女生徒たちが、休憩時間の度、学年も関係なくエアを囲むようになっていたのだ。
きゃーきゃーと女子たちが騒いでいるので、様子すら伺うことができなかった。
全く近寄れないので、話も出来ない。
(なに考えてんだ、あいつ——)
なんにしても、エアがこうして学生としてやって来るとは、夢にも思わなかった。
しかし、どんな理由があろうとも、レインにとって、今の状況は決して喜ばしくない。
エアが既に、学校中の有名人となっていたからだ。
(どうすんだ、目立って——)
レインの教室内でも全員がその話をしているし、廊下を少し歩けば、噂の転校生の話が嫌でも聞こえて来る。今日の午前一杯、アレストラ教導院の話題は独占されていた。
——あの少女は、何者か。
それを教導院の全員が探っている。
無論、非常にまずい事態だ。
彼女は、普通の人間ではない。
魔術の元に蘇った亡霊であり、戦火の中で生きる存在だ。
それが、こんな形で目立って得する部分など、どれだけ考えても有りはしない。
それに、少女エアは、
(気紛れ、気紛れなのか……だが、あまりに無思慮が過ぎる……)
とにかく目立つ。
銀色の髪に、とても可愛らしい顔付き。
そんな子が鮮烈に現れれば、興味を持たない人間などいない。
あっという間に人気者になったらしい。いつ見ても記者に囲まれてるみたいになった。
ただ、
「不思議なんだよね、あの子」
毎時間、エアの噂話を集めることに勤しんでいたアスリーは、
「不思議?」
「うん。学校を案内するよって言ってもね、教室から出たがらないらしいの。お昼になってもずっと教室の中にいるから、まるで、誰かを待ってるみたいだって」
——待っている。
いきなり、出現した亡霊が——何かを。
(……駄目だ、何を考えても憶測にすらならない。どの可能性も合理性に欠ける)
熟慮したが、どうしても気になって、
「行くしか、ないのか……」
レインは、駄々をこねるアスリーを連れて、エアの様子を見に行くことにした。
向かった先は、二年生の教室——昼時なことも手伝ってか、エアの席の周りには話に聞いた通り、未だに多くの人がいた。そして、あの不愛想な少女が、一体生徒たちと何を話しているのだろうかと、耳を澄ませた瞬間、
「うわー、なにこれ、すっごい美味しい!」
「……」
——は?
「そうでしょエアちゃん。この学校って果物畑の近くにあるから、よく新鮮なのを学生に差し入れでもらえるの」
「えー、こんな美味しいリンゴ、いつも食べてるの!?」
「ほらエアちゃん。ブドウもどう?」
「うん!食べる!」
「甘いの好きなんだね」
「えへへ。普段、あまり食べれないから。ありがと!」
……。
…………………………。
「……誰?」
「いやだから謎の転入生でしょうよ」
「そうじゃなくて」
だから、とレインは、アスリーを諫めるように、
「あの、女生徒たちから、りんごやブドウを餌付けされながら、にこにこと楽しそうにしているあの銀髪少女は一体誰なんだという話をしているのだ」
「のだ、って言われても」
どしたの急に、とアスリー。
「どしたというか、あいつ」
「あいつ?」
「ではなく」
レインは、嬉しそうにリンゴを齧る少女を再確認する。
そして、恐らくはエアだろう、にこにこ笑顔の生物を指差しながら、
「あの——銀髪の転入生、ずっと、あんな感じなのか」
確認せねばならなかった。
なんだあれ。
「レインが何を錯乱しているのか分からないけど、私が聞いた限り、もの凄く人当りの良い子らしいよ。話の受け答えもうまくて、反応が良くて、その上、誰が話し掛けても、可愛らしくずっとにこにこしてるから、みんな一発でメロメロになったみたい」
……余計に分からなくなってきた。
朝に見た時には気付かなかったが、どうやらエアは何処かで頭を打ったか、全力で猫を被ることを決めたらしく、先日会った時とは正反対の性格で集団に馴染んでいた。
前に会った時は、一度として笑わなかった癖に、今は周りの人間を骨抜きにしている。
なまじ顔立ちが良いだけに、効果は同性にも抜群の様だった。
……いや、本当に誰だよ。
やるにしても、猫かぶり過ぎだろ。
——しかし。
既に表面上は親しくなったであろう、取り巻きの女子の一人が、
「ねえノアさん。この学校には、二つの演習場が——」
言って、ふと、ノアの肩に手を掛けようとした。
悪意など勿論ない行為。しかしあの少女に対して『触る』という行為は、
「——っ、」
その行動を認識した瞬間、レインの共覚質が近未来を観測した。
それは、
(っ、——)
エアが腰元の『銃』に手をかける光景だった。
以前、エアに触れようとして地面に叩きつけられたレイン。
それから思い出されるのは——エアは他人から触れられるのを異常に嫌がるということ。
(あいつ、撃つつもりじゃ——)
まずい。さすがに肩に触ろうとしただけの女生徒を殺させてはならない。
レインは反射的に教室に踏み込んでいた。
その行動が迂闊だった。
「あ」
ばっちり目が合った。
人垣の隙間から、エアと。
(しま、——いや、いいのか、でも)
目が合った。エアはそのことで拳銃に手を掛けるのを止めたことは止めたが、果たしてその結果が良い事なのか、悪い事なのか、判断を下す前よりも速く、
「おっそい」
たん、たたん、と。
取り囲んでいた人垣を、軽業師のように飛び越してきたエアは、
「耳が割れるとこだった。もう少し、早く会いに来なさいよ」
エアの行動に、場の空気が固まる。続き、周囲の視線が二人に集まる。一方のエアは、そんな周囲の様子など微塵も感じ取っておらず、
「……? どしたの?」
聞いてくる。その様子にアスリーが
「なに、レイン、この子のこと、知ってるの」
「知っては、いや、……少し、?」
「ねえ」
エアは構うことなく、
「さっきから、コソコソと、何を言ってんの……って、ん?」
その時、ようやく、エアは、自身を取り巻く環境に気付いたらしい。
ぐるりと首を回すと、
——幾人もの目線。
「ああ」
察した少女。
猫を被って愛嬌を振舞っていた自分が、今、いかに注目を集めているか理解したのだ。
「——へえ」
エアは笑った。
「なにって」
彼女の作り出した笑みは、いたずらっ子の様だった。
「レインに会いたかったから、私、ここまで来たんじゃない」
きゃー!と歓声が上がった。
女子たちからだった。
一方、レインは、
「ひっ」
ぞくりと寒気立っていた。
理由は『殺気』——取り巻きの男たちが、自分に銃口を一斉に向けていたからだ。
昼休み。
「なにがしたいんだお前は!」
「うっさいわね」
聞こえてるっての、と不貞腐れた返答。
中庭に設置されている私書棚の物陰に引き摺ってきたことに対して、エアは不機嫌になっていたが、本当に声を上げたいのは、こちらの方だった。
「私としては面白かったわよ。三十人近い人間に銃を向けられながら、ひいひい逃げ回っているお前の泣き顔、潰れたリンゴみたいだった」
「まだ追われてる最中だけどな!」
士官学校は、極端に女子が少ないことから、少数個体の女子と良い仲になると嫉妬や逆恨みで攻撃されることはよくあるが、可愛らしい転入生に最初から相手がいたということが、エアに見惚れていた彼らの逆鱗に触れたらしい。
事実はどうでもいい。
ただ、美少女が転入してくるというイベント。
もう少しは夢を見させろ、と。
レインは怒りに身を染めた男子生徒三十人に追い回される中、けらけら笑って傍観していたエアをなんとか回収し、こうして身を隠して話をする状況を作っていた。
学生と言えど、魔導士三十人に追い回された疲労は並では無かったが、
「で」
息を切らしながら、
「まず、なんだあの猫かぶりは」
「愛嬌を振り撒くくらい当然でしょ」
「……」
違う。
限度があるという話をしているんだ。
「……まあいい。俺から見れば気味が悪いだけだが、害はないからな。ただ、この質問にはきちんと答えろ。なんでここに来た。合理的な理由を言え」
「最初に言ったでしょ。お前に会うためって」
「ただの嫌がらせで言ったことだろ」
「事実は事実」
エアは、
「確かに、あの状況でお前を全力で困らせたいから言い回しを調整したのもあったけど、でも、理由の根本としては、あの場で言ったことに嘘は無い」
——『レインに会いたかったから』
——『私、ここまで来たんじゃない』
「悪魔の弾丸を使う以上、少なくとも、野放しにしておくには、私の方が危険。お前が私と契約を結ぼうと思った時、近くにいる方が都合がいい」
「……どうやって、この学校への手続きや経歴を偽ったんだ」
アレストラ教導院は国立の士官学校だ。
軍部として規律が絡む以上、詐称は殆ど不可能に近いはずだが、
「お前が思う以上に、世界はしっかりしてないわよ」
「……」
「幾らでも方法はある。最初にお前に会いに来た時も、別の方法だったし」
軽々と言い終えて、エアは退屈そうに腕を組む。
まるで自分の言うべきことは言ったという態度にイラっと来たが、
「うわ、連れ込んでるよ」
上からの声。
顔を上げると、そこには、
「転入生の子、やっぱりレインの知り合いだったんだ」
私書箱の上からこちらを覗き込んでいたアスリーが、ひょいと降り立って、エアとレインの間に割り込んで来た。狭い空間の中、レインに背を向けたアスリーは、エアと向かい合うような形になる。そして、背の低いエアを見下ろしながら、
「で、あなた、誰?」
「おいアスリー、ここは」
「レインは黙って」
アスリーは手で制して、エアに一人の人間として向き合う。そして、教室で猫かぶりを貫いていたエアは、噛み付くようなアスリーに対して、
「へえ、アスリー」
反応を示した。
「なるほど、ね。前に戦場で見た時の、あの子供……そうか、繋がった。さっきレインが追い回されている時に『アスリーがいる癖にふざけろ』と言われてたのも、そゆこと」
世界の切り替わりを認識できるエアは覚えているが、認識が出来ないアスリーは、この不思議な少女のことを目にするのは初めてになる。認識の齟齬が生まれていた。
一方通行な関係。
悪魔の弾丸が生み出す、独特な現象の一つ。
当然、アスリーはエアについて、何一つ知る所は無い。そして、エア本来の口調に、
「ん、なんか、さっきまでと感じが違くない?」
「さあ?」
「うわあ……演技だったんか、あれ」
「騙される方が悪いのよ」
言って、ふんと鼻を鳴らすとエア。
「まあ、いいや。士官学校だから強かな子は沢山いるしね。で、あなた、誰?」
「自分から先に言えば?」
「私はアスリー・マグメット。三年生で、レインの相方だけど?」
「そんな私が、お前に、名乗らないといけない理由って?」
エアはわずかに語調を強める。しかし、
「いや、こんなチビ子が、レインに会いに来るって何なのかなと」
「チ、……!」
一転。
雰囲気が変わった。アスリーは、未だきょとんとしながら、
「妹……じゃないよね? でも、いくら魔導士でも、こんな小等院に通ってそうなちんちくりんな子が、いきなり士官学校に来るって、」
「ちんちく、……!」
「あ、学校見学か!」
「……こ、こいつ!」
のほほんとしたアスリーと、暴言に近い言葉に身を震わせるエア。
そこでレインはようやく気付いたが、アスリーに悪意や害意と言った黒い感情は全くなかった。ただ単純にエアという少女の存在が気になっているというだけらしい。
「……喧嘩売ってるなら、無駄よ。私は」
「喧嘩? 誰と誰?」
「私とお前、しか、いないでしょ!」
アスリーにしびれを切らして、エアが完全に身構えた。
その時だった。
『全生徒、速やかに武装解除しろ』
それは、
『繰り返す。三年生の級長として、オルカ・ダンドロスが指示する。三年生以下の生徒、すぐに武装解除しろ』
「これ……」
「オルカ?」
級長のオルカによる放送だった。その内容は、現在、レインを滅しようと血眼になって校内を練り歩いている、男子学生たちに対しての物だった。
『あー、まあ、いま暴れている奴の気持ちは分かる。ただ、規律のない力は士官学生だとして憎むべき暴力だ。すけこましのレインにムカつくのは当然だが、それでも、一方的に処理するのは良くない』
「オルカ……」
なんか悪口も混ざってた気がするが、それでも、ありがたい指令だった。
級長が公令を告げた以上、これで、レインを追うことは明確な違反と——、
『なので、ちゃんとしたルールと場を与えよう』
「は……?」
『三年生以下は、午後は二時まで空いているだろう。参加に一切制限は設けない。金を得たいやつ、ムカつく奴を地に這わしたいやつ——今から、三年生の教室に集合しろ』
三年生の教室に集合。そこまで言って、放送は切れ——
『あ、レイン、お前だけは強制参加だ。来なかったら殺す』
それを本当に最後に——放送は切れた。
「えー、突然だが」
十分後。
指定された教室には、四十名近い士官学生が一堂に会していた。
「良い物が手に入った。俺が預かってきたのは名銃“セントラ”だ」
教室中がちょっとざわつく。
名銃“セントラ”——。
「言わずと知れた古式の自動拳銃だな。しかも、実用的に使うのは勿論、アンティーク物の価値としても、これはそれなりだ。刻印は慶歴1822年で、初代版のプレミア品になる。物の価値を知っている貴族なら、ぽんと八十万は出すだろう」
教室中がさらにざわつく。
八十万。
それは学生にとって間違いなく大金。
……教室中が、ごくりと唾を飲む。
オルカはその注目に満足げに頷く。
そして、
「これは、先日亡くなられたリスマ少尉の形見だ。リスマ少尉は立派な方で、自分がもし死んだ時は、この銃を未来ある若者に託してくれ、と言い残したそうだ。で、後輩の俺達の所にやってきたのだが、分けようにも、あいにくこの銃は一つ……で、だ」
オルカは言う。
「お宝争奪戦の始まりじゃあああああ!」
「「「うおおおおおおおおおおおお!」」」
教室中が喚き立った。
オルカの前口上が始まる。
「ルールは単純! これから三十分間、この教導院の本館を範囲にして、参加者全員による集団模擬戦を行う! 使用するのはもちろん模擬弾! 撃たれた者はその箇所が身体の何処であろうと失格! 三十分後、撃墜数が多かったトップ4で決勝だ!」
「いつものルールだな!」
「そうだ!」
参加者たちも全員ノッて来た。
「なら、騙し討ちも!」
「あり!」
「チームを組むのも!」
「あり!」
「裏切るのも!」
「大ありだあああああ!」
通称、弾丸デスマッチ。
この学校に古くからあるゲーム。
模擬戦のために威力を落とした、弱い弾丸魔法によるデスマッチである。
本来はもう少し重要な決め事をしていて、意見が割れた時に使われる最終手段なゲームなのだが、クラス代表のオルカが血の気が多くて頻繁に開催される。
「あと言うまでも無いが、このデスマッチにおける肉体の負傷、物品の破損は、その程度が基準を大幅に超えない限り、全て加害を受けた本人に責任が帰属する」
「つまり?」
オルカは、
「ムカつく奴を半殺しにしても問題なし」
「「「うおおおおおおおおお!」」」
「いや問題はあるだろ!」
レインは叫ぶが、声はすぐ掻き消えた。
参加するのを強制されたので、レインも参加となった。
やる気は少なめだが、参加者のおよそ半数は自分を殺しに来ている。
弾丸デスマッチは形式こそ模擬戦であるが、実態は校則にも禁止されている私闘に近く、 こちらが気を抜けばそれこそ手足を粉砕されても何らおかしくない。
賞品よりも、制度を笠にして、恨みを晴らせるシステムを利用する参加者も多い。エアに見惚れていた集団は間違いなく徒党を組んでくる以上、悠長に構えてはいられなかった。
それに、周囲を見ると、
「八十万、八十万、……」
「返せる、返せるぞ、利息付きで膨らんだ二十万、ふ、ふほ……」
(……ううむ)
売り飛ばす気の奴しかいなかった。
上官の遺品を。
クズしかいねえ。
「いや、お前ら話を聞いてただろ」
準備時間。
デスマッチ開始の配置に着こうとするクラスメイト達に、
「あの銃は遺品だってのに、売り払ってどうすんだよ」
「「黙れ」」
エクセリアでコンビを組むケンスとウォリアは、
「情で財布が膨らむか」
「恩で買える物があんのか」
「真っ直ぐな目でなに言ってんだお前ら」
守銭奴の眼だった。
「あと言っておくが、隙あらばお前をボコボコにしてやるからな、レイン」
「アスリーの件は、正直入学の時からずっとだし、まあ、互いに一途ってことで大目に見ていたが、そこに今日の、押しかけ美少女——一度は死んでいいだろ」
「二度目があればな」
レインは周囲をぐるりと見渡す。
四十名の内、すでに十名くらいは、狙いを完全に自分に見定めて位置取りに動いていた。
ああもう、駄目だこれ。他の奴らも含めて、どうにもなんねえやつだ。
「じゃあみんな、一分後の自動号砲でスタートな」
オルカが仕掛けを置き、全員が敷地内に散り終わると、ばんと号砲が鳴った。
遺品と、私怨を掛けた弾丸デスマッチ——。
スタートだった。
「……、隠れるしかない」
スタート直後、レインは魔導士としての体力を全力で消費し、逃走に全てを費やした結果、誰にも見られることなく、図書館へ入ることに成功していた。
この時間、資料室とも連携の無い図書館は、無人で過ごすことが出来る。
弾丸デスマッチは参加者自体がチップであり、最終的な討伐数で決勝戦に進める四名に入ることが出来る。そしてそのカウントされる数は、自分が倒した者だけだ。
つまり、逃げや隠れは有利にならない
隠れて生き残ろうと、誰も倒さないと0点で負ける。
なので、割と全員が、積極的に殺しに向かう。
最後まで隠れるのが有利な通常のデスマッチとは僅かに異なる。レインを最初に付け狙っていた集団も、見つからないとなれば切り替えて通常戦闘に戻るだろう。
そして、身を隠して十分が経過し、身の安全を確信してから、
「……時間は、あるか」
レインは本を探していた。
それは昨日の出来事——。
『私は処刑された』
少女——エアの言葉。
真偽のほどは決して分からないし、理解してやる義理も無い。
けれど、あれだけの話をされ、今日になっていきなり転入してきたとなれば、あの謎の少女の身の上に関して、これ以上、放置は出来なかった。
調べたのは戦争記録だった。その大まかな内容は、国立で資料豊富なこの教導院の図書館でも読むことが出来る。そして、百年前の戦争について調べたが、
「……くそ」
やはり、少女『エア』の名前は無かった。
判明しているのは、百年前、最終戦争は東国の驚異的な逆転で終戦したこと。
理由は書かれていない。
残されているのは、東の国は敗戦を逃れたという記述だけだった。
(情報が消されている……)
改めて焦りが募る。なにせ、レインはあの少女から一つの決断を迫られている。
『命令よ。このアレク大尉を消しなさい』
アレク——彼は西の若い武官の中でも生え抜きの一人とされている。悪魔の弾丸の力を持ってしても討ち取れる確証はない。彼が軍勢を率いて攻勢に移る時期は明確でないが、恐らくは一か月以内——。その間にレインは、重大な決断をしなければならない。
悪魔の弾丸を手放すか。
それとも『誓約』——銀の少女に全てを明け渡し、弾丸の力を持ち続けるか。
(——何か策を考えないと)
思った時だった。
「ここかー!」
「っ!」
ばん、と図書館の扉が開けられた。
アスリーだった。
その手にはライフル銃が握られていて、どうやら普通に敵を探しに来たようだが、
(あ、でもちょうどいいか)
アスリーには、エアとは別に話があったのだ。
二人きりだ。ここで話してしまおう。
「おいアスリー、ちょっと話」
ばん!
「うおば!」
弾丸が飛んできた。
——怖っ!
顔すら向けずに撃ってきやがった!
「ちょ、待て、俺だ! レインだ!」
「……ん、レイン?」
アスリーは、その時ようやくこちらの顔を認識した様だった。
しかし、銃を下げない。
撃鉄を起こすアスリー。
「なに、命乞いなら、あの世で聞くけど」
「歴戦の傭兵か」
かっけー台詞だな。
「違う。前から話そうと思っていたことがある。聞いてくれ」
「はあ、何を?」
「真面目に聞けアスリー。大事な話なんだ」
「もし見逃してくれってんなら……って、え?」
その時だった。
「大事な、話……?」
止まるアスリー。
下ろされる拳銃。……チャンスか?
「ああ。前からしようと思ってた。大事な話だ」
「だ、大事……」
ぴく、とアスリーの反応が変わった。
「……大事、…前から……レインが、私に……」
呟いた後、
「……あのさ」
「なんだ」
「それって、私と、レインの、その……」
言葉を止めて、
「今後の関係について、とか?」
「ああ、よく分かったな」
勘が良いな。さすがアスリー。
「うん、そういう話」
「二人きりじゃないと、出来ない……的な?」
「まあ、その方が俺はともかく、アスリーにとっていいんじゃないかと思う」
「……っ!」
そこでアスリーは銃を下ろすと、
「ちょ、ちょっと時間もらってもいいかな!」
その場に抱え込み、持っていたコンパクトで髪を整え始めた。せっせと乱れていた髪を梳かし、かいていた汗をハンカチで吹き、髪留めの位置を調整する。
こういう動作を見ると、アスリーも女の子なんだなと思う。
気は強いが、銃器など似合わない可愛らしい少女だ。が、
(急に何してんだ……?)
身だしなみなんて整える状況か?
まあいいけど。
デスマッチの奴もいないし。
「ご、ごめんね。待たせちゃって!」
赤み掛かった長髪を小奇麗に纏めて、アスリーがちょこんと座る。
「で、ナニカナ!」
「……なんで片言?」
「いいから! で、なに、ち、ちなみに私としては、ストレートな言葉が好み!」
「ああ、それなら」
レインは要望通りに言う。
「ペアを解消してくれ。俺、アスリー以外の奴と組むことにしたから」
「………………………………………」
「一応、きちんと言うのが筋と思ってな」
「…………………………………………………………………」
ペアというのは、戦場での砲手と操手の関係だ。
入学以来三年、これまでずっとアスリーと共にいたが、事情が変わった。
亡霊エアが現れた。まだ決断出来ていないが、仮にエアと手を結ぶことになった時、アスリーをそれに付き合わせることになる。並の操者ならそれでいいが、アスリーは軍内でもトップクラスの技術を持つ操者だ。兵力として遊ばせるわけにはいかない。
早めに新たなパートナーを決めて貰った方が、彼女の為になる。
しかし、
「……あ、あのさ……」
アスリーは、返答までに結構な時間を掛けてから、
「そ、それって、なんで……かな?」
「いや、なんで、って言われても」
どう答えるべきか。
大前提として、誰であろうとエアの事は話すべきではない。前にエアは教室まで来て悪魔の弾丸を使用しているが、世界が切り替わり『再編成』したことで、もうその記憶は誰にもない。まだエアと手を組むか決めてはないが、今は、回答はぼやかすしかなかった。
「アスリー以外の奴で組みたいのがいるんだ」
その時だった。
どん!
「……へ?」
衝撃波が、耳の横をすり抜けた。
同時、ばりんと割れる音がする。
放たれた弾丸が、
「ひっ」
後方のガラスを破壊したのだ。
レインは思わず悲鳴を上げた。
アスリーが——撃ってきたのだ。
「びっくりだよ」
紫煙に捲かれて、アスリーは、
「付き合う前から別れ話なんて」
「びっくりしてんのは俺の方だ!」
なんで撃たれたんだよ!
ほんとに馬鹿か!
訓練用の弱い弾丸だが、近距離で当たれば骨も砕けるって知ってんだろ!
「ああ、大丈夫だよレイン」
「なにがだ」
「今の実弾」
——言われてみれば。
アスリーはここに入ってきた時と逆の手で、ライフルでなく、拳銃を構えていた。
つまり自前の銃。
護身用に使う正真正銘の本物。
……なにが大丈夫なんだ。
「ねえレイン。こんな話を知ってるかな?」
「な、なんだ」
依然、アスリーは銃を突きつけながら、
「あのね、とある国ではね、浮気者は重ねて四つにしていいんだって」
「浮気云々はともかく……四つって、ああ、浮気した奴と、その浮気相手を重ねて真っ二つに斬っていいってことか。へえ、上手いこと言ってるな」
「うん。だからね、レイン、その新しいペアを組むって人、ここに連れてきてよ」
「へ、なんで?」
「なんでって」
一呼吸。
「重ねて穴を二つ作るから」
「怖!」
「って、レイン、なんで! なんでいきなりそんな話!」
少し正気に戻るアスリー。
「入学から今まで、ずっと一緒にやってきたじゃん!頑張ってきたじゃん! それなのにいきなり別の人ってなに!? 意味わかんないって!」
「いや、今更だが、それ、あまり良いことじゃないだろ……」
「うぐっ」
今まで言わないでいたが。
元々、エクセリアに搭乗する正式なペアなんて物は存在しない。戦地になれば誰とでも一定の仕事が出来なければならない性質上、ペアを固定する事に意味はないからだ。
ただレインとアスリーは僅かに特殊で、学生でも十分に戦力になることから認められてきた環境と、本人たちも億劫なので特に変えようとはしてこなかった。
なので、独立するには、ちょうど良い機会だろうとも思えての提案だった。
「う、ぐ、どうしても、解消しなきゃ、だめ……?」
「アスリーも本格的に腕を磨くなら、そうした方がいいだろう」
「それは、まあ……うん、分からないけど」
「分からないのかよ」
「レインの相手って誰?」
「え……」
「あの、女の子?」
アスリーが言及している対象は、
「そう、あの、銀髪で——綺麗な、子」
紛れもなくエアの事だった。転入騒ぎが起こった当日にペア解消の話をされればそこを穿つことは当然だろう。けれど、
「——関係ない」
答える。
「この話自体は前から考えていたことだ」
「でも、しばらくは誰かと組むんだよね」
「それは」
——まあ、確かにそうだ。
アスリーの代わりは、考えてなかった。クラスの誰かに頼むにしても、元々学生隊として招聘されるのは一応上位の学生に限定されている。その中で手軽に頼めるとなると、
「……オルカ?」
「分かった」
「なにが」
「奴さえ消えれば、この世界は平和なんだね」
言うが早いが、アスリーは図書館から出ていった。弾丸デスマッチの途中なので流石にオルカの生死に心配いらないだろう。……いらないよな、大丈夫だよな。
しかし、
『奴さえ消えれば、この世界は平和なんだね』
アスリーの残した言葉が、不思議と胸に刺さった。
間違いなく比喩である。
そう分かっているのにも関わらずに、だ。
——人を消す。
その言葉の意味が——痛く。
タイムアップとなった。
「とりあえず、決勝通過者の発表な」
集合&結果発表場所は、教導院の中央広場。
「と言っても、生き残り自体が四人だから、自動的に決定になったがな。一位は俺、オルカ・ダンドロス。撃墜数8の断然トップだ。悔しがれ愚民ども」
「死ね!」
「筋肉ダルマ!」
「ハゲ!」
「おーい。他は良いが、最後にハゲ言ったの誰だ殺すぞ」
ヒール役が似合う男だった。弾丸デスマッチで五回に一回は優勝するオルカは、級長であれども、こういう時の顰蹙はそれなりに買う。決勝にも大抵楽勝で進出するのだが、しかし、今日の彼は少し疲れている様だった。何故なら、
「二位はアスリー・マグメット。撃墜数6……だが」
「フー!……フー!……」
「タイムアップ後も俺を狙ってくるので、女子たちに抑えて貰ってる」
オルカは親指で指す。その先には、女子たちに腕を抑えられているアスリーの姿があった。目は血走り、口に嵌められた猿轡の端から呻き声が漏れ、
「なあレイン」
「ん?」
横にいたオルカが小声で聞いてくる。
「なんでアスリーは狂人化してんだ。俺、デスマッチの間、ずっと追われてたんだが」
「今日は天気いいからな」
しれっとレインは答えて、
「……まあいい。三位はレイン・ランツ。撃墜数2で、ちゃっかり進出」
「死ね!」
「死ね!」
「死ね!」
「他になんか悪口言えや!」
同じ悪口でもオルカとの差に普通に落ち込むが、級友の怒りも理解できなくは無い。
今回はアスリーが暴れまわって、決勝に行けたのは本当に幸運だった上に、なにより報復攻撃を一度も受けることなくゲームが終了すれば反感は大きい。
しかし、そんなレインに向けられる熱量すら——
「そして、同率の四位——二年生のエア」
オルカの言葉に続いて、
「いえい!」
「「うおおおおおおおお!」」
転入したばかりの美少女の笑顔と、男子生徒の野太い歓声が消し去った。
表モード——再び元気な美少女に戻ったエアが、感謝の言葉と共に手を振ると、級友たちから熱い歓声と拍手が飛び交い、わいわいと場が一気に盛り上がるが、
「……おい」
横に並んでいたレインは、小声で耳打ちする。
「いつまでその演技続けるんだよ」
「いいでしょ。受けはいいみたいだし」
「というか、そもそも、なんで参加したんだよ。銃なんて興味ないだろ」
「暇だったから」
基本的に参加は自由であるため誰もが参加できるが、転入してきたばかりのエアが参加を表明した事には、レインを含め、誰もが驚いて、目を丸くした。
しかし、真に驚くべきは、その後だった。
エアはデスマッチに参加すると、制限時間の最後に帳尻を合わせるように適当に二人を討ち取り、決勝戦に進出を決めたのである。
……本当に何がしたいんだ。
「おいレイン。結局、その子は参加で良いのか」
「ああ、やる気はあるって」
「しかし、大丈夫か? 決勝に来たと言っても、下手すれば怪我するぞ?」
「大丈夫だろ。猫被ってるが、こいつ多分、ゴリラにも素手で勝てるし」
ごん。
「痛てえ!」
「ふん」
エアに膝を蹴り抜かれた。
「なにすんだ!」
「そっちがぶつかって来たんでしょ」
エアが鼻を鳴らして、
「……まあいいか、じゃあ残った俺、アスリー、レイン、エアで決勝をするぞ」
内容は弾丸デスマッチの花形とされる四立戦で、平地における四つ巴。
つまり、一対一対一対一。個別の弾丸魔法の使用も認められ、一回戦の時よりもかなり危険度が増す。時間は無制限で、攻撃が有効と判断されれば、それで決着となる。
「ちなみに平原なのは、レインの弾丸魔法を封じるためな」
「狡い奴だな!」
薄々は気付いてけど!
跳弾する弾丸『幻硬弾』をレインが好んで使う事は、既にクラス全員が知っている。
そして跳ねる弾丸は、障害物がある程度置かれている場所でこそ真価を発揮する。
この様な平地では、使いようが無い。
「く、正面からずるい真似を……幻硬弾ならお前らも使えるだろうに」
「使えても制御できるか、あんな危ない弾丸」
「……まあ、いいよ、平原で」
「よし。じゃあ、そろそろ開始な」
オルカの合図と共に、準備のため、拘束されていたアスリーが解放される。
暫く押さえつけていたので、さすがに大人しくなっていたが、
「……」
無言ですくと立ち上がるのが逆に怖かった。レインは流石に何か一言かけようと思ったが、彼女からの殺気があまりに鋭すぎて、口きいたら殺されると思った。
「さて、準備は良いか」
装備の確認。
アスリーは小回りの利く自動拳銃WR。
オルカは無名のショットガン。
レインは、いつもの通りのリボルバーBB77。
エアは、背に担いだ二つの内、型も不明な中型ライフルをその手に持った。
——弾丸魔法。
多種多様に分岐し、得意とする魔法の種類は多岐に渡る。
そして、オルカが宙に向けて合図の弾丸を放とうとした時、レインは、
「ああ。オルカ。開始のピストルは俺が撃つよ」
「ん、別にいいが、なんでだ」
「俺はリボルバーだからそのままだが、オルカは拳銃から持ち変えないといけないだろ」
「まあ、確かに」
じゃあ頼むわ、とオルカからピストル係を受ける。
そして、
「じゃあスタートな」
レインは弾丸を宙に放って——ばん、と鳴った。
決勝が開始される。
瞬間、場全体を覆ったのは手元すら見ることの及ばない光——『白光(オゼツト)』だった。
レインが発動した弾丸魔法。リロードは誰よりも早く、連射に耐えうる魔力に裏打ちされる環境への干渉魔術。持続時間は三秒と無いが、それでも——。
アスリーの背後へ、その身を走らせる。
銃士にとって利き手後方は完全に死角であり、それは魔導士の戦いでも例外ない法則だ。しかし、奇襲の二発目を放とうとした刹那、レインの『共覚質』が、
「う、」
ずっ、と足を止める。そして制動した場所に、岩盤すら引き裂く莫大な『電気』の濁流が降り注いだ。一歩踏み込んでいれば直撃の必置——弾丸魔法『回高電(リビルダス)』。
「良い勘してるね」
アスリーが得意とする、初級の弾丸魔法。
エクセリアが専門であるため、全て基礎的である一方、平凡な弾丸魔法でも強力な威力にまで昇華させている。しかし、彼女が放った紫電が散るより早く、
「あ、しまっ」
「遅いぞ」
レインは、彼女に踏み込んだ。
魔法は無い。純粋な格闘術。拳銃を後ろ手に、一歩引いたアスリーの胴を、
「う、があ!」
レインは一気に蹴り抜いた。
アスリーは反射的にレインの顔面を肘で打つが、その一撃は眼瞼の皮膚をわずかに切ったのみで、致命傷にはならない。血を垂らしながら、しかし取り合わず、レインはアスリーの身体を続けざまに掴み上げると、
「が、は!」
地面に力の限り叩き付けた。
胸を強打し、アスリーは立たなくなった。
直後——白光が晴れ、その先でショットガンを構える——オルカがいた。
交錯する刹那。
音速の弾丸すら予測する『共覚質』で——知覚できる未来。
(動くか——)
オルカは、銃身に規律式を展開。
充填した熱量が舞う。
——制圧魔術。
上方へ放たれた十数の弾丸はやがて膨化——その質量を数万倍に、
「『架隕石(ボルゴ・バルダス)』」
オルカの弾丸魔法と化した。レインの頭上に灼熱超重の岩石——『架隕石』の圧力が降り注ぐ。間髪開けず、地面に直撃すると同時、一帯に灰燼が巻き上がり、振動に揺れた。
それが学内一とされるオルカの弾丸魔法——上級魔術の威力。
しかし、その強力さは、彼にとって、
「——悪いが、オルカ」
「なっ」
弱点でもあった。
「弾丸ばかりに目が行き過ぎだ」
オルカの後方に、レインの姿があった。
「——馬鹿が、!」
オルカは二発目を装填し、レインが撃ち放つより速く、反撃に転ずる。
——オルカ・A・ダンドロス。
国内一のアレストラ教導院で級長を担う実力。
天性の裏打ちされた高度の『共覚質』。
魔導士としての格を左右する強大な魔力
加えて——レインの弾丸魔法は熟知している。必殺の熱量を持った弾丸であっても、対象に命中するまで跳弾する『幻硬弾』は魔術師にとって対処は困難となるが、外れた弾丸でも注意せねばならないことを把握していれば、回避は決して不可能ではない。
予知として観測していれば、共覚質で対処できる上、ここは平原——。
弾丸が跳ね返る対象などない。
そう思っていた——次の瞬間だった
「がっ!」
オルカの『後頭部』を——弾丸が撃ち抜いた。
「な、んで……」
倒れながらオルカは、背後から来た弾丸を見ながら、
「ああ。それな」
レインを見上げる。
「スタートの時に撃ってた弾丸」
確かに、スタートの時——レインは、合図係を変わると言ってきた。
そして、その弾丸を『横』に撃っていた。
それは低速で彼方の校舎に跳ね返り、今、オルカの頭を時間差で撃ち抜き——。
「……くずめ」
「うっせえ」
あっさりと親友を騙ったレインは、腹部にとどめの弾丸を撃ち込む。
そして、開始から十秒程度の交錯で、級友二人を沈めて振り返る先は——銀。
「……ふあ……」
呑気なあくび。
「まあ……鉄則は、抑えてる様ね」
「鉄則?」
「弱い奴から殺すこと」
言いながらようやく、彼女は引鉄に指をかける。
そして、二人のみしか聞こえていない声量で、淡々とエアは、
「でも残念。あのアスリーっての、直接張り倒そうと思ってたのに」
「ちびっ子扱いされたからか」
「……」
退屈そうな顔から、一気に不機嫌そうになってエアは黙り込む。出会ってからこれまで彼女は超然として、飄々として、つかみどころが無かったが、身体の特徴を揶揄される——ちびっ子扱いされると、とてつもなく腹に据えるらしく、態度に隠さない。
「——誰が」
そして、小さな声。
正面に向き合うレインが、ようやく聞き取れた。それは、
「——誰が、こんな身体を、望むの」
震えた声で——少女は、
(、なんだ、——?)
影を落とした表情。
小馬鹿にする様な、嘲笑う表情も、仮面の笑顔すら、まるで消え——。
——悲しい顔をした。
それは、自分やその他の人間が、彼女に触れようとした時の、
(この顔は——)
拒絶の表情……?
……いや、今となっては、間違いなく——悲嘆の。
(、……?)
思えば——。
エアは自らを百年前の存在だと語った。一つの小さな弾丸にその存在を封じられ、大戦の度に亡霊として身を現すという事象を繰り返し続けた。それを再現する魔術があるのかは分からない。しかし、エアのその肉体は、決して——生来の物ではないのは確かだ。
ならば——この少女の身体は、誰が作った?
——作り出された?
思考するほど、表出する疑問が——レインに刹那の隙を生んだ。
「——っ」
魔導士として、レインは、予知を全開にまで研ぎ澄ませていたからこそ反応できた。
——来る。
エアからの攻撃が。
「くっ」
四方は観戦中の級友に囲まれ、ある種行動が制限されている中、走り込もうとしたその先に大量の銃弾が撃ち込まれるのを予知——勢いのまま、身を捩って回避に移る。
直後、頭上を弾丸が掠めた。
エアの弾丸魔法だ。着弾した場所から、激しい火焔が巻き上がるが、その衝撃を最小限に抑えて、立ち止まることなく、レインは間合いの外へ——が、直後、眼前を横切ってくる影が、レインに向かって突進してきた。
「っ」
再度、予知。
——危険。
瞬時に腹部を庇うが、同時、上から叩き込む様な衝撃がレインの身体を貫いた。
「がっ、は!」
腹部に模擬弾が炸裂し、衝突の勢いのままレインは地面をごろごろと転がる。息が詰まり、立ち上がろうとしても強烈な痛みで身動ぎすらできない。
そして、
「、く、そ……」
地面に這いつくばる中——。
がしゃ、と音が鳴る。
眼前に銃——武骨なライフルが構えられた。
「四秒」
声は、常のよう。
平坦で、感情に欠けていて、見下ろすように——。
けれど、
「弱すぎるんじゃない、お前?」
嘲笑する声色。
しかし、レインが顔を上げ、ふっと見上げた少女の顔は、
(なんで——そんな、)。
——暗く。
笑ってなど、いなかった。ぎゅっと口唇を結び、感情を押し留め——無理を殺して、それでいて、虚勢を張るようにしか見えない程に、エアは瞳を濡らしていた。
まるで——泣き出しそうに。
(なんなんだ、エア、お前は——)
どうして——そんな顔をする。
俺に何を隠している。
何も話さず、それでいて、いざ触れられれば——身勝手に、
傷ついた。
「じゃあね」
軽い声と共に銃声が鳴り、頭部に模擬弾を撃ち込まれたレインは気を失った。
アレストラ教導院は、レミノスという城下町に立地する。
首都に隣接する地域であり、首都に土地が足りない為に城下町に設立した。人口は首都の三分の一程度だが活気付き、鉄鋼や商材を出荷する商業街としても発展を遂げた。
通称『鉄の街』。
立地の条件から教導院の学生は、多くがこの街で物品を補充して生活する。
そして、レインを含め十数名の学生は、私服に着替えて鉄の街にいた。
「じゃあ、昼頃に再度、ここに集合だからな」
オルカが指示して、学生は散り散りに街に消えていく。
教導院に所属する学生は軍事に関する機密を保持している事由から、街一つにも申請をして出掛ける必要がある。それ故、偶の外出は貴重な息抜きとして機能していた。
オルカを初め、日常に娯楽の少ない多くの生徒は、趣味や食べ物の店に走る。
しかし、そのストリームから抜け、レインが向かった先は「古書店」であり、
(……うーん)
古書店には乱雑に置かれた本も多いが、蔵書として新聞が取り置かれている。
そして、レインが閲覧するのは一つ。
それは、百年前の新聞だった。
「あまり、期待はしてなかったが——」
薄い硝子材で加工され、劣化せず保存された膨大な古新聞の中の一つに辿り着いた。
「……当たりか」
『学生隊 レノックス戦 大貢献』
『大躍進 軍部も造兵を検討する』
(嘘じゃ、無かった……)
確かに、亡霊の少女が、言った通りだった。
そこには百年前当時——戦争の末期にあった東国を救った学生隊の存在があった。それもある時期から情報が途絶え、軍部の隠蔽も窺える証拠には、十分な資料だった。
この学生隊のリーダーがエアとは限らないが、確定していいだろう。
あの亡霊と名乗った少女は——本当に百年前の存在だ。
レインは、幾分か新聞記事の複写を依頼して、街に出た。
「あ、レインだ」
果物屋を外から眺めていると、通りかかったのはアスリーだった。
レインのパートナー兵士。
しかし、進行方向は街の中央と逆で、引き返してきたようだったが、
「なんだ、買い物はもう終わったのか」
「うん。まあ買いたかったのは雑誌と、湿布薬だけだったし。ところで、レイン」
「ん?」
「私、今日が誕生日なんですけど」
言いながら、小首を傾げる。
「えー」
「なにその面倒くさそうな反応!」
「いや、だってさ」
今はエア——それに限らず、亡霊について調査できる貴重な機会だった。教導院に戻れば限られた資料に頼らざるを得ず、新聞の様な情報を得る事が出来ない。しかし、
(……まだ、時間は)
アスリーには、ここ最近、戦場に纏わる心労をかけていることも心に棘を刺し、無下に断ることも憚られた。悪魔の弾丸を手にして以来、戦場での移動は、終始アスリーに負担を強い続け、形だけで見れば、砲手という立場で一方的な命令をしているのが現状だ。
悪魔の弾丸。
人間の存在を消す弾丸。その機構の秘密は絶対に漏れてはならず、アスリーに教えたこともない。だからこそ、後ろめたさが立つ。
「ああ、じゃあ、まあ」
レインは、アスリーに向き合うと、
「何かいる?」
「やった!」
「実はもう選んでるから、こっち!」
「……選んでるんだ」
アスリーに引っ張られた先は、貴金属店だった。
そして、ショーケースに並べられた内の一つで、それなりに高い髪飾りを買わされた。
「……ぐう」
いや、本当に高かった。
十万ゼルという値だったが、それはレインから見ても蒼色の可愛らしい物だったし、アスリーが本当に嬉しそうにお礼を言ってきたことは良かったが……
「……、それ、そんな欲しい物か?」
高い髪飾り。
貴金属店の店主は、とても気の良い壮年の男で、こちらが学生という事で店の中でも比較的安い物を見繕ってくれて、それでも、なお高額な装飾品で——かなり迷ったが、最終的にはアスリーが望むからと、買うことになった。
そして、購入したその髪留めを、
「ん?ここで使うのか」
「折角のプレゼント、家で開けるなんて寂しいでしょ」
アスリーは、その場で包んで貰わなかった。
その場で髪を纏めたのだ。
長い髪を括って、髪型を変える。
少し編み込みを入れる。手櫛で整え、綺麗な流線を作り終わった後に、
「どうよ?」
「おお……」
普通の美人さんになった。
「アスリーって、普通に可愛いよな」
「普通にってつけると、他に問題あるみたいじゃん」
「無いと思ってるのか」
「ないでしょ。じゃあ、この格好で、実家に戻ろうかな」
「実家……」
そういえば、と思い出す。
「レミノスって、アスリーの実家があるところか」
「そだね——」
実家。その言葉に、僅か、表情に影を落とし、アスリーは、
「私、親の反対を振り切って、この学校に入ったからね……たまには女の子らしい恰好をして顔を出さないと、本当に連れ戻される」
「……あまり、心配をかけない方がいいんじゃないか」
「うん。まあそれでも、私は何があっても戻るつもりは無いから」
言って、
「私の親戚は、みんな西の国に殺された。次は守らないと、父さんと母さんだけは」
アスリー・マグメット——軍属に志願した理由。
それは至極単純で、彼女は多くの寄るべき人を、戦火の中で焼かれたからだ。彼女に残されているのは、火中を掻い潜った両親だけ——。
「じゃあ、レイン。また後でね」
身だしなみを整えて、アスリーは店から出ていった。
そして、それを確認したところで、
「店長」
「ん?」
レインは、装飾店の店長に振り返った。
「髪飾り、もう少し、まけてもらえないでしょうか?」
「情けない奴だな……」
値下げ交渉に入った。
うん。
いくら何でも、十万は高過ぎる。
「お願いします。彼女の前ではカッコつけたかったんです!」
「正直に言うのはいいけどよ……ええー、じゃあ、一万ひいてやるよ」
「え、いいんですか」
言ってみるもんだった。駄目元で言ったのに。
「あんた、アレストラの学生兵なんだろ? 若いのに命賭けて戦って貰ってるお礼だ。少しは安く買わせるよ。大事な恋人なんだろ?」
「……大事な片思いです」
「んー、じゃあまあ、次は指輪買ってやれるように、ファイトあるのみだな」
そんな取り留めのないことを、暫く話していた。装飾店の店長は長話が好きで、結構な時間付き合わされたが、最後には一万五千も引いて貰えたので、ラッキーだった。
そして、アスリーが出て二十分後くらいに、その貴金属店から足を踏み出した。
その時だった。
「……え?」
目を疑った。
そこにあったのが、一機のエクセリアだったからだ。
合金の陸戦兵器。
他でもない、純然たる兵器——エクセリア。
破壊の機甲兵器——商業街の街路にはあまりに異物。
起動していた。
しかもそれは、この国ではない——西国が作り上げた新型AT3。
「な、……」
——敵機。
そう認識した時、ようやく街の異変に気が付いた。
周囲の人々は既に逃げ惑っていた。
騒ぎが肥大化する——まさにその瞬間、レインは店から出たと知った。
眼前のエクセリア。
動いた。
その砲手は、逃げ惑う人混みの中、中空に向けて《一つの弾丸》を放った。
(っ、——)
それは黒色。
金属製の細筒。
弾丸と思えぬ程、あまりに緩やかに放たれたそれは、見る者の時間を錯覚させ、
「——くそ!」
黒筒が爆裂した。
内腔から放出された膨大な熱線が、鉄の街レミノスを——灼熱に包み込んだ。
——熱い。
酷く、重い感覚。
(、う……)
虚ろだった意識が、徐々に明瞭になっていく。
レインは視覚よりも先に、嗅覚が回復した。
「げほ、ごほ……」
鼻腔に入り込んできたのは、瘴気——いや、焦臭だ。
ぼやけていた思考で、身体を動かそうとする。
しかし、どれだけ立ち上がらねば、動け——と思えど、やはり起き上がらない。そして背を逸らしたその時、自分の上に乗っているのが、焼け爛れた焼死体だと分かった。
(、……)
低身長だが、恰幅がいい死体は、貴金属店の店主の成れの果てだった。
つい数秒前まで話していた相手。
魔導士でなく、防衛魔法を持たない彼は、数千度の熱線で原型を留めていなかった。
(う、ぐ……)
熱で溶けた凄惨な死体に、嘔吐を抑える。
しかし、動かなければ自身も火で焼かれる。どろどろになった死体に吐きそうになりながら、レインはその下敷きから這い出て、ようやく、周囲の状況を認識した。
夢だと思いたかった。
瓦礫の先に広がっていたのは、
(なんだよ、これ——)
夥(おびただ)しい数の死体だった。
幾百、幾千と焼けた、大量の焼死体が、視界の限りに広がっていたのだ。
理解がすぐに及ばない。周囲からは絶えず炎が上がり、その燃料となっているのは、数えきれない程に大量の遺骸であり、纏わりついた人脂だった。肉が焼ける臭いと火薬の臭いが混じり、まともに呼吸する事すら叶わない。
あまりに毒気が強過ぎた。
しかし、そこに気を取られる事も、すぐに終わった。
ずん、と衝撃と共にエクセリアが、レインの眼前に着地したからだ。
敵機。
機体全体に煤と血をべっとりと付け、ここに至るまでの殺戮を容易に想像させる。
——どくん、と心臓が跳ねる。
逃げねば。
死ぬ。
殺される。
理解している。
けれど——身体が動かない。動いてくれない。
いつからだろう。
震えていた。
レインは、自身の身体が石の様に思えた。
恐怖している——そう気付いた。
今まで幾つもの戦場を潜って来た。
それでもここまで——「死」を感じたことはあまりに少ない。
けれど、仮に動けても無駄だ。エクセリアは圧倒的な陸戦兵器であり、幾ら弾丸魔法が使えようと、生身ではひっくり返っても勝てないのが絶対の法則だ。
敵機の砲手から、銃口を向けられた——その時だった。
「なっ……」
がりん、という衝突音を鳴らして乱入した別の機体が、眼前のAT3を突き飛ばした。横から急速に加えられた体当たりに、敵機は吹き飛ばされ、
『レイン、乗って!』
アンプ越しの声がレインを促した。
そこで、ようやく死の呪縛を振り切り、レインは駆けだした。
救援に来たエクセリアに飛び乗った。
「すぐに離脱するよ!」
搭乗者はアスリーだった。
彼女は、敵機を振り返ることもせず、自機を反転させる操作をしながら、
「悪い。リスクを負わせた」
「いいよ。今は学生兵の確保が優先されてる。それより、しっかり捕まって」
敵機からの追随は無かった。
アスリーの操作は、それ程に素早く、レインはその技術に改めて感嘆しながらも、
「アスリー、お前の両親は……」
聞く。先程アスリーは両親がこの街に住んでいると言った。これだけの被害の中、彼らだけが運良く逃れていると楽観はできず、レインは万が一を考えたが、
「大丈夫。両親とも、地下室に逃がしてきたから。それより、向かうよ」
「向かう?」
「みんなのところ」
アスリーはエクセリアを走行させる。
その道中、西国製と思われるエクセリアAT3一機を目にした。
巡回する様に周り、銃器によって、逃げ惑う民間人を無差別に射殺している。
その光景から、思わずその機械兵器を狙撃しようと、銃を手にした瞬間、
「レイン」
掛けられたのは、冷静な声。
それは、操縦したまま振り向きもしないアスリーからの静止だった。
「駄目だよ。私たちの存在を教えることになる」
「っ、」
言われて——レインは、感情をぐっと抑えた。
彼女の言う通りだ。ここで迂闊な戦闘をすれば、それこそ全滅する。。
その後、破壊の痕跡を辿る様に市中を駆け抜けた先、崩落して一部が瓦礫と化した公営車庫にアスリーは機体ごと突っ込んだ。いや、瓦礫はカモフラージュだった。
薄い瓦礫の壁。
破って、機体は広い空間に出た。
その先にいたのはアレストラの学生達——クラスメイトたちだった。
人数にして十八人ほどが、瓦礫の奥に秘匿された空間に身を潜ませていた。
「こんなところに……」
「うん。いつ見つかるか、分からないけどね」
——見つかる。
「じゃあ、やはりあれは、」
「うん。街を襲っているのは、西の兵隊」
アスリーに続けて、
「ああ。それも非戦闘地域のここにエクセリア——戦場でしか使えない陸戦兵器を、何機も投入している。無差別に市民を殺しまわる、前代未聞の侵略戦だ」
オルカが説明を補足する。
この場はオルカが仕切っている様だ。数少ない銃火器も彼の前に集められている。適切だろう。級長のオルカは、非常時でも有用な判断を下せる士官訓練を専門にしている。
「敵の目的は、この街の制圧。いや制圧と言うより——虐殺だ」
——虐殺。
西の国は、近日の連敗によって、決して芳しくない戦況にあり続けた。
好調だった戦況を取り戻すべく、西の国は戦略を大きく変え、転換を図った。
レインたちが、その惨劇の場に居合わせたのは——完全に期せずした不運だったのだ。
ここは——鉄の街レミノス。前線から離れた、無害な商業街。
つまり、これは戦争ではない——狩人の定められた戦い。
虐殺。
誰もがそう理解した。
「これから、どうする」
「どうするも、なにも」
「動くことは不可能に近い。レミノスの整地された土地は、エクセリアの主戦場だ」
東軍が保有するエクセリアは僅かに一機。それもアスリーが搭乗しているからこそ、先刻は辛うじて対抗が出来ていたが、本来はこの街への護身警備に学校から拝借してきた旧型エクセリアだ。その機体の性能は、最新型から数段劣る。
「俺たちに取れる選択肢は、二つだ」
オルカの提案。
「一つは、身を隠しながら敵の撤退か、夜になるのを待つこと。ただ国からの救援が間に合わない以上、敵の撤退はないだろう。暗くなっても逃げられる保証はない」
続けて、二つ。
「すぐに脱出する。危険は高いが、混乱に紛れて街の外に出るんだ」
つまりは、『待つ』か。
『逃げる』か。
どちらかが、この戦局に対して選べる行動だった。
エクセリアを所有していない以上、戦闘自体を回避するしかない。
敵軍にこの隠れ家が見つかれば、全員為す術なく殺される。
——しかし、どちらの策を選ぶにせよ。
敵の状況を知らねば、下手に動くことは出来なかった。
オルカの指示で、しばらくは、瓦礫の隙間から、クラス全員で四方の様子を伺うことになった。そして、クラス全員で、単眼鏡で検索を行って五分後のことだった。
「あ、あれって……」
北方を見ていたバンガスが報告を上げてきた。
「どうした」
「あ、ああ、表通りを観察してたんだが」
気弱で線の細いバンガス・ローバーは、
「あそこで駐留してるのって、敵の基幹部隊じゃないのか」
言われて、集まった全員と共に、レインは彼が示す物を見た。
言葉通りだった。
この場から西方二百メートル——。
その上方三十mの街路に、ぽつんと駐留している部隊があったのだ。
稼働しているエクセリアが十機に、格納車が六台も牽引されている。
——間違いない。
敵の基幹部隊だ。
そして、その内の一機の風防が開き、見覚えのある人間が現れた。
その人物は、
「あれは……」
「知ってるのか、レイン」
「——ああ」
写真で数度見ただけだが、確信できた。
何故なら、彼は『命令』として提案されていた人間——。
「アレク……」
アレク——西の武人アレク・タンダ大尉。
東国が優勢になり始めたこの数日の間でも、彼だけは優秀な戦果を挙げ、つい先日戦闘の継続が表明された時にも、現場の人間として出席を敢行した西の武人。
つまり、これは彼が仕掛けた戦争。
これ程の惨劇を作り上げた——張本人。
そしてそれを視認できた時、オルカを初め、級友たちの反応は一様だった。
「、あんな近くに……」
「殺される……見つかったら焼かれて」
「いや、学生なら、捕虜とかに……」
「こんな電撃戦で捕虜なんか取るかよ。その場で皆殺しに決まってる」
戦慄の対象。敵の主力部隊に対して抱くのは、恐怖と警戒のみだった。
——当然だ。
敵機の新型が一機あれば、この場にいる全員を殺す事などあまりに容易い。
しかし、そのような中で、
(アレク大尉……)
レインだけには、
(どうする——)
一つのカードがあった。
それは、誰にも切れない唯一のカード。
その手に握られているのは——『銀色の弾丸』。
人の存在を根本から消し、世界を再編成する能力を持った——弾丸。
(使うか——)
オルカは先程、二つの選択肢を列挙した。
一つは『待つ』こと。もう一つは『逃げる』こと。
しかし、この状況に限って、レインには第三——『戦う』ことも選べた。
(この弾丸で、アレクを消せば……)
ここは商業街レミノス。
穏やかな街に西の武人アレクは電撃戦を掛け、数千人を既に虐殺している。
作戦の規模から換算して、敵機エクセリアは五十機、人員は三百人を超えるだろう。そしてそれに対して、こちらに対抗できる武力は無い。
あるのは弾丸魔法が使える学生が十五人と、旧型エクセリアが一機だけ——。
——慌てるな。
考えろ。
想起しなければならないのは、これまで積み上げて来た、戦場の経験だ。
(使えるのか、……)
これまで何百と使ってきた。
人間を消すこと——戦場をコントロールすること。この悪魔の弾丸によって行われる暗殺は、通常のそれより遥かに容易い。障害を排除するのにも使えばいいからだ。
この弾丸にはいくつか法則がある。
再編成——。
それは、ただ無差別に人間が消えるのではない。
基本的な機構として、この弾丸は、人間の存在を根本から消去できる。そして消された人間が行ってきたことも同時に抹消される。その法則に沿えば、今はまさに使い時だ。
アレクを消せば、この街への殲滅戦は確実に回避される。
数千人が助かる。
だから、もし、これを使うならば——。
問題は、この弾丸を、アレクに『どう撃ち込むか』の一手に掛かる。
(ここから撃つ……?)
——無理だ。アレクはわずかに顔を出しただけで、すぐに機体の中に身を置いた。これから不用意に出てくることにも期待出来ない。何より、確実に仕留められる距離にない。
それに、この弾丸には現在、制限が掛かっている。
『ここからは『誓約』よ。このまま悪魔の弾丸を使いたいなら』
銀の少女との——取引。
『撃てと言ったら恋人でも撃ち、鳴けと言ったらわんと鳴いて、——死ねと言ったら、死ぬ。そんな、ただの言いなりになること』
この弾丸を次に使う時、レインは——自身の全てを失う。
それが、悪魔との誓約。
(どうする——)
思考する。
しかし、エアの事を加味しなくとも——やはり、戦うことは無理だ。
悪魔の弾丸を使うには、あまりに分が悪すぎる。
「なあオルカ、逃げるとしたら、武器は、俺達の銃しかないのか」
レインは、打開しようと、オルカに聞く。
「ああ。この場所に面白い物があったんだが、それは使えないしな……」
「面白い物?」
「ああ。エクセリアの横に、粉袋が幾つかあるだろ」
「あれがどうしたんだ」
「固形火薬なんだよ。それも、爆薬に加工して初めて使える製品だ」
瓦礫に埋まるこの空間は、元は軍が所有する公営車庫だ。多少の火器くらいは安置されていたとしてもおかしくはない。言われた通り、火薬の粉袋が四つほどあった。
火薬は爆薬に成り得るので、武器になるかと思えたが、しかし、
「無理だな」
オルカは既に検証していた。
「あれ、量はあるが、いかんせん古くて、薬莢に詰めれるほど状態も良くない廃棄品でな……。それに、そもそも火薬だけあっても武器にならんから、どうしようもないんだ」
火薬は加工し、適切な圧力で密閉を行わねば武器として使えない。何より、そんな破棄されていた火薬に頼るくらいなら、弾丸魔法を使った方が遥かにマシだ。
旧型のエクセリアと大量の粉火薬では、どんな戦闘でも圧殺されて終わる。
——そう思考していた。
次の瞬間だった。
「っ、おい、瓦礫から離れろ!」
事態は急速に動いた。
今まで昇っていた太陽が動き、陽光の位置がずれた時、
「光が反射している!」
オルカが叫んだ。
陽光が瓦礫に差し込んで、偵察に使っていたスコープで光が反射したからだ。太陽を背中に置くことは狙撃の基本とされるのは、反射光を敵に悟られないためだが——。
反射して生まれた光。
それが、敵へ向かった。
その直後だった。
「伏せろ!」
次の瞬間、瓦礫の壁が爆散した。敵の砲手がこちら気付き、間髪開けずに弾丸魔法を放ってきたのだ。その一撃で、伏せるのが間に合わなかった三人が犠牲になった。
吹き飛んだ。
級友三人の顔面が吹き飛び、上半身が千切れ、死体がばらばらと転がる。
そして粉塵の中——敵機エクセリアがここに向かってくるのを視認した。こちらに人間がいると確信はしていない動きだ。しかし、この煙が晴れた時——姿を見られる。
殺される。
「ど、どうする!」
「に、逃げねえと!」
「どこにだ、エクセリアを振り払えるわけがない」
「じゃあ、殺されるのを待つのかよ!」
緊張は既に解かれていた。場を制したのは混乱。士官候補と言えど、若い学生が死に晒され、先程まで話していた仲間が散らばるのを目にして、冷静は保てなかった。
逃げねば——死ぬ——
戦う?——
無理だ。
——死ぬ。
それだけは——。
ずきんと、レインは破裂しそうなほどに疼いた『眼』を抑え——。
(——っ、)
レインは、
「——エア!」
叫んだ。
亡霊の名を。
唐突。
そのあまりの叫びに、場の混乱がしんと落ち着いた中で、
「いるんだろ、何処か近くに!」
なお、響くのは、少年の叫び。
「呆れた顔で、俺を見ながら、腹の底で笑ってるんだろ! 分かるんだよ! お前が考えそうなことは——悪魔の考えることは!」
破れそうな喉を抑え、
「悔しいが 今の俺には、この状況をどうにかすることが出来ない! ——誓約だ! 差し出してやる! 俺の全てを! だから——力を!」
一呼吸で叫びあげて、
「俺を助けろ、エア!」
「そんな喚かなくても——」
声は、後方——。
「きちんと聞こえてるし、出ていくわよ」
冷えた空気の中で、霧の様に、
「で、なによ」
銀の少女——は現れた。
「……本当に、いたのか」
「ええ。その点は、運が良かったわね、お前」
言って、
「で」
レイン以外の学生からの視線を受けている中、構わず、少女は、
「誓約を結ぶってことでいいの?」
「ああ。ついでに力を貸せ。俺の全てをくれてやる代わりに、この状況をなんとかしろ」
「ついでだからって、頼みごとを増やされるのは予想外……」
呆れながら、
「まあいいけど」
嘆息。
「主人として、頼もしい所を見せないとね。私を、お前が仕えるだけにふさわしい相手だと確信させてあげる。じゃあ、これからのお前はあまねく私の物よ、レイン・ランツ」
言って、
「記念に、もう一回見せようか?」
ひらひらとスカートを翻す。
「いらん」
「あっは。そっちはまだまだみたいね」
死地にいると思えぬ、軽薄な態度は相変わらず。
亡霊——。謎の少女エア。
見せつける様にめくっていたスカートを整えると、流れる様な動作で拳銃を手に取り、そのままレインに『一発の弾丸』を胸に撃ち込んできた。
「まあ誓約と言っても、やることはこれだけだけど」
受けたそれが弾丸だったかも分からない。痛みすら無かったからだ。ただ、わずかにずきんと痛んだ左腕には、赤色の奇妙な紋様——誓約の証が刻まれていた。
エアが持つ『悪魔族』と同様の——。
「その紋様『ジスノト』が、私とお前の繋がり」
レインは、少女と、明確な繋がりを得た。
「私の命が尽きない限り、お前は私が強制する命令には、決して逆らえない。少し、不完全な主従関係だけどね」
「……不完全?」
死ねと言われれば死ぬしかない関係なのに——不完全?
「……悪魔との取引、とは違うのか」
「ええ。私が死ねば、『亡霊エアの魔術は全てレインに移される』。だから、寝首を掻くことを狙ってもいいってこと。その抵抗を許す限り、一方的な取引ではない」
「——それは」
——レインが握れた唯一のカード。
少女エアが死ねば——彼女の魔術は、全て自分の物になる。
無論、世界を変える弾丸の力も——。
「どうする、いま、挑戦しとく?」
「……いや」
レインは答える。
「今は奴隷で良い。だから、この状況を何とかしてくれ、エア」
「——さて、そろそろ動かないとね」
レインとの誓約を終えた後、ようやくエアは動いた。
エアは歩き向かう。
その先は学生唯一の兵器——旧型のエクセリアだった。
「どいて。私が乗る」
「え、あ」
困惑するアスリー。彼女はエアの素性を知らないので当然だったが、
「……アスリー、譲ってやってくれ」
レインが言うと、アスリーは台座を降りた。
アスリーをどけて、エアはエクセリアに搭乗する。しかし、ただ一つの拠り所である陸戦兵器を占拠されて、周囲の学生から非難が出ないはずが無かった。
不思議で異様な様相でも、命を天秤の乗せられた状況なら、誰もが警戒する。
しかし、誰かが声を上げようとした時、
「聞け、アレストラの学生」
「っ、」
鉄の様な声が不満を先に制す。
それは学院で愛嬌を振り撒いていた時とは根本から違う。聞く者に圧倒的な力を示すための戦士としての声色。亡霊としての正体を現し、そして導く。
「私はエア・アーランド・ノア。この戦いを勝利に導く者。悠然と語ってあげる暇がないから、目的だけ話してあげる。あいつらを——西国をこれから討ち取る」
——討ち取る。
その言葉に、
「——で、出来るわけないだろ!」
「無理だ、どれだけ兵力に差があると思っている!」
硬直の解けた学生たちは、一斉に喚いて、反論を次々に口にした。
——無理。
——無謀。
現在の状況を正確に理解しているからこそ、当然の反応だった。
しかし、それを聞かず、エアはエクセリアの補助腕で傍にあった火薬袋を掴む。台座に乗せ、そのままレインに乗って来いと言った。レインは言われたまま飛び乗るが、
(こいつ、なにをするつもりだ——)
エアの意図は理解できない。
それでも賭けるしか——。
(それしかない——)
エアは、この絶望的な状況を抜け出すと断言した。
誰もが無理だと愕然とする中、あまりに軽く。
ならば、出来るのは、全てエアに賭ける事だ。
黙っていても——死ぬのだから。
エクセリアが起動する。そして、四輪が駆動する反動を待たず、
「瓦礫を破って、そのまま行く」
衝撃。
エアが操縦するエクセリアは瓦礫の壁へ突進し、一気にそれを突破した。強引とも言えるが、その挙動は敵の警戒を抑えるには最適な方法だった。
飛び出した孤立無援のエクセリア。一切の静止は無く、立ち込めていた粉塵から一気に抜け出した。エアは敵機へ向き合う。しかし、敵兵も瞬時に直感する。
未来を予知する『共覚質』がエアの機体を把握し、最善の対処法を導き出した筈だ。
向き合う。
魔導士が使役する弾丸魔法。
一撃必殺の陸戦兵器による攻防。
エアは勢いのまま、互いの射程圏まで一気にエクセリアを進行させた。
直後、一瞬の交錯——しかし、エアは、
「遅い」
進路を塞ごうとした敵機の前で、エクセリアを制動し、
「なっ、あ」
衝撃にレインが詰まった声を上げた直後——機体が飛んだ。
跳ね飛んだ。
金属の塊が、宙高く跳ね飛び、敵機の頭上を——飛び越えたのだ。
敵機も唖然としていた。当然だ。エクセリアは合金車両であり、跳び上がる機構など備わっていない。数メートル単位で上方に跳躍する理屈は、僅かにも持ち合わせない。
しかし、
(そうか、この機体は……)
これは旧型機——。
そして旧型は軽い——軽いのだ。
動力が貧弱で、装甲が薄いからこそ、この曲芸の様な軌道は完成した。足場となる瓦礫があれば、躓くようにして、その機体を跳ね上げることが比較的容易となる。
この亡霊は、それを意図的に実行したのだ。
けれど、その時、レインの共覚質が泡立ち、
(うっ——)
こちらに気付いた別の敵機が、弾丸魔法を放ってきた。
数十発の死を纏った、必死の弾丸——。
けれど、それらを、エアは、
「児戯ね」
躱す。
滑るようにすり抜け、見えている様に前進を一切止めない。
卓越した技量。防衛として構えていた敵による一斉射撃など歯牙にもかけず、嵐の様に撃ち込まれる弾丸魔法すら一気に駆け抜け、そして、敵本隊へ大きく距離を詰めた時、
「ここで飛ぶから、レイン」
「え」
エアからの指示。
——飛ぶ?
「ええ。この陽動の仕上げ。機体から飛んで、思いっきり」
——で、と続けて、
「撃ちなさい。『この機体』を」
直後、レインはエアに首根っこを掴まれて、走行するエクセリアから後方へ飛び出す形になった。時速五十キロ近い速度からその身を放り出し、中空に離脱したのだ。
そして空中で、
「な、に」
「ほら、撃って」
そこでようやく、
(撃てって、——まさ、か)
エアの意図を汲む。
——『この機体』を撃ち抜け。
(狙いは分かった、けど、なんて無茶な、——)
指示通り、撃ち抜く場所は台座——それは『大量の火薬袋』が乗った場所。
狙い定めて、
「っ!」
レインは弾丸を放った。
刹那、凄まじい爆音が鳴った。炸裂した。質が悪いと言えど、数万発分の火薬を一気に破裂させた威力は絶大だった。自機の爆破に飲まれながら、敵機五機も共に焼き潰れた。
黙々と巻き上がる黒煙——。
そして、その煙幕が晴れ、遠巻きに見ていた学生たちが茫然とする中、
「ほら、できた」
現れる。
「お前たちが無理だ、無茶だと言っている間に、こんなに簡単に」
敵部隊の制圧を終え、瓦礫の隠れ家へと戻った銀の亡霊。
彼女は、学生たちにエクセリアの起動キーを投げ渡した。
「選びなさい。子供たち」
それは、たった今、敵から奪った機甲兵器を起動する鍵だった。
制圧した敵の格納車には、予備機である無傷のエクセリアが数機残されている。エアが学生たちに託したそれは、鹵獲して手に入れた敵機を動かすための鍵だった。
「——食われるだけの豚か、牙を立てる豚か」
銀の少女。
いや、凄まじい怨念の元に惨死した——彷徨いの亡霊は、
「別に私は、お前たちが奮起しようが、ここで貝になろうが構わないの。ただね、武器を得ながら——反撃の方策を持ちながら、それでも抗おうとしないのは、餌を与えられることしか知らない豚と同じ。そして、家畜の辿る道は一つ」
——食われるだけ。
「ただ断言する。お前たちは幸運よ」
それは何一つ根拠の無い発言。
しかし、エアは、
「この私に賭ける——お前たちの勝ち」
振る舞い一つで、その存在を周囲に認めさせた。